2025年2月11日火曜日

【新宗教】天理教の歴史、教祖中山みき氏の足跡


<関連動画>
【宗教学】新興宗教と新宗教ーー用語上の違い

<再生リスト>
「新宗教・新興宗教」



ーーーーレジュメーーーー

【新宗教】天理教の歴史、教祖中山みきの足跡

 1 基本データ
教祖:中山みき氏(1798‐1887)
立教年:1838年(天保9年)、中山の「神のやしろ」化
種別:習合神道系の新宗教
本部:奈良県天理市

 2 中山みきの足跡
・教祖伝『稿本天理教教祖伝』(こうほんてんりきょうきょうそでん)より。
・中山みき、長男の治療のために修験者を呼ぶ。
 巫女の代理をした中山に「元の神、実の神」という神が降る。
・約20年後、妊婦を救う「お産の神様」として知られるように。
 同時に、他の宗教家たちから迫害を受けるようにもなる。
・さらに20年後、中山みきは、神の意志を伝える「神の社(やしろ)」に。
 神格化された1838年をもって立教の年とされる。
・以来、私財を他者に施して自身は貧しく生きる「貧に落ち切れ」を実践。
・幕末、寺院や神社、山伏等から迫害を受けるようになる。
・1867年に神道家元の吉田家より「天輪王明神」として公認される。
・教義に関する「数え歌」(みかぐらうた」)、
 教義歌『おふでさき』(1869-1884)を執筆。
・明治維新後、入信者が増加。大阪各地に講社が建立。
・他方、政府からの禁圧政策により、18回に及ぶ検挙・勾留を受ける。
・1887年、中山みき、逝去。
 大工出身の飯降(いぶり)伊蔵(1833‐1907年)が「本席」に就任。
・1888年、神道天理教会として公認の一方、明治政府の国家神道体制の監視下に。
 本来の民衆現世宗教と異質な国家神道との融合を迫られた。
・1908年、独立した宗教団体、教派神道の一つとして公認。
・第2次大戦後、信教の自由のもと、教祖時代への回帰「復元」の気運が高まる。
・1970年、教派神道連合会から離脱。

 3  聖典
・『天理教教典』:『おふでさき』『みかぐらうた』
 『おさしづ』みきの晩年の教えと本席の飯降伊蔵の教えを筆録。

 4  教義、実践
・人間は「陽気暮らし」をするように親神(天理王命)に創造されたもの。
 だが、自ら苦悩を招来。救済のため親神が現る。
 人間が創造の秩序「元の理(ことわり)」に回帰するよう、「かぐらづとめ」を教示。
・親神は教祖をやしろとして、世界救済を実施。
・人は自分の心以外の全てを「神の貸しもの」として奉じることで幸福に至る。

 5  「搾取の宗教」
・庶民による積極的な布教活動。
 教祖をモデルに(「貧に落ちきれ」)、一切を布教活動に捧げることが信仰の証。
・これが社会問題化し、「搾取の宗教」と揶揄されるように。

 6  現況
・信徒数:30年前の公称値は190万(自己申告)。現在では減少か。
・分派として「ほんみち」「大道教」「日月(ひつき)教」など。
・戦後、天理教は創価学会のような組織拡大とはならず。
・天理市は天理教由来の名称であり、歴史化しつつある。


0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。