2026年10月29日木曜日

1-2-1 キリスト教史解説(教会史)














キリスト教と歩んだ女子大学 創立の歴史とこれから──知名度順イッキ18校

 


キリスト教と歩んだ女子大学 ― 創立の歴史とこれから

知名度順イッキ18校 レジュメ


1. はじめに

  • 明治初期以降、来日したキリスト教宣教師が近代女子教育の発展に大きな役割を果たした
  • 女性が高等教育を受ける機会はごく限られていた
  • 宣教師と日本人キリスト者が各地に女子のための学校を創設した
    • 横浜・大阪の外国人居留地など、開港地から始まった学校も多い
  • 現在、少子化の中で、女子大学は共学化や募集停止という岐路に立っている

2. 18校の現在

現状校数該当校
女子大として継続12校聖心・津田塾・東京女子 ほか
学生募集停止2校恵泉女学園・京都ノートルダム
共学化済1校神戸松蔭
共学化予定3校平安女学院・広島女学院・仙台白百合

→ およそ3校に1校が転換点を迎えている

3. 創立の波 ― 源流となった学校の創立年代

年代学校
1870年代フェリス、神戸女学院、平安、同志社女子
1880年代白百合、東洋英和、福岡、宮城、清心(岡山)、広島
1890〜1900年代松蔭、津田、聖心
1910〜1930年代東京女子、恵泉、清泉
戦後京都ノートルダム
  • 明治前半(1870〜80年代)に宣教師による創立が集中
  • 明治後半〜昭和初期には、日本人教育者(津田梅子、河井道)や修道会による学校が加わる
  • ※仙台白百合は源流の創立年を扱っていない

4. 18校一覧

No.大学名系統源流大学開学現状
1聖心女子大学カトリック1908年 日本で教育開始(母体:聖心会、1800年仏で創立)1948年継続
2津田塾大学日本人創立者1900年 津田梅子が女子英学塾を創立1948年継続
3東京女子大学プロテスタント1918年 北米諸教派と日本側有志の協力で開学(初代学長:新渡戸稲造)1948年(新制)継続
4同志社女子大学プロテスタント1876年 京都に女子塾(新島八重、宣教師スタークウェザーら)1949年継続
5フェリス女学院大学プロテスタント1870年 宣教師メアリー・キダーが横浜で授業開始1965年継続
6神戸女学院大学プロテスタント1873年 宣教師の私塾(1875年 女学校開校)1948年継続
7白百合女子大学カトリック1878年 函館に修道院(1881年 東京・神田に学校)/シャルトル聖パウロ修道女会1965年継続
8ノートルダム清心女子大学カトリック1886年 私立岡山女学校(1924年 ナミュール・ノートルダム修道女会が来岡)1949年継続
9清泉女子大学カトリック1935年 清泉寮(1938年 清泉寮学院)/聖心侍女修道会1950年継続
10東洋英和女学院大学プロテスタント1884年 カナダ・メソジスト教会の宣教師カートメルが麻布で開校1989年継続
11恵泉女学園大学プロテスタント1929年 河井道が創立1988年募集停止(2024年度〜、閉学前提)
12宮城学院女子大学プロテスタント1886年 宮城女学校1949年継続
13福岡女学院大学プロテスタント1885年 宣教師が福岡英和女学校を創立1990年継続
14京都ノートルダム女子大学カトリック―1961年募集停止(2026年度〜)
15神戸松蔭大学(旧・神戸松蔭女子学院大学)日本聖公会1892年 松蔭女学校―共学化済(2025年4月)
16平安女学院大学日本聖公会1875年 大阪・川口居留地の「エディの学校」(1895年 京都へ)2000年共学化予定(2028年度)
17広島女学院大学プロテスタント1886年 広島女学会(1887年 英和女学校開校)1949年共学化予定(2027年4月)
18仙台白百合女子大学カトリック―(東北唯一の四年制カトリック大学)―共学化予定(2027年4月)

5. 岐路に立つ6校

大学変化時期
恵泉女学園大学学生募集停止(閉学前提)2024年度〜
神戸松蔭大学共学化・改称済2025年4月
京都ノートルダム女子大学学生募集停止2026年度〜
広島女学院大学共学化・「YIC学院大学」へ改称2027年4月
仙台白百合女子大学共学化・「仙台白百合大学」(予定)へ改称2027年4月
平安女学院大学共学化・「京都地域共創大学」(構想中)へ改称2028年度
  • 広島女学院大学は、2026年4月に運営母体が学校法人YIC学院へ引き継がれた

6. まとめ

  • 創立者はさまざま:宣教師、修道会、日本人教育者
  • 現在の道もさまざま:女子大として継続/募集停止/共学化
  • 形は変わっても、女性が学ぶ機会を広げようとした歴史は、各大学の教育理念として受け継がれている

