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2025年3月25日火曜日

【宗教学関連】リスト

【新宗教】







PL教団(動画)

天理教(動画)

世界救世教(動画)




【諸宗教】
マンダ教(動画)

【その他】


【その他の事項】
ーあ行ー

ーか行ー
クリスマスツリー (動画)       交霊会


ーさ行ー

ま行
マクドゥーガル(魂の重量計測)


2025年3月7日金曜日

【新宗教・新興宗教解説】かむながらのみちー教祖は高島彩氏の姑、ゆずの北川悠仁氏の実母、北川慈敬氏

 


 今回は、高島彩さんと北川悠仁さんとのご結婚で話題となった、かむながらのみちを取り上げました。二次資料が殆どなく、手探りながら教義や歴史をまとめてみました。レジュメは末尾にあります。

追記:北川慈敬氏、以前は禊教の信徒で、ゆずの北川悠仁さんの一件で離脱したという情報もありますが、整合性を確認する資料がなく、繊細な事柄でもあるため、今回はまるごと削って、創立以降の記述としました。なお、初代会長の北川和男氏は、元々は会社を経営されていたとして、会社概要などにも目を通しましたが、その他の調査が進んで以降、改訂版の動画に収録したいと考えています。

<関連動画>
【宗教学】新興宗教と新宗教の違い

<再生リスト>
「新宗教・新興宗教」

ーーーレジュメーーー
【新宗教・新興宗教解説】かむながらのみちー教祖は高島彩氏の姑、ゆずの北川悠仁氏の実母、北川慈敬氏

・成立年が新しいこともあり、二次資料が殆どない。
・公式HPなどの一次資料に当たるしかない。
 
1 基本データ
本部:神奈川県横浜市磯子区
立教年:1999年5月
教祖:北川慈敬(本名:北川敬子)
   教団内での呼称:教主
初代会長:故・北川和光(和光))(和光心院、本名:北川和男)
(実質、二人の夫婦ツートップ体制だったか)
現会長:北川大成(北川悠仁の兄)
種別:真言宗系在家教団
   HP記載の現・会長の言葉より
   「私どもの法脈の祖であります真言宗醍醐派総本山醍醐寺」
   (ちなみに真如苑の法脈も真言宗醍醐派)
宗教法人化:2007年5月
信徒数:2100人(2024年、宗教情報リサーチセンター)
教団公式HP:https://www.kannagara.or.jp/

2 名称について
・教団公式HPより
「「神ながらの道」とは一般に「神道」のことをいいますが、私たちの教団名は平仮名で「かむながらのみち」といいます。」
・発音は、かむながらの「む」を「む」と発音せず、「ん」とする。
 →「かんながら」

2 教団の歴史
・教祖の北川慈敬と夫妻の生涯については詳細不明。

1999年5月5日、神奈川県横浜市磯子区岡村にて立教。
 教団HP、現会長の言葉より
  「当初から旧本部道場の神前仏前は会合のたびに参座者で満員、
  襖や扉を外し、廊下や外に敷物をしいて皆様をお迎えしており
  ました」

2003年、真言宗醍醐派金剛山成就院落慶

2004年、北海道道場設立
2007年、宗教法人認証
2008年、北川和男会長、逝去
2012年、納骨供養塔(南葉山霊園)建立
2013年、新第二道場設立

3 教義
・真言宗系の在家教団ではあるが、神道、仏教の法脈を基軸に。
 「神仏和合」 ーーーー神道、仏教、在家、という3つの要素

・会章

*「丸・三角・四角」は大自然・生命の基本法則であり、この形象には宇宙全体、森羅万象全てが込められて」いるという。
「外枠の○と中央の点は、大宇宙とその中心。二つの□から成る八つの角は、八方、八民(世界人類)、御八神」

・「生きとし生けるもの、全ての命に、大調和をもたらす」
 (公式PR動画より)
 →生命の根源に繋がりつつ、個人と社会、自然の再生、完成を目指す。

・祈り、受容、超作
 祈り:神仏との交流、喜び、感謝、希望
 受容:喜びも悲しみも、どう受容するかが人生の鍵
    人生 =人格、霊格向上のための学校
 超作:人の作為を超えること、神業
    自分本位ではダメ。
    先祖と子孫の中間点、現世と来世の中間点が、自分


