講義レジュメ
- 対象:キリスト教史 初級〜中級
- 連動教材:
claude/apostles_creed_overview_video_script.md(解説動画原稿・全32枚のスライドと対応)/解説動画「使徒信条とは何か」 - 注意:本レジュメは使徒信条を、使徒が一度に書いた文書としてではなく、2〜3世紀の洗礼の問答と信仰の規準を源流とし、数百年をかけて形づくられた信仰告白として示す。史料が示すことと、研究者の解釈が分かれる点は区別して記す。史料の引用はパブリックドメインの原典からの私訳である。
0. 凡例 ― 三つの段階
| 段階 | 時期 | 形 | 主な史料 |
|---|---|---|---|
| 前史 | 2〜3世紀 | 洗礼の問答・信仰の規準。文言は流動的 | ユスティノス、エイレナイオス、テルトゥリアヌス、『使徒伝承』 |
| 古ローマ信条 | 4世紀 | 宣言形式の本文 | マルケルス、ルフィヌス |
| 現行本文 | 8世紀 | 現在の使徒信条(textus receptus) | ピルミニウス『スカラプスス』 |
1. 基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 使徒信条(Symbolum Apostolicum) |
| 基礎 | 古ローマ信条(Old Roman Creed) |
| 用途 | 洗礼時の信仰告白、信徒教育、礼拝 |
| 使用する教会 | カトリック、ルター派、改革派、聖公会など西方の教会 |
| 使用しない教会 | 東方正教会(ニカイア・コンスタンティノポリス信条を用いる) |
| 構成 | 父なる神/御子イエス・キリスト/聖霊の三部 |
2. 略年表
| 年代 | 出来事 | 注記 |
|---|---|---|
| 150年代 | ユスティノス『第一弁明』、三一の名による洗礼を証言 | 決まった文言の信条はまだ見えない |
| 180年ごろ | エイレナイオス『異端反駁』、教会の信仰を要約 | 使徒から受けた信仰として提示 |
| 200年ごろ | テルトゥリアヌス、「信仰の規準」を提示 | 文言は著作ごとに異なる |
| 3世紀初め? | 『使徒伝承』の洗礼の三つの問い | 著者・年代に議論あり |
| 340年ごろ | マルケルス、古ローマ信条をギリシア語で記す | エピファニオス『パナリオン』72.3所収 |
| 359年 | シルミウムの「日付入り信条」 | 「陰府に下り」の早い例 |
| 390年ごろ | アンブロシウスらのシリキウス宛書簡 | 「使徒の信条」(symbolum apostolorum)の初出 |
| 404年ごろ | ルフィヌス『使徒信条注解』 | ラテン語本文。使徒共同作成の伝承を記す |
| 4世紀末〜5世紀初め | レメシアナのニケタス | 「聖徒の交わり」の早い例 |
| 6世紀以降 | 十二使徒が一条項ずつ作ったという伝説 | |
| 8世紀初頭 | ピルミニウス『スカラプスス』 | 現行本文の最初期の証言 |
| カロリング朝期 | 現行本文が西方全体に普及 | |
| 15世紀 | ロレンツォ・ヴァッラ、使徒作成の伝説を批判 |
3. 押さえるべき四つの論点
論点1 前史 ― 問答と規準はあったが、文言は固定していない
2〜3世紀の教会には、のちの信条につながる二つの流れがありました。一つは、父・子・聖霊の名による洗礼の問答です。もう一つは、異端に対して教会の信仰の範囲を示す信仰の規準(regula fidei)です。内容の大筋は共有されていましたが、一字一句の決まった「信条」はまだありませんでした。
論点2 古ローマ信条から現行本文へ ― 語句の付加
宣言形式の古ローマ信条は、4世紀のマルケルス(ギリシア語)とルフィヌス(ラテン語)によって確認できます。現行本文は、これに「天地の造り主」「陰府に下り」「聖徒の交わり」などの語句が加わって形づくられ、8世紀初頭のピルミニウス『スカラプスス』で確認され、カロリング朝のもとで西方全体に広まりました。
論点3 研究史 ― 通説と再検討
1950年のケリー『初期キリスト教の信条』によって、古ローマ信条は2世紀末ごろ(遅くとも3世紀初め)に成立したという見方が通説となりました。1999年以降、キンツィヒ、マルクシース、ヴィンツェントらは、2〜3世紀にあるのは問答と規準であって、宣言形式の信条は4世紀に整ったと論じています。現在の争点は、「信条の成立」をどの段階に見るかです。
