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2025年10月26日日曜日

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マルコ4:1-9

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マルコ4:1-9

「蒔かれた種の例え」

 並行箇所:マタイ13:1-9、ルカ8:4-8


 概要

 マルコ4:1-34は例え話集となっていて、最初の「蒔かれた種の例え」の他、成長する種の例え、からし種の例えが収録されている。同時に、この例え話の解説(4:13-20)、および例えを使って話す理由も記されている。(4:10-12、4:33-34)。

 種を蒔く人の譬え話は、例えやその解説の中で土地について注目されていることもあって、種が撒かれた土地、すなわち、神の言葉を聞いた人々の話として認識されていた。だが、最近はこの解釈が見直され、種を蒔く側の人々についての例え話、つまり、神の言葉を宣べ伝える側の苦労を物語る例えとして見直されている。

 例えの構造としては、四種類の地面と種の運命が描かれている。4種の土地は、神の言葉という種を聞いた4タイプの人間の寓喩である。


 参考文献(注解書などを除いた一部)

上村静「蒔かれた種のたとえ(マルコ 4:3-8)蒔かれた種のたとえ(マルコ 4:3-8)―神の支配の光と影―」、『新約学研究』第42巻、日本新約学会、2014年。



 1節

新共同訳「イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。」

Καὶ πάλιν ἤρξατο διδάσκειν παρὰ τὴν θάλασσαν· καὶ συνάγεται πρὸς αὐτὸν ὄχλος πλεῖστος, ὥστε αὐτὸν εἰς πλοῖον ἐμβάντα καθῆσθαι ἐν τῇ θαλάσσῃ, καὶ πᾶς ὁ ὄχλος πρὸς τὴν θάλασσαν ἐπὶ τῆς γῆς ἦσαν.


「イエスは、再び……」:Καὶ πάλινは、マルコに特徴的な繋ぎの語句(他、2:13など)。複数回にわたって弟子たちや人々に教えられたことが示されている。

黙想:人に伝える、または教えるということは、容易なことではない。イエスでさえも継続的に何回も続けて行わなければならなかったし、失敗も多かったことが窺える。


「おびただしい群衆が……集まって来た」:群衆が集まった理由が、イエスの奇跡の業を求めてなのか、あるいはイエスの教えを聞こうとしたものなのか、判断し難い。

 「おびただしい群衆」は、直訳では「大勢の群衆」(ὄχλος πλεῖστος):群衆は大勢の人たちのことなので、これに「大勢」と加えるのは冗長的表現である。これは、イエスの人気と宣教の影響力が、いかに大きかったかの強調が意図されている。


「湖のほとりで」:ガリラヤ湖のこと。先の「また」という語も暗示するように、イエスの宣教活動の中心地の一つ。


「船に乗って腰を下ろし」:ユダヤ教におけるラビが講話をする時、ラビは座して語った。教師として教える基本的姿勢。船に乗って語る理由として、1 殺到する群衆を避ける。2 湖面を利用して声を反射させ、群衆の耳に行き届かせる。

 象徴的解釈として、舟を教会の象徴とし、群衆はそれが伝える神の言葉を聞く者とすることが可能である。



 2節

新共同訳「イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。」

καὶ ἐδίδασκεν αὐτοὺς ἐν παραβολαῖς πολλά, καὶ ἔλεγεν αὐτοῖς ἐν τῇ διδαχῇ αὐτοῦ·


「たとえでいろいろと教えられ」:イエスが例えを用いて語った理由については、後続の4:10-12において述べられる。「例え」という語は(παραβολή)、原語自体は元来“並べて投げる”ないし“並べて置く”ことを意味する。類推しやすいものを通して物事を悟ろうとするのが例えの目的である。イエスは、日常的事象を取っ掛かりとして、神の真理を聞き手に悟らせようという目的で例えを用いた。


「その中で」:直訳では、「その教えにおいて」。「教え」と訳されている語はδιδαχή、文字通りの意味。これはイエスの宣教内容の中核であり、その内容はおそらく、聖書(旧約聖書)の言葉の解釈や、神、神の愛についてである。



 3節

新共同訳「『よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。」

Ἀκούετε· ἰδοὺ ἐξῆλθεν ὁ σπείρων σπεῖραι.


「よく聞きなさい」:原文では、命令形の動詞のみで「聞け」。話の開始に際して

聴衆に注意を促す文言ではあるが、同時にこの例えの底流にある”神の言葉ないし教えを聞く“という主題とも一致する。


「種を蒔く人」:ὁ σπείρων 

この例えにおいては農夫を指すが、意味するものは“神の言葉を蒔く人”、すなわち、人々に神の教えを説くイエスや弟子たち、後の宣教する者たち。



 4節

新共同訳「蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。」

καὶ ἐγένετο ἐν τῷ σπείρειν, ὃ μὲν ἔπεσεν παρὰ τὴν ὁδόν, καὶ ἦλθεν τὰ πετεινὰ καὶ κατέφαγεν αὐτό.


「ある種は……」:ὃ μὲν... ここから、撒かれた種のそれぞれの顛末が綴られていく。


道端に落ち、鳥が来て食べてしまった:道端に落ちた種は。鳥に食べられる運命にある。他方、踏みしめられた道は硬く、土が種を受け入れないため、種が外に晒されてしまうことになる。そのために、鳥に食べられるという読みも可能。


「鳥」:後述の4:15では、鳥はサタンであると解き明かされる。

 

 5節

新共同訳「5 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。」

5 καὶ ἄλλο ἔπεσεν ἐπὶ τὸ πετρῶδες, ὅπου οὐκ εἶχεν γῆν πολλήν· καὶ εὐθὺς ἐξανέτειλεν, διὰ τὸ μὴ ἔχειν βάθος γῆς· 6 καὶ ὅτε ἀνέτειλεν ὁ ἥλιος, ἐκαυματίσθη· καὶ διὰ τὸ μὴ ἔχειν ῥίζαν ἐξηράνθη.


「石だらけで土の少ない所」:原文の直訳では、単に岩地の上(ἐπὶ τὸ πετρῶδες)。パレスチナでは岩地が多く、風に吹かれてある程度堆積した土が浅く盛られている場所も少なくない。

「すぐ芽を出した」(εὐθὺς ἐξανέτειλεν):「すぐ」(εὐθύς)はマルコが好む語。速やかな決断を示す際によく使用されるが、ここでは否定的な意味を含み、「すぐ芽を出した」、すなわち、すぐに信仰的決断に至ったものの、長く持続はしなかったということを暗示している。

 岩地の上の種がすぐに芽を出す理由については、岩盤が熱を持ちやすく、その暖かさで発芽するのが早いことが考え得る。


「日」(ὁ ἥλιος):太陽のこと。試練や迫害を象徴。迫害のない我々の環境であれば、なんとなく行く気が失せてしまうことなども、大きな試練と言える。


「焼けて」(ἐκαυματίσθη):「焼けた」—信仰の試練に耐えられない状態。


 7節

 新共同訳「ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。」

καὶ ἄλλο ἔπεσεν εἰς τὰς ἀκάνθας, καὶ ἀνέβησαν αἱ ἄκανθαι καὶ συνέπνιξαν αὐτό, καὶ καρπὸν οὐκ ἔδωκεν.


「茨」(ἀκάνθαι):原語では複数形。世の思い煩いや、富の誘惑(参照、4:18-19)。


「覆いふさいだ」(συνέπνιξαν):原語は「窒息させる」の意。芽を出した種の成長を阻む、さまざまな試練的な要素を象徴する。


「実を結ばなかった」(οὐκ ἔδωκεν καρπόν):信仰がその人において実りある人生をもたらすことはなかったということ。


 8節

 新共同訳「また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。』」

καὶ ἄλλα ἔπεσεν εἰς τὴν γῆν τὴν καλὴν, καὶ ἐδίδου καρπὸν ἀναβαίνοντα καὶ αὐξανόμενον, καὶ ἔφερεν ἓν τριάκοντα καὶ ἓν ἑξήκοντα καὶ ἓν ἑκατόν.


「良い土地」(τὴν γῆν τὴν  καλήν):「良い地」。「良い」と訳されているκαλήνは、他に「美しい」という意味も持つ。良い土地とは、良い人間や美しい人間を意味するのではなく、次節によれば「聞く耳のある者」、あるいは「良く聞きなさい」という言葉を受けての”よく聞く人”。


「芽生え、育って」(ἀναβαίνοντα καὶ αὐξανόμενον):マルコのみの表現。これまでの事例では頓挫していた成長が、そのまま持続した結果として描かれている。


「あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍」:この時代における農業の10倍近くの数値に相当。神の恵みの豊かさを強調する。


 これまで失敗例が3個続いた後、4個目に成功例が挙げられている。4回に1回ほど大当たりがあったという運的要素を読み取るよりも、成長が止まらずに持続した際の実りは大きい、という趣旨として理解するべきである。

 豊かな実りは、持続的な成長を促す育てる側、そしてそれを受ける育てられる側、双方の継続的な営みが大切である。


 9節

 新共同訳「そして、『聞く耳のある者は聞きなさい』と言われた。」

καὶ ἔλεγεν· ὃς ἔχει ὦτα ἀκούειν ἀκουέτω.


「聞く耳のある者は聞きなさい」:「聞け」という命令は、典型的な預言者的警句である。イエスの文脈では、聞いたことを行うという、実践が重要である(参照、マタイ7:24-29)。


「聞く耳のある者は」(ὃς ἔχει ὦτα)同様の表現として、マタイ11:15、、黙示録2:7など。


 まとめの説教的な言葉として

 イエスは、種を蒔く人の姿を通して、神の言葉を宣べ伝える者の労苦と希望を語られました。そして、種が落ちる地面の違いは、私たち一人ひとりの心のあり方を映し出しています。

 道端のように心が閉ざされていると、言葉は根を張ることができません。岩地のように浅い信仰では、試練に耐えられません。茨のように世の誘惑に心が奪われると、実を結ぶことはできません。しかし、良い土地に落ちた種は、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのです。

 私たちの心が、神の言葉を受け入れる「良い土地」となるように、日々整えられていきましょう。聞く耳を持ち、聞いたことを行う者となることこそ、主の御心にかなう歩みです。


 祈りの言葉

 恵み深い天の父なる神様、

 あなたの御言葉を今日、私たちの心に蒔いてくださったことを感謝します。どうか私たちの心を耕し、あなたの言葉が根を張り、芽を出し、豊かに実を結ぶように、聖霊の働きをもって導いてください。

 私たちが世の誘惑や試練に負けることなく、あなたの真理に立ち続けることができますように。宣教する者として、また聞く者として、あなたの御国の働きに忠実に仕える者としてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

2025年10月22日水曜日

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マタイ22:41-46

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マタイ22:41-46


 注解

 41節

新共同訳「ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。」

Συναχθέντων δὲ τῶν Φαρισαίων ἐπηρώτησεν αὐτοὺς ὁ Ἰησοῦς,


大抵の場合、ファリサイ派やサドカイ派といったイエスに批判的な勢力の人々が、イエスに質問をする側である(22:15-22、22:23-33)。しかし、ここでは反対に、イエスが彼らに質問する側となっている。しかも、イエスが問いを投げかけた対象は、ファリサイ派の集団であった(συναχθέντων「彼らが集まっていると」)。


 42節

新共同訳「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。」彼らが、「ダビデの子です」と言うと、」

λέγων· Τί ὑμῖν δοκεῖ περὶ τοῦ Χριστοῦ; τίνος υἱός ἐστιν; λέγουσιν αὐτῷ· Τοῦ Δαυίδ.


 イエスの質問内容は、「メシア」が「誰の子」かということ、すなわち、メシアの出自に関する事柄であった。


「メシアのことをどう思うか」:直訳では、「キリストとはあなたがたにとって誰か」(Τί ὑμῖν δοκεῖ περὶ τοῦ Χριστοῦ;)。

「メシア」:原文ではΧριστός。直訳では「キリスト」となるが、新共同訳聖書では当時の文脈を考慮して、”油注がれた者”、”救世主”を意味する「メシア」と訳出している。


「誰の子か」:前述のように、メシアが誰の子なのかという、メシアの出自を問う質問となっている。


「だれの子だろうか」:原文では、「ダビデの」(Τοῦ Δαυίδ)。ファリサイ派は、メシアがダビデの家系から生まれるという当時のメシア理解を踏襲し、これをメシアの視点から言い直して、「ダビデの子」と回答した。


 43-44節

新共同訳 43「イエスは言われた。「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。」44 『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい、わたしがあなたの敵をあなたの足もとに屈服させるときまで」と。』」

λέγει αὐτοῖς· Πῶς οὖν Δαυὶδ ἐν Πνεύματι καλεῖ αὐτὸν Κύριον, λέγων· 44 Εἶπεν Κύριος τῷ Κυρίῳ μου· Κάθου ἐκ δεξιῶν μου, ἕως ἂν θῶ τοὺς ἐχθρούς σου ὑποπόδιον τῶν ποδῶν σου.

 イエスは詩編110:1(LXX 109:1)を引用し、ファリサイ派のメシア理解の矛盾点を突こうとする


「霊を受けて」:直訳では「霊において」(ἐν Πνεύματι)。神の霊によってダビデが真理を語ったという趣旨だが、新約時代のキリスト教の教義的な言い方をすれば、「聖霊」となる。言うなれば「聖霊に導かれて」となるだろうか。つまり、ダビデがそうして語ったことは、神の意志に基づく真理であることに他ならない、という意。

「メシアを主と呼んでいる」:44節の詩編引用における「主は、わたしの主にお告げになった」(Εἶπεν Κύριος τῷ Κυρίῳ μου)という文言に基づいている。そうすると、ダビデが神の「霊を受けて」、すなわち誤りなき真理として、彼が自分の子孫を「主」と呼んでいることになる。イエスは、その矛盾を指摘している。これは同時に、メシアが単なるダビデの末裔としての人間的存在ではなく、神的な「主」という存在であることを暗示する。


「主は、わたしの主に」:Κύριος τῷ Κυρίῳ μου 「主」が二重に現れる表現。第一の「Κύριος」はヤハウェ(神)。第二の「Κύριος μου」(わたしの主)は、メシアを指す。

 

イエスの議論は、もしメシアが単なる「ダビデの子」であるなら、なぜダビデが彼を「主」と呼ぶのか、という逆説。

「わたしの右の座」(ἐκ δεξιῶν μου):神の栄誉と権威を帯びる、ナンバーツー相当の座位。新約文書において、キリストが昇天して着いた座とされている。(参照、マルコ16:19、ヘブライ1:3など)。



 45節

新共同訳「このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」

εἰ οὖν Δαυὶδ καλεῖ αὐτὸν Κύριον, πῶς υἱὸς αὐτοῦ ἐστίν;


 イエスのロジック上では、メシアがダビデの子という命題は矛盾しているので、改めて「どうして」と問う必要はない。だが彼は、あえて「どうして」(πῶς)と問うという修辞的疑問文を用いることにより、聞き手がその命題の妥当性を再考するよう誘導している。

 ただし、メシアがダビデの家系から出現すること自体を否定しているわけではない。メシアをダビデの血統の末裔であるという次元でのみ捉えようとする、彼らの狭い物の見方を退けている。それはまた、<メシア=イスラエルをローマから救うといった政治的・民族的救済者?というメシア理解の否定でもある。

 また、この記事においては、イエスがメシアであり、「わたしの主」であることが暗示されているだろう。



 46節

新共同訳「これにはだれ一人、ひと言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった。」

καὶ οὐδεὶς ἐδύνατο ἀποκριθῆναι αὐτῷ λόγον, οὐδὲ ἐτόλμησέν τις ἀπ’ ἐκείνης τῆς ἡμέρας ἐπερωτῆσαι αὐτὸν οὐκέτι.


 マタイ22:15以降、ファリサイ派やサドカイ派との論争物語が連続しているが、当記事はその最後のものであり、本節はこの記事の結びであると同時に、論争物語集の結語ともなっている。

「だれ一人……できず」:ファリサイ派でさえ、イエスの知恵を上回ることができず、彼を陥れようとする彼らの企みが、完全に潰えたことを示す。


「その日からは、もはやあえて質問する者はなかった」:敵対者たちからの攻撃が止んだわけではない。論争を吹っ掛けることはなくなったものの、イエスを亡き者にしようとする計画へと転換したことが暗示されている。すなわち、ユダの裏切りから受難死へと展開していく転換点であり、十字架への伏線となっている。

 神学的には、論争や論破によって神の真理が論証される位相から、十字架と復活という啓示の出来事によってイエスのメシア性が明らかにされる、歴史的転換点ということになる。


 黙想

  「誰か?」「誰の子か?」というメシアを巡る問いは、一般の人々の問いでもある。人はそうした問いから始めて、真のキリストを知り、そうして三位一体の神を知り、信仰に至る。信仰告白は、「誰か?」と問いではなく、「イエスは主です、メシアです、キリストです、神の子です」という告白に他ならない。

 人が信仰告白へと至ることができるのは、ダビデもそうであったように、「霊によって」、すなわち聖霊の働きによる。実に、イエスを「主」と呼ぶ信仰は、聖霊によってもたらされるのである。

 人の狭い味方、考え、思い込み、それらが破綻した時、人は沈黙を余儀なくされる。その沈黙から、イエスを亡き者にしようとする神殺しの殺意が生じもすれば、他方、神の啓示を目の当たりにして、聖霊によって信仰的理解に到達することもある。

 イエスがメシアであることの出来事としての啓示は、十字架と復活である。


 祈りの言葉

 主なる神よ、 御子イエス・キリストに沈黙させられたファリサイ派のように、キリストを一元的に捉えてしまう物の見方の狭さ、心の矮小さへと至らないようにしてください。そうではなく、聖霊の働きによって私たちの理解と心を広げ、神の真理を悟ることができますように。十字架と復活のイエスこそ、神の子、キリスト、主なる方であることを知り、また、そのことを伝える者とさせてください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン。


2025年10月15日水曜日

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マルコ3:31–35

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マルコ3:31–35

 並行箇所:マタイ12:46-50、ルカ8:19-21

 

 概要

 先行箇所の3:21における身内の訪問が伏線となっている。その箇所では、「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た」とあり、家族でさえもイエスのことを理解できない現実が述べられていた。後述のように、家族が”イエスとは遠くに”または”家の外”に立ち、家族でない者が”イエスのそばに”または”家の中”座ってイエスの言葉を聞いている。この外と内という構図がこの記事において明瞭に示されていて、同時に、伏線回収ともなっている。


 注解

 31節

新共同訳 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。

Καὶ ἔρχεται ἡ μήτηρ αὐτοῦ καὶ οἱ ἀδελφοὶ αὐτοῦ, καὶ ἔξω στήκοντες ἀπέστειλαν πρὸς αὐτὸν καλούντες αὐτόν.