読み方メモ:河井道(かわい みち)/京都地域共創大学(きょうと ちいき きょうそう だいがく)


2026年10月28日水曜日

【キリスト教入門・熟練者の学び直し講座】②旧約聖書の概要 ― 全体の見取り図

 


0. この解説の見取り図

旧約聖書は39の文書からなる大きな書物です。本解説では細部をいったん脇に置き、全体を一つの流れとしてたどります。

部内容範囲
第1部歴史の流れ創世記〜ネヘミヤ記
第2部預言者たち北王国/南王国/捕囚期/捕囚後
第3部主要年代の早見表前1020年頃〜前445年頃

全体を貫く一本の線:揺れ動く人間と、動かない神の誠実


1. 歴史の流れ

(1) 原初史(創世記1–11章)― 人間そのものの物語

  • 天地創造:神が世界と人間(男と女)を創造。人間は「神のかたち」に造られた(創1:26-27)
  • 堕罪と楽園追放:アダムとエバが禁じられた木の実を食べ、エデンの園から追放される(創3章)
  • カインとアベル:人類最初の兄弟殺し(創4章)
  • ノアの洪水:神による世界のリセット。洪水の後、神は二度と滅ぼさないと決意し、虹を契約のしるしとする(創8:21-22、9:8-17)
  • バベルの塔:天に届く塔を建てて名を上げようとする人間の傲慢。神は言葉を乱し、人々を全地に散らす(創11:1-9)

ポイント 洪水の後、人間は変わっていません。変わらない人間に対して、神の側が関わり方を決め直したのです。

(2) 族長物語(創世記12–50章)― 一つの家族の物語

  • アブラハムの召命:故郷を離れよという呼びかけと、祝福の約束(創12:1-3)
  • 祝福は最終的に「地上のすべての民族」に向かう。旧約全体を貫く大きな約束
  • 示された地カナンが、のちの「約束の地」となる
  • アブラハム → イサク → ヤコブ(=イスラエル)→ ヨセフ
  • ヤコブの12人の息子が、イスラエル十二部族の祖となる
  • 兄たちに売られたヨセフがエジプトで高い地位に就き、飢饉に苦しむ一族を救う。一族はエジプトへ移住する

ポイント 族長たちは模範的な人物ではありません。嘘をつき、だまし、争います。失敗を重ねる人間と、約束を取り下げない神。本解説のタイトルの構図が、ここで最もはっきり現れます。

(3) 出エジプトと荒野(出エジプト記〜申命記)

  • エジプトで奴隷となったイスラエルの民。モーセの登場
  • 過越を経て海を渡り、エジプトを脱出する ― イスラエルの信仰の原点
  • シナイ山で十戒と契約(出20章)
  • 契約を結んだそばから、金の子牛を拝む(出32章)
  • 40年の荒野の放浪。モーセは約束の地を目前にして世を去る(申34章)

(4) 約束の地へ(ヨシュア記・士師記)

  • モーセの後継者ヨシュアのもと、カナンに入る
  • 士師記に描かれる繰り返しのパターン:

背く → 圧迫される → 叫ぶ → 士師が立てられる → また背く

  • ギデオン、デボラ、サムソンらの士師によって、民はかろうじて存続する

(5) 王国時代(サムエル記・列王記・歴代誌)

  • 民は「ほかの国々のように」王を求める(サム上8章)。神が王であるという信仰から見れば、ある種の不信でもあった
  • サウル(前1020年頃)→ ダビデ(前1000年頃、エルサレムを都に)→ ソロモン(神殿建設)
  • ソロモンの死後、息子レハブアムの代に、王国は北イスラエルと南ユダに分裂(前930年頃/前922年説もあり)
  • 前722年、北イスラエル王国がアッシリア帝国により滅亡

(6) バビロン捕囚

  • 前597年、第1回捕囚
  • 前587/586年、新バビロニア帝国によりエルサレム陥落。神殿破壊、南ユダ王国滅亡
  • 約束の地・王・神殿をすべて失った民は、神との関係そのものを問い直すことになる
  • 旧約の多くの文書は、捕囚の経験のなかで、あるいはその後にまとめられたと考えられている

(7) 帰還と再建(エズラ記・ネヘミヤ記・エステル記)

年代出来事
前539年ペルシアのキュロス2世がバビロンを征服
前538年キュロスが捕囚民の帰還と神殿再建を許可(エズ1:1-4)
前515年預言者ハガイ・ゼカリヤに励まされ、第二神殿が完成
前5世紀前半エステル:ペルシアに残った離散ユダヤ人を救う(クセルクセス1世の時代)
前458年頃エズラが帰還し、律法に基づく共同体を再建
前445年頃ネヘミヤがエルサレムの城壁を再建