4 ゆずの北川悠仁さんと妻の高島彩さん
・「テレビ界の宗教タブーは「信仰している芸能人が多いから」」
2017年3月16日付HP「NEWSポストセブン」(女性セブン)より

「北川さんの妻の高島彩さん(38才)は姑である慈敬さんに嫁として認められようと結婚前、ふたりが式を挙げることとなった慈敬さんが所有する山梨県の身曾岐(みそぎ)神社を何度も訪れていました。1泊2日がかりの修行を高島さんのお母さんと一緒に受けてもいましたよ。それに同僚アナウンサーを連れて修行に訪れたこともありました」(神社関係者)


5 真言宗醍醐派との交流
<真言宗醍醐派公式サイトより>
「神奈川・金剛山成就院「かむながらのみち」青年部~醍醐寺参拝・研修 2018年05月24日」
「3/24(土)、神奈川・金剛山成就院(北川大成住職)「かむながらのみち」青年部91名が醍醐寺を参拝・研修した。到着後、グループワーク、仲田座主を大祇師(だぎし)に柴燈護摩(さいとうごま)、観音堂参拝、上醍醐登山の行程であった。」


【新宗教・新興宗教解説】旧・統一教会(現・世界平和統一家庭連合) 教祖・文鮮明

 


関連動画
【宗教学】【キリスト教】なぜモルモン教・エホバの証人・旧統一教会は正統的キリスト教会から異端的とされているのか

【宗教学】新興宗教と新宗教の違い

<再生リスト>
「新宗教・新興宗教」

ーーーレジュメーーー
【新宗教・新興宗教】旧・世界基督教統一神霊協会(統一教会、統一協会)/現・世界平和統一家庭連合ー文鮮明と教団の歴史

1 基本データ
・正式名称
 以前:「世界基督教統一神霊協会」(統一教会、統一協会)
 現在名:「世界平和統一家庭連合」
・系統:キリスト教から派生した、韓国系の新興宗教
 (新興宗教と新宗教の使い分けについては、別動画を参照)
・創設者・教祖:文鮮明(1920-2012年)
 教団内での呼称:文先生
・創立年:1954年
・本部:東京都渋谷区
・総裁:韓鶴子(ハン・ハクチャ)
 日本教会:第14代会長 田中富広(2025年3月1日現在)
・信徒数 世界300万人、日本60万人(宗教情報リサーチセンター)
・宗教法人化:1964年、宗教法人法上の法人格取得

2 教祖・文鮮明と教団の足跡
1920年、文鮮明(本名:文龍明)、韓国・平安北道(へいあんほくどう)定州(ちゅんじゅ)郡に生まれる。
 元はキリスト教徒で、16歳の復活祭にて、イエスの霊から啓示を受ける。
1924年頃、日本に移住。早稲田大学付属高等工学校に学ぶ。
1926年頃、教義体系「統一原理」を考案。韓国に帰国。
1945年、ソウル、ピョンヤンで伝道活動。
    正統的キリスト教会側や共産党から弾圧を受ける
1948年 社会秩序紊乱罪で検挙、投獄。
1950年、朝鮮戦争の国連軍により解放される。
1951年、『原理原本』の執筆開始。
1954年、ソウルで世界基督教統一神霊協会を設立。急速に成長したが、洗脳、監禁などの噂が相次いだ。
1955年、兵役法違反で起訴される。
1958年、崔翔翼、西川勝、日本での伝道開始。
1959年、アメリカでの宣教開始、日本統一教会設立
1960年、文鮮明、韓鶴子(ハン・ハクチャ)の結婚(3回目)
     神の国における理想家庭のモデルとされ、合同結婚式
     が行われ始める。
  合同結婚式
   1968年、1組
   1969年、22組
   1978年、235組
    80年代は数千組に上る
   1992年、日本の有名人参加で話題

・国際合同祝福結婚式(ソウルオリンピック主競技場)
 桜田淳子、山崎浩子といった著名人が参加したため、ワイドショーで大きく取り上げられた。「マインドコントロール」という語が一世風靡。

