2025年11月2日日曜日

説教や聖書研究をする人のための聖書注解  マルコ4:1–9「蒔かれた種の例え」

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 

マルコ4:1–9「蒔かれた種の例え」

並行箇所:マタイ13:1–9、ルカ8:4–8

 概要

 マルコ4:1–34は例え話集となっていて、最初の「蒔かれた種の例え」のほか、成長する種の例え、からし種の例えが収録されている。同時に、この例え話の解説(4:13–20)および例えを用いて語る理由(4:10–12、4:33–34)も記されている。
種を蒔く人の譬え話は、例えやその解説の中で「土地」に注目されていることもあって、種が蒔かれた土地、すなわち神の言葉を聞いた人々の話として理解されてきた。だが、近年はこの解釈が見直され、種を蒔く側の人々、すなわち神の言葉を宣べ伝える者の労苦を物語る例えとして読む見解もある。
 例えの構造としては、四種類の地面と種の運命が描かれており、4種の土地は神の言葉という種を聞いた4タイプの人間の寓意である。

参考文献(注解書などを除いた研究論文などの一部)

上村静「蒔かれた種のたとえ(マルコ4:3–8)―神の支配の光と影―」『新約学研究』第42巻、日本新約学会、2014年。

 1節

新共同訳 イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆がそばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。
Καὶ πάλιν ἤρξατο διδάσκειν παρὰ τὴν θάλασσαν· καὶ συνάγεται πρὸς αὐτὸν ὄχλος πλεῖστος, ὥστε αὐτὸν εἰς πλοῖον ἐμβάντα καθῆσθαι ἐν τῇ θαλάσσῃ, καὶ πᾶς ὁ ὄχλος πρὸς τὴν θάλασσαν ἐπὶ τῆς γῆς ἦσαν.
  • 「イエスは、再び……」:Καὶ πάλινはマルコに特徴的な接続句(2:13など参照)。複数回にわたり、イエスが弟子たちや群衆に教えられたことを示している。
黙想:人に伝える、教えるということは容易ではない。イエスでさえも繰り返し教えを続けねばならず、失敗も多かったことがうかがえる。
「おびただしい群衆が……集まって来た」:群衆が集まった理由が、イエスの奇跡の業を求めたのか、教えを聞こうとしたのかは判然としない。「おびただしい群衆」(ὄχλος πλεῖστος)は直訳すると「大勢の群衆」であり、冗長的ではあるが、イエスの人気と宣教の影響力を強調する表現である。
  • 「湖のほとりで」:ガリラヤ湖のこと。「再び」という語も暗示するように、イエスの宣教活動の中心地の一つ。
  • 「舟に乗って腰を下ろし」:ユダヤ教におけるラビは講話の際に座して語った。教師としての基本姿勢である。舟上から語る理由としては、①殺到する群衆を避けるため、②湖面の反響を利用して声を届かせるため、が考えられる。象徴的には、舟を教会の象徴、群衆をその言葉を聞く者とみなす解釈も可能である。

 2節

新共同訳 イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。
καὶ ἐδίδασκεν αὐτοὺς ἐν παραβολαῖς πολλά, καὶ ἔλεγεν αὐτοῖς ἐν τῇ διδαχῇ αὐτοῦ·
  • 「たとえでいろいろと教えられ」:イエスが例えを用いた理由は後の4:10–12で述べられる。「例え」(παραβολή)は本来「並べて置く」「対比する」の意。身近な事象を通して神の真理を悟らせることが目的である。イエスは日常の出来事を入口として、神の真理を理解させようとした。
  • 「その中で」:直訳では「その教えにおいて」。διδαχή(教え)はイエスの宣教の中核であり、旧約聖書の言葉の解釈や神の愛についての教えであったと考えられる。

 3節

新共同訳「『よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。』」
Ἀκούετε· ἰδοὺ ἐξῆλθεν ὁ σπείρων σπεῖραι.
  • 「よく聞きなさい」:原文は命令形で「聞け」。話の冒頭における注意喚起であり、この例えの根底にある「神の言葉を聞く」主題にもつながる。
  • 「種を蒔く人」(ὁ σπείρων):ここでは農夫を指すが、象徴的には神の言葉を蒔く者、すなわちイエス、弟子たち、後の宣教者たちを意味する。

