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【新宗教】世界救世教 教祖・岡田茂吉
【新宗教】世界救世教 教祖・岡田茂吉
1 基本データ
創立者:岡田茂吉
創立年:大本を離脱した1935年
1950年、世界救世教に改称
関連施設:MOA美術館(1957年開館)
箱根美術館(強羅、1952年開館)
2 岡田茂吉のプロフィール
・東京浅草、露天商の家に誕生
・画家を目指すも10年間結核を患う。卸問屋「岡田商店」を営む
・1920年、「大本」の講演会を機に入信
・大本の教祖、井口(いでぐち)なおの「御筆先」(おふでさき)
関東大震災の予言的中により、没頭
・神霊学、鎮魂帰神法の修得。
・1931年、乾坤山日本寺(けんこんざんにほんじ)参詣
「みろくの世」の到来の確信、浄霊法を確立。
・1934年、岡田式神霊指圧療法の開始。大本を脱会。
・1935年、大日本観音会を設立
医師法違反により検挙。大日本健康協会に改称。
・戦後、日本浄霊療法普及会への改称を経て、日本観音教団を熱海に再建。
・1950年、観音信仰から離れ、「世界救世教」へと改称
浄霊=手かざし療法=「お光さま」
大光明如来を創造神の大光明真神(みろくおおみかみ)に改変
・脱税、贈収賄容疑の一方、美術品の収集、自然農法に傾倒
3 岡田茂吉の逝去後の世界救世教
・1955年、岡田茂吉逝去。教団の分裂が進行する。
1955年 晴明教 木原義彦
1955年 大本光之道(おおもとひかりのみち) 池内一次
1956年 救世主教 牧喜之助
・1960年半ば 中央集権化を進めた一方、さらに各会が離脱
1966年 救世真教(きゅうせいしんきょう) 小野田(おのた)松造
1970年 神慈秀明会 小山美秀子
1970年 世界救世教黎明教会 多田光行
1970年 世界救世教会 中村一郎
1970年 MC救世神教 後藤英男
・1972年以降
みろく神教 石坂隆明 他
救いの光教団 大沼祐子
・第4代教主岡田陽一と執行部側で係争状態
・2018年以降、第5代教主岡田信之(渡瀬信之)
4 特徴
・美術への傾倒(MOA美術館、箱根美術館)
・自然農法への傾倒
・浄霊 手かざしによる療法、救済
・多数の分派・独立を繰り返すものの、小山美秀子の神慈秀明会、
岡田光玉(こうたま)由来の真光系教団など、多数の独立教団が誕生
2025年2月11日火曜日
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2025年2月6日木曜日
【新宗教・新興宗教解説】PL教団(パーフェクトリバティー教団)
ーーーーレジュメーーーー
【新宗教】PL教団(パーフェクトリバティー教団)
1 名称について
PL = 「パーフェクトリバティ」の頭文字
PL教団 = パーフェクトリバティ教団の略称
2 基本データ
・立教年:1946年9月29日
・崇拝対象:大元霊(みおやおおかみ)
・初代教祖・御木徳一(とくはる)、第3代教祖・御木貴日止(たかひと)
(第3代は2020年に逝去。以降、第4代の就任告知なし、不在の状態)
・本部・聖地:大阪府富田林市羽曳野丘陵
ゴルフ場、PL 学園、健康管理センター
・出版物:雑誌『芸術生活』『PLジュニア』、『芸生新聞』
・公称信徒数:118万人 (1996年) →72万人(2012年)
・備考:・日本最大規模の花火大会(8月1日、近年縮小傾向で2020年より休止)
名称:教祖祭PL花火芸術。御木徳一の晩年の意志を徳近が引き継いで。
・海外布教の展開(特にブラジル)
3 成立の経緯
1916年、御嶽(おんたけ)教大本庁所属の御木徳一(とくはる、1871‐1938年)、
御嶽教徳光大教会を創設。徳光教(教祖・金田徳光)の影響。
1924-28年、御木徳一と彼の長男・御木徳近(とくちか)、御嶽教からの破門、
扶桑教に転属し、扶桑教人道徳光教会を創設。(資料により揺れがあり)
1931年、「扶桑教ひとのみち教会」に改称
