「猫にもわかるマルコ福音書」
緒論
マルコ1:1
「猫にもわかる四福音書」
(元原稿『信徒の友』2018年4月号-2019年3月号所収「主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像」)
第4回「」
【キリスト教解説】『ユダ福音書』(『ユダの福音書』)とその悲惨な末路 ーイエスはイスカリオテのユダの裏切りを評価した?
「猫にもわかるマルコ福音書」
緒論
マルコ1:1
「猫にもわかる四福音書」
(元原稿『信徒の友』2018年4月号-2019年3月号所収「主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像」)
第4回「」
【キリスト教解説】『ユダ福音書』(『ユダの福音書』)とその悲惨な末路 ーイエスはイスカリオテのユダの裏切りを評価した?
1970年代にエジプトのミニヤー県で発見された、通称「チャコス写本」(言語はコプト語)に含まれる福音書で、グノーシス主義的キリスト教の一派により書かれた文書。グノーシス主義的な関心に基づき、イエスを裏切り死へと引き渡したユダの所業が、イエスにより高く評価されているという、正統的な新約文書とは真逆の内容を含む。この内容と相俟って、2006年に一般公開されたことで一時話題となった。
1.「チャコス写本」に含まれる四文書
1.『フィリポに送ったペトロの手紙』 ナグ・ハマディ文書のものとほぼ同じ内容
2.『ヤコブ』 ナグ・ハマディ文書の『ヤコブの黙示録』とほぼ同じ内容
3.『ユダの福音書』
4.『アロゲネース』
*いずれも、グノーシス主義の影響を受けた文書で、チャコス写本もまた、グノーシス主義的キリスト教の一派により生み出されたもの。
2.グノーシス主義的思想に基づいて書かれた『ユダの福音書』
要点:肉体=悪、霊=善。”肉体は魂の牢獄”、”死は肉体からの解放”
至高神の他に、創造神デミウルゴス(グノーシス主義にとっては悪神)が存在する。デミウルゴスは人間を創造し、この人間に「ソフィア(知恵)」を通じて至高神より「霊」を与えられたが、「肉体」はこの「霊」を閉じ込める、「肉体の牢獄」である。それ故、「肉体」から「霊」を解放することが人間の救済となる。
この観点に基づき、イエスを裏切ったユダの所業が、イエスにより高い評価を受けている。なぜなら、ユダはイエスを死に引き渡すことにより、彼の魂を肉体の牢獄から解放することになるからである。
3.“反”異端文書における『ユダの福音書』に関する証言
3.1.リヨンの司教エイレナイオス『不当にもそう呼ばれている「グノーシス」の罪状立証とその反駁』(通称『異端駁論』)による証言
「さらに他の人々が言っている、カインは上なる権威から来たのだと。・・・そして、このことを裏切り者ユダもよく知っていた。そして(他の弟子たちの中で)彼のみが真理を知っていたので、裏切りの秘儀を為し遂げた。彼によって天上のものと地上のものが解消されたのである、と言われる。彼らはこの種の虚構を作り上げて、それを『ユダの福音書』と呼んでいる。」(1.31.1)
*エイレナイオスが言及している『ユダの福音書』と、発見された『ユダの福音書』との間には相違点もあり、必ずしも同一文書とは限らないが、文書名が逐語的に一致していることと共通点を考慮すれば、両書は同じ書である可能性が高い。
3.2.「カイン派」に関する証言
エイレナイオス証言に言及し、そのグノーシス主義的キリスト教異端セクトを「カイン派」(グノーシス派の一派)と呼ぶ、反異端論者は以下の通り。
テオドレトス『異端者たちの作り話要綱』(1.15)、偽テルトゥリアヌス『全異端反駁』(2.5-6)、エピファニオス『薬籠』(38.1.15)。
4.成立年代
先のエイレナイオス証言を含む『異端駁論』の成立年代が180年頃であるから、これが成立年代の下限となる。他方、『ユダの福音書』は『使徒言行録』の補欠選挙の記事(1:15-26)を知っているから、『使徒言行録』の成立年代である90年代が上限となる。
また、チャコス写本の成立年代に関しては、放射性炭素年代測定によれば、280年プラス・マイナス60年と推定される。この年代は、コプト語の書体や装丁等の年代と概ね一致する。
5.発見、公開に至るまでの経緯
1970年代 エジプト中部ミニヤー県にて、『ユダ福音書』(または『ユダの福音書』)を含む写本が発見される。恐らく盗掘による。
1980年 カイロの古美術商に売却されるが、盗難により紛失。
1982年 カイロの古美術商、ジュネーブにて写本を取り返す。
1983年 カイロの古美術商、大学研究者に300万ドルでの売却を持ちかける。交渉は決裂。
1984年 カイロの古美術商、写本をニューヨークのシティバンク貸金庫に16年間に渡り保管し、写本は劣化。
1999年 古美術商フリーダー・チャコス、カイロの古美術商より300万ドルで写本を購入。エール大学に調査を依頼。『ユダ福音書』と判明。
2000年 アメリカの古美術商ブルース・フェリーニ、写本を購入。一部を売却。残りを冷凍保存。
2001年 フェリーニ、代金支払いができず、チャコスに返却。チャコスにより、マエケナス古美術財団(スイス)に引き渡される。
2006年4月 ナショナルジオグラフィック協会の援助によりコプト語本文と英訳、インターネットで公開。その後公刊。
2006年6月 公刊本の邦訳『原典 ユダ福音書』(R. カッセル、M. マイヤー、G. ウルスト、B. D. アーマン編著)、日経ナショナルジオグラフィック社、2006年)発刊。
参考文献
『原典 ユダ福音書』(R. カッセル、M. マイヤー、G. ウルスト、B. D. アーマン編著)、日経ナショナルジオグラフィック社、2006年。
荒井献『ユダとは誰か——原始キリスト教と『ユダの福音書』の中のユダ』(講談社学術文庫)、講談社、2015年。
教会学校教案 2012年4月29日分
マタイによる福音書 4章1-11節「荒れ野の誘惑」
概要
今週の箇所では、主イエスが宣教の旅の開始に先立って、荒れ野にて誘惑を受けられた出来事が述べられています。この「荒れ野の誘惑」の記事には、マタイとよく似たルカ四・一ー一三と、とても短いバージョンのマルコ一・一二ー一三があります。そして、マタイとルカでは「悪魔」「サタン」「試みる者」と呼ばれる存在が現れます。彼らは、「サタン」というヘブライ語の元々の意味が示す通り「神に反する者」で、伝統的には天使が堕落した者として信じられています。要は、人間を超える者であり、神に敵対し、人を神から引き離そうとする者です。これをキッチリ子どもたちに伝え、関心が悪魔論にばかり惹かれないよう注意しましょう。
「荒れ野」とは、かつて出エジプトを果たしたイスラエルが困難の内に試みを受け、敗北した場所です(参照、申命記八・二)。しかし、今や人間となられた主イエスが、同じ荒れ野にて「神の子」として試みを受け、これに勝利されることで、救いの約束を実現しようとされます。ですから、荒れ野の誘惑とは、単なる悪魔との闘いではなくて、同時に神のご計画でもあります。
加えて、主イエスは私たちが悪魔と闘う際の手本を示されています。すなわち、御言葉を正しく解釈し、御言葉をもって万事に臨む姿勢です。以上を念頭に置いて、聖書を見てみましょう。
解説
「イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。」(一節):荒れ野の誘惑は、御霊によって導かれた神のご計画であると同時に、悪魔から受ける誘惑という二面を持ちます。「荒れ野」は、出エジプト後のイスラエルが受けた試みである荒れ野の四〇年と関連します。また、悪魔の試みの目的は、主イエスがメシアとなられることを阻止することに他なりません。「四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。」(二節):「四十」は荒れ野の四十年とも関連しますが、完全数といって完全性を象徴します。十分なまでの時間を主は耐えられたということです。この行為は、かつてモーセが行った断食をも暗示するでしょう(出エジプト記三四・二八)。また、「空腹」は原語では「飢える」です。人となられた主イエスは、人の弱さもお受けになっていますから、私たちと同じように飢え、渇き、疲れ、痛みを覚えるのです。そこへ「試みる者」すなわちサタンがやって来ました。「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。(三節):「神の子なら・・・」という文言は、六節で再度サタンによって繰り返され、さらに十字架の場面では、人々があざけりの言葉として主イエスに投げかけます(二七・三九)。「神の子なら自分を救え」と。しかし主は、肉の欲を満たすためだけに神の力を行使されません。なぜなら、それは神に従うことではなく、自分の欲の奴隷になることだからです。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(四節):「パン」は生きるためになくてはならない物の象徴。聖書さえ読んでいれば食べ物は必要ない、という意味ではありません。パンが人を支えるのではなく、神が人を生かして下さっています。そのことへの信頼が求められているのです。「それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて・・・」(五節):「聖なる都」はエルサレムのこと。神殿の最も高いところでしょう。「下へ飛びおりてごらんなさい。『・・・あなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」(六節):悪魔も巧みです。詩編九一・一一ー一二御言葉を用いているのですから!「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」(七節):主は申命記六・一六を引用してお答えになりました。御言葉は聖書全体から理解せねばなりません。次に悪魔は言いました。「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら・・・」(九節)。「ひれ伏してわたしを拝む」とは、悪魔ないし自分を<礼拝>することです。これに対し主は宣言されます。「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」(一〇節):ここでも主は申命記六・一三の御言葉を引用されます。