 4節

新共同訳「蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。」
καὶ ἐγένετο ἐν τῷ σπείρειν, ὃ μὲν ἔπεσεν παρὰ τὴν ὁδόν, καὶ ἦλθεν τὰ πετεινὰ καὶ κατέφαγεν αὐτό.
  • 「ある種は……」:ὃ μὲν… ここから種のそれぞれの運命が描かれる。
  • 「道端に落ち、鳥が来て食べてしまった」:道端は踏み固められており、種が土に入らず外に晒されるため、鳥に食べられてしまう。後の4:15では、この鳥がサタンとして解釈される。

 5–6節

新共同訳「ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。」
καὶ ἄλλο ἔπεσεν ἐπὶ τὸ πετρῶδες...
  • 「石だらけで土の少ない所」:直訳は「岩地の上」。パレスチナでは岩地が多く、薄く土が堆積した地形も珍しくない。
  • 「すぐ芽を出した」(εὐθὺς ἐξανέτειλεν):εὐθύςはマルコ特有の語。迅速な行動を意味するが、ここでは「短絡的・持続しない信仰」の暗示。岩盤が熱を保持しやすく、発芽が早いことも背景にある。
  • 「日(ὁ ἥλιος)」:試練や迫害の象徴。「焼けて」(ἐκαυματίσθη)は信仰の試練に耐えられない状態を示す。

 7節

新共同訳「ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。」
καὶ ἄλλο ἔπεσεν εἰς τὰς ἀκάνθας...
  • 「茨」(ἀκάνθαι):複数形。世の思い煩いや富の誘惑(4:18–19参照)を象徴する。
  • 「覆いふさいだ」(συνέπνιξαν):原義は「窒息させる」。信仰の成長を妨げるさまざまな要素を表す。
  • 「実を結ばなかった」(οὐκ ἔδωκεν καρπόν):信仰が人生に実を結ばなかったことを示す。

 8節

新共同訳「また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」
καὶ ἄλλα ἔπεσεν εἰς τὴν γῆν τὴν καλὴν...
  • 「良い土地」(τὴν γῆν τὴν καλὴν):καλήνは「良い」「美しい」の意。良い土地とは人間の善悪を指すのではなく、「聞く耳をもつ人」を意味する(9節参照)。
  • 「芽生え、育って」(ἀναβαίνοντα καὶ αὐξανόμενον):マルコ独自の表現。成長が途絶えることなく続いた結果を描く。
  • 「三十倍・六十倍・百倍」:当時の農業収穫の常識を超える値であり、神の恵みの豊かさを象徴する。
 3つの失敗例の後に1つの成功例が示されている。確率的な幸運ではなく、「成長が持続するときに実りは大きい」という教訓として理解されるべきである。豊かな実りは、育てる側と受ける側の双方の継続的な働きによってもたらされる。

 9節

新共同訳 そして、『聞く耳のある者は聞きなさい』と言われた。
καὶ ἔλεγεν· ὃς ἔχει ὦτα ἀκούειν ἀκουέτω.
  • 「聞く耳のある者は聞きなさい」:典型的な預言者的警句。「聞く」とは、単に聴くことではなく、聞いたことを行うことを含意する(マタイ7:24–29参照)。
  • 「聞く耳のある者」(ὃς ἔχει ὦτα):類似表現はマタイ11:15、黙示録2:7などに見られる。

 礼拝説教の結びとして

 イエスは、種を蒔く人の姿を通して、神の言葉を宣べ伝える者の労苦と希望を語られました。種が落ちる地面の違いは、私たち一人ひとりの心のあり方を映し出しています。
 道端のように心が閉ざされていると、言葉は根を張ることができない。岩地のように浅い信仰では、試練に耐えられない。茨のように世の誘惑に心を奪われると、実を結ぶことはできない。しかし、良い土地に落ちた種は、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶとイエスは仰っています。
 私たちの心が神の言葉を受け入れる「良い土地」となるよう、日々整えられていこう。聞く耳を持ち、聞いたことを行う者となることこそ、主の御心にかなう歩みです。