1964年、宗教法人世界基督教統一神霊協会として法人化。
     会長に久保木修己就任。
1965年、東京都渋谷区松濤に本部を移転。
1967年、「原理講論」日本語版発刊。
1975年頃、世界規模の宣教組織「世界統一十字軍」創設
 日本やアメリカでは大学キャンパスで宣教活動が展開
1981年、文鮮明、米国で脱税容疑で起訴。
1984年、米国で投獄される。
1984年、日本統一教会設立。
1985年、「原理解説」発刊。
1991年、北朝鮮訪問。金日成主席と会談。
2012年、文鮮明逝去

3 教義
・アダムとイブの堕罪。人類は原罪の影響下に。
・「メシア」(救世主)の導きによって救済されることが必須。
・「神の子」とされ、神の家族を地上世界に築く使命に生きる。
*この辺りは、通常のキリスト教と大して変わらない。
 以下、明確な相違点
・再臨のメシアとは、文鮮明   *正統的キリスト教は、偽メシアにとても敏感
・文鮮明夫妻(配偶者:韓鶴子)とは、理想の神の家族を最初に形成した原モデル

4 話題となった諸点
・布教方法として個別訪問や街頭勧誘が行われた。
 特に大学キャンパスをターゲットに。

・研修や布教活動による、信徒の学業や仕事の放棄、家族と分断されての共同生活が社会問題化。

・大学では、関連団体の全国大学連合原理研究会、通称、原理研究会などへの警戒が学生たちに促された。

・性行為を伴う儀礼(教祖との性行為を通しての救済)の疑惑、マインドコントロール、信徒を酷使しての珍味販売霊感商法、街頭募金などによる資金調達方法な
 どが社会問題化。

・正統派教会側による統一教会への批判や、マインドコントロールされた信徒の連れ戻しの運動が話題に。
例:東北学院大学名誉教授・浅見定雄氏等、統一教会を批判し、信徒の脱会・連れ戻しに協力。脱会者として著名なのは、タレントの飯干景子。

5 昨今における旧・統一教会の社会的問題
・政治家との関係問題
 安倍晋三元首相の暗殺事件を契機として、政治家との癒着が問題とされ、岸田元首相は同教団との関係の拒絶を指示。

・高額献金問題の顕在化
 2022年7月以降、信徒の同教団に対する高額献金問題が顕在化。

・無許可の養子縁組斡旋問題
 2022年11月以降、同教団による信徒間の養子縁組の無許可斡旋疑惑が浮上。

・文部科学省の解散命令請求
  2023年10月、文部科学省、旧統一教会が宗教法人から逸脱しているとして、東京地裁に解散命令を請求。


2025年2月19日水曜日

【新宗教・新興宗教解説】ほんみち(創設者・大西愛治郎)

 


ーーーーレジュメーーーー
【新宗教】ほんみち(創設者・大西愛治郎、1881-1958年)

1 基本データ
開教年:1913年
種類:天理教から派生した新宗教
創始者:大西愛治郎(おおにしあいじろう、甘露台)
後継者:大西泰彦(おおにしやすひこ、現・甘露台)        
信徒数:32万人(1996年、新宗教事典)
本部:大阪府高石市羽衣
   泉南市に支部、およびほんみち神殿
法人化年度:(1952年、宗教法人法)

2 大西愛治郎と教団の足跡
1881年、大西愛治郎、奈良県宇陀(うだ)郡宇太(うた)村に生まれる
 奈良師範学校在学中、母の病気を契機に天理教に入信
1900年、退学して単独で布教を開始。
     群馬県安中、山口県で活動。
1913年、啓示により、自身が生神<甘露台(かんろだい)>〉と悟る。
     天理教の教祖中山みきを引き継ぐ者、「甘露台」との自己認識に至り、
     天理研究会を発足(開教)。
     教歌『甘露台古記(かんろだいこうき)を執筆。教祖への復古を主張。
1924年、国家神道と堕した天理教団を批判し、追放される。
1925年、天理研究会を設立。
1928年、教義の解説書『研究資料』を頒布
     天皇の日本統治を否定し、甘露台による神政政治の展開を主張。
     「甘露台世界」の実現を目指す。
     これにより、500名が日本政府により検挙される。
1930年、大西愛治郎、精神異常と見なされて無罪とされる。
1936年、自身の教団を「天理本道」と称する。
1938年、『書信』を配布して再検挙される。教団は解散処分に。
1945年、第2次大戦後に釈放される。
1946年、大阪府羽衣にて教団を再建。
1950年、教団名を「ほんみち本部」に改称。
1952年、教団名を「ほんみち」に改称。
1958年、大西愛治郎、逝去。

