ラベル 新約聖書学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 新約聖書学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年2月11日水曜日

【小論】マルコ福音書における女性たち

【小論】マルコ福音書における女性たち

1. マルコ福音書に登場する女性の総数と実名性

 マルコ福音書において言及されている女性は、合計で15名に及ぶ。筆者は、イエスの母マリアと「小ヤコブとヨセの母マリア」とを同一人物と考えるが、本稿では差し当たり別個の人物として数える。  この15名のうち、実名が明示されている女性は以下の5名である。

  • イエスの母マリア
  • ヘロディア
  • マグダラのマリア
  • 小ヤコブとヨセの母マリア
  • サロメ

 このことから、マルコ福音書における女性表象は、大多数が匿名のまま描かれているという特徴を有していると言える。匿名性は、女性たちを個人史的存在としてよりも、物語機能的・神学的役割を担う存在として前景化する効果をもたらしている。


2. 「仕える」女性――ディアコニアのモチーフ

 マルコ福音書において、「仕える(διακονεῖν)」という行為を実際に行っている人物として明示的に描かれているのは、シモンの姑と、ガリラヤから従ってきた婦人たちである。  シモンの姑は、癒やしの直後に「彼らに仕えた」と記されており(1:31)、これはイエスの活動開始直後における最初のディアコニアの実践である。一方、十字架記事において言及される婦人たちは、「イエスがガリラヤにいた時に従い、仕えていた」と回顧的に描写される(15:40–41)。  Witherington が指摘するように、これらの婦人たちは単なる観察者ではなく、弟子集団の周縁に位置するもう一つの弟子層として理解されるべき存在である1


3. イエスの母マリアと「真の家族」主題

 マルコ福音書におけるイエスの母マリアへの明瞭な言及は、主として二箇所に限られている。第一は、イエスの身内が彼を取り押さえに来た文脈を引き継ぎつつ、「真の家族」が再定義される場面(3:31–33)であり、第二は、イエスが故郷に帰った際の言及(6:3)である。  特に3章31–35節では、母および兄弟たちが外に立つ一方で、イエスは「神の御心を行う者」こそが自らの家族であると宣言する。この文脈において、マリアは血縁関係のある特権的存在としてではなく、再定義される家族概念の中に位置づけられる存在として描かれている。  なお、イエスの故郷がナザレであることは、すでに1章9節および1章24節において特定されている。


4. マルコ福音書に登場する女性の一覧

 以下に、マルコ福音書で言及される女性を登場順に整理する。

  1. シモンの姑(1:29, 31)
  2. イエスの母マリア(3:31–32; 6:3)
  3. ヤイロの娘(5:23, 35, 41–43)
  4. 長血を患う女性(5:25–34)
  5. イエスの姉妹たち(6:3)
  6. ヘロディア(6:17, 19, 24, 28)
  7. ヘロディアの娘(6:22–28)
  8. シリア・フェニキアの女性(7:25–30)
  9. 「やもめの献金」の女性(12:42–44)
  10. 香油を注いだベタニアの女性(14:3–9)
  11. 大祭司の邸宅にいた女中(14:66, 69)
  12. 十字架のもとに立つ婦人たち(15:40–41)
  13. マグダラのマリア(15:40, 47; 16:1[9])
  14. 小ヤコブとヨセの母マリア(15:40, 47; 16:1)
  15. サロメ(15:40; 16:1)

5. まとめ

 マルコ福音書における女性たちは、物語の周縁に置かれながらも、癒やし、信仰告白、奉仕、証言、そして受難と復活の場面において決定的な役割を果たしている。とりわけ、男性弟子たちが沈黙や逃亡によって描かれるのに対し、婦人たちは「従い」「仕え」「見届ける」存在として一貫して描写されている点は注目に値する。  このことは、マルコ福音書が描く弟子像が、十二弟子の枠に限定されない、多層的構造を有していることを示唆している。


脚注

1:  Ben Witherington III, The Gospel of Mark: A Socio-Rhetorical Commentary, William B. Eerdmans Publishing Company, 2001, p.442.

2026年2月6日金曜日

【解説】『ユダ福音書』(『ユダの福音書』)とその悲惨な末路 ーイエスはイスカリオテのユダの裏切りを評価した?

『ユダ福音書』(『ユダの福音書』)概説

要約

 『ユダ福音書』は、1970年代に発見された通称「チャコス写本」に含まれる福音書の一つであり、グノーシス主義的キリスト教の一派によって著された文書である。本書は、正典福音書においてイエスを裏切った人物として描かれるユダの行為を、イエス自身によって肯定的に評価するという、特異なキリスト理解を提示している。反異端文献における言及から、遅くとも2世紀後半までには成立していたと考えられる。

本文

 『ユダ福音書』は、1970年代にエジプトで発見された「チャコス写本」に含まれる文書群の一つであり、グノーシス主義的思想を背景とするキリスト教文書である。本書は、グノーシス主義に特徴的な二元論的世界観に基づき、イエスを死へと引き渡したユダの行為を、救済史的観点から積極的に評価するという内容を含む。2006年にナショナルジオグラフィック協会の主導により本文が公開されたことで、一般社会においても大きな注目を集めた。

1.「チャコス写本」に含まれる文書群

 チャコス写本には、以下の四文書が収められている。
  1. 『フィリポに送ったペトロの手紙』
      ナグ・ハマディ文書に含まれる同名文書とほぼ同一内容。
  2. 『ヤコブ』
      ナグ・ハマディ文書の『ヤコブの黙示録』とほぼ一致する。
  3. 『ユダ福音書』
  4. 『アロゲネース』
 これらはいずれも、グノーシス主義的思想の影響を強く受けた文書であり、チャコス写本全体が、特定のグノーシス主義的キリスト教集団によって編纂・伝承された可能性が高い。

2.グノーシス主義的思想と『ユダ福音書』

 『ユダ福音書』の神学的前提には、典型的なグノーシス主義的二元論が認められる。すなわち、「肉体=悪」「霊=善」という対立構図であり、肉体は「魂の牢獄」、死はそこからの「解放」と理解される。
 この世界観においては、至高神とは別に、被造世界を形成した創造神デミウルゴスが想定される。デミウルゴスは人間を創造するが、人間にはソフィア(知恵)を媒介として至高神から霊的要素が与えられている。一方、肉体はその霊を閉じ込める拘束として理解される。したがって、人間の救済とは、霊が肉体的束縛から解放されることに他ならない。
 この神学的枠組みに基づき、『ユダ福音書』は、ユダによるイエスの引き渡しを、単なる裏切りではなく、イエスの霊を肉体の拘束から解放する決定的行為として肯定的に評価する。ここに、本書が提示する独自のキリスト理解が集約されている。

3.反異端文書における『ユダ福音書』の証言

3.1 エイレナイオスの証言

 『ユダ福音書』に関する最も重要な古代証言は、リヨンの司教エイレナイオスによる『不当にもそう呼ばれている「グノーシス」の罪状立証とその反駁』(通称『異端駁論』)に見出される。彼は次のように述べている。
「さらに他の人々は、カインが上なる権威に由来すると言い、…このことを裏切り者ユダもよく知っていたと主張する。彼のみが真理を知っていたため、裏切りの秘儀を成就したのであり、彼によって天上のものと地上のものが解消されたという。彼らはこの種の虚構を作り上げ、それを『ユダの福音書』と呼んでいる。」(『異端駁論』1.31.1)
 エイレナイオスが言及する『ユダの福音書』と、現存する『ユダ福音書』との間には相違点も指摘されているが、文書名の逐語的一致と思想的共通性を考慮すれば、両者を同一文書、もしくは密接に関連する伝承とみなす可能性は高い。

3.2 「カイン派」に関する他の証言

 エイレナイオスの記述を踏まえ、このグノーシス主義的集団を「カイン派」と呼ぶ反異端論者として、以下の人物が知られている。
  • テオドレトス『異端者たちの作り話要綱』(1.15)
  • 偽テルトゥリアヌス『全異端反駁』(2.5–6)
  • エピファニオス『薬籠(パナリオン)』(38.1.15)

4.成立年代

 『異端駁論』の成立年代が約180年とされることから、これが『ユダ福音書』成立の下限となる。一方、本書は『使徒言行録』1:15–26に記される補欠選挙の記事を前提としていると考えられるため、『使徒言行録』成立後、すなわち90年代以降が上限と見なされる。
 また、チャコス写本自体については、放射性炭素年代測定により、西暦280年±60年と推定されており、この結果はコプト語書体や装丁の年代判断とも概ね一致している。

5.発見から公開までの経緯

(※以下、史実整理として簡潔化)
 1970年代、エジプト中部ミニヤー県において、『ユダ福音書』を含む写本が発見された(盗掘の可能性が高い)。その後、古美術市場を転々とし、長期間不適切な保管状態に置かれたことで深刻な劣化を被った。1999年以降、フリーダー・チャコスの関与を経て、スイスのマエケナス古美術財団に引き渡され、保存・修復作業が開始された。2006年、ナショナルジオグラフィック協会の支援により、コプト語原文と英訳が公開され、その後、学術的公刊に至った。

 5.発見、公開に至るまでの経緯
1970年代 エジプト中部ミニヤー県にて、『ユダ福音書』(または『ユダの福音書』)を含む写本が発見される。恐らく盗掘による。
1980年 カイロの古美術商に売却されるが、盗難により紛失。
1982年 カイロの古美術商、ジュネーブにて写本を取り返す。
1983年 カイロの古美術商、大学研究者に300万ドルでの売却を持ちかける。交渉は決裂。
1984年 カイロの古美術商、写本をニューヨークのシティバンク貸金庫に16年間に渡り保管し、写本は劣化。
1999年 古美術商フリーダー・チャコス、カイロの古美術商より300万ドルで写本を購入。エール大学に調査を依頼。『ユダ福音書』と判明。
2000年 アメリカの古美術商ブルース・フェリーニ、写本を購入。一部を売却。残りを冷凍保存。
2001年 フェリーニ、代金支払いができず、チャコスに返却。チャコスにより、マエケナス古美術財団(スイス)に引き渡される。
2006年4月 ナショナルジオグラフィック協会の援助によりコプト語本文と英訳、インターネットで公開。その後公刊。
2006年6月 公刊本の邦訳『原典 ユダ福音書』(R. カッセル、M. マイヤー、G. ウルスト、B. D. アーマン編著)、日経ナショナルジオグラフィック社、2006年)発刊。

