2023年8月11日金曜日

2013年7月7日「ヨセフ(1)」創世記 37章1-11節

2013年7月7日「ヨセフ(1)」創世記 37章1-11節


序:ヨセフ物語全体の概要

 今回から、三回に渡って「ヨセフ」という人物が主題となります。ヨセフは、イスラエルの父祖の一人であるヤコブの子で、後にイスラエル十二部族に含まれるエフライムとマナセの両部族を象徴する人物となりました。聖書では、このヨセフについて創世記37章から50章にかけて記されています。ヨセフ物語は、アブラハムやヤコブ物語のように、幾つもの断片的なエピソードを一つに繋げた形式のものではなく、もっと統一的で壮大な文学とも言うべきものに仕上がっています。そしてそのストーリーの続きは、創世記の次の書の『出エジプト記』におけるモーセ物語へと繋がっていきます。すなわち、ヨセフ物語は、族長時代からモーセの時代への橋渡しとしての意味も持っています。

 ヨセフ物語全体は大変長く、そのため、聖書箇所については便宜的に短い箇所を選んでいます。その前後をよく読んで頭に入れた上で、説教で物語ると良いでしょう。また、物語上の事象が、何を意味し何を象徴しているのかを意識しましょう。


1. ヨセフという人物

   ヨセフは、アブラハムやヤコブといった聖書の中の他の人物たちと比べて、欠点が殆ど見られない人と言えます。彼は青年時代から外見も良く、体格もしっかりとしていて(39:6)、後々の展開の鍵となる夢の謎解きの能力に秀でており、父ヤコブはそうしたヨセフを、自分が年老いてからの子どもということもあって溺愛していました(37:3)。そのために、他の兄弟たちはヨセフに対して憎しみの念を抱いていました。そうした中、兄たちの穏やかならぬ心中を察することができないヨセフは、自慢の夢解きを得意になって彼らに披露してしまいます。その内容は、兄たちや父を象徴する「束」や「星々」がヨセフの前にふれ伏すというものでした。これは、ヨセフと一族を巻き込んでいく運命を予示するものに他なりませんが、それにしても、これを無邪気にも家族に包み隠さず話してしまう素直とも天然とも言える彼のこうした性格が、彼の唯一の欠点であると言えるでしょう。無邪気というものは、時に刃(やいば)となって人を傷つけます。この一件が決定的となり、兄たちはヨセフ殺害をもくろみ始めました。こうして、ヨセフが父の依頼を受けて羊を遊牧している兄たちのもとに出かけた時、事件が起こったのです。ここから先は、テキスト解説を見ていきましょう。

  

2. テキスト解説

   「ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り」(23節)

 ヤコブ一族が住むヘブロンから兄たちのいるドタンまで、100キロほどの道のりです。事前の作戦通り(20節以下を参照)、兄たちは事を進めますが、長兄ルベンの提案により、殺害まではしないことになりました。


「彼を捕らえて、穴に投げ込んだ……彼らはそれから、腰を下ろして食事を始めた」(24-25節)

 助けを懇願するヨセフの叫びを肴(さかな)に、宴をする兄弟たちの姿は、私たちが隠し持つ残酷さを映し出しているようです。


「ふと目を上げると、イシュマエル人の隊商がギレアドの方からやって来るのが見えた。らくだに樹脂、乳香、没薬を積んで、エジプトに下って行こうとしているところであった。」(25節)

 ユダの提案により、ヨセフの命は生かしてはおくけれども、イシュマエル人に彼を奴隷として売ることになります(27節)。


「ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって……銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。」(28節)

 銀20枚は、少年から成年にかけての男子の奴隷の相場と同じで、成人男性の30枚よりは低い額です。こうした予想外の出来事により、はるか南のエジプトへ売られてしまうヨセフですが、この惨事は後に巡り巡って、多くの民と一族を飢餓から救うことへと繋がっていきます。


「兄弟たちはヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸した。」(31節)

 行方がわからなくなってしまったヨセフについて、動物に喰い殺されてしまったことに仕立てるための行為です。


「父は、それを調べて言った。『あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ。』」(33節)

 奇しくも、ヨセフへの偏愛のために父がヨセフに特別に着せた衣服は、これを妬む兄たちに利用され、血塗られて裂かれてしまいました。

  

3. まとめ

   エジプトに売られてしまったヨセフは、この後、侍従長ポティファルに仕えることになりました。しかし、その後に彼を待ち受けているものは、またしても試練でした。その限り、ヨセフは試練の人とも言えます。しかし、逆境に次ぐ逆境が語られていく中で、「主が共におられたので」という言葉が、ヨセフ物語において何度も現れていきます。ヨセフ物語の中で、神が直接ご自身を現して事を為される記述は殆どありませんが、神は陰ながらヨセフを守り導き、そして歴史を最善に動かされていきます。神はすべてを御心のままに導かれる。これがヨセフ物語の最大のテーマです。


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