3 宗教的営為
・信徒=「みち人」
・教えの習得と実践=「匂いがけ」、個人単位の布教活動
          「ひのきしん」、労働的奉仕
・信徒たちの一致の心を磨く=「心のふしん」
・「お寄り」と呼ばれる家庭集会
・「御席」と呼ばれる教理・教義の修行

4 ネット上の話では…
・中卒で教団施設でエリート教育を受けることが奨励されている
 (元信徒によれば、「強制ではないがプレッシャーを感じた」)
 →共同体性が強いので、コミュニティとして一員に圧はかかる
・泉南市の小学校の何割かは信徒の子息
・避妊は推奨されていないため、多産家庭が多い
 (泉南市の出生率は確かに高く、児童における信徒の子息の割合に影響か)

2025年2月14日金曜日

【新宗教】世界救世教 教祖・岡田茂吉


【新宗教】世界救世教 教祖・岡田茂吉


1 基本データ

創立者:岡田茂吉

創立年:大本を離脱した1935年

    1950年、世界救世教に改称

関連施設:MOA美術館(1957年開館)

     箱根美術館(強羅、1952年開館)


2 岡田茂吉のプロフィール

・東京浅草、露天商の家に誕生

・画家を目指すも10年間結核を患う。卸問屋「岡田商店」を営む

・1920年、「大本」の講演会を機に入信

・大本の教祖、井口(いでぐち)なおの「御筆先」(おふでさき)

 関東大震災の予言的中により、没頭

・神霊学、鎮魂帰神法の修得。

・1931年、乾坤山日本寺(けんこんざんにほんじ)参詣

 「みろくの世」の到来の確信、浄霊法を確立。

・1934年、岡田式神霊指圧療法の開始。大本を脱会。

・1935年、大日本観音会を設立

 医師法違反により検挙。大日本健康協会に改称。

・戦後、日本浄霊療法普及会への改称を経て、日本観音教団を熱海に再建。

・1950年、観音信仰から離れ、「世界救世教」へと改称

 浄霊=手かざし療法=「お光さま」

 大光明如来を創造神の大光明真神(みろくおおみかみ)に改変

・脱税、贈収賄容疑の一方、美術品の収集、自然農法に傾倒


3 岡田茂吉の逝去後の世界救世教

・1955年、岡田茂吉逝去。教団の分裂が進行する。

 1955年 晴明教 木原義彦

 1955年 大本光之道(おおもとひかりのみち) 池内一次

 1956年 救世主教 牧喜之助

・1960年半ば 中央集権化を進めた一方、さらに各会が離脱

 1966年 救世真教(きゅうせいしんきょう) 小野田(おのた)松造

 1970年 神慈秀明会 小山美秀子

 1970年 世界救世教黎明教会 多田光行

 1970年 世界救世教会 中村一郎

 1970年 MC救世神教 後藤英男

・1972年以降 

 みろく神教 石坂隆明 他

 救いの光教団 大沼祐子

・第4代教主岡田陽一と執行部側で係争状態

・2018年以降、第5代教主岡田信之(渡瀬信之)


4 特徴

・美術への傾倒(MOA美術館、箱根美術館)

