2026年2月6日金曜日

【解説】『ユダ福音書』(『ユダの福音書』)とその悲惨な末路 ーイエスはイスカリオテのユダの裏切りを評価した?

『ユダ福音書』(『ユダの福音書』)概説

要約

 『ユダ福音書』は、1970年代に発見された通称「チャコス写本」に含まれる福音書の一つであり、グノーシス主義的キリスト教の一派によって著された文書である。本書は、正典福音書においてイエスを裏切った人物として描かれるユダの行為を、イエス自身によって肯定的に評価するという、特異なキリスト理解を提示している。反異端文献における言及から、遅くとも2世紀後半までには成立していたと考えられる。

本文

 『ユダ福音書』は、1970年代にエジプトで発見された「チャコス写本」に含まれる文書群の一つであり、グノーシス主義的思想を背景とするキリスト教文書である。本書は、グノーシス主義に特徴的な二元論的世界観に基づき、イエスを死へと引き渡したユダの行為を、救済史的観点から積極的に評価するという内容を含む。2006年にナショナルジオグラフィック協会の主導により本文が公開されたことで、一般社会においても大きな注目を集めた。

1.「チャコス写本」に含まれる文書群

 チャコス写本には、以下の四文書が収められている。
  1. 『フィリポに送ったペトロの手紙』
      ナグ・ハマディ文書に含まれる同名文書とほぼ同一内容。
  2. 『ヤコブ』
      ナグ・ハマディ文書の『ヤコブの黙示録』とほぼ一致する。
  3. 『ユダ福音書』
  4. 『アロゲネース』
 これらはいずれも、グノーシス主義的思想の影響を強く受けた文書であり、チャコス写本全体が、特定のグノーシス主義的キリスト教集団によって編纂・伝承された可能性が高い。

2.グノーシス主義的思想と『ユダ福音書』

 『ユダ福音書』の神学的前提には、典型的なグノーシス主義的二元論が認められる。すなわち、「肉体=悪」「霊=善」という対立構図であり、肉体は「魂の牢獄」、死はそこからの「解放」と理解される。
 この世界観においては、至高神とは別に、被造世界を形成した創造神デミウルゴスが想定される。デミウルゴスは人間を創造するが、人間にはソフィア(知恵)を媒介として至高神から霊的要素が与えられている。一方、肉体はその霊を閉じ込める拘束として理解される。したがって、人間の救済とは、霊が肉体的束縛から解放されることに他ならない。
 この神学的枠組みに基づき、『ユダ福音書』は、ユダによるイエスの引き渡しを、単なる裏切りではなく、イエスの霊を肉体の拘束から解放する決定的行為として肯定的に評価する。ここに、本書が提示する独自のキリスト理解が集約されている。

3.反異端文書における『ユダ福音書』の証言

3.1 エイレナイオスの証言

 『ユダ福音書』に関する最も重要な古代証言は、リヨンの司教エイレナイオスによる『不当にもそう呼ばれている「グノーシス」の罪状立証とその反駁』(通称『異端駁論』)に見出される。彼は次のように述べている。
「さらに他の人々は、カインが上なる権威に由来すると言い、…このことを裏切り者ユダもよく知っていたと主張する。彼のみが真理を知っていたため、裏切りの秘儀を成就したのであり、彼によって天上のものと地上のものが解消されたという。彼らはこの種の虚構を作り上げ、それを『ユダの福音書』と呼んでいる。」(『異端駁論』1.31.1)
 エイレナイオスが言及する『ユダの福音書』と、現存する『ユダ福音書』との間には相違点も指摘されているが、文書名の逐語的一致と思想的共通性を考慮すれば、両者を同一文書、もしくは密接に関連する伝承とみなす可能性は高い。

3.2 「カイン派」に関する他の証言

 エイレナイオスの記述を踏まえ、このグノーシス主義的集団を「カイン派」と呼ぶ反異端論者として、以下の人物が知られている。
  • テオドレトス『異端者たちの作り話要綱』(1.15)
  • 偽テルトゥリアヌス『全異端反駁』(2.5–6)
  • エピファニオス『薬籠(パナリオン)』(38.1.15)