 3:21では「身内」とのみあったが、3:31では「イエスの母と兄弟」とあるように、より詳細に述べられている。


「イエスの母と兄弟たち」:6:3によれば、イエスの母の名はマリアであり、さらに、兄弟たちの数が4人で、それぞれの名前は「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン」である。また、この6:3には「姉妹たち」の存在も示唆されていて、彼女たちについては次の32節で登場している。


「外に立ち」:「外」(ἔξω)。32節の「イエスの周りに座って」、すなわち<家の内>にいてイエスの言葉に耳を傾けている人々と、鮮明なコントラストが描き出されている。ここにはまず間違いなく象徴的な意味が含まれている。双方の距離感やいる場所の相違は単に物理的な状況のみならず、信仰的理解の決定的な違いを表している。



 32節

新共同訳「大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、」

Καὶ ἐκάθητο περὶ αὐτὸν πλῆθος· καὶ λέγουσιν αὐτῷ· Ἰδοὺ ἡ μήτηρ σου καὶ οἱ ἀδελφοί σου καὶ αἱ ἀδελφαί σου ἔξω ζητοῦσίν σε.


「イエスの周りに座っていた」:原文では「彼の周囲に」( ἐκάθητο περὶ αὐτὸν)。当時、神の教えを語る教師、ラビが人々に教えを垂れる時、ラビは座り、聴衆や門下生たちは立つのが習慣とされていた。上下の格差がある中で、上の者が下の者に教えることを意味する。ただ、聴衆も座るスタイルも徐々に浸透しつつあった時代であり、上位下達の宗教教育から、双方の関係がより同じに近い、双方の共同の研鑽ということも意識されていた。

 この場面において人々が「座って」いる理由は定かではないが、イエスと教えを聞く者たちの距離感が、より親密であることは含意するだろう。こうした含みがあるとすれば、それがこの記事の主題である「イエスの家族」、すなわち家族関係の中で神の言葉を聞くということが象徴されている。


「母上と兄弟姉妹」:ここで再びイエスの「姉妹」も含む「母」と「兄弟」に言及され、血縁的な家族の概念が強調されている。

 


 33節

新共同訳「イエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とはだれか』と答え、」

Καὶ ἀποκριθεὶς αὐτοῖς λέγει· Τίς ἐστιν ἡ μήτηρ μου καὶ οἱ ἀδελφοί μου;


 家族とは通常、血縁関係上の定義であるが、イエスはその関係性を聴衆に問いかけ、再定義をしようとしている。イエスは「神の国」の接近を説いたが(参照、1:15)、神の国での信仰者の相互関係は「家族」であると意味づけた。

 ただし、ユダヤ人においては旧約聖書の時代から、例えば親密な関係にある者同士、あるいは同じ民族、同じ同盟関係同士、同じ信仰的共同体のメンバー同士を、「兄弟」などと呼び合う習慣があった。しかし、親しみを込めて弟子がラビを呼ぶ際、「父よ」と呼ぶ事例は希少ながらあるものの、家族でない者を父や母と呼ぶことはなかった。また、母や娘、姉妹、妻などのように、女性的な呼び方もほぼなく、神の愛を母と呼ぶ用例など(イザヤ66:13)、ごく限定的であった。ところがここでイエスは、男性的、女性的な呼び方をひとまとめに扱っているところに、イエスの教えの革新性がある。後に、例えばパウロはある女性信徒について、敬意を込めて母と呼んでいる(16:13)。



 34-35節

新共同訳「周りに座っている人々を見回して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。』」35「『神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのである。』」

Καὶ περιβλεψάμενος τοὺς περὶ αὐτὸν καθημένους λέγει· Ἰδοὺ ἡ μήτηρ μου καὶ οἱ ἀδελφοί μου. Ὃς ἂν ποιήσῃ τὸ θέλημα τοῦ Θεοῦ, οὗτος ἀδελφός μου καὶ ἀδελφὴ καὶ μήτηρ ἐστίν.


 イエスは、自身の周りに座り、語られる神の言葉に傾聴する人々こそを、「わたしの母」「兄弟」と呼び、新しい意味づけを行なった。この記事のみにおいては、イエスの真の家族はすなわち、イエスを通して語られる神の言葉を聞き、これに従い、これを実践して生きる者たち、となる。後にキリスト教会が、本節などを元にして、互いを同じ神の家族、「兄弟姉妹」と呼び合うにようになった神学的根拠は、次のとおり。

1、神が父であり、信徒たちはその子供であること。

2、キリストが父なる神の長子、すなわち長男であり、 私たちがその弟、妹であること。


 まとめ

マルコ3:31–35は、イエスが血縁を超えて「神の御心を行う者」を真の家族と呼ばれた場面である。 この箇所は、信仰共同体の本質を明らかにする。イエスの周囲に座る者たちは、単なる聴衆ではなく、神の言葉に耳を傾け、心を開き、従おうとする者たちです。 彼らこそが、イエスにとって「母」「兄弟」「姉妹」であり、神の家族の一員である。

 この教えは、私たちが互いを「兄弟姉妹」と呼び合う根拠であり、 教会が血縁や社会的区分を超えて、神の愛によって結ばれた共同体であることを示している。私たちもまた、神の御心を求め、イエスの言葉に耳を傾けることで、 この家族の中に生きる者とされる。


 祈りの言葉

天の父なる神よ、 あなたが私たちを、キリストにあって一つの家族として呼び集めてくださったことを感謝します。 私たちが、血縁や立場を越えて、互いを兄弟姉妹として受け入れ、 あなたの御心を行う者として歩むことができますように。 イエスの言葉に耳を傾け、心を開き、従う者となるよう、 聖霊によって導いてください。 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。


説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マタイ22:34-40

 説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マタイ22:34-40


 

 直前の記事(22:23-33)において、イエスの返答に返す言葉のなかったサドカイ派の論客の無力さが描かれていた。本記事では、ファリサイ派とサドカイ派が結託することで、イエスに敵対する人々の構図が明瞭とされている。


 注解

 34節

新共同訳「ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。」

Ἀκούσαντες δὲ οἱ Φαρισαῖοι ὅτι ἐφίμωσεν τοὺς Σαδδουκαίους, συνήχθησαν ἐπὶ τὸ αὐτό.


「サドカイ派」:直前の記事の22:23-33を参照。ここでの「言い込められた」場面が伏線となっている。

「一緒に集まった」:前述の通り、ファリサイ派とサドカイ派は、政治信条的に競合関係にあるが、敵同士がイエスを陥れるために協働している。詩編2:2における神に逆らうものたちの結束が、ここでイメージされているかもしれない(「支配者は結束して主に逆らい」)。



 35節

新共同訳「そして、そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。」

καὶ ἐπηρώτησεν εἷς ἐξ αὐτῶν νομικός, πειράζων αὐτόν


「律法の専門家」(νομικός):ユダヤ教の教師(ラビ)を指す。

4:1-11における「荒野の誘惑(πειράζω)」における「誘惑(試み、πειράζω)」は、本節での「試そうとして」と同じ動詞。悪魔による試みと、ユダヤ教のラビのそれとが、同列的に扱われているのかもしれない。



 36節

新共同訳「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」

Διδάσκαλε, ποία ἐντολὴ μεγάλη ἐν τῷ νόμῳ;


「最も重要な戒め」:ユダヤ教のすべての戒めの中で最も重要なものは、申命記6:4-5における律法、通称シェマー。

シェマー:同箇所の冒頭の言葉「聞け」と訳されているヘブライ語の動詞 שָׁמַעに由来。「聞く」「従う」の意。

申命記6:4-5:聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。


 37-38節

新共同訳「イエスは言われた。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な、第一の戒めである。」

ὁ δὲ Ἰησοῦς ἔφη αὐτῷ· Ἀγαπήσεις Κύριον τὸν Θεόν σου ἐν ὅλῃ τῇ καρδίᾳ σου καὶ ἐν ὅλῃ τῇ ψυχῇ σου καὶ ἐν ὅλῃ τῇ διανοίᾳ σου. αὕτη ἐστὶν ἡ μεγάλη καὶ πρώτη ἐντολή.


「心を尽くし……主を愛しなさい」:申命記6:5からの引用。ユダヤ人は、これを唱えることを日課としていた。

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして」:自分の全存在をもって神を愛すること。



 39節

新共同訳「第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」

δευτέρα ὁμοία αὐτῇ· Ἀγαπήσεις τὸν πλησίον σου ὡς σεαυτόν.


「隣人を自分のように……」:レビ記19:18からの引用。いわゆる隣人愛。

「第二も…重要である」:原文の直訳では、「第二もそれを同様」となる。双方は「同様」の重要性を持つものの、「第一」「第二」と序列が設けられていることに留意したい。


 隣人愛については、先のシェマーに直接含まれているものではない。しかし、ユダヤ教ではこれもシェマーと並べて重要なものとされていた。


 40節

新共同訳「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

ἐν ταύταις ταῖς δυσὶν ἐντολαῖς ὅλος ὁ νόμος ἐντέταται καὶ οἱ προφῆται.


「律法全体と預言者」:「律法と預言」は、旧約聖書全体を指す表現。イエスは第一に神を愛すること、第二に隣人を愛することを、人の生きる道、すなわち倫理とした。


 まとめ

 イエスの返答は、ユダヤ教のラビにとって、基本的なものである。種々の質問に対するイエスの回答は、奇抜なものばかりとは限らない。この記事では、基本中の基本を直裁に語ることによって、最重要事項の本質を示した。


 黙想
 神を愛することと、隣人を愛すること。両者は重要性においては同様としても、二つに順序がある点は、展開のしどころが豊富だろう。例えば、神を愛することによって、人を愛することを知る、とか、神を愛し神に愛されることで、人を愛することが可能になる、など。あるいは、世界は人間が中心ではなく、まずは神があってそれが中心にあり、そこに人間がいるなど、神と人間の存在構図などにも敷衍することが可能だ。
 キリスト教の教義と絡めるなら、人が神と人とを愛することができるようになるために、その人の内面に働く聖霊の力が用意されていることに触れても良い。

2025年10月9日木曜日

論文 「パウロの全体教会政治学」

 「パウロの全体教会政治学」


 序 「全体教会政治学」とは

 「教会政治学」とは通例、教会の統治や運営方法、または統治が為される組織の構造に関する学を指す用語である。そして、その統治形態として長老制や監督制、会衆制などが挙げられ、それぞれの教会政治の仕組みが他の教会政治と比較されながら議論されるといった形が多い。また、国家という既存の支配体制、そしてそれが行う政治の状況にあって、教会政治がいかに行われてきたのかを考察する学として、教会政治学が位置づけられているのが通例だ。

 しかし本稿では、単に「パウロの教会政治学」とはせず、「全体教会政治学」とした。この名称は二重の意味合いを含む。まず一つ、例えば一方で異邦人教会、他方でエルサレム教会という、両者統治形態も文化も神学も異なる教会群を包括する全体を一つの教会として捉え、一つの全体教会としての統合を企図したグランド構想が、パウロの全体教会観には観察される。さらに、例えば異邦人教会とエルサレム教会との関係について、分裂しかねない両者の関係性を維持するために採用された経済支援策といった、パウロの政治的手法が観察される。ここには、「政治」という語が持つニュアンスの一つ、すなわち指導的存在が統治する対象全体に施す施策という意味が含まれている。そしてもう一つ、一方の果てはスペイン宣教に象徴される異邦人宣教、もう一方の果てはエルサレム教会を足がかりにしてのユダヤ人伝道という、パウロが抱いていた壮大な宣教・伝道の全体構想には、当時の文化やローマ皇帝による政治を見据えつつ、その支配の影響圏にある政治的状況・社会環境にこれを最適化させようという戦略性が認められる。こうした国家の権力作用の影響範囲においては、国家の利害と福音の原理が衝突することは必然である。こうした軋轢を未然に調整しようという意味での政治という意味もまた、「全体教会政治学」に含まれる。こうした理由から上記の二つを総合し、本稿のタイトルを「パウロの全体教会政治学」とした。

 

 1. 初めから共同体として存在していた「家」の教会

 教会の草創期からして既に、教会は複数名の者たちによって共同で信仰生活が営まれていた。これこそ教会の原初の姿であるという認識を、ルカも述べている(使徒2:46「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし……」)。パウロがフィレモン個人に宛てた書簡を見ても、彼が「家」の教会に連なっていたことは明らかだ(フィレ1:1-2「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ」)。教会史においては、例えばアントニオスによって個別修道制が考案されたが、彼は終生弟子たちの指導に努めて105歳を生き切った、とアタナシオスは伝えている(Vita S. Antoni『アントニオスの生涯』)。厳格な個別修道制でさえ、共同性は決して失われていなかったのだ。マタイがイエスの言葉として語っている通り、信仰生活とは一人で営むものではなく、共同で営むものであり、その中にキリストが立つものとして認識されていたのである(マタイ18:20「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」)。

 そうした複数名の弟子たちによってコミュニティが形成されて営まれ、礼拝も捧げられていた。但しその場所は、建築物としての教会でも礼拝堂でもない。初期のキリスト教会は、古代時代に現れるカテドラル(司教座聖堂)のような巨大な専用建築物を持たず、有力な信徒たちの「家」において、礼拝、祈り、聖餐式の原型的な儀式、会議など、教会として機能するための必要な営みを為していたというのが定説である。また、そうした「家の教会」の多くは、フィオレンツァが指摘しているように、女性が指導的役割を担っていたことも興味深い(「クロエの家の人たち」(一コリ一・一一)、「ニンファと彼女の家にある教会」(コロ四・一五))。


 2. 初期段階から地域教会として存在していた教会

 教会の最初期時代に誕生した最初にして単一の教会共同体は、やがてその規模を大きくしていく。単一の家の教会は、「家」という建築上の制限、すなわち収容人員の制限を伴う。よって、信徒の数が増すにつれ、当該地域に複数の家の教会が形成されていくことは必然である。例えばローマの教会は、パウロがスペイン伝道の橋頭堡にしようと考えていたことから推測して、それを実現するに足る規模、人員、そして経済力を有していたことになる。この点の他、巨大な都市人口を誇るローマという地理的要因を考慮しても、ローマの教会がたった一つの「家の教会」であったとは考えにくい。現にローマの信徒への手紙16章を見ても、プリスカとアキラ、そしてその家に集まる信徒たちに挨拶した後、彼らと並ぶような関係者の名前を次々と挙げ、それぞれの家の指導者に挨拶をしていっている。つまり、「家の教会」が複数あったということだ。その数はパウロによる他の真正書簡における言及数と比しても相当多く、さすがはローマといった感がある。まとめると、地域に誕生した単一の教会は、やがて地域に複数の教会を展開することになり、それらはネットワークを保ちつつ、「地域教会」として存在していった。


 3. 地域教会から複数地域間教会へ

 「家の教会」が単一教会より始まり、その地域での伝道活動の種蒔きが実りを結び、やがて地域に複数の家の教会を展開するようになった。そうして成立した地域教会共同体は、遠隔地に出向いての宣教活動によってその地に単一教会を生み出し、その単一教会がまた増加しつつ各個教会同士でネットワークが構築され、同地で地域教会を形成していった。こうした連鎖反応が地域から地域へと及び、初期キリスト教会はその勢力を拡大していった。そして、複数の地域教会同士が互いに繋がり合うことにより、そこに「複数地域間教会」というインターリージョナルな大ネットワークが誕生する。

 こうした複数地域間教会の具体的モデルとして、ヨハネ系統のそれを挙げ得る。ヨハネ黙示録は、「アジア州にある七つの教会」(黙1:4)、つまり広域地域に含まれる複数の地域教会へ送られたものであり、各地域における基幹的な教会を拠点に、さらに周辺の各個教会へと回覧されたものと推定される。本書が複数地域を含む広域地域レベルで共有されていたことは、「七つの教会」において広大なネットワークが構築されていたことの証左である。そこでは、共通のヨハネ系統の神学や福音理解が共有されていたということになる。

 複数地域間教会が生まれていくムーブメントは、パウロおいてはさらに明瞭に認められる。パウロの最初の伝道旅行は、バルナバと共にアンティオキア教会によって派遣される形で着手された。ルカの証言によれば、その二人に対し礼拝時に聖霊によって神意が示された後、教会に祈られ、手を置かれ、そうして任職されて出発したという(使徒13:1-3)。第二次宣教旅行もまた、使徒言行録の記述ではパウロの発案という形にはなっているものの(使徒15:36以下)、アンティオキア教会の同意と協力があったことは、「兄弟たちから主の恵みにゆだねられて」(使徒15:40)という記述から明らかだ。パウロが従事した宣教・伝道は、決してパウロの独壇場ではなかったのである。