・自然農法への傾倒

・浄霊 手かざしによる療法、救済

・多数の分派・独立を繰り返すものの、小山美秀子の神慈秀明会、

 岡田光玉(こうたま)由来の真光系教団など、多数の独立教団が誕生


2025年2月11日火曜日

【新宗教】天理教の歴史、教祖中山みき氏の足跡


<関連動画>
【宗教学】新興宗教と新宗教ーー用語上の違い

<再生リスト>
「新宗教・新興宗教」



ーーーーレジュメーーーー

【新宗教】天理教の歴史、教祖中山みきの足跡

 1 基本データ
教祖:中山みき氏(1798‐1887)
立教年:1838年(天保9年)、中山の「神のやしろ」化
種別:習合神道系の新宗教
本部:奈良県天理市

 2 中山みきの足跡
・教祖伝『稿本天理教教祖伝』(こうほんてんりきょうきょうそでん)より。
・中山みき、長男の治療のために修験者を呼ぶ。
 巫女の代理をした中山に「元の神、実の神」という神が降る。
・約20年後、妊婦を救う「お産の神様」として知られるように。
 同時に、他の宗教家たちから迫害を受けるようにもなる。
・さらに20年後、中山みきは、神の意志を伝える「神の社(やしろ)」に。
 神格化された1838年をもって立教の年とされる。
・以来、私財を他者に施して自身は貧しく生きる「貧に落ち切れ」を実践。
・幕末、寺院や神社、山伏等から迫害を受けるようになる。
・1867年に神道家元の吉田家より「天輪王明神」として公認される。
・教義に関する「数え歌」(みかぐらうた」)、
 教義歌『おふでさき』(1869-1884)を執筆。
・明治維新後、入信者が増加。大阪各地に講社が建立。
・他方、政府からの禁圧政策により、18回に及ぶ検挙・勾留を受ける。
・1887年、中山みき、逝去。
 大工出身の飯降(いぶり)伊蔵(1833‐1907年)が「本席」に就任。
・1888年、神道天理教会として公認の一方、明治政府の国家神道体制の監視下に。
 本来の民衆現世宗教と異質な国家神道との融合を迫られた。
・1908年、独立した宗教団体、教派神道の一つとして公認。
・第2次大戦後、信教の自由のもと、教祖時代への回帰「復元」の気運が高まる。
・1970年、教派神道連合会から離脱。

 3  聖典
・『天理教教典』:『おふでさき』『みかぐらうた』
 『おさしづ』みきの晩年の教えと本席の飯降伊蔵の教えを筆録。

 4  教義、実践
・人間は「陽気暮らし」をするように親神(天理王命)に創造されたもの。
 だが、自ら苦悩を招来。救済のため親神が現る。
 人間が創造の秩序「元の理(ことわり)」に回帰するよう、「かぐらづとめ」を教示。
・親神は教祖をやしろとして、世界救済を実施。
・人は自分の心以外の全てを「神の貸しもの」として奉じることで幸福に至る。

 5  「搾取の宗教」
・庶民による積極的な布教活動。
 教祖をモデルに(「貧に落ちきれ」)、一切を布教活動に捧げることが信仰の証。
・これが社会問題化し、「搾取の宗教」と揶揄されるように。

 6  現況
・信徒数:30年前の公称値は190万(自己申告)。現在では減少か。
・分派として「ほんみち」「大道教」「日月(ひつき)教」など。
・戦後、天理教は創価学会のような組織拡大とはならず。
・天理市は天理教由来の名称であり、歴史化しつつある。


2025年2月6日木曜日

【新宗教・新興宗教解説】PL教団(パーフェクトリバティー教団)



ーーーーレジュメーーーー

【新宗教】PL教団(パーフェクトリバティー教団)


1 名称について

PL   = 「パーフェクトリバティ」の頭文字

PL教団 = パーフェクトリバティ教団の略称


2 基本データ

・立教年:1946年9月29日

・崇拝対象:大元霊(みおやおおかみ)

・初代教祖・御木徳一(とくはる)、第3代教祖・御木貴日止(たかひと)

 (第3代は2020年に逝去。以降、第4代の就任告知なし、不在の状態)

・本部・聖地:大阪府富田林市羽曳野丘陵

   ゴルフ場、PL 学園、健康管理センター

・出版物:雑誌『芸術生活』『PLジュニア』、『芸生新聞』

・公称信徒数:118万人 (1996年) →72万人(2012年)

・備考:・日本最大規模の花火大会(8月1日、近年縮小傾向で2020年より休止)

     名称:教祖祭PL花火芸術。御木徳一の晩年の意志を徳近が引き継いで。    

    ・海外布教の展開(特にブラジル)


3 成立の経緯

1916年、御嶽(おんたけ)教大本庁所属の御木徳一(とくはる、1871‐1938年)、

    御嶽教徳光大教会を創設。徳光教(教祖・金田徳光)の影響。

1924-28年、御木徳一と彼の長男・御木徳近(とくちか)、御嶽教からの破門、

    扶桑教に転属し、扶桑教人道徳光教会を創設。(資料により揺れがあり)