2. 預言者たち

預言者とは:神の言葉を「預かる」者。未来を言い当てる「予言者」ではありません。民が神から離れるとき、弱い者が踏みにじられるとき、国が滅びに向かうとき、歴史の節目ごとに現れて、王や民に語りました。

※ 年代は生没年ではなく、活動時期の目安です。

(1) 北イスラエル王国で活動

預言者活動時期要点
エリヤ前870–850年頃アハブ王の時代。カルメル山でバアルの預言者と対決(王上18章)
エリシャ前850–800年頃エリヤの後継者
ヨナ前780–750年頃ヤロブアム2世の時代(王下14:25)。ニネベへ派遣される
アモス前760–750年頃南ユダのテコア出身で、北で預言。社会の不正を告発
ホセア前750–725年頃北王国滅亡の直前まで、神の変わらない愛を語る

(2) 南ユダ王国で活動

預言者活動時期要点
イザヤ前740–700年頃40章以降は捕囚期以降の別の預言者とする説が有力
ミカ前740–700年頃イザヤと同時代。「公正を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩む」(ミカ6:8)
ナホム前660–612年頃ニネベの陥落(前612年)を預言
ゼファニヤ前630–620年頃ヨシヤ王の時代
エレミヤ前627–585年頃エルサレム陥落を経験。「新しい契約」を語る(エレ31:31-34)
ハバクク前610–600年頃新バビロニアの台頭期。「正しい人は信仰によって生きる」(ハバ2:4)
ヨエル年代不詳前9世紀説から前400年頃説まで幅がある

(3) 捕囚期

預言者活動時期要点
エゼキエル前593–571年頃第1回捕囚でバビロンへ。捕囚民の中で活動。枯れた骨の幻(エゼ37章)
オバデヤ前586年以降エルサレム陥落時のエドムの行動を非難
ダニエル舞台:前605–536年頃成立は前2世紀とするのが通説。ヘブライ語聖書では「諸書」に分類

(4) 捕囚後(帰還後)

預言者活動時期要点
ハガイ前520年神殿再建を急ぐよう励ます。預言の日付はすべてこの年
ゼカリヤ前520–518年頃ハガイと同時期。9–14章は後代とする説あり
マラキ前460–430年頃エズラ・ネヘミヤとほぼ同時代。キリスト教の旧約聖書では最後に置かれる

3. 主要年代の早見表

年代出来事
前1020年頃サウル王即位、王制の成立
前1000年頃ダビデ王、エルサレムを都とする
前930年頃ソロモンの死、王国の南北分裂
前722年北イスラエル王国滅亡(アッシリア)
前597年第1回バビロン捕囚
前587/586年エルサレム陥落、南ユダ王国滅亡
前539年キュロス2世、バビロンを征服
前538年捕囚民の帰還許可
前515年第二神殿の完成
前445年頃ネヘミヤによる城壁再建

必ず覚えたい三つの節目 前722年(北王国滅亡)/前587年(南王国滅亡)/前538年(帰還許可)


4. よくある誤解 ― 確認チェックリスト

よくある誤解正確な理解
バベルの塔は神に破壊された塔の破壊は記されていない。神は言葉を乱し、人々を散らした。建設はそこで途絶えた
王国はソロモンの時代に分裂した分裂はソロモンの死後、息子レハブアムの代
エステルは捕囚期の人物である舞台はペルシア時代(クセルクセス1世、前5世紀前半)。帰還許可の後も、ペルシアに残った離散ユダヤ人の物語
キュロスは前537年にバビロンを滅ぼしたバビロン征服は前539年、帰還許可は前538年
帰還後、首都を再建し、それから神殿を再建した神殿の完成(前515年)→ エズラ(前458年頃)→ ネヘミヤの城壁再建(前445年頃)の順
預言者の年代は生没年である生没年はほとんど分からない。示されるのは活動時期の目安
アモスは北王国の人である南ユダのテコア出身で、北に出向いて預言した
ダニエルは南ユダの預言者である物語の舞台は捕囚期、成立は前2世紀とするのが通説。ヘブライ語聖書では預言書ではなく「諸書」
「預言」と「予言」は同じ預言とは神の言葉を「預かる」こと。未来を言い当てることが本質ではない

5. まとめと復習の問い

  1. 人間は何度も神から離れる。 堕罪から始まり、荒野で、約束の地で、王国の時代に。旧約聖書は人間の失敗の歴史を隠さずに描く。
  2. それでも神は約束を捨てない。 アブラハムへの約束は、洪水の後も捕囚の後も取り下げられなかった。これが「揺れ動く人間と、動かない神の誠実」の意味である。
  3. 預言者は歴史の節目に語った。 彼らの言葉は、それぞれの時代の出来事と重ねて読むとき、はじめて本当の重みを持つ。