4.成立年代

 『異端駁論』の成立年代が約180年とされることから、これが『ユダ福音書』成立の下限となる。一方、本書は『使徒言行録』1:15–26に記される補欠選挙の記事を前提としていると考えられるため、『使徒言行録』成立後、すなわち90年代以降が上限と見なされる。
 また、チャコス写本自体については、放射性炭素年代測定により、西暦280年±60年と推定されており、この結果はコプト語書体や装丁の年代判断とも概ね一致している。

5.発見から公開までの経緯

(※以下、史実整理として簡潔化)
 1970年代、エジプト中部ミニヤー県において、『ユダ福音書』を含む写本が発見された(盗掘の可能性が高い)。その後、古美術市場を転々とし、長期間不適切な保管状態に置かれたことで深刻な劣化を被った。1999年以降、フリーダー・チャコスの関与を経て、スイスのマエケナス古美術財団に引き渡され、保存・修復作業が開始された。2006年、ナショナルジオグラフィック協会の支援により、コプト語原文と英訳が公開され、その後、学術的公刊に至った。

 5.発見、公開に至るまでの経緯
1970年代 エジプト中部ミニヤー県にて、『ユダ福音書』(または『ユダの福音書』)を含む写本が発見される。恐らく盗掘による。
1980年 カイロの古美術商に売却されるが、盗難により紛失。
1982年 カイロの古美術商、ジュネーブにて写本を取り返す。
1983年 カイロの古美術商、大学研究者に300万ドルでの売却を持ちかける。交渉は決裂。
1984年 カイロの古美術商、写本をニューヨークのシティバンク貸金庫に16年間に渡り保管し、写本は劣化。
1999年 古美術商フリーダー・チャコス、カイロの古美術商より300万ドルで写本を購入。エール大学に調査を依頼。『ユダ福音書』と判明。
2000年 アメリカの古美術商ブルース・フェリーニ、写本を購入。一部を売却。残りを冷凍保存。
2001年 フェリーニ、代金支払いができず、チャコスに返却。チャコスにより、マエケナス古美術財団(スイス)に引き渡される。
2006年4月 ナショナルジオグラフィック協会の援助によりコプト語本文と英訳、インターネットで公開。その後公刊。
2006年6月 公刊本の邦訳『原典 ユダ福音書』(R. カッセル、M. マイヤー、G. ウルスト、B. D. アーマン編著)、日経ナショナルジオグラフィック社、2006年)発刊。

参考文献

  • R. カッセル/M. マイヤー/G. ウルスト/B. D. アーマン編著
     『原典 ユダ福音書』、日経ナショナルジオグラフィック社、2006年。
  • 荒井献
     『ユダとは誰か——原始キリスト教と『ユダの福音書』の中のユダ』、講談社学術文庫、講談社、2015年。

【解説】テサロニケの信徒への手紙二 緒論

【解説】テサロニケの信徒への手紙二 緒論


 本書簡(以下、2テサロニケ書)の中心的関心は、キリストの再臨(主の日)をめぐる誤解の是正と、それに付随する信徒の生活規範の再確認にある。2:2において示されているように、本書簡は、「霊」や「言葉」、あるいは使徒たちに由来すると称される書簡を根拠として、主の日がすでに到来したと主張する言説に対し、共同体が動揺し混乱することを戒めている。この再臨理解の混乱は、単なる神学的誤認にとどまらず、労働の放棄や無秩序な生活態度と結びついていたと見られ、本書簡はそうした実践的問題に対しても厳しい規律を提示している(3:6)。