参考文献

  • R. カッセル/M. マイヤー/G. ウルスト/B. D. アーマン編著
     『原典 ユダ福音書』、日経ナショナルジオグラフィック社、2006年。
  • 荒井献
     『ユダとは誰か——原始キリスト教と『ユダの福音書』の中のユダ』、講談社学術文庫、講談社、2015年。

【解説】テサロニケの信徒への手紙二 緒論

【解説】テサロニケの信徒への手紙二 緒論


 本書簡(以下、2テサロニケ書)の中心的関心は、キリストの再臨(主の日)をめぐる誤解の是正と、それに付随する信徒の生活規範の再確認にある。2:2において示されているように、本書簡は、「霊」や「言葉」、あるいは使徒たちに由来すると称される書簡を根拠として、主の日がすでに到来したと主張する言説に対し、共同体が動揺し混乱することを戒めている。この再臨理解の混乱は、単なる神学的誤認にとどまらず、労働の放棄や無秩序な生活態度と結びついていたと見られ、本書簡はそうした実践的問題に対しても厳しい規律を提示している(3:6)。

1.執筆者・真筆性の問題

 2テサロニケ書の著者について、書簡冒頭の挨拶(1:1)に基づき、伝統的には使徒パウロの名が帰されてきた。しかし現代の新約学においては、パウロ自身による著作であるとする見解は必ずしも支配的ではなく、本書を擬似パウロ書簡(Deutero-Pauline Epistle)と位置づける立場が有力である。
 その主な理由として、第一に、本書簡の主題・語彙・構成が第1テサロニケ書と顕著に重複している点が挙げられる。この重複は、同一著者による連続的執筆を示すというよりも、むしろ後続文書が先行書簡を参照・模倣している可能性を示唆する。
 第二に、終末理解の相違である。第1テサロニケ書が終末の切迫性を強調し、「時と機会」についての言及を回避しているのに対し(1テサロニケ5:1–2)、2テサロニケ書では、再臨以前に生起する出来事が比較的体系的に叙述されている(2:3–12)。このような段階的・プログラム的終末論は、真正パウロ書簡に特徴的な終末理解とは一定の緊張関係を形成している。
 第三に、終末における義人と不法な者の峻別、ならびに後者に対する報復的審判の強調(1:5以下)は、パウロ自身の神学というよりも、パウロ以後の教会的文脈において発展した思想と親和的であると指摘されている。
 第四に、本書簡は第1テサロニケ書に比して、具体的な人物描写や状況設定に乏しく、抽象化された共同体像を前提としている点でも差異を示す。
 もっとも、これらの論点はいずれも決定的証拠ではなく、個別には反論も提示されている。そのため、本書を非パウロ的著作であると断定することは慎重であるべきだが、少なくとも真正パウロ書簡から区別して扱う必要性は、現在の研究状況に照らして十分に認められる。

2.成立年代

 著者をパウロとみなす立場では、2テサロニケ書の成立は第1テサロニケ書の執筆直後、すなわち50年代初頭から中葉に位置づけられるのが一般的である。
 これに対し、擬似パウロ書簡と理解する立場では、成立年代について複数の可能性が提示されている。とりわけ2:4における「神殿」に関する言及は、エルサレム神殿崩壊以前の状況を反映していると解されることが多く、この場合、60年代中葉が想定される。一方で、使徒教父ポリュカルポスによる本書簡の使用を重視する研究では、2世紀初頭に成立したとする後代説も提唱されている。

3.構成

 本書簡の構成は以下の通りである。
1:1–2  挨拶
1:3–12  再臨と報復的審判の神学
2:1–12  終末的混乱と「不法な者」への警告
2:13–17 救いに選ばれた共同体への勧告
3:1–5  使徒団のための執り成しの要請
3:6–15  無秩序な生活に対する規律
3:16–18 結語

2026年2月4日水曜日

【解説】ガリラヤ

【解説】ガリラヤ

 ガリラヤという地名は、「ゲリル=アル=ゴイム(Gelil ha-Goyim)」、すなわち「異邦人の地区/異邦人の輪」を意味する呼称に由来する(イザ8:23[MT 9:1])。この名称が示す通り、ガリラヤは古くからユダヤ人と異邦人が混在して居住する地域であり、民族的・宗教的に均質な空間ではなかった。

 前2世紀のマカバイ時代、ハスモン朝による軍事的拡張とともに、ガリラヤは支配下に組み込まれ、住民に対するユダヤ教化政策が進められた。これにより、制度的にはユダヤ社会の一部として再編成され、以後この地域は単に「ガリラヤ」と呼ばれるようになる。しかしながら、この政治的・宗教的統合にもかかわらず、ガリラヤはエルサレムおよびユダヤ地方から見て、依然として周縁的な位置に置かれていた。

 そのため、ユダヤ社会内部、とりわけエルサレムを中心とする宗教的・文化的エリート層からは、ガリラヤの人々はしばしば「田舎者」あるいは「辺境の人々」として軽蔑的に評価された。このような認識の背景には、宗教的中心地からの地理的距離に加え、生活様式や文化的慣習の相違があったと考えられる。

 宗教的観点から見ると、ガリラヤの住民は、エルサレム基準の律法理解、特にパリサイ派的な厳格な律法遵守からは一定の距離を置いていると見なされていた。必ずしも律法に無関心であったわけではないが、その実践は中央の基準から見て緩慢である、という評価が広く共有されていたと推測される。

 このような社会史的・宗教史的文脈から、新約聖書においてイエスの活動拠点がガリラヤに置かれていることは、宗教的・文化的中心から距離をもつこの周縁的地域を、神の国の宣教が開始される場として描くことによって、救済が中心から周縁へと一方的に流れるのではなく、むしろ周縁から中心を問い返す運動として展開されることを示唆している。

2026年2月3日火曜日

【小論】イエスの旅程「ガリラヤ → エルサレム」構図の共観福音書比較――空間移動としての物語構造と神学的差異

イエスの旅程「ガリラヤ → エルサレム」構図の共観福音書比較――空間移動としての物語構造と神学的差異


 共観福音書はいずれも、イエスの活動を「ガリラヤからエルサレムへ」という地理的移動として構成している。しかし、この構図は単なる行程記述ではなく、各福音書の神学的意図を反映した物語的・象徴的枠組みとして機能している。本節では、マルコ・マタイ・ルカの三福音書を比較しつつ、その差異を明らかにする。

1. マルコ福音書

 マルコ福音書において、ガリラヤはイエスの宣教活動と弟子育成の場である(マルコ1:14以下)。癒やしと教えが集中的に語られる一方で、弟子たちの無理解もこの地で繰り返し強調される。マルコにおける決定的転換点はマルコ8:27–30(ペテロの告白)であり、これ以降、物語は一転してエルサレム上り(ἀναβαίνειν)として再編成される(マルコ8:31以下)。

 エルサレムは、神殿批判(11章)と受難物語が集中する場所であり、イエスが拒絶され、殺される場として描かれる。マルコにおいては、ガリラヤ=宣教と可能性の場/エルサレム=拒絶と十字架の場という鋭い対比が支配的である。他方、復活告知において「ガリラヤで会う」という約束(16:7)が与えられる点は、救済の原点が再び周縁へと回帰することを示唆している。

2. マタイ福音書

 マタイは、基本的にマルコの構図を踏襲しつつ、これを成就引用によって神学的に再解釈する。ガリラヤ宣教は、イザヤ預言の成就として位置づけられ(4:15–16)、イエスの活動が最初から神の救済計画に置かれていることが強調される。  エルサレムにおいては、マルコ以上に指導者層との論争が前景化され(21–23章)、イスラエル全体の代表としての宗教エリートの責任が問われる。復活後、弟子たちは再びガリラヤに集められ(28:16)、そこから「すべての民」への宣教命令が与えられる。この構成によりマタイは、ガリラヤ=宣教の起点としての意味を強く打ち出している。

3. ルカ福音書

 ルカにおいて最も特徴的なのは、「旅の物語」(9:51–19:27)である。9:51において、イエスは「エルサレムに向かって顔を堅く向けた」と描写され、以後の長大な区間が意図的な上京行程として構成される。  ルカにとってエルサレムは、単なる受難の場ではなく、救済史の中心点である。復活と昇天はエルサレムで完結し(24章)、さらに使徒言行録において、エルサレムから地の果てへと福音が拡張していく。このためルカでは、マルコやマタイのような「ガリラヤへの回帰」は強調されず、むしろエルサレム中心主義が明確に打ち出されている。

4. 比較と総括

以上の比較から、三福音書は共通して「ガリラヤ→エルサレム」という構図を共有しつつも、その神学的意味づけは異なっている。

  • マルコ:周縁から中心へ向かうが、中心で拒絶され、再び周縁が再起の場として位置づけられる。
  • マタイ:周縁から始まった救済が、最終的に宣教へと開かれる起点としてガリラヤが再定位される
  • ルカ:ガリラヤから始まった運動が、エルサレムで完成し、そこから世界へ展開される

 このように、「ガリラヤ→エルサレム」という空間的移動は、共観福音書において単なる舞台転換ではなく、それぞれの福音書が描く救済史理解を体現する物語構造として機能している。

【小論】パウロは未婚の独身者か、それとも離婚経験者か

【小論】パウロは未婚の独身者か、それとも離婚経験者か


1.問題の所在

 パウロはその宣教活動の最盛期において独身であったことが、真正パウロ書簡の証言からほぼ確実視されている。しかしながら、彼が生涯未婚であったのか、それともかつて結婚しており、離婚あるいは別居の結果として独身状態にあったのかについては、いずれの文書においても明示的な言及が存在しない。本稿は、真正パウロ書簡の関連箇所を検討することによって、この問題について到達可能な推論の範囲を明確化することを目的とする。