復習のための問い

  • 問1 洪水物語の前後(創6:5-7と8:21-22)で、神の人間への関わり方はどう変わっているか。人間の側に変化はあったか。
  • 問2 士師記に繰り返し現れるパターンを四つの段階で説明せよ。
  • 問3 前722年、前587/586年、前538年は、それぞれ何が起きた年か。
  • 問4 エステル記の舞台はいつ、どこか。「捕囚期の物語」という説明のどこが不正確か。
  • 問5 「預言者」と「予言者」の違いを説明せよ。

主要な聖書箇所

創1:26-27/3章/4:1-16/6:5-7/8:21-22/9:8-17/11:1-9/12:1-3/32:29/37–50章 | 出20:1-17/32章 | 民14:33-34 | 申5:6-21/34章 | 士2:11-19 | サム上8:5, 20 | 王上12章/18章 | 王下14:25/17:6/24:10-16/25:1-21 | エズ1:1-4/6:14-15 | エレ31:31-34 | エゼ37:1-14 | ミカ6:8 | ハバ2:4

【キリスト教入門・熟練者の学び直し講座】③天地の創造

 


  • テキスト:創世記 1章1節〜2章3節(新共同訳)

今日のねらい

  1. 六日間の創造に込められた構造をつかむ。
  2. この記事が捕囚の民に語られた言葉であることを知る。
  3. すべての人が**「神のかたち」**に造られた意味を考える。

1. 読む前に

  • 科学の教科書ではない:この記事は、世界が「どのように」できたかではなく、「誰が」「何のために」造ったかを語る信仰告白です。
  • 成立背景:バビロン捕囚(前6世紀)。国と神殿を失った民が、天体を神々とあがめる国と、その神話(エヌマ・エリシュ)の中で告白した信仰です。

2. 六日間の構造

前半三日で「場」を造り、後半三日でそこを「満たす」構成になっています。

「場」を造る(形を与える)そこを「満たす」(空しさを満たす)
第一の日 光第四の日 光る物(太陽・月・星)
第二の日 大空と水第五の日 鳥と水の生き物
第三の日 陸地と植物第六の日 動物と人
第七の日 安息

1:2の「混沌」の原語はトーフー・ワ・ボーフー(形なく、空しい)です。前半三日で形を与え、後半三日で満たすことが、この混沌への応答になっています。

3. 前半三日:混沌に形が与えられる

1:1-2 始まりは混沌と闇

地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

  • 「深淵」は、地を覆う原始の大水です。古代人にとって、海は魔物の住む未知の世界でした。
  • 本文は「無から」とは明言せず、混沌と闇に秩序(コスモス)が与えられる様を描いています。
    • ※「無からの創造」は後に確立した教理です(二マカバイ7:28、ロマ4:17、ヘブライ11:3)。

1:3 言葉による創造

神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

  • バビロニア神話では、神々の戦いで世界ができます。聖書では、神の言葉だけで世界が成ります(ヨハネ1:1-3)。
  • 闇と混沌は不条理と絶望の象徴、光は神の秩序と希望の象徴と読めます。捕囚の民にとって、闇は自分たちの現実でした。

1:4-5 第一の日:夜から朝へ

夕べがあり、朝があった。第一の日である。

  • 朝から夜へではなく、夜から朝へ進みます。絶望から希望へ、という流れです。
  • ユダヤの一日は日没から始まります。闇も「夜」と名づけられ、神の秩序の中に置かれます。

1:6-8 第二の日:大空が水を分ける

  • 大空が上の水と下の水を分けるのは、古代の人々が思い描いた宇宙の姿です。

1:9-13 第三の日:陸地と植物

  • 水が集められて海と陸ができ、陸に草と果樹が芽生えます。これで「場」が整います。
  • 聖書が「生き物」と呼ぶのは第五の日からで、植物は含まれません。植物は生き物を養う備えです。

4. 後半三日:場が満たされる

1:14-19 第四の日:太陽も月も神ではない

神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。

  • 本文は「太陽」「月」と呼ばず、**「光る物」**と呼んでいます。
  • バビロンでは天体は神々でした。聖書では、季節や日や年を知らせる被造物にすぎません。

1:20-23 第五の日:怪物さえも祝福される

  • 水の生き物と鳥が造られます。「大きな怪物」(レビヤタン、ラハブなど)も含まれます。
  • 神話では神と戦う怪物も、ここでは神の被造物です。
  • 「産めよ、増えよ」は、聖書で最初の祝福です。

1:24-25 第六の日:陸の動物

  • 家畜、這うもの、地の獣が造られます。
  • 「這うもの」は、爬虫類・虫・小動物など、地を這う生き物全般です。蛇もここに含まれます。

5. 人間の創造

1:26 「我々」とは誰か

我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。

主な説明は次の三つです。

  1. 天上の会議(御使いたち)への呼びかけ
  2. 熟慮の複数(「さあ、造ろう」)
  3. 三位一体の暗示(後のキリスト教による読み方)