 当初、第二次宣教旅行の目的は、第一次宣教旅行の際に建てられた諸教会の様子を見るためのものであった(使徒15:36)。第一次の際に形成された諸教会の相互で自発的に連携がとられていたかどうかまでは定かではないが、他の教会の営為を別の地域の教会でも称賛するのが常であったパウロの行動から推察して、”彼を介して”それらの教会が繋がりを保っていた可能性は高い。少なくとも、パウロを仲介しつつアンティオキア教会をセンター教会として、ある程度の教会間ネットワークが構築されていたことは間違いない。

 第二次伝道旅行においてパウロは、既に創設されたデルベ、リストラを訪問し、その過程でテモテもメンバーに加えられた。ところが、当初の計画と想定外の事態が生じた。著名な「聖霊による禁止」である。これによりに宣教旅行は変更を余儀なくされ、ガラテヤ、フリギアを経由して、マケドニア州に到達することになった。そうして、第二次並びに第三次宣教旅行が、キリキア、ガラテヤ、フリギア、マケドニア、アカイアという、長径千キロは越えるであろう楕円形の領域で展開されることになったのだ。各地域では、創設された単一教会を拠点に伝道が為され、周辺に複数の教会が誕生して地域教会が形成され、これが別の地域でも生じることにより、各地域に地域教会が複数形成されるに至った。その後、各地の教会、地域教会は、後述するように互いに情報共有や支援を交わし合うことにより、複数の地域教会同士が連携し合うようになっていく。複数地域間教会という、インターリージョナルな教会の成立である。

 ここまでの結論として、表題の通り、教会はその初期時代より複数地域間教会として存在していた。情報共有があれば、そこには互いの状況を思い巡らしての祈りが生まれる。祈りはまた、愛に根ざす行動を生み出す。実際、祈りと献金を中心にしての愛の働きがもたらされた。


 4. 地域教会・複数地域間教会のネットワーク化

 これまで、単一教会から地域教会、そして複数地域間教会へという拡大のプロセスを見てきた。この実現には、既に幾度か本稿に現れているキーワードである「ネットワーク化」が必須である。本パートでは、パウロがいかなる方法によって地域教会並びに複数地域間教会の実質化を推し進め、教会間のネットワーク化が形作られていったのかについて、パウロの全体教会政治的な戦術も含めて述べたい。焦点は主に以下の三つに絞られる。1、訪問・派遣と書簡を通じての指導と助言。2、励ましと祈りを通しての教会間の結束強化。3、献金を通じての複数地域間教会同士の関係構築。


 4.1. 訪問・派遣と書簡を通じての指導

 4.1.1. 自らの訪問と弟子の派遣による指導

 パウロが自ら現地の教会に出向き、顔と顔とを合わせての指導に努めていたことは、先に述べたところの第二次宣教旅行における当初の目的からも明らかである(使徒言行録一五・三六)。自らが赴くことができない場合には、彼は弟子たちを地域教会に派遣した。実例としてはテモテ(一コリ四・一七、一テサ三・二、フィリ二・一九)、テトス(フィリ二・二二、テト一・五)が挙げられる。パウロが派遣するのとは逆に、教会側がパウロに助け手を派遣し、その人をまた返すというケースもある(エパフロディト、フィリ二・二五以下)。以上、訪問と派遣による指導が、人を仲介としての人と教会、並びに教会間、地域教会間のネットーワーク化に寄与したことは確かである。


 4.1.2. 書簡を通しての共通福音理解の指導

 次は書簡を通じての指導である。ローマ、コリント、ガラテヤ、フィリピなど、パウロが複数の地域教会に書簡を送り、福音理解、生活上の指導、勧告、励ましを行なったことは、パウロ書簡が一様に物語っていることである。一般に書簡とは、特定の個人または集団に対して、特定の事情を背景に特定の目的をもって書き送られるものである。しかし、回覧されるスタイルの書簡となると事情は違ってくる。例えばフィレモン書のようにフィレモン個人とその関係者、さらにフィレモンが所属する家の教会にも宛てて書かれた書簡もそうなるが、ある地域教会に送られた書簡がその地域に点在する各個教会にも回覧されていたであろうことは、かねてより有力な説として知られている。古くはシカゴ学派の新約聖書学者であるジョン・ノックスにより”Philemon Among the Letters of Paul”において、フィレモン書がフィレモン個人にのみ宛てたものではなく、彼の家の教会で読まれ、複数の教会で回覧されることを前提に執筆されたものであることが提唱された。パウロの真正七書簡には含まれない「偽名書簡」になるものの、コロサイの信徒への手紙にはオネシモに言及されている点から、諸説あるがフィレモン書とコロサイの教会との関係性が示唆されている。加えて、コロサイ四・一六には「この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキアの教会でも読まれるように、取り計らってください。また、ラオディキアから回って来る手紙を、あなたがたも読んでください」と記されている。したがって、少なくともパウロの書簡が模倣されるようになった時期には、パウロ書簡が複数教会で回覧されるようになっていたことは確実であり、上述のパウロ真正書簡のフィレモン書から推測しても、おそらくはパウロの時代から書簡の回覧が行われ始め、パウロもまたある程度それを前提に手紙をしたためたということになる。ということは、書簡を通じての指示や指導によって、複数の教会に共通の指示、あるいは共通の福音理解を根付かせようという全体教会政治的戦術が認められることになる。そう考えると、パウロがガラテヤやテサロニケの教会、コリントの教会に対して、時に懇切丁寧に、時に手厳しく福音理解の修正を指導したのも、教会間で共通の福音理解が保持されるようにとの意図から執られた行動であるとの洞察が導かれる。


 4.1.3. ロマ書における全体教会政治の戦略性

 パウロのこのような戦略に基づく行動は、彼の管轄下にある教会だけに留まらない。その代表例が、既に2Aで触れているところのローマの教会である。ローマ一五・二二に「イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います……イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです」と書かれている通り、パウロはローマをスペイン宣教の足がかりとしたいと考えていた。察するに彼は、ガラテヤやコリントの教会における福音理解の齟齬という苦い経験から、それまでの書簡における福音に関する論述を綜合させ、一つの書でもって福音の全容を提示しようと企図したのであろう。従来の書簡の中でも最大規模にして、なおかつ最も内容的に整備された大書簡を完成させた。それこそ、ローマの信徒への手紙である。その論述は深遠ではあるものの、順序立てて整然と整えられたその様は、さながら「福音入門書」である。この「入門書」という体裁こそ、個別の教会への指導における各個教会という限定範囲を越えた、地域教会レベル、複数地域間教会レベルでの共通の福音理解を目指す戦略性の表れであろう。


 4.2. 励ましと祈りを通しての教会間の結束強化

 パウロは自らの訪問、弟子の派遣によって、あるいは書簡によって、他の教会の情報を別の教会へと知らせ、教会の信仰と愛の業に関する情報共有を行なった。例えば、「マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至った」(一テサ一・六-八)とあるように、テサロニケの教会の奮闘がパウロを介して諸教会に知らされることにより、祈りと励まし、信仰と愛と希望(一テサ一・三)とによる教会間の結束が強化された。


 4.3. 支援や献金を通じての複数地域間教会同士の関係構築

 フィリピの教会は、パウロの宣教活動を支援することを介して結果的に諸教会を支援した(フィリピ四・一五-一六「もののやり取りでわたしの働きに参加した教会……テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして……」)。エフェソの教会は、同地におけるパウロの二年以上に及ぶ長期滞在活動を支援した(使徒一九・一以下)。ガラテヤの教会もまた、パウロが病を患っていた時、彼を手厚く看病した(ガラテヤ四・一三-一四)。これらの地域教会は、パウロの活動を支えることを通じて持てる力を他の教会に捧げ、教会相互の愛の交わりに自身を置いていたのだ。教会のこうした支援を書簡の中で言及することによって、各個教会、地域教会、複数地域間教会の全てを一つの教会として繋げようとするパウロの全体教会構想と、それを達成するための全体教会政治的戦略を読み取ることができる。

 地域教会や複数地域間教会が他系統の地域教会を献金によって支えようとする実例は、何と言ってもエルサレム教会支援プロジェクトであろう。パウロはマケドニア州やアカイア州の地域教会群に働きかけ、エルサレム教会のための献金を実に積極的に促した(二コリ八・一以下「自分から進んで聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出た」、ローマ一五・二六-二七「マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意した」)。このプロジェクトについてパウロは、「異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります」(ローマ一五・二七)と述べてはいるものの、この理由だけに留まるものではあるまい。パウロの全体教会のグランド構想において、エルサレム教会は決して欠くことのできないものであり、それゆえに、無理にでも異邦人教会とエルサレム教会との関係性を維持しようと努めたのだろう。このテーマについては、後述の5Aで個別に扱うものとする。


 5. エルサレム教会

 パウロがエルサレム教会のために、広域の複数地域間教会に献金を呼びかけたことは彼の書簡が物語るところである。その目的として当然、災害や飢饉、あるいは恒常的な貧困といった困難の渦中に、エルサレム教会がおかれていたからであろう。ただ、それだけでもないように思われる。先ほど引用したロマ書の箇所には、エルサレム教会が霊的なものをもたらし、異邦人教会が肉のものをもって応えるという主旨の文言が綴られていた。ここから察するに、彼はエルサレム教会を全教会の霊的なルーツ、歴史的なレガシーとして、なくてはならないものと見なしていたという見方が導かれる。

 それでいて、ファリサイ派のエリートであったあのパウロが、紙数に限りがあるため詳述は避けるが、おそらくは今後の異邦人宣教・伝道を熟慮してのことにしても、その大きな障害となると予測される割礼を、異邦人の律法遵守事項から外したことは衝撃だ。その着想には、非ユダヤ人にとどまりながらもユダヤ教信仰を持つ、通称「神を恐れるものたち」、ゴッドフィアラーの現状を見ての経験則と、割礼が今後の異邦人宣教にとって大きな障害となるだろうとの予測が影響した可能性がある。律法の最重要事項にしてユダヤ人のアイデンティティであり気高き誇りである割礼を、メンバーシップ必要要件から除外するなど、私でさえ信じがたい大ナタ捌き、入会規定に関する神学上のコペルニクス的転回である。なおかつエルサレム教会に乗り込み、いわゆる「エルサレム会議」で合意を取りつけようなど、無謀にも程がある。それでも彼は、その場で合意をもぎ取ったのも驚きだ。その会議の際にも多額の献金をエルサレム会議の議員たちの目の前に積み上げ、政治的豪腕でもって交渉を成功させたのではあるまいか、とさえ下衆の勘ぐりをしてしまう。さすがにそれはないとしても、異邦人伝道というビジョンを抱き、これほどまでの信仰的・神学的豹変ぶり、そしてその大胆な行動、政治的駆け引きには、尋常ならざるものがある。

 こうしたパウロの一連の言動が、彼の全体教会のグランドビジョンに起因するというのが私のテーゼである。エルサレム教会の少なくとも一部からは、強烈に嫌われもし、反対もされもし、嫌がらせまで受けもしていたパウロであれば、早々にエルサレム教会に見切りをつけてもいいはずである。にもかかわらず、彼はエルサレム教会と是が非でも関係を維持しようと粉骨砕身し、文字通り複数の州を股にかけて東奔西走して支援プロジェクトを達成しようとしたのだ。 

 特筆すべきは、彼の奔走と祈りは、エルサレム教会というユダヤ人キリスト教徒のみに向けられてはいないという点である。ロマ書の九-一一章において、パウロは長々と非キリスト教徒のユダヤ人の救済を論じているし、終生、ユダヤ教徒の救済を諦めることはなかった。パウロの全体構想において、ユダヤ人の救済もまた欠かすことのできないものであったのだ。推測の域を出ないが、異邦人伝道の橋頭堡にローマの教会を選んだように、ユダヤ人伝道のために、ユダヤ人には定評のあったエルサレム教会を足がかりとしようと企図していたのではないか。これを失えば、元よりユダヤ人から迫害を受けていたパウロは、ユダヤ人伝道の取っ掛かりを完全に失うことになる。よって、ユダヤ人キリスト教徒との一体のためにも、そしてユダヤ人伝道の展開のためにも、エルサレム教会は彼にとって必要不可欠なものだった可能性がある。とすると、パウロの全体教会のグランド構想は、異邦人を果てしなく教会に抱き込み、かつ、全イスラエル(ユダヤ教シナゴーグ)を包含するものである。発想の実像としては、ユダヤ教から完全分離して独自存在となったキリスト教が、ユダヤ教に伝道のモーションをかけていくという一般的構図よりも、むしろユダヤ教の正統後継者となるべきユダヤ教の亜種であった教会が、旧来のユダヤ教をも巻き込むことで、イスラエル全体の刷新が図られるというものだ。この構想は、自らの教会こそイスラエルの真の正統継承者という自己理解を持つマタイと似ている。尤もマタイは、パウロの時代よりもユダヤ教からのキリスト教会の分離が進行した時代にあったし、パウロ系とは若干の距離を置いているようにも見えるが。

 もう一つ、彼のグランド構想で特筆すべき点は、既にエルサレム会議に持ちかけた彼の提案に示されているように、入会必要要件として、一方で異邦人は割礼なしとし、他方でユダヤ人の割礼文化は否定せず、というダブルスタンダードを導入していることだ。ダブルスタンダードが、律法に関する彼の神学と馴染んでいるとは思えない。その理由は、双方の文化上の特性を考慮し、グランド全体教会の中で双方の住み分けを保とうという全体教会政治的判断があるからではないか。住み分けの乱立はカオスを招来するから、住み分けに伴うダブルスタンダードの背後には、グランド全体教会を貫く公同的な基準を必要とする。

 以上が、「パウロの全体教会政治学」という主題に関する私のテーゼである。この5章については詳細を書き切れず、私としても論述の組み立て途上にあるが、この視点をもって改めてパウロの宣教・伝道活動の意図を再構築する学問的余地はあるように思える。


【新約聖書学関連】

論文

「パウロの全体教会政治学」(2024年)


『信徒の友』2018年4月号-2019年3月号所収「主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像」全12回

第1回 「イエスの復活」

第2回「イエスの洗礼」

第3回「嵐の中での弟子たち」

第4回「五千人の供食」

第5回「ヤイロの娘とイエスの服に触れた女性」

第6回「エルサレム入城」



史的イエス研究史        

マタイ福音書緒論        マタイ福音書神学           

イスカリオテのユダとは何者か(大学講義レジュメ)

【キリスト教解説】『ユダ福音書』(『ユダの福音書』)とその悲惨な末路 ーイエスはイスカリオテのユダの裏切りを評価した?

猫にもわかる「マタイ福音書」入門


『教会学校教案』の元原稿の改訂版

創世記 37章1-11節 「ヨセフ1」(2013年7月7日)
創世記 42-45章 「ヨセフ3」(2013年7月21日)
ルツ記 「ルツ」(2013年9月22日)


ガラテヤの信徒への手紙        

ヘロデ派    マグダラのマリア    

エルンスト・ケーゼマン        ゲツセマネ(ゲッセマネ)        ゴルゴタ       

サドカイ派    サマリア人        


「主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像」第6回「エルサレム入城」

 「主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像」第6回「エルサレム入城」

(『信徒の友』2018年7月号所収)


 今回取り上げている福音書の場面は、イエスのエルサレム入城の際に多くの人々が迎え出て歓呼の声を上げたという出来事です。四つの福音書すべてにおいて記されている共通のエピソードの数は限られていますが、今回の記事はそうした数少ない中の1つです(マタイ21・1-11、マルコ11・1-11、ルカ19・28-40、ヨハネ12・12-19)。また、今日の教会では、復活祭の1週前、エルサレム入城の出来事を記念する礼拝が行われるのが通例です(多くのプロテスタント教会では「棕櫚の主日」、教派によって「枝の主日」「受難の主日」「聖枝祭」と呼ばれています)。


 ガリラヤからついにエルサレムへ

 ガリラヤを中心に、時には周辺の異邦人世界にまで足を延ばして活動されたイエスと弟子たちは、ついに十字架と復活の場所となるエルサレム入りを果たします。互いに共通している点が多いために”共観福音書”と呼ばれているマタイ、マルコ、ルカにおいては、イエスの活動はガリラヤから始まってエルサレムに至るという流れになっていて、エルサレム入りする回数は1回限りです。ところがヨハネにおいては、イエスがエルサレムに上って行ったことが3回記されています(ヨハネ2・13、5・1、11・55)。多くの研究者は、イエスは実際には数回に渡ってエルサレムへと赴いたであろうと考え、ヨハネの記述の方が史実を反映していると見なしています。マタイとルカはマルコを参考にしてそれぞれ自分の福音書を執筆したというのが定説ですから、ガリラヤからエルサレムへの1回限りの旅程はマルコに由来するということになりますが、その動機については様々に議論されています。筆者自身は、エルサレムへと至る道、すなわち受難死へと繋がる道をイエスが決意をもって歩んでいったことを劇的に描き出すために、マルコがそのような物語構成にしたのではないかと考えています。


 真の王として即位したイエス

 物語の進行順に従って見ていくと、まず、マタイ、マルコ、ルカが、「オリーブ山」のふもとにある「ベトファゲとベタニア」に一行が差し掛かった時のことを述べています(マタイ21・1-6、マルコ11・1-6、ルカ19・28-34)。その後の展開である「子ロバ」のエピソードに目が行きがちですが、オリーブ山からエルサレムへと近づいていく行程は重要です。その理由は、旧約時代、エルサレムで即位する新王は、オリーブ山からキドロンの谷を下ってギホンの泉で王となる油注ぎを受けて、そこからまた上ってエルサレムへ入っていったからです(参照、列王記上1・28-40)。

