2026年2月7日土曜日

【解説】ユグノー(Huguenot)

ユグノー(Huguenot)


1.定義

 ユグノーとは、16~17世紀フランスにおけるカルヴァン派プロテスタントの総称である。彼らは単なる宗教的少数派ではなく、信仰告白・教会制度・政治的自己防衛構造を備えた改革派教会共同体を形成した点に特徴がある。

2.名称の由来

「ユグノー(Huguenot)」という名称は、ドイツ語 Eidgenosse(「誓約仲間」「盟約者」の意)がジュネーヴ訛りで eyguenot と発音されたことに由来するという説が有力である。
 この呼称は当初、カトリック側(特にギーズ家を中心とする勢力)による蔑称として用いられたが、次第に改革派自身もこれを受容し、呼称として定着した。

3.宗教改革とフランス改革派教会の形成

 16世紀半ば以降、カルヴァンの神学はフランスに急速に浸透し、都市部・貴族層を中心に改革派信徒が増加した。しかしフランス王権およびカトリック教会はこれを異端として抑圧し、迫害が恒常化した。
 こうした状況の中でユグノーは組織化を進め、1559年、パリにおいて最初の全国改革派教会会議を開催した。この会議では、
  • 改革派教会の制度的枠組みの確立
  • 信仰告白としての「フランス信条(Confessio Gallicana)」の採択
が行われ、フランス改革派教会が神学的・教会論的に自己規定を行った画期と位置づけられる。

4.ユグノー戦争と宗教暴力

 1562年、バシーにおけるユグノー虐殺事件を契機として、ユグノー戦争(宗教戦争)が勃発した。以後、約30年以上にわたり、フランスは断続的な内戦状態に置かれた。
 特に1572年のサン=バルテルミの虐殺は、国家権力と宗教暴力が結託した象徴的事件であり、プロテスタントにとって「殉教」と「神の摂理」という神学的問いを深く刻み込む出来事となった。

5.ナントの勅令と限定的寛容

 1598年、アンリ4世によって公布されたナントの勅令は、ユグノー戦争を終結させ、
  • ユグノーの信仰の自由(地域限定)
  • 礼拝の公的承認
  • 一定の政治的・軍事的権利
を保障した。
 これは近代国家における政治的妥協としての宗教寛容の典型例と評価される。

6.勅令撤回と弾圧の再燃

 1685年、ルイ14世はフォンテーヌブロー勅令をもってナントの勅令を廃止した。これによりユグノーは再び厳しい弾圧を受け、多数が国外へ亡命した。
 南フランスでは抵抗運動としてカミザール戦争が勃発し、宗教的抵抗と政治的反乱が結びついた形で展開された。
 この不寛容の体制は、フランス革命に至るまで制度的に解消されなかった。

7.神学史的意義

神学史的に見てユグノーは、
  • カルヴァン主義の教会制度化
  • 信仰告白を核とする教会アイデンティティの形成
  • 国家権力と教会の緊張関係の先鋭化
  • 迫害下における殉教神学と抵抗の神学
を体現した存在であり、近代プロテスタント史における重要な一事例である。

【解説】『十二族長の遺訓』

『十二族長の遺訓』


 『十二族長の遺訓』は、形式的には創世記49章におけるヤコブの遺言を踏襲し、ヤコブの十二人の子らがそれぞれ自らの子孫(場合によっては兄弟)に対して遺言を語るという構成を採っている。

 本文書では、創世記に記されている出来事への言及が随所に見られる一方、ヨベル書にのみ伝えられている伝承にも触れられており、複数の聖書外伝承が統合されていることがうかがえる。語りの形式は、各族長自身による直接話法であり、物語全体は連続する遺言集として構成されている。なお、ヨセフを除く十二族長の遺体は、彼ら自身の遺言に従ってヘブロンの洞窟に葬られたとされる。

 本文書を構成する各遺言の配列は、ほとんどの写本において、族長たちの母の系譜――すなわちレア、ビルハ、ジルパ、ラケル――の順序に従っており、創世記的伝統との整合性が意識されている。また、一部の写本では、各族長名を冠した文書の表題に、その内容を要約する主題句が付加されている。