1:27 すべての人が「神のかたち」

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

  • 古代では、王だけが「神の像」とされました。
  • 聖書では、男も女も、すべての人が神のかたちです。これが人間の尊厳の根拠になります。
  • 「男と女」は拘束事項ではなく、基本デザインと読みたいところです(解釈は分かれます)。

1:28-30 「支配せよ」の意味

産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。

  • 「支配せよ」「従わせよ」は、原語でも強い言葉です。
  • 神のかたちとして、神に代わって世話し、管理する務めと読むことができます(2:15「耕し、守る」)。
  • 29-30節では、人にも動物にも食物は植物です。ここでの「支配」は、殺して食べることを含みません。
  • 日本でよく言われる「自然との共生」とは、発想の出発点が違います。

6. 極めて良かった、そして安息

1:31 神の全肯定

見よ、それは極めて良かった。

  • それまでの「良し」に対して、最後は「極めて良かった」と言われます。造られた世界への全面的な肯定です。

2:1-3 第七の日:創造の頂点は安息

第七の日を神は祝福し、聖別された。

  • 創造の頂点は、人間ではなく安息です。
  • 第七の日だけ、「夕べがあり、朝があった」の結びがありません。
  • 安息日の由来です(出エジプト20:11)。期間は金曜の日没から土曜の日没までです。
  • 神殿を失った捕囚の民にとって、安息日は「時間の中の聖所」でした。

まとめ:絶望から、希望へ

  • 神は、混沌に秩序を与え、空しいところを満たされます。
  • すべての人は、「神のかたち」に造られた尊い存在です。
  • 世界は「極めて良かった」と肯定されています。
  • 創造の頂点は、安息です。

参考:関連聖句

事項箇所
無からの創造二マカバイ7:28、ロマ4:17、ヘブライ11:3
言葉による創造ヨハネ1:1-3
海の怪物イザヤ27:1、詩編74:13-14(レビヤタン)
耕し、守る創世記2:15
安息日の根拠出エジプト20:11(創造)、申命記5:15(出エジプトの解放)

【キリスト教史解説】ルターの宗教改革三大文書(1520年)

 


0. 背景

  • 1520年6月15日 教皇レオ10世が勅書『エクスルゲ・ドミネ』(Exsurge Domine)を発布
    • ルターに教説の撤回を要求し、従わなければ破門すると警告
  • 三大文書は、この緊迫した状況のなかで相次いで刊行された
著作刊行言語主な読者
①『ドイツのキリスト者貴族に与える書』1520年8月ドイツ語世俗の諸侯・貴族
②『教会のバビロン捕囚について』1520年10月ラテン語神学者
③『キリスト者の自由』1520年11月ドイツ語・ラテン語一般のキリスト者

1. 『ドイツのキリスト者貴族に与える書』(1520年8月)

原題:An den christlichen Adel deutscher Nation von des christlichen Standes Besserung

改革を阻む「三つの城壁」

  1. 霊的権力が世俗権力に優越するという主張
    • 聖職者は本質的に世俗の権力者より上位にあるとする
  2. 聖書解釈権の独占
    • 聖書を正しく解釈できるのは教皇だけだとする
  3. 公会議招集権の独占
    • 公会議を招集できるのは教皇だけだとする
    • そのため、教皇自身を正すための公会議が開かれない

城壁を崩す根拠:万人祭司

  • 洗礼を受けたキリスト者は皆、霊的な身分において等しく祭司である
  • したがって、世俗の諸侯や貴族も教会改革の担い手となるべきである

→ 教会制度と政治権力の関係を問い直した、宗教改革の「改革綱領」


2. 『教会のバビロン捕囚について』(1520年10月)

原題:De captivitate Babylonica ecclesiae praeludium

題名の意味

  • 旧約のバビロン捕囚になぞらえた比喩
  • 教会の秘跡(とくに聖餐)が、教皇権・ローマ教皇庁のもとで本来の姿から引き離され、囚われているという意味
  • ※1520年の時点では、まだ「カトリック対プロテスタント」という構図はない
  • ※中世の「教皇のバビロン捕囚」(アヴィニョン教皇庁、1309〜1377年)の言い方を逆転させている

秘跡の再検討

  • 中世の七秘跡:洗礼・堅信・聖餐・悔悛・終油・叙階・婚姻
  • 著作の冒頭:洗礼・悔悛・聖餐の三つを挙げる
  • 議論の過程:悔悛を独立した秘跡とすることに疑問を示す
  • 最終的な立場:洗礼と聖餐が中心