論点4 「使徒的」の意味
使徒が共同で作ったという伝承はルフィヌスに始まり、6世紀以降には十二使徒が一条項ずつ作ったという形に発展しました。しかし歴史的な裏づけはなく、15世紀にヴァッラが批判しています。「使徒的」とは、作者が使徒という意味ではなく、内容が使徒の信仰を受け継ぐという意味です。
4. 前史の史料(2〜3世紀)
| 史料 | 年代 | 内容(私訳・抄) | 意義 |
|---|---|---|---|
| ユスティノス『第一弁明』61.3 | 150年代 | 「万物の父であり主である神の名と、私たちの救い主イエス・キリストの名と、聖霊の名によって、水で洗いを受ける」 | 三一の名による洗礼の最初期の証言 |
| エイレナイオス『異端反駁』1.10.1 | 180年ごろ | 「天と地と海とその中のすべてを造られた全能の父なる唯一の神と、私たちの救いのために受肉した神の子キリスト・イエスと、預言者たちを通して神の計画を告げた聖霊とを信じる」 | 三一の枠組みとキリストの出来事が並ぶ |
| テルトゥリアヌス『異端者への抗弁』13 | 200年ごろ | 「唯一の神が、万物を無から造られた。…御子はおとめマリアから肉となって生まれ、十字架につけられ、三日目に復活し、天に上げられ、父の右に座し、栄光のうちに再び来られる」 | 後の信条に近い表現。ただし文言は著作ごとに異なる |
| 『使徒伝承』21 | 3世紀初め? | 三つの問い:①全能の父なる神 ②聖霊によりおとめマリアから生まれ、十字架につけられ、よみがえった神の子キリスト・イエス ③聖霊と聖なる教会と肉の復活 | 古ローマ信条に近い内容。著者・年代に議論あり |
| テルトゥリアヌス『兵士の冠について』3 | 3世紀初め | 三度水に浸され、福音書の定めより少し多くの言葉で答える | 問答形式の洗礼が行われていたことの確実な証言 |
5. 古ローマ信条と現行本文の比較
古ローマ信条はルフィヌスのラテン語本文に基づく。太字は後から加わった語句。
| 部 | 現行本文(ラテン語) | 加わった語句(日本語) |
|---|---|---|
| 第一部 | Credo in Deum Patrem omnipotentem, Creatorem caeli et terrae. | 天地の造り主 |
| 第二部(前半) | Et in Iesum Christum, Filium eius unicum, Dominum nostrum, qui conceptus est de Spiritu Sancto, natus ex Maria Virgine, passus sub Pontio Pilato, crucifixus, mortuus, et sepultus, | 聖霊によって宿り/苦しみを受け/死にて |
| 第二部(後半) | descendit ad inferos, tertia die resurrexit a mortuis, ascendit ad caelos, sedet ad dexteram Dei Patris omnipotentis, inde venturus est iudicare vivos et mortuos. | 陰府に下り/「全能の父なる神の右に」(古くは「父の右に」) |
| 第三部 | Credo in Spiritum Sanctum, sanctam Ecclesiam catholicam, sanctorum communionem, remissionem peccatorum, carnis resurrectionem, vitam aeternam. Amen. | 公同の/聖徒の交わり/永遠の命(マルケルスのギリシア語本文にはある) |
6. 研究史
| 年代 | 研究者・著作 | 内容 |
|---|---|---|
| 1866〜75年 | カスパリ | 未刊の信条史料を各地の写本から発掘・刊行 |
| 1892年 | ハルナック『使徒信条』 | 牧師シュレンプフの免職を機に「使徒信条論争」。使徒作成を否定し、歴史的形成を説く |
