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2026年4月1日水曜日

【目次】説教や聖書研究をする人のための聖書注解

 説教や聖書研究をする人のための聖書注解

マタイ福音書

22:15-22  22:23-33  22:34-40 22:41-46

23章

23:1-12  23:13-36(① 23:13-14、② 23:15、③23:16-22)  23:13-36(④23:23-24)  23:13-36(⑤23:25-26)  23:13-36(⑥23:27-28)  23:13-36(⑦23:29–36)  23:37-39

24章

24:1-2  24:3-14  24:15-28  24:29-31  24:32-35  24:36-44  24:45-51

25章

25:1-13  25:31-40

28章

28:1-10


マルコ福音書

3:20-30  3:31-35

4章

4:1-9  4:10-12  4:13-20  4:21-25  4:26-29

4:30-32  4:33-34  4:35-41

5章

5:1-20

6章

6:1-6a  6:6b-


ヨハネ福音書

15:26-27


ペトロの手紙二

1:16–21


2026年3月30日月曜日

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マルコ6:1-6a

説教や聖書研究をする人のための聖書注解

マルコ6:1-6a

概要

 マルコ福音書は、イエスの十字架の死という悲劇を中心に据え、人々によって無力に追いやられたその姿こそ真のメシアであるという逆説的メッセージを語る物語である。全体は、ガリラヤでの活動を描く前半と、エルサレムへ向かい受難へと進む後半に大きく分けられる。 群衆は、癒しや悪霊追放といった「力ある業」を行うイエスをメシアと期待する。しかし物語は、その期待とは裏腹に、イエスが拒絶され、受難へと静かに歩みを進める姿を描く。直前の悪霊に憑かれた男の癒しの場面でも、イエスは地元住民から恐れられ、追放されている。  本段落では、イエスが故郷に戻るが、そこで待っていたのは歓迎ではなく批判と拒絶であった。イエスはほとんど何もできないまま故郷を後にする。この逸話は、真に人々に仕える者がしばしば排斥されるという、受難の予兆を示す物語でもある。

注解

マル⁠コ6:1

  • 私訳:そして、彼はそこから出て行った、そして彼は彼の故郷へ来る、そして彼の弟子たちが彼に従っている。
  • 新共同訳:エスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。 ⠀
  • ἀκολουθοῦσιν:原形:ἀκολουθέω 現在能動直説法3複「彼らは従っている」
  • πατρίδα:名詞πατρίς 対格単数「故郷」
  • 新共同訳の小見出しでは「ナザレの村」と記されているが、本文はイエスの故郷がナザレの村とは表記しない。イエスを「ナザレのイエス」と呼ぶ伝承から、故郷=ナザレと推定されているにすぎない。ナザレが実在した村かどうかも議論があり、「ナジル人(神に誓願した者)」を指すとする説もある。
  • いずれにせよ、ここはイエスが故郷に戻る場面である。名声を得たイエスが故郷に帰るが、そこで起こるのは「拒絶」というのが主題である。

マルコ6:2

  • 私訳:そして、安息日が起こったとき、彼は会堂の中で教え始めた。そして多くの者たちは、聞きながら驚かされて言っていた、「どこから、この人に、これらは(来たのか)。そして何であるか、この、この人に与えられた知恵は。また、このような力ある業が、彼の手を通して起こっている(とは)。」
  • 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。 ⠀
  • γενομένου(原形:γίνομαι):アオリスト中動分詞(絶対属格)「〜が起こったとき」
  • ἀκούοντες(原形:ἀκούω):現在能動分詞・主格複数「聞いている者たち」
  • ἐξεπλήσσοντο(原形:ἐκπλήσσω):未完了中動直説法3複「彼らは驚かされていた」
  • 安息日、イエスは会堂で教え始める。ナザレの人々は、教えを語るイエスの知恵(σοφία)と奇跡(δυνάμεις)に驚嘆するが、その反応は信仰に至らない。「どこから(πόθεν)」という問いは、神的起源を認めるのではなく、むしろ疑念を示す。

マルコ6:3

  • 私訳:この人は大工ではないか、この、マリアの子であり、ヤコブとヨセとユダとシモンの兄弟ではないか。そして彼の姉妹たちは、ここに、私たちのもとに、いないのではないか。そして彼らは彼においてつまずいていた。
  • 新共同訳:この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。 ⠀
  • ἐσκανδαλίζοντο(原形:σκανδαλίζω):未完了中動直説法3複「彼らはつまずいていた」
  • τέκτων:主格単数「大工・職人」
  • 「この人は大工ではないか」:マルコを参考にして書かれたマタイ福音書では、「この人は大工の子ではないのか」と言い換えている。おそらく、マルコの時代よりイエスの神性が定着してきたマタイの時代にあって、マタイは神の子イエスを大工とする直裁な表現に躊躇し、婉曲的な表現に切り替えたのだろう。
  • 故郷の人々は、イエスの家系や出自、成長の過程などを知っているだけに、これが拒絶の原因となっている。過去の知識、既存のイメージが邪魔をして、新しく起こされた出来事が、素直に見られない人の弱さが露呈している。
  • 「マリアの子」という表現は父系ではなく母系で呼ぶ表現であり、当時は圧倒的な父系社会であるから、非常に異例である。イエスの十字架死と復活以降、原始教会に後から母マリアとイエスの兄弟が加わり、対して父ヨセフの存在の痕跡はなく、その事実を前提とした見方からの表現。
  • おそらくイエスの父ヨセフは、ある段階で既に亡くなっていた。このことから、ヨセフは高齢でマリアと結婚して寿命に達していたのではないかという推測が生まれ、その後のクリスマスの美術画などでは、ヨセフを高齢の男性として描く慣習が成立していった。
  • 「つまずく(σκανδαλίζω)」:信仰的拒絶を意味し、メシア理解の典型的障害を示す。
<これまでの注解を元にしての説教の結びの言葉として>  イエスが故郷に戻られたとき、人々はその知恵と力ある業に驚きながらも、信じようとはしませんでした。彼らはイエスを「よく知っている」と思い込み、過去のイメージに縛られ、神が今まさに行おうとしている新しい働きを受け入れることができなかったのです。  しかし、この物語は単なる過去の出来事ではありません。私たち自身もまた、同じつまずきを抱えています。自分の思い込み。それは絶対というわけでもないのに、私たちの頑固な思い込みが、神の恵みを閉ざしてしまうことがあります。  イエスは故郷で拒絶されましたが、それでも歩みを止められませんでした。理解されず、受け入れられず、つまずかれながらも、なお人々のもとへと向かい続け、ついには十字架へと進んでいかれました。 その道こそ、神の愛が貫かれる道でした。 私たちが心を閉ざすとき、神の働きは見えなくなります。 しかし、心を開くなら、どれほど小さな場所にも、どれほど平凡な日常にも、神は新しい命を吹き込んでくださいます。故郷で拒絶されたイエスは、今日も私たちのもとに来られます。 「あなたの中に、あなたの隣人の中に、神の働きを見ようとするか」  その問いを、静かに、しかし確かに投げかけておられます。

<ここまでのまとめ>
  1. 身近さが信仰を妨げる:故郷の人々はイエスを「よく知っている」と思い込んでいた。その思い込みが、神の新しい働きを拒む原因となった。 ・過去の情報により、新たな認識に影響を与えること。=アンカリング ・確証バイアス:自分の信念に合う情報だけを集める傾向
  2.  過去のデータが現在の神の働きを曇らせる:人は過去の経験に縛られ、神が新しく行われる業を見逃すことがある。
  3.  イエスの受難はすでにガリラヤで始まっている:拒絶はエルサレムだけではない。イエスの道は最初から「理解されない道」であった。

マルコ6:4

  • 原文:Καὶ ἔλεγεν αὐτοῖς ὁ Ἰησοῦς ὅτι Οὐκ ἔστιν προφήτης ἄτιμος εἰ μὴ ἐν τῇ πατρίδι αὐτοῦ καὶ ἐν τοῖς συγγενεῦσιν αὐτοῦ καὶ ἐν τῇ οἰκίᾳ αὐτοῦ.
  • 私訳:そしてイエスは彼らに言っていた、「預言者は、尊ばれない者ではない。彼の故郷において、また彼の親族たちの中で、また彼の家においてを除いては」
  • 新共同訳:イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。

注解

  • ἄτιμος:形容詞「尊ばれない」
  • 旧約時代の預言者に関する格言的な言葉。「故郷・親族・家」という、本来なら血縁関係やふるさと関係にある親しみの籠った場所が、拒絶という反対の結果になるという痛みのある運命。
  • 社会や人に対して、真に貢献しようと望む者もまた、覚悟しておくべき事柄。

マルコ6:5

  • 原文:Καὶ οὐκ ἐδύνατο ἐκεῖ ποιῆσαι οὐδεμίαν δύναμιν, εἰ μὴ ὀλίγοις ἀρρώστοις ἐπιθεὶς τὰς χεῖρας ἐθεράπευσεν.
  • 私訳:そして彼はそこで、何一つの力ある業を行うことができなかった、ただ少数の病人に、手を置いて、癒したのであった。
  • 新共同訳:そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。

注解

  • ἐδύνατο:原形δύναμαι 未完了中動直説法3単「彼はできた」
  • ἐπιθεὶς:原形ἐπιτίθημι アオリスト能動分詞「置いて」
  • οὐδεμίαν:否定強調「何一つ〜ない」
  • 「奇跡を行うことができなかった」:イエスを御子なる神、全能なる神とする後代のキリスト教神学から見て、神の不可能性という解釈上の問題を伴う箇所。イエスは人々の信仰心がなければ業を行えないのか?という疑問。イエスの悪霊払い、癒しの業を、霊能力と考えればあり得る現象。周囲の人々の疑念や悪意といったネガティブな念が、能力者の力の発揮に作用してしまうというもの。
  • この問題を神学的に整理するならば、神の存在や働きについて、疑いではなく信じる信頼をもって、諦めではなく期待をもって、不平不満ではなく感謝をもって待ち望むべき、とすると教会のような文脈では収まりが良い。

マルコ6:6a

  • 原文:Καὶ ἐθαύμαζεν διὰ τὴν ἀπιστίαν αὐτῶν.
  • 私訳:そして彼は彼らの不信仰のゆえに驚いていた。
  • 新共同訳:そして、人々の不信仰に驚かれた。

注解

  • ἐθαύμαζεν(原形:θαυμάζω)未完了能動直説法3単「驚いていた」
  • 通常の展開では、イエスの教えや業に人々が驚くという構図。ここではそれが逆転している。
  • 不信仰(ἀπιστία)はマルコにおいて繰り返される主題。信仰、すなわち、神やイエスに対する人格的な信頼、期待、希望は、より神の働きを大きくする一方、不信仰は阻害するものさえなる。
  • この箇所は切ない結末に終わっているが、 一方、宣教活動が拡張されていく橋渡しとなる。それは、イエスや使徒たちの同胞であるユダヤ人への宣教に失敗したが故に、世界宣教、世界の民族への宣教へと繋がっていったように。

<以上の注解を元にしての説教の結びの言葉として> 
 イエスが故郷で拒まれた物語は、単なる過去の出来事ではありません。それは、私たち自身の心の姿を映す鏡でもあります。人は、よく知っていると思い込んだ瞬間に、耳を閉ざしてしまうことがあります。過去の経験や固定観念が、神の新しい語りかけを曇らせてしまうことがあります。そして、信頼よりも疑いが勝るとき、神の働きは私たちの中で力を発揮しにくくなる。マルコが描くのは、まさにその痛ましい現実です。
  しかし同時に、この出来事は福音が広がる転機ともなりました。故郷で拒まれたイエスは、そこからさらに歩みを進め、やがてユダヤの境界を越え、世界へと福音が広がっていきました。人の拒絶さえも、神は新しい道を開くために用いられる。 だからこそ私たちは、「もう知っている」「どうせ変わらない」そんな思い込みを手放し、今日も新しく働かれる神に心を開く者でありたい。信じる者のうちに、神は今も働かれます。 期待をもって、感謝をもって、信頼をもって、神が私たちの人生に行おうとしておられる新しい業を受け取っていきましょう。

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マタイ24:36-44

説教や聖書研究をする人のための聖書注解

マタイ24:36-44「目を覚ましていなさい」


概説(マタイ24:36–44)

 マタイ福音書24章後半は、いわゆる「終末論的説話(オリーブ山上の説教)」の中核を成す部分であり、特に36節以降は、それまで語られてきた終末の徴や出来事の列挙(24:4–35)から明確に転調し、「終末の時の不可知性」と、それに基づく信徒の生き方へと焦点が移されている。  本段落(24:36–44)においてイエスによって強調されているのは、「終末がいつ起こるのか」という知識ではなく、「終末が必ず来るという確かさのもとで、いかに生きるのか」という倫理的・霊的姿勢である。ここでは、時を計算し、予測しようとする人間の欲求は明確に否定される一方で、「目を覚ましていること」「備えていること」という、継続的で日常的な信仰の態度が強く要請されている。  ノアの時代の比喩(24:37–39)、畑と臼の二人の譬え(24:40–41)、そして夜の盗人の譬え(24:43)は、いずれも終末の突然性と不可逆性、そしてその到来が日常生活のただ中で起こるという現実を際立たせる。ここで問題とされているのは、罪深い放縦や明白な背信ではなく、むしろ「何事も起こらないかのように続く日常」に安住し、神の言葉に心を向けなくなる鈍麻である。  したがって、「目を覚ましていなさい」(γρηγορεῖτε)、「備えていなさい」(γίνεσθε ἕτοιμοι)という命令は、終末的恐怖を煽る警告ではなく、主の来臨を希望として待ち望む者に求められる、信仰の基本姿勢を指し示す言葉として理解されるべきである。本箇所は、終末論を「未来の出来事の説明」から、「現在の生の在り方を問い直す言葉」へと転換させる決定的なテキストである。


マタイ24:36

  • 原文: Περὶ δὲ τῆς ἡμέρας ἐκείνης καὶ ὥρας οὐδεὶς οἶδεν, οὐδὲ οἱ ἄγγελοι τῶν οὐρανῶν, οὐδὲ ὁ υἱός, εἰ μὴ ὁ πατὴρ μόνος.
  • 私訳: しかし、その日、その時については、誰も知らない。天の御使いたちも知らず、子も知らない。ただ父のみが(知っている)。
  • 新共同訳: 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。

注解

  • 「しかし、〜については」( Περὶ δὲ):ここは話題の転換点で、24:4–35の「徴の列挙」から、「時の不可知性」へと主題が移行している。
  • 「その日」:終末、人の子の再臨が起こる日。
  • 「誰も知らない」:再臨の時の不可知性を表す。同時に、実現の時を語る偽預言者や惑わす人がいれば、それは虚偽であることを示す。
  • 「子も(知らない)」: 子はキリストを指す。父なる神だけが知る権威があるという、父なる神の主権が強調されている。ただし、「神なるキリストでさえ知り得ないとはどうこうことか?」というキリスト論神学上の問題が生じる箇所で、「受肉した子の知の自己制限」として処理されることが多い。


マタイ24:37

  • 原文:ὥσπερ γὰρ αἱ ἡμέραι τοῦ Νῶε, οὕτως ἔσται ἡ παρουσία τοῦ υἱοῦ τοῦ ἀνθρώπου.
  • 私訳:なぜなら、ノアの日々がそうであったように、人の子の来臨もそのようになるからである。
  • 新共同訳: 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。

注解

  • ノアの洪水の出来事が、人の子の再臨の時の訪れと対比されている。
  • 対比の視点は、洪水という事象ではなく、突然に到来するという点。
  • 「来臨」(ἡ παρουσία):元々は王の訪問を指す語。この文脈では、キリストの再臨が起こり、神の権威をもっての審判と統治の始まりを指して使われ、後にこの語はキリスト教専門用語として定着した。


マタイ24:38

  • 原文:ὥσπερ γὰρ ἦσαν ἐν ταῖς ἡμέραις ταῖς πρὸ τοῦ κατακλυσμοῦ τρώγοντες καὶ πίνοντες, γαμοῦντες καὶ γαμίζοντες, ἄχρι ἧς ἡμέρας εἰσῆλθεν Νῶε εἰς τὴν κιβωτόν,
  • 私訳:というのも、洪水の前のあの日々において、彼らが食べ、飲み、娶り、嫁がせていたように、ノアが箱舟に入るその日まで。
  • 新共同訳: 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。

注解

  • τρώγοντες:動詞 τρώγω(食べる)現在・能動・分詞・男性・複数・主格
  • γαμοῦντες:動詞 γαμέω現在分詞「(男が)妻をめとる」、 γαμίζοντες:動詞 γαμίζω「(娘を)嫁がせる」 現在分詞なので、この行動をとり続けていたことを含意する。
  • 列挙される行為はすべて日常生活上の行為。ノアを通しての警告を無視しての日常生活内の自己完結。
  • 「ノアが方舟に入るその日まで」:洪水が始まって手遅れになるまで、彼らが気づくような兆候はなかったということ。
<黙想> 多くの人は、「本当に危機が迫ったら、その時こそ改めよう」と考えがちである。だが実際には、自分が思い描く「いよいよ」という瞬間が訪れた時には、すでに手遅れで、残るのは後悔だけ──それが人生の常である。 だからこそ、「今、この瞬間にその時が来てもよいように」心を整え、希望を抱いて日々を歩むことこそ、キリストの再臨を待ち望む者にとって欠かせない姿勢である。


マタイ24:39

  • 原文: καὶ οὐκ ἔγνωσαν ἕως ἦλθεν ὁ κατακλυσμὸς καὶ ἦρεν ἅπαντας· οὕτως ἔσται καὶ ἡ παρουσία τοῦ υἱοῦ τοῦ ἀνθρώπου.
  • 私訳:そして彼らは悟らなかった、洪水が来て、すべてをさらうまで。人の子の来臨もまた、そのようである。
  • そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。
注解
  • ἦρεν:動詞 αἴρω (持ち上げる、攫う(拐う))のアオリスト能動直説三人称単数
  • 「悟らなかった」「気づかなかった (新共同訳)」(οὐκ ἔγνωσαν):逆に言えば、その時になって「悟った」。無知というよりも、理解することを拒絶し続けた結果である。
  • 「すべてをさらうまで」:審判の徹底性を表す。その強調的表現。
  • 「人の子の来臨もまた」:再臨時の審判がノアの時と同様ということ。すなわち、その突然性と、誰も逃れられない全面性について。

<説教の結びの言葉として>  ノアの時代の人々は、日々の生活に心を奪われ、神が語られる警告に耳を傾けようとしませんでした。彼らは「悟らなかった」のではなく、「悟ろうとしなかった」のです。自分の生活の安定や楽しみを優先し、神の言葉が入り込む余地を失っていたのです。  主イエスは、再臨の時も同じであると語られます。それは突然であり、誰も逃れることのできない現実として訪れます。ですから、私たちに求められているのは、「いつ来るのか」を知ることではなく、「いつ来てもよい者として生きること」です。  「目を覚ましていなさい」という主の招きは、恐れに身構えることではありません。今日という日を神の前に誠実に生きること、与えられた務めを果たし、隣人を愛し、悔い改めと信仰の歩みを続けることです。主が来られるその時、慌てて取り繕う必要がないように、今を整えて歩むことが求められています。  主は必ず来られます。その時は父なる神だけがご存じです。しかし、その確かさゆえに、私たちは今日を希望をもって生きることができます。