 エルサレム入城には、かつてのダビデを想起させるような戦勝後の凱旋をイメージすることが多いでしょうし、実際、このエピソードはエルサレムへの勝利の入城とも呼び習わされています。これと共に、この物語のルーツとして考えられるもう一つの主題が、王の即位です。イエスは即位した王としてエルサレム入りを果たされたということが、エルサレム入城の物語に被せられていると思われます。


 「子ろば」の意味

 マタイ、マルコ、ルカは一致して、「二人の弟子」がイエスによって派遣され、「ろば」を連れて来るよう命じられたことを記しています。「子ろば」についても一致しており、ゼカリヤ書9・9の記述が意識されています。

「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って」


 「子ろば」には預言の成就も意図されていますが、やって来る新しき「王」が「高ぶる」ことのない柔和な方であることも暗示されています。他方、マルコとルカには「だれも乗ったことのない(子ろば)」、「なぜ、そんなことをするのか」(マルコ)、「なぜほどくのか」(ルカ)等の言葉が含まれていますが、自分が主張したい以外の事は物語からカットする傾向のあるマタイでは省かれ、その代わりに、マルコとルカが書いていない預言の言葉を明記しています(ヨハネ12・15でも引用されています)。

「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って』」(マタイ21・4)

この言葉は基本的には先ほどのゼカリヤ書9・9の引用ですが、イザヤ62・11等と混合されて内容が改変されています。さらにマタイは、ゼカリヤ書の引用に符合するように、「雌ろば」を登場させています(マタイ21・7)。こうした旧約聖書における預言との一致を強調する点は、マタイに見られる顕著な特徴です。

 また、「荷を負うろばの子」という表現に、勇壮な軍馬が象徴する戦いや勝利ではなく、平和のイメージを感じ取ることが出来ます。戦いでの勝利の凱旋と聞くと、凱旋門を思い起こすのではないでしょうか。著名な凱旋門の1つ、パリのエトワール凱旋門は、ナポレオン・ボナパルトの命により建築されましたが、彼が生きてその門をくぐることはありませんでした。それが実現したのは、彼の死後、パリに移葬された時でした。ナポレオンとは対照的に、イエスは勇猛と勝利に代えて、平和を実現する柔和な王であることが示されています。

 エルサレム入城の際、イエスを迎えた多くの人々が採った行動は、各福音書で小さな相違はあるものの、概ね一致しています。すなわち、「自分の服を道に敷き」(マタイ、マルコ、ルカ)、「枝を切って道に敷き」(マタイ、マルコ)、人々は「ダビデの子にホサナ」(マタイ)、「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように」(マルコ)と叫びました。人々が棕櫚の葉を振っているイメージは、ヨハネ12・13における「なつめやしの枝を持って迎えに出た」という言葉に由来しています。


 ヨハネとルカの独自部分

 ヨハネの後半部分では、後に弟子たちがエルサレム入城をゼカリヤ書9・9の預言の成就として悟ったという事後談が付記され、群衆が参集した理由がラザロの甦りと結び付けられて説明されています(ヨハネ12・16-19)。この箇所には、「栄光」「しるし」「証し」というヨハネに特徴的な用語が含まれています。同時に、この箇所には、「栄光」 「証し」「しるし」というヨハネに特徴的な用語が含まれています。ヨハネ福音書の読者に復活の出来事を改めて想起させることで、イエスが復活の力を持つ、神と等しい方として入城を果たしたことを「証し」しているのでしょう。

 ルカにのみ見られる記述が、「お弟子たちを叱ってください」というファリサイ派からの要求に対してイエスが返答した「もしこの人たちが黙れば、石が叫び出す」という言葉と(ルカ19・39-40)、エルサレム神殿崩壊預言です(ルカ19・41-44)。前者は、主を褒めたたえる声を誰も封じることはできないということです。後者は、紀元70年、ローマ軍によってエルサレムが破壊された出来事を指しています。当時、イエスを王として迎えて歓喜に沸いた美しき都エルサレムが、40年後には破壊の限りを尽くされたことを思うたびに、運命の悲哀を感じてやみません。


 絵画紹介

 今回紹介する一枚は、19世紀のフランスの画家ジャン=イッポリ・フランドラン(1809ー64)による『エルサレム入城』(1842年)です。彼はフランスの新古典主義の継承者であるジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルの弟子で、彼自身も新古典主義の道を踏襲しています。フランドリンは肖像画や宗教画を多く手掛け、アングルが裸婦像を多く描いたのとは対照的に、男性の裸体画を好む傾向があります。

 『エルサレム入城』を一見して驚くのは、とても19世紀の絵画とは思えないことです。平面的な構図とフレスコ画のような配色、そして真横からのイエスの描画が特徴的で、まるでゴシック時代の絵画を見ているかのようです。“新古典主義”の彼はルネサンスやバロック風の宗教画も描いているので、ゴシック画を意識していることは明らかで、また、イエスの真横からのアングルは、彼の手による男性の裸体画や肖像画にも見られる手法です。静謐で一見単調な絵の中には、ひざまづく者、手を合わせて祈りの姿勢を取る者、乳児を高く挙げる者といった歓迎する人々が画面の右側に展開している一方で、左側のやや暗い空間は、いぶかしげな表情で隣の人に意思表示する者や硬い表情を浮かべている人等、歓迎ムードとは程遠い様相を呈しています。これぞまさに、イエスを囲む人々の“群像”と言えます。


『エルサレム入城』1842年 ヒポリット・フランドリン Entry into Jerusalem, Hippolyte Flandrin

2025年10月8日水曜日

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 ヨハネ15:26-27

ヨハネ15:26-27


 注解

 26節

新共同訳「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。」

Ὅταν ἔλθῃ ὁ Παράκλητος, ὃν ἐγὼ πέμψω ὑμῖν παρὰ τοῦ Πατρός, τὸ Πνεῦμα τῆς ἀληθείας, ὃ παρὰ τοῦ Πατρὸς ἐκπορεύεται, ἐκεῖνος μαρτυρήσει περὶ ἐμοῦ.


「弁護者」:「Παράκλητος」(パラクレートス)。「傍に」「呼ぶ」という語が組み合わさったもの。傍に呼ばれる存在、ということで、「弁護者」「助け主」「慰め主」などと訳される。ヨハネ福音書の文脈では聖霊を指す。父なる神からキリストを通して信徒に派遣され、信徒の神理解を深め、真理を人々に「証し」して悟らせる存在。


「父のもとから出る真理の霊」:「真理の霊」は、聖霊についての別の呼び方。この箇所以外の用例については下記の通り。

14:17「この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」

16:13「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。」


 聖霊の父からの発出という教義ーフィリオクエ問題

「父のもとから出る」:聖霊の起源が父なる神にあることが強調され、ニカイア・コンスタンティノポリス信条においては、聖霊が父から発出することが明記された。

6世紀、スペインのトレド公会議において、従来の文言である「父から」(qui ex Patre)に加えて、「子からも」(Filioque)語が西方教会で付加され始め、9世紀のカール大帝時代にはこのバージョンが西方で広く使われるようになった。1054年における東西教会分裂(Great Schism)は、西方側のこの追加が一因となった。


「その方がわたしについて証をなさる」:証するの原語は、μαρτυρέωで、証言するの意。ヨハネ福音書の神学を象徴する用語の一つ。イエスの神性や使命を人々に証言するという意味で使用され、その語の主語は、洗礼者ヨハネ(1:7)、イエス自身(5:31-32)、聖霊(15:26)、弟子たち(15:27)があり、イエスの十字架や復活の目撃者もまた、証をする主体とされている(19:35)。

 つまり、聖霊がイエスを人に証をすることで真理へと導かれ、聖霊の働きにより人はイエスを証する主体ともなる、ということである。



 27節

新共同訳「あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。」

καὶ ὑμεῖς δὲ μαρτυρεῖτε, ὅτι ἀπ’ ἀρχῆς μετ’ ἐμοῦ ἐστε.


「あなたがたも……証しをする」:弟子たちもイエスの生涯と教えの目撃者であり、聖霊の働きによって、聖霊と共に証人とされていく。

「初めからわたしと一緒にいた」:弟子たちがイエスの公生涯の最初期から同行し、イエスの活動を体験してきたことを指す。彼らの経験、目撃体験は、「証」の真実性を裏打ちする。


説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マタイ25:23–33

マタイ25:23–33

 並行箇所:マルコ12:18-27、ルカ20:27-40


 概要

 サドカイ派との復活論争の記事。マタイはマルコの並行箇所を踏襲しつつ、マルコの「『柴』の個所」などの記述を省略して叙述している。


 注解

 23節

その同じ日、復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスに近寄って来て尋ねた。

Ἐν ἐκείνῃ τῇ ἡμέρᾳ προσῆλθον αὐτῷ Σαδδουκαῖοι, λέγοντες μὴ εἶναι ἀνάστασιν, καὶ ἐπηρώτησαν αὐτόν


「その同じ日」:その日がいつ始まったのかは定かではないが、21:17-18において宿泊を経て朝からの記述が始まっている。日付の設定というよりは、直前の記事の「ファリサイ派」との論争を意識して、本箇所でサドカイ派との一幕を記すという意識が反映されている。


「サドカイ派」:前2世紀頃に発生したと推定されるユダヤ教内の一派で、貴族層(エルサレム貴族層、地方の貴族層)、地主などの富裕層によって構成される。元々は有力な祭司一族のザドク(ツァドク)家の子孫とこれに関連のある者たちに由来する(エゼキエル40:46)。なお、ザドク(ツァドク)はソロモン時代の大祭司であった同名の人物から採られたものだろう(列王記上2:35)。イエス時代以前から以後しばらく、ユダヤの最高議会(サンヘドリン)における多数派として、政治的および宗教的支配権を手にしていた。文化的にはオープンであったが、自分たちの基盤を揺るがすような改革は望まないため、現状維持には保守的であった。神学的には保守的で、律法理解については旧約における「トーラー」(=モーセ五書)のみを正典と見なし、律法学者やファリサイ派とは異なり、律法から派生した伝統的な解釈の権威を否定した。死者の復活、天使や霊の活動の否定(必ずしも存在自体を否定しているわけではない。この世における活動には否定的)を特徴としている。後70年のエルサレム神殿崩壊時、当時の最高議会サンヘドリンの瓦解と共に、事実上その存在は消滅した。


 サドカイ派は彼らの信仰内容に基づいてイエスを論破しようと試み、質問を投げかけた。



 24

「先生、モーセは言っています。『ある人が子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。

λέγοντες· Διδάσκαλε, Μωϋσῆς εἶπεν, Ἐάν τις ἀποθάνῃ μὴ ἔχων τέκνα, ἐπιγαμβρεύσει ὁ ἀδελφὸς αὐτοῦ τὴν γυναῖκα αὐτοῦ καὶ ἀναστήσει σπέρμα τῷ ἀδελφῷ αὐτοῦ.


レビラート婚(レビラト婚、申命記25:5–10を参照):子供のいない夫妻において夫が死亡した場合、夫の弟が未亡人と結婚し、家系を存続させる制度を、レビラート婚という(参照、申命記25:5-10)。これにより、名前の継承、土地の継続的保持が意図されている。


 彼らは律法におけるレビラート婚と呼ばれる制度を引用し、復活の教えの矛盾を突こうとしている。



 25節

「さて、わたしたちのところに、七人の兄弟がいました。長男は妻を迎えましたが死に、跡継ぎがなかったので、その妻を弟に残しました。」

Ἦσαν δὲ παρ’ ἡμῖν ἑπτὰ ἀδελφοί· καὶ ὁ πρῶτος γαμήσας ἐτελεύτησεν, καὶ μὴ ἔχων σπέρμα ἀφῆκεν τὴν γυναῖκα αὐτοῦ τῷ ἀδελφῷ αὐτοῦ·


 「七人の兄弟」という極端なケースが設定されている。もし復活があるとすれば、「妻」が「七人」全員を夫として持つことになるとして、その教義が理不尽であると主張されている。



 26-28節

26「次男も三男も、ついに七人とも同じようになりました。27 最後にその女も死にました。28 すると復活の時、その女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしたのです。」

26 ὡσαύτως καὶ ὁ δεύτερος καὶ ὁ τρίτος ἕως τῶν ἑπτά. 27 ὕστερον δὲ πάντων ἀπέθανεν ἡ γυνή. 28 ἐν τῇ ἀναστάσει οὖν τίνος τῶν ἑπτά ἔσται γυνή; πάντες γὰρ εἶχον αὐτήν.


 サドカイ派の主張は、復活の教義が婚姻制度と矛盾するという一点に集約される。彼らはまた、復活後も婚姻関係がそのまま継続されるということを前提としている。



 29節

「イエスはお答えになった。『あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。

ἀποκριθεὶς δὲ ὁ Ἰησοῦς εἶπεν αὐτοῖς· Πλανᾶσθε, μὴ εἰδότες τὰς γραφὰς μηδὲ τὴν δύναμιν τοῦ θεοῦ.


 サドカイ派もまた律法学者と同様、聖書を読んで独自の解釈を深め、神の力を信じている。しかしイエスは、聖書に対する彼らの無理解、神の力に対する無知を指摘する。

 復活後はそれまでの地上の制度とは次元を異にするものであり、他方、サドカイ派は地上と復活後の世界を混同している。


 30節

「復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。」

ἐν γὰρ τῇ ἀναστάσει οὔτε γαμοῦσιν οὔτε γαμίζονται, ἀλλ’ ὡς ἄγγελοι ἐν οὐρανῷ εἰσίν.


 復活後の人間は、もはや地上の婚姻制度に拘束されることはなく。「天使」のような霊的存在に変容するという。復活は、単なる肉体の再生や生き返りではない。新しい次元の生としての新しい誕生であり、創造である。

 復活後の人間の形としては、ヨハネの手紙一3:2に、「御子に似た者となる」という表現がある。



 31-32節

31 「死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。」32 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」

31 περὶ δὲ τῆς ἀναστάσεως τῶν νεκρῶν, οὐκ ἀνέγνωτε τὸ ῥηθὲν ὑμῖν ὑπὸ τοῦ θεοῦ λέγοντος· 32 Ἐγώ εἰμι ὁ θεὸς Ἀβραὰμ καὶ ὁ θεὸς Ἰσαὰκ καὶ ὁ θεὸς Ἰακώβ; οὐκ ἔστιν ὁ θεὸς νεκρῶν ἀλλὰ ζώντων.

 イエスは、サドカイ派が根拠の拠り所としている聖書(旧約)の「言葉」を引用して問う。32節の旧約引用は、出エジプト記3:6。元々の文脈上の意味から外れるものの、イエスはその文言を、<神がアブラハムらをそのように呼ぶことは、神が今なお彼らと生きた関係性を持っていることを意味する>→<アブラハムらが今なお生きていることの証左>という論理で再解釈している。

 この論理が少し納得のいかない読者も多いだろう。その場合は、32節の冒頭が「私(こそ)は、アブラハムの神……である」と現在形で書かれていて、過去形ではない、すなわち、既にアブラハムなどが死んだ人として過去の出来事として扱われておらず、現在進行の事柄として語られていることを意識すると、わかりやすいかもしれない。



 33節

「群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。

καὶ ἀκούσαντες οἱ ὄχλοι ἐξεπλήσσοντο ἐπὶ τῇ διδαχῇ αὐτοῦ.