1.執筆者・真筆性の問題

 2テサロニケ書の著者について、書簡冒頭の挨拶(1:1)に基づき、伝統的には使徒パウロの名が帰されてきた。しかし現代の新約学においては、パウロ自身による著作であるとする見解は必ずしも支配的ではなく、本書を擬似パウロ書簡(Deutero-Pauline Epistle)と位置づける立場が有力である。
 その主な理由として、第一に、本書簡の主題・語彙・構成が第1テサロニケ書と顕著に重複している点が挙げられる。この重複は、同一著者による連続的執筆を示すというよりも、むしろ後続文書が先行書簡を参照・模倣している可能性を示唆する。
 第二に、終末理解の相違である。第1テサロニケ書が終末の切迫性を強調し、「時と機会」についての言及を回避しているのに対し(1テサロニケ5:1–2)、2テサロニケ書では、再臨以前に生起する出来事が比較的体系的に叙述されている(2:3–12)。このような段階的・プログラム的終末論は、真正パウロ書簡に特徴的な終末理解とは一定の緊張関係を形成している。
 第三に、終末における義人と不法な者の峻別、ならびに後者に対する報復的審判の強調(1:5以下)は、パウロ自身の神学というよりも、パウロ以後の教会的文脈において発展した思想と親和的であると指摘されている。
 第四に、本書簡は第1テサロニケ書に比して、具体的な人物描写や状況設定に乏しく、抽象化された共同体像を前提としている点でも差異を示す。
 もっとも、これらの論点はいずれも決定的証拠ではなく、個別には反論も提示されている。そのため、本書を非パウロ的著作であると断定することは慎重であるべきだが、少なくとも真正パウロ書簡から区別して扱う必要性は、現在の研究状況に照らして十分に認められる。

2.成立年代

 著者をパウロとみなす立場では、2テサロニケ書の成立は第1テサロニケ書の執筆直後、すなわち50年代初頭から中葉に位置づけられるのが一般的である。
 これに対し、擬似パウロ書簡と理解する立場では、成立年代について複数の可能性が提示されている。とりわけ2:4における「神殿」に関する言及は、エルサレム神殿崩壊以前の状況を反映していると解されることが多く、この場合、60年代中葉が想定される。一方で、使徒教父ポリュカルポスによる本書簡の使用を重視する研究では、2世紀初頭に成立したとする後代説も提唱されている。

3.構成

 本書簡の構成は以下の通りである。
1:1–2  挨拶
1:3–12  再臨と報復的審判の神学
2:1–12  終末的混乱と「不法な者」への警告
2:13–17 救いに選ばれた共同体への勧告
3:1–5  使徒団のための執り成しの要請
3:6–15  無秩序な生活に対する規律
3:16–18 結語

【解説】シモニア(聖職売買)

シモニア(聖職売買)

英: Simony
ラテン: Simonia

要約

 シモニア(聖職売買)とは、金銭その他の対価をもって、聖職者の位階、秘蹟の授与、教会統治権、あるいは聖職者任命や推薦といった神聖な事柄を意図的に取引する行為を指す。対象は必ずしも「聖職」に限定されず、広く霊的権威一般を含む概念である。
このような行為は、世俗権力や財力による教会支配を助長し、宗教的腐敗を招くものとして、古代教会以来、一貫して強く批判され、教会法的規制の対象とされてきた。
「シモニア」という名称は、聖霊の力を金銭で得ようとした魔術師シモン(シモン・マグス)に由来し、その逸話は『使徒言行録』8章18–24節に記されている。


本文

 シモニアとは、金銭やその他の利益を対価として、聖職者の位階、秘蹟、教会の統治権、さらには聖職者人事における推薦や任命といった、神性に属する事柄を故意に売買する行為を指す概念である。この点で、単なる聖職叙任の問題にとどまらず、教会の霊的権威そのものを取引対象とする点に本質がある。

 とりわけ、世俗権力が教会支配を掌握しようとする場合、金銭を媒介としてこれらの権限が交換されるならば、教会内部に世俗的利害が深く浸透することになる。また、本来は厳格な宗教的規律が求められる領域において金銭授受が常態化すれば、信仰と制度の腐敗は不可避である。このため、古代教会時代から繰り返し規制が試みられてきたが、献金と賄賂との線引きが困難であることもあり、実効的な取り締まりは容易ではなく、事実上はイタチごっこの様相を呈していた。

 さらに中世においては、私有教会制のもとで国王や領主が教会を支配し、配下の聖職者を任命する制度が存在したため、裏取引としての対価の授受が行われても表面化しにくいという構造的問題を抱えていた。


語源

 「シモニア(Simonia)」という名称は、『使徒言行録』8章18–24節に登場する魔術師シモン(シモン・マグス)に由来する。彼は、使徒たちが按手によって聖霊を授けるのを見て、その力を得るために金銭を差し出したとされ、この行為が霊的権能を金で買おうとする象徴的事例として、後世の教会における規範形成に決定的な影響を与えた。