マタイ24:40

原文: τότε δύο ἔσονται ἐν τῷ ἀγρῷ, εἷς παραλαμβάνεται καὶ εἷς ἀφίεται· 私訳: そのとき、二人が畑にいて、一人は取られ、そして一人は残される。 新共同訳: そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。

注解

  • 「取られ……残され」(παραλαμβάνεται / ἀφίεται):受動態。行為の主体は神。すなわち、神が選んだ人を取り、一方でそのままに残す(ほおっておく)。二人は、同時にその場に居合わせるという同一状況にありながら、その時までに「(終末への)備え」があるか否かによって、劇的な差となって現れる。それが露見する時が、再臨であり終末の時。

マタイ24:41

原文: δύο ἀλήθουσαι ἐν τῷ μύλῳ, μία παραλαμβάνεται καὶ μία ἀφίεται. 私訳: 二人の女が臼を挽いていると、一人は取られ、一人は残される。 新共同訳: 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
注解
  • ἀλήθουσαι: 動詞 ἀλήθω(「挽く、粉をひく」)の現在能動分詞
  • 前節の畑の二人と同じ主旨の例え。畑も臼も、なにげない日常生活のひとこま。いつまでもそれが続くと思われる生活が、突如寸断される。また、畑は男性の労働、臼は女性の労働という男女それぞれの在り方が意識されているかもしれない。いずれにせよ、生活の場・時で、終末は到来するということ。


マタイ24:42

  • 原文: γρηγορεῖτε οὖν, ὅτι οὐκ οἴδατε ποία ἡμέρα ὁ κύριος ὑμῶν ἔρχεται.
  • 私訳: それゆえ、目を覚ましていなさい。あなたがたは、主がどの日に来られるのか知らないからである。
  • 新共同訳: だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。

注解

  • γρηγορεῖτε:動詞 γρηγορέω(「目を覚ましている」「警戒している」)現在・能動・命令法・2人称複数。「目を覚ましなさい」という一回的な命令ではなく、「目を覚ましていなさい」という継続性を求める命令。


マタイ24:43

  • 原文: ἐκεῖνο δὲ γινώσκετε, ὅτι εἰ ᾔδει ὁ οἰκοδεσπότης ποίᾳ φυλακῇ ὁ κλέπτης ἔρχεται, ἐγρηγόρησεν ἂν καὶ οὐκ ἂν εἴασεν διορυχθῆναι τὴν οἰκίαν αὐτοῦ.
  • 私訳: もし、家の主人が、どの見張りの時に泥棒が来るのを知っていたら、目を覚まして、彼の家に穴を開けさせることは許さなかっただろう。
  • 新共同訳: このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。
注解
  • εἰ ᾔδειεἰ: 条件節を導く。「もし〜なら」ᾔδει: 動詞 οἶδα(「知っている」)の過去完了・3人称単数。反実仮想(事実に反する仮定) を表し、「もし知っていならば」という意。
  • ὁ οἰκοδεσπότης: 名詞「家の主人、家主」
  • φυλακῇ: 名詞「見張りの時刻、番の時間」女性・与格・単数
  • εἴασεν: 動詞 ἐάω(「許す、放任する」)アオリスト・能動・3人称単数
  • 要は、大丈夫だろうと油断して、目を覚さない状態でいるところを突かれることが大変多いから気をつけなさい、ということ。

マタイ24:44

  • 原文: διὰ τοῦτο καὶ ὑμεῖς γίνεσθε ἕτοιμοι, ὅτι ᾗ οὐ δοκεῖτε ὥρᾳ ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου ἔρχεται.
  • 私訳: こういうわけで、”あなたがた”(強調形)もまた、備えているようにしなさい。あながたが思いもしない時、人の子は来るからである。
  • 新共同訳: だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。

注解

  • γίνεσθε: 動詞 γίνομαι(「〜になる」)現在・中動態(意味は能動)・命令法・2人称複数。「〜であり続けなさい」「〜になりなさい」
  • ἕτοιμοι: 形容詞「準備のできた」男性・主格・複数。
  • 「思いもしない時」「思いがけない時」:「いつ」というピンポイント予想は不可能ということの一側面で、予想外の時に来るから、常に「用意していない」ということ。結局、予測ではなく、まして油断的な弛緩でもなく、主末を希望とするキリスト者としての基本的な生きる姿勢を、いつもブレずに保っていなさいということ。


説教の結びの言葉と祈り

 今日の主イエスの言葉は、時に油断してしまう私たちの信仰の歩みを、再び目覚めへと呼び戻す招きです。畑で働く二人の男も、臼を挽く二人の女も、どちらも日常のただ中に置かれていました。しかし、その平凡な日々に突然、神の時が差し込むのです。それまでの歩みに油断や驕りがなかったかどうかは、その瞬間に初めて、白日のもとに明らかにされます。  主が求めておられる「備え」とは、特別な行いでも、張りつめた緊張でもありません。主を待ち望む者として、日々を誠実に、基本に忠実に生きる姿勢そのものです。それを難しいと感じるとき、実は私たち自身が、そうした生活から目をそらし、言い訳をしてしまっているのかもしれません。  「目を覚ましていなさい」「備えていなさい」という主の命令は、私たちを縛るためではなく、むしろ自由へと、そして希望へと導く言葉です。私たちは、主がいつ来られるかを知りません。けれども、主が必ず来られることを知っています。それを希望として受け取れないときがあるとすれば、それは今の自分があまりにも「満ち足りている」と感じ、心が緩んでしまっているからかもしれません。  しかし、主の確かな約束があるゆえに、私たちは今日という一日を、主に向かって整えながら歩むことができます。思いがけない時にも揺るがない備えを持つ者として、主の光の中を歩み続ける者とされたいと願います。

祈り

どうか、私たち一人ひとりが、思いがけない時にも揺るがない備えを持つ者として、主の再び来られる日を希望をもって待ち望むことができますように。  主が与えてくださる光の中で、目を覚まして歩み続ける者とされますように。  アーメン。

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マルコ5:1-20

説教や聖書研究をする人のための聖書注解

マルコ5:1-20「悪霊に取り憑かれたゲラサの人をいやす」


概要

 マルコによる福音書5章1–20節は、「ゲラサ人の地の悪霊憑きの癒し」の物語であり、イエス・キリストの権威が悪霊の力、異邦の地、そして社会的疎外の現実を超えて及ぶことを示す重要な箇所である。  本段落は三つの場面に分けられる。  第一に、1–5節は悪霊に取りつかれた男の悲惨な状態を描写する。舞台は「ゲラサ人の地方」という異邦地域であり、墓場に住み、自傷し、鎖をも引きちぎる彼の姿は、霊的・社会的・身体的に完全に崩壊した人間像を示す。これは悪霊の支配の深刻さを強調する導入部である。  第二に、6–13節はイエスと悪霊との対決である。悪霊は自らを「レギオン」と名乗り、多数であることを示す。これはローマ軍団を想起させる語であり、圧倒的支配力の象徴でもある。イエスは命令によって彼らを追い出し、悪霊は豚の群れに入り、豚は湖に突進して溺死する。この出来事はイエスの絶対的権威を劇的に示すと同時に、汚れた霊と汚れた動物という象徴的対応を含む。  第三に、14–20節は出来事への人々の反応である。町の人々は恐れ、イエスに去るよう願う。一方、癒された男はイエスに従うことを願うが、イエスは彼を故郷に遣わし、「主がどんなに大きなことをしてくださったか」を語らせる。ここに、異邦地における宣教の萌芽が見られる。彼はデカポリス地方で証し人となる。恐れによって救いを拒む人々と、恵みによって証し人へと変えられる人との対比も重要な主題である。

注解

マルコ5:1

原文:Καὶ ἦλθον εἰς τὸ πέραν τῆς θαλάσσης εἰς τὴν χώραν τῶν Γερασηνῶν. 私訳:そして彼らは、湖の向こう岸、ゲラサ人の地方に来た。 新共同訳:一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
注解 ・「湖の向こう岸」:直前の記事で、ガリラヤ湖の向こう岸へと渡って、途中で嵐に遭うエピソードがあったことを踏まえている。 ・「ゲラサ人の地方に」(εἰς τὴν χώραν τῶν Γερασηνῶν):写本に「ゲラサ人」「ガダラ人」などの異同がある。ここでの意図は、ユダヤ人ではなく、ユダヤ人以外の民族、言い換えれば異邦人の地域に来たということ。基本的に、ユダヤ教はユダヤ人の民族宗教。後々、ユダヤ教から派生して誕生することになるキリスト教が、民族宗教を越えて世界宗教となっていく先駆けの出来事として読める。
黙想  「向こう岸」は、象徴的に「秩序の外」「(ユダヤ人から見て)汚れの地」を暗示。そのような地を目指し、嵐の中を通って来たことは、新たな地を目指し困難を越えての営みを象徴する。

マルコ5:2

原文:καὶ ἐξελθόντος αὐτοῦ ἐκ τοῦ πλοίου εὐθὺς ὑπήντησεν αὐτῷ ἐκ τῶν μνημείων ἄνθρωπος ἐν πνεύματι ἀκαθάρτῳ, 私訳:彼が舟から出るとすぐに、汚れた霊につかれた一人の人が墓場から来て、彼に出会った。 新共同訳:イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。
注解
  • ἐξελθόντος:分詞・属格絶対構文。「彼が出ると」
  • εὐθύς:マルコが多用する強調副詞「すぐに」
  • 「すぐに」:“到着したばかりなのだから”といった甘いことなく、“待ったなし”で事は起きていく。
  • 「汚れた霊」:言い換えれば、不浄な霊。禍々しく、触れた者に悪影響を起こす存在に成り下がった霊。日本風土における「穢れ」の概念を思い起こすと理解しやすいが、ユダヤ人の思考においては、汚れとは、神の秩序にそぐわないものとされる。
  • 「墓場から」(ἐκ τῶν μνημείων):民数記19章にあるように、ユダヤ人の律法において、墓場は最大級の穢れの場所とされている。
黙想 日本を中心に世界各地の心霊的な民間伝承を見てきて、私なりに感じることがある。 人間は物理世界に属する存在であり、霊や神といった存在は、悪霊を含めて「見えざる世界」「霊的世界」に属すると語られてきた。両者の間には断絶がある一方で、完全に切り離されているわけでもなく、どこかでつながっている。  ただし、人間はそのまま霊的世界に生きることはできず、霊的存在もまた、物理世界に長く留まり続けることはできない。だからこそ、霊がこの世界に影響を及ぼすためには、人間や動物といった“生きた器”に取り憑くという形が最も安定すると考えられてきたのだろう。  一方で、物理世界と霊的世界の境界が緩み、混じり合う瞬間があるとされる。人間にとってそれは望ましいものではなく、一般に「穢れ」と呼ばれる現象として理解されてきた。 特に顕著なのが生と死に関わる場面である。人が死んだ時はもちろん、出産や水子のような出来事も、日本では不思議と同じく「穢れ」の範疇に置かれてきた。これは、どちらも“境界が開く瞬間”として捉えられていたからかもしれない。  また日本には、地鎮祭のように、土地にたまった穢れを祓い清める風習がある。墓地や事故現場といった場所が、浄化や供養を必要とする場所と見なされるのも、そこに境界の乱れや霊的な痕跡が残りやすいと考えられてきたためだろう。

マルコ5:3

原文:ὃς τὴν κατοίκησιν εἶχεν ἐν τοῖς μνήμασιν, καὶ οὐδὲ ἁλύσει οὐκέτι οὐδεὶς ἐδύνατο αὐτὸν δῆσαι, 私訳:彼は墓場を住まいとしており、鎖をもっても、誰も彼を縛ることができなかった。 新共同訳:この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。
注解 ・ὃς:関係代名詞。前節の男を受けている。 ・ἐδύνατο:δύναμαιの未完了過去。 ・「墓場を住まいとして」:彼が、人間社会に居場所がなく、最大級に穢された場所とされているところしか居場所がないという、彼の悲惨な状況を表している。 ・「鎖を用いてさえ繋ぎ止めておくことはできない」:鎖は、人間の力、知恵、営みなどを暗示する。超自然的な力の前では、文明力を持つ人でさえも、結局は無力である。つまり、人間の無力さを示す。

マルコ5:4

原文:διὰ τὸ αὐτὸν πολλάκις πέδαις καὶ ἁλύσεσιν δεδέσθαι, καὶ διεσπάσθαι ὑπ’ αὐτοῦ τὰς ἁλύσεις καὶ τὰς πέδας συντετρῖφθαι, καὶ οὐδεὶς ἴσχυεν αὐτὸν δαμάσαι· 私訳:彼はたびたび足枷や鎖で縛られていたが、鎖を引きちぎり、足枷を砕いてしまい、誰も彼を制御できなかった。 新共同訳:これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。
注解 πέδαις καὶ ἁλύσεσιν:手段を意味する与格。「足枷や鎖によって」 ・δεδέσθαι(δέω(縛る)) / διεσπάσθαι / συντετρῖφθαι:完了不定詞。状態の持続を意味する。 ・「足枷」前節の「鎖」における人間の無力さが、改めて述べられている。悪霊に取り憑かれた人間の強力さ、凶暴さ以上に、これをどうやっても制御できない人間の側の無力さが強調されている。取り憑かれている本人も、自分ではどうしようもない。すなわち、悪霊によって人みな支配され、その状態が継続している。
黙想
 人間の文明、科学力は特筆すべきものはあるにせよ、霊的存在の前に、あるいは自然などの前に、人間は無力な存在であるという謙虚さを持つべきである。

マルコ5:5

原文:καὶ διὰ παντὸς νυκτὸς καὶ ἡμέρας ἐν τοῖς μνήμασιν καὶ ἐν τοῖς ὄρεσιν ἦν κράζων καὶ κατακόπτων ἑαυτὸν λίθοις. 私訳:そして夜も昼も絶えず、墓場や山で叫び声を上げ、石で自分を傷つけていた。 新共同訳:彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。
注解 ・ἦν κράζων:未完了過去+現在分詞。行為の 継続・反復・習慣化を意味する。κράζω:叫ぶ。ἦν:εἰμί 未完了過去。 ・κατακόπτω:打ち切る・切り刻む ・未完了過去+現在分詞が使われているので、反復行為を表す。叫ぶ、自分を傷つける行為(自傷行為)、反復的、継続的に行うという、自分にも誰にも止められない物悲しさが滲み出る。だからこそ、そこに救済が必要とされる。
黙想  自傷行為とは、自己破壊行為。自己破壊とは、自分の一部または全部を、自分から疎外・排除しようとすること。自分を受け入れることができない分裂状態、現実を受け止めることのできない矛盾状態が、その原因であることが多いようにも思う。現実の自分を受け入れる重要さを思う。

マルコ5:6

原文:καὶ ἰδὼν τὸν Ἰησοῦν ἀπὸ μακρόθεν ἔδραμεν καὶ προσεκύνησεν αὐτῷ, 私訳:そして、彼は遠くからイエスを見ると、走り寄って、彼のもとにひれ伏した。 新共同訳:イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、
注解 ・「ひれ伏した」:礼拝行為を象徴する代表的所作。悪霊もしくは悪霊に取り憑かれた男が、イエスの神的な権威を察し、他方、弟子たちも含め、普通の人々がそれを認識できないという、皮肉の構図。

マルコ5:7

原文:καὶ κράξας φωνῇ μεγάλῃ λέγει· Τί ἐμοὶ καὶ σοί, Ἰησοῦ, υἱὲ τοῦ θεοῦ τοῦ ὑψίστου; ὁρκίζω σε τὸν θεόν, μή με βασανίσῃς. 私訳:そして彼は大声で叫んで言った。「私とあなたに何の関わりが、イエスよ、いと高き神の子よ?神かけてあなたに願う、私を苦しめないでくれ」 新共同訳:大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」
注解 ・Τί ἐμοὶ καὶ σοί:セム的表現。「何の関係が?」という意味。 ・μή+接続法:禁止や懇願を意味する。 ・この会話は、男とのものではなく、彼に取り憑いている悪霊とのやり取り。あ ・マルコ福音書の最も根幹にあるメッセージは、受難と十字架にかけられたイエスを神の子と告白すること。これを、この福音書の中で弟子たちよりも誰よりも先んじて行っているという皮肉の図式がある。我々も含めて、人は得てしてイエスがどのような方であるのかを悟っていないという、文学的な暗示が埋め込まれている。 ・「私を苦しめないでくれ」:神的な審判によって、浄化あるいは滅せられるのを恐れている。

マルコ5:8節

原文:ἔλεγεν γὰρ αὐτῷ· Ἔξελθε, τὸ πνεῦμα τὸ ἀκάθαρτον, ἐκ τοῦ ἀνθρώπου. 私訳:というのも、イエスが彼に「出ていけ、汚れた霊よ、この人から」と言っていたからである。 新共同訳:イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言ったからである。
注解 ἔλεγεν:未完了過去。過去における反復・継続を意味する。

マルコ5:9

原文:καὶ ἐπηρώτα αὐτόν· Τί ὄνομά σοι; καὶ λέγει αὐτῷ· Λεγιὼν ὄνομά μοι, ὅτι πολλοί ἐσμεν. 私訳:イエスが彼に尋ねた。「あなたの名は何か」。すると彼は言った。「私の名はレギオン、私たちは多数だから」 新共同訳:そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。
注解
  • 「レギオン(Λεγιών)」:ローマの6000千人規模の大隊兵団に割り当てらてられる名称。原語は、「集まる」という意のギリシャ語。軍隊は占領、支配を象徴するから、制圧された状態を暗示するのかもしれない。
  • 「大勢だから」:古今東西の世界各地の心霊的な民間伝承などでは、霊体が複数より集まって一つの集合体を作り、一つの人格体を形成している例がたびたび見られる。現に、次の10節で「自分たち」と複数形で翻訳されているところは、原文では単数形の「彼」であり、複数の集合体と個体とが切り替わる。

マルコ5:10

原文:καὶ παρεκάλει αὐτὸν πολλὰ ἵνα μὴ αὐτὰ ἀποστείλῃ ἔξω τῆς χώρας. 私訳:そして、彼は彼にしきりに懇願した、自分たちをこの地方から外に追い出さないようにと。 新共同訳:そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。
注解
黙想 ・人間社会から完全に阻害され、自分ではないものに自分を支配されてしまった者の末路と、なおそうした人を救おうというイエスの姿勢が、この箇所には顕著である。霊に取り憑かれる取り憑かれないは別として、自分が自分として生き、神と自分以外のものに自分が支配されることなく、できることなら神が我が主となって、しっかりと自分を保って生きる人生姿勢が求められる。

説教の結びの言葉として

 ゲラサの地で出会った一人の男は、もはや自分では自分をどうすることもできず、社会からも切り離され、墓場という「死」の象徴の中で孤独に叫び続けていました。彼を縛る鎖は切れましたが、彼自身を縛る「見えない鎖」は誰にも断ち切れませんでした。しかし、その鎖を断ち切ることのできる方が、ただ一人、彼のもとに来られました。イエス・キリストです。  イエスは、ユダヤ人から見れば「汚れた地」である向こう岸へと、嵐を越えてまで渡って来られました。そこにいたのは、誰からも見放され、自分自身さえ見失っていた一人の人でした。イエスは、その一人のために向こう岸へ行かれたのです。  私たちもまた、時に自分を見失い、心の中で叫び、誰にも届かない痛みを抱えることがあります。自分ではどうにもできない力に押しつぶされそうになることがあります。そんな私たちの「向こう岸」に、主は今日も来てくださいます。私たちが踏み込むことをためらう場所、誰にも知られたくない心の墓場のような場所にさえ、主は足を運び、私たちを名指しで呼び、解き放ち、立ち上がらせてくださいます。  だからこそ、私たちは恐れずに、主の前に自分を差し出してよいのです。どれほど深い闇であっても、どれほど長く続いた叫びであっても、主はそのただ中に光を差し込み、「あなたはもう一人ではない」と告げてくださいます。  ゲラサの男がそうであったように、私たちもまた、主によって「正気に返り」、本来の自分を取り戻し、再び人々の中へと送り出されていきます。主が私たちの主であるとき、どんな力も私たちを支配することはできません。  どうか、私たち一人ひとりが、主に出会い、主に癒やされ、主によって新しい歩みへと招かれていることを、今日もう一度心に刻むことができますように。主は、あなたの向こう岸にも来てくださいます。あなたを救うために。