聖餐の「三重の捕囚」

  1. 一種陪餐:信徒にはパンだけを与え、杯を与えない慣行
  2. 化体説:パンとぶどう酒の実体がキリストの体と血の実体に変わるとする、アリストテレス哲学に基づく説明
    • ※ルターはキリストの現臨そのものは否定していない
    • 現臨を認めたうえで、パンとぶどう酒もそのまま残ると考えた
  3. ミサの犠牲的・功績的理解:ミサを人間が神に差し出す善行・犠牲とみなす理解
    • ルターにとってミサは、神の約束を信仰によって受け取るもの

→ 秘跡制度とミサ理解を根底から問い直した、三文書のなかで最も急進的な文書


3. 『キリスト者の自由』(1520年11月)

原題:Von der Freiheit eines Christenmenschen(ラテン語版:Tractatus de libertate christiana)

  • ラテン語版:教皇レオ10世への公開書簡を添えて教皇に献呈
  • ドイツ語版:ツヴィッカウの市長ヘルマン・ミュールプフォルトに献呈

冒頭の二つの命題

キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、誰にも服さない。

キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、誰にでも服する。

信仰と愛による説明

神 ──(信仰:恵みを受け取る)──▶ キリスト者 ──(愛:仕える)──▶ 隣人
  • 信仰において自由:救いは行いではなく信仰によって受け取るので、救いを得るために功績や外的な制度に縛られない
  • 愛において僕:信仰によって自由にされた者は、自分のためだけでなく、隣人に仕えて生きる

→ 信仰義認・キリスト者の自由・隣人への奉仕を一つに結びつけた、ルター神学の代表的文書


4. 三大文書の比較と意義

著作主題
① 貴族に与える書教会権威の構造を批判し、社会的・政治的改革を呼びかける
② バビロン捕囚秘跡制度とミサ理解を神学的に問い直す
③ キリスト者の自由信仰による自由と、愛による隣人への奉仕を示す

展開: 制度の批判 → 秘跡の再検討 → 信仰生活の積極的な提示


5. その後の展開

年月日出来事
1520年12月10日『エクスルゲ・ドミネ』を教会法の書物などとともに焼き捨てる
1521年1月3日勅書『デチェト・ロマヌム・ポンティフィケム』(Decet Romanum Pontificem)により正式に破門
1521年4月ヴォルムス帝国議会に召喚され、著作の撤回を拒否

まとめ

  • 1520年、ルターの改革思想が明確な形をとった
  • 教会制度・秘跡・信仰生活の三方向から、改革の理念が示された
  • 同時に、ローマ教会との決定的な決裂へ向かう転換点となった

【キリスト教史解説】アルミニウス主義(Arminianism)

 

レジュメ


0. 概要

  • オランダの改革派神学者ヤコブス・アルミニウス(1559/60–1609)の神学に由来する、プロテスタントの神学的立場
  • 神の予定と選び、人間の信仰、神の恩恵の関係をめぐり、カルヴァン主義の厳格な予定説解釈(とくにベザらの堕落前予定説)に異議を唱えた
  • 改革派の外からの批判ではなく、改革派内部の論争である

1. アルミニウスとゴマルスの論争

  • 1603年 フランシスクス・ユニウスの後任として、ライデン大学神学教授に就任
  • 同僚フランシスクス・ゴマルス(1563–1641)と、神の選びと人間の信仰の関係をめぐって論争
  • 1609年 アルミニウス没 → 論争は支持者たちに引き継がれる
ゴマルス側アルミニウス側
立場厳格な予定説(堕落前予定説)恩恵と人間の応答の関係を重視
選び神の定めが信仰に先立つ予知された信仰と結びつく
恩恵抵抗できない人間は拒むことができる

※ アルミニウスも、救いが神の恩恵によることは否定していない。

2. 「抗議書」(Remonstrance, 1610年)

  • 提出先:ホラント州議会
  • 起草:ヨハネス・ウイテンボハールト/署名:40名余りの牧師
  • 文書名から「レモンストラント派(Remonstrants)」と呼ばれる

抗議書の5つの論点

  1. 選び:神の選びは、あらかじめ知られた信仰と結びつく
  2. 贖罪:キリストの死はすべての人のため(贖罪の普遍性)
  3. 恩恵:堕落した人間が善をなすには、神の恩恵が不可欠
  4. 抵抗:恩恵には抵抗しうる
  5. 堅忍:否定はせず、聖書に基づくさらなる検討が必要として結論を保留

基本的な特徴:救いは神の恩恵による。しかし、人間の信仰的応答も重んじる。

3. 神学論争から政治対立へ

  • 1611年 反レモンストラント派が、ハーグ会談で「反抗議書」(Counter-Remonstrance)を提出
  • 神学的対立が、オランダ共和国の権力闘争・教会と国家の関係をめぐる対立と結びつく
    • ホラント州法律顧問 オルデンバルネフェルト:レモンストラント派を擁護
    • 総督 マウリッツ:反レモンストラント派を支持
  • マウリッツが実権を握る → 1619年、オルデンバルネフェルト処刑、フーゴー・グロティウス投獄