2.真正書簡における独身状態の確認

 まず確認すべきは、パウロが少なくともコリントの信徒への手紙一執筆時点において独身であったという点である。1コリント7:7において、パウロは次のように述べている。

「わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。」(1コリント7:7)

 ここで「わたしのように独りでいて」と訳されている表現は、原文では καθὼς καὶ ἐμαυτόν(「私自身のように」)とあり、文法的には独身を直接指示する語(ἀγάμος)は用いられていない。しかし、1コリント7章全体が結婚・離縁・独身を主題として構成されていること、さらに直後の7:8において「未婚者(ἀγάμοι)と寡婦」に対し自らの立場を事実上重ね合わせていることから、ここで言及されている自己言及は配偶者を持たない状態を意味すると解するのが妥当である。  また、1コリント9:5では次のように述べられる。

「わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。」(1コリント9:5)

 この箇所は一見すると、パウロ自身も妻帯者であるかのような印象を与えるが、ここで語られているのは「信者である妻を伴って巡回する権利(ἐξουσία)」の有無であり、その権利を実際に行使しているか否かについては言及されていない。したがって、本節はパウロが現に妻を有していたことを積極的に証明するものではない。  以上の2箇所を総合すると、コリント書簡執筆時点においてパウロが独身であったこと自体は確実である。


3.未婚の独身者であった可能性

 パウロが生涯未婚であった可能性は、第一世紀ユダヤ社会の婚姻慣行を考慮するならば、必ずしも排除されるものではない。確かに後代のラビ文献においては、成人男性の結婚はほぼ義務的に語られることが多いが、これをそのまま第一世紀に遡及させることには慎重であるべきである。  ユダヤ伝承には、男子は18歳以降に結婚可能であるとする規範が存在する一方、家業や経済的基盤が整ってから初めて結婚すべきであるとする考えも併存していた。そのため、特にディアスポラ環境において教育を受け、移動性の高い生活を送っていた者が未婚のまま成人期を過ごしたとしても、不自然とは言い切れない。従って、パウロが回心以前から未婚であった可能性は、社会史的観点から十分に成立しうる。


4.離婚経験者であった可能性

 他方、パウロがかつて結婚していた可能性についても検討する必要がある。パウロ自身が「ファリサイ派の中のファリサイ派」(フィリ3:5)と自己規定していることから、仮に結婚していたとすれば、その相手はユダヤ人女性であったと考えるのが自然である。  1コリント7:12–13において、パウロは、非キリスト教徒の配偶者が婚姻継続を望む場合には、信者側から離縁すべきではないと明確に述べている。この原則に照らすならば、ユダヤ人であった妻が婚姻継続を望んでいたにもかかわらず、パウロが一方的に離縁したと想定することは困難である。  しかしながら、同章15節では、信者でない配偶者が自発的に離れていく場合について、次のように述べられている。

「しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません。」(1コリント7:15)

 この規定は、双方合意、あるいは少なくとも相手側の主導による離別を想定しており、理論上は、パウロ自身の過去の経験と整合的に理解される余地を残している。ただし、この箇所を直接的にパウロ自身の婚姻履歴に適用することは、なお推測の域を出ない。


5.別居(事実上の離婚)という可能性

 さらに一つの補助的仮説として、法的離婚には至らないまま、別居状態にあった可能性を想定することも理論上は可能である。この仮説は、1コリント9:5において、パウロが自らを含む「わたしたち」が妻帯者と同列に「権利」を語っている点と一定の整合性を持つ。  この場合、問題となるのは、1コリント7章で用いられている ἀγάμος(結婚していない者)という語が、厳密に法的婚姻関係の不存在のみを指すのか、それとも宣教実践上の配偶者不在状態まで含みうるのか、という点である。この点については、現在のところ決定的な結論は得られておらず、本仮説も慎重に提示されるべきものである。


6.結論

 以上の考察から導かれる結論は次の通りである。  第1に、パウロが宣教活動期において独身であったことは、真正書簡の証言からほぼ確実である。  第2に、彼が未婚の独身者であったのか、あるいは離婚経験者であったのかを確定することは困難である。  第3に、改宗後、ユダヤ人であった妻との合意的離別、あるいは別居状態に入った結果として独身状態にあったと推測しても、真正書簡の記述と致命的な齟齬は生じない。

2026年1月30日金曜日

「主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像」第8回「宮清めの出来事」

 「主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像」第8回「宮清めの出来事」

(『信徒の友』2018年11月号所収)

 

 今回のエピソードは、エルサレム神殿の境内で商売をしていた人々を、イエスが激しい振る舞いをもって追い散らしたというショッキングな出来事です(マタイ21・12-13、マルコ11・15-19、ルカ19・45-48、ヨハネ2・13-22)。神殿は、神が礼拝される場所であり、祈りが捧げられるところであって、利得を求める場所ではありません。しかし、神聖な場所でさえも、後述のように金が動くところともなれば、自己利益のために知らず知らずのうちに利用してしまうのが、人間の性分というものです。この腐敗を暴き、罪を指摘し、不正を正し、そうして神殿を清めるのは、預言者の使命でありました(参照、イザヤ20・1-6、エレミヤ13・1-11)。今回のイエスの行動は、そうした預言者と重なると言えるでしょう。  当時のエルサレム神殿は、エルサレムに居住する人々の礼拝の場であっただけでなく、遠方に居住するユダヤ人にとっての巡礼地でもありました。ルカ2:41-52には、少年時代のイエスが両親や同郷の人たちと共に、エルサレム神殿を訪れる物語が綴られています。ここには、当時のユダヤ人の典型的な巡礼の様子が描かれていると言えるでしょう。ユダヤ三大祭りとして数えられ、最大の祭事とされていた過越祭ともなれば、普段のエルサレムの人口を優に越える人々が集まり、大いに賑わいを見せたと言われています。その過越祭を目前に控えた時期に、突如として今回の事件が起こりました。  場面設定については、過越祭の直前という点で四福音書の記述は一致しています。ところが、マタイとルカにおいては、イエスがエルサレム入りした(いわゆる「エルサレム入城」)当日のこととして語られている一方で、マルコにおいては、エルサレム入城の翌日という設定になっています(マルコ11・11)。イエスの公生涯の末期に宮清めがある共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)と対照的なのがヨハネで、このエピソードが2章にあることから明らかな通り、イエスの活動期の序盤に配置されています。また、共観福音書ではイエスがエルサレムを訪れるのは基本的に1回のみですが、ヨハネにおいては3度訪れています(ヨハネ2・13、5・1、11・55)。こうした相違の詳細は不明ですが、ひょっとするとヨハネは、共観福音書の記載とは異なるけれども自分が正しいと考えている情報を提供しようとしているのかも知れません。
 「神殿の境内」とは、神殿の敷地内にある「異邦人の庭」と呼ばれている前庭を指します。この領域での商売は禁止されていて不可能だったという主張もありますが、少なくともその外れか一角では、神殿への捧げ物を販売する商人と両替商が陣取って商売をしていたと考えられています(参照、ゼカリヤ書14・21)。巡礼者にとって、神殿に捧げる犠牲の動物を持参することは困難なため、現地でそれを購入することは律法でも奨励されていました(参照、申命記14・24ー26)。「鳩を売る者」(マタイ21・12、マルコ11・15)とは、彼らを相手に犠牲の動物を売る商人を指しています。「鳩」は、規定の捧げ物である小羊等を用意するのが経済的に厳しい人々のために、代わりとして定められている犠牲です(参照、レビ記12・8、ルカ2・24)。こうした背景を受けて、ヨハネは「鳩を売る者」だけではなく、「牛や羊や鳩を売っている者たち」と表記しています(ヨハネ2・14)。また、神殿税として納める金銭として、ユダヤ人にとっては汚れた異教の民の貨幣をもって捧げることは一種のタブーです。そのために、諸外国からやって来ている巡礼者は、外国通貨を両替する必要があったのです。
 イエスが、そこで商売をしていた人々を追い出し始めたという点で、四つの福音書の記述は一致しています。マタイとマルコでは「そこで売り買いしていた人々」と書かれていて、売っていた人たちだけではなく、買っていた人たちをも含んでいます(「そこで売り買いしていた人々」マタイ21・12、マルコ11・15ー19)。なぜ買う側の人たちも追い出されたのかは分かりませんが、巡礼者たちをも標的としたというよりも、商売人たちの追い散らしの巻き添えを食った、ということでしょうか。この疑問点を解消するためなのか、ルカは「そこで商売をしていた人々」(ルカ19・45)と簡略に書くことで、神殿を商売の場所とした商売人の不義を強調しています。 共観福音書には見られないヨハネ2・15の記述は衝撃的です。「イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた」。神殿境内での武器の携行は禁止されていますから、恐らくこの鞭はパフォーマンスのためか、動物を追い散らすためのものでしょう。それでも、事前に黙々と鞭を作っているイエスの姿を想像すると、彼の内面に隠されたマグマのような怒りに触れるような思いがします。
 マルコはさらに、「境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった」(11・16)と書き加えています。この場所は厳密には神聖な場所とはされていない場であったようですが、かといって神殿の境内ですからまったくの世俗の場というわけでもなく、近道をするための前庭の通り抜けは神殿を汚す行為として禁じられていました。それを人々に守らせることは本来、祭司や神殿警備員の務めであって、それをなし崩しにしていることは彼らの責任でもありました。イエスの批判の眼差しは、こういったところに注がれていたのだと想像します。近道すらも許されないことを厳しいと考える方も多いでしょうが、「聖」という概念は、神事を日常の些事から別にすることを意味します。例えば、何かのついでとか、別の目的があるから礼拝に参加すると聞いたとしたら、きっとおかしなことだと思われるでしょう。礼拝はそれ自体が目的であって、他のための手段ではありません。自分の用事を済ませるために神事を利用する人間の厚かましさを、イエスは鋭く見抜いています。共観福音書がほぼ一致して記している次の言葉には、以上のことが集約されています。
「こう書いていある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」
 「祈りの家」の方はイザヤ56・6ー7、「強盗の巣」の方はエレミヤ7・11からの引用です。礼拝の場が人間の利得追求の場とされることで汚されることに対する憤怒を表しています。ヨハネはこの言葉ではなく、次の詩篇69編10節を引用しています。 「弟子たちは『あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす』と書いてあるのを思い出した」(ヨハネ2・17)。  詩篇69編は、イエスの受難を預言する詩篇として受容されてきました。祈りと礼拝の場を思うイエスの熱情を示すと共に、イエスがメシアであることを暗示しています。  物語の結びとして、マルコとルカにおいては、祭司長たちや律法学者たちがイエス殺害を謀りながらも、「群衆」(ルカでは「民衆」)がイエスに行為的であったために手出しできずにいたことが報告されています(マルコ11・18、ルカ19・47ー48)。また、ヨハネの方は、「ユダヤ人」との「神殿」を巡っての論争を記載しています。イエスが次世代の神殿として復活を遂げることで、神殿制度は終わりを告げることが示唆されています。  最後に これはわたしの推測ですが、その場で犠牲の動物や両替をしていた商売人たちもそれほど裕福ではなく、場所代、陣取り、元締め、元締めと金で繋がっている神殿の指導者層、そして、癒着、収賄、汚職等、複雑に絡み合い、腐敗の度合いは頂点に達していたのではないかと思います。イエスの行動に暴力的な要素も含まれ、それがいかなる理由であれ許容されるのかという問題も残されていると思います。ただ、イエスはこういった社会悪に対する憤怒を、信仰に生きようとする人たちのために、あらわされたということは間違いありません。