1-10節までの要点

  • 嵐の湖を渡り切って辿り着いた場所は、ユダヤ人ではない、すなわち異邦人が居住する地域。そこに、悪霊に取りつかれた人がいた。
  • 彼は、共同体の外に設けられた墓場を棲み処としていた。社会から疎外された状況を暗示する。
  • 人々は彼を鎖で繋ぎとめようとしたが、鎖も足かせも引きちぎられた。超自然的、霊的力の前の、人間の無力さを象徴する。
  • 彼はまた、自ら自分の体を傷つけていた。自分で自分をコントロールできず、自分を破壊するという、倒錯した悲惨な状況を示す。
  • 彼に取り憑いていたレギオンと名乗る悪霊の群れは、霊的存在であるがゆえに、人は気づくことのないイエスの神的な権威を悟り、イエスに自分たちを滅ぼさず、その地域から追放されないことを願い出る。

マルコ5:11-12

  • 原文:11 ἦν δὲ ἐκεῖ πρὸς τῷ ὄρει ἀγέλη χοίρων μεγάλη βοσκομένη· 12 καὶ παρεκάλεσαν αὐτὸν λέγοντες· Πέμψον ἡμᾶς εἰς τοὺς χοίρους, ἵνα εἰς αὐτοὺς εἰσέλθωμεν.
  • 私訳:11 そこで、その山の近くに、放牧されている大きな豚の群れがあった。そして彼らは彼に願い求めて言った。12 「我々を豚の中へ送ってください。そこに入るためです。」
  • 新共同訳:11 ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。12汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。
注解
  • χοίρων:χοῖρος(豚)の複数形
  • ἀγέλη:ἀγέλη(群れ)
  • βοσκομένη:動詞 βόσκω(養う、放牧する)の現在分詞・中間/受動態・主格・女性・単数
  • 「大きな豚の群れ」(ἀγέλη χοίρων μεγάλη):異邦地域(デカポリス)であることを暗示。
  • 「懇願した」(παρεκάλεσαν):マルコの展開のこの段階で、イエスを「神の子」と認識しているのは、悪霊たちのみ。イエスの神的権威を弁えた上で、戦うのではなく服従的に懇願しているということ。彼らの懇願は、霊的世界でのイエスの権威を暗示する。
  • 「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」:ユダヤ教において豚は「不浄の動物」とされ、人間が食べることも触れることも避けられていた。そのため、悪霊が豚を“器”として選んだという描写は、「不浄な存在は不浄な器に宿る」という象徴的な意味を帯びる。「悪霊がふさわしい場所へ戻される」という宗教的メッセージとしても読める。
⠀ <悪霊たちはなぜ豚の中に送られることを願ったのか>  種々の心霊的な民間伝承を参考にすると、霊は我々の物理的世界に、そのままの状態では存在し続けることができない、というような世界観が共有されていることが多い。他方、そのような世界観にあっては、霊の種類によっては他の場所に移動することができない場合もある。よって霊は、なんらかの物、最適なものとしては生きている動物、人間に憑りつく必要がある。そうすると、他所への移動が可能になることもある。  これを総合すると、イエスは住民のために他の地域に彼らを追放しようとしたものの、それでは彼らが存在できなくなるので、豚に乗り移ることを願い出たと推測することも可能である。

マルコ5:13

原文:καὶ ἐπέτρεψεν αὐτοῖς· καὶ ἐξελθόντα τὰ πνεύματα τὰ ἀκάθαρτα εἰσῆλθον εἰς τοὺς χοίρους, καὶ ὥρμησεν ἡ ἀγέλη κατὰ τοῦ κρημνοῦ εἰς τὴν θάλασσαν, ὡς δισχίλιοι, καὶ ἐπνίγοντο ἐν τῇ θαλάσσῃ. 私訳:そこで彼は彼らに許可した。そして汚れた霊どもは出て行き、豚の中に入った。するとその群れは崖から海へと突進した。およそ二千匹であり、海で溺れ死んだ。 新共同訳:イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。

注解

  • ἐπέτρεψεν ἐπιτρέπω アオリスト・能動態・直説法・3単 許した
  • ὥρμησεν:ὁρμάω(突進する、急ぐ)アオリスト・能動態・直説法・3単
  • ἐπνίγοντοπνίγω未完了過去・受動態・直説法・3複溺死した、窒息した
  • 「イエスがお許しになった」:「許す」というのは、単に「いいよいいよ」と流すことではなく、権威をもって許可するということ。イエスの神的権威を暗示する。
  • 「豚の群れが崖を下って湖になだれ込み」:悪霊の破壊的衝動性、自傷性を表していると読める。それまで男に取り憑いていた悪霊たちが、せっかく見つけた自分の居場所に自ら自傷行為へと至らせたように、今度は豚に取り憑いてレミングのような集団自殺へと至らせるという流れは、倒錯と混乱という点で、整合性は取れている。
⠀<黙想>  私たちは、こうした悪霊たちの倒錯と混乱を、一笑に付すことはできない。なぜなら、私たち人間もまた、自由に意志し行動できるという存在でありながら、自ら自分の健康を損ない、自分の未来を自分で放棄し、時に人生を台無しに、そうして自らの自由を持て余して自らを破壊するからである。自由だからこそ、人は自分の生き方の中心軸を持たなければならない。自分を上から導く「主」を必要とする。

ここまでの流れをふまえ、14節以降へと続いていく説教風のまとめ

 イエスと弟子たちは、嵐を越えて「向こう岸」へと渡りました。そこはユダヤ人にとって“汚れた地”、避けるべき異邦の地域でした。しかしイエスは、あえてその境界を越えて行かれます。そこに、一人の男がいたからです。墓場を住処とし、社会からも自分自身からも切り離され、叫び続け、自らを傷つけるしかなかった男。誰も彼を救うことができず、鎖も足枷も役に立たず、彼自身もどうすることもできない。人間の力では届かない深い闇の中に、彼は取り残されていました。  しかし、その闇のただ中にイエスが来られました。悪霊はイエスの権威を知り、服従し、名を問われると「レギオン」と答えます。多数の霊に支配され、人格の内側が占領されていた男。その支配を断ち切ることができるのは、ただ一人、イエスだけでした。  悪霊たちは追放を恐れ、豚の群れに入ることを願い出ます。イエスが許すと、豚は崖を下って海へと突進し、溺れ死にました。破壊と混乱は、悪霊の本質そのものです。男を苦しめていた力が、今度は豚を破壊へと導いたのです。  この出来事を見た豚飼いたちは恐れ、町や村に知らせに走りました。人々は何が起こったのかを確かめるために集まってきます。しかし彼らの関心は、癒された男よりも、失われた豚の群れに向けられていました。ここに、神の救いと人間の価値観のすれ違いが浮かび上がります。

注解

マルコ 5:14

  • 原文: καὶ οἱ βόσκοντες αὐτοὺς ἔφυγον, καὶ ἀπήγγειλαν εἰς τὴν πόλιν καὶ εἰς τοὺς ἀγρούς· καὶ ἦλθον ἰδεῖν τί ἐστιν τὸ γεγονός.
  • 私訳: それらを飼っていた者たちは逃げ、町々や村々(原語は「畑」)に報告した。人々は何が起こったのかを見るために来た。
  • 新共同訳: 豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。

注解

  • βόσκοντες: βόσκω「牧する、飼う」の現在能動分詞・男性・複数・主格
  • 近隣の町や村の人々が、イエスと悪霊払いを受けた者との対面を果たすという流れ。

マルコ 5:15

  • 原文: καὶ ἔρχονται πρὸς τὸν Ἰησοῦν καὶ θεωροῦσιν τὸν δαιμονιζόμενον καθήμενον ἱματισμένον καὶ σωφρονοῦντα, τὸν ἐσχηκότα τὸν λεγιῶνα· καὶ ἐφοβήθησαν.
  • 私訳: 彼らはイエスのもとに来て、悪霊につかれていた者が座り、服を着、正気になっているのを見る。あの「レギオン」を宿していた者を。そして彼らは恐れた。
  • 新共同訳: 彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。

注解

  • καθήμενον / ἱματισμένον / σωφρονοῦνταという三重の分詞で「回復」を描写。すなわち、「座る」「服を着る」「正気になっている」であり、「座る」は日常の行為・生活を、「服を着る」は社会性を、「正気になっている」は自己コントロールの回復・正常化を表す。
  • 「(彼らは)恐ろしくなった」:本来なら喜ばしい出来事だが、自分たちの理解の範囲を超える出来事であったためか、恐怖が先行した。 ⠀

マルコ 5:16

  • 原文: καὶ διηγήσαντο αὐτοῖς οἱ ἰδόντες πῶς ἐγένετο τῷ δαιμονιζομένῳ καὶ περὶ τῶν χοίρων.
  • 私訳: そして、見ていた人たちは、悪霊に憑かれた人がどうなったのかについてと、豚のことについて、彼らに説明した。
  • 新共同訳: 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。

注解

  • διηγήσαντο:動詞 διηγέομαι(詳しく語る、説明する)アオリスト・中動態・直説法・3人称複数。
  • 見ていた人たちの関心は、悪霊に取り憑かれた人の回復と、豚の死についてであった。

マルコ 5:17

  • 原文: καὶ ἤρξαντο παρακαλεῖν αὐτὸν ἀπελθεῖν ἀπὸ τῶν ὁρίων αὐτῶν.
  • 私訳: すると彼らは、イエスにその地方から去ることを願い始めた。
  • 新共同訳: そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。

注解

  • παρακαλεῖν: 12節で、悪霊がイエスに願っている時と同じ動詞。悪霊も人間もイエスに願い出るが、両者、まったく質が違うという皮肉が現れている。
  • イエスが共にいてくださることがまったく理解されず、あまつさえ「出て行ってくれ」と頼む始末。この対応は、後にイエスを十字架につけて殺せと叫ぶ群衆の姿を先取りしている。同時に、人間のさが。真に人を救う人の辿る運命。

マルコ 5:18

  • 原文: καὶ ἐμβαίνοντος αὐτοῦ εἰς τὸ πλοῖον παρεκάλει αὐτὸν ὁ δαιμονισθεὶς ἵνα μετ’ αὐτοῦ ᾖ.
  • 私訳: そこで彼が船に乗ろうとすると、悪霊に取り憑かれていた人が、彼と共にいたいことを願った。
  • 新共同訳: イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。

注解

  • ᾖ: εἰμί の接続法・現在・3単。
  • 「願った」: 前節で人々がイエスに願ったのと同じ動詞。一方で、イエスがいなくなることを願う人々、もう一方で、イエスと共にいることを願う人々、という皮肉な対照的構図。
  • 「一緒に行きたいと願った」: 事実上の弟子志願。 ⠀

マルコ 5:19

  • καὶ οὐκ ἀφῆκεν αὐτόν, ἀλλὰ λέγει αὐτῷ· Ὕπαγε εἰς τὸν οἶκόν σου πρὸς τοὺς σοὺς καὶ ἀπάγγειλον αὐτοῖς ὅσα ὁ κύριός σοι πεποίηκεν
καὶ ἠλέησέν σε.
  • 私訳: しかし、彼は彼に許さず、彼に言った。「あなたの家へひけ、彼らに、主があなたにしたことと、あなたを憐れんだことを告げ知らせるために」
  • 新共同訳: イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」

注解

  • 彼の願いの単純な拒絶ではなく、むしろ弟子のような存在として、彼なりの務めに就かせる招きの言葉。
  • ここでの「主」は、直接的には「父なる神」を指すが、「主イエス」も暗示的に含まれると思われる。
  • 事実上、異邦人の地における最初の宣教者。

マルコ 5:20

  • 原文: καὶ ἀπῆλθεν καὶ ἤρξατο κηρύσσειν ἐν τῇ Δεκαπόλει ὅσα ἐποίησεν αὐτῷ ὁ Ἰησοῦς, καὶ πάντες ἐθαύμαζον.
  • 私訳: そうして彼は去り、デカポリス地方で宣教し始めた、イエスが彼にしたことを。すると皆が驚嘆した。

注解

  • κηρύσσειν: 教会の宣教を指す動詞が使われている。
  • 追い出されたイエスの代わりとなるように、彼がその場で神のことを宣べ伝えるという構図。

<黙想>

 イエスの代わりとなるというと、「いやいや、自分などは」と言いながら、実はその責務を荷が重いと感じて避けようとすることがよくある。しかし、イエス自身から神の務めとして、イエスの代わりのように生きることが委ねられている幸いを思いたい。

<説教の結びの言葉として>

⠀ゲラサの地で悪霊から解放された男は、イエスと共にいたいと願いました。それは当然の願いでした。長い間、孤独と混乱の中で叫び続け、誰にも理解されず、誰にも助けられなかった彼にとって、イエスこそが初めて自分を見つけ、名指しで呼び、闇から引き上げてくださった方だったからです。  彼は、救われた者としての自然な反応として、「この方と共に生きたい」と願ったのです。しかしイエスは、彼の願いをそのまま受け入れませんでした。代わりにこう言われました。 「自分の家に帰りなさい。そして、主があなたにしてくださったことを知らせなさい。」  イエスは彼を拒んだのではありません。むしろ、彼を遣わされたのです。イエスと共に舟に乗ることは許されませんでしたが、イエスの代わりに語る者として、イエスの働きを担う者として、彼は自分の地に戻っていきました。  そして彼は、デカポリス全域で語り始めました。「イエスが自分にしてくださったこと」を。それは、異邦人の地における最初の宣教者の誕生でした。イエスを追い出した人々の中で、イエスの福音を語る者が一人だけ残されたのです。  私たちもまた、同じ招きを受けています。イエスと共にいたいという願いは尊いものです。しかしイエスはしばしば、私たちを「戻し」、私たちの家庭へ、職場へ、地域へと遣わされます。そこで、私たちが経験した主の憐れみと救いを語るためです。  ゲラサの男がそうであったように、私たちもまた、主によって癒やされ、主によって立ち上がらされ、主によって遣わされていきます。  どうか私たちが、「主が私にしてくださったこと」を語る者として、それぞれの場所で主の光を証しする者となれますように。主は今日も、私たちの向こう岸に来てくださり、私たちを救い、そして遣わしてくださいます。

2026年3月28日土曜日

猫にもわかる「マタイによる福音書」入門

  • 本稿は、「教会学校教案」(福音主義教会連合発行)に2024年4月号から2025年3月号までの期間に掲載された全6回の原稿をもとに再構成したものです。


第1章  「マタイによる福音書は、誰が、いつ、どこで書いたのか」


 「マタイによる福音書」の緒論

 初回となる今回は、「マタイによる福音書」が、そもそもどのような人によって書かれ、いつ書かれ、どこで書かれたのかについて、お話ししたいと思います。こういった、著者、執筆年代、執筆場所などについての考察を、慣例では「緒論」(「ちょろん」または「しょろん」)」と呼びます。マタイ福音書の内容に踏み込んだ考察や、神学上の特徴といった議論へと広がっていくのに先立つ、その端“緒”となる議論というニュアンスでしょう。横文字では「イントロダクション」、すなわち「導入」のお話となります。


 「マタイによる福音書」の本文

 聖書の中で福音書と呼ばれる書は、四書あります。新約聖書に配置されている順序では、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書、以上です。この中でもマタイ福音書は、二世紀の段階では最も広く読まれた福音書と考えられています。言われてみれば確かに、分量も長く、筆遣いも威風堂々としています。緻密な全体構成に加え、「ほほう」と感心する整然とした全体構想が備わっていて、終始一貫して安定した叙述が際立っています。


 「マタイによる福音書」の執筆者

 今、「マタイ福音書の著者はマタイに決まっているではないか」と思われている方、きっと少なくないでしょう。教会の正典として定められた聖書でそう記述されているのですから、教会で読む分には、それで差し支えはありません。ただ、学問あるいは科学というものは、よく調べて論理的に考えた場合はどうなのかを問う営みですし、こちらの「特集」記事は、少々学問的な体裁も含むものですので、せっかくなので少しだけ踏み込んでみましょう。


 マタイ福音書には今でこそ「マタイによる福音書」という名称が付けられていますが、元々は書名などなく、本文にも著者が誰かという記述は見当たりません。書名は後から付けられたものです。


 ここからはちょっと散らかった話になりますが、頭を働かせて読んでみてください。新約聖書二七書が正典として定められる前の古代時代、それでもある程度それぞれの文書はまとめて保持されていたようで、その際、四つの福音書の並び順は、今日のマタイ福音書にあたる福音書が一番先であったことから、「第一福音書」と呼ばれていました。他方、ヒエラポリスの司教であったパピアスという人の言葉に、「マタイはヘブライ語で言葉集を編纂した」とあります。それ以降、恐らくはその記述を参考にして、何人もの司教、神学者が、マタイという人によってヘブライ語の書がしたためられたと書くようになりました。


 三世紀前半に活動した教父オリゲネスはこれらの情報を統合し、「第一福音書はかつて徴税人であり、後にイエス・キリストの使徒となったマタイによって書かれ……ヘブライ語で著された」と述べています。なるほど、マタイ九・九以下には、マルコ福音書では「レビ」という名の人物が「マタイ」に書き換えられた形で、収税人であった者がイエスによって招かれて弟子とされた記事が掲載されています。つまりオリゲネスは、【マタイ九・九の収税人マタイ=使徒マタイ=第一福音書の著者】と同定したということでしょう。それ以降、この理解が伝統として根付き、最終的に第一福音書は「マタイによる(福音書)」と名付けられるようになりました。結論として、マタイ福音書の著者は使徒マタイとするのがトラディショナルな見解です。


 これで一件落着かと思いきや、この見解には問題点があります。まず、先ほど「ヘブライ語」の書とありましたが、マタイ福音書はコイネー・ギリシャ語で書かれていて、食い違いがあります。また、今日の学術上の一般的な説としては、マタイ福音書の著者はマルコ福音書の現物を読んで、これを大幅に下地にして書いたとされています。そうだとすると、十字架以前のイエスを直接知っているはずの使徒マタイが、直接は知らないで書かれたマルコ福音書を、わざわざ参考にする必要があるのだろうかという疑問が残ります。他にも、細かい点でいくつか問題があります。


 以上の通り、【マタイ福音書の著者=使徒マタイ】かどうかは、今となっては検証のしようもありません。ただ、十二使徒のリストでもマタイ福音書はマタイのところに「徴税人」と書き加えてもいますので(一〇・三)、先の九・九以下と併せ、マタイ福音書が「徴税人マタイ」を他の福音書以上に強調していることは、まぎれもない事実です。マタイ福音書の熱い心が、徴税人でありながら弟子とされたマタイに注がれていることを意識しながら読むと、マタイ福音書の説教がより楽しくなるでしょう。