まとめ
主イエスは、空腹も痛みも感じない超人のように、この試みを受けられたのではありません。弱い私たちと同じように苦しまれたからこそ、苦しむ私たちの助けです(参照、ヘブライ人への手紙四・一五、二・一八)。
「自分が納得しなければ信じない。」人は時にそんなわがままを言います。神を試みることは、神への不信です。しかし神が私たちを試みるのは、私たちが神を新しく知るためです。皆さんも、試練があって初めて、神がどのような方か知ったのではないでしょうか。いつも問題は、神の側にあるのではありません。神は約束を必ず果たされます。私たちが、主に委ねるか否かが問われています。主の確かさが、主が受けられた誘惑、さらには主の十字架によって示されているのです。神の確かさ、そして信頼の大切さを、子どもたちに語りましょう!(茨木春日丘教会 大石健一)
教会学校教案 2013年3月17日分
マタイ26:69-75「ペトロの三度のイエス否認」
今回は、ペトロが主イエスのことを三度知らないと否定した、あの有名な出来事が主題です。主イエスが大祭司の邸宅で裁判を受けている間、ペトロは屋内に突入するわけでもなく、かといってその場から遠く逃げ去ることもなく、微妙な距離を保ちながら、半ば呆然と立ち尽くしていました。主の弟子にもなれず、主の敵にもなり切れない、なんとも中途半端な信仰者の姿をさらしています。ここに、使徒でさえも抱えていた人間の弱さ、罪に支配された人の脆弱さがよく示されています。けれども、ペトロの否定を主イエスが予告されていたという事実は、主はそうした人間の弱さをすべてご存知であり、なおかつそうした罪深き者を赦し、愛されていることを示しています。自分の弱さ、罪深さに押し潰されそうになる私たちですが、そんな私たちでさえも、自分のすべてを知っているわけではないことに気づくべきです。神がご存知でない、私たちの弱さや罪はありません。そんな私たちの深き闇に赦しが与えられることを思い巡らしながら、今日の聖書の言葉を読んでいきましょう。
解説
「ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、『あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた』と言った。」(六九節):主イエスを見捨てて逃げた負い目、そして恐れに襲われているペトロを、「あなたもイエスの仲間だ」という指摘が追い込みます。「ペトロは皆の前でそれを打ち消して、『何のことを言っているのか、わたしには分からない』と言った。」(七〇節):かつて教会の土台となるとさえ主イエスに言われたペトロが、自己保身のために虚偽を語っています。ここには、ペトロ個人の罪ばかりか、私たち人間のそれが現れ出ています。「義人はいない」とある通りです。「ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、『この人はナザレのイエスと一緒にいました』と言った。」(七一節):ひとたび嘘をつけば、それ以降、嘘で塗り固め続けなければならなくなります。真実から逃げるようにして居場所を変えたペトロを、事実の一端を知る女性がさらに追い込みます。「そこで、ペトロは再び、『そんな人は知らない』と誓って打ち消した。」(七二節):虚偽に走ったペトロは、ここに至ってついにイエスとの関係を全否定します。「打ち消す」「知らない」「誓う」という一連の表現が、全力で主を否定するペトロの必死ぶりを強調しています。一六・一六におけるペトロの信仰告白の力強さと比べ、なんという落差でしょうか。これもまた彼個人だけの問題ではありません。これが、私もあなたもそうであるところの「人間」のありのままの姿ではないでしょうか。「しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。『確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。』」(七三節):主イエスを知らないと言い放ったペトロは、自責の念を抱き、なお主のことを案じていたのでしょう。だからこそ、危険が及ぶ状況下、かろうじてその場に踏みとどまっていました。こうした「どっちつかず」の姿勢は、私たちの信仰にも見られるものです。「そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。」(七四節):この時の彼は、自己を取り繕う余裕すら完全に失い、誓いを立ててまで主を「知らない」と言い放ってしまいました。「ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」(七五節):ペトロが三度目の否定をするや否や、鶏が鳴きました。その鳴き声は、主イエスがかつてペトロに語られた言葉を思い出させました。彼の号泣は、一つには、自分の力で主を信頼しようとして完全に挫折し、自己の真実の姿を悟ったことに由来し、もう一つとして、それを主イエスが一番良くご存知であったことに気づいたことによるものでしょう。
まとめ
かつて主イエスを「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ一六・一六)と告白したペトロは、この時、しかも誓ってまで主イエスを知らないと告白しました。自分の力、自分の決意、理想の自分、あるべき自分……そんな自分がもろくも崩れ去り、彼はありのままの自分をさらけ出しました。別の言葉で言えば、彼は自分に徹底的に挫折したのです。しかし、そんな自分は崩れて良いのです。なぜなら、信仰とは自分で築き上げるものではなく、どこまでも神から与えられるものだからです。砂の一粒も神の前に誇るものを持たない私たちを、それでも、否、だからこそ主は愛し、その罪を赦し、神の子として、弟子として立てて下さいます。そのことをペトロが知るのは、主イエスの十字架と復活の後でした。主が私たちを選び、主が私たちを立てて下さる。この一点に立ち続けましょう!
茨木春日丘教会 大石健一
今回注目していく「人々の群像」は、船の上の「弟子たち」です。聖書箇所として、イエスが風と波をしずめる「嵐しずめの奇跡物語」と、イエスがガリラヤ湖上を歩く「湖上歩行の奇跡物語」の二つを見ていきます。この両者は互いによく似ていて、湖上、風、弟子たちが恐れた点、弟子たちがイエスの存在と力に思いが及ばない点などを共有しています。後の信仰者は、船に自分たちの教会や自分自身を重ね、航海に人生を、そして、怖じ惑う弟子たちの姿に戦々恐々とする自分たちを重ね合わせて、これらの物語を読んだことでしょう。
さて、前者の「嵐しずめ」の方は、マタイ8・23-27、マルコ4・35-41、ルカ8・22-25に記されていて、ヨハネにはありません。一方、後者の「湖上歩行」の方はマタイ14・22-33、マルコ6・45-52、ヨハネ6・16-21に見出され、ルカにはありません。どうしてこのようなことが起きるのか不思議に思われるでしょうが、これは学術的研究で議論されるような非常に複雑なことですので割愛します。
「嵐しずめ」の奇跡物語
「向こう岸に渡ろう」というイエスの言葉を収録しているのは、マルコとルカで、マタイはこれを省いています。ただ、いずれの福音書も、イエスが自ら先陣を切って行動されたことを伝えています。皆様の中で決断を先送りにしている方がいらっしゃるとして、心の中に「向こう岸に渡ろう」との声が聞こえてきませんか?その後、たとえ嵐に巻き込まれることは避けられないとしても、私たちはただこのときの弟子たちのように、主の後に従えば良いのです。
出向した矢先、「嵐」(マタイ)、または「突風」(マルコ、ルカ)が生じました。ルカはガリラヤ湖特有の気象を考慮して「突風が湖に吹き降ろしてきて」と詳述しています。船の中に波が打ち込んでくる危険な状況とは実に対照的に、イエスが悠々と眠っていたことについては、三つの福音書すべてが一致して記しています。その筆遣いに、そこはかとないユーモアを感じます。私たちの周章狼狽など、イエスにとっては安眠の妨げにもならないといったところでしょうか。
もちろん、弟子たちはイエスを起こしにかかります。マルコとルカは「先生」と呼びかけますが、マタイは恐らく読み手にとっての「主」を考慮して「主よ、助けて下さい」と祈るように懇願しています。彼らの必死さはマルコにおいて最もよく書き留められています。「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」(4・38)。原語に近く訳せば、「わたしたちが死に滅びても、あなたは構わないのですか?」となります。これはもはや懇願ではなく、“抗議”です。なんというリアリティでしょう!皆様も似たような経験があるのではないでしょうか。しかし口惜しいかな、マタイとルカはあまりに強烈な表現と感じたのか、書き換えてしまっています。