 主と共に歩む絵画

 今回、紹介する絵画は、レンブラントの『神殿から両替人を追い出すキリスト』です(1626年)。レンブラントと言えば、絵画が経年劣化して変色したために誤って「夜警」と呼称された作品や、『キリスト昇架』の傑作で知られる、オランダ絵画黄金時代の巨匠です。  眉間にしわを寄せ、カッと目を見開き、鞭を振り上げる様子には、底知れぬ怒りが滲み出ています。これとは対照的に、ある者は両手で我が身をかばい、またある者は恐れをなして退散しようとしている商売人たちが描き出されています。




2026年1月28日水曜日

「主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像」『信徒の友』2018年4月ー2019年3月所収【目次】

『信徒の友』2018年4月号-2019年3月号所収

「主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像」全12回

第1回 「イエスの復活」

第2回「イエスの洗礼」

第3回「嵐の中での弟子たち」

第4回「五千人の供食」

第5回「ヤイロの娘とイエスの服に触れた女性」

第6回「エルサレム入城」




説教や聖書研究をする人のための聖書注解 【目次】

 説教や聖書研究をする人のための聖書注解

マタイ福音書

22:15-22

22:23-33

22:34-40

22:41-46「ダビデの子についての問答」

23:1-12「律法学者とファリサイ派の人々を批判する」

23:13-36(① 23:13-14、② 23:15、③23:16-22)

23:13-36(④23:23-24)

23:13-36(⑤23:25-26)

23:13-36(⑥23:27-28)

マタイ23:13-36(⑦マタイ23:29–36)

マタイ23:37-39「エルサレムのために嘆く」

マタイ24:1-2「神殿の崩壊を予告する」

マタイ24:3-14「終末の徴」

マタイ24:15-28「大きな苦難を予告する」

マタイ24:29-31「人の子が来る」

マタイ24:32-35「いちじくの木の教え」

28:1-10「復活する」


マルコ福音書

3:20-30

3:31-35

4:1-9

4:10-12「例えで語る理由」

4:13-20「『蒔かれた種』の例えの説明」

4:21-25「『ともし火』と『秤り』の例え」

4:26-29「『成長する種』の例え」

4:30-32「『からし種』の例え」

マルコ4:33-34

マルコ4:35-41「突風を静める」


ヨハネ福音書

15:26-27


ペトロの手紙二

1:16–21「キリストの栄光、預言の言葉」


説教者聖書注解をする人ための聖書注解 マタイ24:32-35

説教者聖書注解をする人ための聖書注解

マタイ24:32-35「いちじくの木の教え」


2026年1月21日水曜日

説教や聖書注解をする人のための聖書注解 マタイ24:29-31「人の子が来る」

説教や聖書注解をする人のための聖書注解

マタイ24:29-31「人の子が来る」


【小論】「マルコ福音書に対するマタイ福音書の主な修正・改変」

1. マタイ福音書におけるマルコ福音書資料の編集意図と神学的修正——律法理解・イエス像・弟子像を中心に


序論

 マタイ福音書がマルコ福音書を主要資料として用いていることは、資料仮説の枠組みにおいて広く合意されている。しかしながら、マタイはマルコ資料を単純に踏襲するのではなく、叙述の整理、語彙・文体の修正、さらには神学的観点に基づく取捨選択と再構成を通して、自身の福音書を構築している。
 本章は、マルコ福音書に対するマタイの編集操作を詳細に検討することにより、マタイ福音書がいかなる神学的要請のもとでマルコ神学を再解釈し、再構成したのかを明らかにすることを目的とする。とりわけ、律法理解、イエス像、弟子像の三点に注目し、両福音書の神学的方向性の差異を検討する。
 マルコに対するマタイの編集方針は、概ね以下の六点に整理できる。
 1. 記事内容の簡潔化および文体・表現の修正
 2. 旧約引用・成就句の付加によるユダヤ的正統性の強調
 3. ユダヤ教指導者批判の強化
 4. イエス像の修正・補足
 5. 弟子像の修正・補足
 6. 律法理解の修正・補足
  このうち2はマタイ独自の神学的付加を最も端的に示す要素であり、3以下は主にマルコ神学の調整・修正に関わるものである

1. 記事内容の簡潔化および文体や表現の修正(改善、省略、簡略化など)

 マタイは、マルコに特徴的な冗長な描写や感情表現を削減し、叙述を整理する傾向を示す。語彙選択や文法構造の調整を通して、物語の焦点を明確化し、全体として秩序だった叙述を志向している。

1.1. 詳細表現の簡略化

 例えば、マルコ1:32における
「彼らは彼のもとに、悪いところを持つ人々、そして悪霊憑きの全ての人々を運んで来ていた」(ἔφερον πρὸς αὐτὸν πάντας τοὺς κακῶς ἔχοντας καὶ τοὺς δαιμονιζομένους)
という包括的表現は、マタイ8:16では
「彼らは彼のもとに、多くの悪霊憑きの人々を運んで来た」(προσήνεγκαν αὐτῷ δαιμονιζομένους πολλούς)
と簡略化され、叙述の焦点が整理されている。

1.2. 感情表現の簡略化、冗長表現の簡素化

 マルコ4:38における弟子たちの問い

「先生、私たちが滅びても構わないのですか」(Διδάσκαλε, οὐ μέλει σοι ὅτι ἀπολλύμεθα;)
は、マタイ8:25では
「主よ、救ってください」(Κύριε, σῶσον)
という祈願文形式へと転換され、感情的訴えよりも信仰告白的表現が前景化されている。
 同様に、マルコ1:41の「深く憐れんで」という感情描写は、マタイ8:3では削除されている。

1.3. 物語的説明の整理

 マルコに5:8におけるγὰρを伴っての理由説明の挿入は、マタイ8:29では省略され、叙述の流れが単純化されている。また、マルコ5:35–36に見られる会堂長の娘の治癒奇跡における二段階的展開も、マタイ9:23では簡潔に処理されている。他、説明句の削除(マルコ5:23 // マタイ9:18)、場面描写の簡素化(マルコ6:48 // マタイ14:24)などが挙げられる。

1.4. 「εὐθύς」「εὐθέως」の削減

 マルコ福音書において頻出する副詞 εὐθύς/εὐθέως は、神の国の切迫性と即時的応答を強調する重要な語彙である 。しかしマタイは、これらの語を大幅に削減し(マルコ41回に対しマタイ18回)、物語の緊迫性を緩和している。
 例えば、マルコ1:12の
「そしてすぐに霊が彼を追いやった」(καὶ εὐθὺς τὸ πνεῦμα αὐτὸν ἐκβάλλει)
は、マタイ4:1において
「その時、イエスは導かれて」(τότε ὁ Ἰησοῦς ἀνήχθη)
と書き換えられ、即時性よりも秩序だった導きが強調されている。
 その他の例として、マルコ1:10 //マタイ3:16、マルコ1:30 //マタイ8:14などが挙げられる。他方、εὐθύςを保持している箇所としては、例えば弟子たちの召命記事がある(マルコ1:18 // マタイ4:20、マルコ1:20 //マタイ4:22)。

1.5. 供食の記事の削減

 マルコにおける2回の供食の記事(6:30–44, 8:1–10)を、マタイはルカのように1回に削減することなく、双方を保持している(14:13–21, 15:32–39)。しかし、マルコに顕著な弟子の無理解と叱責のモティーフを弱化している 。

2. 旧約引用・成就句の付加によるユダヤ的正統性の強調

 マタイ福音書の最も顕著な特徴の一つは、旧約聖書の引用と「~が成就するためであった」という成就句の反復的使用である。これにより、イエスの生と働きはイスラエルの救済史の連続線上に明確に位置づけられる。

2.1. 旧約引用の付加・長文化・改変

 誕生物語(1-2章)から受難記事に至るまで、マタイはマルコにはない旧約引用を多数付加している。これらは、イエス理解を「聖書の成就」という枠組みに統合する進学的意図を示している 。
 マタイがマルコに対して独自に付加した旧約引用、また、マルコに記載されている旧約引用を長文化、もしくは改変している用例は、以下の通り。
マタイ1:22-23(イザヤ7:14)、2:5-6(ミカ5:1)、2:15(ホセア11:1)、2:17-18(エレミヤ31:15)、2:23(イザヤ11:1、士師13:5?)、マタイ4:14-16(イザヤ8:23-9:1 LXX9:1-2)、8:17(イザヤ53:4)、9:13(ホセア6:6)、マタイ12:17-21(イザヤ42:1-4)、マタイ13:14-15(イザヤ6:9-10、長文化)、21:4-5(イザヤ62:11、ゼカリヤ9:9)、27:9-10(ゼカリヤ11:12-13、エレミヤと表記されている)、27:46(マルコ15:34の詩編引用をアレンジ)。

