レジュメ
新宗教・新興宗教シリーズ【金光教】
1. 基本データ
種別:幕末期に創唱された新宗教で、教派神道13派の一つ
*教派神道:幕末から明治初期に掛けて成立した神道系の新宗教のうち、第2次世界大戦前、国家公認された教団。(1) 神道大教、(2) 神理教、(3) 出雲大社教、(4) 神道修成派、(5) 神道大成教、(6) 実行教、(7) 扶桑教、(8) 御岳(みたけ)教、(9) 神習(しんしゅう)教、(10) 禊(みそぎ)教、(11) 黒住(くろずみ)教、(12) 金光教、(13) 天理教。
*創始者:赤沢文治(あかざわぶんじ)
教団内での神的呼称:金光大神(こんこうだいじん)
生神金光大神(いきがみ・こんこうだいじん)
位置づけ:教祖。根源神のはたらきの具現化。(天理教の中山みきに対応)
明治16年逝去
*本部:岡山県浅口(あさくち)市金光町大谷
教団名が市町村名に影響を与えた数少ない例
*後継者 金光宅吉 いえよし
明治26年逝去
金光摂胤 せつたね 昭和38年逝去
金光鑑太郎 かがみたろう 平成3年逝去
金光平輝 へいき
昭和21年まで取次者と呼称し、以降は「教主」としている。
現教主:第六代教主 金光弘道(ひろみち)2021年就任
後継者については、血縁による継承が中心だった過去から、現在は選挙による選出も採用されている。
*宗教法人:昭和27年、宗教法人令による宗教法人化
*名称 明治18年 神道金光教
明治33年 金光教
*公称信徒数約 43万人(2000年)
*信仰内容、歴史をざっくり一言
金神(こんじん)を信仰。元々はたたり神的に忌避された神。
1856年に教祖が立教神伝を受け、布教に専心。 金神を「天地の祖神、愛の神たる天地金乃神(かねのかみ)」と説く。 その後、弾圧を受けつつも、西日本を中心に拡大。
本部広前(ひろまえ)会堂にて、以下の神々を祭祀
天地金乃神(てんちかねのかみ)
宇宙根源の普遍神。万物のいのちの源。
生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)
根源神の働きの具現化、世に現れた神=教祖
(天理教における教祖中山みき)
(他方、幸福の科学では、大川隆法自体が神=エル・カンターレ)
2. 創設者と教団の足跡
1814年 赤沢文治、備中 岡山県西部に生まれる。
1855年 喉の大病を患い、神への非礼を改め、癒やしを得る。
以降、神の意志を知ることができるようになる。
1856年10月21日 立教神伝 啓示ないし召命を受ける。農業の仕事を放棄し、伝道活動を開始。「取次」に専念。
「取次」とは 神の意志を人々に伝え、人々が神に仕えて生きるよう執りなし手となること。金光教における宗教活動の中心。
以降、教勢は拡大。備中、備前、備後に展開。ついで、山口、大阪へ。
1868年 赤沢文治、神号「生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)」
1873年 神名が「天地金乃神(てんちかねのかみ)」とされる。
1883年 赤沢文治(生神金光大神)、逝去
教団が神道事務局(後の神道本局)所属の金光教会となる。
1900年 所属から離れ、「金光教」として独立
佐藤範雄、赤沢文治から聞いた教えを編纂。教義と組織整備。
1912年 管長選任規定が世襲制に変更
取次制度重視の方向性との兼ね合いの問題
後の内部問題の火種に
取次信仰——取次をする人の霊的力量。
他方、運営の力量。どちら優先?
「昭和9年10年事件」1934-35年
国家神道体制下での金光教弾圧事件(内務省、特高警察)
国家神道に対抗する恐れがあるとして
昭和10年 教規規則改正。取次の意義の明文化
昭和16年 金光教新体制確立運動
管長選挙の実施(世襲制からの変更)
金光摂胤(せつたね)が当選
→管長と取次をする祭司的役職が一人に統合
いわゆる、運営の王的職務と、祭司的職務の兼ね合い
昭和22年 教祖伝記奉修所の設置
戦後、信教の自由の回復。研究と、むしろ信仰の実践のため
昭和24年 教制審議会の設置
「生神金光大神取次」の実現のため
御取次成就信心生活運動 上記の流れを継承している
昭和28年 教祖伝記『金光大神』公刊
昭和34年 本部広前祭場 完成
昭和48年 本部広前会堂 完成
昭和55年 布教体制の強化を企図して教規改正
昭和56年 東京布教センター開設
昭和58年 本部総合庁舎 竣工
『金光教教典』公刊
儀式関係の文言や祭服を、金光教独自にものに変更
昭和62年 『金光新聞』創刊
現在 一時の大規模布教活動、教団規模の拡大から、
個人の信仰と密着、寄り添い、導き。地域密着を重視する方法