1936年、徳一の退任に伴い、御木徳近が第2代教祖(おしえおや)に就任。
1937年、政府軍部の圧力により解散させられる
1946年、御木徳近(1900-83)、教団名と教義を変更、
「パーフェクト・リバティ」として、佐賀県鳥栖に再建
1949年、教団本部を静岡県清水市に移転
1953年、大阪府富田林市に移転、同地を「聖地」とする。
教祖祭にて最初の花火大会実施。
1955年、PL学園高等学校開校。
1963年、教祖祭花火大会を、「PL花火芸術」に改称。
1974年、「パーフェクト・リバティ教団」に改称
1983年、御木徳近、逝去。御木貴日止(たかひと)、第3代教祖に就任。
貴日止:徳近の妻の弟・橋本清太の子
2020年、御木貴日止逝去。2024年末の時点で、第4代の告知なしー事実上教祖不在
4 教義
4-1 教祖(教親「おしえおや」)が代々現れるという思想
(普通、教祖は最初の一人のみだが)
金田徳光(徳光教教祖) =幽祖(かくりおや)
御木徳一 =初代教祖(おしえおや)
御木徳近 =第2代教祖(おしえおや)
御木貴日止 =第3代教祖(おしえおや)
4-2 基本的信仰内容の5ヶ条
(以下5ヶ条とカギ括弧内は公式HPより引用)
4-2-1 みしらせ・みおしえ
「苦痛は、心の癖によって起こる」
「心癖は“みおしえ”によって教えていただく」
4-2-2 神霊(しんれい・みたま)
・「神に依った自己表現を全うするために、神に通じる道」
・「おしえおやが遂断(しき)ってくださった“神霊(みたま)”を
礼拝の対象
・新友神霊(あらみたま):PL入会時、まずは祀って信仰する神霊
・教徒神霊:あらみたまの体験後、拝受する神霊
教徒神霊の3種
大元霊(みおやおおかみ)
教神(きょうしん:幽祖、初代教祖、二代教祖のみたま)
祖霊(それい:それぞれの家の先祖代々のみたま)」
まとめると →おしえおやから信徒に授けられる神霊を拝受し、
これに導かれて信仰生活を営む
4-2-3 祖遂断(おやしきり)
・「お・や・し・き・り」という五文字の言葉に、「おしえおやの世界全人類の平和と福祉とを祈念されての命懸けの誠がこめられて」いる。「無限の神恵・功徳」がある。
4-2-4 宝生(ほうしょう)
・教えを広めるための浄財。いわゆるお布施、献金。
財産への執着を払拭する意味も含む。
4-2-5 解説(かいせつ)
・問題に対する適切なアドバイス。教団内の熟練者を通じて。
「PL会員なら誰でも教会でPL教師や常勤補教師に自分の思いや心に引っかかっていることなどを話し、PLの教えに基づいたアドバイスを受けられます」
4-3 「21ヶ条の処世訓」
・教団の「憲法」的な位置付け。
・教祖が昭和22年に神より授けられたもの。
・「人生は芸術である」「人の一生は自己表現である」
「自己は神の表現である」など
*自己中心の視座から、自己、自己と神との関係を説く「生活指導教」
とも呼ばれる。
PL処生訓21カ条 全箇条
1 人生は芸術である。
2 人の一生は自己表現である。
3 自己は神の表現である。
4 表現せざれば悩がある。
5 感情に走れば自己を失う。
6 自我無きところに汝がある。
7 一切は相対と在る。
8 日の如く明かに生きよ。
9 人は平等である。
10 自他を祝福せよ。
11 一切を神に依れ 。
12 名に因って 道 が あ る 。
13 男 性 に は 男 性 の 、 女 性 に は 女 性 の 道 が あ る 。
14 世界平和の為の一切である。
15 一切は鏡である。
16 一切は進歩発展する。
17 中心を把握せよ。
18 常 に 善 悪 の 岐 路 に 立 つ 。
19 悟 る 即 立 つ 。
20 物心両全の境に生きよ。
21 真の自由に生きよ
5 PL学園
・教団の教えに基づく教育機関として、1955年に創立。
・「人生は芸術である」という理念のもと、世界平和に貢献できる人材育成を標榜。
・幼稚園、小学校、中学校、高等学校、衛生看護専門学校がある。