4. ドルト教会会議(1618–1619年)

  • レモンストラント派の教説を退け、改革派正統主義の立場から予定と救いの教理を定式化
  • 指導者シモン・エピスコピウスらは、正式な議員ではなく被召喚者として出席
  • 1619年1月、退場を命じられる
  • 会議後:牧師約200人が罷免、うち約80人が国外追放

5. レモンストラント派のその後

  • 1619年 亡命先のアントウェルペンでレモンストラント兄弟団を結成
  • 1625年 マウリッツ没 → 活動が次第に黙認される
  • 1634年 アムステルダムに神学校を開設 → 独自の教会共同体として存続
  • 1795年 バタヴィア革命 → 改革派教会の特権的地位の否定、諸宗派の法的平等へ
  • 1796年 政教分離の宣言

6. 後世への影響

  • 17世紀イングランド:ロード派の国教会聖職者、一般バプテストにアルミニウス主義的傾向
  • 18世紀 メソジスト運動:ジョン・ウェスレーは「先行的恩恵」と人間の応答を重視し、アルミニウス主義と深い親和性を示した
    • 1778年 ウェスレーが『アルミニアン・マガジン』を創刊

7. ソッツィーニ主義との関係(注意点)

  • 17世紀、レモンストラント派と反三位一体派(ソッツィーニ主義など)との間に思想的交流があった
  • そのため「ソッツィーニ主義者」との非難をしばしば受けた
  • しかし、アルミニウス自身・初期の抗議書は三位一体論を否定していない → 両者は区別して理解する

8. 年表

年出来事
1603アルミニウス、ライデン大学神学教授に就任
1609アルミニウス没
1610「抗議書」をホラント州議会に提出
1611ハーグ会談で「反抗議書」提出
1618–19ドルト教会会議
1619オルデンバルネフェルト処刑/レモンストラント兄弟団結成
1625マウリッツ没
1634アムステルダムに神学校開設
1778ウェスレー『アルミニアン・マガジン』創刊
1795バタヴィア革命
1796政教分離の宣言

9. まとめ

  1. 改革派内部の、予定説をめぐる論争から生まれた
  2. 恩恵を前提としつつ、人間の信仰的応答を重視する
  3. ドルト教会会議で退けられたが、独自の教会共同体として存続した
  4. イングランドの諸潮流やメソジスト運動など、後世に大きな影響を与えた

2026年10月26日月曜日

東北学院大学 創立の歴史 ― 日本人による牧師養成の私塾をという信念から ―






1. はじめに

  • 東北学院大学:仙台に本部を置く、東北最大規模の私立総合大学
  • 出発点は 1886年(明治19年)、学生 6名 の小さな私塾「仙台神学校」
  • 東北学院の 三校祖(さんこうそ)
    • 押川方義(おしかわ まさよし)― 日本人伝道者、初代院長
    • W・E・ホーイ ― 米国の宣教師、共に創立
    • D・B・シュネーダー ― 米国の宣教師、第二代院長

2. 押川方義と東北伝道

  • 伊予・松山藩の出身
  • 1872年 横浜で宣教師J・H・バラから受洗
    • 日本最初のプロテスタント教会「日本基督公会」(現・横浜海岸教会)の創立に参加
    • 本多庸一(ほんだ よういつ)、井深梶之助らと「横浜バンド」を形成
  • 1875年 新潟で宣教師の医療伝道を助ける
  • 1880年 吉田亀太郎(よしだ かめたろう)とともに仙台で伝道を開始
  • 1881年 仙台日本基督教会(現・仙台東一番丁教会)が誕生
  • 山形・米沢など東北各地に教会の基礎を築く
  • 押川の願い:日本人自身が伝道を担えるよう、日本人の牧師を育てる学校をつくること

3. 横浜でのホーイとの出会い

  • 1885年12月 押川、来日したばかりの宣教師W・E・ホーイと横浜で出会う
  • ホーイ
    • 1858年、ペンシルベニア州生まれ
    • フランクリン・アンド・マーシャル大学、ランカスター神学校で学ぶ
    • 派遣元:米国ドイツ改革派教会(のちに合同キリスト教会〈UCC〉を構成する流れの一つ)
  • 宗教改革(ルター・カルヴァン)の伝統 → 東北学院の建学の精神「福音主義キリスト教」へ
  • 北日本伝道の熱意で「肝胆相照らす(かんたん あいてらす)」間柄に
  • ホーイは仙台赴任と協力を約束

4. 仙台神学校の開校(1886年)