 「マタイによる福音書」の執筆年代

 まず、マタイ福音書の本文には、本書が執筆された時期について一切明記されていません。ということは、執筆者問題同様、状況証拠から埋めていくしかありません。先ほど、マタイ福音書はマルコ福音書を読んだ上で書かれていると述べました。これが正しければ、マタイ福音書はマルコ福音書の後に書かれたということになります。ところが、マルコ福音書の執筆年代も大いに議論されてきて、紀元六〇〜七〇年としておくのが一般的です。となれば、マタイ福音書はそれ以降であるとひとまずなります。


 ところで、例えば坂本龍馬を映画化したものがあったとして、劇中の龍馬の描き方やセリフは、必ずしも当時に忠実ではなく、映画化に際してその時代に発していきたいメッセージが上乗せされる、あるいは反映されるということがよくあります。マタイ福音書もそれと同様で、「執筆時の教会や時代の状況が滲み出ているなあ」と思わせる筆致が読み取れるのです。これらをつぶさに考察していくと、マタイ福音書はどうも、エルサレム神殿の崩壊(紀元七〇年)の後とか(二二・七)、八〇年代中頃にあったユダヤ人によるキリスト教徒追放処分が意識されているとか、言葉のはしばしに感じるところが多々あります。例えば、四・二三で「諸会堂」と訳されている箇所は、原文では「彼らの諸会堂」とあります。「あれ?同じユダヤ人なのに、『彼らの』なんて、まるで他人事みたいな距離感のある言葉遣いだな」と感じます。それで、「そうか、もうユダヤ教とは距離がある状況か」と気付くわけです。これらを丁寧に総合していくと、紀元八〇年代に書かれたと見るのが妥当です。


 ちなみに、推定成立年代が百年頃と目されている「ディダケー」などの書が、マタイ福音書の記述を知っているようなので、ということは、マタイ福音書の成立はそれ以前でなければならないとなります。以上、この辺りのものの考え方は、ミステリー小説における犯行推定時刻を推理する探偵のやっていることと、そうは変わりません。


 元々はユダヤ人イエスや使徒たちから始まった、ユダヤ教の中でのイエス運動が、迫害を受け、ついに追放処分を受け、そうして分離し、独立したキリスト教が成立するに至った……。その時、マタイ福音書を書いた人、読んだ人たちは、一体どんな闘いをしていたのだろうと、行間からその血と汗を読み取ろうとする営みは、説教を作る際の閃きに繋がっていきます。「『義のために迫害される人々』(五・一〇)って、こういうことか!」といった具合に、聖書の言葉の理解が立体的になります。仕上げに、「そうした迫害との闘いは、現代の私たちにとって、どんな意味があるのだろう」と思い巡らすのです。そうすると、例えば他の箇所での「恐れるな」という主イエスのみ言葉に、「そうか、結局、神以外のものを恐れるなということか」といった閃きが生まれ、み言葉に血と肉が付いていくのです。教会学校向けの説教はともかくとしても、大人向けの立派な説教が、「彼らの」というわずか一言から、自ずと湧き出してくるではありませんか。


 そう、私が今ここで述べていることは、神の言葉の立体化、血肉化へと目指すものです。「そんなことはどうでもいいから、手っ取り早く来週の説教のコツを教えて」というのも人情でしょうが、こういった余計とも思える情報の一つ一つの蓄積、そして反芻が、深いメッセージを地中から掘り出す結果へと導いていきます。手っ取り早さから、奥深い説教は生まれません。


 「マタイによる福音書」の成立場所

 マタイ福音書は、一体どこで書かれたのか。これもまた例により、本文中の記載は一切なく、状況証拠のみからの推理となります。まず、本書は「コイネー・ギリシャ語」で書かれていると先ほど述べました。よって成立場所は、その言語が使われているエリアでなければなりません。次に、マタイ福音書は他のどの福音書にもまさって、律法を重んじています(一例として五・一七「わたしが来たのは、律法や預言者を廃止するためではなく……完成するためである」)。同時に、ユダヤ人の慣習に詳しく、その知識を前提としています。ということは、この福音書の読者にはユダヤ人が多く含まれていると。それでいて、イエスが活動されたガリラヤを含むパレスティナの地理の書き方に、知識の乏しさを感じます。その他、本書におけるペトロの重要性の強調や、本書を最初に引用した古代文書の成立場所、初期キリスト教会の教会分布図などを加味すると、「シリア」という説が最も一般的でしょう。

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第2章 マタイによる福音書の神学的特徴

 一 はじめに

 まずは今回の副題をご覧ください。あえて「神学的」と書いています。素直に「内容的特徴」と書いても事足りはするのですが、せっかくのこういう特集記事ですし、この連載の先もまだまだ長いので、「神学」についてザックリお話ししておきましょう。

 一・一 「神学」とは

 ある観察対象や現象があった場合、よく「科学的に考察する」などと言ったりします。科学的とは広い意味では「学問的」ということで、学問的とは「論理的」と言っても良いでしょう。信仰をもたない人であれ誰であれ、ロジックで納得のいく説明をつけられることが、科学的という意味です。なお、厳密な定義としては、再現性や反証可能性などが求められますが。

 ところが、教会は論証できない神の存在を信じている一方で、世の中にはそうでない人がいます。このままだと教会の学は学問になりません。それでは話が進みませんから、神の存在や啓示された真理は前提とした上で、その上でキリスト教の信仰内容などに関する考察を深めていきましょうという営為こそ、「神学」に他なりません。ちなみに、イスラム教やユダヤ教でも神学と呼ばれ、仏教や神道では教学、宗学と呼ぶのが一般的な慣例です。もう一歩踏み込んで言えば、神学とは私たちの教会という領域の中で、神の真理に関する考察を深めることを指します。この記事の立ち位置は、こちらになります。


 一・二「福音書の特徴」という考え方

 根本的な話から始めたいと思いますが、そもそも「特徴」というのは、対象が一つだけでは成り立ちません。例えば、今この記事を読んでくださっている「あなた」の「特徴」は、他の誰かと比べた時に初めて際立ってくるものです。もし世界中にあなた一人であったなら、他の生物と比較しての人間の生物学的特徴は出てきても、あなた個人の人格については論じられません。これと同様に、マタイ福音書を教会以外の思想と比較することはできますが、ここで論じていく「特徴」とは、他の福音書と比較した時に明瞭となる、いわばマタイ福音書の人格になります。

 ということで、マタイ福音書と比較する書は次の三書、すなわち、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書です。ただしヨハネ福音書は、他の三書とは構想からして大幅に異なっていて、独特なおもむきの福音書となっているので、比較対象として触れられることは少なくなります


 二 「マタイによる福音書」の神学的特徴

 マタイの特徴を細かく挙げていくと、それこそ「枚挙にいとまがない」ので、今年度のカリキュラムで扱う範囲で、皆さんの説教準備に役立つ形で紹介したいと思います。

 【一】旧約聖書との繋がりを強調。【二】パウロとも微妙に異なる律法理解と律法重視、<律法の創始者モーセ、律法の完成者イエス>。【三】キリストの弟子としての教会。【四】イスラエルの継承者としての教会。【五】古いイスラエルから迫害を受ける、新しい教会。【六】教会の世界宣教の展望。

 「話が散らかって、こんなの頭に入らないよ」という方も多いと思いますが、これらは皆、一本の紐で繋がっているので、いったん頭に入ってしまえば、あとは楽です。


 二・一 「教会」

 まず、上記の箇条書きでも「教会」という語が何度も現れている通り、マタイ福音書の基本的な特徴は、「教会」が明瞭に意識されていることです。マタイ、マルコ、ルカにおいて、ヨハネを含めても「教会」という語を使っているのはマタイだけです。もっとも、その回数は三回と多くはないのですが、その理由は、福音書の舞台設定が教会誕生以前のイエス時代だからです。にもかかわらずマタイ福音書では、主イエスの口から「教会」という単語が出てくることはとても特徴的であり、意義深いです。ちなみに、ルカ福音書と使徒言行録の執筆者とされるルカは、ルカ福音書では同語を使っていない一方、使徒言行録の方では一転して二〇回以上使っています。切り替えが徹底していてすごいです。


 二・二 イスラエルを継承する「教会」

 次に、マタイにとって「教会」とは、イスラエルの民、旧約の民に取って代わり、今やその正統性と歴史を受け継ぐべき存在とされています。そして、それは教会の「かしら」であるイエス・キリストから既に始まっていたというのが、マタイの主張です。こうしてマタイは、旧約聖書の言葉を頻繁に引用しつつ、旧約とキリスト、イスラエルと教会との連続性を強調します。そして、旧約の根本要素である預言、律法、イスラエルなどを、新約の福音の光のもとで再定義していきます。さらに、キリストは単なる旧約の継承者に留まらず、モーセによって始まった律法、その完成者として示されます(五・一七「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである)。


 二・三 キリストの弟子としての「教会」

 十二人の使徒たちも含め、キリストの弟子たちは「教会」とされます。ペトロがその教会の「岩」とされている点も、マタイ福音書の大きな特徴の一つです(一六・一八「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」)。こうして、【新しいイスラエル=教会=キリストの弟子たち】という図式が出来上がります。


 二・四 古いイスラエルから迫害される「教会」

 前回の「特集」第一回で述べた通り、マタイ福音書の筆致から推察して、当時の教会はユダヤ人からの迫害、追放、そして分離を経験していたようです。いわゆる「山上の説教」(五〜七章)において、主イエスの言葉に「迫害」という語がたびたび現れるのは、そうした状況を反映しているものと考えられます(五・一〇「義のために迫害される人々は、幸いである」、五・一一、五・一二「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」、五・四四)。また、他の福音書と比べて、同語の使用回数も多い傾向にあります。ちなみに、五・一二の「あなたがたより前の預言者たちも」というくだりには、旧約との繋がりが意識されています。また、五・四四(「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」)は、旧約の隣人愛を超えるもの、すなわち旧約の“律法を超えて完成へ”と向かうイエスの教え、という意識が滲み出ています。


 二・五 世界宣教へと向かう「教会」

 新しきイスラエルとしての教会、キリストの弟子たちとしての教会は、ユダヤ民族という枠を越えて、世界へと羽ばたいていきます。それこそ、かの有名な二八・一八〜二〇のみ言葉です。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」復活のイエスが、「山」で弟子たちに語られたものです。「すべての民をわたしの弟子にしなさい」という、言わずと知れた「大宣教命令」ですが、これまで出てきた旧約、律法、イスラエルの継承、新しき教会、弟子たち…、すなわち、マタイ福音書の全ての伏線が、最後の一節に集約され回収されて大団円を迎えるという、この構成の見事さよ!古代時代のキリスト者が、「第一福音書」と位置付けたのも納得の構成です(四月号収録の「特集」第一回を参照)。構成の素晴らしさもさることながら、今の私たちが、マタイで示された教会、キリストの弟子として、リアルに生きているということに、胸が熱くなりますね。


 三 「マタイによる福音書」の弟子論

 さて、先ほどのマタイの特徴として挙げた【一】から【六】はロジック上の順番でもあるのですが、同時に、皆さんがただいま辿っているところのカリキュラムの順序も意識したものとなっています。七月のカリキュラムに割り当てられている聖書箇所には、「弟子」について述べられている記事が多く含まれます。しかし、今回の残りの紙面は既に残り少ないです。そこで【一】と【二】のもう少し詳しい解説は次回以降に回し、【三】の弟子論の視点から、七月分のいくつかの箇所を見てみましょう。


 三・一 徴税人マタイ

 七月七日分の箇所である「主イエス、マタイを弟子にする」は、徴税人であったマタイが主イエスの弟子として招かれるという、いわゆる「マタイの召命」記事のところです。先の「特集」第一回でも述べた通り、マルコ福音書では「レビ」と明記されている人物が、マタイ福音書では「マタイ」と記されているという、マタイ独自の箇所でもあります。マタイにしかない要素ということは、マタイの特徴をよく表してるということです。伝統的な解釈では、【この徴税人マタイ=使徒マタイ=マタイ福音書の執筆者マタイ】と同定されてきましたが、問題点も指摘されていて、マタイ福音書の執筆者が使徒マタイかどうかまでは定かではありません(この点についても「特集」第一回をご覧ください)。しかし、マタイ福音書が、徴税人としての過去を持つマタイを重視していることは間違いありません。忌み嫌われ、神の救いから遠いとされた者が、キリストに招かれ、弟子とされて再生するのだというコンセプトがマタイ福音書にはあるという点は、説教を準備する際いつでも意識しておいて損はありません。


 三・二 

 弟子たちが主イエスによって町や村に派遣されるという七月二十一日分は、内容がほぼ同じの記事が、マルコ福音書、ルカ福音書にも見られます。こういうものを、専門用語で「並行箇所」と呼びます。この箇所のマタイ福音書オリジナルの要素は、五節から八節となるかと思いますが、「イスラエルの家の失われた羊」を筆頭に、「天の国」という表記や旧約を意識した書き方など、マタイの特徴が満載です。


 最後に

 いかがでしたでしょうか。「頭がパンパンです」という方は、キリストは旧約・律法の完成者で、教会はイスラエルの後継であること、要するに“新約は旧約の続き”という私たちにとって当たり前の事柄が、とてもとても意識して書かれているのだと思っていただければ、とりあえずオーケーです。いっぺんに分かろうとせず、「マタイは旧約との繋がり重視だな、教会重視だな」といった具合に、ふわっと、まるっと掴んでおいてください。


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第3章 共観福音書問題

 はじめに

 今回は、表題の通り「共観福音書問題」について解説します。成人の方の礼拝説教の中で、例えば「並行箇所のマタイでは……」とか「マルコではこうありますが、マタイではこう書かれています」といったセリフを耳にしたことはないでしょうか。本誌の「テキスト解説」でも、しばしば見られます。そういう時、きっと皆さんの多くは、ピンと来ないまでもなんとなく「マタイやルカでは同じような記事があって、それらを比較しているのだろう」と考えるでしょう。この背後には、通称「共観福音書問題」が横たわっています。そこで今回はこの際、この問題について一から十までまとめてお話ししたいと思います。マタイ福音書だけに関わる問題ではありませんが、「マタイ福音書で説教」となると、結局、マルコやルカとの比較は避けられませんし、そうした違いが生じてくる背景を知ることで理解も深まりますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。


 一 「共観福音書問題」とは

 まず、そもそも共観福音書ってなに?という話からしなければなりません。時は遡って三世紀とか四世紀以降のお話です。マタイ、マルコ、ルカという三つの福音書が書かれ、それらが正式に新約聖書正典として定められる前後の時代から、昔の人たちは不思議に思っていました。「なんか、三つの福音書って似てない?ヨハネは全然違うけど」と。確かに、例えば「嵐しずめ」と呼ばれる有名なイエスの奇跡物語を見比べてみると、ほぼ同じという箇所もあれば、表現が微妙に違ったり、さらには大きく異なる部分もあったりすることに気づきます。それから、三つの福音書の記述を抜き出して並べて、一枚の紙上で見比べられるようにと、「共観表」(「シノプシス」)というものが作られました。「シノプシス」は、「共に(同時に)見る」という意味のギリシャ語に由来します。「(三つの福音書が)共に観られる(一覧)表」ということです。この「共観表」から、三福音書は「共観福音書」と呼ばれるようになりました。

 では、いったいなぜ、三つの福音書が互いに似ていると同時に違ってもいるのか、その理由が問題となります。この講座の第一回で、古代時代からマタイ福音書が「第一福音書」と呼ばれていたと述べました。内容も一番とされ、各福音書の並び順も一番目だったからです。そのこともあって、アウグスティヌスなどもそう考えたようですが、きっとマタイが先に書かれて、後からその縮約版としてマルコが書かれ、、他方、アレンジ版としてルカが著されたのだと思われるようになりました。めでたしめでたし、これで疑問も解決とばかりに、それ以降、この問題を深掘りする人はいなくなったのでした。

 ところが、時はめぐり、近代化の波が押し寄せるようになった十八世紀後半になると、科学的視点で聖書を分析する動きが生じてきました。そして、長きにわたる眠りから、突如として「共観福音書問題」は目覚めたのです。


 二「共観福音書問題」の解決へ

 ここで、皆さんは学校の先生になったつもりで、三名の学生のレポートを採点するイメージをしてみてください。一部、ほぼ丸写しの部分が見られることから、レポートの「剽窃」を疑うあなたですが、言葉遣いが異なる部分もあれば、全くのオリジナルの記述もあります。一体、三人はどのように写し合いっこをしたのか。はたまた、四人目のゴーストライターがいるのか。あなたはこの事件の真相をあばくことができるか……共観福音書問題は、そんなミステリーに置き換えることができます。

 まず、レッシングとアイヒホルンという人は、当時の言語であるアラム語で書かれた福音書があって、マタイやマルコたちはそれを翻訳したのだ、と考えました。でも、翻訳ならば三人とも、もっと似ていてもよいはずですよね。

 次に、シュライエルマッハーは、メモ書きのような断片が散らばっていて、三人はこれらをそれぞれ寄せ集めて福音書を書いたのだ、と考えました。いい線いってそうですが、それにしては三つの福音書の記事を並べて見てみると、記事の並び順が妙に一致しています。それぞれがメモ書きを集めたのなら、もっと順序が違っているはずです。

 それならばと、今度はヘルダーとギーゼラーが、当初は口伝えの伝承(口頭伝承)であったものを、翻訳を経て三人が福音書に編纂したのだと推測しました。しかし、これは先のメモ書き説と大して変わりません。やはり、丸写しにしたような逐語的な一致と、記事の並び順の一致から考えると、どうやらメモや口頭伝承の単なる寄せ集めではなく、三者で見せ合いっこ的なことをしたのでは……という推理へと導かれるのです。

 そこで現れたのがグリースバッハです。古代の神学者も考えたところの、マタイが最初に書かれてマルコとルカがマタイをアレンジしたという伝統的な説を、近代版に甦らせました。ところが、これにはすぐさまツッコミが入りました。この推理では、マタイにあるとても重要な記事を、マルコやルカがいとも簡単にカットしていることになってしまう、その理由を説明できないからです。

 そうして暗礁に乗り上げ、事件の捜査が振り出しに戻ったある日、ラッハマンは三福音書の記事の並び順をしげしげと見ていました。そのとき閃いたのです。「事件はマタイで起こるんじゃない、マルコで起こっているんだ!」と。すなわち、マルコが最初に書かれ、マタイとルカがそれを参考にして福音書を書いたのだろうと。この推理にはヴィルケとヴァイセも同意しました。しかし問題は、マルコにはなく、マタイとルカにだけ見られるキリストの言葉がたくさん存在することです。しかも、記事の配列も双方似ています。「マルコ以外に、もう一つ、未知の書があるはずだ。」

 そんな彼らの思いを形にしたのが、ホルツマンです。彼は、マタイとルカが参考にしたプロトタイプマルコの存在と同時に、マタイとルカだけが参考にしたであろう、キリストの言葉集のような資料(通称、Q)の存在を想定しました。今日に至ってなお、その原文も写本も発見されていない全くの理論上の資料で、まるでミスターXのようです。それでもこの仮説には、「真実はいつも一つ。これがそれか」、と巷も騒然となりました。その後、マタイだけ、またはルカだけに見られる記事を別立てとする調整案が、ストリーターによって提唱されました。こうして、ついにこの事件は、九分九厘の解決へと至ったのです。「謎は全て解けた。」現在、学説の大半は、マルコが最初に書かれ、マタイとルカはマルコおよび先の言葉集と共に、それぞれ独自の資料を用いて著したという説に落ち着いています。

 マルコ+言葉集+マタイ独自資料 =マタイ福音書

 マルコ+言葉集+ルカ独自資料  =ルカ福音書

 