 伝承史的に見ると、本書にはマカベア王朝およびハスモン王朝を支持する思想的要素、クムラン共同体に代表されるエッセネ派的要素、さらには後代のキリスト教的編集を思わせる要素が混在している。この多層的性格から判断して、『十二族長の遺訓』には、マカベア朝・ハスモン朝期、さらにはクムラン共同体の成立以前に遡る原型的伝承が存在していたと考えられる。

「1890年日本基督教会信仰の告白」注解 第6回

「1890年日本基督教会信仰の告白」注解 第6回

【本文】

「往時の教会は聖書によりて左の告白文を作れり。我らもまた聖徒がかつて伝えられたる信仰の道を奉じ、讃美と感謝とをもってその告白に同意を表す。」

【現代語訳(私訳)】

「昔の教会は、聖書に基づいて次(後続の「使徒信条」)の(信仰)告白文を作りました。私たちもまた、聖徒たちが受け継いできた信仰の道に従い、讃美と感謝をもってその告白に同意します。」

【牧師、神学的素養のある人向け解説文】

1. 注解

  • 「往時の教会は聖書によりて告白文を作れり」:使徒信条、ニカイア信条などは、教会が歴史的教義論争の中で、聖書に基づきつつ教会が形成した規範的文書。よって、信仰告白文(信条)は啓示そのものではないし、聖書と同一の権威を持つものではないが 1、ひいては、聖書における聖霊の働きによる神の啓示を指し示すもので、その信仰内容を要約したもの。
  • 「聖書によりて」:ウェストミンスター信仰告白1章の内容と一致する。聖書が信仰と生活における唯一最高の規範であること。
  • 「聖徒がかつて伝えられたる信仰の道」:おそらく、ユダ書3節 を背景にもつ表現である。「ひとたび聖徒に伝えられた信仰」(ἅπαξ παραδοθείσῃ τοῖς ἁγίοις πίστει)。
  • 「ひとたび(ἅπαξ)」の意味:新しい信仰内容を作り出さないということで、 これは直接的には信仰内容の既・決定性を指す表現であるが、改革派神学においては、そこから正典啓示の完結性が含意されてきた。(→信仰内容の”今更後出し”はない)。同時に、聖書は「正典」(カノン)として既に完結しているので、聖書文書を新たに追加しないことも含意する(同時に、減らしてもいけない、改変してもいけない)。
  • 「我らもまた聖徒がかつて伝えられたる……讃美と感謝とをもってその告白に同意を表す」:先の「往時の教会」と共に、使徒時代以来、聖書に基づいて信仰を告白してきた公同の教会(普遍教会)との歴史的連なりを示す。自分たちもまたそれに連なることが表明されている。

2. 内容解説

 この冒頭文は、信仰告白の内容そのものではなく、「信仰告白する主体と態度」を定義する序文である。  次の三点が強調されている。

  1. 信仰告白の規範性の根拠は聖書であること
  2. 信仰告白は歴史的教会との連続性の中で受け取られること
  3. 信仰告白行為は強制ではなく、神を前にしての主体的な同意——「讃美と感謝」——であること

2.1. (告白の規範性の根拠は聖書であること)について

 この箇所の手前の本文において、次のことが述べられていた。

  • 聖書は古の預言者、使徒、聖徒たちの手を通して書かれたこと
  • 彼らは、聖霊なる神の導きによって、聖書文書をしたためたこと
  • 聖書は、信仰上のことについて、最上の権威を持つこと

 以上を受けて、聖書は、信仰告白文の源泉であり、同時に内容上の是非を審判するのは、聖書であることが確認されている。

2.2. (告白は歴史的教会との連続性の中で受け取られること)