2.2. 家系や表現などのユダヤ的要素の強化

 系図(マタイ1:1–17)の付加、イエスのベツレヘム誕生の強調(2:1-12)などは、イエスをダビデ的メシアとして位置づけ、教会のユダヤ的正統性を主張する機能を果たしている。

3. ユダヤ教批判の強化

 マタイ23章における律法学者・ファリサイ派への「不幸だ」宣告は、彼らに対するマルコ福音書以上の批判の度合いを示す。また、27:25における群衆の発言(「その血の責任は、我々と子孫にある」)は、イエス殺害の責任をユダヤ人側に集約する叙述となっている。
 これらは、シナゴーグとの緊張関係の中で形成されたマタイ教会の自己規定を反映する論争的言説として理解されるべきである 。

4. イエス像の修正

4.1. 否定的描写の削除

 マルコ3:21における「身内が取り押さえに来た」「正気を失ったと思われた」という記述は、マタイ12:46–50では完全に削除されている。

4.2. 能力制限表現の修正

 マルコ6:5の
「力ある業を何一つ行うことができなかった」(οὐκ ἐδύνατο ἐκεῖ ποιῆσαι οὐδεμίαν δύναμιν)
という表現は、マタイ13:58において
「多くの力ある業をしなかった」(οὐκ ἐποίησεν ἐκεῖ δυνάμεις πολλὰς)
へ修正され、イエスの能力に起因するものではなく、意志的選択として再解釈されている。

4.3. 職業表現の修正

 マルコ6:3におけるイエスを「職人(τέκτων)」と同定する表現は、マタイ13:55では「職人の息子」とされ、イエスの社会的身分に関する直裁な表現があえて避けられている。

5. 弟子像の修正

 マタイは、マルコに顕著な弟子の無理解モティーフを一貫して緩和または削除する。
 マルコ4:13の厳しい二重修辞疑問文(「この譬えも分からないのか?どうして全ての例えを理解できようか?」)は、マタイ13:18では削除されている。
 マルコ6:52の「パンのことを理解せず、心が固くなっていた」という評価も、マタイ14:33では信仰告白へと置換されている。
 さらに、マタイ16:17–19におけるペトロへの祝福と教会建立宣言は、ペトロと弟子団の肯定的再定位を象徴する付加である。

6. 律法観の修正、律法破棄に見える記述の削除

 マルコ7:19における、食物規定を無意味化しかねない急進的発言
「便所に出て行く……全ての食べ物を清いとした」(καὶ εἰς τὸν ἀφεδρῶνα ἐκπορεύεται…καθαρίζων πάντα τὰ βρώματα)
は、マタイでは回避されている 。
 また、マルコ2:27
「安息日は人のために設けられたのであって、人が安息日のためにあるのではない」(Τὸ σάββατον διὰ τὸν ἄνθρωπον ἐγένετο, καὶ οὐχ ὁ ἄνθρωπος διὰ τὸ σάββατον)
という安息日論争の核心的な言葉を、マタイは物語構造を維持しつつも意図的に削除している。
 一方、離婚規定(マルコ10:11–12)には、「不定の場合を除いて」という例外条項(マタイ5:32; 19:9)が付加されている。この付加は、単に律法の厳格さを緩和するためではなく、むしろ現実的な運用可能性を高めることで、律法遵守を持続させる意図を示唆している。
 決定的なのは、マタイ5:17–20の追加である。
「わたしが律法や預言者を廃するために来たと思ってはならない。廃するためではなく、成就するために来たのである……律法から一点一画も決して消え去ることはない」
 ここで律法は廃されるものではなく、成就されるべきものとして、明瞭に再定義される。律法を既に廃棄されたもののように扱うマルコの神学的方向性を修正し、律法の有効性を強調している。

7. 結論

 マタイ福音書は、マルコ福音書を主要な資料として用いながらも、叙述の整理・簡潔化と神学的再構成を通して、独自の方向性を明確に打ち出している。とりわけ、旧約聖書引用および成就句の反復的配置は、教会のユダヤ的正統性を強調する機能を担っており、またイエス像および弟子像の修正は、マタイ共同体が志向する権威理解および共同体秩序を神学的に裏づける役割を果たしていると考えられる。律法理解に関しても、マタイはマルコに見られる律法相対化の傾向を一定程度修正し、律法を廃棄の対象ではなく、「成就」という枠組みの中で再定位している。
 このように、マルコ福音書に対するマタイの修正は決して限定的なものではない。しかしながら、マタイが全体構造においてマルコ福音書を基本的に踏襲している以上、その態度をマルコに対する全面的な拒絶と理解することは困難である。仮にマタイが、マルコに類似した福音書を新たに提示することによってマルコの権威を上書き的に消去しようとしたのであれば、マルコの叙述や神学を明示的に否定する表現が、より多く含まれていて然るべきであろう。
 一方で、マタイがマルコ福音書の部分的編集や補足にとどまらず、独立した福音書の執筆に踏み切った理由は、自身の神学的構想のもとでマルコ福音書全体を再構成する必要性を認識していた点に求められる。マタイは部分的にはマルコと競合的な立場を示しつつも、その基盤を維持したまま包括的な改訂を試みており、この点において両者の関係は、対立ではなく「協働的」関係の範疇に位置づけられると結論づけることができる。

2026年1月16日金曜日

【小論】ヨハネ福音書における共観福音書資料の編集意図と神学的修正

ヨハネ福音書における共観福音書資料の編集意図と神学的修正


 ヨハネ福音書が共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)を知っていたかどうかについては、古くから議論の対象とされてきた。文献学的には、ヨハネ福音書が共観福音書に直接依存していることを証明するのはほぼ不可能であるというのが、現在の定説である。しかし、物語構造・神学的語彙・人物像の相違を精査すると、ヨハネ福音書の著者が共観福音書の存在と内容を意識しつつ、自身の福音書を構成したと考える方が説得力が高いとする説が、今日では多数派を占めている。
 本章の目的は、ヨハネ福音書が共観福音書の物語と神学を意識的に再構成している可能性を明らかにしつつ、ヨハネの共観福音書に対する姿勢が、やや対抗的ではありつつも排除的ではなく、むしろ「協同」的であること――すなわち、共観福音書の伝承を尊重しつつ、それを深化・拡張する形で自身の福音書とその神学を再構築していること――を論証することにある。
 この目的のために、本章では、ヨハネ福音書が共観福音書の存在を前提としながら、意図的に神学的・物語的修正を施していると推定される箇所を取り上げ、その特徴と意図を分析する。具体的には、以下の四つの観点から検討を行う。

  1.  物語配置の修正:出来事の時系列・位置づけを変更、また、記事自体を変更することで、物語全体の神学的焦点を再構成している点を扱う。
  2. 神学的用語・神学的焦点の修正:共観福音書の概念(例、「神の国」)を別のもの(例、「永遠の命」)に置換するなど、神学的枠組みの再構成を検討する。
  3. 人物像の修正:主要人物の描かれ方の違いを通して、ヨハネ独自の神学的意図を探る。

1 物語配置の修正

1.1. 宮清め(マタイ21:12-17、マルコ11:15-18、ルカ // ヨハネ2:13-22)

1.1.1 配置の相違:終盤から冒頭へ
 共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)では、宮清めはイエスのエルサレム入城直後に置かれ、宗教指導者との対立、神殿体制との決別を決定的にする事件として描かれている。すなわち、物語構造上「受難物語の引き金」として機能している。
 これに対し、ヨハネ福音書では同じ出来事が公生涯の最初期(2章)に移動している。もしヨハネが共観福音書の伝承を知っていたとすれば、この配置転換は単なる編集上の偶然ではなく、明確な神学的意図に基づく再構成と考えられる。以下では、その意図を考察する。

1.1.2 ヨハネが配置を変えた理由:主要な学説

1.1.2.1 史実としての宮清めはいつ起こったか
 かつては「宮清めは二度あった」とする調和的解釈が提唱されたが、現在の研究ではほぼ退けられ、宮清めは1回限りで、受難の前に起こったとする説が一般的である。その主な理由は以下の通り。
・ヨハネ福音書が後発であるため、先行する共観福音書の伝承を知った上で再配置したと考えるのが自然である。
・宮清めの史実が公生涯初期にあったと仮定した場合、体制側との対立が著しく、その後の伝道活動に重大な支障をきたすることになり、現実的ではないこと。
 以上を踏まえると、宮清めは史実としては受難直前に起こった出来事であり、ヨハネが神学的意図により冒頭へ移したと理解する方が合理的である。

1.1.2.2. ヨハネの神学的意図:イエスを「真の神殿」として提示する
 今日の主流の学説では、ヨハネが宮清めを冒頭に置いた理由は、イエスこそ真の神殿であるという神学的主張を早期に提示するためとされている。
 共観福音書では受難物語の中で、イエスを揶揄する証言として登場する「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」というモティーフ(マルコ14:58 ほか)が、ヨハネでは序盤においてイエス自身の言葉として提示される(ヨハネ2:19–21)。すなわち、共観福音書では敵対者の証言として扱われる言葉が、ヨハネでは神学的意味を帯びた啓示として再構成されている。
 ヨハネ福音書はもともと、イエスのアイデンティティを物語の冒頭から積極的に開示する傾向がある。「言(ロゴス)」(1:1)、「神の子」(1:34)、「世の光」(1:9)といった称号が早期に提示されるのと同様に、宮清めも「イエスの本質を示す啓示的出来事」として冒頭に置かれていると考えられる。
 これに対し、マルコ福音書ではイエスの正体は十字架に至るまで徐々に明らかになる(いわゆる「メシアの秘密」)。ヨハネはこの構造を意図的に反転させ、イエスの本質を早期に提示する物語構造を採用している。
 このように、ヨハネは宮清めを単なる「受難の原因」としてではなく、福音書全体のキリスト論的テーマを提示する象徴的出来事として再構成しているということになる。