 三 実際に違いを見てみよう

 三・一 「嵐しずめ」の奇跡物語をサンプルに

 「四資料仮説」とも呼ばれる以上の説は、学問上の仮説に過ぎません。ただ、これまでの講座を通じて述べてきたことの一つは、マタイの特徴をしっかり掴みつつ、マタイをガッツリ語るために、マルコやルカとの違いをしっかり意識することが必要ということです。理由はなんであれ、共観福音書で同じところもあれば、明確に違っているところもあることは事実ですから、ともかくもその事実認識だけは欠かせません。

 さて、ここからは実例を取り上げてみましょう。最初に、先ほども触れた「嵐しずめ」を見てみると、マルコ四・三十五〜四十一では劇的に物語られている一方、マタイ八・二十三〜二十七では、ちょっと短くなっています。先の仮説に準じて言えば、マタイはマルコを参考にする際、マルコの尺を短くしたということになります。実際、他の箇所でもマタイは、マルコの物語描写や展開をシンプルにする傾向があります。マタイ先生が「もっとシンプルでいいんだよ……」と呟きながら自分の福音書を書いている姿を想像すると、なんだか笑ってしまいます。

 他には、マルコでは弟子たちが「まだ信じないのか」と主イエスに叱られているのですが、マタイ八・二十三〜二十七では、「信仰の薄い者たちよ」、原語のコイネー・ギリシャ語では「信仰のちっちゃい者たちよ」とあります。マルコでは信仰があるかないかの問題で、「まだ」ないとでも言いたそうです。そもそもマルコは白黒つけた考え方や言い方が好みです。他方、マタイでは信仰が量的に表現されていると。それならルカ八・二十二〜二十五ではどうかというと、なんということでしょう、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」となっています。信仰はあるけれども、どっかにすっ飛んでしまっているという理解です。以上の通り、信仰論が三者三様で異なりますから、どの福音書で説教をするかによって、語り口も違ってきますよね。

 もう一つ、マルコでは「おぼれ(死んでも)かまわないのですか?」というセリフが、マタイやルカでは「おぼれ(死に)そうです」と書き直されています。私は、「見捨てるつもりですか?」と言わんばかりのマルコのキツい言い回しが好きです。


 三・二 「安息日の主」の記事をサンプルに

 いかがでしょう。これが「利き酒(ききざけ)」ならぬ、「利き共観福音書」です。マタイだけとは言わず、マルコでもルカでも説教したくなりますよね。さて、紙面もわずかですが、あとちょっとだけコメントして終わりましょう。

 マタイ十二・一〜八は、元の箇所がマルコ二・二十三〜二十八で、読み比べてみてください。ところどころ、はしょられているでしょう?しかし最大の違いは、マルコの「安息日は、人のために定められた」が削除されている点です。マルコの言い回しだと、律法軽視に繋がりかねない危険がありますが、マタイはそれを修正して、律法は用済みではなく、キリストによって律法が完成される点を前面に出しています。また、「わたしが求めるのは憐れみであっていけにえではない」という文言も追加されています。


 最後に

 ここまで読んでいただいてありがとうございます。皆さんがこれからの説教者ライフで、「利き共観福音書」を楽しまれることを願っております。


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第4章 「マタイが思い描く教会ーマタイ福音書の教会論」


 序 「教会論」ってなに?
 この講座、はや四回目となりました。今回は、「マタイが思い描く教会」です。マタイが持っている「教会とはこういうもの」というイメージ、また、あるべき教会の姿、などなどについてとなります。これらは牧師が使うような正式な表現でいくと、「教会論」となります。

 違う教派や教団の教会にいたことがある方なら、教会や礼拝や信仰、聖書について抱いている感覚が、それぞれの教会や教団でずいぶんと違うことを経験されたことでしょう。そうです、教会のイメージというのは、教派や教団が違えば当然のこと、同じ教団の教会でさえも、結構違っていたりするものなのです。

 これと同様に、四つの福音書、すなわち、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネでも、教会観の多様性が見られます。ただ、福音書は基本、キリストの地上での生涯を時間設定としていますから、教会の成立以前の時代が舞台です。よって、その舞台ではまだ存在しない教会の話は出てこないのが普通です。実際、「教会」と訳されるエクレシアという語は、福音書にはほぼ出てきません。唯一散見されるのが、今回の特集の主題である我らがマタイ福音書なのです。

 しかしそれでも、福音書が書かれたのは教会の時代ですから、言葉の端々(はしばし)から各福音書がどんな教会をイメージしているのかが、じんわりと滲み出ています。そこで、その滲み出たものを具体的に見ていきましょう。まず、おのおの共通する要素から参りますと、教会とは、神によって選ばれて招かれた人たちの集まりとなります。「教会」と訳されるギリシャ語のエクレシアという語も元々、誰かによって呼ばれて集められた人たちという意味を持っています。その語が教会専門用語として使われるようになると、神によって招き集められた人々の集まり、という意味に特化していったというわけです。さらにそれは、キリストによって招かれ、キリストに導かれ、キリストを中心とする“群れ”というニュアンスが織り込まれていきました。


 一 四福音書それぞれの教会のイメージ
 せっかくのこういう機会ですので、私の主観もアリとはなりますが、四福音書それぞれが抱いている教会イメージ、すなわち教会論について、ざっくりと述べておきましょう。まず、マルコは「十字架を背負って主に従う教会」となります。マルコは十字架を前面に出す福音書なので、教会の前身であり、後の教会を暗示する弟子たちは、自分の十字架を背負ってキリストに従う群れとなるわけです(マルコ八・三四)。

 次にルカは、「ルカ福音書」を第一巻として書いた後、「使徒言行録」を第二巻として書いていて、二巻仕立てにしているということが最大の特徴でしょう。ですので、「<地上のイエスの時代>を経て、その後の<教会の時代>を生きていく教会」となるでしょうか。

 ヨハネ福音書については、世の罪を取り除く神の小羊(一・二九)、永遠の命(三・一五)、命の水(四・一四)、聖霊(一四・二六)がキーワードですので、「永遠の命と復活、ほふられた小羊なる御子イエスと聖霊を信じる教会」とでもしておきます。

 最後に今回のマタイとなりますが、この講座をこれまで読んでいただいた方にはもうお馴染みでしょう。マタイと言えば、旧約と律法の完成者イエス、神との契約を継承する神の民としての弟子たち、そして、キリストが共にありつつ、主イエスの大宣教命令(二八・一六ー二〇)に生きる弟子たちが特徴的であることから、「神の民の契約を継ぎ、キリスト共に宣教する教会」とまとめてみました。今回の講座の結論が、早くも出てしまいました。



 二 「マタイの神学」こそ「マタイの教会論」
 前回の講座である第三回では、「共観福音書問題」について述べました。これはもはや信徒のレベルを越えていて、神学者レベル、牧師レベルの専門的内容です。ここから、今回の講座で重要な部分のみを抽出すると、次の一点に集約されます。すなわち、<マタイ福音書は基本、マルコ福音書を参考にして執筆された>という点です。このことがなぜ重要なのかというと、第一に、マルコを参考にしているということは、マタイがマルコの何をそのまま踏襲し、何を書き足し、何を書かずに削除したかが、読み比べればわかるという点に尽きます。そして第二に、とりわけ相違点を挙げ連ねることにより、マタイ福音書の考えの独自性が自ずとあぶり出されてくるという仕組みなのです。素晴らしい!

 こういう発想がイメージしにくいという方は、福音書をコンビニに例えてみてください。共観福音書はセブンイレブン、ローソン、ファミリーマートに例えられ、どれも似ていますよね。でも、それぞれ個性がある。業界では二位のファミマがファミチキ(マルコ福音書)という新機軸の看板商品を出したら、業界一位のセブイレがこれを参考に、ナナチキ(マタイ福音書)を繰り出してきたようなものです。ところが、後発のナナチキが一番美味しいと言われるようになり、第一チキン(第一福音書=マタイ福音書)の座を獲得したというのが、共観福音書の歴史です。

 それはともかく、こうして組み立てられたマタイ福音書の内容的特徴、イコール、「マタイの神学」が、私の組み立てによれば、以下の通りとなります。

 一.旧約聖書との繋がりを強調。二.パウロとも微妙に異なる律法理解と律法重視、【律法の創始者モーセ、律法の完成者イエス】。三.イエスの弟子としての教会。四.イスラエルの継承者としての教会。五.古いイスラエルから迫害を受ける、新しいイスラエルの教会、六.教会の世界宣教の展望。(講座の第二回、マタイ福音書の神学より)

 ただ、これらの特徴は、マルコやルカ、ヨハネには全く見られないという意味ではありません。福音書間で共通して見られる事柄でもあるのですが、マタイは誰よりもこれを前面に打ち出しているということです。マタイがイメージする教会は、当然のこと、以上の神学的特徴を実践する共同体であるはずですから、これがマタイの教会論となるわけで、結果、本章の表題通り、マタイの神学はマタイの教会論でもある、という図式が成り立ちます。



 三 律法の完成者イエスの教えを実践する教会
 これで話の前提が整いました。それでこの章からは、マタイの神学を念頭に置きつつ、具体的な聖書箇所を参照しながら深掘りしていきましょう。

 マルコでは律法の束縛からの自由が強調されていて、その点ではパウロの路線と共通するのですが、マタイはこれにやや修正をかけています。具体的には、律法は廃止されたわけではないことが強調されつつ、律法の一点一画までおろそかにされるべきではないことが、マタイによって新たに書き加えられています(五・一七「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」)。端的に言えば、マルコ福音書やパウロの言葉を行き過ぎて理解して、「律法なんか、もう要らないね!」という主張は、マタイの逆鱗(げきりん)に触れるものだということです。しかも、単純に律法を遵守せよということではなく、(イエス以前は未完成だった)律法を「完成」しつつ、律法を超越するイエスの教え・言葉を実践することが求められています。そうして提示されているイエスの言葉こそ、かの有名な「山上の説教」(五ー七章)というわけですね。


 四 ペトロを筆頭とする弟子たちに由来する教会
 マタイ福音書にしかないオリジナル記事といえば、私なら毒麦の例えや天の国の例えを思い浮かべますが、なにより、ペトロの信仰告白の箇所が挙げられます。ペトロの信仰告白の記事自体は、マルコが掲載しているものですが、マタイはそれにプラスして、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」(一〇・一八)という言葉を書いています。

 実はこの箇所は、カトリックとプロテスタント側とで解釈や重んじ方が違ってきて、なおかつそれぞれの教会の正統性の主張が絡んでくるというセンシティブな箇所でもあります。それだけに扱いが難しいのですが、マタイがペトロを重視していることは確かです。他方、ヨハネ福音書はペトロ優位を弱めています。まあ、イエスによって立てられた使徒たちが土台となって、今日の教会へと続いているのだという教会の自己理解は妥当でしょう。


 五 人間関係のトラブルにキッチリ対処する教会
 「仲間を赦さない家来の例え」を導入している「七の七十倍までも赦しなさい」(一八・二二)という言葉もマタイオリジナルで、他方、ルカでは「一日に七回でも赦してやりなさい」とありますから、マタイはこの辺り、徹底して強調していることは明らかです。なにせ七十倍ですから。

 ところで、七の七十倍赦せという言葉、「そんなの無理!」と恐怖心を抱いている方もきっと多いと思いますが、これにはマタイの妥協を許さない性格や、マタイが好む徹底的かつ厳格な言い回しを考慮してもいいように考えています。

 これと共に添えられているマタイオリジナルの箇所が、「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい」の言葉を含むくだりです(一八・一五ー二〇)。ここから察するに、マタイの教会では人間関係のトラブルがあった際、責任を持つ人が仲介に立って事情を聞いた上で、指導に従わないなら除名処分という手順が定められていたようです。これもまた、教会論と密に関わってきます。


 六 洗礼を授け、キリストの言葉を教える教会
 やはり最後は、アレです。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(二八・一九ー二〇)。マタイ福音書を締めくくる、言わずと知れた「大宣教命令」です。「あなたがたと共に」については、クリスマス記事の一・二三「インマヌエル」と呼応関係にあり、マタイの始めと終わりがこれで囲まれていることも、以前に触れたことでした。

 洗礼を授けることも含めたこのような命令は、後代の付加部分と見なされているマルコ一六・九以降を除けば、マタイのみに見られるものです。ただ、ルカは使徒言行録でその旨を物語り、ヨハネでは弟子たちが福音書中で既に実践していますが(四・二)。


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第5章 「四福音書のクリスマス事情~特にマタイに注目して」

 はじめに

 この講座も第五回となり、この回を含めて二回を残すのみとなりました。さて、現在まだ十一月と早めではありますが、今回はクリスマスと参りましょう。表題の通り、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという四つの福音書におけるクリスマスってどうなの?という主題でお話しします。マタイのクリスマス記事の詳細については、「テキスト研究」が別にあるはずですので、改めてそちらでどうぞ。

 まず、主イエスの誕生について物語るクリスマス物語については、毎年恒例ということで皆さんもお馴染みでしょう。このクリスマス物語の源泉になりますが、実はマタイ福音書とルカ福音書だけからしか採用されていません。マルコとヨハネには、誕生物語はないのです。

 ただし、民間伝承レベルのクリスマス物語では、マタイとルカの他にも、聖書正典には含まれない外典『ヤコブ原福音書』や、ジェノバ大司教ヤコブス・デ・ウォラギネが著した『聖人伝説』(通称『黄金伝説』)もソースとされています。例えばヨセフが高齢という設定や、幼子イエスを礼拝した占星術の学者の人数が三人で(マタイ二・七などでは単に「学者たち」と複数形)、それぞれ名前まで付けられているという設定などがそうです。こうした話題も面白いのですが、今回の講座にとって重要なポイントは、誕生物語的な記事はマタイとルカのみにしか含まれておらず、マルコ、ヨハネには含まれていないという点です。


 「初めにことばがあった」から始まるヨハネ福音書
 マルコとヨハネには誕生物語的な記事がないことは、初耳の方にとっては意外に感じられるでしょう。「本当にヨハネ福音書にはないの?」と思われる方は、ヨハネ福音書の冒頭を開いてみてください。「初めに言(ことば)があった」(ヨハネ一・一)という文言から開始され、詩的でミステリアスな言い回しが続いています。これは一般に「キリスト讃歌」と呼ばれ、後述のようにキリストの受肉の要素も含まれることから、クリスマスの聖書箇所として読まれることは多々あります。しかし、赤子のイエスには一切触れられていません。

 ヨハネ福音書にとってのクリスマスは、「言(ことば=キリスト)は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ一・一四)といういわゆる「受肉」の出来事に集約されています。すなわち、キリストである「言」は永遠の「初め」から「神と共に」存在される「神」なる方であるにもかかわらず、「人となって」私たちのもとに来られたという神学を提示しています。そのために、具体的な誕生物語を描くよりも、こちらの方が優先されたということですね。あえて言えば、受肉こそ「ヨハネのクリスマス」です。


 クリスマスを書かなかったマルコ福音書
 「いやいや、さすがにマルコにはなかったっけ?」と思われている方、マルコ福音書を紐解いてみてください。マルコは「神の子イエス・キリストの福音の初め」という宣言から始まり、「荒れ野で叫ぶ声がする」との旧約聖書の預言の言葉と共に、洗礼者ヨハネの登場をもって開始されています。そして彼が逮捕されたタイミングで、主イエスが宣教活動を始められるという物語の運びとなっているので、やはりマルコにもキリスト誕生物語は全く含まれていないということになります。

 その理由について私の推測によれば、マルコはキリストが生まれてからの伝記物語を書こうとしているのではなく、群衆からメシアであると期待されたナザレのイエスの末路が十字架での悲惨な死であり、しかしそこにこそ真の救い主の姿がある!と主張したかったのでしょう。十字架死へと急転直下していく劇的展開を重んじているわけですから、そう考えると、誕生物語から長々と物語るよりも、バッ!とイエスが現れて、ドドっ!と話が動いて、後半から一気に暗雲立ち込め、ドーン!と十字架の闇が覆うという筋書きの方が躍動感があります。この点から、誕生物語はマルコにとってむしろ不要であった、ゆえに書かれなかったのだ、と私は仮説を立てています。一言でいえば、「マルコのクリスマス」とは、あえてそのような誕生物語を省いた末の「いきなり十字架への道」、とでもなるでしょうか。


 マタイとルカでのクリスマス記事の配分
 以上、クリスマス物語のソース(源)はマタイとルカ、ということでご理解いただけたでしょう。では、それぞれに含まれるクリスマス関連記事の配分をザックリと見ておきましょう。

 マタイ:父ヨセフへの告げ知らせ。東方の占星術の学者たちの来訪。ヘロデ大王の恐れ。幼子イエスを礼拝する学者たち。ヘロデによる嬰児虐殺。エジプトへの避難。

 ルカ:不妊のザカリアとエリサベト夫妻。マリアへの受胎告知。マリアのエリサベト訪問。ベツレヘムへの旅と出産。羊飼いたちの来訪。

 毎年、教会学校でクリスマスに向き合っている先生方なら、「ふむふむ、なるほどなるほど」といった感じですよね。いわゆるクリスマス物語の各パートは、こんな風にマタイとルカの双方に散らばっているのです。そして、それらが時系列順にうまい具合に繋ぎ合わせられたものが、あのクリスマス物語であるということです。


 マタイ福音書の誕生物語
 ということで、我らがマタイ福音書のクリスマス記事の構成を、もう少しだけ詳しく見ていくことにしましょう。マタイの誕生物語は、アブラハムからイエスへと至る系図に始まり(マタイ一・一?一七)、次いで父ヨセフへの告知、イエス誕生と命名について述べられます(マタイ一・一八?二五)。その後、場面は変わって東方の占星術の学者たちの来訪物語となります(マタイ二・一?一二)。そして、ヘロデの恐れと企みを経て、ヘロデから逃れるためにヨセフ一家がエジプトへと避難し、最終的にナザレに移住したことをもって結ばれています(マタイ二・一三?二三) 。この一連の物語に共通して現れる要素が、「夢」(一・二〇、二・一二、一三、一九)と「主の天使」(一・二〇、二四、二・一三、一九)、そして成就引用です。「夢」「主の天使」「エジプト」という諸要素から見て、マタイは旧約聖書のヨセフ物語やモーセの出エジプトの出来事との対応関係を意識しています。旧約聖書との繋がりは、とりわけ成就引用によって示されています。成就引用とは、ある出来事が神の摂理の中で起こるべくして起こった必然的なことであることを、旧約聖書の引用をもって示すもので、マタイが好んで使う表現です。以前の講座における「マタイ福音書の神学」の回でも述べたもので、例えば、マタイ一・二二の「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」という言い回しが挙げられます。マタイの誕生物語全体の中では、他に二・一五、一七、二三に見られます。「やっぱりマタイ、旧約との繋がり重視だね!」、まさにそういう感じです。


 マタイとルカにおけるクリスマス記事の相違点
 マタイとルカの誕生物語には、互いに重複するエピソードはありません。同じエピソードが重なってもよさそうなのに、ちょっと意外な感じです。ということは、マタイとルカは、それぞれに伝えられていたエピソードを使ってそれぞれのクリスマス物語を組んだところ、たまたまそれぞれ逸話が被ることなく組み上げるに至った、と推理されます。

 ただ、ここで問題が一つあります。マタイとルカから事実を再構成してみると、矛盾する点があるのです。ルカ二・四には「ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」と記されていることから、マリアとヨセフはイエスの誕生以前から元々ナザレに住んでいて、住民登録のためにベツレヘムに赴いて同地でイエスを出産したという設定となっています。一方、マタイの方では、イエスの家族は元々ベツレヘムに住んでいたけれども、「アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配」していたために、イエスの誕生以後にガリラヤに移住したという書き方になっています(マタイ二・二二?二三「夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方にひきこもり、ナザレという町に行って住んだ」)。

 以上をザックリ図式化してみましょう。

 マタイ ベツレヘム →エジプト避難 →ガリラヤ

 ルカ  ガリラヤ  →ベツレヘム滞在 →ガリラヤ

 なんということでしょう!二人の匠による記述が、違っているではありませんか!私たちが触れているクリスマス物語では、この辺を変に深掘りすることなく、ベツレヘムに旅してそこの馬小屋で主はお生まれになり、その後にガリラヤで住むようになったよね、という形でフンワリ済ませています。それで基本、問題ありません。ただ、この事実を知ったからには、やはりこのミステリーを謎解きしておきたいですよね。

 そこでまず、両者、イエスはベツレヘムで生まれ、ナザレで育ったという点では一致しています。ユダヤでは伝統的に、メシアがダビデの末裔としてベツレヘムより現れるというメシア待望が根強くありました。ミカ書五・一を引用してのマタイの記述が示す通りです。「王は…メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。…「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ…お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となる』」(マタイニ・四-六)。余談ですが、こういう旧約引用もマタイっぽいです。

 他方、主イエスがガリラヤのナザレでお生まれになったかどうかは別として、「ナザレのイエス」という呼称の通り、長らくガリラヤで過ごされたことは既成の事実でした。ところが、以上の二点を成立させる筋書きが、統一されていなかったのだと思います。それで、マタイとルカはそれぞれ、この二点を繋げる作業に迫られていた中で、マタイとルカはお互い面識はありませんから、別々の筋書きが出来上がるに至ったのだ、と私は診ております。歴史的事実はどうであったかについては、今となっては時の彼方のことです。


 結びとして
 マタイとルカとの矛盾については、変に深入りせず、一点突破ならぬ、ベツレヘム生まれのナザレ育ちという「二点突破」で乗り切りましょう。ユスティノスやオリゲネスといった有名な古代の神学者たちも、細かいところは置いておきつつ、ポイント押さえてグイッといくやり方のようですから、これで間違いありません。

 また、マタイの記事からクリスマス説教をする際は、いずれの箇所であれ旧約聖書を意識すると、識者が聞いても「うむ、よく準備されたマタイらしい説教」となります。 ではでは、ちょっと早めのメリー・クリスマス!