歴史

 キリスト教会に富と権力が集中するにつれて、古代後期から中世にかけてシモニアは顕在化するようになった。

 306年のエルビラ教会会議では、洗礼執行に関する売買が禁止され、451年のカルケドン公会議では、霊的祝福の売買全般が禁じられた。
教皇グレゴリウス1世(在位590–604年)は、シモニアに関与した聖職者を破門する慣行を確立した。

 787年の第2ニカイア公会議では、魔術師シモンの名を明示的に挙げつつ、神聖事の売買禁止が再確認された。
また、ヴォルムスのブルクハルトは、自身が集成した教会法においてシモニアを冒涜行為と位置づけた。これに関連して、シモニアによって任命された聖職者が執行するサクラメントの有効性を否定する見解も現れたが、ペトルス・ダミアニは、秘蹟の効力は執行者の道徳性に依存しないとする ex opere operato の原理を擁護し、これに反論した。

 1059年には、枢機卿団による教皇選出制度(コンクラーヴェ)が定められ、教皇選挙をシモニアから防衛する制度的措置が講じられた。
さらに教皇グレゴリウス7世(在位1073–1085年)は、いわゆる「グレゴリウス改革」の一環として、俗人による聖職叙任を禁止し、シモニアおよび聖職売買と密接に結びついた叙任権問題に正面から取り組んだ。

 16世紀においては、贖宥の発布とそれに伴う金銭授受が、実質的にシモニアに当たるとして、ウィクリフ、フス、ルターら宗教改革者によって厳しく批判され、宗教改革運動の重要な論点の一つとなった。

2026年2月4日水曜日

【解説】ガリラヤ

【解説】ガリラヤ

 ガリラヤという地名は、「ゲリル=アル=ゴイム(Gelil ha-Goyim)」、すなわち「異邦人の地区/異邦人の輪」を意味する呼称に由来する(イザ8:23[MT 9:1])。この名称が示す通り、ガリラヤは古くからユダヤ人と異邦人が混在して居住する地域であり、民族的・宗教的に均質な空間ではなかった。

 前2世紀のマカバイ時代、ハスモン朝による軍事的拡張とともに、ガリラヤは支配下に組み込まれ、住民に対するユダヤ教化政策が進められた。これにより、制度的にはユダヤ社会の一部として再編成され、以後この地域は単に「ガリラヤ」と呼ばれるようになる。しかしながら、この政治的・宗教的統合にもかかわらず、ガリラヤはエルサレムおよびユダヤ地方から見て、依然として周縁的な位置に置かれていた。

 そのため、ユダヤ社会内部、とりわけエルサレムを中心とする宗教的・文化的エリート層からは、ガリラヤの人々はしばしば「田舎者」あるいは「辺境の人々」として軽蔑的に評価された。このような認識の背景には、宗教的中心地からの地理的距離に加え、生活様式や文化的慣習の相違があったと考えられる。

 宗教的観点から見ると、ガリラヤの住民は、エルサレム基準の律法理解、特にパリサイ派的な厳格な律法遵守からは一定の距離を置いていると見なされていた。必ずしも律法に無関心であったわけではないが、その実践は中央の基準から見て緩慢である、という評価が広く共有されていたと推測される。

 このような社会史的・宗教史的文脈から、新約聖書においてイエスの活動拠点がガリラヤに置かれていることは、宗教的・文化的中心から距離をもつこの周縁的地域を、神の国の宣教が開始される場として描くことによって、救済が中心から周縁へと一方的に流れるのではなく、むしろ周縁から中心を問い返す運動として展開されることを示唆している。

2026年2月3日火曜日

【小論】イエスの旅程「ガリラヤ → エルサレム」構図の共観福音書比較――空間移動としての物語構造と神学的差異

イエスの旅程「ガリラヤ → エルサレム」構図の共観福音書比較――空間移動としての物語構造と神学的差異


 共観福音書はいずれも、イエスの活動を「ガリラヤからエルサレムへ」という地理的移動として構成している。しかし、この構図は単なる行程記述ではなく、各福音書の神学的意図を反映した物語的・象徴的枠組みとして機能している。本節では、マルコ・マタイ・ルカの三福音書を比較しつつ、その差異を明らかにする。