  • 「往時の教会」「聖徒がかつて伝えられたる信仰の道」という表現は、
信仰告白が使徒時代以来の普遍的教会の歴史的連なりの中に位置づけられていることを示す。
  • ここで想定されている教会は、特定の時代や地域に限定された教会ではなく、
福音を受け継いできた歴史的・普遍的教会(ecclesia catholica、「エクレシア・カトリカ」今日のカトリック教会の原義)である。
  • 信仰告白は、新たな教理を創出する行為ではなく、既に教会において受容・保持されてきた信仰を、自らの信仰として受け取る行為である。
  • この理解は、信仰を純粋に個人的・主観的なものとする傾向を抑制し、信仰が本質的に共同体的・継承的性格を持つことを明確にする。
  • 「聖徒がかつて伝えられたる信仰の道」という表現は、ユダの手紙3節の「ひとたび聖徒に伝えられた信仰」を想起させ、信仰内容が恣意的に変更されるべきものではないことを示唆する。
  • ここでの「伝えられた信仰」とは、教会に託された遺産(traditio)として守られ、解釈され、継承されるべきものである。
  • したがって、この連続性の強調は単なる伝統主義ではなく、聖書を規範としつつ、歴史的教会の証言に謙虚に連なる信仰姿勢を表している。
  • 個々の信徒や一教派が信仰の最終的裁定者となるのではなく、聖書のもとで、歴史的教会の告白に耳を傾ける態度がここで肯定されている。
小結: これは、日本基督教会が自らを「新宗派」ではなく、「普遍的教会の正統的継承者」として位置づけようとする自己理解を明確に示すものである。

2.3. (告白行為は強制ではなく、神を前にしての主体的な同意——「讃美と感謝」——であること)

  • 本文は、信仰告白を「命令」や「強制」としてではなく、神を前にした主体的な応答行為として位置づけている。
  • 「同意を表す」という表現は、告白が単なる形式的追認や制度的服従ではなく、理解と承認を伴う意志的行為であることを示す。
  • 信仰告白の主体は「我ら」であり、(「我らもまた聖徒がかつて伝えられたる信仰の道を奉じ」の「我ら」) 教会として共同的に告白する一方で、各信徒が自らの責任において個人的にその告白を引き受けることが前提とされている。
  • 「讃美と感謝をもって」という句は、告白が神学的命題の確認にとどまらず、
礼拝的行為信仰的営為であることを明確にする。
  • ここでの「讃美」は、告白される信仰内容の中心が神ご自身に向けられていることを示し、信仰告白が自己表明でも自己完結でもなく、自分から神に向かって為される神中心的行為であることを示唆する。
  • 「感謝」は、信仰が人間の自力のみによる達成や選択の結果ではなく、神から与えられ、教会を通して受け継がれた賜物であるという認識を前提としている。
  • したがって、信仰告白とは、正統的教理への知的同意である以前に、恵みに対する感謝をもってなされる礼拝的応答である。
  • この点において、本信仰告白は、信仰を「信じるか否かの判断」へと還元するのではなく、神との関係における生きた応答行為として理解している。

【解説】第二スイス信仰告白

【解説】第二スイス信仰告白


第二スイス信仰告白

 『第二スイス信仰告白』は、スイスの宗教改革者ヨハン・ハインリヒ・ブリンガー(1504–1575)が、1562年に自身の神学を総括する個人的信仰告白、いわば神学的遺言として作成した文書である。ブリンガーはツヴィングリの後継者としてチューリヒで宗教改革を指導した人物であり、この告白文は後に公的に採用され、改革派教会において最も広く用いられる信仰告白となった。

第一スイス信仰告白

 これに先立つ『第一スイス信仰告白』(別名『第二バーゼル信仰告白』)は、1536年にブリンガーが他のスイスの改革者たちと共同で作成したものである。宗教改革がスイス各地に広がる中、教義の統一を求める気運が高まり、バーゼル、ベルン、チューリヒなどの改革派系都市が協力して作成された。起草の中心となったのは、ストラスブールで活動していたマルティン・ブツァーや、1523年以降同地で活躍したヴォルフガング・ファブリツィウス・カピトらであり、ジュネーブのジャン・カルヴァンもその成立に関与したとされる。