・野球部休部問題(2016年)
教祖の逝去から10年を越え、教団と学園の一体性が緩む。
先輩から後輩への暴力問題(2001年〜2013年、「氷山の一角」)
全寮制で先輩への絶対服従が伝統であった
野球経験のない教師が監督に就任(2014年)
新入部員募集停止(2015年)
6 教団の「聖地」
・正殿
大本庁神霊を奉安
・初代教祖奥津城(おくつき=神道における墓)
金田徳光ゆかりの榊の木と、御木徳一が奉祀
・超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔
1970年落成。高さ180メートル。
・錬成会館
講義棟、宿泊棟、エントランス棟、ダイニング棟で構成。2009年完成。
2024年11月27日水曜日
【新宗教・新興宗教解説】真如苑ー伊藤真乗、友司夫妻の足跡と教団の歴史
【新宗教・新興宗教解説】真如苑ー伊藤真乗、友司夫妻の足跡と教団の歴史
序
・1990年代をピークに教勢を落としている教団が殆どの中、
勢力を伸ばしている教団。
1 基本データ
本部:東京都立川市
創始者:伊藤真乗(しんじょう、教主)、伊藤友司(ともじ、霊祖)
後継者:伊藤真聰(しんそう、苑主、旧名真砂子、三女)
伊藤真玲(しんれい、擁主、旧名志づ子、四女)
信徒数:72万人(『新宗教 教団・人名事典、1996年)
92万人(宗教年刊、令和6年版)
法人化:戦前の宗教団体法では、真言宗醍醐派に所属。
宗教法人法では、昭和28年に認証。
2 伊藤真乗氏の生い立ちと、教団の歴史
1906年、伊藤真乗、伊藤文二郎・よしえの次男として生まれる。
山梨県巨摩郡
幼い頃より、父から易学を教えられる。
1923年、上京し、叔父の養子となるも家を出て、
翌年より正則英語学校にて学ぶ。
1927年、近衛飛行第五連隊に入隊。翌年、除隊。
1928年、石川島航空機技術部に入社。
1932年、またいとこの友司と結婚。縁繋ぎは伯母の油井玉恵。
友司は祖母の内田きんと油井玉恵と除霊経験あり
真乗、仕事の傍ら、易学で知人を鑑定。
仏教を学び、真言密教を学び始める。
1935年、自宅に不動明王を祭祀。
1936年、1ヶ月の寒三十日の修行を実施。
妻友司、伯母の油井玉恵より霊能力を授かる。
1936年、立教を決意し、自宅で「立照閣」を開設。
この年が真如苑の創立の年となる。
立教に際して、友司の促しも大きかったという。
1936年、長男、死去。夫妻で高尾山にて修行。
1938年、立川に真澄寺(しんちょうじ)建立。
「真言宗醍醐派立川不動尊教会」設立。
1939年、醍醐寺にて出家修行。
恵印灌頂(えいんかんぢょう)を受法。
1941年、金胎両部伝法灌頂(こんたいりょうぶでんぽうかんじょ
う)を受法、大阿闍梨(だいあじゃり)とされる。
1948年、真言宗醍醐寺から独立し、「まこと教団」を設立。
「まこと基礎行」を実践。
1948年、「まこと教団事件」発生。
伊藤真乗を傷害、詐欺、横領の容疑で逮捕
(参考、NHKアーカイブスhttps://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009183007_00000)←メディア側が差別的にも感じる
1951年、「真如苑」に改称。
伊藤真乗・教主、伊藤友司・苑主の体制に。
この頃、実子二人が死去したことを契機に、
霊能者が相対して指導する「接心修行」を開始。
接心修行の指導と確立に際して、友司の影響が大きい。
*真如苑における「霊能」の位置付け
初代霊能 祖母内田きん
二代霊能 伯母油井玉恵
三代霊能 伊藤友司
1967年、ローマ法王と会見。
帰国後、伊藤友司(55歳)、逝去。
1968年、立川に総本部落成。海外展開を開始。
1989年、伊藤真乗、逝去
三女伊藤真聰、苑主を継承。四女伊藤真玲が補佐に。
1992年、伊藤真聰、真言宗醍醐派総本山醍醐寺より大僧正を、
伊藤真玲には、権大僧正(ごんのだいそうじょう)
を授与される。 (「権」は次という意味。大僧正の次位)