その後、ようやく起き上がったイエスは、風と波を叱りつけ、あっという間におしずめになりました。直後にイエスが弟子たちに語った言葉が、三者三様です。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」(マタイ8・26)、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」(マルコ4・40)、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」(ルカ8・25)。マタイの「信仰の薄い」とある箇所は、原語では「信仰の小さい」と記されていて、マタイは好んでこの表現を使います。17・20では「信仰が小さい」と「からし種一粒(小さな物の代表!)ほどの信仰があれば」という言葉がセットになって出て来ています。すなわち、「もっと信仰を“大きく”持って」と鼓舞されているのです。一方、マルコの「まだ信じないのか?」においては、信仰の大小の問題ではなく、信仰があるかないかの二者択一で考えられています。加えて、“まだ”というマルコが非常によく使う言葉が付け加えられていることにより、イエスは辛抱して弟子たちに根気強く教えているのに彼らは一向に理解へと至らないという、弟子たちへの批判的なニュアンスが滲み出ています。マルコにおいての「弟子たち」は、とにかく物わかりが悪いのが特徴です。私たちと似たり寄ったりです。ルカの「あなたがたの信仰はどこに?」という表現は、さすが学識あるルカの文才がキラリと光る言葉遣いと言えましょう。「私の信仰、“どこ”に置き忘れてしまったのかしら」、そんな乙なつぶやきを時々されたらいかがでしょう。
「湖上歩行」の奇跡物語
この物語の基本的なポイントは、船に乗った弟子たちの中に、イエスがいないという点に尽きます。「嵐しずめ」では、イエスが共にいるのにいないかのように思う信仰が問題とされていました。対してこちらは、イエスが“不在”なのです。これも「嵐しずめ」のときと同様、イエスは天に昇られて自分たちは地上に残された状態であるという、読者たちの現況が重ね合わせられています。
湖上を歩くイエスの姿を見て、弟子たちは恐れました。その理由についてマタイとマルコは、弟子たちがイエスを幽霊と見間違えたからとして物語を書き綴っています(マルコ6・49、マタイ14・26)。よりによってイエスを幽霊と見誤る前提には、「主がここまで来られるはずはない」「湖の上を歩けるはずはない」といった、イエスとその力に対する我々の信仰の問題が潜在しています。ですから「湖上歩行」もまた、読み手の側の信仰を問うためのエピソードに他なりません。
さて、イエスが弟子たちに語りかけた「わたしだ。恐れることはない」という文言は、細かな違いはありますが基本的には、マタイとマルコとヨハネの三者で共通しています。ただし、ヨハネの「わたしだ」という言葉は、その意味合いが違ってきます。ヨハネの文脈を通して、イエスがご自身を神としてあらわすという、“顕現”や“啓示”の意味合いが込められているからです(同様の例としてヨハネ18・8を参照)。元々ヨハネはイエスを「神」と証言している福音書ですから(1:1「言は神であった」、20・28「わたしの神よ」)、そうした滋味を踏まえて味わうのがこの箇所の楽しみ方です。
マタイがマルコやヨハネと最も異なる点は、ペトロがイエスに申し出て自分も湖上を歩こうとすることです。怖じけづいて沈み始めたペトロの手を捕らえて語ったイエスの言葉がこちらです。「信仰の薄い者よ(小さな信仰)、なぜ疑ったのか」。マタイはペトロが十二使徒の中でも特別であることを強調する傾向がありますから、このペトロのエピソードもそれと合致すると言えばそのとおりですが、やはり、読み手が自分の信仰を見つめ直すように意図されたエピソードであることは間違いありません。
湖上の「弟子たち」の群像を見てきましたが、それは単なる彼らの事実報告ではなく、読者である私たちに向けられたメッセージと感じられたのではないでしょうか。「人の振り見て我が振り直せ」ならぬ、「弟子の信仰を見て、自分の信仰を直せ」という言葉を、今回の締めといたしましょう。
絵画紹介
「嵐しずめ」や「湖上歩行」を題材とした絵画は多くはなく、捜し出すのに少し骨を折りました。今回ご紹介する絵は、レンブラントにするか、それともドラクロワにするか、かなり悩みました。最終的には後述のとおり、色々な意味でドラマチックなレンブラントを選んでいます
18世紀フランスのロマン派の画家ドラクロワが『ガリラヤ湖上のキリスト』を二枚描いていて(1841年、1854年)、湖上歩行の奇跡の絵(1870年代後半)も残しています。彼の師匠は、『メデューズ号の筏』で阿鼻叫喚の地獄絵図を描いたことで一躍有名になったジェリコーです。ドラクロワは彼の影響を受けて、小さな船に所狭しとひしめく弟子たちが押し合いへし合いを繰り広げる絵を描いたと考えられています。実際、絵の中の主役は、ほおづえをついて眠るキリストというよりも、むしろ大慌ての弟子たちの方です。
17世紀オランダの最大の巨匠レンブラントの『ガリラヤ湖の嵐』は「さすが」の一言です。打ち込む波に耐える弟子たちと、イエスの周囲の弟子たちとの間のコントラストもさることながら、限界まで傾いたマストからは不安感、そして白ぎ立つ波の躍動感からは自然の激情を感じます。残念なことにこの絵は、フェルメールの『合奏』などと共に1990年に盗難にあい、行方不明となっています。湖底に沈んだこの絵が、再び太陽の光を浴びることを祈ってやみません。
(元ネタ原稿 『信徒の友』2018年5月号所収<主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像>第2回「イエスの洗礼に立ち会った人たち」
序
イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたことについては、読者の皆様もよくご存知のことと思います。しかし、よくよく考えてみると、ヨハネが授けていた洗礼とは「罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼」ですから(マルコ1・4)、一体なぜ、罪の赦しを与えるイエスが彼から洗礼を受ける必要があったのか、その理由がわからなくなってしまいます。これは、福音書最大のミステリーのひとつです。そこで今回は、イエスが洗礼をお受けになった箇所を見ていきます。また、ちょうどペンテコステの時期にも近いですので、これと併せて、イエスの上に聖霊が降った箇所も読みたいと思います。
イエスの洗礼の事実報告をしないヨハネ福音書
イエスの洗礼に関連する記事は、四福音書すべてにおいて掲載されています。ただし、いずれの福音書の記事にも個性があり、それぞれに独特の音色の響きがあります。まず、マタイ(3:13-17)、マルコ(1:9-11)、ルカ(3:21-22)の三者は、イエスがヨハネから洗礼を受けられた事実を報告している点で一致しています。ところが、ヨハネ福音書だけはこの事実について触れていないのです。否定まではしていませんが、イエスの姿を目にした洗礼者ヨハネは「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(1:29)と語り、その後、ヨハネ福音書は彼の「証」を綴り、洗礼の事実に触れぬままに記事を結んでいます。その代わりに、神の小羊となって贖罪の業を成し遂げたイエスを「神の子」と証言する洗礼者ヨハネの“証”を、ヨハネ福音書は強調しています。
イエスがヨハネから洗礼を受けたというミステリー
イエスが洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった事実について、マルコは直裁に「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」(1:9)と記しています。一方、ルカは「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると」(3:21)と書いており、しっかりと事実を書き留めるというよりは、民衆が洗礼を受けたという報告に繋げてしまうことで、軽く流していくような筆致となっています。なぜでしょうか。
冒頭で述べたように、罪の赦しを与えるイエスが、どうして「罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼」(ルカ3:3)を授けていたヨハネから洗礼を受けなければならなかったのかという大問題と絡んでいます。加えて、普通に考えれば洗礼を授ける人の方が授けられる人よりも上の立場にあって当然ですが、これも反転してしまっています。そうです。イエスの洗礼は、実は解きがたい大いなる矛盾を孕むミステリーなのです。
書き手とすれば、こういう箇所は書き飛ばしてしまいたいところですが、恐らくイエスの洗礼は確固たる事実として周知されていたために、ルカはそうすることができなかったと推測されます。かといって、ルカとしては初心の福音書読者をむやみに混乱させたくはなかったと思われます。そこで、上記のような流し書きをしたのだと私は見ています。
ちなみに、イエスが洗礼を授けたという報告は、ヨハネ福音書だけにしか見られません(3:26「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています」)。イエスが洗礼を授けたというのなら文句なしに自然だというのに、逆に洗礼を受けられたとは、謎は深まるばかりです。
マタイが読み解くイエスの洗礼のミステリー
このミステリーの解決に、果敢に挑戦したのがマタイです。マタイ3:14-15は、マタイ福音書にしか見られない独自の記述となっています。
「ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。『わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。』しかし、イエスはお答えになった。『今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。』そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。」
こうしたやり取りが史実通りなのかどうかという問題はさておき、このマタイの解釈は皆さんにとっていかがでしょうか。「正しいこと」、すなわち、“神の意志”に服従することをイエスは願い、大いなる矛盾の中に我が身を置いたのだと理解することができます。さらには、イエスのこの決意は、罪を赦す方が罪の裁きを我が身に負うという、いわば“贖罪のパラドックス”を指し示しているかのようです。