第二スイス信仰告白の内容の特徴

概要

 『第二スイス信仰告白』は全体として聖書中心主義を強く打ち出しており、聖書を唯一の信仰と生活の規範とする立場を明確にしている。教義の多くは穏健かつ包括的に記されており、特定の論争的立場を強調するよりも、改革派諸教会の共通理解をまとめる性格をもつ。

神論・キリスト論・救済論

 三位一体の正統信仰を堅持しつつ、義認を神の恵みによる信仰によってのみ与えられるものと理解する点で、ルター派およびカルヴァン派と基本的に一致している。一方、予定論についてはカルヴァンほど体系的・強調的ではなく、牧会的配慮を重視した表現が用いられている。

教会論

 真の教会を「神の言葉が正しく宣べ伝えられ、聖礼典が正しく執行されるところ」に成立すると定義し、教皇制や聖職者の特権を否定する。また、礼拝の簡素化、偶像崇拝の拒否、説教の中心的役割など、スイス宗教改革の特徴が色濃く反映されている。

聖礼典

 洗礼と聖餐の二つのみを認め、特に聖餐理解においては、キリストの霊的臨在を強調する立場を取り、ルター派の実体的臨在説と距離を置くツヴィングリ的・改革派的理解を明確にしている。

まとめ

 このように『第二スイス信仰告白』は、スイス宗教改革の神学を総合的に示すと同時に、国や地域を超えて改革派教会の一致を支える基準文書としての役割を果たした。

2026年2月6日金曜日

【解説】『ユダ福音書』(『ユダの福音書』)とその悲惨な末路 ーイエスはイスカリオテのユダの裏切りを評価した?

『ユダ福音書』(『ユダの福音書』)概説

要約

 『ユダ福音書』は、1970年代に発見された通称「チャコス写本」に含まれる福音書の一つであり、グノーシス主義的キリスト教の一派によって著された文書である。本書は、正典福音書においてイエスを裏切った人物として描かれるユダの行為を、イエス自身によって肯定的に評価するという、特異なキリスト理解を提示している。反異端文献における言及から、遅くとも2世紀後半までには成立していたと考えられる。

本文

 『ユダ福音書』は、1970年代にエジプトで発見された「チャコス写本」に含まれる文書群の一つであり、グノーシス主義的思想を背景とするキリスト教文書である。本書は、グノーシス主義に特徴的な二元論的世界観に基づき、イエスを死へと引き渡したユダの行為を、救済史的観点から積極的に評価するという内容を含む。2006年にナショナルジオグラフィック協会の主導により本文が公開されたことで、一般社会においても大きな注目を集めた。

1.「チャコス写本」に含まれる文書群

 チャコス写本には、以下の四文書が収められている。
  1. 『フィリポに送ったペトロの手紙』
      ナグ・ハマディ文書に含まれる同名文書とほぼ同一内容。
  2. 『ヤコブ』
      ナグ・ハマディ文書の『ヤコブの黙示録』とほぼ一致する。
  3. 『ユダ福音書』
  4. 『アロゲネース』
 これらはいずれも、グノーシス主義的思想の影響を強く受けた文書であり、チャコス写本全体が、特定のグノーシス主義的キリスト教集団によって編纂・伝承された可能性が高い。

2.グノーシス主義的思想と『ユダ福音書』

 『ユダ福音書』の神学的前提には、典型的なグノーシス主義的二元論が認められる。すなわち、「肉体=悪」「霊=善」という対立構図であり、肉体は「魂の牢獄」、死はそこからの「解放」と理解される。
 この世界観においては、至高神とは別に、被造世界を形成した創造神デミウルゴスが想定される。デミウルゴスは人間を創造するが、人間にはソフィア(知恵)を媒介として至高神から霊的要素が与えられている。一方、肉体はその霊を閉じ込める拘束として理解される。したがって、人間の救済とは、霊が肉体的束縛から解放されることに他ならない。
 この神学的枠組みに基づき、『ユダ福音書』は、ユダによるイエスの引き渡しを、単なる裏切りではなく、イエスの霊を肉体の拘束から解放する決定的行為として肯定的に評価する。ここに、本書が提示する独自のキリスト理解が集約されている。