| 1894〜1900年 | カッテンブッシュ『使徒信条』全2巻 | 古ローマ信条の成立と意味を詳細に論じる |
| 1897年 | ハーン兄弟『古代教会の信条と信仰の規準集』第3版 | 長く研究の基本史料集となる |
| 1919年 | ホル | 第二部(キリスト論)の諸句を「独り子」「我らの主」の説明として分析 |
| 1922〜27年 | リーツマン「信条研究」 | 信条の形成段階を再構成 |
| 1950年(第3版1972年) | ケリー『初期キリスト教の信条』 | 古ローマ信条を2世紀末ごろの成立とし、通説に |
| 1999年 | キンツィヒ、マルクシース、ヴィンツェント『洗礼の問いと信仰告白』 | 2〜3世紀は問答と規準。宣言形式の信条は4世紀とする |
| 2002年 | ブラッドショー他『使徒伝承』注解 | 『使徒伝承』を複数の層から成る文書とする |
| 2002年 | ウェストラ『使徒信条』 | 西方各地の信条を比較し、展開を跡づける |
| 2006年 | ヴィンツェント『批判的研究から見た使徒信条の起源』 | 研究史を総括。古ローマ信条のマルケルス起源説(広く受け入れられてはいない) |
| 2017年 | キンツィヒ『Faith in Formulae』全4巻 | 古代〜中世初期の信条史料を原文で集成 |
| 2024年 | キンツィヒ『初期キリスト教信条の歴史』 | 通史 |
現在の争点:「信条の成立」を、2〜3世紀の問答と信仰の規準に見るのか、宣言形式が整った4世紀に見るのか。
7. 構成
| 部 | 告白の内容 |
|---|---|
| 第一部 父なる神 | 天地の造り主、全能の父なる神 |
| 第二部 イエス・キリスト | 聖霊による受胎とおとめマリアからの誕生/ポンテオ・ピラトのもとでの受難/十字架の死と埋葬/陰府への降下/復活と昇天/再臨と、生きている者と死んだ者への審判 |
| 第三部 聖霊 | 聖なる公同の教会/聖徒の交わり/罪の赦し/身体の復活(原語 carnis resurrectio、直訳「肉の復活」)/永遠の命 |
- 三部構成は、洗礼の三つの問いと同じ枠組みである。
- 「陰府に下り」は日本語訳によって訳が分かれ(「死者のうちに下り」など)、この句を省いて唱える教派もある。
8. よくある誤解 ― チェックリスト
| よくある理解 | 正確な言い方 |
|---|---|
| 十二使徒が一条項ずつ作った | 6世紀以降に発展した伝説。歴史的な裏づけはなく、15世紀にヴァッラが批判した |
| 使徒信条の全文は2世紀に完成していた | 2〜3世紀にあるのは問答と規準。宣言形式の本文は4世紀、現行本文の確定は8世紀ごろ |
| 古ローマ信条にはキリストの誕生がなかった | 「聖霊とおとめマリアから生まれ」はすでにある。後から加わったのは「聖霊によって宿り」という区別した表現 |
| 『使徒伝承』は3世紀初めのローマの確実な史料である | 著者・年代に議論があり、複数の層から成るとする見方が有力。問答形式の洗礼そのものはテルトゥリアヌスも証言している |
| ケリーの説は現在も定説である | 1999年以降、宣言形式の信条の成立を4世紀とする再検討が進んでいる |
| 使徒信条は全教会共通の信条である | 西方の信条。東方正教会では用いず、ニカイア・コンスタンティノポリス信条を用いる |
9. まとめ
使徒信条は、2〜3世紀の洗礼の問答と信仰の規準を源流としています。4世紀には宣言形式の古ローマ信条が史料に現れ、そこにいくつもの語句が加わって、8世紀ごろに現在の本文が確定しました。「使徒信条」という名は、使徒が書いたことを意味するのではなく、その内容が使徒の信仰を受け継ぐと理解されてきたことを示しています。成立の時期をめぐっては、現在も研究者の間で議論が続いています。
主要典拠
史料(シカゴ・マニュアル 書誌形式)
Epiphanius. Panarion haer. 65–80; De fide. Vol. 3 of Ancoratus und Panarion, edited by Karl Holl. 2nd ed. by Jürgen Dummer. Die griechischen christlichen Schriftsteller. Berlin: Akademie-Verlag, 1985.