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第6章 四福音書のイースター事情?特にマタイ福音書に注目して

 はじめに
 こちらの講座、ついに最終回である第六回を迎えました。この原稿を皆様が読まれている現在、一月頃とまだ早めではありますが、来たるイースターに向けて、マタイ福音書における復活を見ていきたいと思います。ただ、サブタイトルに「四福音書」とある通り、前回のクリスマス編と同様、四福音書全体でイースター記事がどう書かれているのかを中心に見ていきます。マタイの復活記事については個別に「テキスト研究」で解説されることになるので、ここではあえて深掘りはしません。基本、他の福音書との比較の中で、「へえ、マタイの復活記事全体ってこうなっているのかあ」というテーストでお楽しみください。

 
 一 四福音書の復活記事 
 新約聖書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書が収められています。いずれの福音書も、十字架と復活に至るまでのイエス・キリストの足跡にスポットライトを当てた物語となっていて、大筋としてはどれも大差はないように感じられるでしょう。ところが、相違点も少なくなりません。たとえば、前回の特集内容であったクリスマスについては、赤子のイエスが登場するお話はマタイとルカのみで、マルコとヨハネにはありません。ヨハネの冒頭のいわゆる「キリスト讃歌」は、クリスマス礼拝の聖書箇所にされることは多いですが(例えばヨハネ一・一四「ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた」)、マルコにおいてクリスマス的な要素は皆無です。

 それでは、キリストの復活についてはどうでしょう。「安心してください、ちゃんとありますよ」ただし、相違点は本当に各福音書で多々あり、もうバラバラと言っても過言ではありません。そこで、そうした相違点をこれからザッと見ていく前に、イースターに関連する記事の種類について整理しておきましょう。ただし、マルコ一六・九以下の記事は、後代における写本段階での付加とされているので、ここでの考察からは外しています。

 一・一 空の墓復活物語
 まず、キリストが葬られた墓を婦人たちや弟子たちが訪れる「空(から)の墓復活物語」が挙げられます。ラインナップとしては(括弧内は登場人物)、マタイ二八・一-八(二人のマリア)、マルコ一六・一-八(三人の婦人たち)、ルカ二四・一-一二(三名の婦人たちと一緒にいた婦人たち)、ヨハネ二〇・一-一〇(マグダラのマリア)。ベースは同じ舞台設定のお話しですが、登場人物が結構バラけていますね。

 一・二 復活顕現物語
 次に、復活したキリストが婦人(たち)または弟子たちの前に姿を表す「復活顕現物語」です。そのラインナップは、マタイ二八・九-一〇(二人のマリア)、マタイ二八・一八-二〇(十一人の弟子たち)、ルカ二四・一三-三五(クレオパ含む二人の弟子、いわゆるエマオ物語)、ルカ二四・三六-四九(弟子たちへの顕現)、ヨハネ二〇・一一-一八(マグダラのマリアへの顕現)、ヨハネ二〇・一九-二三(弟子たち)、ヨハネ二〇・二四-二九(トマス)、ヨハネ二一・一-一四(七人の弟子たち)、ヨハネ二一・一五-一九(イエスとペトロ)、ヨハネ二一・二〇-二三(イエスの愛しておられた弟子)。こうしてみると、ヨハネの顕現記事の品揃えは豊富ですね。

 
 二 各福音書の復活記事の構成
 それでは、四福音書ごとの復活記事の構成を見ていきましょう。マルコ、ルカ、ヨハネの順で、トリをつとめるのはマタイとなります。

 二・一 マルコに復活顕現記事がない理由
 前述の通り、マルコのオリジナルの結びを一六・八とした場合、その最大の特徴はなんといっても、空の墓復活物語はあっても復活顕現記事がないことです。「え?復活のキリストが現れないまま終わるの?」という感じです。しかもその結びは、婦人たちが恐れによって誰にも何も言わずに沈黙していたところで唐突に閉じられています。これはいまだに解決されない新約聖書学上の大問題の一つで、これまで誰一人として説得力のある回答を示した人はいません。これについての私見になります。前回の特集でも述べたように、マルコはキリストの壮絶な十字架死という劇的物語を書きたい人です。そして、その悲劇性をもって、イエスが神の子であることを浮き彫りにしたい人です。そのため、イエス誕生の記事にも触れず、洗礼者ヨハネの逮捕という意味深なところから始めて、上り調子の前半から転じて、受難の暗雲漂う後半へと突入し、終盤は急転直下、十字架の死へと叩き落としてきます。そこで私は思うのです。「これで最後に長々と復活顕現記事を入れたら、もう復活カラーで十字架色が消されてしまう」と。たとえるなら、讃美歌の「ちしおしたたる」を歌った後は、しばらくはキリストの死のショックに酔いしれたく、「復活はちょっと待ってよ」となるようなものと。その後の展開は読者なら皆がわかりきっていることですから、説明を入れれば入れるほど、文学的にはダサくなる感じがしないでしょうか。他方、そういうマルコがあるからこそ、マタイは自身の福音書の結びに弟子たちへの顕現を持ってきて、いわゆる後述の大宣教命令をもって大団円で閉じるという、マタイの重厚な書きっぷりのすごさを実感するというものです。雑な言い方をすれば、マタイが論述なら、マルコは小説とか劇場。

 二・二 やっぱりエマオにつきるルカ
 ルカの復活記事の構成は順番に、空の墓、エマオ途上の顕現、弟子たちへの顕現、最後にキリスト昇天、以上です。ルカの復活記事といえば、やはり「エマオ」です。エマオの記事の内容については、言わずもがなでしょう。ただ、ルカの特徴として見逃せないのは、キリスト昇天記事があることです。使徒言行録はルカの作品と見なされ、ルカ福音書と使徒言行録で二巻本構成であることは、有名な話です。ルカの終わり、使徒言行録の初めにおける昇天の場面を通じて、双方が繋がっているというわけです。

 二・三 顕現記事のオンパレードなヨハネ
 空の墓物語では、ペトロと「イエスが愛しておられた弟子」とが競争するのも印象的である一方、先にもチラッとつぶやきましたが、ヨハネにおける顕現記事の多さとオリジナリティは半端ではありません。空の墓の登場人物はマグダラのマリアだけですし、彼女限定の顕現記事も後に続いています。ヨハネ福音書以外では名前だけ触れられているに過ぎないトマスが登場し、彼のために会いに来られる復活顕現の逸話も、ヨハネ独自の記事です。七人の弟子たちが漁をする場面で現れたかと思えば、ルカの顕現記事のように焼き魚を食べまではしませんが、弟子たちに魚とパンを差し出されています。そして、ペトロに対する三度の「わたしを愛しているか」との問い。締めには、謎の「イエスの愛しておられた弟子」が登場して、最後は後書きで終わるというのがヨハネの構成です。


 三 マタイの復活記事の構成と特徴
 マタイ福音書の復活記事の全体構成は左記の通りです。

 二七・六二-六六 墓を監視する番兵 その一

 二八・一-八 空の墓物語(二人の婦人)

 二八・九-一〇 二人の婦人への復活顕現

 二八・一一-一五 番兵を監視する番兵 その二

 二八・一六-二〇 ガリラヤでの復活顕現

 三・一 番兵の存在が持つ意味

まず、マタイ独自の要素としては、墓を監視する番兵に関する記事を挙げることができます。要旨としては、祭司長、ファリサイ派、そしてピラトが協議し、弟子たちが死体を盗みに来て、後から「復活した」などと言い出さないよう、番兵を立てたというのが前半。後半は、空の墓物語の中で「震え上がり、死人のようになった」(二八・四)出来事を経て報告を果たしたところ、「弟子たちが死体を盗んだ」ということにしておけと指示され、ワイロまでつかまされたという筋書きです。以前の特集で私が述べたことを覚えていらっしゃるでしょうか。マタイとその教会は、ユダヤ人やユダヤ教の正統派から迫害を受けていて、追放処分を受けているさなかにありました。とすると、正当なユダヤ人の側から、「イエスの復活なんて、でっちあげだ!」と言われ続けていたとしても全く不思議ではありません。この揶揄に対する対抗として、番兵のくだりの記事を挟み込んだのだろうと推測されます。

 三・二 大宣教命令と、ガリラヤという場面設定
 復活のイエスが弟子たちの前に姿を現され、いわゆる「大宣教命令」を発せられる場面となっています。この舞台設定が特徴的で、その場所は、十字架と墓のあるエルサレムからわざわざ移動しての「ガリラヤ」となっています(二八・一六)。これは、「復活した後・・・ガリラヤへ行く」(二六・三二)という事前予告を受けてのもので、元々はマルコ福音書の筋書き(マルコ一六・七)を踏襲したものです。ただ、前述の通りマルコ先生は、十字架の死の衝撃を維持したまま書き終えたいものですから、「もう書かなくても、皆さんわかるよね」という感じでそこで筆を置いたと。それでマタイ先生は、マルコが書かなかったガリラヤ顕現記事をまとめて、自分なりの味つけも施した上で、自分の福音書の中で描いたのだ、というのが私の推測です。

 三・三 溢れ出すマタイの神学
 単にマルコの設定を引き継いだだけで終わらないのがマタイのすごさで、まずキリストの権威をバーンと打ち出しています(二八・一八「わたしは天と地の一切の権能を授かっている)。そして、そこからの「すべての民をわたしの弟子にしなさい」、「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」なさい(二八・一九)、「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(二八・二〇)という、宣教命令三連発が繰り出されています。私たちの教会の使命と合致するみ言葉が示されて、「我らの教会の源流、ここにあり!」と胸熱の展開です。

 そして最後の最後の最終節は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(二八・二八)です。思い返せば、クリスマス記事の中の一・二三において、イザヤ書のメシア預言が引用されての「神は我々と共におられるという意味である」という文言の伏線回収ではありませんか。旧約引用、預言成就、それを実現する方としてのキリスト、イスラエルを受け継ぐ教会、これらマタイ神学の伏線の全てが回収され、主イエスと弟子たちの大団円で終わるという、マタイの構成と神学の見事さよ!二〇年前のオリンピック選手の名言、「ちょー気持ちいい!」と叫びたくなる気持ちを胸に抱きつつ、ここで終わりたいと思います。

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#マタイ福音書 #マタイ福音書緒論 

2026年3月27日金曜日

【新約聖書学の小論】マルコ福音書における弟子批判の再解釈――読者を映す物語と回復の神学

マルコ福音書における弟子批判の再解釈――読者を映す物語と回復の神学

 マルコ福音書において「十二人」が批判的に描かれている点について、従来の研究では主として対立的文脈の中で理解されてきた。すなわち、ペトロの無理解・逃亡・否認はペトロ権威への批判、弟子たちの無理解は十二使徒の権威の相対化、さらにエルサレムのユダヤ教指導者への批判はエルサレム教会批判を暗示するものと解釈されることが多かった。しかしこの見方は、異邦人キリスト教会とエルサレム教会との後代的な対立構図をマルコに過度に投影しているとの批判を受け、再検討が求められている。

1. 弟子批判モティーフの再検討

 マルコ福音書において弟子たちは、繰り返し否定的に描写されている。たとえば、彼らはイエスの言葉と行為を理解できず(4:13, 6:52, 8:17–21)、信仰の欠如を示し(4:40)、メシア理解において根本的な誤りを犯す(8:32–33)。さらに受難物語においては、弟子たちはイエスを見捨てて逃亡し(14:50)、ペトロは三度にわたりイエスを否認する(14:66–72)。
 しかしながら、これらの否定的描写にもかかわらず、弟子たちはイエス自身によって召命された存在であり(3:13–19)、その関係は物語の中で決定的に否定されることはない。むしろ、受難以前に「ガリラヤで再び会う」という約束が与えられており(14:28)、復活告知においてもその約束は再確認されている(16:7)。すなわち、マルコの物語構造は、弟子たちの失敗と崩壊を描きつつも、最終的には回復の可能性を開くものとなっている。

2. マルコ共同体の状況との関係

 このような弟子描写は、マルコ共同体の歴史的状況と密接に関係していると考えられる。福音書内部には、迫害(13章)、信仰からの脱落の危険(4:17)、さらには家族や社会からの断絶(10:29–30)といった状況が反映されている。これらの要素を踏まえるならば、マルコ福音書は、苦難と危機の中にある信徒たちに向けて書かれた文書として理解することができる。
 この文脈において、弟子たちの失敗は単なる過去の出来事の記述ではなく、読者自身が直面している現実の写像として機能する。すなわち、迫害や試練の中で信仰を維持できない可能性、あるいはすでに脱落してしまった現実を、弟子たちの姿に見出すことができるのである。


3. 弟子批判の神学的・物語論的意義

 以上を踏まえると、マルコにおける弟子批判の目的は、特定の権威への攻撃ではなく、むしろ読者への働きかけにあると理解される。弟子たちは理想的模範としてではなく、不完全で理解に乏しく、時に失敗する存在として描かれるが、それゆえにこそ読者は彼らに自己を重ね合わせることができる。
 この点において、弟子たちはいわば「読者の鏡」として機能している。彼らの無理解や失敗は、読者の弱さや躓きを反映するものであり、同時にそのような状況にあってもなお、イエスとの関係が完全には断たれないことを示している。特に、ガリラヤでの再会の約束は、失敗した者にもなお回復の道が開かれていることを象徴している。
 したがって、マルコ福音書における弟子批判は、警告と励ましという二重の機能を担っている。一方では、苦難の中で信仰を失う危険性を厳しく示しつつ、他方では、たとえ失敗したとしても再び立ち上がる可能性が残されていることを宣言するのである。


結論

 以上の考察から、マルコ福音書における弟子批判は、単なる権威批判や教会間対立の反映として理解されるべきではない。それはむしろ、迫害と危機の中にある読者に対して、自らの弱さを自覚させると同時に、それでもなお弟子として歩み続けること、さらには失敗の後にも回復が可能であることを示す神学的装置である。
 この意味において、マルコの弟子たちは否定されるべき存在ではなく、読者を弟子としての生へと導くための物語的媒介として位置づけられるのである。

2026年3月14日土曜日

【新約聖書学の論文】使徒教父文書と四福音書との関係

使徒教父文書と四福音書との関係

序論

 本章の目的は、いわゆる使徒教父文書が四福音書といかなる関係に立っているのかを検討することにある。具体的には、引用・言及・修正の可能性を有する用例を分析し、その文献的依存関係および神学的方向性を明らかにすることを目指す。
 もっとも、使徒教父文書が福音書本文に直接依拠していることを確実に証明できる事例は必ずしも多くはない。語句や主題の一致が認められる場合であっても、それが福音書への依拠によるのか、あるいは共通のイエス伝承、典型的定式、あるいは初期キリスト教界に広範囲に流通していた口伝資料に由来するのかは、慎重に区別されねばならない。
 本章では、(1) 明示的引用、(2) 語句的一致、(3) 構造的対応、(4) 共通伝承の可能性、という分析類型を区別しつつ、文脈的・語彙的・構造的観察に基づいて検討を行う。
 なお、「使徒教父文書」に分類される文書の範囲および章節区分は版により異なるが、本稿では Michael W. Holmes編 The Apostolic Fathers 第3版[1]に準拠し、日本語訳は荒井献編『使徒教父文書』[2]を参照する。
 
対象文書の範囲
 以下の十文書(うち一つは書簡群)を検討対象とする。
1 ディダケー(十二使徒の教訓)
2 バルナバの手紙
3 クレメンスの手紙一
4 クレメンスの手紙二
5 イグナティオスの手紙(書簡群)(エフェソ、マグネシア、トラレス、ローマ、フィラデルフィア、スミルナ各教会宛およびポリュカルポス宛)
6 ポリュカルポスの手紙
7 ポリュカルポスの殉教
8 パピアスの断片
9 ディオグネートスへの手紙
10 ヘルマスの牧者
 これらの文書は、紀元90年頃から150年頃にかけて成立したと推定される。成立年代は確定的ではないが、その多くは新約聖書文書の中でも比較的後期に位置づけられる諸文書と時期的に重なり合う。たとえば、第一ペテロ書、ヨハネ福音書、ヨハネ書簡、ヨハネ黙示録、ヤコブ書、牧会書簡、第二ペトロ書などである[3]
 したがって、使徒教父文書は、新約正典が固定化される以前の、なお境界が流動的であった初期キリスト教文書空間に属していると理解される。この歴史的位置づけを踏まえることは、四福音書の受容と権威化の過程を考察する上で不可欠である。
 