1.2. 受難死の日付の変更

1.2.1. 受難死の日付をめぐる共観福音書とヨハネ福音書の相違
 共観福音書は、イエスが弟子たちと共に過越の食事をとった直後に逮捕され、その翌日に十字架刑に処されたと報告している。これによれば、イエスの十字架死はニサン月15日となる。これに対してヨハネ福音書は、イエスの十字架刑を過越祭の準備の日(ニサン月14日)に位置づける(ヨハネ19:14)。すなわち、過越の小羊が屠られる時刻にイエスが死に至るという構図が描かれる。この日付設定は、イエスを「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29,36)、すなわち、祭儀犠牲として屠られる小羊として理解するヨハネ神学の中心的主張と一致する。ヨハネ19:36において引用される「その骨は一本も折られない」という記述は、出エジプト記12:46における過越の小羊の規定を想起させ、イエスの死が過越祭儀の成就であることを強調する。
 このように、小羊の屠殺時刻とイエスの死の時を一致させる構図は、神殿祭儀の終焉とキリストの犠牲の完成を重ね合わせるヨハネ神学の中心的主題と整合する。

1.2.2. 史実的観点からの検討
 史実としては、ヨハネ福音書の年代設定(ニサン月14日)がより妥当であるとする見解が多数派を占める。その理由として以下の点が挙げられる。
・過越祭当日に死刑執行が行われる可能性の低さ
過越祭はユダヤにおける最重要祭儀にして大規模なものであり、ユダヤ当局が祭りの最中に死刑を執行することは、治安維持の観点からも現実的ではない。聖なる祝祭期間中の死刑執行についても同様である。
・共観福音書による過越の食事の新たな意味づけ
 最後の晩餐を過越の食事とする描写は、イエスの死を新しい契約の制定と結びつける意図が反映されたものであり、ヨハネの編集的構成と考えられる。ただ、共観福音書の伝承を否定しているわけではなく、最後の晩餐における“イエス自身が与えられる食物(パン)”というモティーフは、「屠られる小羊」と過越の食事という主題にも内包されているし、また、イエスが「命のパン」(6:35, 48)、「天から降って来たパン」(6:41, 50)、特に「私が与えるパンは世を生かすための私の肉」という記述にも織り込まれているように見える。

1.3. 最後の晩餐における聖餐制定語の欠如と洗足記事による置換

1.3.1. 共観福音書における聖餐制定記事
 共観福音書における最後の晩餐と聖餐制定語(マタイ26:26–29、マルコ14:22–25、ルカ22:14–20)は、イエスの死を「契約の血」として解釈し、ユダヤ教における過越の食事の後継として、共同体の儀礼的中心に聖餐式を位置づけるものである。
 これに対し、ヨハネ福音書は最後の晩餐を完全に欠いている。最後の晩餐に相当する場面であるヨハネ13章には、パンと杯に関する言及が存在せず、代わりに洗足記事(13:1–20)が配置されている。13:1には、「過越祭の前」と場面設定が為されており、イエスの十字架死は過越祭の準備の日(ニサン月14日)であるから、過越の食事そのものが存在しないことになる。

1.3.2. 洗足記事の導入と神学的意図
 ヨハネが聖餐制定語を削除し、洗足記事を導入した経緯として、以下のようにまとめられる。
・過越の食事が存在しないことによる物語構造的必然性
 上述のように、イエスの死は過越の小羊の屠殺日(ニサン14日)に一致するよう再構成されているため(ヨハネ19:14)、「過越の食事=最後の晩餐」という構図がそもそも成立しない。
・別伝承としての洗足記事の採用
 洗足記事(13:1–20)は共観福音書には存在しない独自伝承であり、ヨハネはこれを最後の晩餐の中心的行為として配置したと考えられる。
 こうして、聖餐制定語が象徴する「儀礼的・祭儀的要素」に対し、洗足記事は、相互奉仕(13:14–15)、愛の模範(13:1「最後まで愛された」)、共同体倫理の形成(13:34「互いに愛し合いなさい」)というモティーフを導入している。つまり、ヨハネは聖餐の儀礼的側面をこの箇所では廃し、イエスの受難死を倫理的実践(愛と奉仕)として再解釈するという神学的方向性を再構築している。

1.3.3. 結論
 ヨハネ福音書は、共観福音書に見られる聖餐制定語を意図的に削除し、代わりに洗足記事を配置することで、最後の晩餐の神学的意味を大きく再構成している。
その背景には、
・過越の食事を欠く物語構造
・独自伝承の採用
・儀礼中心から倫理中心への神学的転換
という複合的要因が存在する。
 この編集方針は、ヨハネ福音書がイエスの死を過越の小羊の犠牲として描きつつ、共同体における愛と奉仕の倫理を聖餐制定の代わりに中心に据えるという、ヨハネ的キリスト論並びに教会論を形成するものである。


2. 神学的用語・神学的焦点の修正

2.1. 共観福音書の例え話のヨハネ福音書における不採用――「聞く者」から「信じる者」への転換

 ヨハネ福音書は、共観福音書に特徴的な例え話(παραβολή)、すなわち農業など日常的事象を素材とする比喩的教説を、基本的には採用していない。もっとも、比喩表現そのものが完全に排除されているわけではなく、ヨハネ10:1–18(良い羊飼い)、15:1–8(まことのぶどうの木)、6:35–58(命のパン)、8:12(世の光)、11:25(復活と命)に見られるように、ἐγώ εἰμι 宣言を伴う自己啓示的・象徴的講話(παροιμία、10:6)を独自に導入している点は注目に値する。
 以上の不採用と導入は、共観福音書、特にマルコ4章に典型的に見られる「聞く者/悟る者」という例え話の受容構造からの意図的転換を示している。ヨハネにおいて一転して中心化されるのは、教えを「理解する」主体ではなく、イエスを「信じる」主体である。すなわち、例え話を通した段階的理解の過程から、啓示に対する信仰の決断への転換が図られている。
 この神学的重点の移動は、「信じる/信じない」という二分法的構図として福音書全体に体系的に配置されている。ヨハネ1:12では、信じる者に「神の子となる権利」が与えられ、3:16–18では信じる者の救済と信じない者の裁きが対置される。3:36においては、信仰の有無が命の有無に直結することが明言される。さらに、ヨハネ特有の「しるし(σημεῖον)」の神学も、理解よりも信仰を指向している。2:11では最初のしるしによって弟子たちが信じ、4:48–53では役人がイエスの言葉を信じることによって出来事が成就する。6:29においては、「神の業」が明確に「遣わされた者を信じること」と定義される。これらは20:31――「これらのことが書かれたのは、あなたがたがイエスを信じるためである」――において、福音書全体の目的として総括される。
 この信仰中心の構図は、イエスとの個人的出会いを軸とする物語群においても顕著である。サマリアの女(4:39–42)、生まれつきの盲人(9:35–38)、マルタの信仰告白(11:25–27)、そしてトマスの告白(20:24–29、とりわけ20:28「わたしの主、わたしの神」)は、いずれも理解の深化ではなく、イエスの人格的な出会いを経て、人格的応答としての信仰告白へと導かれる物語である。
 同様の傾向は復活顕現記事にも認められる。共観福音書において強調される集団的顕現に比して、ヨハネではマグダラのマリア、トマスといった個人への顕現が前景化され、信仰の告白へと結び合わせられている。
 以上を総合すると、ヨハネ福音書は、
・例え話(聞く/悟る)から、象徴的講話(信じる)へ
・弟子の無理解から、信じる/信じないの二分法へ
・集団への顕現から、個人への顕現へ
という一連の神学的再構成を行っていると言える。結果として、理解と無理解のモティーフは後景化され、信じることと信仰の決断そのものが、ヨハネ福音書全体を規定する原理として前景化されている。


2.2. 共観福音書の「神の国」からヨハネ福音書の「永遠の命」への転換

 共観福音書、とりわけマルコ福音書において、イエスの宣教の中心的主題を構成するのは「神の国」である(参照、マルコ1:15)。「神の国」(マタイ福音書では「天の国」)とは、終末論的かつ歴史的次元における神の支配の到来を指し示す概念であり、その実現は将来に属しつつも、イエスの宣教と行為においてすでに開始されているといういわゆる「既に―未だ」の時間構造を特徴としている。

 これに対して、ヨハネ福音書においては、「神の国」という表現は例外的で、わずか二回(3:3, 5)用いられるにすぎない。その一方で、「永遠の命」(ζωὴ αἰώνιος)および「命」(ζωή)が頻繁に現れる。「永遠の命」は17回(3:15, 16, 36; 4:14, 36; 5:24, 39; 6:27, 40, 47, 54, 68; 10:28; 12:25, 50; 17:2, 3)、「命」は約36回用いられており、共観福音書における用例数(マタイ3回、マルコ2回、ルカ3回)と比較すると、その差は顕著である。この語彙的偏重は、ヨハネ福音書においてイエスの宣教内容を表現する神学的中心語が、「神の国」から「永遠の命」へと移行していることを示唆している。
 さらに重要なのは、ヨハネ福音書における「永遠の命」が、未来に実現される報酬としてではなく、現在においてすでに成立している現実として理解されている点である。ヨハネ5:24において、「永遠の命を持つ」と訳される ἔχει ζωὴν αἰώνιον は現在形で用いられており、信じる者はすでに永遠の命に参与している存在として描かれている。この理解は、ヨハネ3:16において示されるように、神の愛と「独り子を与えた」という神の自己贈与に根差しており、永遠の命が神との関係性そのものとして成立していることを明らかにしている。
 ヨハネ福音書における数少ない「神の国」の用例(3:3「新たに生まれなければ神の国を見ることはできない」、3:5「水と霊によって生まれなければ神の国に入ることはできない」)もまた、共観福音書に見られるような終末論的支配の到来を告知するものではない。これらの箇所では、「神の国」は「新生」というヨハネ的主題のもとで再解釈され、信仰によって成立する存在の変容を表す概念として用いられている。したがって、「神の国」はヨハネ福音書において否定されているのではなく、「永遠の命」という中心概念に吸収され、その意味内容を変容させていると理解することができる。
 以上の点から、ヨハネ福音書は共観福音書における「神の国」終末論を単に継承するのではなく、それを関係論的・存在論的枠組みにおいて再構成していると結論づけられる。共観福音書において前景化していた神の支配の歴史介入性は後景に退き、代わって、神の愛と自己贈与に基づく、現在において成立する救済理解が前面に押し出されている。