それにしても、思いとどまらせようとしたヨハネの行動は、私たち読み手の側の動揺を代弁しているかのようです。予想外の出来事が神のご計画の中で起こった時、「主よ、どうしてですか?」と問いたくなる時があるでしょう。そう考えると、イエスがヨハネに返した「今は、止めないでほしい。・・・我々にふさわしいことです」という回答は、にわかには受け容れがたい神の意志が示された時、動揺する私たちに向かってイエスから語られている言葉として受け止めることができます。しかもこの時、イエスはヨハネに対して服従を求めている立場ではありますが、同時に、ご自身もまた父なる神の意志に従順であろうとしています。つまりイエスは、“共に”神の意志に従おうではないかとヨハネに促し、そして私たちにもまた、同じくびきを“共に”担おうではないかと声をお掛けになっているのです。イエスの姿に倣って、私たちもまた、あえて身を低くしようではありませんか。あえて損を取り、あえて矛盾のただ中に飛び込もうではありませんか。神のために、そして、隣人のために。
聖霊が鳩のようにイエスに降る
イエスの洗礼後、マルコの場合は天が「裂け」(1:10)、マタイとルカの場合は「開いて」(マタイ3:16、ルカ3:21)、聖霊がイエスの上に降ってきたと述べています(霊の降りはヨハネ福音書も触れています。1:33)。また、聖霊の表記は各福音書ごとに異なりますが、「鳩のように」という形容と、「わたしの愛する子」という天からの声は、マタイ、マルコ、ルカで綺麗に一致しています。ただし、ルカは「鳩のように目に見える姿で」と書くことで、それが降りてくる様子のことなのか、それとも聖霊の形がそうであったのか、曖昧な点を明瞭な形に書き直しています。
天から響く父なる神の声、降りてくる聖霊、そしてイエス。ここには、一つの場面に三位一体の神である父・子・聖霊が同時に現れる、福音書屈指の美しき情景が広がっています。この様子を誰が見たのでしょうか。洗礼者ヨハネは間違いなくその一人です(参照、ヨハネ1:34)。では、群衆についてはどうでしょう。明記はされていませんが、ルカの書き方のように、民衆がこぞって洗礼を受けていく中、イエスはそこに混じるようにして洗礼を受けられたことを考慮すれば、多くの人々がこの世界で最も麗しい光景を目にしたと考えることができます。現に、画家たちの多くは、その場面に立ち会った人々を絵の中に描き込んでいます。その場に居合わせた群衆の中に私たちも立ち、イエスの洗礼と聖霊降りに立ち会うかのような心持ちで、この出来事を改めて受け止めて頂ければ幸いです。
絵画紹介
イエスの洗礼を題材とした絵画は数多くあります。例えば、イタリアのルネサンス期の画家でティツィアーノに師事し、官能的な画風を特徴としたパリス・ボルドーネの作品は、イエスと洗礼者ヨハネの筋肉美が目映いばかりです。最も一般に知られている作品は、ルネサンス時代のイタリアの彫刻家であり画家でもあったヴェロッキオのものです(ダ・ヴィンチとの共作)。イエスに洗礼を授けるという畏れ多きことに、厳粛な気持ちでのぞむヨハネの精悍な面持ちと、謙って使命に服するイエスの表情の対比が際立つ絵です。
今回ご紹介する絵画は、このヴェロッキオの手ほどきを受けたウンブリア派の画家ペルジーノの作品「キリストの洗礼」です。誇張を避けて単純化された群衆の人物表現と、ダイナミックな風景の描写には、ペルジーノらしさがきらめいています。この絵の特徴は、今触れた通り、洗礼を受けに来た無数の人々の姿が描き込まれていることです。イエスの洗礼の目撃者ともなったという設定も兼ねています。群衆をよく見ると、いぶかしげな表情をしているファリサイ派的な人も紛れ込んでいます。また、風景の後方に、イエスとヨハネが説教している場面が左右対称で描かれているように見えますが、だとすればこれは異時同図法と呼ばれる手法で、一つの絵の中に場所や時間が異なる別の場面を差し入れるものです。その他、洗礼方法は浸礼ではなく滴礼・灌水礼です。これは、中世以降の洗礼方法を反映していると考えられます。本文の結びと繋がることですが、画家たちの多くは、自分たちが生きた時代の日常を絵の中に盛り込むことで、まるでそこに居合わせているかのような臨場感を醸し出したのです。
今回は、ヤイロの娘の甦りと、イエスの服に触れて病を癒された女性のエピソードを見ていきます(マタイ9・18-26、マルコ5・21-43、ルカ8・40-56)。この二つの物語の最大の特徴は、双方が別々のエピソードでありながらも、福音書の中では時間的な連続性を持つ“ひと続き”の物語として描かれていることです。具体的に言えば、ヤイロ娘の甦りの物語から始まり、途中、病を癒された女性の物語が挟み込まれ、その後、ヤイロの娘の物語の後半をもって閉じられる構造となっています。図式化すると、ヤイロ→服に触れる女性→ヤイロ、となります。こうした物語の構成は、他にはいちじくの木が枯れる教訓(マルコ11・12-14、20-21)にも見られ、聖書の中では珍しいものです。
ところで、マタイ、マルコ、ルカに共通して見られる記事の場合、基本的には、マタイとルカがマルコ福音書を下地としつつ、これにアレンジを加えて書き上げたと見るのが一般的です。この点を踏まえて、マルコを軸にしてストーリーを追ってみましょう。まず、会堂長ヤイロがイエスのもとにやって来て、「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう」(マルコ5・23)と懇願するところから物語が動き出します。ところが、一刻を争う道すがら、突如として「十二年間も出血の止まらない女」(5・25)が現れ、イエスの服に触れます。イエスはこの女性を探し出そうとし始め、対して弟子たちはこの行動についてイエスに意見し、ヤイロの娘の物語の進行はすっかり中断してしまいます。その後、イエスの服に触れた女性の病が癒されて話が終了すると、再びヤイロの娘の方に戻ります(5・35)。「子どもは死んだのではない。眠っているのだ」と語るイエスに対して、周囲の人々は「あざ笑い」ます。しかし、イエスが少女の手を取り「起きなさい」(8・41)と語ると少女は甦り、人々は大変に驚いたという報告をもって物語は閉じられます。
場面設定が異なるマタイ
マルコとルカでは、会堂長ヤイロの娘が死にかけている状況で、ヤイロがイエスに助けを求めるという場面設定である一方、マタイでは会堂長ヤイロの代わりに無名の「指導者」が現れて、次のように述べています。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう」(マタイ9・18)。一見、マタイはマルコのセンテンスを踏襲しているようですが、なんと、娘は既に亡くなっているという設定です。その上で「でも、おいでになって手を置いて」とイエスに依頼しているのです。マタイがなぜこのような改変をしたのか、はっきりとしたことはわかりません。マタイはマルコとバージョン違いの記事を採用した可能性もありますが、マタイが意図的にマルコの記事に編集を加えたとも考えられます。マタイ版の方では生きるか死ぬかの切迫感がなくなってしまうのですが、既に死亡した状態にあったとしてもイエスが手を置いてくださるならば甦るという「指導者」の信仰が強調されています。また、物語全体の簡素化と短縮も為されていて、実際マタイは女性の治癒物語の方も大幅に縮めていますから、マタイによる改変の可能性は高いでしょう。必死でイエスに助けを求めながらも間に合わず、一度は諦めたけれども娘の甦りに立ち会うというドラマチックなマルコ・ルカ版か、あるいは、イエスは死人さえも甦らせることができるという信仰重視のマタイ版か、同じ一つの物語で二度味わうことができることも、各福音書の違いを見ていく楽しみの1つです。
イエスから力が出て行って
イエスの服に触れて癒された女性の物語において、マルコとルカにおいては、女性が「イエスの服」(マタイとルカでは「イエスの服の房」)に触れた際に病気の癒やしが起こっています。これとは対照的なのがマタイで、女性がイエスの服に触れた瞬間にではなく、イエスが振り向いて「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った」(マタイ9・22)と語った時に病気が完治しており、治癒の奇跡が発動する要因とタイミングが異なります。マタイでは、女性の信仰と「あなたの信仰があなたを救った」という言葉との結びつきが明瞭にされることで、イエスの服に触れて癒されるという奇跡の次元から、治癒の奇跡を可能にするイエスの言葉とその力を信じる信仰の次元へと論点が移し替えられていると言えるでしょう。
女性がイエスの服に触れたことについてもう1つ。マルコでは「イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて」とあり、ルカではそれがイエス自身の言葉の中で述べられています(ルカ8・46「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」)。病気が癒されることも含めて、神の業が為される時、イエスはご自分の力を注ぎ出していることに気づきます。私たちは無意識に、奇跡を起こすことなどイエスにとって痛くもかゆくもないと思い込んではいないでしょうか。奇跡であれ恵みであれ、その背後には、イエスがご自身の力を注いでくださっているという事実があります。
“中断”されることの意味