Irenaeus of Lyon. Contre les hérésies, livre I. Edited by Adelin Rousseau and Louis Doutreleau. 2 vols. Sources Chrétiennes 263–264. Paris: Éditions du Cerf, 1979.
Justin Martyr. Iustini Martyris Apologiae pro Christianis. Edited by Miroslav Marcovich. Patristische Texte und Studien 38. Berlin: Walter de Gruyter, 1994.
Pirmin. Scarapsus. Edited by Eckhard Hauswald. Monumenta Germaniae Historica, Quellen zur Geistesgeschichte des Mittelalters 25. Hannover: Hahnsche Buchhandlung, 2010.
Rufinus of Aquileia. “Expositio symboli.” In Tyrannii Rufini Opera, edited by Manlio Simonetti. Corpus Christianorum Series Latina 20. Turnhout: Brepols, 1961.
Tertullian. “De praescriptione haereticorum.” In Tertulliani Opera, pt. 1, edited by R. F. Refoulé. Corpus Christianorum Series Latina 1. Turnhout: Brepols, 1954.
研究文献(シカゴ・マニュアル 書誌形式)
Bradshaw, Paul F., Maxwell E. Johnson, and L. Edward Phillips. The Apostolic Tradition: A Commentary. Edited by Harold W. Attridge. Hermeneia. Minneapolis: Fortress Press, 2002.
Hahn, August, and G. Ludwig Hahn. Bibliothek der Symbole und Glaubensregeln der alten Kirche. 3rd ed. Breslau: E. Morgenstern, 1897.
Harnack, Adolf. Das apostolische Glaubensbekenntniß: Ein geschichtlicher Bericht nebst einem Nachwort. Berlin: A. Haack, 1892.
Kattenbusch, Ferdinand. Das apostolische Symbol: Seine Entstehung, sein geschichtlicher Sinn, seine ursprüngliche Stellung im Kultus und in der Theologie der Kirche. 2 vols. Leipzig: J. C. Hinrichs, 1894–1900.
Kelly, J. N. D. Early Christian Creeds. 3rd ed. London: Longman, 1972.
Kinzig, Wolfram. Faith in Formulae: A Collection of Early Christian Creeds and Creed-Related Texts. 4 vols. Oxford Early Christian Texts. Oxford: Oxford University Press, 2017.
———. A History of Early Christian Creeds. De Gruyter Textbook. Berlin: De Gruyter, 2024.
Kinzig, Wolfram, Christoph Markschies, and Markus Vinzent. Tauffragen und Bekenntnis: Studien zur sogenannten “Traditio Apostolica,” zu den “Interrogationes de fide” und zum “Römischen Glaubensbekenntnis.” Arbeiten zur Kirchengeschichte 74. Berlin: Walter de Gruyter, 1999.
Vinzent, Markus. Der Ursprung des Apostolikums im Urteil der kritischen Forschung. Forschungen zur Kirchen- und Dogmengeschichte 89. Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 2006.
Westra, Liuwe H. The Apostles’ Creed: Origin, History, and Some Early Commentaries. Instrumenta Patristica et Mediaevalia 43. Turnhout: Brepols, 2002.