1. 使徒教父文書の分析

1. ディダケー

 『ディダケー』(Didache, Διδαχὴ τῶν δώδεκα ἀποστόλων)は、初期キリスト教史研究において特異な位置を占める文書で、単一著者による体系的著作というよりも、複数の伝承素材を編集的に結合した複合文書であり、「二つの道」の倫理教訓、洗礼・断食・祈祷・感謝祈祷の指示、巡回教師・預言者規定などによって構成された構造的多層性は、初期共同体の実践と組織形成の過程を反映する資料としての価値を高めている[4]
 成立年代は一般に1世紀末から2世紀初頭と推定されるが、構成要素の一部はより古い教会状況を想起させる。特にディダケー15の役職者選出規定は、単一司教制が未確立である段階を示し、2世紀初頭という位置づけを支持する有力な根拠となっている[5]。成立地は確定しないが、シリアが主要候補とされる。
 本書は『マタイによる福音書』との顕著な類似を示す。特にディダケー8:2 の主の祈りはマタイ版に近似し[6]、1:3b–2:1a には共観福音書との並行が認められる(マルコ12:30-31; マタイ5:329, 41, 44, 46, 47,48, 7:12など)。かつては両者の直接的な文献依存を認める説[7]と、文献依存はなく並行伝承が使用されているとする説で議論された[8]。近年は、福音書本文への直接依存や直線的発展よりも、両者が共通の神学的潮流や環境(Milieu)にあったための伝承共有を想定する見解が優勢である[9]
 本書は1875年に発見された コンスタンティノポリス写本(後にエルサレム写本、Codex Hierosolymitanusと呼称、推定成立年代は11世紀)のみによって完全なギリシャ語訳が伝えられている[10]。他、ラテン語訳やコプト語断片が知られている。
 以上より、ディダケーは正典形成以前のキリスト教共同体における倫理・典礼・組織・終末信仰の交差点を示す文書であり、福音書成立前後の伝承環境を復元する上で不可欠の資料である。

ディダケーにおける εὐαγγέλιονは「福音」か「福音書」か
 ディダケーと福音書との関係性を検討する上で重要な箇所は、8:2「主が彼の福音/福音書で命じたように」、11:3「使徒と預言者については、福音/福音書の教義に則って」、15:3「福音/福音書に記されているように」、15:4「主の福音/福音書に記されているように」であり、これらにおける εὐαγγέλιονが、「福音」と「福音書」のどちらを指すのかについて議論がある[11]
 本問題は少なくとも三つの次元に分けて考察される。第一に語義の問題として、 εὐαγγέλιον が口頭伝承を意味するのか、文書化された伝承を意味するのか。第二に、仮に文書を指すとすれば、それは四福音書の一部あるいは全部を指すのか、それとも特に マタイ福音書を指示する用例なのかという指示対象の問題である。第三に、ディダケーがマタイに依存しているのか、それとも両者が共通の伝承環境を共有しているにすぎないのかという依存関係の問題である。
 研究史においては立場が分かれる。文書依存に消極的な立場としてはHelmut Köster[12]が挙げられ、彼はディダケーを福音書以前あるいは福音書とは独立した伝承の流れに位置づける。他方、ディダケーのマタイ依存を積極的に主張するのが Édouard Massaux であり、日本語訳において 8:2 および 11:3 を「福音書」と訳す 佐竹明 も、一定の文書性を想定していると見なし得る。もっとも近年の研究においては、両者を直接的な文書依存関係に置くよりも、共通の神学的・伝承的環境(Milieu)に属していたと見る見解が有力である。
 そのように仮定すれば、ディダケーにおける εὐαγγέλιον は、書名として固定化された「福音書」という概念を前提とするものというよりも、規範的イエス伝承の総体を指す語として理解するのが妥当であろう。すなわち、福音書を「福音」と呼ぶ呼称はなお流動的段階にあり、2世紀前後において必ずしも書名として定着していたとは言い難い。
 
 このことは、後述する「パウロ書簡集成」との対比においていっそう明確となる。パウロ書簡が比較的早期から準正典的権威を帯びつつあったのに対し、福音書はなおそのような集成的・書物的権威を確立していなかった可能性が高い。したがって、ディダケーにおいて福音書的伝承が参照される場合、その権威の根拠は文書としての固定化にあるのではなく、「主の言葉」すなわちキリストの語りに由来する権威にあったと考えられる。
 

2. バルナバの手紙

 本書は伝統的に使徒行伝に登場するバルナバ(使徒)に帰せられてきたが、今日ではその可能性は極めて低いと見なされている。内容的にも、著者は使徒世代ではなく、神殿崩壊後の状況を前提としている。したがって、現在では匿名のキリスト者著者による著作と理解するのが一般的である。
 成立年代については、内部証拠に基づき一定の範囲が推測されている。terminus post quemとしては、バルナバ16:4-5で神殿崩壊後の状況を前提としつつ、「再建」への期待や不安が示唆されることから、紀元70年のエルサレム神殿崩壊以後が下限とされる。terminus ante quemとしては、同箇所における異邦人による再建の可能性への言及の背景として、しばしば想定されるのがハドリアヌス帝によるエルサレム再建計画で、彼は神殿跡地にユピテル神殿を建設し、都市をアエリア・カピトリナとして再建した(132–135年)。この歴史的対応から、多くの研究者は 70年以後、132–135年以前 を成立年代の範囲と推測する。概ね 90年代から130年代初頭に位置づける見解が有力である。
 執筆場所として最も有力視されるのがアレクサンドリアである。その理由は以下のとおり。最初期に本書を明確に引用しているのはアレクサンドリアのクレメンスで、彼は本書を権威ある文書として扱っていること[13]。割礼などのユダヤ教的事項のアレゴリー解釈が、アレクサンドリア・ユダヤ教と整合すること。
バルナバの手紙と四福音書との関係
 上述のユダヤ教神学との対話から、旧約聖書全体から幅広く引用されている。他方、バルナバ4:14(「召された者は多いが選ばれた者は少ない」)において、マタイの編集句の可能性が高いマタイ22:14が、旧約引用と同様の導入句を伴って引用されていることから、タイセンはこれを旧約的に引用されるようになった新約用例の端緒とするが[14]、青野はこの見方に懐疑的である[15]
 他、バルナバ5:9//マタイ9:13; マルコ2:17、バルナバ7:3//マタイ27:48; マルコ15:36など、受難物語や黙示文学的箇所での近似性が認められるが、これらが福音書からの直接引用なのか、共通伝承に由来するのかは判断し難い。結論として、マタイ福音書が権威ある書として引用され始めているとしても、未だその萌芽状態にあると考えられる。
 

3. クレメンスの手紙一

 本書は全体にわたって文体的統一性が顕著であり、一人の著者による執筆と推定される。書簡自体には著者名は記されていないが、フィリピ4:3に言及される「クレメンス」を著者と同定する伝承が古くから存在する。この理解は、エウセビオス『教会史』3.15.1[16]をはじめとする教父的証言に支持されており、近年の研究においても一定の支持を得ている[17]
 成立年代については、5−6章における紀元64−68年のネロ帝による迫害への回顧、
さらに1:1、7:1に見られる迫害に関する言及が、ドミティアヌス帝晩年(在位:81−96年)、もしくはネルウァ帝治下の迫害を想起させる点から、95-97年を想定する説が主流である[18]
 著者は、教会内の非難すべき行動を戒め、秩序と服従を回復するための模範を提示するに際し、七十人訳聖書を広範に引用している。また、偽典的文書や、出典不明の伝承資料にも言及している(8:3; 17:6; 23:3; 46:2)。さらに、パウロは名指しで言及され、その書簡、とりわけ第一コリント書が明確に引用・参照されている(5:5、47:1「幸いなる使徒パウロの手紙を取りなさい」(Ἀναλάβετε τὴν ἐπιστολὴν τοῦ μακαρίου Παύλου τοῦ ἀποστόλου)。加えて、ヘブライ書(1クレメンス36:2//ヘブライ1:3-4、1クレメンス36:3//ヘブライ1:7)との間に高度な語彙的・構文的類似が認められることから、同書もまた当時すでに流布していた可能性が高いと考えられる。
福音書との関連が観察される箇所
* 1クレメンス13:1「特に主イエスが語った言葉を思い起こしながら」(μάλιστα μεμνημένοι τῶν λόγων τοῦ κυρίου Ἰησοῦ):後続の言葉の導入句として機能しており、「主イエスの言葉」が福音書からの引用なのかが焦点となるが、その気配はない。一定の伝承として共有されていたイエスの言葉伝承に由来すると推察される。
* 1クレメンス13:2「憐れめ、あなたがたが憐れまれるために。赦せ、あなたがたが赦されるために……」:マタイ7:1-2、ルカ6:36-38と類似するが、逐語的引用ではなく、正典福音書に含まれない語句も含まれている。ポリュカルポス書簡2:3との類似から、福音書とは別系統のイエス語録伝承に由来する可能性が高い。
* 1クレメンス24:5「種蒔く人が出て行った。そして各々の種を地に蒔いた」:マルコ4:1-9、マタイ13:1-9、ルカ8:4-8の「種蒔きの例え」と部分的に一致するが、要約的・解釈的再述であり、直接引用とは言い難い。
* 1クレメンス46:8「一人をつまづかせるよりも、生まれなかった方が良かった……挽き臼をつけられて海に……」:マタイ26:24など複数のイエス語録が組み回された形となっており、福音書への依存と想定することは困難である。
* 1クレメンス47:2「その福音の初めに彼はあなたがたに何と書いたか?」(τί πρῶτον ὑμῖν ἐν ἀρχῇ τοῦ εὐαγγελίου ἔγραψεν;):ここで用いられている「福音」は「福音書」を指すものではなく、パウロが書簡において宣べ伝えた内容を意味している。「福音」が必ずしも「福音書」を指すわけではないことを示す用例の一つとして重要である。
 第一クレメンス書においては、パウロ書簡が著者と読者の間で共有された権威的文書として前提されており、パウロの名は明示的に挙げられ、その書簡内容への直接的言及が確認される(47:1「使徒なる至福者パウロの手紙を取り上げよう」)。この点は、1世紀末の段階で Corpus Paulinum(パウロ書簡集成)が既に権威ある文書群として流布していたことを示す有力な証左である。
 これに対して、福音書については、いずれの箇所においても著者名や書名が特定されることはなく、直接引用と断定し得る用例も認められない。むしろ、共観福音書と重なり合うイエス語録伝承が、独立した形で用いられていると理解する方が妥当である。したがって、第一クレメンスの成立時期の段階で、福音書がパウロ書簡と同様に権威ある「書」として定着していたとはいえない。
 

4. クレメンスの手紙二

 本書はローマのクレメンスの名のもとに伝承されたが、すでに4世紀後半の ヒエロニムス は『著名人について(De viris illustribus)』15章において、本書がクレメンス真正作ではないことを明言している[19]。成立は2世紀中頃、場所はローマまたはコリントと推定される。文体・構成上、書簡というよりも説教(ホミリア)と理解されるのが通説であり、1875年に公刊された Codex Hierosolymitanus の研究以降、その見解は一層有力となった。
福音書との関連が観察される箇所
 第二クレメンス書において注目されるのは、イエス語録の比較的明瞭な引用が複数箇所に見られる点である。特に重要なのは以下の箇所である。
・2クレメンス 5:2–4
  // ルカ10:3(// マタイ10:16)
  // ルカ12:4–5(// マタイ10:28)
・2クレメンス 6:1
  // ルカ16:13(// マタイ6:24)
・2クレメンス 8:5
  // ルカ16:10–11
 これらの箇所と共観福音書、特にマタイおよびルカとの間には、比較的高い語彙的一致が認められる。さらに8:5では「主は福音において言う」という導入句が用いられているが、本書全体を総合的に考慮すれば、ここでの「福音」は特定の「福音書」を指すというより、「福音」(救済の宣言)という内容的概念を指すと理解するのが妥当であろう。
 もっとも、これらの引用は共観福音書本文との相違も含んでおり、特定の正典福音書への直接的依存を確定することは困難である。可能性としては、
・共観福音書本文への直接依存
・共通する口承イエス伝承の利用
・文書化されたイエス語録集の利用
・口承伝承が徐々に固定化されつつある過程の反映
などが考えられる。2世紀中葉という成立時期を考慮すれば、マタイやルカの現物を通じて記憶された表現が用いられた可能性も十分に想定し得る。青野は、これらの引用の背後に「書かれた福音書」としての福音の存在を想定している[20]
 また、12:2の伝承は『トマスによる福音書』22章との並行が指摘されるなど、共観福音書に限定されない広範なイエス伝承の流通を示唆している。
「聖書」としてのイエス語録
 第二クレメンス書の最大の特徴は、イエスの言葉を旧約と同様に正典的形式で引用している点にある。たとえば2:4では、「(別の)書はこう言っている」(γραφή λέγει)という旧約引用時と同様の導入句が用いられ、マルコ2:17(// マタイ9:13、ルカ5:32)系統の語録が引用されている。
 ここで用いられている「γραφή」という語は、本来旧約聖書を指す用語である。しかし第二クレメンス書では、この語がイエスの言葉に適用されている。この事実は、2世紀前半の段階において、少なくともイエス語録が旧約と並ぶ権威的文書として理解され始めていたことを示唆する。
 もっとも、この「γραφή」が特定の正典福音書を指すのか、それともより広義の「主の言葉の文書化された伝承」を意味するのかについては、なお慎重な検討を要する。
パウロ書簡との関連
 第一クレメンス書が明確にパウロ書簡、とくにコリント書簡に依拠しているのに対し、第二クレメンス書では非常に弱い。明確な引用形式、たとえば「〜と書いてある」などの導入句は見られない。以上の理由はおそらく、本書が説教型ないし朗読型の文書であり、書面化されたイエス語録の朗読に徹する性質の書であるためと考えられる。
ヨハネ文書の不在
 二クレメンス書には、ロゴス神学、真理の二元論的強調、光と闇の対比といったヨハネ的神学用語・思想構造はほとんど見られない。すなわち、ヨハネによる福音書やヨハネ書簡への明確な依存は確認されない。このことは、二クレメンス成立段階において、ヨハネ文書がなお限定的な受容段階にあった可能性を示唆する。
総括
 以上を総合すると、第二クレメンス書の文献史的位置は次のように整理できる。
・イエスの言葉が明確に「聖書」として引用されている
・引用内容は共観福音書、とくにマタイ・ルカ系統に近い
・しかし特定の正典福音書への直接依存を断定することは困難
・パウロ書簡は思想的影響にとどまり、明示的引用はない
・ヨハネ文書の使用は認められない
 これらは、第二クレメンス書が新約正典成立以前の過渡期に位置していることを示している。すなわち、イエスの言葉の権威化はすでに進行している一方で、「四福音書」という固定的かつ権威的集成はなお確立途上にあった段階である。
 2世紀中葉のローマ周辺における福音書受容の実態を知る上で、本書はきわめて重要な証言資料である。
 

5. イグナティオスの手紙

 本書簡群の成立事情は、書簡そのものが伝える状況から比較的明確に推定することができる。アンティオキアの司教であったイグナティオスは、ローマにおいて処刑されるため護送される途上で各地の教会と接触し、その過程で複数の書簡を執筆した。スミュルナ滞在中には、エフェソ、マグネシア、トラレス、ローマの各教会に宛てた書簡を書き、さらにトロアスに移動した後、フィラデルフィア、スミルナ、そして友人であるスミルナ司教ポリュカルポスに書簡を送っている。その後、ネアポリスおよびフィリピを経てローマへ到達し、コロッセウムにおいて殉教したと考えられている[21]。年代については、エウセビオス『教会史』III.36の証言に基づき、トラヤヌス帝の治世(98–117年)の出来事と理解することが学界の一般的なコンセンサスである。
新約文書との関連
 イグナティオス書簡における旧約聖書の明確な引用は多くはなく、数例にとどまる。他方で、新約文書、とりわけパウロ書簡との思想的・語彙的近接性は顕著である。例えば、「エペソのキリスト者へ」5:2は第一コリント6:9などと並行関係が指摘され、「マグネシアのキリスト者へ」7:1はエフェソ4:3–6と類似した表現を含む。また、「エペソのキリスト者へ」10:3には第一・第二テモテ書簡との関連が想定される表現が見られる。さらに、ローマ、ガラテヤ、フィリピ、第一テサロニケなどのパウロ書簡とエコーする語彙や思想も散見される。ただし、これらの並行関係が直接的な文献依存によるものか、あるいはパウロ的伝承を共有する教会的伝統に基づくものかについては、慎重な判断が必要である。
 福音書との関連については、特にマタイ福音書との並行がしばしば指摘される。例えば、「エペソのキリスト者へ」14:2はマタイ12:33と、「トラレスのキリスト者へ」11:1はマタイ15:13と内容的・語彙的に近接している。これらの点から、イグナティオスがマタイ福音書、あるいはそれと共通のイエス伝承を知っていた可能性は高いと考えられる。他方で、マルコ福音書およびルカ福音書の影響は比較的限定的であり、明確な依存関係を示す証拠は乏しい。
 ヨハネ福音書との関係についても議論がある[22]。一般に、ヨハネ福音書への直接的依存を確定することは困難であると考えられているが、父と子の一致を強調する表現など、ヨハネ的神学と響き合う思想が見られることも指摘されている。例えば「マグネシアのキリスト者へ」7:1には、ヨハネ5:19、8:28、10:30などに見られる父子関係の思想との近接性が認められる。したがって、ヨハネ文書との関係については、直接的な文献依存というよりも、初期キリスト教に広く共有されていた神学的伝統の反映として理解するのが妥当であろう。
 このように、イグナティオス書簡は初期キリスト教文献に関する広い知識を示しているが、特定の文書を明確に引用する例は多くない。むしろ、既存の使徒的伝承を前提としつつ、それを教会の一致と司教中心の教会秩序の擁護という文脈において再解釈している点に、本書簡群の特徴が認められる。
 

6. ポリュカルポスの手紙

 本書は、スミルナの司教であったポリュカルポスがフィリピの教会に宛てて書いた書簡である。14:1によれば、この書簡はクレメンスによって運ばれたと伝えられている。内容は多様であり、一般的な倫理的勧告(2章)、家庭および教会生活に関する訓戒(4–6章)のほか、ドケティズム的傾向をもつ教師たちに対する批判、さらに長老ヴァレンスに対する批判(11章)などが含まれている。このような構成は、当時の教会共同体における倫理的秩序の維持と正統的教義の確保という二つの関心を反映している。
新約文書との関連
 本書において旧約聖書は「聖なる文書」(12:1)として明確に言及されているが、新約文書については、旧約と同様の意味での権威的文書として直接言及されることはない。ただし、パウロ個人に対する言及が見られ(3:2; 11:3)、彼の模範が読者に提示されている点は注目される。
 四福音書との関係については、特に マタイに近い表現がいくつか認められる。例えば、2章にはマタイ5:3, 10および7:1–2に類似する言葉が見られ、また6:2にはマタイ6:12に近い表現が含まれている。しかし、これらがマタイ福音書本文への直接的依存によるものなのか、それとも当時広く共有されていたイエス伝承に由来するのかについては、確定的に判断することは困難である。
 さらに、他の新約文書との関連として、第一ペトロ(1:3//1ペトロ1:8、2章//1ペトロ1:13, 21; 3:9)や、第一テモテ(4章//1テモテ6:7, 10)との類似も指摘されている。これらの箇所においても、逐語的引用というよりは、直接引用か、あるいは共通の伝承的言語の共有による一致である可能性が考えられる。
 以上のように、本書は旧約聖書を明確な権威文書として位置づけつつも、新約文書についてはまだ固定された「正典」として引用しているわけではなく、むしろ使徒的伝承や倫理的教訓として受容している段階を反映していると理解することができる。これは、2世紀前半における新約文書受容の過渡的状況を示す資料として重要である。
 