一刻も早く娘のもとに戻りたいヤイロにとって、イエスの服に触れる女性の突然の出現は、焦燥感に苛まれるような事態であったでしょう。私たちの人生においても、これからという時に限って周囲のトラブルや病気といったことで自分の人生の中断を余儀なくされ、すっかり気が滅入ってしまうような局面があるでしょう。しかし今回の物語の場合、結果としてはこの中断が、女性にとっては十二年間に及ぶ病気との闘いが終わり、ヤイロにとっては、同じ十二年間(マルコ5・42、ルカ8・42)かけて育てた大切な娘がイエスによって甦ると同時に、イエスの復活の予兆ともなる大いなる出来事に立ち会うことへと繋がりました。実に、中断というマイナス要因が、神の栄光が現される機会となったのです。マタイ、マルコ、ルカは、二つの物語が繋がったこの構造を崩すことはしませんでした。そこには、順風満帆の時よりもむしろ中断の時こそ、主なる神に希望を抱いて歩みなさいというメッセージが込められているのでしょう。
ヨハネ福音書に見られる“残り香”
四福音書で共通して取り上げられている記事は限定されているために、今回はマタイ、マルコ、ルカだけに含まれている記事を取り上げたのですが、実は、ヤイロの娘の甦りが残り香のようにほのかに漂う記事をヨハネ4・43-54に見出すことができます。ある王の役人が瀕死の息子の病気を治してもらおうとイエスのもとに行ったところ、イエスに「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われ、これを信じて帰路についたところ、僕たちがやって来て息子の快癒を告げ知らされたというストーリーです。百人隊長の僕(しもべ)の治癒物語(マタイ8・5-13、ルカ7・1-10)に近いのですが、役人の息子や死にかけているという状況設定はヤイロの娘の物語に似ていて、まるで二つの記事のパッチワークのような仕上がりです。この記事は、元々は1つの物語が拡散し、各地で独自の発展を遂げる過程で別の記事からも影響を受けて成立していった、バージョン違いの物語と言えるでしょう。
絵画紹介
今回、紹介する絵画は、19世紀後半から20世紀前半にかけてのロシアの画家ワシーリー・ポレーノフの『ヤイロの娘の甦り』(1871年)です。クリミア戦争での敗北後にして社会主義革命の手前という時代にあったロシアでは、写実主義というムーブメントが盛んになりました。民衆が味わっている過酷な生活の実態を露わにする社会的リアリズムの動きがあった一方で、ありのままの何気ない日常生活や自然を描き出そうとする流れもありました。フランスで印象主義の影響を受けたポレーノフは後者で、明るい色彩の風景画や、福音書の物語の印象深い場面を多く書き残しています。
祈るように手を合わせて組む母親と思しき女性を初め、ヤイロや弟子たちが背後で見守る中、少女が目を覚ました際の光景が描かれています。伸ばされたイエスの右手と少女の上半身の辺りの空間は、優しい光に包まれているように見えます。静謐な時間が支配する部屋の中をじっと見ていると、見る者の心に、イエスの愛と神の祝福が穏やかに迫ってくるのを感じるような一枚です。
「イエスの復活」
初めに
新約聖書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書が収められています。いずれの福音書も、十字架と復活に至るまでのイエス・キリストの足跡にスポットライトを当てた物語を伝えています。福音書に慣れていらっしゃらない方が目にすれば、福音書にはどれも同じようなことが書かれているように感じられるでしょう。しかしながら、それぞれの福音書には、お互いに共通点もあれば相違点もあり、各福音書はそれぞれ独自の観点をもって、キリストを中心とした出来事を書き綴っています。
そこでこの連載では、毎号違ったエピソードを取り上げて、各福音書の記述間の共通点と相違点を意識しながら、キリストと出会った人々のドラマを浮き彫りにしていきたいと思います。また、その回の場面を題材とした西洋絵画を、毎回一枚ご紹介していきたいと思います。
今回はイースター特集号です。長い夜が明けて復活の朝日が差し始めた時、主イエスが葬られた墓を訪れた人たちがいました。それは、かつてイエスに付き従っていた婦人たちでした。彼女たちがそこで経験したエピソードを中心に見ていきましょう。
イエスが復活して空(から)とされた墓で
「空の墓復活物語」と呼ばれているエピソードは、四つの福音書全てに含まれています(マタイ28・1-8、マルコ16・1-8、ルカ24・1-12、ヨハネ20・1-10)。そして、複数の婦人たちが、安息日が終わった翌日の早朝に墓を訪れたという点で、四福音書は共通しています。まず、婦人たちの名前について、四福音書の中でマルコとルカが丁寧に書き残しています(マルコ16・1「マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ」、ルカ24・10「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たち」)。他方、マタイは「マグダラのマリアともう一人のマリア」(28・1)と簡略化し、ヨハネは「マグダラのマリア」一人しか登場させていません(20・1)。この婦人たちは、イエスがガリラヤで活動していた時から主に従ってきた人たちでした(マルコ15・41、ルカ23・55を参照)。常日頃から主に寄り添うことを求めてきた女性たちだからこそ、逃亡した男性の弟子たちに代わって、復活の最初の目撃者として選ばれたという事実は、私たちの日頃の信仰の有りようについて考えさせられます。
夜明け前、まだ暗いうちに
前述の通り、四つの福音書すべては、婦人たちが早朝に訪れた点で一致していますが、夜明け前のまだ暗いうちに墓へと向かったと報告しているのは、ヨハネ20・1です(「朝早く、まだ暗いうちに」)。夜明け前、それは闇が最も濃くなる時です。はやる心を抑えられないかのように、闇の中に一歩を踏み出していった婦人たち。当人たちですらまだ自分でも意識せぬままに、夜明けを切望し、復活の光へと向かって歩き始めていったのでしょう。希望の見えない夜の中で、復活の朝は白み始めることを思います。
たとえ石で塞がれているとしても
マルコ16・1とルカ24・1は共に、婦人たちが遺体に塗るための「香料」を携えていたと記しています。石が墓の入り口に置かれている以上、それは何の役にも立ちません。それでも彼女たちは、主に献げて生きる歩みを諦めることはありませんでした。マルコ16・3における「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」という言葉は、不安を伴わないことが信仰なのではなく、思いわずらいを抱えながら、それでも不透明の中で歩みを進めていくのが信仰なのだということを、私たちに教えています。
石は転がされ、天使が現れて
四福音書は一致して、石が動かされていたことを証言していますが、マタイだけは「大きな地震」があったと報告しています(28・1「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座った」)。そこに、突如として天使が現れました(ただしヨハネでは、石が転がされているのを婦人たちが見た時点で、すぐに弟子たちのもとに行って報告したという展開)。その姿について、マルコは「白い長い衣を着た若者」と形容し(16・5)、マタイは「稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」と書き(28・3)、ルカは天使が二人であったと証言しています(24・4「輝く衣を着た二人の人」)。また、マタイでは墓を番兵たちが見張っていたという設定になっているため、彼らが物語の舞台から退く場面が差し込まれています(28・4「番兵たちは・・・死人のようになった」)。
天使からのメッセージ
マタイ、マルコ、ルカの記述は概ね一致しており、イエスが復活してここにはいないことを端的に告げています。マタイ28・7とマルコ16・7では、ガリラヤで弟子たちが復活のイエスと相まみえることが伝えられています。マタイはこれをガリラヤでの顕現物語に繋げていますが、元々のマルコ福音書の結びは16・8における婦人たちの沈黙で結ばれていて、新約聖書学における最大の謎の一つとされ、その解釈を巡って無数の議論が未だに継続中です。
ルカ24・5における修辞疑問文の言葉は、もしイースター名言集があるとすれば、その筆頭に挙がるでしょう。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」。主は今も生きておられるというのに、一体私たちはどうして、いつもいつも心を傷めて悩んでばかりなのでしょう。そんな思いわずらいを「なぜ」と問い、徒労であると言い切って下さる天使に感謝したいと思います。
それぞれの福音書オリジナルのエピソード
さて、ここからは、一つの福音書にしか見られない復活のエピソードを幾つか見ていきたいと思います。まず、ルカ福音書独自の復活記事は、何と言っても「エマオ途上の復活顕現物語」でしょう。クレオパを含む二人の弟子たちが失意のうちに論じ合っていた時、何者かが彼らと同伴して聖書の言葉を説き明かしました。聖餐を想起させる食事の場面で、クレオパを含む二人の弟子たちの目が開け、イエスの存在に気づかされ、道中での心が燃える体験を語り合う場面は、読む者の心をも熱くさせます。
次は、ヨハネ福音書に含まれている、マグダラのマリアへの顕現物語です。墓の外で一人涙を流すマグダラのマリアに、復活の主が語り掛けます。当初はその人物がイエスと気づかない彼女でしたが、「マリア」と名前を呼ばれた瞬間に悟り、思慕の念が一気にほとばしり出ます。そんなマリアに、イエスが「すがりつくのはよしなさい」(20・17)とお語りになったという記事です。このエピソードは美術の題材として「ノリ・メ・タンゲレ」(「私に触れてはならない」)と呼ばれ、特にゴシック時代、多くの画家たちによって描かれました。ジョット・ディ・ボンドーネによるスクロヴェーニ礼拝堂の壁画が有名です。こうした絵画の殆どは、ひざまずいて両手を伸ばすマグダラのマリアに対し、イエスが片手を伸ばして制止しているという構図を取っています。イエスはマリアを拒む形ではありますが、イエスの繊細な優しさと、確固たる意志が滲み出ているように感じられます。
絵画紹介