1931年、「扶桑教ひとのみち教会」に改称

1936年、徳一の退任に伴い、御木徳近が第2代教祖(おしえおや)に就任。

1937年、政府軍部の圧力により解散させられる

1946年、御木徳近(1900-83)、教団名と教義を変更、

    「パーフェクト・リバティ」として、佐賀県鳥栖に再建

1949年、教団本部を静岡県清水市に移転

1953年、大阪府富田林市に移転、同地を「聖地」とする。

    教祖祭にて最初の花火大会実施。

1955年、PL学園高等学校開校。

1963年、教祖祭花火大会を、「PL花火芸術」に改称。

1974年、「パーフェクト・リバティ教団」に改称  

1983年、御木徳近、逝去。御木貴日止(たかひと)、第3代教祖に就任。

    貴日止:徳近の妻の弟・橋本清太の子

2020年、御木貴日止逝去。2024年末の時点で、第4代の告知なしー事実上教祖不在


4 教義

4-1 教祖(教親「おしえおや」)が代々現れるという思想

 (普通、教祖は最初の一人のみだが)

 金田徳光(徳光教教祖) =幽祖(かくりおや)

 御木徳一  =初代教祖(おしえおや)          

 御木徳近  =第2代教祖(おしえおや)

 御木貴日止 =第3代教祖(おしえおや)


4-2 基本的信仰内容の5ヶ条

 (以下5ヶ条とカギ括弧内は公式HPより引用)

4-2-1 みしらせ・みおしえ

 「苦痛は、心の癖によって起こる」 

 「心癖は“みおしえ”によって教えていただく」


4-2-2 神霊(しんれい・みたま)

・「神に依った自己表現を全うするために、神に通じる道」

・「おしえおやが遂断(しき)ってくださった“神霊(みたま)”を

 礼拝の対象

・新友神霊(あらみたま):PL入会時、まずは祀って信仰する神霊

・教徒神霊:あらみたまの体験後、拝受する神霊

 教徒神霊の3種

  大元霊(みおやおおかみ)

  教神(きょうしん:幽祖、初代教祖、二代教祖のみたま)

  祖霊(それい:それぞれの家の先祖代々のみたま)」 


まとめると →おしえおやから信徒に授けられる神霊を拝受し、

       これに導かれて信仰生活を営む


4-2-3 祖遂断(おやしきり)

・「お・や・し・き・り」という五文字の言葉に、「おしえおやの世界全人類の平和と福祉とを祈念されての命懸けの誠がこめられて」いる。「無限の神恵・功徳」がある。


4-2-4 宝生(ほうしょう)

・教えを広めるための浄財。いわゆるお布施、献金。

 財産への執着を払拭する意味も含む。


4-2-5 解説(かいせつ)

・問題に対する適切なアドバイス。教団内の熟練者を通じて。

「PL会員なら誰でも教会でPL教師や常勤補教師に自分の思いや心に引っかかっていることなどを話し、PLの教えに基づいたアドバイスを受けられます」


4-3 「21ヶ条の処世訓」

・教団の「憲法」的な位置付け。

・教祖が昭和22年に神より授けられたもの。

・「人生は芸術である」「人の一生は自己表現である」

 「自己は神の表現である」など

 *自己中心の視座から、自己、自己と神との関係を説く「生活指導教」

  とも呼ばれる。


 PL処生訓21カ条 全箇条

 1 人生は芸術である。

 2 人の一生は自己表現である。

 3 自己は神の表現である。

 4 表現せざれば悩がある。

 5 感情に走れば自己を失う。

 6 自我無きところに汝がある。

 7 一切は相対と在る。

 8 日の如く明かに生きよ。

 9 人は平等である。

 10 自他を祝福せよ。

 11 一切を神に依れ 。

 12 名に因って 道 が あ る 。

 13 男 性 に は 男 性 の 、 女 性 に は 女 性 の 道 が あ る 。 

 14 世界平和の為の一切である。 

 15 一切は鏡である。

 16 一切は進歩発展する。

 17 中心を把握せよ。

 18 常 に 善 悪 の 岐 路 に 立 つ 。 

 19 悟 る 即 立 つ 。 

 20 物心両全の境に生きよ。

 21 真の自由に生きよ 


5 PL学園

・教団の教えに基づく教育機関として、1955年に創立。

・「人生は芸術である」という理念のもと、世界平和に貢献できる人材育成を標榜。

・幼稚園、小学校、中学校、高等学校、衛生看護専門学校がある。


・野球部休部問題(2016年)

  教祖の逝去から10年を越え、教団と学園の一体性が緩む。

 先輩から後輩への暴力問題(2001年〜2013年、「氷山の一角」)