3. 人物像の修正

3.1.「十二人」像の修正

3.1.1.共観福音書とヨハネ福音書における「十二人」位置づけの相違
 共観福音書において「十二人」は、マルコ3:13–19、マタイ10:1–4、ルカ6:12–16に見られるように、イエス自身によって選任されたことが明確に強調されている。イエス運動に追随した弟子集団の中でも、十二人は中核的存在として位置づけられ、悪霊払い、治癒、宣教といったイエスの権威を代理的に行使する集団として描かれている(マルコ6:7–13 ほか)。
 一方で、共観福音書は、弟子たちがイエスの正体や意図をしばしば理解できない存在であること、さらには受難時に全員が逃亡すること(マルコ14:50)を描写することにより、いわゆる「弟子の無理解」あるいは「弟子批判」のモティーフを物語の中に組み込んでいる。また、各福音書に差異はあるものの、十二人の中でも特にペトロ、ヤコブ、ヨハネが中心的使徒として前景化され、ペトロは筆頭者、あるいはスポークスマン的存在として描かれる点において、共観福音書はおおむね一致している。ここでの「十二人」は、歴史的・象徴的・権威的・制度的集団として理解されていると言える。
 これに対して、ヨハネ福音書では「十二人」への明示的言及は少数にとどまり(例:6:67、6:70–71、20:24)、弟子たちは共観福音書の集団的描写とは異なり、主として個人単位で叙述される。総じて、共観福音書において前面に出ていた「十二人」という制度的・集団的側面は、ヨハネ福音書では相対化されている。

3.1.2.個々の使徒を物語化するヨハネ福音書
 このような傾向は、ヨハネ福音書における個々の使徒の描写において、より顕著に確認される。共観福音書では、主として「十二人」の名簿において言及されるにとどまり、ほとんど物語化されない使徒たちが、ヨハネにおいては独自の個性と神学的役割を与えられ、物語の中で具体的に描写されている。以下にその代表例を挙げる。

3.1.2.1.アンデレ
・1:40–42 イエスに従った最初の弟子として登場し、ペトロをイエスのもとへ導く。
・6:8–9 五千人供食物語において、少年をイエスに紹介する。
・12:20–22 ギリシア人とイエスとを仲介する役割を担う。

3.1.2.2.フィリポ
・1:43–46 ナタナエルをイエスのもとへ導く。
・6:5–7 供食物語において現実的な計算に基づく発言を行う。
・12:21–22 ギリシア人の要請を受け、イエスへの取り次ぎを行う。
・14:8–9 「父をお示しください」と願い、イエスから教示を受ける。

3.1.2.3.トマス
・11:16 ラザロ物語において、死をも覚悟する発言を行う。
・14:5 イエスの「道」を理解できないことを率直に表明する。
・20:24–29 復活顕現物語において、疑いから信仰告白へと導かれる。

3.1.2.4.ナタナエル(使徒バルトロマイと同定される場合)
・1:45–51 「いちじくの木の下」での出来事を通して信仰告白を行う。
・21:2 七人の弟子の一人として復活顕現の場面に立ち会う。
 他方、ヤコブとヨハネは「ゼベダイの子ら」として簡略的に記されるにとどまる。

3.1.2.5.「イエスの愛しておられた弟子」(使徒ヨハネ説か、無名弟子説かによる)
・13:23–26 最後の晩餐において、イエスの胸元に位置する。
・19:26–27 十字架上のイエスから母を託される。
・20:2–8 ペトロと墓へ走り、最初に内部を見て信じた者として描かれる。
・21:7 復活のイエスを最初に認識する。
・21:20–24 ペトロと対比されつつ、証言者としての権威を示される。

3.2.ペトロ中心の権威構図の相対化

 以上の検討から明らかになるのは、ヨハネ福音書においてペトロが依然として重要な位置を占めつつも、他の弟子たちの物語が重層的に配置されることによって、その中心性が相対化されている点である。
 たとえば、トマスはヨハネ20:24–29において、復活顕現物語の核心的人物として登場し、「私の主、私の神」(20:28)という同福音書中でも最も明確なキリスト論的告白を担う。この点において、トマスはペトロ以上に前景化されていると評価できる。
 また、復活物語においては、「イエスの愛しておられた弟子」がペトロよりも先に墓に到着し、内部を見て信じた者として描かれる(20:8)。さらに、マグダラのマリアは十二人の誰よりも先に復活のイエスに出会い、「行って、わたしの兄弟たちに告げなさい」(20:17)との委託を受ける最初の復活証人、ひいては最初の宣教者として位置づけられている。
 確かにペトロもまた、「わたしの羊を飼いなさい」(21:15–17)との委任を受け、重要な役割を保持している。しかし同時に、彼は「この人について、あなたは何を気にするのか」(21:22)との言葉によって、「愛しておられた弟子」への詮索を退けられている。これらの描写を総合すると、ヨハネ福音書においては、復活信仰や宣教の起点が、使徒集団やその代表者であるペトロから、共観福音書では周縁的であった人物たちへと再配置されていることが確認される。

4. 結論

 本章の検討から明らかになったのは、ヨハネ福音書が共観福音書の伝承を否定的に乗り越えようとするのでも、単純に補完しようとするのでもなく、それらを前提として意識的に再配置・再定義することによって、独自の神学的総合を提示しているという点である。
 宮清めの配置転換、受難死の日付の再構成、聖餐制定語の不採用と洗足記事の導入は、いずれも史実の恣意的改変ではなく、イエスを真の神殿、過越の小羊、愛と奉仕のイエスとして提示するための神学的再編として理解されるべきである。
 また、「神の国」から「永遠の命」への神学的焦点の移行、例え話から信仰告白への構造転換は、ヨハネ福音書が救済を、キリストとの関係性において現在的に成立する命として把握していることを示している。
 このように、ヨハネ福音書は共観福音書と緊張関係を保ちつつも、それを排除することなく、多声的伝承の中でキリスト理解を深化させる協同的営みとして成立している。この点において、ヨハネ福音書は初期キリスト教における正典形成過程――すなわち、単一基準による選別ではなく、分散的証言の協同的収斂――を最も高度な形で体現する文書の一つであると言えよう。

2026年1月13日火曜日

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マタイ24:15-28

説教や聖書研究をする人のための聖書注解

マタイ24:15-28「大きな苦難を予告する」


【小論】共観福音書の「神の国」からヨハネ福音書の「永遠の命」への転換

共観福音書の「神の国」からヨハネ福音書の「永遠の命」への転換

 共観福音書、とりわけマルコ福音書において、イエスの宣教の中心的主題を構成するのは「神の国」である(参照、マルコ1:15)。「神の国」(マタイ福音書では「天の国」)とは、終末論的かつ歴史的次元における神の支配の到来を指し示す概念であり、その実現は将来に属しつつも、イエスの宣教と行為においてすでに開始されているといういわゆる「既に―未だ」の時間構造を特徴としている。

 これに対して、ヨハネ福音書においては、「神の国」という表現は例外的で、わずか二回(3:3, 5)用いられるにすぎない。その一方で、「永遠の命」(ζωὴ αἰώνιος)および「命」(ζωή)が頻繁に現れる。「永遠の命」は17回(3:15, 16, 36; 4:14, 36; 5:24, 39; 6:27, 40, 47, 54, 68; 10:28; 12:25, 50; 17:2, 3)、「命」は約36回用いられており、共観福音書における用例数(マタイ3回、マルコ2回、ルカ3回)と比較すると、その差は顕著である。この語彙的偏重は、ヨハネ福音書においてイエスの宣教内容を表現する神学的中心語が、「神の国」から「永遠の命」へと移行していることを示唆している。

 さらに重要なのは、ヨハネ福音書における「永遠の命」が、未来に実現される報酬としてではなく、現在においてすでに成立している現実として理解されている点である。ヨハネ5:24において、「永遠の命を持つ」と訳される ἔχει ζωὴν αἰώνιον は現在形で用いられており、信じる者はすでに永遠の命に参与している存在として描かれている。この理解は、ヨハネ3:16において示されるように、神の愛と「独り子を与えた」という神の自己贈与に根差しており、永遠の命が神との関係性そのものとして成立していることを明らかにしている。

 ヨハネ福音書における数少ない「神の国」の用例(3:3「新たに生まれなければ神の国を見ることはできない」、3:5「水と霊によって生まれなければ神の国に入ることはできない」)もまた、共観福音書に見られるような終末論的支配の到来を告知するものではない。これらの箇所では、「神の国」は「新生」というヨハネ的主題のもとで再解釈され、信仰によって成立する存在の変容を表す概念として用いられている。したがって、「神の国」はヨハネ福音書において否定されているのではなく、「永遠の命」という中心概念に吸収され、その意味内容を変容させていると理解することができる。

 以上の点から、ヨハネ福音書は共観福音書における「神の国」終末論を単に継承するのではなく、それを関係論的・存在論的枠組みにおいて再構成していると結論づけられる。共観福音書において前景化していた神の支配の歴史介入性は後景に退き、代わって、神の愛と自己贈与に基づく、現在において成立する救済理解が前面に押し出されている。


2026年1月10日土曜日

【小論】共観福音書の例え話のヨハネ福音書における不採用の理由――「聞く者」から「信じる者」への転換

共観福音書の例え話のヨハネ福音書における不採用の理由――「聞く者」から「信じる者」への転換


 ヨハネ福音書は、共観福音書に特徴的な例え話(παραβολή)、すなわち農業など日常的事象を素材とする比喩的教説を、基本的には採用していない。もっとも、比喩表現そのものが完全に排除されているわけではなく、ヨハネ10:1–18(良い羊飼い)、15:1–8(まことのぶどうの木)、6:35–58(命のパン)、8:12(世の光)、11:25(復活と命)に見られるように、ἐγώ εἰμι 宣言を伴う自己啓示的・象徴的講話(παροιμία、10:6)を独自に導入している点は注目に値する。