7. ポリュカルポスの殉教

 本書はその表題が示す通り、書簡形式で記された殉教記録であり、スミルナの教会から他地域の教会へ送られた書として構成されている。したがって、その成立年代は当然ながらポリュカルポスの殉教以後に位置づけられる。18:1において「ポリュカルポスの殉教の日を……記念することになる」と述べられていることから、本書は彼の死からそれほど隔たらない時期に執筆されたと推測される。
 ポリュカルポスの殉教年については、研究者の間で見解が分かれている。一般的には155年または156年とする年代が広く受け入れられているが、Eusebius of Caesarea が『教会史』において本書を再録していること(IV.15)などを踏まえ、より遅い年代、すなわち167年あるいは177年頃とする説も提案されている[23]。なお、本書の終結部にあたる20–21章は、文体や内容の観点から後代の加筆とみなされることが多い。
新約文書との関連
 本書はポリュカルポスの殉教の経緯を報告し、その出来事の神学的意義を示すことを主目的としているため、旧約聖書や新約文書からの明確な逐語引用は多くない。しかしながら、叙述の構成や表現には福音書、とりわけ受難物語との顕著な類似が認められる。
 特に6–8章では、ポリュカルポスの受難がイエスの受難の模範に従うものとして描写されている。例えば、逮捕の場面における自発的な受容、迫害者に対する穏やかな態度、処刑に至る過程の叙述などにおいて、福音書におけるイエスの受難叙述と共通するモチーフが見出される。このような叙述構造は、殉教者の死をキリストの受難に参与する出来事として理解する初期キリスト教の神学的枠組みを反映するものであり、本書が福音書伝承の影響下に成立したことを示唆している。
 もっとも、これらの一致は必ずしも特定の福音書本文への直接的依存を意味するものではなく、むしろ初期教会に広く共有されていた受難伝承の枠組みが反映されている可能性も考慮する必要がある。したがって、本書と福音書との関係は、逐語的引用よりも、叙述形式および神学的モチーフの共有という観点から理解するのが適切であろう。
 

8. パピアスの断片

 2世紀前半、小アジアのフリギア地方ヒエラポリスの監督であったパピアスは、長老ヨハネに師事し、またポリュカルポスとも交流があったと伝えられている(エイレナイオス『異端反駁』V.33.4)。彼は130140年頃に『主の言葉の説明』と題する五巻本の著作を執筆したとされるが(パピアス断片2:1; 11:1参照)、その原本は失われており、今日では他者の著作に引用された断片を通してのみ内容を知ることができる[24]
新約文書との関連
 パピアスは、マルコおよびマタイに関する伝承を伝えており、一般にそれぞれマルコ福音書とマタイ福音書の成立事情を示す証言と理解されている。
2:15「長老(=ヨハネ)は次のように述べた。マルコはペテロの通訳者であり、主によって語られ、あるいは行われた事柄を、記憶した限り、順序立ててではないが正確に記した。」
2:16「マタイはヘブライ語で(主の)言葉を集成し、各人がそれを能力に応じて解釈した。」
 ヨハネ福音書については、第2断片および第13断片に関連する叙述が見られる。
2:57「第一のヨハネは、ペテロ、ヤコブ、マタイおよび他の使徒たちと共に言及されており、それが福音書記者であることを十分に示している。他方のヨハネは……彼は長老と呼ばれる。」
13:1「ヨハネ福音書は……パピアスが述べたように……ヨハネによって諸教会に明らかにされ、かつ与えられた。」
 一方、ルカ福音書への明確な言及や引用は確認されないが、使徒言行録への言及は見られる。
2:10「この点については、使徒言行録が報告している(=使徒言行録1:2324)。」
 これらの断片については、どの程度までパピアス自身の真筆と認め得るかという問題が残る。しかしながら、少なくともこれらの証言は、2世紀前半の小アジア南西部において四福音書が流通し、地域教会の中で用いられていた可能性を示唆するものと考えられる。
 

9. ディオグネートスへの手紙

  本書は、ディオグネートスという人物宛に書かれた書簡の形式をとっている。11:1で執筆者は自らを「使徒たちの弟子」「異邦人の教師」としている。最後の2章(11-12章)は、用語、文体、内容の観点から、別人の手によるものと推定されている[25]
 成立年代については、本書に関する外証は見出されない。内証の点でも年代特定の材料は乏しく、一般には、2世紀終盤から3世紀初頭とする見方が妥当とされている[26]
 

10. ヘルマスの牧者

 本書は使徒教父の一人とされるヘルマスの著作で、エイレナイオス、テルトゥリアヌス、アレクサンドリアのクレメンス、オリゲネスなどの教父によって権威ある書として引用されている。またムラトリ正典目録も、本書が「つい最近、ローマ司教ピウスの時代にローマでヘルマスによって記された」と言及している。ローマ司教ピウスの在位は一般に140年頃〜155年頃 とされるため、多くの研究者は本書の成立を 2世紀中葉(140年頃) と考えている[27]。ただし本文の構造分析から、全体が一度に成立したのではなく複数段階で形成された可能性も指摘される。特に、五つの幻、十二の戒め、十の譬えという三部は成立時期が異なる可能性があり、110年頃〜140年頃 というやや広い年代を想定する説も有力である。
新約文書との関連
 本書において、旧約聖書のように新約文書が明確な権威文書として引用されることはほとんどない。しかし、思想や表現には新約文書と共通する伝承が認められる。福音書と共通要素を持つイエスの語録の用例は多くはないし、明確な逐語的引用も見られない(第6の戒め4//マタイ7:16、第5の例え5.2//マタイ13:18、第5の例え6.3//ヨハネ10:18、第5の例え7.3//マタイ28:18、第9の例え20.1//マタイ13:22、第9の例え20.2//マタイ19:23など)。また幻視や象徴的存在などのモチーフは、黙示文学的伝統に属し、ヨハネ黙示録と形式的類似を示す。
 以上のように、本書は新約文書を明確な正典として引用する段階には至っていない。しかし福音書伝承や書簡と多くの共通点をもち、新約正典が固定化される以前の教会における伝承受容の状況を示すと判断される。
 

2. 総合

2.1. 使徒教父文書の成立年代と四福音書受容のスペクトラム進行

 本章では、使徒教父文書において四福音書およびイエス伝承がどのように受容されているのかを、引用形式・語彙的一致・構造的対応・共通伝承という観点から検討した。その結果、これらの文書群は、新約正典成立以前における福音書受容の過程を段階的に示す資料であることが明らかとなる。すなわち、使徒教父文書は、福音書が主の言葉の伝承として徐々に権威化していく過程を反映している。
 まず、1世紀末に位置づけられる文書であるディダケー、第一クレメンスでは(成立年代特定の困難は上述の通りだが)、イエスの言葉伝承は確かに重要な権威として参照されているが、それが特定の「福音書」という書物として明確に意識されている形跡は乏しい。『ディダケー』において用いられるεὐαγγέλιονも、書名としての「福音書」ではなく、主によって伝えられた規範的教えの総体を意味する語として理解するのが妥当である。また第一クレメンス書では、イエス語録は引用されるものの、その多くは共観福音書本文とは逐語的に一致せず、独立した伝承形態を保持している。他方で、同書においてはパウロ書簡が明確な権威的文書として言及されており、1世紀末の段階では、パウロ書簡集成の方が福音書よりも先に文書的権威を確立しつつあった可能性が示唆される。
 次に、2世紀初頭の文書であるイグナティオス書簡、ポリュカルポスの手紙においては、共観福音書、とりわけマタイ福音書に近い表現が散見されるようになる。もっとも、これらの用例も明確な逐語引用というよりは、教会内で共有されていたイエス伝承の反映と理解される場合が多い。すなわち、この段階では福音書本文が既に存在し流通していた可能性は高いものの、それが「権威ある書」として明示的に引用される段階にはまだ至っていない。
 さらに、2世紀前半から中葉の文書である第二クレメンス書、パピアスの断片になると、状況はやや変化する。第二クレメンス書では、イエスの言葉が「γραφή(聖書)」という語を用いて引用される例が現れ、イエス語録が旧約聖書と類似した権威的形式で扱われていることが確認される。またパピアスの証言は、マルコおよびマタイの成立事情に関する伝承を伝えており、この時期までには福音書が特定の著者名と結びついた文書として認識され始めていた可能性を示している。
 その後、2世紀中葉以降の文書の『ポリュカルポスの殉教』『ヘルマスの牧者』などでは、福音書の逐語的引用は依然として限定的であるものの、受難叙述や倫理的教訓の構造において福音書的枠組みが強く反映されている。すなわち、福音書伝承は教会的記憶の中に深く組み込まれ、殉教神学や倫理教訓の基盤として機能していることが確認される。
 以上を総合すると、使徒教父文書における福音書受容は、次のような歴史的スペクトラムとして理解することができる。
1. 伝承段階(1世紀末)
 イエスの言葉は権威を有するが、文書化された福音書への明確な依存は見られない。
2. 共有伝承段階(2世紀初頭)
 共観福音書に近い語句や思想が広く共有されるが、直接引用は稀である。
3. 文書認識段階(2世紀前半)
 福音書が特定の著者名と結びついた文書として認識され始める。
4. 権威化進行段階(2世紀中葉)
 イエス語録が「聖書」と同様の形式で引用され、教会的権威を帯び始める。
 このように、使徒教父文書は、四福音書が成立してから直ちに正典的権威を獲得したのではなく、イエス伝承の権威 → 文書化された伝承の共有 → 福音書文書の認識 → 正典的権威化という漸進的過程を経て受容されていったことを示している。
 したがって、使徒教父文書は単に新約聖書成立後の周辺文献ではなく、むしろ福音書伝承が教会においてどのように理解され、使用され、権威化していったのかを示す中間的証言資料として重要な意味をもつ。四福音書が後に形成される新約正典の中心を占めるに至る過程を理解する上で、これらの文書群は不可欠の歴史的証拠である。
 

3. 使徒教父文書と四福音書受容の地域的相違

1 問題設定
 初期キリスト教における福音書の受容は、単純に年代順に進行したのではなく、各地域の教会的・神学的状況に応じて多様な形で展開したと考えられる。すなわち福音書は、地域ごとの伝承状況の中で徐々に受容されていったのである。
 本節では、これらの文書を成立地域と成立年代の観点から整理し、福音書伝承の受容がどのような地域的特徴を示しているかを検討する。
2 シリア圏における福音書受容
 シリア地域に由来すると考えられる文書としては、主にディダケーと、イグナティオスの手紙が挙げられる。
 ディダケーは一世紀末から二世紀初頭頃に成立したと考えられる教会規範文書であり、その倫理的教訓や教会秩序の規定には、特にマタイ福音書に類似する表現が多く見られる。例えば「主の祈り」や断食・施し・祈りに関する教えなどは、マタイ福音書六章の教訓と顕著な対応を示している。
 同様に、イグナティオスの手紙にもマタイ福音書に近い語句や思想が見られる。さらに彼の書簡には、イエスの受肉や神性を強調する表現が現れ、これらはしばしばヨハネ福音書の神学と比較される。
 このような資料から判断すると、シリア圏では比較的早い段階からマタイ福音書が広く用いられていた可能性が高い。マタイ福音書が律法解釈、倫理教訓、教会秩序などの要素を豊富に含んでいることは、ユダヤ的背景を強く保持するシリアの教会環境とよく適合していたと考えられる。

3 小アジアにおける福音書受容

 小アジア地域では、福音書伝承の状況はより複雑である。この地域の主要資料としては、パピアスの断片およびポリュカルポスの手紙がある。
 パピアスの断片は、後にカエサリアのエウセビオスによって引用されており、そこにはマルコ福音書およびマタイ福音書に関する有名な証言が含まれている。
 この証言は、二世紀初頭の段階でマルコ福音書とマタイ福音書が明確に認識されていたことを示している。また、この地域は伝統的にヨハネ文書の成立地と関連づけられることが多く、ヨハネ福音書の伝承も比較的早くから存在していた可能性がある。
 したがって、小アジア地域では複数の福音書伝承が並行して伝えられていたと考えられる。

4 ローマ教会における福音書受容

 ローマの教会に関係する文書としては、第一クレメンス、第2クレメンス、 ヘルマスの牧者がある。
 第一クレメンス書簡(紀元96年頃)は、旧約聖書やパウロ書簡を頻繁に引用しているが、四福音書からの明確な引用は確認されない。しかしながら、イエスの語録に類似する表現がいくつか見られることから、共観福音書に近い伝承が知られていた可能性は高い。
 2世紀に入ると状況はやや変化する。第二クレメンスにはイエスの語録が「聖書(γραφή)」として引用される箇所があり、ここでは福音書的伝承がすでに権威ある言葉として扱われ始めていることが示唆される。
 また『ヘルマスの牧者』には四福音書の明確な引用は見られないが、倫理教訓や悔い改めの主題には共観福音書と共通する伝承が反映されていると考えられる。
 これらの資料から判断すると、ローマ教会では福音書文書の明確な引用は比較的遅れて現れる。むしろこの地域では、パウロ書簡が早くから権威ある文書として受容されていた可能性が指摘される。

5 地域的相違の意義

 以上の資料を総合すると、初期教会における福音書受容には明確な地域差が存在していたことが明らかになる。
 まず、シリア地域ではマタイ福音書が比較的早くから広く利用されていた可能性が高い。これに対し、小アジアではマルコ福音書やマタイ福音書、さらにヨハネ伝承など、複数の福音書伝統が並存していたと考えられる。一方、ローマではイエス伝承自体は知られていたものの、福音書文書の明確な引用は比較的遅れて現れる。
 このような状況は、四福音書が最初から一つの固定されたコレクションとして存在していたわけではないことを示している。むしろ二世紀初頭までの教会では、福音書は地域ごとの伝承ネットワークの中で徐々に広がり、後に統合されていったと考えられる。

6 結論

 使徒教父文書の証言を検討すると、福音書受容の過程は単純な年代的進展ではなく、地域的要因によって大きく影響されていたことが明らかになる。
 シリア圏ではマタイ福音書が早期に受容され、小アジアでは複数の福音書伝承が並存し、ローマではイエス伝承が存在しながらも福音書文書の明確な引用は比較的遅れて現れる。このような地域的多様性は、福音書が二世紀後半に至ってようやく教会全体で共有される正典的コレクションへと発展していく過程を理解するうえで重要な手がかりとなる。


[1] Michael W Holmes, ed., The Apostolic Fathers: Greek Texts and English Translations, 3rd ed. (Grand Rapids, MI: Baker Academic), 2007.
[2] 荒井献編, 『使徒教父文書』(講談社学芸文庫、東京: 講談社), 1998年.
[3] 荒井献編, 『使徒教父文書』, 9.
[4] Andreas Lindemann, and Henning Paulsen, eds. Die apostolischen Väter: Griechisch-deutsche Parallelausgabe auf der Grundlage der Ausgaben von Franz Xaver Funk/Karl Bihlmeyer und Molly Whittaker. Mit Übersetzungen von M. Dibelius und D.-A. Koch. Neu übersetzt und herausgegeben von Andreas Lindemann und Henning Paulsen. Tübingen: J. C. B. Mohr (Paul Siebeck), 1992, 1.
[5] Holmes, The Apostolic Fathers, 337-338. 「紀元100年前後」。Lindemann, Die Apostolischen Väter, 1-2. 「1世紀末から2世紀初頭」
[6] W. レベル, 『新約外典・使徒教父文書概説』(筒井賢治訳, 東京: 教文館、2001, 360. 「著者は伝承素材を組み合わせたのだという通説には、疑いをはさむ余地がない。」
[7] Edouard Massaux, Influence de l'Evangile de saint Matthieu sur la littérature chrétienne avant saint Irénée. Bibliotheca Ephemeridum theologicarum Lovaniensium 75 (Leuven: Leuven University Press, 1986), 639-641. 「もし『ディダケー』の著者が共観福音書のいずれか一つから着想を得たとするならば、我々はマタイのテキストを優先する。」
John S. Kloppenborg, “The Use of the Synoptics or Q in Did. 1:3b-2:1,” in Matthew and the Didache ——Two Documents from the Same Jewish—ChristianMilieu?, ed. Huub van Sandt (Assen : Royal Van Gorcum, 2005) , 105-129. マタイがディダケーに依存しているという逆パターンの仮説を提唱する研究者は次のとおり。Alan J. P. Garrow, The Gospel of Matthew's dependence on the Didache, Journal for the New Testament Supplement Series 254, (London: T&T Clark International, 2004), 244-245. Garrowは、従来の後期成立説を否定し、マタイ福音書が『ディダケー』を主要な資料として直接利用したという「ディダケー依存説」を提唱している。
[8] Clayton N Jefford, “The Milieu of Matthew, the Didache, and Igunatius of antioch: Agreements and Differences.” in Matthew and the Didache ——Two Documents from the Same Jewish—Christian Milieu?, ed. Huub van Sandt (Assen : Royal Van Gorcum, 2005) , 35-47.
[9] Van de Sandt, Huub, ed., Matthew and the Didache.Two Documents from the Same Jewish-Christian Milieu?, (Assen/Minneapolis: Fortress, 2005). Van de Sandt, Huub and Jürgen Zangenberg, eds., Matthew, James, and Didache Three Related Documents in Their Jewish and Christian Settings, SBL Symposium Series 45. Atlanta: SBL Press, 2008.
[10] Holmes, The Apostolic Fathers, 338-339. 佐竹明「『十二使徒の教訓』解説」, 荒井献編, 『使徒教父文書』(講談社学芸文庫、東京: 講談社), 1998年), 456-457.
[11] 研究史については、次の論稿でまとめられている。澤村雅史「ディダケーにおける『福音』に関する予備的考察」『広島女学院大学人文学部紀要 2022』.
[12] Helmut Köster, Ancient Christian Gospels: Their History and Development (Harrisburg, PA: Trinity Press International, 1990), 16-17. ディダケー8:2のそれは書かれたドキュメントではないとし、11:3; 15:3は文書を指すとするが、マタイ福音書からの引用とすることについては消極的。
[13] クレメンスは『ストロマテイス』(Στρωματεῖς)II巻およびV巻において、「バルナバが言う(ὁ Βαρνάβας λέγει)」という形で本書を引用している。Stromata II.6, 15; V.10. 英語翻訳は、"New Advent" (https://www.newadvent.org/fathers/)に拠った。
[14] タイセン, 『新約聖書』, 260.
[15] 青野太潮, 「新約聖書正典成立史」, 449-450.
[16] 「同じ治世の第十二年に、アネンクレトゥスがローマ教会の監督として十二年間その職にあった後、クレメンスがその後を継いだ。使徒パウロは、フィリピ人への手紙の中で、このクレメンスが自分の協力者であったことを伝えている。彼の言葉は次のとおりである。」
[17] Holmes, Apostolic Fathers, 34–35.
[18] Holmes, Apostolic Fathers, 36.
[19] "Secunda quae sub nomine eius fertur, ab omnibus repudiatur."(「彼の名で伝えられている第二の手紙は、すべての人によって退けられている」)
[20] 青野太潮「新約聖書正典成立史」, 449.
[21] Holmes, The Apostlic Fathers, 167.
[22] 青野太潮, 「新約聖書正典成立史」, 451.
[23] Lindemann / Paulsen, Die Apostolischen Väter, 258.
[24] 佐竹明, 「『パピアスの断片』解説」, 476. 口伝への強い関心を示す点から、Lindemann Paulsen は、おおよそ110年頃とする Körtner の説を紹介しているLindemann / Paulsen, Die Apostolischen Väter, 286.
[25] Lindemann / Paulsen, Die Apostolischen Väter, 286. 佐竹明, 「『ディオグネートスへの手紙』解説」, 477.
[26] 佐竹明, 「『ディオグネートスへの手紙』解説」, 478.
[27] レベル, 『新約外典・使徒教父文書概説』, 352-353.

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