  全寮制で先輩への絶対服従が伝統であった

 野球経験のない教師が監督に就任(2014年)

 新入部員募集停止(2015年)


6 教団の「聖地」


・正殿

 大本庁神霊を奉安

・初代教祖奥津城(おくつき=神道における墓)

 金田徳光ゆかりの榊の木と、御木徳一が奉祀

・超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔

 1970年落成。高さ180メートル。

・錬成会館

 講義棟、宿泊棟、エントランス棟、ダイニング棟で構成。2009年完成。

2024年11月27日水曜日

 【新宗教・新興宗教解説】真如苑ー伊藤真乗、友司夫妻の足跡と教団の歴史



 【新宗教・新興宗教解説】真如苑ー伊藤真乗、友司夫妻の足跡と教団の歴史


・1990年代をピークに教勢を落としている教団が殆どの中、

 勢力を伸ばしている教団。


1 基本データ

本部:東京都立川市

創始者:伊藤真乗(しんじょう、教主)、伊藤友司(ともじ、霊祖)

後継者:伊藤真聰(しんそう、苑主、旧名真砂子、三女)

    伊藤真玲(しんれい、擁主、旧名志づ子、四女)

信徒数:72万人(『新宗教 教団・人名事典、1996年)

    92万人(宗教年刊、令和6年版)

法人化:戦前の宗教団体法では、真言宗醍醐派に所属。 

    宗教法人法では、昭和28年に認証。


2 伊藤真乗氏の生い立ちと、教団の歴史

1906年、伊藤真乗、伊藤文二郎・よしえの次男として生まれる。

     山梨県巨摩郡

    幼い頃より、父から易学を教えられる。

1923年、上京し、叔父の養子となるも家を出て、

     翌年より正則英語学校にて学ぶ。

1927年、近衛飛行第五連隊に入隊。翌年、除隊。

1928年、石川島航空機技術部に入社。

1932年、またいとこの友司と結婚。縁繋ぎは伯母の油井玉恵。

     友司は祖母の内田きんと油井玉恵と除霊経験あり

    真乗、仕事の傍ら、易学で知人を鑑定。

    仏教を学び、真言密教を学び始める。

1935年、自宅に不動明王を祭祀。

1936年、1ヶ月の寒三十日の修行を実施。

    妻友司、伯母の油井玉恵より霊能力を授かる。

1936年、立教を決意し、自宅で「立照閣」を開設。

    この年が真如苑の創立の年となる。

    立教に際して、友司の促しも大きかったという。

1936年、長男、死去。夫妻で高尾山にて修行。

1938年、立川に真澄寺(しんちょうじ)建立。

    「真言宗醍醐派立川不動尊教会」設立。

1939年、醍醐寺にて出家修行。

    恵印灌頂(えいんかんぢょう)を受法。

1941年、金胎両部伝法灌頂(こんたいりょうぶでんぽうかんじょ

     う)を受法、大阿闍梨(だいあじゃり)とされる。

1948年、真言宗醍醐寺から独立し、「まこと教団」を設立。

    「まこと基礎行」を実践。

1948年、「まこと教団事件」発生。

    伊藤真乗を傷害、詐欺、横領の容疑で逮捕

(参考、NHKアーカイブスhttps://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009183007_00000)←メディア側が差別的にも感じる

1951年、「真如苑」に改称。

    伊藤真乗・教主、伊藤友司・苑主の体制に。

    この頃、実子二人が死去したことを契機に、

    霊能者が相対して指導する「接心修行」を開始。

    接心修行の指導と確立に際して、友司の影響が大きい。


 *真如苑における「霊能」の位置付け

   初代霊能 祖母内田きん

   二代霊能 伯母油井玉恵

   三代霊能 伊藤友司

  

1967年、ローマ法王と会見。

    帰国後、伊藤友司(55歳)、逝去。

1968年、立川に総本部落成。海外展開を開始。

1989年、伊藤真乗、逝去

    三女伊藤真聰、苑主を継承。四女伊藤真玲が補佐に。

1992年、伊藤真聰、真言宗醍醐派総本山醍醐寺より大僧正を、

     伊藤真玲には、権大僧正(ごんのだいそうじょう)

     を授与される。 (「権」は次という意味。大僧正の次位)