3.反異端文書における『ユダ福音書』の証言

3.1 エイレナイオスの証言

 『ユダ福音書』に関する最も重要な古代証言は、リヨンの司教エイレナイオスによる『不当にもそう呼ばれている「グノーシス」の罪状立証とその反駁』(通称『異端駁論』)に見出される。彼は次のように述べている。
「さらに他の人々は、カインが上なる権威に由来すると言い、…このことを裏切り者ユダもよく知っていたと主張する。彼のみが真理を知っていたため、裏切りの秘儀を成就したのであり、彼によって天上のものと地上のものが解消されたという。彼らはこの種の虚構を作り上げ、それを『ユダの福音書』と呼んでいる。」(『異端駁論』1.31.1)
 エイレナイオスが言及する『ユダの福音書』と、現存する『ユダ福音書』との間には相違点も指摘されているが、文書名の逐語的一致と思想的共通性を考慮すれば、両者を同一文書、もしくは密接に関連する伝承とみなす可能性は高い。

3.2 「カイン派」に関する他の証言

 エイレナイオスの記述を踏まえ、このグノーシス主義的集団を「カイン派」と呼ぶ反異端論者として、以下の人物が知られている。
  • テオドレトス『異端者たちの作り話要綱』(1.15)
  • 偽テルトゥリアヌス『全異端反駁』(2.5–6)
  • エピファニオス『薬籠(パナリオン)』(38.1.15)

4.成立年代

 『異端駁論』の成立年代が約180年とされることから、これが『ユダ福音書』成立の下限となる。一方、本書は『使徒言行録』1:15–26に記される補欠選挙の記事を前提としていると考えられるため、『使徒言行録』成立後、すなわち90年代以降が上限と見なされる。
 また、チャコス写本自体については、放射性炭素年代測定により、西暦280年±60年と推定されており、この結果はコプト語書体や装丁の年代判断とも概ね一致している。

5.発見から公開までの経緯

(※以下、史実整理として簡潔化)
 1970年代、エジプト中部ミニヤー県において、『ユダ福音書』を含む写本が発見された(盗掘の可能性が高い)。その後、古美術市場を転々とし、長期間不適切な保管状態に置かれたことで深刻な劣化を被った。1999年以降、フリーダー・チャコスの関与を経て、スイスのマエケナス古美術財団に引き渡され、保存・修復作業が開始された。2006年、ナショナルジオグラフィック協会の支援により、コプト語原文と英訳が公開され、その後、学術的公刊に至った。

 5.発見、公開に至るまでの経緯
1970年代 エジプト中部ミニヤー県にて、『ユダ福音書』(または『ユダの福音書』)を含む写本が発見される。恐らく盗掘による。
1980年 カイロの古美術商に売却されるが、盗難により紛失。
1982年 カイロの古美術商、ジュネーブにて写本を取り返す。
1983年 カイロの古美術商、大学研究者に300万ドルでの売却を持ちかける。交渉は決裂。
1984年 カイロの古美術商、写本をニューヨークのシティバンク貸金庫に16年間に渡り保管し、写本は劣化。
1999年 古美術商フリーダー・チャコス、カイロの古美術商より300万ドルで写本を購入。エール大学に調査を依頼。『ユダ福音書』と判明。
2000年 アメリカの古美術商ブルース・フェリーニ、写本を購入。一部を売却。残りを冷凍保存。
2001年 フェリーニ、代金支払いができず、チャコスに返却。チャコスにより、マエケナス古美術財団(スイス)に引き渡される。
2006年4月 ナショナルジオグラフィック協会の援助によりコプト語本文と英訳、インターネットで公開。その後公刊。
2006年6月 公刊本の邦訳『原典 ユダ福音書』(R. カッセル、M. マイヤー、G. ウルスト、B. D. アーマン編著)、日経ナショナルジオグラフィック社、2006年)発刊。