 以上の不採用と導入は、共観福音書、特にマルコ4章に典型的に見られる「聞く者/悟る者」という例え話の受容構造からの意図的転換を示している。ヨハネにおいて一転して中心化されるのは、教えを「理解する」主体ではなく、イエスを「信じる」主体である。すなわち、例え話を通した段階的理解の過程から、啓示に対する信仰の決断への転換が図られている。

 この神学的重点の移動は、「信じる/信じない」という二分法的構図として福音書全体に体系的に配置されている。ヨハネ1:12では、信じる者に「神の子となる権利」が与えられ、3:16–18では信じる者の救済と信じない者の裁きが対置される。3:36においては、信仰の有無が命の有無に直結することが明言される。さらに、ヨハネ特有の「しるし(σημεῖον)」の神学も、理解よりも信仰を指向している。2:11では最初のしるしによって弟子たちが信じ、4:48–53では役人がイエスの言葉を信じることによって出来事が成就する。6:29においては、「神の業」が明確に「遣わされた者を信じること」と定義される。これらは20:31――「これらのことが書かれたのは、あなたがたがイエスを信じるためである」――において、福音書全体の目的として総括される。

 この信仰中心の構図は、イエスとの個人的出会いを軸とする物語群においても顕著である。サマリアの女(4:39–42)、生まれつきの盲人(9:35–38)、マルタの信仰告白(11:25–27)、そしてトマスの告白(20:24–29、とりわけ20:28「わたしの主、わたしの神」)は、いずれも理解の深化ではなく、イエスの人格的な出会いを経て、人格的応答としての信仰告白へと導かれる物語である。

 同様の傾向は復活顕現記事にも認められる。共観福音書において強調される集団的顕現に比して、ヨハネではマグダラのマリア、トマスといった個人への顕現が前景化され、信仰の告白へと結び合わせられている。

 以上を総合すると、ヨハネ福音書は、

・例え話(聞く/悟る)から、象徴的講話(信じる)へ

・弟子の無理解から、信じる/信じないの二分法へ

・集団への顕現から、個人への顕現へ

という一連の神学的再構成を行っていると言える。結果として、理解と無理解のモティーフは後景化され、信じることと信仰の決断そのものが、ヨハネ福音書全体を規定する原理として前景化されている。

2026年1月7日水曜日

【小論】最後の晩餐と受難日設定をめぐる神学的・歴史的考察 ― 共観福音書とヨハネ福音書の相違とその神学的意図 ―

 最後の晩餐と受難日設定をめぐる神学的・歴史的考察

― 共観福音書とヨハネ福音書の相違とその神学的意図 ―

1. はじめに

 イエスの最後の晩餐および受難死の日付をめぐる記述は、共観福音書とヨハネ福音書の間で顕著な差異を示す。本稿では、両者の相違点を整理し、その背景にある神学的意図を検討するとともに、歴史的観点からどの記述が史実に近いと考えられるかを論じる。


2. 最後の晩餐の儀式的性格

 共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)は、最後の晩餐を過越の食事(Seder)として描写する。この描写は、イエスがパンと杯を弟子たちに分け与える行為を通して、相互奉仕の精神および自己犠牲的愛の模範を示すという神学的意図を有している。特に、パンと杯の制定は、後のキリスト教共同体における聖餐(エウカリスティア)の起源として理解される。

 一方、ヨハネ福音書は、最後の晩餐を過越の食事として描かず、代わりに弟子の足を洗うイエスの姿を強調する(ヨハネ13章)。ここでは、イエスの奉仕の精神が象徴的に示され、共同体倫理の基礎が提示されている。


3. 受難死の日付をめぐる相違

3.1 共観福音書の記述

 共観福音書によれば、最後の晩餐は過越の食事としてニサン月15日の夜に行われ、その翌日、すなわち過越祭の最中にイエスは十字架刑に処される。この構図は、最後の晩餐と聖餐の制定を密接に結びつける神学的意図を反映している。


3.2 ヨハネ福音書の記述

 これに対し、ヨハネ福音書は、イエスの十字架刑を過越祭の準備の日(ニサン月14日)に位置づける(ヨハネ19:14)。すなわち、過越の子羊が屠られる時刻にイエスが死に至るという構図が描かれる。この日付設定は、イエスを「屠られる過越の子羊」として理解するヨハネ神学の中心的主張と一致する。

 ヨハネ19:36において引用される「その骨は一本も折られない」という記述は、出エジプト記12:46における過越の子羊の規定を想起させ、イエスの死が過越祭儀の成就であることを強調する。


4. 神学的意図の比較

 共観福音書は、最後の晩餐を過越の食事として描くことで、聖餐の起源と新しい契約の制定を中心に据える。一方、ヨハネ福音書は、イエスの死を神殿祭儀の完成として位置づけ、神殿犠牲制度の終焉を宣言する神学的構図を採用する。

 このように、両者の相違は単なる年代記的矛盾ではなく、それぞれの福音書が有する神学的目的の違いに由来するものである。


5. 歴史的観点からの検討

 歴史的観点からは、過越祭当日に死刑が執行される可能性は低いと考えられる。ユダヤ当局およびローマ当局は、祭りの混乱を避けるため、重大な処刑を祭日中に行うことを避けたと推測される。この点から、多くの研究者は、ヨハネ福音書のニサン月14日説の方が史実に近いと判断する傾向にある。

 すなわち、ヨハネは共観福音書の伝承をそのまま踏襲せず、神学的意図に基づいて受難日を再構成し、イエスの死を過越祭と重ね合わせることで、キリストの死を救済史的クライマックスとして描き出したと考えられる。


6. 結論

 最後の晩餐および受難死の日付をめぐる共観福音書とヨハネ福音書の相違は、単なる歴史的矛盾ではなく、それぞれの福音書が有する神学的意図の違いに起因する。共観福音書は聖餐の制定を中心に据え、ヨハネ福音書はイエスを過越の子羊として描くことで、神殿祭儀の完成と終焉を強調する。歴史的観点からは、ヨハネの記述がより合理的であると評価されるが、両者の相違は初代教会における多様なキリスト理解を反映するものとして重要である。


7. 影響史

 以上に見た受難日を巡る相違は、2世紀に顕在化したいわゆる「復活日論争(クァルトデキマン論争)」と深く結びついていると考えられる。小アジアの諸教会においては、ニサン月14日を復活祭日として祝う慣習が広く定着していた。この慣習に従えば、復活祭は曜日に関わらず、毎年ニサン月14日に固定されることになる。一方、ローマ教会をはじめとする多くの西方教会では、ニサン月14日以降に到来する最初の日曜日を復活祭日とする伝統が確立していたため、両者の間に典礼上の齟齬が生じるようになった。

 154年頃、使徒ヨハネの弟子と伝えられるスミュルナの監督ポリュカルポスがローマを訪れ、当時のローマ司教アニケトゥスと会談した際、この問題は初めて公的な形で議論された。両者は互いの慣習が使徒的伝承に基づくと主張しつつも一致には至らず、しかしながら交わりを断つことなく相互の伝統を尊重したと伝えられる。この出来事を契機として、復活祭日をめぐる議論は以後数世紀にわたり継続することとなった。

 小アジア教会とローマ教会の間に生じた教会論的相違と緊張関係は、単なる典礼日程の不一致にとどまらず、共観福音書伝承よりもヨハネ伝承を濃厚に継承する小アジア側の神学的傾向に由来すると考えられる。すなわち、ニサン月14日を重視する小アジアの伝統は、イエスを「過越の子羊」として描くヨハネ福音書の受難日理解と親和性が高く、これがローマ側の復活中心の典礼理解と対照をなしていたのである。このように、復活日論争は、初期教会における典礼理解・福音書伝承・教会論の多様性が交錯する場として重要な意義を持つ。

【解説】第2パウロ書簡(Deutero-Pauline Epistles)

第2パウロ書簡(Deutero-Pauline Epistles)

1. 第2パウロ書簡の定義

 第2パウロ書簡とは、パウロ自身が執筆したと判断されている、いわゆる「真正パウロ書簡」とは異なり、パウロの弟子や後継者、あるいはパウロ系の共同体が、パウロの思想を継承しつつ、パウロ書簡を模倣する形で執筆した書簡群を指す学術用語である。

 一般的には、以下の6書が第2パウロ書簡とされる。

  • エフェソの信徒への手紙

  • コロサイの信徒への手紙

  • テサロニケの信徒への手紙二

  • テモテへの手紙一

  • テモテへの手紙二

  • テトスへの手紙


2. 第2パウロ書簡の特徴

1. 語彙や文体、内容の相違
 第1テサロニケ書やロマ書といったパウロ真正書簡の語彙、文体、内容と似てはいるが、異なる点が複数指摘される。

2. パウロ以降の教会の教義や教会構造の反映
 教義内容や教会構造が、パウロの時代よりも後代のものであることが観察される。またその内容は、個々の教会の特別な事情に絡むものよりも、より一般化された内容に慣らされている。
3. 神学的特徴
 内容の神学的特徴としては、発展した教会論、再臨遅延に対する対応(2テサロニケなど)、宇宙論的な救済論(エフェソ、コロサイ)、パウロ的な義認論、ユダヤ人の救済論の後退が


3. 成立時期

  • 第2パウロ書簡はパウロ書簡を元に執筆されるので、パウロ書簡成立以降の成立も考えられるが、通常はパウロの死後からしばらく、早くて60年代後半以降、遅くて牧会書簡(1テモテ、2テモテ、テトス)の成立時期と推定される1世紀末とされる。



【動画】政党「チームみらい」と「真如苑」の関係性の「噂」に関する考察

  <AIによる内容の客観的説明> 安野貴博氏の経歴と仏教用語との関連性   「チームみらい」の中心人物・安野氏が関わった企業(ベドア/PKSHA Works、PKSHA Technology)の社名に、仏教由来の語が用いられている点を紹介。 真如苑系財団との接点の可能性   真...