  • 1886年春 仙台神学校を開設 = 東北学院の創立
    • 院長:押川方義/副院長:ホーイ
    • 学生6名、借家の小さな私塾から出発
    • 目的:牧師・伝道者の養成
    • 創立記念日:5月15日
  • 1886年秋 宮城女学校(現・宮城学院)も設立 → 同じ年に生まれた「兄弟校」

5. シュネーダーの来日と「東北学院」への改称

  • 1887年暮れ D・B・シュネーダー夫妻が来日(同じ米国ドイツ改革派教会から)
  • 1888年 仙台神学校で教え始める → 三校祖がそろう
  • 1891年 校名を 「東北学院」(North Japan College)に改称
    • 伝道者志望の学生だけでなく、広く一般の青年に門戸を開く
    • 普通科を設置、英語教育を軸に東北一円から若者が集まる
    • 南町通り(みなみまちどおり)に「赤レンガ校舎」が完成
  • 1896年 島崎藤村が作文教師として赴任
  • 三校祖のその後
    • 1900年 ホーイ、中国伝道へ(湖南地方で25年活動)
    • 1901年 押川、ミッションとの対立から学院を去り、のちに政界・実業界へ
    • 1901〜1936年 シュネーダー、第二代院長として35年間学院を率いる(「東北学院中興の祖」)
  • 三校祖の役割(たとえ)
    • 押川:火をつけた人
    • ホーイ:ともに火をおこした人
    • シュネーダー:火を長く守り育てた人

6. 苦難の時代と新制大学

  • 大正〜昭和初期:卒業生1000名超、教育・伝道・官界(かんかい)・実業界で活躍
    • 杉山元治郎(すぎやま もとじろう):日本農民組合の創設に関与
    • 鈴木義男(すずき よしお):日本社会党の結成に関与
  • 1930年代 世界恐慌で母教会も財政難、援助が4割減 → 学院は自立へ
  • 1936年 創立50周年、80歳のシュネーダーの説教「我は福音を恥とせず」(ローマ1:16)をNHKが全国放送
  • 1937年 神学部が東京の日本神学校と合同し、その歴史を閉じる
  • 太平洋戦争期 学生・教職員の動員、校舎・礼拝堂の軍による接収
  • 1945年7月10日 仙台空襲で専門部・中学部の建物が焼失・損壊
  • 1949年 新制大学「東北学院大学」誕生
    • 文経学部(英文学科・経済学科)で出発
    • 初代学長:小田忠夫(おだ ただお)
  • 1962年 多賀城(たがじょう)に工学部を設置
  • 1965年 法学部を設置

7. 建学の精神と LIFE LIGHT LOVE

  • 建学の精神
    • 福音主義キリスト教の信仰に基づく「個人の尊厳の重視」と「人格の完成」
    • 神への畏れ、キリストにならう隣人愛
    • 文化の発展と社会の福祉に貢献する人材の育成
  • スクールモットー「LIFE LIGHT LOVE」
    • 1919年の仙台大火で中学部校舎が全焼
    • 1922年に再建された校舎の正面入口の上に、シュネーダーが選んだ三つの言葉を刻む
    • シュネーダーの説教題「生命、光明、愛(せいめい、こうみょう、あい)」

8. 年表

年出来事
1872押川方義、横浜でバラから受洗
1880押川、仙台で伝道開始
1885押川とホーイ、横浜で出会う
1886仙台神学校開校(東北学院の創立)、宮城女学校設立
1887シュネーダー夫妻来日
1891「東北学院」と改称、赤レンガ校舎完成
1896島崎藤村、作文教師として赴任
1900ホーイ、中国伝道へ
1901押川辞任、シュネーダー第二代院長に
1919仙台大火で中学部校舎焼失
1922中学部校舎再建(LIFE LIGHT LOVE を刻む)
1936創立50周年、説教「我は福音を恥とせず」
1937神学部、日本神学校と合同
1945仙台空襲で校舎焼失・損壊
1949東北学院大学(新制大学)誕生
1962工学部設置(多賀城)
1965法学部設置

参考資料

  • 東北学院大学図書館「押川方義」「D.B.シュネーダー」
  • 学校法人東北学院「東北学院の100年」(仙台大火 中学部の焼失と再建/第Ⅳ章 我は福音を恥とせず)
  • 東北学院大学 法学部シラバス総説(学院の歴史・建学の精神)
  • 東北学院大学の基本方針2017
  • 日本基督教団 教団新報(東北学院とホーイ)

1-2-1 キリスト教史解説(教会史)

アンティオキアのイグナティオス ──「使徒教父」、「殉教死」、最初の「公同の教会」提唱、「イグナティオスの手紙」(真正書簡7通) (35年頃–107/110年頃)  スミュルナのポリュカルポス ― 使徒時代と2世紀をつないだ教父 (69年頃–155年頃)  殉教者ユステ...