参考文献

  • R. カッセル/M. マイヤー/G. ウルスト/B. D. アーマン編著
     『原典 ユダ福音書』、日経ナショナルジオグラフィック社、2006年。
  • 荒井献
     『ユダとは誰か——原始キリスト教と『ユダの福音書』の中のユダ』、講談社学術文庫、講談社、2015年。

【解説】テサロニケの信徒への手紙二 緒論

【解説】テサロニケの信徒への手紙二 緒論


 本書簡(以下、2テサロニケ書)の中心的関心は、キリストの再臨(主の日)をめぐる誤解の是正と、それに付随する信徒の生活規範の再確認にある。2:2において示されているように、本書簡は、「霊」や「言葉」、あるいは使徒たちに由来すると称される書簡を根拠として、主の日がすでに到来したと主張する言説に対し、共同体が動揺し混乱することを戒めている。この再臨理解の混乱は、単なる神学的誤認にとどまらず、労働の放棄や無秩序な生活態度と結びついていたと見られ、本書簡はそうした実践的問題に対しても厳しい規律を提示している(3:6)。

1.執筆者・真筆性の問題

 2テサロニケ書の著者について、書簡冒頭の挨拶(1:1)に基づき、伝統的には使徒パウロの名が帰されてきた。しかし現代の新約学においては、パウロ自身による著作であるとする見解は必ずしも支配的ではなく、本書を擬似パウロ書簡(Deutero-Pauline Epistle)と位置づける立場が有力である。
 その主な理由として、第一に、本書簡の主題・語彙・構成が第1テサロニケ書と顕著に重複している点が挙げられる。この重複は、同一著者による連続的執筆を示すというよりも、むしろ後続文書が先行書簡を参照・模倣している可能性を示唆する。
 第二に、終末理解の相違である。第1テサロニケ書が終末の切迫性を強調し、「時と機会」についての言及を回避しているのに対し(1テサロニケ5:1–2)、2テサロニケ書では、再臨以前に生起する出来事が比較的体系的に叙述されている(2:3–12)。このような段階的・プログラム的終末論は、真正パウロ書簡に特徴的な終末理解とは一定の緊張関係を形成している。
 第三に、終末における義人と不法な者の峻別、ならびに後者に対する報復的審判の強調(1:5以下)は、パウロ自身の神学というよりも、パウロ以後の教会的文脈において発展した思想と親和的であると指摘されている。
 第四に、本書簡は第1テサロニケ書に比して、具体的な人物描写や状況設定に乏しく、抽象化された共同体像を前提としている点でも差異を示す。
 もっとも、これらの論点はいずれも決定的証拠ではなく、個別には反論も提示されている。そのため、本書を非パウロ的著作であると断定することは慎重であるべきだが、少なくとも真正パウロ書簡から区別して扱う必要性は、現在の研究状況に照らして十分に認められる。

2.成立年代

 著者をパウロとみなす立場では、2テサロニケ書の成立は第1テサロニケ書の執筆直後、すなわち50年代初頭から中葉に位置づけられるのが一般的である。
 これに対し、擬似パウロ書簡と理解する立場では、成立年代について複数の可能性が提示されている。とりわけ2:4における「神殿」に関する言及は、エルサレム神殿崩壊以前の状況を反映していると解されることが多く、この場合、60年代中葉が想定される。一方で、使徒教父ポリュカルポスによる本書簡の使用を重視する研究では、2世紀初頭に成立したとする後代説も提唱されている。

3.構成

 本書簡の構成は以下の通りである。
1:1–2  挨拶
1:3–12  再臨と報復的審判の神学
2:1–12  終末的混乱と「不法な者」への警告
2:13–17 救いに選ばれた共同体への勧告
3:1–5  使徒団のための執り成しの要請
3:6–15  無秩序な生活に対する規律
3:16–18 結語

【解説】シモニア(聖職売買)

シモニア(聖職売買)