 群衆はイエスの聖書理解と知恵に驚嘆した。サドカイ派の表面的な理屈ではなく、斬新な解釈がもたらす腑に落ちる感覚に驚きを覚えたのだろう。サドカイ派が敗北したとは明言されていないが、群衆が驚いた事実の報告のみをもって、これ以上彼らが太刀打ちできなかったことが暗示されている。



 説教や奨励のための黙想
 とかく私たちは、神の教えや聖書の言葉を自分の狭い頭の中で弄り回し、堂々巡りの考えに陥りがちである。自分の理屈に捕らわれてしまうのである。それは、この箇所におけるサドカイ派もそうだった。
 イエスは彼らの復活否定の主張に対して、神の力や真理の世界が、我々の次元を超越するものであることを示す。
 復活後の夫婦関係について述べれば、死後や復活後も、それまでの夫婦関係が継続されることを望む人も少なくない。それをむげに否定する必要はないとは思うが、地上における夫婦関係以上の関係性が用意されていることを思い、希望と期待を抱いて、復活後の新しい命の次元を待ち望みたい。


 祈りの言葉
天の父なる神よ、
あなたの御言葉に耳を傾けるとき、私たちは自らの理解の限界を思い知らされます。サドカイ派の人々が復活を否定し、地上の制度に囚われていたように、私たちもまた、自分の理屈や経験に縛られ、あなたの力と真理の広がりを見失ってしまうことがあります。
どうか私たちの心の目を開いてください。あなたの御力が、死を超え、時を超え、私たちを新しい命へと導くことを信じることができますように。復活の命が、ただの延長ではなく、あなたの創造による新しい次元であることを、希望をもって受け入れられますように。
地上で築いた関係や絆を大切にしながらも、それを超えるあなたの愛と交わりに心を向けることができますように。復活の命において、あなたと共にあることの喜びを、今から味わい始めることができますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。

2025年10月6日月曜日

サドカイ派 Sudducees

サドカイ派 Sudducees


 前2世紀頃に発生したと推定される、ユダヤ教内の一派で、貴族層(エルサレム貴族層、地方の貴族層)、地主などの富裕層によって主に構成される。元々は有力な祭司一族のザドク(ツァドク)家の子孫とこれに関連のある者たちに由来するものと思われる(エゼキエル40:46)。なお、ザドク(ツァドク)はソロモン時代の大祭司であった同名の人物から採られたものだろう(列王記上2:35)。


 イエス時代以前から以後しばらく、ユダヤの最高議会(サンヘドリン)における多数派として、政治的および宗教的支配権を手にしていた。


 文化的にはオープンであったが、自分たちの基盤を揺るがすような改革は望まないため、現状維持には保守的であった。神学的には保守的で、律法理解については旧約における「トーラー」(=モーセ五書)のみを正典と見なし、律法学者やファリサイ派とは異なって、律法から派生した伝統的な解釈の権威を否定した。死者の復活、天使や霊の活動の否定(必ずしも存在自体を否定しているわけではない。この世における活動には否定的)を特徴としている。


 後70年のエルサレム神殿崩壊時、当時の最高議会サンヘドリンの瓦解と共に、事実上その存在は消滅した。


2025年10月1日水曜日

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マルコによる福音書 3章20-30節

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マルコによる福音書 3章20-30節

 概要
 新共同訳聖書が付けている表題、「ベルゼブル論争」というタイトルでは、今日の箇所と同じ20節から30節で区切るのが良い。ただ、今日の箇所では、イエスの身内が「気が変になった」と思って取り押さえに来ている一方、31-35節では、身内でない人たちがイエスから「家族」として呼ばれている。すなわち、前者と後者とで、家族なのに理解しない者たちと、家族でないのに理解している者たちという、鮮烈な対比が織り成されている。その場合は、20-35節をひとまとまりと考えて、30節までと31節以降とに分けるのが適切である。

 20節
イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。
Καὶ ἔρχεται εἰς οἶκον· καὶ συνέρχεται πάλιν τὸ πλῆθος, ὥστε μὴ δύνασθαι αὐτοὺς μηδὲ ἄρτον φαγεῖν.
「家に帰られると」:自分の家ではなく、拠点にしていた家のこと。
「群衆がまた集まって来て」:「また」(πάλιν)は、群衆が押し寄せる事態がこれまでにも起こっていることを意味する。
「一同は食事をする暇もない」:同様の記述は、6:31にもあり。「イエスは、『さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい』と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」日常生活すらままならない状況であることが示されている。イエスの教えを聞きたい人もいた一方、多くは病気の癒しや悪霊払いの奇跡を求めて殺到してきた群衆。<安住できる場所もない>といった主旨の言葉ならば、他にマタイ8:20「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」がある。

 21節
身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。
Καὶ ἀκούσαντες οἱ παρ' αὐτοῦ ἐξῆλθον κρατῆσαι αὐτόν· ἔλεγον γὰρ ὅτι ἐξέστη.
「身内の人たち」:「身内」はイエスの家族とされる。イエスの風評を耳した身内が、イエスの活動をやめさせ、故郷のナザレに連れ戻すためにやって来た。節の後半はその理由が述べられている。
「あの男は気が変になっている」:文法上、「気が変に」と言っている主語(3人称複数形)が特定されていないため、これがイエスの身内なのか、それとも第三者であるのかが定かではない。新共同訳は、後者と解釈して訳出している。いずれにせよ、「身内」はイエスを取り押さえるという行動に出ているのだから、彼らも少なからずそう考えていたと読むのが自然である。
 神の働きを為すにあたって、しばしば聖書の中で述べられていることは、周囲がそれを理解してくれるとは全く限らないということ。社会、あるいは家族でさえ、同意を得られずに反対されることがあることを肝に銘じておく必要がある。

 22節
エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。
Καὶ οἱ γραμματεῖς οἱ ἀπὸ Ἱεροσολύμων καταβάντες ἔλεγον ὅτι Βεελζεβοὺλ ἔχει, καὶ ὅτι ἐν τῷ ἄρχοντι τῶν δαιμονίων ἐκβάλλει τὰ δαιμόνια.
ベルゼブル:Beelzebul(英)。新約聖書において悪魔を指す呼称。他にはサタン、ベリアルなど。「悪霊の頭」とされている(参照、マタイ12:24)。元々はペリシテ人の都市神「バアル・ゼブル」(Baal‐Zebul、崇高なバアル、の意。ヘブライ語では、これを蔑称に転移させ、「バアル・ゼブブ」(Baal‐Zebub、蠅のバアル)とされている(列王記下1章)。なお、メソポタミアの主要都市の神の名として、例えばマルドゥク(バビロン)、イシュタル(ニネベ)などが挙げられる。     

 イエスは、人々に取り憑いたり病気にさせたりする悪霊の悪霊払いを行っていた。イエスに批判的な人たちは、それを神の力による奇跡と見なすことが腹立たしく、代わりに「悪霊の頭」として悪霊払いを行っているいるのだとこじつけて考えた。つまり、イエスが神の権威をもって悪霊払いをしていることを認めたくなかったのである。なぜなら、もしイエスのしていることが神の権威によるものだとするならば、彼を認めようとしない彼らは、なぜ神の意志に逆らうのかと落ち度を責められることになるからである。

 23-25節
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。」
Καὶ προσκαλεσάμενος αὐτοὺς ἐν παραβολαῖς ἔλεγεν αὐτοῖς· Πῶς δύναται Σατανᾶς Σατανᾶν ἐκβάλλειν; Καὶ ἐὰν βασιλεία ἐφ' ἑαυτὴν μερισθῇ, οὐ δύναται σταθῆναι ἡ βασιλεία ἐκείνη.
 我々の社会において、自分の本音は隠しつつも、表面上は正論を掲げて批判する場面に出会うことがある。イエスはここで彼らの裏の心を悟っていて、形ばかりの言い分、その矛盾を明らかにしている。悪魔が悪魔を払っていて、悪魔の世界が成り立つのか。国が内部で「争って」(原文ではμερίζω、分ける、分裂させる)、国が成り立つのか、という比喩をイエスは挙げている。

 26節
同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。
Καὶ εἰ ὁ Σατανᾶς ἀνέστη ἐφ' ἑαυτὸν καὶ μεμέρισται, οὐ δύναται σταθῆναι, ἀλλὰ τέλος ἔχει.
 要するに、サタンの頭が手下のサタンを追い出しているなどといった理屈は筋が通らないもので、自己矛盾した論理である、とイエスは宣言している。

 27節
また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。
Ἀλλ' οὐ δύναται οὐδεὶς εἰς τὴν οἰκίαν τοῦ ἰσχυροῦ εἰσελθὼν τὰ σκεύη αὐτοῦ διαρπάσαι, ἐὰν μὴ πρῶτον τὸν ἰσχυρὸν δήσῃ, καὶ τότε τὴν οἰκίαν αὐτοῦ διαρπάσει.
 押入り強盗の常套手口は、まずは強い人を縛り上げること。ここで「強い人」とは、悪霊すらも支配する立場にあるサタンを指していて、そのサタンの力を封じるのでなければ、そもそも悪霊払いなどできない、ということ。逆に言えば、イエスが悪霊の頭とも言えるサタンでさえも封じているというのであれば、それは神の権威の他にはなく、つまり、イエスは神の権威をその身に帯びているのだ、ということが暗に主張されている。「悪霊の頭の力だ」という批判を逆手にとって、イエスが神の権威を持つ方であることを物語るものであるという、真逆の主張を打ち返しているところに、天才的な論理転換が認められる。

 28節
はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。
Ἀμὴν λέγω ὑμῖν ὅτι πάντα ἀφεθήσεται τοῖς υἱοῖς τῶν ἀνθρώπων τὰ ἁμαρτήματα καὶ αἱ βλασφημίαι ὅσα ἐὰν βλασφημήσωσιν·
「はっきり言っておく」:原文直訳では、「アーメン、私はあなたがたに言う」
「人の子」:この文脈では、一般的な人たちを指す。
 人間が犯す罪も、赦されざる神への冒涜の言葉すらも、実は全て赦されるという、神の赦しの無限の広さが宣言されている。しかし次節で、その例外が述べられる。

 29-30節
しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。イエスがこう言われたのは、彼らが「イエスは汚れた霊に取りつかれている」と言っていたからである。
ὃς δ' ἂν βλασφημήσῃ εἰς τὸ Πνεῦμα τὸ Ἅγιον, οὐκ ἔχει ἄφεσιν εἰς τὸν αἰῶνα, ἀλλὰ ἔνοχός ἐστιν αἰωνίου ἁμαρτήματος· ὅτι ἔλεγον· Πνεῦμα ἀκάθαρτον ἔχει.
 解釈上の問題を幾つも抱える難読箇所。
「聖霊」:キリスト教の教義上では、父なる神、子なる神キリストと共に、聖霊なる神として、三位一体の神を構成する神。マルコでの用例は他に、1:8「その方は聖霊で洗礼をお授けになる」、12:36「ダビデ自身が聖霊を受けて言っている」、13:11「実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊」その他、聖霊を指して“霊”と書かれている箇所として、1:10, 12(イエスの洗礼の場面と、荒れ野の誘惑の記事)。これら用例にも表されているように、聖霊は個々人に宿り、言葉や意志与えてその人を動かすもの。つまり、人の内面にこそ働くもの。
「聖霊を冒涜する者」:聖霊の働きを否定する者。この文脈では、聖霊の働きを悪霊の力であると揶揄する者たちを指す。
 解釈の一つは、この節の文言を普遍化せず、あくまでこの場でイエスを揶揄した人たちに対して、重大な警告を与えたものと解すること。他方、これを普遍的な言葉として捉え、罪の赦しを拒絶し続ける者や、神の教えを曲解する者を指すとする解釈もある。
 
 説教のための黙想
 この箇所において、イエスを取り巻く人々は、まことの神の働きを自分の目で目にしながらも、理解や信仰へと至ることができませんでした。身内の者しかり、イエスに対する批判者たちしかり。目で見たら信じるという、簡単な話ではないのです。自分の心を開くことが大切です。以上の双方は、心を閉ざしていました。それで、見ながらも
理解できませんでした。
 しかしイエスは、批判者たちの揶揄の批判を通して、かえって逆に神の力の真実を明らかにされました。
サタンがサタンを追い出すことはありえず、悪の力を退けることのできる方は、ただ神の権威によってのみです。
 イエスのうちに働いていたのは、悪霊の力ではなく、聖霊の力でした。その聖霊の力が、私たちにも授けられます。それによって、神への信仰や求める心が生まれ、わからないところから理解へと至ります。だからこそ、イエスを否定するとは、神ご自身の働きを否定することにほかなりません
 聖霊を冒涜するとは、神の恵みと真理を自ら拒み、赦しの道を閉ざすことなのです。聖霊のささやきを疑うことなく、その導きに耳を傾け、神の力を信じて歩みましょう。

 祈りの言葉(祈祷)
恵みとまことに満ちた主なる神よ。
御子イエス・キリストを通して、私たちの中に聖霊を送り、真理と命の光を与えてくださることを感謝いたします。
主よ、私たちはしばしば、あなたの働きを理解できず、自分の思いによって、あなたの御業を疑います。どうか聖霊の力によって私たちの心の目を開き、あなたを正しく見分ける信仰と謙遜をお与えください。聖霊の声を拒まず、あなたの導きに従う者でいられますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によっておささげいたします。アーメン。

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マタイによる福音書 22章15-22節

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マタイによる福音書 22章15-22節

 並行箇所:マルコ12:13-17、ルカ20:20-26


 概要

 イエスとファリサイ派との論争物語の一つ。


 注解

15それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。

15 Τότε πορευθέντες οἱ Φαρισαῖοι συμβούλιον ἔλαβον ὅπως αὐτὸν παγιδεύσωσιν ἐν λόγῳ.

イエスを罠に嵌め、その身を捕えようと意図して、ファリサイ派は謀議した。キリスト捕縛への伏線の一つ。

「イエスの言葉尻を捉えて」:具体的には、律法に対する毀損、神への冒涜的な言葉を判定されるものを捉えようとした。16節以降、それが展開されていく。新共同訳では「言葉じり」とあるが、原文では単に「言葉において」。


16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。

16 καὶ ἀποστέλλουσιν αὐτῷ τοὺς μαθητὰς αὐτῶν μετὰ τῶν Ἡρῳδιανῶν λέγοντες· Διδάσκαλε, οἴδαμεν ὅτι ἀληθὴς εἶ καὶ τὴν ὁδὸν τοῦ θεοῦ ἐν ἀληθείᾳ διδάσκεις, καὶ οὐ μέλει σοι περὶ οὐδενός· οὐ γὰρ βλέπεις εἰς πρόσωπον ἀνθρώπων.

「弟子たち」:謀議したファリサイ派は上層の者たちで、下の者たちが実働部隊としてイエスのもとに派遣された。

「ファリサイ派」:律法重視、神中心の考え方から、反ローマの立場。ヘロデ派は、親ローマだったヘロデと同様、親ローマ派と推測される。そうだとすれば、ファリサイ派とヘロデ派は、政治的に対立関係にあるはず。それがこの場面で共闘するところに、人間の闇深さが表されている。

ヘロデ派:マタイでは1回しか現れない。マタイ以外の箇所は、マルコ3:6、12:13。一般的にヘロデ派とは、ユダヤにおけるヘロデ大王家(37 BCE - 92 CE)を支持する、紀元1世紀に活動した政治的一党(Horst Balz and Gerhard Schneider (eds.), Exegetical Dictionary of the New Testament (vols. 2; Grand Rapids: William B.  Eerdmans Publishing Company, 1991, 124-5.)。 親ローマであったヘロデを支持したので、ローマに対しても友好的である可能性は高いが、詳細は不明。

イエスに対する「弟子たち」の文言には敬意が込められているが、それは偽りである。「真実」「真理」「分け隔てせず」といったイエスの性質がその場の群衆に印象づけられた後、次節で語られる罠の問いにイエスが嵌まった場合、周囲の民衆の失望は大きくなるだろう。この表敬は罠の一環であるかもしれない。


17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」

17 εἰπὲ οὖν ἡμῖν, τί σοι δοκεῖ; ἔξεστιν δοῦναι κῆνσον Καίσαρι ἢ οὔ;

税金:人頭税(κῆνσος)。紀元6年、ローマ皇帝アウグストゥスがユダヤをローマの属州とした際に導入されたもので、一人ごとに課せられる定額税金。収入に応じた累進課税ではない。成人男子に一律で課される。徴収方法について、デナリオン銀貨で納入し、その銀貨にティベリウス皇帝の肖像および「神の子」との銘が刻印されている。ローマ皇帝を神扱いする点が、ユダヤ人にとってのタブー性を孕む。それをユダヤ人が納入することは、ローマの支配を容認し、その権威に屈服することの象徴となる。

律法に適っているでしょうか……:「適っている」と答えれば、ローマに対する服従を容認する発言となり、人々は失望する。「適っていない」と答えれば、ローマに対する反逆、税金未納論を民衆に吹聴する煽動者として告発が可能となる。すなわち、どちらに答えても窮地に陥る罠としての二者択一。また、ローマへの税金納入という政治的問題が、神への忠誠・信仰問題と、意図的に二律背反構造にされている。


18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。

18 γνοὺς δὲ ὁ Ἰησοῦς τὴν πονηρίαν αὐτῶν εἶπεν· Τί με πειράζετε, ὑποκριταί;

「偽善者」:新約聖書での使用回数は、マタイ13回、マルコ1回、ルカ3回。マタイでの使用が顕著。ファリサイ派や律法学者への批判の文脈で多く現れる。この文脈での意味は、彼らが外面的には敬意を装っているが、内心はイエスを罠に嵌めようという悪意を抱いているというもの。


19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、20イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。

19 ἐπιδείξατέ μοι τὸ νόμισμα τοῦ κήνσου. οἱ δὲ προσήνεγκαν αὐτῷ δηνάριον. 20 καὶ λέγει αὐτοῖς· Τίνος ἡ εἰκὼν αὕτη καὶ ἡ ἐπιγραφή;

デナリオン銀貨:ローマに人頭税を納める際の一般的な貨幣。

 イエスは罠が張られた質問への回答を単に回避するばかりか、相手を自分が指示する行動へと自然に導き、自分の誘導尋問へと乗せていく。


21彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

21 λέγουσιν· Καίσαρος. τότε λέγει αὐτοῖς· Ἀπόδοτε οὖν τὰ Καίσαρος Καίσαρι, καὶ τὰ τοῦ θεοῦ τῷ θεῷ.

「皇帝のものです」:イエスの敷いた誘導尋問に引っかかる彼ら。

「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に……」:皇帝に人頭税を納めることは、必ずしも信仰の棄却とはならない。そうであるならば、世俗の義務を果たしつつ、神への忠誠と信仰を貫いたらよい、という意。皇帝と神という二者択一構造を超えて、神を第一とする優先順位という枠組みへとシフトさせている。ここでは明記されていないが、もし信仰を否定するような権力が現れた際には、「自分を捨て、自分の十字架を背負って」(マタイ16:24)、殉教の覚悟で対峙する精神(マタイ5:11)を持つべきという含みを読み込んでも良いだろう。


22彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

22 καὶ ἀκούσαντες ἐθαύμασαν, καὶ ἀφέντες αὐτὸν ἀπῆλθαν.

「驚き」:悔しがるのではなく「驚いた」とあり、反論もなく「立ち去った」とある。ことから、彼らが単にやり込められたということ以上に、彼らがイエスの言葉に一つも反論できないほど納得させられた状態が、暗示されているのかもしれない。

 説教や奨励のためのポイント

*世俗の権威に対する妥協が、容認されているのではない。

*どんな世俗の権威にも最高の主権はなく、主権は神にある。

*神の主権、神への忠誠・信仰が否定されないならば、世俗の義務を果たすことは必ずしも悪ではない。むしろパウロの言表にも示されているように(参照、ローマ13:1-7)、信仰生活が守られるためにも必要な時がある。

*キリスト者は、世にありながら、その国籍は天にある、すなわち神にあるものである。この二重性において、神と世はとかく対立構造を形成することも多いが(参照、ヨハネ1:10-11)、両立させていく姿勢も説かれていることにも留意したい。

ヘロデ派 Herodians

ヘロデ派 Herodians


 ヘロデ派とは、一般的には、ユダヤにおけるヘロデ大王家(37 BCE - 92 CE)を支持する、紀元1世紀に活動した政治的一党と考えられている(Horst Balz and Gerhard Schneider (eds.), Exegetical Dictionary of the New Testament (vols. 2; Grand Rapids: William B.  Eerdmans Publishing Company, 1991, 124-5. 川島貞雄も「ヘロデを支持」し「ローマ人に対しても友好的」かも知れない「ユダヤ人」と推測するが、詳細不明としている。川島貞雄『マルコによる福音書―十字架への道イエス』(福音書のイエス・キリスト2)、日本基督教団出版局、1996年、91頁。)。その実体については、資料が乏しいため、殆ど不明である。


 新約聖書で3回言及されている他、ユダヤ人歴史家ヨセフスによっても触れられており、ヘロデの親衛隊もしくは支持者たちに相当するようなグループと考えられる。このようなヘロデ支持者たちがヘロデ大王の時代から存在していたことは、ヨセフスの記述から知り得る(ユダヤ戦記i.319; ユダヤ古代誌xiv. 450; xv. 2)。彼らは、ヘロデ大王に対して特別な敬意を表していたようである。

 しかし、ヨセフスの記述はすべてヘロデ大王時代に限られている。これに対して、新約聖書での用例は、ヘロデ大王以後のものであり、両者は微妙に時代を異にしている。


 新約聖書における三つの用例を挙げる。

「ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。」(マルコ3:6)

「さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。」(マルコ12:13)

「それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。」(マタイ22:15-16。マルコ12:13の並行箇所)


 参考として、「ヘロデ」という表記をもって、ヘロデの支持を受けて動くグループを含意して使用されている用例も挙げておく。

「そのとき、イエスは、『ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。』(マルコ8:15)

「ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」(ルカ13:31)

「事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。」(使徒言行録4:27)


 マタイ22:15-16の用例は、マルコ12:13の並行箇所であるから、用例はマルコを源泉としている。マルコの用例の検討は後述することにして、先にマタイとルカの反応を見てみることにしよう。

 マタイは、マルコ12:13に含まれる「ヘロデ派」を保持しつつも(マタイ22:16)、マルコ3:6の「ヘロデ派」は削除している(マタイ12:14)。他方、ルカは、マルコ3:2を「律法学者たちやファリサイ派たち」(ルカ6:7)と書き換え、マルコ3:6を人称代名詞で書き直している(6:11)。加えて、マルコ12:13の「ファリサイ派とヘロデ派」という記述を、「律法学者たちや祭司長たち」(ルカ20:19)に遣わされた「義人を装うスパイ」に書き直している(ルカ20:20)。つまり、ルカはマルコにおける「ヘロデ派」という記述をすべて削除していることになる。

 従って、マタイ22:16を除けば、基本的にマタイとルカは、マルコの「ヘロデ派」を別のユダヤ人グループに書き換えており、表記を避けていることは確かである。では、マタイとルカは、なぜ避けたのか。1.エルサレム崩壊後の時代のマタイとルカにとって、崩壊と共に消滅したヘロデ派について書き記す必要がなかった、2.彼らはヘロデ派ついて知らなかった等、幾つかの可能性が考えられる。そこで、マルコにおける二ヶ所の用例を詳しく検討してみよう。


 マルコ3:6

 マルコ3:6を含むマルコ3:1‐6のペリコーペは、2:1から続く一連の論争物語シリーズの結びに相当する。3:6は、その最後のペリコーペの結語にあたり、段階的に高まっていくイエスとファリサイ派たちとの軋轢のクライマックスとして、次のようにコメントされている。「ファリサイ派たちは出て行って、すぐにヘロデ派たちと共に、イエスをどのようにして殺害しようかと相談し始めた」。

 2:1‐3:6におけるペリコーペの結集がどの程度まで伝承段階で為されており、マルコの編集作業がどれほど施されているかについては議論がある。ただ、断食問答の記事(2:18‐20)の中でイエスの死を暗示し、その上で3:6でイエス殺害がほのめかされている。ここには、論争物語の範疇を越えたテーマ、しかもマルコに特徴的なイエスの受難のテーマが複数のペリコーペに跨って埋め込まれているため、クライマックス部分も含めた編集構成にはマルコの意図が反映されている可能性が高い。実際、マルコ的な「出て行って」という言い回しも3:6には含まれている(川島貞雄『マルコによる福音書』、91頁。)。よって、3:6はマルコの編集句と見なしてよい。

 ということは、マルコは自ら「ヘロデ派」という語を書いていることになる。ただ、2:1以来登場してきたグループに「ヘロデ派」という名は見られず、この箇所がマルコにおける初出であり、しかも、何の説明も付されていない。マルコは、なぜマタイやルカが避けた「ヘロデ派」を書き入れたのか。


 マルコ12:13

 このように、「ヘロデ派」が「ファリサイ派」と共に併記されている現象は、もう一ヶ所の用例である12:13にも見られる。3:6が編集句である蓋然性が高いことと、この箇所と同様、「ヘロデ派」と「ファリサイ派」が一緒に登場しており、彼らはイエスに敵意を抱いている点で共通していることから、本節は状況設定句としてマルコによって付加されたものだろう。

 マルコ12:13は、ガリラヤの領主であったヘロデ・アンティパスの支持者を指していると見られる。彼は親ローマの政治的立場を採り、その意味で、ガリラヤではサドカイ派のような立ち位置にあった(Horst Balz and Gerhard Schneider (eds.), Exegetical Dictionary of the New Testament (vols. 2; Grand Rapids: William B.  Eerdmans Publishing Company, 1991, 124-5. )。よって、マルコにおける「ヘロデ派」も、アンティパスと同様、ローマとの共存を支持する政治を志向したと推測される。だとすると、政治的な方向性が正反対同士の両者がイエス殺害を一緒にたくらむことに、矛盾と皮相が表されているとする見方も妥当なものだろう。

 両派の者たちを派遣した「人々」が誰であるか具体的には書かれていないが、それまでの受難予告等から(8:31; 9:31(「人々の手に引き渡され」); 10:33)、「長老、祭司長、律法学者たち」、すなわち、ユダヤの最高権力機構であるサンヘドリンに属する者たちを指すことは明らかである。12:13以降、受難物語の中でもヘロデ派は姿を見せることなく、サンヘドリン主導でイエスはピラトに引き渡され、十字架の場面へと入っていく。こうして見ると、伝承段階でもイエスを殺害していく主体は「長老、祭司長、律法学者たち」である。


 ヘロデ・アンティパスによるバプテスマのヨハネの処刑(6:14-29)や、先の「ヘロデのパン種」と関連づけて、状況に流されての不本意な行動はイエスに対する敵対的な行動でさえあることを印象づけるために、敢えて「ヘロデ派」を書き込んだとも考え得るが、推測の域を出ない。


 参考文献

    B. W. Bacon, "Pharises and Herodians in Mark," JBL 39 (1920): 102-12.

    W. J. Bennet," The Herodians of Mark's Gospel," NovT 17 (1975): 9-14.

E. Bickerman, "Les Hérodiens," RB 47 (1938): 184-97.

    C. Daniel,"Les 'Hérodiens' du NT sont-ils des Esséniens?," RevQ 7 (1970): 397-402.

    H. W. Hoehner, Herod Antipas (1972): 331-42. 

P. Joüon, "Les 'Hérodiens' de l'Évangile," RSR 28 (1938): 585-88.

    H. H. Rowley," The Herodians in the Gospels," JTS 41(1940): 14-27.

    A Schalit, König Herodes (1969): 378-81.

2025年6月16日月曜日

【キリスト教解説】『ユダ福音書』(『ユダの福音書』)とその悲惨な末路 ーイエスはイスカリオテのユダの裏切りを評価した?

 1970年代にエジプトのミニヤー県で発見された、通称「チャコス写本」(言語はコプト語)に含まれる福音書で、グノーシス主義的キリスト教の一派により書かれた文書。グノーシス主義的な関心に基づき、イエスを裏切り死へと引き渡したユダの所業が、イエスにより高く評価されているという、正統的な新約文書とは真逆の内容を含む。この内容と相俟って、2006年に一般公開されたことで一時話題となった。


 1.「チャコス写本」に含まれる四文書

1.『フィリポに送ったペトロの手紙』 ナグ・ハマディ文書のものとほぼ同じ内容

2.『ヤコブ』 ナグ・ハマディ文書の『ヤコブの黙示録』とほぼ同じ内容

3.『ユダの福音書』

4.『アロゲネース』

*いずれも、グノーシス主義の影響を受けた文書で、チャコス写本もまた、グノーシス主義的キリスト教の一派により生み出されたもの。


 2.グノーシス主義的思想に基づいて書かれた『ユダの福音書』

 要点:肉体=悪、霊=善。”肉体は魂の牢獄”、”死は肉体からの解放”

 至高神の他に、創造神デミウルゴス(グノーシス主義にとっては悪神)が存在する。デミウルゴスは人間を創造し、この人間に「ソフィア(知恵)」を通じて至高神より「霊」を与えられたが、「肉体」はこの「霊」を閉じ込める、「肉体の牢獄」である。それ故、「肉体」から「霊」を解放することが人間の救済となる。

 この観点に基づき、イエスを裏切ったユダの所業が、イエスにより高い評価を受けている。なぜなら、ユダはイエスを死に引き渡すことにより、彼の魂を肉体の牢獄から解放することになるからである。


 3.“反”異端文書における『ユダの福音書』に関する証言

 3.1.リヨンの司教エイレナイオス『不当にもそう呼ばれている「グノーシス」の罪状立証とその反駁』(通称『異端駁論』)による証言

「さらに他の人々が言っている、カインは上なる権威から来たのだと。・・・そして、このことを裏切り者ユダもよく知っていた。そして(他の弟子たちの中で)彼のみが真理を知っていたので、裏切りの秘儀を為し遂げた。彼によって天上のものと地上のものが解消されたのである、と言われる。彼らはこの種の虚構を作り上げて、それを『ユダの福音書』と呼んでいる。」(1.31.1)

*エイレナイオスが言及している『ユダの福音書』と、発見された『ユダの福音書』との間には相違点もあり、必ずしも同一文書とは限らないが、文書名が逐語的に一致していることと共通点を考慮すれば、両書は同じ書である可能性が高い。


 3.2.「カイン派」に関する証言

 エイレナイオス証言に言及し、そのグノーシス主義的キリスト教異端セクトを「カイン派」(グノーシス派の一派)と呼ぶ、反異端論者は以下の通り。

 テオドレトス『異端者たちの作り話要綱』(1.15)、偽テルトゥリアヌス『全異端反駁』(2.5-6)、エピファニオス『薬籠』(38.1.15)。


 4.成立年代

 先のエイレナイオス証言を含む『異端駁論』の成立年代が180年頃であるから、これが成立年代の下限となる。他方、『ユダの福音書』は『使徒言行録』の補欠選挙の記事(1:15-26)を知っているから、『使徒言行録』の成立年代である90年代が上限となる。

 また、チャコス写本の成立年代に関しては、放射性炭素年代測定によれば、280年プラス・マイナス60年と推定される。この年代は、コプト語の書体や装丁等の年代と概ね一致する。


 5.発見、公開に至るまでの経緯

1970年代 エジプト中部ミニヤー県にて、『ユダ福音書』(または『ユダの福音書』)を含む写本が発見される。恐らく盗掘による。

1980年 カイロの古美術商に売却されるが、盗難により紛失。

1982年 カイロの古美術商、ジュネーブにて写本を取り返す。

1983年 カイロの古美術商、大学研究者に300万ドルでの売却を持ちかける。交渉は決裂。

1984年 カイロの古美術商、写本をニューヨークのシティバンク貸金庫に16年間に渡り保管し、写本は劣化。

1999年 古美術商フリーダー・チャコス、カイロの古美術商より300万ドルで写本を購入。エール大学に調査を依頼。『ユダ福音書』と判明。

2000年 アメリカの古美術商ブルース・フェリーニ、写本を購入。一部を売却。残りを冷凍保存。

2001年 フェリーニ、代金支払いができず、チャコスに返却。チャコスにより、マエケナス古美術財団(スイス)に引き渡される。

2006年4月 ナショナルジオグラフィック協会の援助によりコプト語本文と英訳、インターネットで公開。その後公刊。

2006年6月 公刊本の邦訳『原典 ユダ福音書』(R. カッセル、M. マイヤー、G. ウルスト、B. D. アーマン編著)、日経ナショナルジオグラフィック社、2006年)発刊。


 参考文献

『原典 ユダ福音書』(R. カッセル、M. マイヤー、G. ウルスト、B. D. アーマン編著)、日経ナショナルジオグラフィック社、2006年。

荒井献『ユダとは誰か——原始キリスト教と『ユダの福音書』の中のユダ』(講談社学術文庫)、講談社、2015年。


2025年5月29日木曜日

マタイによる福音書 4章1-11節「荒れ野の誘惑」(2012年4月29日)

 教会学校教案 2012年4月29日分

マタイによる福音書 4章1-11節「荒れ野の誘惑」


 概要

 今週の箇所では、主イエスが宣教の旅の開始に先立って、荒れ野にて誘惑を受けられた出来事が述べられています。この「荒れ野の誘惑」の記事には、マタイとよく似たルカ四・一ー一三と、とても短いバージョンのマルコ一・一二ー一三があります。そして、マタイとルカでは「悪魔」「サタン」「試みる者」と呼ばれる存在が現れます。彼らは、「サタン」というヘブライ語の元々の意味が示す通り「神に反する者」で、伝統的には天使が堕落した者として信じられています。要は、人間を超える者であり、神に敵対し、人を神から引き離そうとする者です。これをキッチリ子どもたちに伝え、関心が悪魔論にばかり惹かれないよう注意しましょう。

 「荒れ野」とは、かつて出エジプトを果たしたイスラエルが困難の内に試みを受け、敗北した場所です(参照、申命記八・二)。しかし、今や人間となられた主イエスが、同じ荒れ野にて「神の子」として試みを受け、これに勝利されることで、救いの約束を実現しようとされます。ですから、荒れ野の誘惑とは、単なる悪魔との闘いではなくて、同時に神のご計画でもあります。

 加えて、主イエスは私たちが悪魔と闘う際の手本を示されています。すなわち、御言葉を正しく解釈し、御言葉をもって万事に臨む姿勢です。以上を念頭に置いて、聖書を見てみましょう。

 解説

 「イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。」(一節):荒れ野の誘惑は、御霊によって導かれた神のご計画であると同時に、悪魔から受ける誘惑という二面を持ちます。「荒れ野」は、出エジプト後のイスラエルが受けた試みである荒れ野の四〇年と関連します。また、悪魔の試みの目的は、主イエスがメシアとなられることを阻止することに他なりません。「四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。」(二節):「四十」は荒れ野の四十年とも関連しますが、完全数といって完全性を象徴します。十分なまでの時間を主は耐えられたということです。この行為は、かつてモーセが行った断食をも暗示するでしょう(出エジプト記三四・二八)。また、「空腹」は原語では「飢える」です。人となられた主イエスは、人の弱さもお受けになっていますから、私たちと同じように飢え、渇き、疲れ、痛みを覚えるのです。そこへ「試みる者」すなわちサタンがやって来ました。「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。(三節):「神の子なら・・・」という文言は、六節で再度サタンによって繰り返され、さらに十字架の場面では、人々があざけりの言葉として主イエスに投げかけます(二七・三九)。「神の子なら自分を救え」と。しかし主は、肉の欲を満たすためだけに神の力を行使されません。なぜなら、それは神に従うことではなく、自分の欲の奴隷になることだからです。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(四節):「パン」は生きるためになくてはならない物の象徴。聖書さえ読んでいれば食べ物は必要ない、という意味ではありません。パンが人を支えるのではなく、神が人を生かして下さっています。そのことへの信頼が求められているのです。「それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて・・・」(五節):「聖なる都」はエルサレムのこと。神殿の最も高いところでしょう。「下へ飛びおりてごらんなさい。『・・・あなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」(六節):悪魔も巧みです。詩編九一・一一ー一二御言葉を用いているのですから!「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」(七節):主は申命記六・一六を引用してお答えになりました。御言葉は聖書全体から理解せねばなりません。次に悪魔は言いました。「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら・・・」(九節)。「ひれ伏してわたしを拝む」とは、悪魔ないし自分を<礼拝>することです。これに対し主は宣言されます。「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」(一〇節):ここでも主は申命記六・一三の御言葉を引用されます。

 まとめ

 主イエスは、空腹も痛みも感じない超人のように、この試みを受けられたのではありません。弱い私たちと同じように苦しまれたからこそ、苦しむ私たちの助けです(参照、ヘブライ人への手紙四・一五、二・一八)。

 「自分が納得しなければ信じない。」人は時にそんなわがままを言います。神を試みることは、神への不信です。しかし神が私たちを試みるのは、私たちが神を新しく知るためです。皆さんも、試練があって初めて、神がどのような方か知ったのではないでしょうか。いつも問題は、神の側にあるのではありません。神は約束を必ず果たされます。私たちが、主に委ねるか否かが問われています。主の確かさが、主が受けられた誘惑、さらには主の十字架によって示されているのです。神の確かさ、そして信頼の大切さを、子どもたちに語りましょう!(茨木春日丘教会 大石健一)


マタイによる福音書 26章69-75節「ペトロの三度の否認」(2013年3月17日分)

教会学校教案 2013年3月17日分

マタイ26:69-75「ペトロの三度のイエス否認」


 今回は、ペトロが主イエスのことを三度知らないと否定した、あの有名な出来事が主題です。主イエスが大祭司の邸宅で裁判を受けている間、ペトロは屋内に突入するわけでもなく、かといってその場から遠く逃げ去ることもなく、微妙な距離を保ちながら、半ば呆然と立ち尽くしていました。主の弟子にもなれず、主の敵にもなり切れない、なんとも中途半端な信仰者の姿をさらしています。ここに、使徒でさえも抱えていた人間の弱さ、罪に支配された人の脆弱さがよく示されています。けれども、ペトロの否定を主イエスが予告されていたという事実は、主はそうした人間の弱さをすべてご存知であり、なおかつそうした罪深き者を赦し、愛されていることを示しています。自分の弱さ、罪深さに押し潰されそうになる私たちですが、そんな私たちでさえも、自分のすべてを知っているわけではないことに気づくべきです。神がご存知でない、私たちの弱さや罪はありません。そんな私たちの深き闇に赦しが与えられることを思い巡らしながら、今日の聖書の言葉を読んでいきましょう。


 解説

「ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、『あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた』と言った。」(六九節):主イエスを見捨てて逃げた負い目、そして恐れに襲われているペトロを、「あなたもイエスの仲間だ」という指摘が追い込みます。「ペトロは皆の前でそれを打ち消して、『何のことを言っているのか、わたしには分からない』と言った。」(七〇節):かつて教会の土台となるとさえ主イエスに言われたペトロが、自己保身のために虚偽を語っています。ここには、ペトロ個人の罪ばかりか、私たち人間のそれが現れ出ています。「義人はいない」とある通りです。「ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、『この人はナザレのイエスと一緒にいました』と言った。」(七一節):ひとたび嘘をつけば、それ以降、嘘で塗り固め続けなければならなくなります。真実から逃げるようにして居場所を変えたペトロを、事実の一端を知る女性がさらに追い込みます。「そこで、ペトロは再び、『そんな人は知らない』と誓って打ち消した。」(七二節):虚偽に走ったペトロは、ここに至ってついにイエスとの関係を全否定します。「打ち消す」「知らない」「誓う」という一連の表現が、全力で主を否定するペトロの必死ぶりを強調しています。一六・一六におけるペトロの信仰告白の力強さと比べ、なんという落差でしょうか。これもまた彼個人だけの問題ではありません。これが、私もあなたもそうであるところの「人間」のありのままの姿ではないでしょうか。「しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。『確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。』」(七三節):主イエスを知らないと言い放ったペトロは、自責の念を抱き、なお主のことを案じていたのでしょう。だからこそ、危険が及ぶ状況下、かろうじてその場に踏みとどまっていました。こうした「どっちつかず」の姿勢は、私たちの信仰にも見られるものです。「そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。」(七四節):この時の彼は、自己を取り繕う余裕すら完全に失い、誓いを立ててまで主を「知らない」と言い放ってしまいました。「ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」(七五節):ペトロが三度目の否定をするや否や、鶏が鳴きました。その鳴き声は、主イエスがかつてペトロに語られた言葉を思い出させました。彼の号泣は、一つには、自分の力で主を信頼しようとして完全に挫折し、自己の真実の姿を悟ったことに由来し、もう一つとして、それを主イエスが一番良くご存知であったことに気づいたことによるものでしょう。


 まとめ

 かつて主イエスを「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ一六・一六)と告白したペトロは、この時、しかも誓ってまで主イエスを知らないと告白しました。自分の力、自分の決意、理想の自分、あるべき自分……そんな自分がもろくも崩れ去り、彼はありのままの自分をさらけ出しました。別の言葉で言えば、彼は自分に徹底的に挫折したのです。しかし、そんな自分は崩れて良いのです。なぜなら、信仰とは自分で築き上げるものではなく、どこまでも神から与えられるものだからです。砂の一粒も神の前に誇るものを持たない私たちを、それでも、否、だからこそ主は愛し、その罪を赦し、神の子として、弟子として立てて下さいます。そのことをペトロが知るのは、主イエスの十字架と復活の後でした。主が私たちを選び、主が私たちを立てて下さる。この一点に立ち続けましょう!

茨木春日丘教会 大石健一

2025年5月24日土曜日

「猫にもわかる『四福音書』」第3回 嵐の中での弟子たち

 今回注目していく「人々の群像」は、船の上の「弟子たち」です。聖書箇所として、イエスが風と波をしずめる「嵐しずめの奇跡物語」と、イエスがガリラヤ湖上を歩く「湖上歩行の奇跡物語」の二つを見ていきます。この両者は互いによく似ていて、湖上、風、弟子たちが恐れた点、弟子たちがイエスの存在と力に思いが及ばない点などを共有しています。後の信仰者は、船に自分たちの教会や自分自身を重ね、航海に人生を、そして、怖じ惑う弟子たちの姿に戦々恐々とする自分たちを重ね合わせて、これらの物語を読んだことでしょう。

 さて、前者の「嵐しずめ」の方は、マタイ8・23-27、マルコ4・35-41、ルカ8・22-25に記されていて、ヨハネにはありません。一方、後者の「湖上歩行」の方はマタイ14・22-33、マルコ6・45-52、ヨハネ6・16-21に見出され、ルカにはありません。どうしてこのようなことが起きるのか不思議に思われるでしょうが、これは学術的研究で議論されるような非常に複雑なことですので割愛します。


 「嵐しずめ」の奇跡物語

 「向こう岸に渡ろう」というイエスの言葉を収録しているのは、マルコとルカで、マタイはこれを省いています。ただ、いずれの福音書も、イエスが自ら先陣を切って行動されたことを伝えています。皆様の中で決断を先送りにしている方がいらっしゃるとして、心の中に「向こう岸に渡ろう」との声が聞こえてきませんか?その後、たとえ嵐に巻き込まれることは避けられないとしても、私たちはただこのときの弟子たちのように、主の後に従えば良いのです。

 出向した矢先、「嵐」(マタイ)、または「突風」(マルコ、ルカ)が生じました。ルカはガリラヤ湖特有の気象を考慮して「突風が湖に吹き降ろしてきて」と詳述しています。船の中に波が打ち込んでくる危険な状況とは実に対照的に、イエスが悠々と眠っていたことについては、三つの福音書すべてが一致して記しています。その筆遣いに、そこはかとないユーモアを感じます。私たちの周章狼狽など、イエスにとっては安眠の妨げにもならないといったところでしょうか。

 もちろん、弟子たちはイエスを起こしにかかります。マルコとルカは「先生」と呼びかけますが、マタイは恐らく読み手にとっての「主」を考慮して「主よ、助けて下さい」と祈るように懇願しています。彼らの必死さはマルコにおいて最もよく書き留められています。「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」(4・38)。原語に近く訳せば、「わたしたちが死に滅びても、あなたは構わないのですか?」となります。これはもはや懇願ではなく、“抗議”です。なんというリアリティでしょう!皆様も似たような経験があるのではないでしょうか。しかし口惜しいかな、マタイとルカはあまりに強烈な表現と感じたのか、書き換えてしまっています。

 その後、ようやく起き上がったイエスは、風と波を叱りつけ、あっという間におしずめになりました。直後にイエスが弟子たちに語った言葉が、三者三様です。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」(マタイ8・26)、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」(マルコ4・40)、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」(ルカ8・25)。マタイの「信仰の薄い」とある箇所は、原語では「信仰の小さい」と記されていて、マタイは好んでこの表現を使います。17・20では「信仰が小さい」と「からし種一粒(小さな物の代表!)ほどの信仰があれば」という言葉がセットになって出て来ています。すなわち、「もっと信仰を“大きく”持って」と鼓舞されているのです。一方、マルコの「まだ信じないのか?」においては、信仰の大小の問題ではなく、信仰があるかないかの二者択一で考えられています。加えて、“まだ”というマルコが非常によく使う言葉が付け加えられていることにより、イエスは辛抱して弟子たちに根気強く教えているのに彼らは一向に理解へと至らないという、弟子たちへの批判的なニュアンスが滲み出ています。マルコにおいての「弟子たち」は、とにかく物わかりが悪いのが特徴です。私たちと似たり寄ったりです。ルカの「あなたがたの信仰はどこに?」という表現は、さすが学識あるルカの文才がキラリと光る言葉遣いと言えましょう。「私の信仰、“どこ”に置き忘れてしまったのかしら」、そんな乙なつぶやきを時々されたらいかがでしょう。


 「湖上歩行」の奇跡物語

 この物語の基本的なポイントは、船に乗った弟子たちの中に、イエスがいないという点に尽きます。「嵐しずめ」では、イエスが共にいるのにいないかのように思う信仰が問題とされていました。対してこちらは、イエスが“不在”なのです。これも「嵐しずめ」のときと同様、イエスは天に昇られて自分たちは地上に残された状態であるという、読者たちの現況が重ね合わせられています。

 湖上を歩くイエスの姿を見て、弟子たちは恐れました。その理由についてマタイとマルコは、弟子たちがイエスを幽霊と見間違えたからとして物語を書き綴っています(マルコ6・49、マタイ14・26)。よりによってイエスを幽霊と見誤る前提には、「主がここまで来られるはずはない」「湖の上を歩けるはずはない」といった、イエスとその力に対する我々の信仰の問題が潜在しています。ですから「湖上歩行」もまた、読み手の側の信仰を問うためのエピソードに他なりません。

 さて、イエスが弟子たちに語りかけた「わたしだ。恐れることはない」という文言は、細かな違いはありますが基本的には、マタイとマルコとヨハネの三者で共通しています。ただし、ヨハネの「わたしだ」という言葉は、その意味合いが違ってきます。ヨハネの文脈を通して、イエスがご自身を神としてあらわすという、“顕現”や“啓示”の意味合いが込められているからです(同様の例としてヨハネ18・8を参照)。元々ヨハネはイエスを「神」と証言している福音書ですから(1:1「言は神であった」、20・28「わたしの神よ」)、そうした滋味を踏まえて味わうのがこの箇所の楽しみ方です。

 マタイがマルコやヨハネと最も異なる点は、ペトロがイエスに申し出て自分も湖上を歩こうとすることです。怖じけづいて沈み始めたペトロの手を捕らえて語ったイエスの言葉がこちらです。「信仰の薄い者よ(小さな信仰)、なぜ疑ったのか」。マタイはペトロが十二使徒の中でも特別であることを強調する傾向がありますから、このペトロのエピソードもそれと合致すると言えばそのとおりですが、やはり、読み手が自分の信仰を見つめ直すように意図されたエピソードであることは間違いありません。

 湖上の「弟子たち」の群像を見てきましたが、それは単なる彼らの事実報告ではなく、読者である私たちに向けられたメッセージと感じられたのではないでしょうか。「人の振り見て我が振り直せ」ならぬ、「弟子の信仰を見て、自分の信仰を直せ」という言葉を、今回の締めといたしましょう。



 絵画紹介

 「嵐しずめ」や「湖上歩行」を題材とした絵画は多くはなく、捜し出すのに少し骨を折りました。今回ご紹介する絵は、レンブラントにするか、それともドラクロワにするか、かなり悩みました。最終的には後述のとおり、色々な意味でドラマチックなレンブラントを選んでいます

 18世紀フランスのロマン派の画家ドラクロワが『ガリラヤ湖上のキリスト』を二枚描いていて(1841年、1854年)、湖上歩行の奇跡の絵(1870年代後半)も残しています。彼の師匠は、『メデューズ号の筏』で阿鼻叫喚の地獄絵図を描いたことで一躍有名になったジェリコーです。ドラクロワは彼の影響を受けて、小さな船に所狭しとひしめく弟子たちが押し合いへし合いを繰り広げる絵を描いたと考えられています。実際、絵の中の主役は、ほおづえをついて眠るキリストというよりも、むしろ大慌ての弟子たちの方です。

 17世紀オランダの最大の巨匠レンブラントの『ガリラヤ湖の嵐』は「さすが」の一言です。打ち込む波に耐える弟子たちと、イエスの周囲の弟子たちとの間のコントラストもさることながら、限界まで傾いたマストからは不安感、そして白ぎ立つ波の躍動感からは自然の激情を感じます。残念なことにこの絵は、フェルメールの『合奏』などと共に1990年に盗難にあい、行方不明となっています。湖底に沈んだこの絵が、再び太陽の光を浴びることを祈ってやみません。



2025年5月21日水曜日

「猫にもわかる『四福音書』」第2回 イエスの洗礼

(元ネタ原稿 『信徒の友』2018年5月号所収<主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像>第2回「イエスの洗礼に立ち会った人たち」


 序

 イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたことについては、読者の皆様もよくご存知のことと思います。しかし、よくよく考えてみると、ヨハネが授けていた洗礼とは「罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼」ですから(マルコ1・4)、一体なぜ、罪の赦しを与えるイエスが彼から洗礼を受ける必要があったのか、その理由がわからなくなってしまいます。これは、福音書最大のミステリーのひとつです。そこで今回は、イエスが洗礼をお受けになった箇所を見ていきます。また、ちょうどペンテコステの時期にも近いですので、これと併せて、イエスの上に聖霊が降った箇所も読みたいと思います。


 イエスの洗礼の事実報告をしないヨハネ福音書

 イエスの洗礼に関連する記事は、四福音書すべてにおいて掲載されています。ただし、いずれの福音書の記事にも個性があり、それぞれに独特の音色の響きがあります。まず、マタイ(3:13-17)、マルコ(1:9-11)、ルカ(3:21-22)の三者は、イエスがヨハネから洗礼を受けられた事実を報告している点で一致しています。ところが、ヨハネ福音書だけはこの事実について触れていないのです。否定まではしていませんが、イエスの姿を目にした洗礼者ヨハネは「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(1:29)と語り、その後、ヨハネ福音書は彼の「証」を綴り、洗礼の事実に触れぬままに記事を結んでいます。その代わりに、神の小羊となって贖罪の業を成し遂げたイエスを「神の子」と証言する洗礼者ヨハネの“証”を、ヨハネ福音書は強調しています。


 イエスがヨハネから洗礼を受けたというミステリー

 イエスが洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった事実について、マルコは直裁に「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」(1:9)と記しています。一方、ルカは「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると」(3:21)と書いており、しっかりと事実を書き留めるというよりは、民衆が洗礼を受けたという報告に繋げてしまうことで、軽く流していくような筆致となっています。なぜでしょうか。

 冒頭で述べたように、罪の赦しを与えるイエスが、どうして「罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼」(ルカ3:3)を授けていたヨハネから洗礼を受けなければならなかったのかという大問題と絡んでいます。加えて、普通に考えれば洗礼を授ける人の方が授けられる人よりも上の立場にあって当然ですが、これも反転してしまっています。そうです。イエスの洗礼は、実は解きがたい大いなる矛盾を孕むミステリーなのです。

 書き手とすれば、こういう箇所は書き飛ばしてしまいたいところですが、恐らくイエスの洗礼は確固たる事実として周知されていたために、ルカはそうすることができなかったと推測されます。かといって、ルカとしては初心の福音書読者をむやみに混乱させたくはなかったと思われます。そこで、上記のような流し書きをしたのだと私は見ています。

 ちなみに、イエスが洗礼を授けたという報告は、ヨハネ福音書だけにしか見られません(3:26「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています」)。イエスが洗礼を授けたというのなら文句なしに自然だというのに、逆に洗礼を受けられたとは、謎は深まるばかりです。


 マタイが読み解くイエスの洗礼のミステリー

 このミステリーの解決に、果敢に挑戦したのがマタイです。マタイ3:14-15は、マタイ福音書にしか見られない独自の記述となっています。


「ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。『わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。』しかし、イエスはお答えになった。『今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。』そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。」


 こうしたやり取りが史実通りなのかどうかという問題はさておき、このマタイの解釈は皆さんにとっていかがでしょうか。「正しいこと」、すなわち、“神の意志”に服従することをイエスは願い、大いなる矛盾の中に我が身を置いたのだと理解することができます。さらには、イエスのこの決意は、罪を赦す方が罪の裁きを我が身に負うという、いわば“贖罪のパラドックス”を指し示しているかのようです。


 それにしても、思いとどまらせようとしたヨハネの行動は、私たち読み手の側の動揺を代弁しているかのようです。予想外の出来事が神のご計画の中で起こった時、「主よ、どうしてですか?」と問いたくなる時があるでしょう。そう考えると、イエスがヨハネに返した「今は、止めないでほしい。・・・我々にふさわしいことです」という回答は、にわかには受け容れがたい神の意志が示された時、動揺する私たちに向かってイエスから語られている言葉として受け止めることができます。しかもこの時、イエスはヨハネに対して服従を求めている立場ではありますが、同時に、ご自身もまた父なる神の意志に従順であろうとしています。つまりイエスは、“共に”神の意志に従おうではないかとヨハネに促し、そして私たちにもまた、同じくびきを“共に”担おうではないかと声をお掛けになっているのです。イエスの姿に倣って、私たちもまた、あえて身を低くしようではありませんか。あえて損を取り、あえて矛盾のただ中に飛び込もうではありませんか。神のために、そして、隣人のために。


 聖霊が鳩のようにイエスに降る

 イエスの洗礼後、マルコの場合は天が「裂け」(1:10)、マタイとルカの場合は「開いて」(マタイ3:16、ルカ3:21)、聖霊がイエスの上に降ってきたと述べています(霊の降りはヨハネ福音書も触れています。1:33)。また、聖霊の表記は各福音書ごとに異なりますが、「鳩のように」という形容と、「わたしの愛する子」という天からの声は、マタイ、マルコ、ルカで綺麗に一致しています。ただし、ルカは「鳩のように目に見える姿で」と書くことで、それが降りてくる様子のことなのか、それとも聖霊の形がそうであったのか、曖昧な点を明瞭な形に書き直しています。