1. マルコ福音書

 マルコ福音書において、ガリラヤはイエスの宣教活動と弟子育成の場である(マルコ1:14以下)。癒やしと教えが集中的に語られる一方で、弟子たちの無理解もこの地で繰り返し強調される。マルコにおける決定的転換点はマルコ8:27–30(ペテロの告白)であり、これ以降、物語は一転してエルサレム上り(ἀναβαίνειν)として再編成される(マルコ8:31以下)。

 エルサレムは、神殿批判(11章)と受難物語が集中する場所であり、イエスが拒絶され、殺される場として描かれる。マルコにおいては、ガリラヤ=宣教と可能性の場/エルサレム=拒絶と十字架の場という鋭い対比が支配的である。他方、復活告知において「ガリラヤで会う」という約束(16:7)が与えられる点は、救済の原点が再び周縁へと回帰することを示唆している。

2. マタイ福音書

 マタイは、基本的にマルコの構図を踏襲しつつ、これを成就引用によって神学的に再解釈する。ガリラヤ宣教は、イザヤ預言の成就として位置づけられ(4:15–16)、イエスの活動が最初から神の救済計画に置かれていることが強調される。  エルサレムにおいては、マルコ以上に指導者層との論争が前景化され(21–23章)、イスラエル全体の代表としての宗教エリートの責任が問われる。復活後、弟子たちは再びガリラヤに集められ(28:16)、そこから「すべての民」への宣教命令が与えられる。この構成によりマタイは、ガリラヤ=宣教の起点としての意味を強く打ち出している。

3. ルカ福音書

 ルカにおいて最も特徴的なのは、「旅の物語」(9:51–19:27)である。9:51において、イエスは「エルサレムに向かって顔を堅く向けた」と描写され、以後の長大な区間が意図的な上京行程として構成される。  ルカにとってエルサレムは、単なる受難の場ではなく、救済史の中心点である。復活と昇天はエルサレムで完結し(24章)、さらに使徒言行録において、エルサレムから地の果てへと福音が拡張していく。このためルカでは、マルコやマタイのような「ガリラヤへの回帰」は強調されず、むしろエルサレム中心主義が明確に打ち出されている。

4. 比較と総括

以上の比較から、三福音書は共通して「ガリラヤ→エルサレム」という構図を共有しつつも、その神学的意味づけは異なっている。

  • マルコ:周縁から中心へ向かうが、中心で拒絶され、再び周縁が再起の場として位置づけられる。
  • マタイ:周縁から始まった救済が、最終的に宣教へと開かれる起点としてガリラヤが再定位される
  • ルカ:ガリラヤから始まった運動が、エルサレムで完成し、そこから世界へ展開される

 このように、「ガリラヤ→エルサレム」という空間的移動は、共観福音書において単なる舞台転換ではなく、それぞれの福音書が描く救済史理解を体現する物語構造として機能している。

【小論】パウロは未婚の独身者か、それとも離婚経験者か

【小論】パウロは未婚の独身者か、それとも離婚経験者か


1.問題の所在

 パウロはその宣教活動の最盛期において独身であったことが、真正パウロ書簡の証言からほぼ確実視されている。しかしながら、彼が生涯未婚であったのか、それともかつて結婚しており、離婚あるいは別居の結果として独身状態にあったのかについては、いずれの文書においても明示的な言及が存在しない。本稿は、真正パウロ書簡の関連箇所を検討することによって、この問題について到達可能な推論の範囲を明確化することを目的とする。


2.真正書簡における独身状態の確認

 まず確認すべきは、パウロが少なくともコリントの信徒への手紙一執筆時点において独身であったという点である。1コリント7:7において、パウロは次のように述べている。

「わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。」(1コリント7:7)

 ここで「わたしのように独りでいて」と訳されている表現は、原文では καθὼς καὶ ἐμαυτόν(「私自身のように」)とあり、文法的には独身を直接指示する語(ἀγάμος)は用いられていない。しかし、1コリント7章全体が結婚・離縁・独身を主題として構成されていること、さらに直後の7:8において「未婚者(ἀγάμοι)と寡婦」に対し自らの立場を事実上重ね合わせていることから、ここで言及されている自己言及は配偶者を持たない状態を意味すると解するのが妥当である。  また、1コリント9:5では次のように述べられる。

「わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。」(1コリント9:5)

 この箇所は一見すると、パウロ自身も妻帯者であるかのような印象を与えるが、ここで語られているのは「信者である妻を伴って巡回する権利(ἐξουσία)」の有無であり、その権利を実際に行使しているか否かについては言及されていない。したがって、本節はパウロが現に妻を有していたことを積極的に証明するものではない。  以上の2箇所を総合すると、コリント書簡執筆時点においてパウロが独身であったこと自体は確実である。


3.未婚の独身者であった可能性

 パウロが生涯未婚であった可能性は、第一世紀ユダヤ社会の婚姻慣行を考慮するならば、必ずしも排除されるものではない。確かに後代のラビ文献においては、成人男性の結婚はほぼ義務的に語られることが多いが、これをそのまま第一世紀に遡及させることには慎重であるべきである。  ユダヤ伝承には、男子は18歳以降に結婚可能であるとする規範が存在する一方、家業や経済的基盤が整ってから初めて結婚すべきであるとする考えも併存していた。そのため、特にディアスポラ環境において教育を受け、移動性の高い生活を送っていた者が未婚のまま成人期を過ごしたとしても、不自然とは言い切れない。従って、パウロが回心以前から未婚であった可能性は、社会史的観点から十分に成立しうる。


4.離婚経験者であった可能性

 他方、パウロがかつて結婚していた可能性についても検討する必要がある。パウロ自身が「ファリサイ派の中のファリサイ派」(フィリ3:5)と自己規定していることから、仮に結婚していたとすれば、その相手はユダヤ人女性であったと考えるのが自然である。  1コリント7:12–13において、パウロは、非キリスト教徒の配偶者が婚姻継続を望む場合には、信者側から離縁すべきではないと明確に述べている。この原則に照らすならば、ユダヤ人であった妻が婚姻継続を望んでいたにもかかわらず、パウロが一方的に離縁したと想定することは困難である。  しかしながら、同章15節では、信者でない配偶者が自発的に離れていく場合について、次のように述べられている。

「しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません。」(1コリント7:15)

 この規定は、双方合意、あるいは少なくとも相手側の主導による離別を想定しており、理論上は、パウロ自身の過去の経験と整合的に理解される余地を残している。ただし、この箇所を直接的にパウロ自身の婚姻履歴に適用することは、なお推測の域を出ない。


5.別居(事実上の離婚)という可能性

 さらに一つの補助的仮説として、法的離婚には至らないまま、別居状態にあった可能性を想定することも理論上は可能である。この仮説は、1コリント9:5において、パウロが自らを含む「わたしたち」が妻帯者と同列に「権利」を語っている点と一定の整合性を持つ。  この場合、問題となるのは、1コリント7章で用いられている ἀγάμος(結婚していない者)という語が、厳密に法的婚姻関係の不存在のみを指すのか、それとも宣教実践上の配偶者不在状態まで含みうるのか、という点である。この点については、現在のところ決定的な結論は得られておらず、本仮説も慎重に提示されるべきものである。


6.結論

 以上の考察から導かれる結論は次の通りである。  第1に、パウロが宣教活動期において独身であったことは、真正書簡の証言からほぼ確実である。  第2に、彼が未婚の独身者であったのか、あるいは離婚経験者であったのかを確定することは困難である。  第3に、改宗後、ユダヤ人であった妻との合意的離別、あるいは別居状態に入った結果として独身状態にあったと推測しても、真正書簡の記述と致命的な齟齬は生じない。

【解説】『ユダ福音書』(『ユダの福音書』)とその悲惨な末路 ーイエスはイスカリオテのユダの裏切りを評価した?

『ユダ福音書』(『ユダの福音書』)概説 要約  『ユダ福音書』は、1970年代に発見された通称「チャコス写本」に含まれる福音書の一つであり、グノーシス主義的キリスト教の一派によって著された文書である。本書は、正典福音書においてイエスを裏切った人物として描かれるユダの行為を、イエス...