英: Simony
ラテン: Simonia

要約

 シモニア(聖職売買)とは、金銭その他の対価をもって、聖職者の位階、秘蹟の授与、教会統治権、あるいは聖職者任命や推薦といった神聖な事柄を意図的に取引する行為を指す。対象は必ずしも「聖職」に限定されず、広く霊的権威一般を含む概念である。
このような行為は、世俗権力や財力による教会支配を助長し、宗教的腐敗を招くものとして、古代教会以来、一貫して強く批判され、教会法的規制の対象とされてきた。
「シモニア」という名称は、聖霊の力を金銭で得ようとした魔術師シモン(シモン・マグス)に由来し、その逸話は『使徒言行録』8章18–24節に記されている。


本文

 シモニアとは、金銭やその他の利益を対価として、聖職者の位階、秘蹟、教会の統治権、さらには聖職者人事における推薦や任命といった、神性に属する事柄を故意に売買する行為を指す概念である。この点で、単なる聖職叙任の問題にとどまらず、教会の霊的権威そのものを取引対象とする点に本質がある。

 とりわけ、世俗権力が教会支配を掌握しようとする場合、金銭を媒介としてこれらの権限が交換されるならば、教会内部に世俗的利害が深く浸透することになる。また、本来は厳格な宗教的規律が求められる領域において金銭授受が常態化すれば、信仰と制度の腐敗は不可避である。このため、古代教会時代から繰り返し規制が試みられてきたが、献金と賄賂との線引きが困難であることもあり、実効的な取り締まりは容易ではなく、事実上はイタチごっこの様相を呈していた。

 さらに中世においては、私有教会制のもとで国王や領主が教会を支配し、配下の聖職者を任命する制度が存在したため、裏取引としての対価の授受が行われても表面化しにくいという構造的問題を抱えていた。


語源

 「シモニア(Simonia)」という名称は、『使徒言行録』8章18–24節に登場する魔術師シモン(シモン・マグス)に由来する。彼は、使徒たちが按手によって聖霊を授けるのを見て、その力を得るために金銭を差し出したとされ、この行為が霊的権能を金で買おうとする象徴的事例として、後世の教会における規範形成に決定的な影響を与えた。


歴史

 キリスト教会に富と権力が集中するにつれて、古代後期から中世にかけてシモニアは顕在化するようになった。

 306年のエルビラ教会会議では、洗礼執行に関する売買が禁止され、451年のカルケドン公会議では、霊的祝福の売買全般が禁じられた。
教皇グレゴリウス1世(在位590–604年)は、シモニアに関与した聖職者を破門する慣行を確立した。

 787年の第2ニカイア公会議では、魔術師シモンの名を明示的に挙げつつ、神聖事の売買禁止が再確認された。
また、ヴォルムスのブルクハルトは、自身が集成した教会法においてシモニアを冒涜行為と位置づけた。これに関連して、シモニアによって任命された聖職者が執行するサクラメントの有効性を否定する見解も現れたが、ペトルス・ダミアニは、秘蹟の効力は執行者の道徳性に依存しないとする ex opere operato の原理を擁護し、これに反論した。

 1059年には、枢機卿団による教皇選出制度(コンクラーヴェ)が定められ、教皇選挙をシモニアから防衛する制度的措置が講じられた。
さらに教皇グレゴリウス7世(在位1073–1085年)は、いわゆる「グレゴリウス改革」の一環として、俗人による聖職叙任を禁止し、シモニアおよび聖職売買と密接に結びついた叙任権問題に正面から取り組んだ。

 16世紀においては、贖宥の発布とそれに伴う金銭授受が、実質的にシモニアに当たるとして、ウィクリフ、フス、ルターら宗教改革者によって厳しく批判され、宗教改革運動の重要な論点の一つとなった。

【解説】ユグノー(Huguenot)

ユグノー(Huguenot) 1.定義  ユグノーとは、16~17世紀フランスにおけるカルヴァン派プロテスタントの総称である。彼らは単なる宗教的少数派ではなく、信仰告白・教会制度・政治的自己防衛構造を備えた改革派教会共同体を形成した点に特徴がある。 2.名称の由来 「...