 天から響く父なる神の声、降りてくる聖霊、そしてイエス。ここには、一つの場面に三位一体の神である父・子・聖霊が同時に現れる、福音書屈指の美しき情景が広がっています。この様子を誰が見たのでしょうか。洗礼者ヨハネは間違いなくその一人です(参照、ヨハネ1:34)。では、群衆についてはどうでしょう。明記はされていませんが、ルカの書き方のように、民衆がこぞって洗礼を受けていく中、イエスはそこに混じるようにして洗礼を受けられたことを考慮すれば、多くの人々がこの世界で最も麗しい光景を目にしたと考えることができます。現に、画家たちの多くは、その場面に立ち会った人々を絵の中に描き込んでいます。その場に居合わせた群衆の中に私たちも立ち、イエスの洗礼と聖霊降りに立ち会うかのような心持ちで、この出来事を改めて受け止めて頂ければ幸いです。


 絵画紹介

 イエスの洗礼を題材とした絵画は数多くあります。例えば、イタリアのルネサンス期の画家でティツィアーノに師事し、官能的な画風を特徴としたパリス・ボルドーネの作品は、イエスと洗礼者ヨハネの筋肉美が目映いばかりです。最も一般に知られている作品は、ルネサンス時代のイタリアの彫刻家であり画家でもあったヴェロッキオのものです(ダ・ヴィンチとの共作)。イエスに洗礼を授けるという畏れ多きことに、厳粛な気持ちでのぞむヨハネの精悍な面持ちと、謙って使命に服するイエスの表情の対比が際立つ絵です。

 今回ご紹介する絵画は、このヴェロッキオの手ほどきを受けたウンブリア派の画家ペルジーノの作品「キリストの洗礼」です。誇張を避けて単純化された群衆の人物表現と、ダイナミックな風景の描写には、ペルジーノらしさがきらめいています。この絵の特徴は、今触れた通り、洗礼を受けに来た無数の人々の姿が描き込まれていることです。イエスの洗礼の目撃者ともなったという設定も兼ねています。群衆をよく見ると、いぶかしげな表情をしているファリサイ派的な人も紛れ込んでいます。また、風景の後方に、イエスとヨハネが説教している場面が左右対称で描かれているように見えますが、だとすればこれは異時同図法と呼ばれる手法で、一つの絵の中に場所や時間が異なる別の場面を差し入れるものです。その他、洗礼方法は浸礼ではなく滴礼・灌水礼です。これは、中世以降の洗礼方法を反映していると考えられます。本文の結びと繋がることですが、画家たちの多くは、自分たちが生きた時代の日常を絵の中に盛り込むことで、まるでそこに居合わせているかのような臨場感を醸し出したのです。

2025年4月30日水曜日

「猫にもわかる四福音書」第5回 ヤイロの娘とイエスの服に触れた女性

 今回は、ヤイロの娘の甦りと、イエスの服に触れて病を癒された女性のエピソードを見ていきます(マタイ9・18-26、マルコ5・21-43、ルカ8・40-56)。この二つの物語の最大の特徴は、双方が別々のエピソードでありながらも、福音書の中では時間的な連続性を持つ“ひと続き”の物語として描かれていることです。具体的に言えば、ヤイロ娘の甦りの物語から始まり、途中、病を癒された女性の物語が挟み込まれ、その後、ヤイロの娘の物語の後半をもって閉じられる構造となっています。図式化すると、ヤイロ→服に触れる女性→ヤイロ、となります。こうした物語の構成は、他にはいちじくの木が枯れる教訓(マルコ11・12-14、20-21)にも見られ、聖書の中では珍しいものです。


 ところで、マタイ、マルコ、ルカに共通して見られる記事の場合、基本的には、マタイとルカがマルコ福音書を下地としつつ、これにアレンジを加えて書き上げたと見るのが一般的です。この点を踏まえて、マルコを軸にしてストーリーを追ってみましょう。まず、会堂長ヤイロがイエスのもとにやって来て、「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう」(マルコ5・23)と懇願するところから物語が動き出します。ところが、一刻を争う道すがら、突如として「十二年間も出血の止まらない女」(5・25)が現れ、イエスの服に触れます。イエスはこの女性を探し出そうとし始め、対して弟子たちはこの行動についてイエスに意見し、ヤイロの娘の物語の進行はすっかり中断してしまいます。その後、イエスの服に触れた女性の病が癒されて話が終了すると、再びヤイロの娘の方に戻ります(5・35)。「子どもは死んだのではない。眠っているのだ」と語るイエスに対して、周囲の人々は「あざ笑い」ます。しかし、イエスが少女の手を取り「起きなさい」(8・41)と語ると少女は甦り、人々は大変に驚いたという報告をもって物語は閉じられます。


 場面設定が異なるマタイ

 マルコとルカでは、会堂長ヤイロの娘が死にかけている状況で、ヤイロがイエスに助けを求めるという場面設定である一方、マタイでは会堂長ヤイロの代わりに無名の「指導者」が現れて、次のように述べています。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう」(マタイ9・18)。一見、マタイはマルコのセンテンスを踏襲しているようですが、なんと、娘は既に亡くなっているという設定です。その上で「でも、おいでになって手を置いて」とイエスに依頼しているのです。マタイがなぜこのような改変をしたのか、はっきりとしたことはわかりません。マタイはマルコとバージョン違いの記事を採用した可能性もありますが、マタイが意図的にマルコの記事に編集を加えたとも考えられます。マタイ版の方では生きるか死ぬかの切迫感がなくなってしまうのですが、既に死亡した状態にあったとしてもイエスが手を置いてくださるならば甦るという「指導者」の信仰が強調されています。また、物語全体の簡素化と短縮も為されていて、実際マタイは女性の治癒物語の方も大幅に縮めていますから、マタイによる改変の可能性は高いでしょう。必死でイエスに助けを求めながらも間に合わず、一度は諦めたけれども娘の甦りに立ち会うというドラマチックなマルコ・ルカ版か、あるいは、イエスは死人さえも甦らせることができるという信仰重視のマタイ版か、同じ一つの物語で二度味わうことができることも、各福音書の違いを見ていく楽しみの1つです。

 

 イエスから力が出て行って

 イエスの服に触れて癒された女性の物語において、マルコとルカにおいては、女性が「イエスの服」(マタイとルカでは「イエスの服の房」)に触れた際に病気の癒やしが起こっています。これとは対照的なのがマタイで、女性がイエスの服に触れた瞬間にではなく、イエスが振り向いて「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った」(マタイ9・22)と語った時に病気が完治しており、治癒の奇跡が発動する要因とタイミングが異なります。マタイでは、女性の信仰と「あなたの信仰があなたを救った」という言葉との結びつきが明瞭にされることで、イエスの服に触れて癒されるという奇跡の次元から、治癒の奇跡を可能にするイエスの言葉とその力を信じる信仰の次元へと論点が移し替えられていると言えるでしょう。

 女性がイエスの服に触れたことについてもう1つ。マルコでは「イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて」とあり、ルカではそれがイエス自身の言葉の中で述べられています(ルカ8・46「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」)。病気が癒されることも含めて、神の業が為される時、イエスはご自分の力を注ぎ出していることに気づきます。私たちは無意識に、奇跡を起こすことなどイエスにとって痛くもかゆくもないと思い込んではいないでしょうか。奇跡であれ恵みであれ、その背後には、イエスがご自身の力を注いでくださっているという事実があります。


 “中断”されることの意味

 一刻も早く娘のもとに戻りたいヤイロにとって、イエスの服に触れる女性の突然の出現は、焦燥感に苛まれるような事態であったでしょう。私たちの人生においても、これからという時に限って周囲のトラブルや病気といったことで自分の人生の中断を余儀なくされ、すっかり気が滅入ってしまうような局面があるでしょう。しかし今回の物語の場合、結果としてはこの中断が、女性にとっては十二年間に及ぶ病気との闘いが終わり、ヤイロにとっては、同じ十二年間(マルコ5・42、ルカ8・42)かけて育てた大切な娘がイエスによって甦ると同時に、イエスの復活の予兆ともなる大いなる出来事に立ち会うことへと繋がりました。実に、中断というマイナス要因が、神の栄光が現される機会となったのです。マタイ、マルコ、ルカは、二つの物語が繋がったこの構造を崩すことはしませんでした。そこには、順風満帆の時よりもむしろ中断の時こそ、主なる神に希望を抱いて歩みなさいというメッセージが込められているのでしょう。


 ヨハネ福音書に見られる“残り香”

 四福音書で共通して取り上げられている記事は限定されているために、今回はマタイ、マルコ、ルカだけに含まれている記事を取り上げたのですが、実は、ヤイロの娘の甦りが残り香のようにほのかに漂う記事をヨハネ4・43-54に見出すことができます。ある王の役人が瀕死の息子の病気を治してもらおうとイエスのもとに行ったところ、イエスに「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われ、これを信じて帰路についたところ、僕たちがやって来て息子の快癒を告げ知らされたというストーリーです。百人隊長の僕(しもべ)の治癒物語(マタイ8・5-13、ルカ7・1-10)に近いのですが、役人の息子や死にかけているという状況設定はヤイロの娘の物語に似ていて、まるで二つの記事のパッチワークのような仕上がりです。この記事は、元々は1つの物語が拡散し、各地で独自の発展を遂げる過程で別の記事からも影響を受けて成立していった、バージョン違いの物語と言えるでしょう。


 絵画紹介

 今回、紹介する絵画は、19世紀後半から20世紀前半にかけてのロシアの画家ワシーリー・ポレーノフの『ヤイロの娘の甦り』(1871年)です。クリミア戦争での敗北後にして社会主義革命の手前という時代にあったロシアでは、写実主義というムーブメントが盛んになりました。民衆が味わっている過酷な生活の実態を露わにする社会的リアリズムの動きがあった一方で、ありのままの何気ない日常生活や自然を描き出そうとする流れもありました。フランスで印象主義の影響を受けたポレーノフは後者で、明るい色彩の風景画や、福音書の物語の印象深い場面を多く書き残しています。

 祈るように手を合わせて組む母親と思しき女性を初め、ヤイロや弟子たちが背後で見守る中、少女が目を覚ました際の光景が描かれています。伸ばされたイエスの右手と少女の上半身の辺りの空間は、優しい光に包まれているように見えます。静謐な時間が支配する部屋の中をじっと見ていると、見る者の心に、イエスの愛と神の祝福が穏やかに迫ってくるのを感じるような一枚です。

「猫にもわかる四福音書」第1回 イエスの復活

 「イエスの復活」


 初めに

 新約聖書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書が収められています。いずれの福音書も、十字架と復活に至るまでのイエス・キリストの足跡にスポットライトを当てた物語を伝えています。福音書に慣れていらっしゃらない方が目にすれば、福音書にはどれも同じようなことが書かれているように感じられるでしょう。しかしながら、それぞれの福音書には、お互いに共通点もあれば相違点もあり、各福音書はそれぞれ独自の観点をもって、キリストを中心とした出来事を書き綴っています。

 そこでこの連載では、毎号違ったエピソードを取り上げて、各福音書の記述間の共通点と相違点を意識しながら、キリストと出会った人々のドラマを浮き彫りにしていきたいと思います。また、その回の場面を題材とした西洋絵画を、毎回一枚ご紹介していきたいと思います。

 今回はイースター特集号です。長い夜が明けて復活の朝日が差し始めた時、主イエスが葬られた墓を訪れた人たちがいました。それは、かつてイエスに付き従っていた婦人たちでした。彼女たちがそこで経験したエピソードを中心に見ていきましょう。


 イエスが復活して空(から)とされた墓で

 「空の墓復活物語」と呼ばれているエピソードは、四つの福音書全てに含まれています(マタイ28・1-8、マルコ16・1-8、ルカ24・1-12、ヨハネ20・1-10)。そして、複数の婦人たちが、安息日が終わった翌日の早朝に墓を訪れたという点で、四福音書は共通しています。まず、婦人たちの名前について、四福音書の中でマルコとルカが丁寧に書き残しています(マルコ16・1「マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ」、ルカ24・10「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たち」)。他方、マタイは「マグダラのマリアともう一人のマリア」(28・1)と簡略化し、ヨハネは「マグダラのマリア」一人しか登場させていません(20・1)。この婦人たちは、イエスがガリラヤで活動していた時から主に従ってきた人たちでした(マルコ15・41、ルカ23・55を参照)。常日頃から主に寄り添うことを求めてきた女性たちだからこそ、逃亡した男性の弟子たちに代わって、復活の最初の目撃者として選ばれたという事実は、私たちの日頃の信仰の有りようについて考えさせられます。


 夜明け前、まだ暗いうちに

 前述の通り、四つの福音書すべては、婦人たちが早朝に訪れた点で一致していますが、夜明け前のまだ暗いうちに墓へと向かったと報告しているのは、ヨハネ20・1です(「朝早く、まだ暗いうちに」)。夜明け前、それは闇が最も濃くなる時です。はやる心を抑えられないかのように、闇の中に一歩を踏み出していった婦人たち。当人たちですらまだ自分でも意識せぬままに、夜明けを切望し、復活の光へと向かって歩き始めていったのでしょう。希望の見えない夜の中で、復活の朝は白み始めることを思います。


 たとえ石で塞がれているとしても

 マルコ16・1とルカ24・1は共に、婦人たちが遺体に塗るための「香料」を携えていたと記しています。石が墓の入り口に置かれている以上、それは何の役にも立ちません。それでも彼女たちは、主に献げて生きる歩みを諦めることはありませんでした。マルコ16・3における「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」という言葉は、不安を伴わないことが信仰なのではなく、思いわずらいを抱えながら、それでも不透明の中で歩みを進めていくのが信仰なのだということを、私たちに教えています。


 石は転がされ、天使が現れて

 四福音書は一致して、石が動かされていたことを証言していますが、マタイだけは「大きな地震」があったと報告しています(28・1「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座った」)。そこに、突如として天使が現れました(ただしヨハネでは、石が転がされているのを婦人たちが見た時点で、すぐに弟子たちのもとに行って報告したという展開)。その姿について、マルコは「白い長い衣を着た若者」と形容し(16・5)、マタイは「稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」と書き(28・3)、ルカは天使が二人であったと証言しています(24・4「輝く衣を着た二人の人」)。また、マタイでは墓を番兵たちが見張っていたという設定になっているため、彼らが物語の舞台から退く場面が差し込まれています(28・4「番兵たちは・・・死人のようになった」)。


 天使からのメッセージ

 マタイ、マルコ、ルカの記述は概ね一致しており、イエスが復活してここにはいないことを端的に告げています。マタイ28・7とマルコ16・7では、ガリラヤで弟子たちが復活のイエスと相まみえることが伝えられています。マタイはこれをガリラヤでの顕現物語に繋げていますが、元々のマルコ福音書の結びは16・8における婦人たちの沈黙で結ばれていて、新約聖書学における最大の謎の一つとされ、その解釈を巡って無数の議論が未だに継続中です。

 ルカ24・5における修辞疑問文の言葉は、もしイースター名言集があるとすれば、その筆頭に挙がるでしょう。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」。主は今も生きておられるというのに、一体私たちはどうして、いつもいつも心を傷めて悩んでばかりなのでしょう。そんな思いわずらいを「なぜ」と問い、徒労であると言い切って下さる天使に感謝したいと思います。


 それぞれの福音書オリジナルのエピソード

 さて、ここからは、一つの福音書にしか見られない復活のエピソードを幾つか見ていきたいと思います。まず、ルカ福音書独自の復活記事は、何と言っても「エマオ途上の復活顕現物語」でしょう。クレオパを含む二人の弟子たちが失意のうちに論じ合っていた時、何者かが彼らと同伴して聖書の言葉を説き明かしました。聖餐を想起させる食事の場面で、クレオパを含む二人の弟子たちの目が開け、イエスの存在に気づかされ、道中での心が燃える体験を語り合う場面は、読む者の心をも熱くさせます。

 次は、ヨハネ福音書に含まれている、マグダラのマリアへの顕現物語です。墓の外で一人涙を流すマグダラのマリアに、復活の主が語り掛けます。当初はその人物がイエスと気づかない彼女でしたが、「マリア」と名前を呼ばれた瞬間に悟り、思慕の念が一気にほとばしり出ます。そんなマリアに、イエスが「すがりつくのはよしなさい」(20・17)とお語りになったという記事です。このエピソードは美術の題材として「ノリ・メ・タンゲレ」(「私に触れてはならない」)と呼ばれ、特にゴシック時代、多くの画家たちによって描かれました。ジョット・ディ・ボンドーネによるスクロヴェーニ礼拝堂の壁画が有名です。こうした絵画の殆どは、ひざまずいて両手を伸ばすマグダラのマリアに対し、イエスが片手を伸ばして制止しているという構図を取っています。イエスはマリアを拒む形ではありますが、イエスの繊細な優しさと、確固たる意志が滲み出ているように感じられます。


 絵画紹介

 今回、画像と共にご紹介する絵画は、ブリュッセル生まれのフランスの画家シャンパーニュ(シャンペーニュ)による『エマオでの食事』です。テーブルの下をご覧下さい。キジトラと思しき一匹の猫が食べ物に手を出そうとして、お店の人に「コラ」と叱られています。最後の晩餐やエマオでの食事の絵に、猫や犬が描き込まれることは大変よくあることで、猫は元々は裏切りや疑念を象徴するのですが、猫好きな画家の趣味で可愛く描き足されていることも少なくありません。バロック期のスペインの画家ペドロ・オレンテの作品や、有名どころではイタリア・ヴェネツィア派の画家ティントレット(猫出現率はトップクラス)も、『エマオでの食事』の絵画に愛らしいサビ猫を描き込んでいます。ティントレットの方の絵にあるように、大騒ぎする弟子たちを横目に、「初めから知っていたよ」という顔でハコ座りする猫のように、私たちもありたいものです。