 祈りの言葉

 恵み深い天の父なる神様、
 あなたの御言葉を今日、私たちの心に蒔いてくださったことを感謝します。どうか私たちの心を耕し、あなたの言葉が根を張り、芽を出し、豊かに実を結ぶように、聖霊の働きによって導いてください。
 私たちが世の誘惑や試練に負けることなく、あなたの真理に立ち続けることができますように。宣教する者として、また聞く者として、あなたの御国の働きに忠実に仕える者としてください。
 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 学術的な研究メモ

  • 1節:前マルコ伝承の譬え話資料においては、この問いは種蒔きの譬え自体に向けられいた可能性がある。4:13では、弟子批判のモティーフがマルコにより組み込まれているが、後続の例えの解説は、本来の資料に由来すると考え得る。Gnilka, Markus 1, 162.
  •  マルコ13章に匹敵する比較的長い演説。マルクスセン『福音書記者マルコ』、54頁。
  • 1ー12節はマルコ以前のエルサレム教会伝承。アラム語訳と近いことから。エレミアス。田川、205頁。
  •  弟子たちと舟にいたのに、弟子たちと一緒にどうやって一人に? 4:33-34でaccentuated。群衆は譬えを聞いていたことに。26-32。マルコは群衆に言及されていない13-20、21-25を入手、4:1-2、33-34を加えた。Moloney, Mark, 89. 
  • マルコ以前に3-8、26-29、30-32が、「彼は言った」という章句(26節、30節)で結合。33節を結びの句として。たとえに関する質問(10)、説明の導入句(13節a「また、イエスは言われた」)、説明(14-20)は、伝承過程
  • イエスの真の家族の直後に、譬え話論3:13-19 12人彼の周りにいる人たち 4:14-20,3:34-35 神の国へのアクセス権4:10-13 外の者 4:21-25 アフォリズム4:26-29、30-32 神の国の二つのsimilitudes4:33-34 弟子たちにはすべて
  • G. Fay, The Literary Structure of Mark 4:1-34," CBQ 51 (1989): 65-72.七つの文学的ステップ。J. Dewey, Markan Public Debate: Literary Technique, Concentric Structure, and Theology in Mark 2:1-3:6 (SBLDS 48; Chico: Scholars Press, 1980), 147-52. B. B. Scott, Hear Then the Parable: A Commentary on the Parablesn of Jesus (Minneapolis: Fortress, 1989), 345-46.J. Marcus, The Mystery of the Kingdom of God (SBLDS 90; Atlanta: Scholars Press, 1986), 221-23.J. Marcus, "Mark 4:10-12 and Markan Epistemology," JBL103 (1984): 563-67.
  • オリジナルの種まきの譬え 前マルコ的。4:4-9。4:13-20も恐らく。4:26ー29、4:30-32も伝承(Maloney, Mark, 85)
    4:21-25はマルコの編集(Maloney, Mark, 85)。議論されている。形式的言い回しの追加。21-22。24-25。4:23によって分けられ。「耳を持つ者は」マルコの編集。Lohmeyer, Markus, 85-86.アフォリズムは前マルコでそれが存在していた理由か。J. Lambrecht, Once More Astonished: The Parables of Jesus (New York: Crossroad, 1983), 85-96.
    物語の現在の形での形成はマルコ。Maloney, Mark, 85. 3:7-12, 31-35, 4:36。家族の内と外は、4:10-13、33-34を支配。譬え話集はイエス雅既に遭遇した困難、神の国の勝利に際しての新しい家族。を振り返る。Maloney, Mark, 85.
    4:1-2 4:3-9  4:10-13 inside 挑戦   4:14-20  4:21-25 inside 挑戦 4:26-324:33-34(Maloney, Mark, 86)


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