今回、画像と共にご紹介する絵画は、ブリュッセル生まれのフランスの画家シャンパーニュ(シャンペーニュ)による『エマオでの食事』です。テーブルの下をご覧下さい。キジトラと思しき一匹の猫が食べ物に手を出そうとして、お店の人に「コラ」と叱られています。最後の晩餐やエマオでの食事の絵に、猫や犬が描き込まれることは大変よくあることで、猫は元々は裏切りや疑念を象徴するのですが、猫好きな画家の趣味で可愛く描き足されていることも少なくありません。バロック期のスペインの画家ペドロ・オレンテの作品や、有名どころではイタリア・ヴェネツィア派の画家ティントレット(猫出現率はトップクラス)も、『エマオでの食事』の絵画に愛らしいサビ猫を描き込んでいます。ティントレットの方の絵にあるように、大騒ぎする弟子たちを横目に、「初めから知っていたよ」という顔でハコ座りする猫のように、私たちもありたいものです。
第1章 「マタイによる福音書は、誰が、いつ、どこで書いたのか」
「マタイによる福音書」の緒論
初回となる今回は、「マタイによる福音書」が、そもそもどのような人によって書かれ、いつ書かれ、どこで書かれたのかについて、お話ししたいと思います。こういった、著者、執筆年代、執筆場所などについての考察を、慣例では「緒論」(「ちょろん」または「しょろん」)」と呼びます。マタイ福音書の内容に踏み込んだ考察や、神学上の特徴といった議論へと広がっていくのに先立つ、その端“緒”となる議論というニュアンスでしょう。横文字では「イントロダクション」、すなわち「導入」のお話となります。
「マタイによる福音書」の本文
聖書の中で福音書と呼ばれる書は、四書あります。新約聖書に配置されている順序では、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書、以上です。この中でもマタイ福音書は、二世紀の段階では最も広く読まれた福音書と考えられています。言われてみれば確かに、分量も長く、筆遣いも威風堂々としています。緻密な全体構成に加え、「ほほう」と感心する整然とした全体構想が備わっていて、終始一貫して安定した叙述が際立っています。
「マタイによる福音書」の執筆者
今、「マタイ福音書の著者はマタイに決まっているではないか」と思われている方、きっと少なくないでしょう。教会の正典として定められた聖書でそう記述されているのですから、教会で読む分には、それで差し支えはありません。ただ、学問あるいは科学というものは、よく調べて論理的に考えた場合はどうなのかを問う営みですし、こちらの「特集」記事は、少々学問的な体裁も含むものですので、せっかくなので少しだけ踏み込んでみましょう。
マタイ福音書には今でこそ「マタイによる福音書」という名称が付けられていますが、元々は書名などなく、本文にも著者が誰かという記述は見当たりません。書名は後から付けられたものです。
ここからはちょっと散らかった話になりますが、頭を働かせて読んでみてください。新約聖書二七書が正典として定められる前の古代時代、それでもある程度それぞれの文書はまとめて保持されていたようで、その際、四つの福音書の並び順は、今日のマタイ福音書にあたる福音書が一番先であったことから、「第一福音書」と呼ばれていました。他方、ヒエラポリスの司教であったパピアスという人の言葉に、「マタイはヘブライ語で言葉集を編纂した」とあります。それ以降、恐らくはその記述を参考にして、何人もの司教、神学者が、マタイという人によってヘブライ語の書がしたためられたと書くようになりました。
三世紀前半に活動した教父オリゲネスはこれらの情報を統合し、「第一福音書はかつて徴税人であり、後にイエス・キリストの使徒となったマタイによって書かれ……ヘブライ語で著された」と述べています。なるほど、マタイ九・九以下には、マルコ福音書では「レビ」という名の人物が「マタイ」に書き換えられた形で、収税人であった者がイエスによって招かれて弟子とされた記事が掲載されています。つまりオリゲネスは、【マタイ九・九の収税人マタイ=使徒マタイ=第一福音書の著者】と同定したということでしょう。それ以降、この理解が伝統として根付き、最終的に第一福音書は「マタイによる(福音書)」と名付けられるようになりました。結論として、マタイ福音書の著者は使徒マタイとするのがトラディショナルな見解です。
これで一件落着かと思いきや、この見解には問題点があります。まず、先ほど「ヘブライ語」の書とありましたが、マタイ福音書はコイネー・ギリシャ語で書かれていて、食い違いがあります。また、今日の学術上の一般的な説としては、マタイ福音書の著者はマルコ福音書の現物を読んで、これを大幅に下地にして書いたとされています。そうだとすると、十字架以前のイエスを直接知っているはずの使徒マタイが、直接は知らないで書かれたマルコ福音書を、わざわざ参考にする必要があるのだろうかという疑問が残ります。他にも、細かい点でいくつか問題があります。
以上の通り、【マタイ福音書の著者=使徒マタイ】かどうかは、今となっては検証のしようもありません。ただ、十二使徒のリストでもマタイ福音書はマタイのところに「徴税人」と書き加えてもいますので(一〇・三)、先の九・九以下と併せ、マタイ福音書が「徴税人マタイ」を他の福音書以上に強調していることは、まぎれもない事実です。マタイ福音書の熱い心が、徴税人でありながら弟子とされたマタイに注がれていることを意識しながら読むと、マタイ福音書の説教がより楽しくなるでしょう。
「マタイによる福音書」の執筆年代
まず、マタイ福音書の本文には、本書が執筆された時期について一切明記されていません。ということは、執筆者問題同様、状況証拠から埋めていくしかありません。先ほど、マタイ福音書はマルコ福音書を読んだ上で書かれていると述べました。これが正しければ、マタイ福音書はマルコ福音書の後に書かれたということになります。ところが、マルコ福音書の執筆年代も大いに議論されてきて、紀元六〇〜七〇年としておくのが一般的です。となれば、マタイ福音書はそれ以降であるとひとまずなります。
ところで、例えば坂本龍馬を映画化したものがあったとして、劇中の龍馬の描き方やセリフは、必ずしも当時に忠実ではなく、映画化に際してその時代に発していきたいメッセージが上乗せされる、あるいは反映されるということがよくあります。マタイ福音書もそれと同様で、「執筆時の教会や時代の状況が滲み出ているなあ」と思わせる筆致が読み取れるのです。これらをつぶさに考察していくと、マタイ福音書はどうも、エルサレム神殿の崩壊(紀元七〇年)の後とか(二二・七)、八〇年代中頃にあったユダヤ人によるキリスト教徒追放処分が意識されているとか、言葉のはしばしに感じるところが多々あります。例えば、四・二三で「諸会堂」と訳されている箇所は、原文では「彼らの諸会堂」とあります。「あれ?同じユダヤ人なのに、『彼らの』なんて、まるで他人事みたいな距離感のある言葉遣いだな」と感じます。それで、「そうか、もうユダヤ教とは距離がある状況か」と気付くわけです。これらを丁寧に総合していくと、紀元八〇年代に書かれたと見るのが妥当です。
ちなみに、推定成立年代が百年頃と目されている「ディダケー」などの書が、マタイ福音書の記述を知っているようなので、ということは、マタイ福音書の成立はそれ以前でなければならないとなります。以上、この辺りのものの考え方は、ミステリー小説における犯行推定時刻を推理する探偵のやっていることと、そうは変わりません。
元々はユダヤ人イエスや使徒たちから始まった、ユダヤ教の中でのイエス運動が、迫害を受け、ついに追放処分を受け、そうして分離し、独立したキリスト教が成立するに至った……。その時、マタイ福音書を書いた人、読んだ人たちは、一体どんな闘いをしていたのだろうと、行間からその血と汗を読み取ろうとする営みは、説教を作る際の閃きに繋がっていきます。「『義のために迫害される人々』(五・一〇)って、こういうことか!」といった具合に、聖書の言葉の理解が立体的になります。仕上げに、「そうした迫害との闘いは、現代の私たちにとって、どんな意味があるのだろう」と思い巡らすのです。そうすると、例えば他の箇所での「恐れるな」という主イエスのみ言葉に、「そうか、結局、神以外のものを恐れるなということか」といった閃きが生まれ、み言葉に血と肉が付いていくのです。教会学校向けの説教はともかくとしても、大人向けの立派な説教が、「彼らの」というわずか一言から、自ずと湧き出してくるではありませんか。
そう、私が今ここで述べていることは、神の言葉の立体化、血肉化へと目指すものです。「そんなことはどうでもいいから、手っ取り早く来週の説教のコツを教えて」というのも人情でしょうが、こういった余計とも思える情報の一つ一つの蓄積、そして反芻が、深いメッセージを地中から掘り出す結果へと導いていきます。手っ取り早さから、奥深い説教は生まれません。
「マタイによる福音書」の成立場所
マタイ福音書は、一体どこで書かれたのか。これもまた例により、本文中の記載は一切なく、状況証拠のみからの推理となります。まず、本書は「コイネー・ギリシャ語」で書かれていると先ほど述べました。よって成立場所は、その言語が使われているエリアでなければなりません。次に、マタイ福音書は他のどの福音書にもまさって、律法を重んじています(一例として五・一七「わたしが来たのは、律法や預言者を廃止するためではなく……完成するためである」)。同時に、ユダヤ人の慣習に詳しく、その知識を前提としています。ということは、この福音書の読者にはユダヤ人が多く含まれていると。それでいて、イエスが活動されたガリラヤを含むパレスティナの地理の書き方に、知識の乏しさを感じます。その他、本書におけるペトロの重要性の強調や、本書を最初に引用した古代文書の成立場所、初期キリスト教会の教会分布図などを加味すると、「シリア」という説が最も一般的でしょう。
ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー
第2章 マタイによる福音書の神学的特徴
一 はじめに
まずは今回の副題をご覧ください。あえて「神学的」と書いています。素直に「内容的特徴」と書いても事足りはするのですが、せっかくのこういう特集記事ですし、この連載の先もまだまだ長いので、「神学」についてザックリお話ししておきましょう。
一・一 「神学」とは
ある観察対象や現象があった場合、よく「科学的に考察する」などと言ったりします。科学的とは広い意味では「学問的」ということで、学問的とは「論理的」と言っても良いでしょう。信仰をもたない人であれ誰であれ、ロジックで納得のいく説明をつけられることが、科学的という意味です。なお、厳密な定義としては、再現性や反証可能性などが求められますが。
ところが、教会は論証できない神の存在を信じている一方で、世の中にはそうでない人がいます。このままだと教会の学は学問になりません。それでは話が進みませんから、神の存在や啓示された真理は前提とした上で、その上でキリスト教の信仰内容などに関する考察を深めていきましょうという営為こそ、「神学」に他なりません。ちなみに、イスラム教やユダヤ教でも神学と呼ばれ、仏教や神道では教学、宗学と呼ぶのが一般的な慣例です。もう一歩踏み込んで言えば、神学とは私たちの教会という領域の中で、神の真理に関する考察を深めることを指します。この記事の立ち位置は、こちらになります。
一・二「福音書の特徴」という考え方
根本的な話から始めたいと思いますが、そもそも「特徴」というのは、対象が一つだけでは成り立ちません。例えば、今この記事を読んでくださっている「あなた」の「特徴」は、他の誰かと比べた時に初めて際立ってくるものです。もし世界中にあなた一人であったなら、他の生物と比較しての人間の生物学的特徴は出てきても、あなた個人の人格については論じられません。これと同様に、マタイ福音書を教会以外の思想と比較することはできますが、ここで論じていく「特徴」とは、他の福音書と比較した時に明瞭となる、いわばマタイ福音書の人格になります。
ということで、マタイ福音書と比較する書は次の三書、すなわち、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書です。ただしヨハネ福音書は、他の三書とは構想からして大幅に異なっていて、独特なおもむきの福音書となっているので、比較対象として触れられることは少なくなります
二 「マタイによる福音書」の神学的特徴
マタイの特徴を細かく挙げていくと、それこそ「枚挙にいとまがない」ので、今年度のカリキュラムで扱う範囲で、皆さんの説教準備に役立つ形で紹介したいと思います。
【一】旧約聖書との繋がりを強調。【二】パウロとも微妙に異なる律法理解と律法重視、<律法の創始者モーセ、律法の完成者イエス>。【三】キリストの弟子としての教会。【四】イスラエルの継承者としての教会。【五】古いイスラエルから迫害を受ける、新しい教会。【六】教会の世界宣教の展望。
「話が散らかって、こんなの頭に入らないよ」という方も多いと思いますが、これらは皆、一本の紐で繋がっているので、いったん頭に入ってしまえば、あとは楽です。
二・一 「教会」
まず、上記の箇条書きでも「教会」という語が何度も現れている通り、マタイ福音書の基本的な特徴は、「教会」が明瞭に意識されていることです。マタイ、マルコ、ルカにおいて、ヨハネを含めても「教会」という語を使っているのはマタイだけです。もっとも、その回数は三回と多くはないのですが、その理由は、福音書の舞台設定が教会誕生以前のイエス時代だからです。にもかかわらずマタイ福音書では、主イエスの口から「教会」という単語が出てくることはとても特徴的であり、意義深いです。ちなみに、ルカ福音書と使徒言行録の執筆者とされるルカは、ルカ福音書では同語を使っていない一方、使徒言行録の方では一転して二〇回以上使っています。切り替えが徹底していてすごいです。
二・二 イスラエルを継承する「教会」
次に、マタイにとって「教会」とは、イスラエルの民、旧約の民に取って代わり、今やその正統性と歴史を受け継ぐべき存在とされています。そして、それは教会の「かしら」であるイエス・キリストから既に始まっていたというのが、マタイの主張です。こうしてマタイは、旧約聖書の言葉を頻繁に引用しつつ、旧約とキリスト、イスラエルと教会との連続性を強調します。そして、旧約の根本要素である預言、律法、イスラエルなどを、新約の福音の光のもとで再定義していきます。さらに、キリストは単なる旧約の継承者に留まらず、モーセによって始まった律法、その完成者として示されます(五・一七「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである)。
二・三 キリストの弟子としての「教会」
十二人の使徒たちも含め、キリストの弟子たちは「教会」とされます。ペトロがその教会の「岩」とされている点も、マタイ福音書の大きな特徴の一つです(一六・一八「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」)。こうして、【新しいイスラエル=教会=キリストの弟子たち】という図式が出来上がります。
二・四 古いイスラエルから迫害される「教会」
前回の「特集」第一回で述べた通り、マタイ福音書の筆致から推察して、当時の教会はユダヤ人からの迫害、追放、そして分離を経験していたようです。いわゆる「山上の説教」(五〜七章)において、主イエスの言葉に「迫害」という語がたびたび現れるのは、そうした状況を反映しているものと考えられます(五・一〇「義のために迫害される人々は、幸いである」、五・一一、五・一二「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」、五・四四)。また、他の福音書と比べて、同語の使用回数も多い傾向にあります。ちなみに、五・一二の「あなたがたより前の預言者たちも」というくだりには、旧約との繋がりが意識されています。また、五・四四(「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」)は、旧約の隣人愛を超えるもの、すなわち旧約の“律法を超えて完成へ”と向かうイエスの教え、という意識が滲み出ています。
二・五 世界宣教へと向かう「教会」
新しきイスラエルとしての教会、キリストの弟子たちとしての教会は、ユダヤ民族という枠を越えて、世界へと羽ばたいていきます。それこそ、かの有名な二八・一八〜二〇のみ言葉です。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」復活のイエスが、「山」で弟子たちに語られたものです。「すべての民をわたしの弟子にしなさい」という、言わずと知れた「大宣教命令」ですが、これまで出てきた旧約、律法、イスラエルの継承、新しき教会、弟子たち…、すなわち、マタイ福音書の全ての伏線が、最後の一節に集約され回収されて大団円を迎えるという、この構成の見事さよ!古代時代のキリスト者が、「第一福音書」と位置付けたのも納得の構成です(四月号収録の「特集」第一回を参照)。構成の素晴らしさもさることながら、今の私たちが、マタイで示された教会、キリストの弟子として、リアルに生きているということに、胸が熱くなりますね。
三 「マタイによる福音書」の弟子論
さて、先ほどのマタイの特徴として挙げた【一】から【六】はロジック上の順番でもあるのですが、同時に、皆さんがただいま辿っているところのカリキュラムの順序も意識したものとなっています。七月のカリキュラムに割り当てられている聖書箇所には、「弟子」について述べられている記事が多く含まれます。しかし、今回の残りの紙面は既に残り少ないです。そこで【一】と【二】のもう少し詳しい解説は次回以降に回し、【三】の弟子論の視点から、七月分のいくつかの箇所を見てみましょう。
三・一 徴税人マタイ
七月七日分の箇所である「主イエス、マタイを弟子にする」は、徴税人であったマタイが主イエスの弟子として招かれるという、いわゆる「マタイの召命」記事のところです。先の「特集」第一回でも述べた通り、マルコ福音書では「レビ」と明記されている人物が、マタイ福音書では「マタイ」と記されているという、マタイ独自の箇所でもあります。マタイにしかない要素ということは、マタイの特徴をよく表してるということです。伝統的な解釈では、【この徴税人マタイ=使徒マタイ=マタイ福音書の執筆者マタイ】と同定されてきましたが、問題点も指摘されていて、マタイ福音書の執筆者が使徒マタイかどうかまでは定かではありません(この点についても「特集」第一回をご覧ください)。しかし、マタイ福音書が、徴税人としての過去を持つマタイを重視していることは間違いありません。忌み嫌われ、神の救いから遠いとされた者が、キリストに招かれ、弟子とされて再生するのだというコンセプトがマタイ福音書にはあるという点は、説教を準備する際いつでも意識しておいて損はありません。
三・二
弟子たちが主イエスによって町や村に派遣されるという七月二十一日分は、内容がほぼ同じの記事が、マルコ福音書、ルカ福音書にも見られます。こういうものを、専門用語で「並行箇所」と呼びます。この箇所のマタイ福音書オリジナルの要素は、五節から八節となるかと思いますが、「イスラエルの家の失われた羊」を筆頭に、「天の国」という表記や旧約を意識した書き方など、マタイの特徴が満載です。
最後に
いかがでしたでしょうか。「頭がパンパンです」という方は、キリストは旧約・律法の完成者で、教会はイスラエルの後継であること、要するに“新約は旧約の続き”という私たちにとって当たり前の事柄が、とてもとても意識して書かれているのだと思っていただければ、とりあえずオーケーです。いっぺんに分かろうとせず、「マタイは旧約との繋がり重視だな、教会重視だな」といった具合に、ふわっと、まるっと掴んでおいてください。
ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー
第3章 共観福音書問題
はじめに
今回は、表題の通り「共観福音書問題」について解説します。成人の方の礼拝説教の中で、例えば「並行箇所のマタイでは……」とか「マルコではこうありますが、マタイではこう書かれています」といったセリフを耳にしたことはないでしょうか。本誌の「テキスト解説」でも、しばしば見られます。そういう時、きっと皆さんの多くは、ピンと来ないまでもなんとなく「マタイやルカでは同じような記事があって、それらを比較しているのだろう」と考えるでしょう。この背後には、通称「共観福音書問題」が横たわっています。そこで今回はこの際、この問題について一から十までまとめてお話ししたいと思います。マタイ福音書だけに関わる問題ではありませんが、「マタイ福音書で説教」となると、結局、マルコやルカとの比較は避けられませんし、そうした違いが生じてくる背景を知ることで理解も深まりますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。
一 「共観福音書問題」とは
まず、そもそも共観福音書ってなに?という話からしなければなりません。時は遡って三世紀とか四世紀以降のお話です。マタイ、マルコ、ルカという三つの福音書が書かれ、それらが正式に新約聖書正典として定められる前後の時代から、昔の人たちは不思議に思っていました。「なんか、三つの福音書って似てない?ヨハネは全然違うけど」と。確かに、例えば「嵐しずめ」と呼ばれる有名なイエスの奇跡物語を見比べてみると、ほぼ同じという箇所もあれば、表現が微妙に違ったり、さらには大きく異なる部分もあったりすることに気づきます。それから、三つの福音書の記述を抜き出して並べて、一枚の紙上で見比べられるようにと、「共観表」(「シノプシス」)というものが作られました。「シノプシス」は、「共に(同時に)見る」という意味のギリシャ語に由来します。「(三つの福音書が)共に観られる(一覧)表」ということです。この「共観表」から、三福音書は「共観福音書」と呼ばれるようになりました。
では、いったいなぜ、三つの福音書が互いに似ていると同時に違ってもいるのか、その理由が問題となります。この講座の第一回で、古代時代からマタイ福音書が「第一福音書」と呼ばれていたと述べました。内容も一番とされ、各福音書の並び順も一番目だったからです。そのこともあって、アウグスティヌスなどもそう考えたようですが、きっとマタイが先に書かれて、後からその縮約版としてマルコが書かれ、、他方、アレンジ版としてルカが著されたのだと思われるようになりました。めでたしめでたし、これで疑問も解決とばかりに、それ以降、この問題を深掘りする人はいなくなったのでした。
ところが、時はめぐり、近代化の波が押し寄せるようになった十八世紀後半になると、科学的視点で聖書を分析する動きが生じてきました。そして、長きにわたる眠りから、突如として「共観福音書問題」は目覚めたのです。
二「共観福音書問題」の解決へ
ここで、皆さんは学校の先生になったつもりで、三名の学生のレポートを採点するイメージをしてみてください。一部、ほぼ丸写しの部分が見られることから、レポートの「剽窃」を疑うあなたですが、言葉遣いが異なる部分もあれば、全くのオリジナルの記述もあります。一体、三人はどのように写し合いっこをしたのか。はたまた、四人目のゴーストライターがいるのか。あなたはこの事件の真相をあばくことができるか……共観福音書問題は、そんなミステリーに置き換えることができます。
まず、レッシングとアイヒホルンという人は、当時の言語であるアラム語で書かれた福音書があって、マタイやマルコたちはそれを翻訳したのだ、と考えました。でも、翻訳ならば三人とも、もっと似ていてもよいはずですよね。
次に、シュライエルマッハーは、メモ書きのような断片が散らばっていて、三人はこれらをそれぞれ寄せ集めて福音書を書いたのだ、と考えました。いい線いってそうですが、それにしては三つの福音書の記事を並べて見てみると、記事の並び順が妙に一致しています。それぞれがメモ書きを集めたのなら、もっと順序が違っているはずです。
それならばと、今度はヘルダーとギーゼラーが、当初は口伝えの伝承(口頭伝承)であったものを、翻訳を経て三人が福音書に編纂したのだと推測しました。しかし、これは先のメモ書き説と大して変わりません。やはり、丸写しにしたような逐語的な一致と、記事の並び順の一致から考えると、どうやらメモや口頭伝承の単なる寄せ集めではなく、三者で見せ合いっこ的なことをしたのでは……という推理へと導かれるのです。
そこで現れたのがグリースバッハです。古代の神学者も考えたところの、マタイが最初に書かれてマルコとルカがマタイをアレンジしたという伝統的な説を、近代版に甦らせました。ところが、これにはすぐさまツッコミが入りました。この推理では、マタイにあるとても重要な記事を、マルコやルカがいとも簡単にカットしていることになってしまう、その理由を説明できないからです。
そうして暗礁に乗り上げ、事件の捜査が振り出しに戻ったある日、ラッハマンは三福音書の記事の並び順をしげしげと見ていました。そのとき閃いたのです。「事件はマタイで起こるんじゃない、マルコで起こっているんだ!」と。すなわち、マルコが最初に書かれ、マタイとルカがそれを参考にして福音書を書いたのだろうと。この推理にはヴィルケとヴァイセも同意しました。しかし問題は、マルコにはなく、マタイとルカにだけ見られるキリストの言葉がたくさん存在することです。しかも、記事の配列も双方似ています。「マルコ以外に、もう一つ、未知の書があるはずだ。」
そんな彼らの思いを形にしたのが、ホルツマンです。彼は、マタイとルカが参考にしたプロトタイプマルコの存在と同時に、マタイとルカだけが参考にしたであろう、キリストの言葉集のような資料(通称、Q)の存在を想定しました。今日に至ってなお、その原文も写本も発見されていない全くの理論上の資料で、まるでミスターXのようです。それでもこの仮説には、「真実はいつも一つ。これがそれか」、と巷も騒然となりました。その後、マタイだけ、またはルカだけに見られる記事を別立てとする調整案が、ストリーターによって提唱されました。こうして、ついにこの事件は、九分九厘の解決へと至ったのです。「謎は全て解けた。」現在、学説の大半は、マルコが最初に書かれ、マタイとルカはマルコおよび先の言葉集と共に、それぞれ独自の資料を用いて著したという説に落ち着いています。
マルコ+言葉集+マタイ独自資料 =マタイ福音書
マルコ+言葉集+ルカ独自資料 =ルカ福音書
三 実際に違いを見てみよう
三・一 「嵐しずめ」の奇跡物語をサンプルに
「四資料仮説」とも呼ばれる以上の説は、学問上の仮説に過ぎません。ただ、これまでの講座を通じて述べてきたことの一つは、マタイの特徴をしっかり掴みつつ、マタイをガッツリ語るために、マルコやルカとの違いをしっかり意識することが必要ということです。理由はなんであれ、共観福音書で同じところもあれば、明確に違っているところもあることは事実ですから、ともかくもその事実認識だけは欠かせません。
さて、ここからは実例を取り上げてみましょう。最初に、先ほども触れた「嵐しずめ」を見てみると、マルコ四・三十五〜四十一では劇的に物語られている一方、マタイ八・二十三〜二十七では、ちょっと短くなっています。先の仮説に準じて言えば、マタイはマルコを参考にする際、マルコの尺を短くしたということになります。実際、他の箇所でもマタイは、マルコの物語描写や展開をシンプルにする傾向があります。マタイ先生が「もっとシンプルでいいんだよ……」と呟きながら自分の福音書を書いている姿を想像すると、なんだか笑ってしまいます。
他には、マルコでは弟子たちが「まだ信じないのか」と主イエスに叱られているのですが、マタイ八・二十三〜二十七では、「信仰の薄い者たちよ」、原語のコイネー・ギリシャ語では「信仰のちっちゃい者たちよ」とあります。マルコでは信仰があるかないかの問題で、「まだ」ないとでも言いたそうです。そもそもマルコは白黒つけた考え方や言い方が好みです。他方、マタイでは信仰が量的に表現されていると。それならルカ八・二十二〜二十五ではどうかというと、なんということでしょう、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」となっています。信仰はあるけれども、どっかにすっ飛んでしまっているという理解です。以上の通り、信仰論が三者三様で異なりますから、どの福音書で説教をするかによって、語り口も違ってきますよね。
もう一つ、マルコでは「おぼれ(死んでも)かまわないのですか?」というセリフが、マタイやルカでは「おぼれ(死に)そうです」と書き直されています。私は、「見捨てるつもりですか?」と言わんばかりのマルコのキツい言い回しが好きです。
三・二 「安息日の主」の記事をサンプルに
いかがでしょう。これが「利き酒(ききざけ)」ならぬ、「利き共観福音書」です。マタイだけとは言わず、マルコでもルカでも説教したくなりますよね。さて、紙面もわずかですが、あとちょっとだけコメントして終わりましょう。
マタイ十二・一〜八は、元の箇所がマルコ二・二十三〜二十八で、読み比べてみてください。ところどころ、はしょられているでしょう?しかし最大の違いは、マルコの「安息日は、人のために定められた」が削除されている点です。マルコの言い回しだと、律法軽視に繋がりかねない危険がありますが、マタイはそれを修正して、律法は用済みではなく、キリストによって律法が完成される点を前面に出しています。また、「わたしが求めるのは憐れみであっていけにえではない」という文言も追加されています。
最後に
ここまで読んでいただいてありがとうございます。皆さんがこれからの説教者ライフで、「利き共観福音書」を楽しまれることを願っております。
ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー