ラベル 新宗教・新興宗教 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 新宗教・新興宗教 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年6月16日月曜日

【新宗教・新興宗教解説】真如苑苑主、伊藤真聰氏について

 


ーーーレジュメーーー

【新宗教・新興宗教解説】真如苑苑主、伊藤真聰氏について


現・真如苑苑主 伊藤真聰 (いとうしんそう)2025年6月現在

 

1942年 伊藤真乗・友司(ともじ)の三女として誕生

 旧名:伊藤真砂子


1954年 真如霊能を継承

 真如霊能:伊藤真乗氏の易学と、友司の家系の霊能力

      これらを融合させた能力

1965年 大正大学文学部卒業

     大正大学:天台宗、真言宗、浄土宗、時宗

     真如苑事務局に入局

   

1966年 得度受戒(=教団内教師資格、僧侶資格取得)

1971年 真如苑青年会長に就任

1983年 真如法燈を継承(法灯:次世代への引き継ぎ)

     三女真砂子と四女志づ子へ

     伊藤真砂子氏、伊藤真聰へと改名

1989年 教主・伊藤真乗逝去

     教主の遺志に従い、真如苑苑主、並びに、

     総本山・燈檠山真澄寺(とうけいざん・しんちょうじ)

     「継主(けいしゅ)」として教団を継承。

     真燈寺 開基:伊藤真乗、1938年

         本尊:久遠常住釈迦牟尼如来

         (くおんしょうちゅう・しゃかむににょらい)


1992年 真言宗醍醐派 総本山醍醐寺より、大僧正の位階を授与


1997年 京都の醍醐寺の金堂にて、開山以来、最初の女性導師として法要を修める


2008年 ニューヨークのグランドゼロ近くの教会にて法要


2012年 ケニアにて、複数の部族の若者と法要を計画、実施


2014年、ペルーにて、アンデス宗教の代表者、カトリックの代表者とともに、平和に向けた祈りを捧げる済摂護摩を実施

 済摂護摩(さいしょうごま):伊藤真聰氏による発案

  済度(さいど):人々の救済と、悟りへの導き

  摂受(しょうじゅ):教えと救済を受ける者へと導くこと


2014年、ニューヨークのリンカーンセンターで灯籠流しを主催

2025年6月4日水曜日

【宗教学関連】リスト

【新宗教】













PL教団(動画)

天理教(動画)

世界救世教(動画)





【諸宗教】
マンダ教(動画)

【その他】





【その他の事項】
ーあ行ー

ーか行ー
クリスマスツリー (動画)       交霊会


ーさ行ー

ま行
マクドゥーガル(魂の重量計測)


【新宗教・新興宗教解説】オウム真理教 ー麻原彰晃

 

大学講義用動画

「宗教学」 2021年度秋学期 第14回

<再生リスト>

「新宗教・新興宗教」

https://www.youtube.com/playlist?list=PL_EWMPQGAoVSRBehjZKZPUKG7Ea9AhKd0


ーーーレジュメーーー

オウム真理教


 麻原彰晃(本名:松本智津夫、1955-2018(63歳)、配偶者:松本知子)を教祖として発足した新興宗教団体(新宗教)。


 麻原彰晃

 1955年、熊本県八代に生まれる。視覚障害のため、小学1年より熊本県立盲学校に転校し、20歳まで過ごす。エリートを志し、熊本大学医学部や東京大学を受験したが失敗。

 卒業後、1978年に千葉県船橋市にて鍼灸院と薬局を開業。この頃より、東洋医学に関する学習を進めると共に、ヨガの修行を開始する。宗教教団GLA(1969年開祖、高橋信次)の高橋信次の著作を愛読する。1980年、阿含宗(1978年、開祖:桐山靖雄)に入信し、3年間修行を積む。同年、保険料不正請求発覚。1982年、薬事法違反で逮捕される。

 1983年、東洋医学とヨガを組み合わせた能力開発の塾を渋谷に開業。「麻原彰晃」と名乗り始める。1984年、同塾を、ヒンドゥ教で創造や破壊を意味する「オウム」を採り入れた「オウムの会」と改称し、ヨガ道場に変更する。

 1985年、空中浮遊の成功を主張したことがメディアで取り上げられる。1985年にオカルト雑誌『トワイライトゾーン』に掲載された文章によれば、2006年に核戦争が起こり、日本に死の灰が降ると予言されている。「神仙の民」と呼ばれる者だけが生き残り、超能力者たちの王国「シャンバラ」が築かれるという。

 1986年、麻原彰晃、最初の著作『超能力「秘密の開発法」—すべてがおもいのままになる!』を公刊。1987年、三冊目の著作『イニシエーション』が公刊され、師(グル)である麻原彰晃への徹底的な帰依の必要性が説かれるようになる。

 1987年、「オウム真理教」へ名称変更され、全財産を教団にお布施しての出家制度が開始される。同年、日本をシャンバラ化する「シャンバラ化計画」発表、主要都市に支部、道場を開設が目標とされた。

 1988年、静岡県富士宮市に「富士山総本部道場」が開設される。

 1988年9月、「極限の集中修行」において信徒の一人が死亡したが公表せずに遺体を処分。1989年2月、脱会を申し出た信徒を殺害する事件が起こる(発覚まで非公表)。

 出家制度や激しい修行が話題となり、社会との摩擦も表面化する。1989年11月、オウム真理教の社会問題に関わる坂本弁護士一家が殺害され、遺体が山中に埋められる。

 1989年8月、日本の支配を目指して「真理党」が結成され、衆議院選挙に麻原含む25名が立候補、全員落選。このことを契機として、麻原は国家陰謀論を繰り返し主張し始める。

 1990年3月、ボツリヌス菌と風船爆弾を開発開始。その他の化学兵器の研究も行う。1993年、マシンガンの密造に着手。亀戸の道場で炭疽菌を培養。異臭騒ぎが起こる。1993年4月、サリンの開発に着手、8月に生成実験成功。山梨県上九一色村の第7サティアンにプラントを建築する計画が立てられる。1994年、省庁制導入、憲法「真理国基本律」考案。

 1995年元旦、サリンの残留物が検出されたことが報じられ、計画を一時中止。1995年3月20日、警察の強制捜査 及び、公証役場の仮谷清志事務長拉致事件の捜査を攪乱するため、霞ヶ関の地下鉄を中心に各所でサリンを散布、「地下鉄サリン事件」が起こる。死者11人、重軽傷者約5500人。

 3月22日、警察による強制捜査、麻原氏の身柄拘束。同年5月16日、逮捕。


 1995年12月、宗教法人解散命令。1997年1月、破壊活動防止法適用。

 2018年7月6日、松本智津夫含む7人の死刑囚に死刑執行


【新宗教・新興宗教解説】辯天宗(弁天宗) ー宗祖大森智辯、智弁学園の母体

 

ーーーレジュメーーー

【新宗教・新興宗教解説】辯天宗 ー智弁学園の母体


 1 基本データ

所在地:大阪府茨木市

総本山:如意寺(奈良県五條市)

創始者(宗祖):大森智辯(おおもりちべん) 智辯尊女

        旧名:大森清子、昭和42年逝去

後継者:大森智祥(おおもりちしょう)

    昭和62年逝去、「第一世管長」

信徒数:63800人程度 (1990年代後半は30万人)

宗教法人:昭和32年、宗教法人法による法人化

本尊:大辯才天女尊(だいべんざいてんにょそん、辯才天)

*但し、インドや日本における弁財天とは本体して同じとしつつも、一般の弁財天とは区別して辯才天としている。


 2 大森智辯と教団の歩み

1909年 奈良県吉野郡吉野村飯貝にて、

 吉井家の長女として誕生。名は清子。

 13歳の時、紡績女工となる。


1929年 高野山真言宗の僧だった大森智祥と結婚

 奈良県五條市、高野山真言宗十輪寺(じゅうりんじ) 住職

 2児の母となるが、原因不明の病に悩む。

 民間宗教者の指示で辯財天像を発掘

 寺内に祀ったところ、→病気が快癒


1934年 寺の庭で草むしり中に気絶し、大辯才天女尊より天啓を受ける。

 「身代わりとなって、現世にあって、人の苦しみ、悩みを救うがよい」


1934年 霊的な予言により悩みを解決していく。

 人々から「辯天さま」「神代さん」などと呼ばれる。


1939年 大阪の太融寺(たいゆうじ、高野山真言宗)

 にて修行


1948年 十輪寺内に辯天講の本部を設ける。


1952年、辯天宗を立教。

 本尊を大辯才天女尊、自らを宗祖智辯尊女とする。


1955年 茨木桔梗殿落慶祭典、御本尊分霊遷座式執行


1962年 辯天宗東京本部、東京都墨田区向島に設置


1963年 五條本部を「大和本部」、茨木本部を「大阪本部」と改称


1964年 大阪本部(冥應寺)本殿落慶大祭典


1965年 智辯学園高等学校(現 智辯学園中学校・高等学校)開校


1967年 2月15日 宗祖智辯、御遷神(逝去、享年57歳)


1987年 大森智祥第一世管長、遷化(逝去)


1988年 大森慈祥(長男)副管長、第二世管長に就任


2018年 大森慈祥(じしょう)第二世管長、逝去

     長男の光祥宗務総長が第3世管長に推戴、

     光祥氏長男の寛祥・新統を宗務総長に任命

2025年5月21日水曜日

「私が思う、五つの新宗教・新興宗教のメリット・デメリット」ーPL教団、天理教、サイエントロジー、創価学会、真如苑

 

<関連動画>

【新宗教・新興宗教】「PL教団」(パーフェクトリバティー教団)・PL学園

https://youtu.be/uZRwr8M2Lwk


【新宗教・新興宗教】サイエントロジー(教会) ーその歴史と教義 トム・クルーズは熱心な信徒

https://youtu.be/1DIWbOQ8So8


【新宗教・新興宗教解説】「天理教」ーその歴史と教祖中山みき氏の足跡

https://youtu.be/_movmH6J3RA


【新宗教・新興宗教解説】【天理教】天理市探訪ー教団名を冠した宗教都市

https://youtu.be/PCVctlgMK0s


【新宗教】創価学会

https://youtu.be/MjN2G0pVvuQ


【新宗教・新興宗教解説】「真如苑」ー伊藤真乗、友司夫妻の足跡と教団の歴史

https://youtu.be/JAGIOEX7Aac


ーーーレジュメーーー

「私が思う、五つの新宗教・新興宗教のメリット・デメリット」ーPL教団、天理教、サイエントロジー、創価学会、真如苑


 ==🟢1 PL教団==

・個人的には、もっとも母性本能をくすぐられる教団

・今年、紙媒体の教団関係の読み物はデジタル化したが、

 内容があったかい。信徒を締めつける圧がなくて優しい


メリット1:一時の勢いは失われて、かえって落ち着いている

メリット2:世間からのアンチが、ほぼない

      ただし、忘れられつつあるが

メリット3:ほぼ勧誘はない。脱退などでのトラブルも耳にしない

メリット4:今なお、PL学園の知名度はある

        PL教団については若年層には知られていない感じ

デメリット:教団の趨勢は右肩下がり。高齢化

       後継者争いが解決されていない



 ==🟢2 天理教==

メリット1:教団名が市の名前になっているという歴史化と安定

メリット2:天理市全体が、天理教テーマパーク

      おぢばがえり が楽しそう

メリット3:小中高大揃っている。高校は偏差値高め

メリット4:昔は別にして、今は勧誘がないような印象

デメリット:特になし

      ネットなどでカルト呼ばわりされても、

      そういう人は、宗教=カルトの認識

      気にする必要はなし



 ==🟢3 サイエントロジー==

・最近、解説動画をあげました。


メリット1:トム・クルーズと同じ宗教になれる

メリット2:ホームページ、建物や内装が、おしゃれな感じ

メリット3:教義が、心理学的、宗教哲学的で、理知的で現代的。

      第8のダイナミクスという形で、絶対神もあり

デメリット1:海外では、カルト扱いしているところも

デメリット2:日本では支部が少ないので、

       ご近所に教会ありとはなりにくい。

       東京・大阪・愛知といった大都市に住んでないと



 ==🟢4 創価学会==

 メリット1:信徒数も多く、各界に信徒が存在する

       強いコネクションを得られる

   芸能界なら、石原さとみさん、氷川きよしさん、

   遠藤憲一さん、久本雅美さん、柴田理恵さん

 デメリット:アンチ創価学会の方が多い

       勧誘、脱退時のトラブルの噂が多い

* アンチの数は、その教団の持つ権力と勢いに比例する


 ==🟢5 真如苑==

 メリット1:密教真言宗を在家で信仰できる数少ない教団

 メリット2:真言宗醍醐寺と強い結びつき。伝統との繋がり

       対照的:日蓮正宗と物別れとなった創価学会

 デメリット:アンチの方が多め。

       勧誘などで、トラブルの噂も多め

 中立:趨勢拡大中。伝統的宗教含め、軒並み、右肩下がりの中


* ただし、「アンチの数は、その教団の持つ権力と勢いに比例する」

【真如苑】「接心」について ー霊能者との対面カウンセリング的お告げ料金体系やランク

 

ーーーレジュメーーー

【真如苑】「接心」について ー霊能者との対面カウンセリング


 1 接心とは
 霊能力を育成された指導者が、信徒と対面で行う相談的システム。

・指導者が複数の信徒と行う形式や、一対一で行う形式などあり。

・「接心」における様々な献立
 ーーー以下、一対複数名の形式ーーー
 向上接心    基本的なな相談        2-3分
 向上相談接心  修行に関する相談       3-5分
 ーーー以下、一対一の形式ーー
 相談接心    悩み事の相談         15-20分
 特別相談接心  複雑な悩み事相談       20-30分
 鑑定接心    高位の霊能者による易学的鑑定 30-40分

*料金は、1000円以上から段階的に上昇し、鑑定接心は8000円以上。
*平均的信徒の年間の消費金額(お布施)は、4-5万円。

 2 霊能者育成システム
・霊能力者が教祖やごく一部の教師に限定されていない。
・一般信徒も訓練によって霊能者に育成されるシステムが特徴的。
・教団内の霊能者の総数は、約4000人。

 3 修行内容
・1-2ヵ月に1度 1-2時間の「会座」(祈祷を伴う修行)に参加。
・日常生活における修行(三つの歩み)
 1 お歓喜      お布施
 2 お救(たす)け  新規入会者の勧誘
 3 ご奉仕      教団のボランティア活動に参加
            公共の場の清掃、被災地支援など

 4 霊能者のランク
下位  大乗   条件:(お救け、新規入会者1名
中位  歓喜   条件:新規入会者3名
    大歓喜  条件:新規入会者7名
            教団内の智流学院で3年修行
最高位 霊能者  条件:新規入会者8名



2025年3月19日水曜日

【韓国キリスト教系新興宗教】天宙聖法真の王国連合ー旧 統一教会が最も警戒する分派ーあの奇抜なチラシの宗教団体



ーーーレジュメーーー

【韓国キリスト教系新興宗教】天宙聖法真の王国連合ー旧 統一教会が最も警戒する分派ーあの奇抜なチラシの宗教団体


参考資料

・中西尋子『宗教研究』「統一教会の分派:天宙統一真の王国連合に

 ついて(第十二部会〈特集〉第67回学術大会紀要)」2009年、

 82巻、4号。日本宗教学会。

・カルト問題キリスト教連絡会(?)のパンフレット「各教派の相談

 会で最近増えつつある統一協会以外のキリスト教系団体」


*私のスタンス:中立的、客観的に、資料に基づいて整理。価値判断は下さない。



1 基本データ

教祖:中山芳子

本部:大阪・岸和田市

法人化:宗教法人格なし(2015年時点)

系統:旧 統一教会(現 世界平和統一家庭連合)からの分派

名称の推移:「天宙真の父母連合」

      2007年、「天宙統一真の王国連合」に改称。

      2009年、現在名「天宙聖法真の王国連合」に改称。

 通称:「中山グループ」



2 教祖・中山芳子と教団の足跡

・元・天理教信徒

・帰属していた天理教内で、旧・統一教会への勧誘を行い、

 追放処分。(天理教→統一教会 or 天理教へのスパイ?)

・旧統一教会の信徒だった中山芳子の姪の調宏美が啓示を受ける

 中山芳子らはこれを「天宙真の真理」と称する。

 統一教会内の教区長に送付。

2000年、文鮮明はこれを受け、「天宙真の父母連合」を組織。

2003年、中山芳子、文鮮明からの指示として、同組織の名を取り、

 「天宙真の父母連合」という別組織を設立。

2007年、「天宙統一真の王国連合」に改称。

2009年、現在名「天宙聖法真の王国連合」に改称。

2010年、千夕龍華(せんゆうりゅうか)に改名。

(時期不明)調宏美、中山芳子とのツートップ体制

      →後に仲違いの末に分裂。


3 旧 統一教会との教義の違い

・旧 統一教会では……「旧約聖書」「新約聖書」+「統一原理」

  

 同教団によれば、これでは神の啓示の達成率95%

 残り5%こそ、「天宙真の真理」 これで「天国」完成。

  「旧約聖書」「新約聖書」+「統一原理」+「天宙真の真理」


・旧・統一教会側の対応

 「天宙真の父母連合の創設を指示した事実はない」

 「名称の勝手な使用」

 「教区長への書簡は、統一教会の現指導者への批判」

 →「旧 統一教会が最も警戒している分派」



4 現在の状況

・近年は、奇抜なチラシがポスティングされて話題になっている。

 教祖の超越性を、サイケデリックに表現して布教展開している。

 チラシでの中山芳子の呼び名は……

  天宙神千夕龍華様、天照大神到来、太陽神千夕龍華様

  絶対・唯一・不変・永遠なる神など。


 ポイント ・坂本龍馬の霊の声を聴く霊能力。

       幸福の科学における「霊言」に似ている。

      ・統一教会の文鮮明氏のような、「キリストの再臨」

       と位置付けるモティーフは後退。

      ・教義よりも、教祖 中山芳子氏のカリスマ性に傾斜

      ・中山芳子氏自身が絶対神への神格化が進む。

       この点、幸福の科学の大川隆法氏に似ている。


・カルト問題キリスト教連絡会 カルト認定されている。


・旧 統一教会の信徒の引き抜きを試みる(試みていた)。


・ビデオセンターなどで青年への布教活動を進めている。


・サラ金を梯子させて限度額いっぱいまで借りさせて寄付させる

 「三日路程」が行われていて、献金の強要は著しいという。


・2015年3月 広島地方裁判所 同教団に対する訴訟で、

 約521万円の支払命令。 →原告勝訴 →4月に控訴

 (2012年提訴? 「天宙に支払った献金、貸金の実損額に慰謝料、

 弁護士料を付加して請求。約1426万円)

 (霊感商法対策弁護士連絡会HP)




 

2025年3月7日金曜日

【新宗教・新興宗教解説】かむながらのみちー教祖は高島彩氏の姑、ゆずの北川悠仁氏の実母、北川慈敬氏

 


 今回は、高島彩さんと北川悠仁さんとのご結婚で話題となった、かむながらのみちを取り上げました。二次資料が殆どなく、手探りながら教義や歴史をまとめてみました。レジュメは末尾にあります。

追記:北川慈敬氏、以前は禊教の信徒で、ゆずの北川悠仁さんの一件で離脱したという情報もありますが、整合性を確認する資料がなく、繊細な事柄でもあるため、今回はまるごと削って、創立以降の記述としました。なお、初代会長の北川和男氏は、元々は会社を経営されていたとして、会社概要などにも目を通しましたが、その他の調査が進んで以降、改訂版の動画に収録したいと考えています。

<関連動画>
【宗教学】新興宗教と新宗教の違い

<再生リスト>
「新宗教・新興宗教」

ーーーレジュメーーー
【新宗教・新興宗教解説】かむながらのみちー教祖は高島彩氏の姑、ゆずの北川悠仁氏の実母、北川慈敬氏

・成立年が新しいこともあり、二次資料が殆どない。
・公式HPなどの一次資料に当たるしかない。
 
1 基本データ
本部:神奈川県横浜市磯子区
立教年:1999年5月
教祖:北川慈敬(本名:北川敬子)
   教団内での呼称:教主
初代会長:故・北川和光(和光))(和光心院、本名:北川和男)
(実質、二人の夫婦ツートップ体制だったか)
現会長:北川大成(北川悠仁の兄)
種別:真言宗系在家教団
   HP記載の現・会長の言葉より
   「私どもの法脈の祖であります真言宗醍醐派総本山醍醐寺」
   (ちなみに真如苑の法脈も真言宗醍醐派)
宗教法人化:2007年5月
信徒数:2100人(2024年、宗教情報リサーチセンター)
教団公式HP:https://www.kannagara.or.jp/

2 名称について
・教団公式HPより
「「神ながらの道」とは一般に「神道」のことをいいますが、私たちの教団名は平仮名で「かむながらのみち」といいます。」
・発音は、かむながらの「む」を「む」と発音せず、「ん」とする。
 →「かんながら」

2 教団の歴史
・教祖の北川慈敬と夫妻の生涯については詳細不明。

1999年5月5日、神奈川県横浜市磯子区岡村にて立教。
 教団HP、現会長の言葉より
  「当初から旧本部道場の神前仏前は会合のたびに参座者で満員、
  襖や扉を外し、廊下や外に敷物をしいて皆様をお迎えしており
  ました」

2003年、真言宗醍醐派金剛山成就院落慶

2004年、北海道道場設立
2007年、宗教法人認証
2008年、北川和男会長、逝去
2012年、納骨供養塔(南葉山霊園)建立
2013年、新第二道場設立

3 教義
・真言宗系の在家教団ではあるが、神道、仏教の法脈を基軸に。
 「神仏和合」 ーーーー神道、仏教、在家、という3つの要素

・会章

*「丸・三角・四角」は大自然・生命の基本法則であり、この形象には宇宙全体、森羅万象全てが込められて」いるという。
「外枠の○と中央の点は、大宇宙とその中心。二つの□から成る八つの角は、八方、八民(世界人類)、御八神」

・「生きとし生けるもの、全ての命に、大調和をもたらす」
 (公式PR動画より)
 →生命の根源に繋がりつつ、個人と社会、自然の再生、完成を目指す。

・祈り、受容、超作
 祈り:神仏との交流、喜び、感謝、希望
 受容:喜びも悲しみも、どう受容するかが人生の鍵
    人生 =人格、霊格向上のための学校
 超作:人の作為を超えること、神業
    自分本位ではダメ。
    先祖と子孫の中間点、現世と来世の中間点が、自分


4 ゆずの北川悠仁さんと妻の高島彩さん
・「テレビ界の宗教タブーは「信仰している芸能人が多いから」」
2017年3月16日付HP「NEWSポストセブン」(女性セブン)より

「北川さんの妻の高島彩さん(38才)は姑である慈敬さんに嫁として認められようと結婚前、ふたりが式を挙げることとなった慈敬さんが所有する山梨県の身曾岐(みそぎ)神社を何度も訪れていました。1泊2日がかりの修行を高島さんのお母さんと一緒に受けてもいましたよ。それに同僚アナウンサーを連れて修行に訪れたこともありました」(神社関係者)


5 真言宗醍醐派との交流
<真言宗醍醐派公式サイトより>
「神奈川・金剛山成就院「かむながらのみち」青年部~醍醐寺参拝・研修 2018年05月24日」
「3/24(土)、神奈川・金剛山成就院(北川大成住職)「かむながらのみち」青年部91名が醍醐寺を参拝・研修した。到着後、グループワーク、仲田座主を大祇師(だぎし)に柴燈護摩(さいとうごま)、観音堂参拝、上醍醐登山の行程であった。」


【新宗教・新興宗教解説】旧・統一教会(現・世界平和統一家庭連合) 教祖・文鮮明

 


関連動画
【宗教学】【キリスト教】なぜモルモン教・エホバの証人・旧統一教会は正統的キリスト教会から異端的とされているのか

【宗教学】新興宗教と新宗教の違い

<再生リスト>
「新宗教・新興宗教」

ーーーレジュメーーー
【新宗教・新興宗教】旧・世界基督教統一神霊協会(統一教会、統一協会)/現・世界平和統一家庭連合ー文鮮明と教団の歴史

1 基本データ
・正式名称
 以前:「世界基督教統一神霊協会」(統一教会、統一協会)
 現在名:「世界平和統一家庭連合」
・系統:キリスト教から派生した、韓国系の新興宗教
 (新興宗教と新宗教の使い分けについては、別動画を参照)
・創設者・教祖:文鮮明(1920-2012年)
 教団内での呼称:文先生
・創立年:1954年
・本部:東京都渋谷区
・総裁:韓鶴子(ハン・ハクチャ)
 日本教会:第14代会長 田中富広(2025年3月1日現在)
・信徒数 世界300万人、日本60万人(宗教情報リサーチセンター)
・宗教法人化:1964年、宗教法人法上の法人格取得

2 教祖・文鮮明と教団の足跡
1920年、文鮮明(本名:文龍明)、韓国・平安北道(へいあんほくどう)定州(ちゅんじゅ)郡に生まれる。
 元はキリスト教徒で、16歳の復活祭にて、イエスの霊から啓示を受ける。
1924年頃、日本に移住。早稲田大学付属高等工学校に学ぶ。
1926年頃、教義体系「統一原理」を考案。韓国に帰国。
1945年、ソウル、ピョンヤンで伝道活動。
    正統的キリスト教会側や共産党から弾圧を受ける
1948年 社会秩序紊乱罪で検挙、投獄。
1950年、朝鮮戦争の国連軍により解放される。
1951年、『原理原本』の執筆開始。
1954年、ソウルで世界基督教統一神霊協会を設立。急速に成長したが、洗脳、監禁などの噂が相次いだ。
1955年、兵役法違反で起訴される。
1958年、崔翔翼、西川勝、日本での伝道開始。
1959年、アメリカでの宣教開始、日本統一教会設立
1960年、文鮮明、韓鶴子(ハン・ハクチャ)の結婚(3回目)
     神の国における理想家庭のモデルとされ、合同結婚式
     が行われ始める。
  合同結婚式
   1968年、1組
   1969年、22組
   1978年、235組
    80年代は数千組に上る
   1992年、日本の有名人参加で話題

・国際合同祝福結婚式(ソウルオリンピック主競技場)
 桜田淳子、山崎浩子といった著名人が参加したため、ワイドショーで大きく取り上げられた。「マインドコントロール」という語が一世風靡。

1964年、宗教法人世界基督教統一神霊協会として法人化。
     会長に久保木修己就任。
1965年、東京都渋谷区松濤に本部を移転。
1967年、「原理講論」日本語版発刊。
1975年頃、世界規模の宣教組織「世界統一十字軍」創設
 日本やアメリカでは大学キャンパスで宣教活動が展開
1981年、文鮮明、米国で脱税容疑で起訴。
1984年、米国で投獄される。
1984年、日本統一教会設立。
1985年、「原理解説」発刊。
1991年、北朝鮮訪問。金日成主席と会談。
2012年、文鮮明逝去

3 教義
・アダムとイブの堕罪。人類は原罪の影響下に。
・「メシア」(救世主)の導きによって救済されることが必須。
・「神の子」とされ、神の家族を地上世界に築く使命に生きる。
*この辺りは、通常のキリスト教と大して変わらない。
 以下、明確な相違点
・再臨のメシアとは、文鮮明   *正統的キリスト教は、偽メシアにとても敏感
・文鮮明夫妻(配偶者:韓鶴子)とは、理想の神の家族を最初に形成した原モデル

4 話題となった諸点
・布教方法として個別訪問や街頭勧誘が行われた。
 特に大学キャンパスをターゲットに。

・研修や布教活動による、信徒の学業や仕事の放棄、家族と分断されての共同生活が社会問題化。

・大学では、関連団体の全国大学連合原理研究会、通称、原理研究会などへの警戒が学生たちに促された。

・性行為を伴う儀礼(教祖との性行為を通しての救済)の疑惑、マインドコントロール、信徒を酷使しての珍味販売霊感商法、街頭募金などによる資金調達方法な
 どが社会問題化。

・正統派教会側による統一教会への批判や、マインドコントロールされた信徒の連れ戻しの運動が話題に。
例:東北学院大学名誉教授・浅見定雄氏等、統一教会を批判し、信徒の脱会・連れ戻しに協力。脱会者として著名なのは、タレントの飯干景子。

5 昨今における旧・統一教会の社会的問題
・政治家との関係問題
 安倍晋三元首相の暗殺事件を契機として、政治家との癒着が問題とされ、岸田元首相は同教団との関係の拒絶を指示。

・高額献金問題の顕在化
 2022年7月以降、信徒の同教団に対する高額献金問題が顕在化。

・無許可の養子縁組斡旋問題
 2022年11月以降、同教団による信徒間の養子縁組の無許可斡旋疑惑が浮上。

・文部科学省の解散命令請求
  2023年10月、文部科学省、旧統一教会が宗教法人から逸脱しているとして、東京地裁に解散命令を請求。


2025年2月19日水曜日

【新宗教・新興宗教解説】ほんみち(創設者・大西愛治郎)

 


ーーーーレジュメーーーー
【新宗教】ほんみち(創設者・大西愛治郎、1881-1958年)

1 基本データ
開教年:1913年
種類:天理教から派生した新宗教
創始者:大西愛治郎(おおにしあいじろう、甘露台)
後継者:大西泰彦(おおにしやすひこ、現・甘露台)        
信徒数:32万人(1996年、新宗教事典)
本部:大阪府高石市羽衣
   泉南市に支部、およびほんみち神殿
法人化年度:(1952年、宗教法人法)

2 大西愛治郎と教団の足跡
1881年、大西愛治郎、奈良県宇陀(うだ)郡宇太(うた)村に生まれる
 奈良師範学校在学中、母の病気を契機に天理教に入信
1900年、退学して単独で布教を開始。
     群馬県安中、山口県で活動。
1913年、啓示により、自身が生神<甘露台(かんろだい)>〉と悟る。
     天理教の教祖中山みきを引き継ぐ者、「甘露台」との自己認識に至り、
     天理研究会を発足(開教)。
     教歌『甘露台古記(かんろだいこうき)を執筆。教祖への復古を主張。
1924年、国家神道と堕した天理教団を批判し、追放される。
1925年、天理研究会を設立。
1928年、教義の解説書『研究資料』を頒布
     天皇の日本統治を否定し、甘露台による神政政治の展開を主張。
     「甘露台世界」の実現を目指す。
     これにより、500名が日本政府により検挙される。
1930年、大西愛治郎、精神異常と見なされて無罪とされる。
1936年、自身の教団を「天理本道」と称する。
1938年、『書信』を配布して再検挙される。教団は解散処分に。
1945年、第2次大戦後に釈放される。
1946年、大阪府羽衣にて教団を再建。
1950年、教団名を「ほんみち本部」に改称。
1952年、教団名を「ほんみち」に改称。
1958年、大西愛治郎、逝去。

3 宗教的営為
・信徒=「みち人」
・教えの習得と実践=「匂いがけ」、個人単位の布教活動
          「ひのきしん」、労働的奉仕
・信徒たちの一致の心を磨く=「心のふしん」
・「お寄り」と呼ばれる家庭集会
・「御席」と呼ばれる教理・教義の修行

4 ネット上の話では…
・中卒で教団施設でエリート教育を受けることが奨励されている
 (元信徒によれば、「強制ではないがプレッシャーを感じた」)
 →共同体性が強いので、コミュニティとして一員に圧はかかる
・泉南市の小学校の何割かは信徒の子息
・避妊は推奨されていないため、多産家庭が多い
 (泉南市の出生率は確かに高く、児童における信徒の子息の割合に影響か)

2025年2月14日金曜日

【新宗教】世界救世教 教祖・岡田茂吉


【新宗教】世界救世教 教祖・岡田茂吉


1 基本データ

創立者:岡田茂吉

創立年:大本を離脱した1935年

    1950年、世界救世教に改称

関連施設:MOA美術館(1957年開館)

     箱根美術館(強羅、1952年開館)


2 岡田茂吉のプロフィール

・東京浅草、露天商の家に誕生

・画家を目指すも10年間結核を患う。卸問屋「岡田商店」を営む

・1920年、「大本」の講演会を機に入信

・大本の教祖、井口(いでぐち)なおの「御筆先」(おふでさき)

 関東大震災の予言的中により、没頭

・神霊学、鎮魂帰神法の修得。

・1931年、乾坤山日本寺(けんこんざんにほんじ)参詣

 「みろくの世」の到来の確信、浄霊法を確立。

・1934年、岡田式神霊指圧療法の開始。大本を脱会。

・1935年、大日本観音会を設立

 医師法違反により検挙。大日本健康協会に改称。

・戦後、日本浄霊療法普及会への改称を経て、日本観音教団を熱海に再建。

・1950年、観音信仰から離れ、「世界救世教」へと改称

 浄霊=手かざし療法=「お光さま」

 大光明如来を創造神の大光明真神(みろくおおみかみ)に改変

・脱税、贈収賄容疑の一方、美術品の収集、自然農法に傾倒


3 岡田茂吉の逝去後の世界救世教

・1955年、岡田茂吉逝去。教団の分裂が進行する。

 1955年 晴明教 木原義彦

 1955年 大本光之道(おおもとひかりのみち) 池内一次

 1956年 救世主教 牧喜之助

・1960年半ば 中央集権化を進めた一方、さらに各会が離脱

 1966年 救世真教(きゅうせいしんきょう) 小野田(おのた)松造

 1970年 神慈秀明会 小山美秀子

 1970年 世界救世教黎明教会 多田光行

 1970年 世界救世教会 中村一郎

 1970年 MC救世神教 後藤英男

・1972年以降 

 みろく神教 石坂隆明 他

 救いの光教団 大沼祐子

・第4代教主岡田陽一と執行部側で係争状態

・2018年以降、第5代教主岡田信之(渡瀬信之)


4 特徴

・美術への傾倒(MOA美術館、箱根美術館)

・自然農法への傾倒

・浄霊 手かざしによる療法、救済

・多数の分派・独立を繰り返すものの、小山美秀子の神慈秀明会、

 岡田光玉(こうたま)由来の真光系教団など、多数の独立教団が誕生


2025年2月11日火曜日

【新宗教】天理教の歴史、教祖中山みき氏の足跡


<関連動画>
【宗教学】新興宗教と新宗教ーー用語上の違い

<再生リスト>
「新宗教・新興宗教」



ーーーーレジュメーーーー

【新宗教】天理教の歴史、教祖中山みきの足跡

 1 基本データ
教祖:中山みき氏(1798‐1887)
立教年:1838年(天保9年)、中山の「神のやしろ」化
種別:習合神道系の新宗教
本部:奈良県天理市

 2 中山みきの足跡
・教祖伝『稿本天理教教祖伝』(こうほんてんりきょうきょうそでん)より。
・中山みき、長男の治療のために修験者を呼ぶ。
 巫女の代理をした中山に「元の神、実の神」という神が降る。
・約20年後、妊婦を救う「お産の神様」として知られるように。
 同時に、他の宗教家たちから迫害を受けるようにもなる。
・さらに20年後、中山みきは、神の意志を伝える「神の社(やしろ)」に。
 神格化された1838年をもって立教の年とされる。
・以来、私財を他者に施して自身は貧しく生きる「貧に落ち切れ」を実践。
・幕末、寺院や神社、山伏等から迫害を受けるようになる。
・1867年に神道家元の吉田家より「天輪王明神」として公認される。
・教義に関する「数え歌」(みかぐらうた」)、
 教義歌『おふでさき』(1869-1884)を執筆。
・明治維新後、入信者が増加。大阪各地に講社が建立。
・他方、政府からの禁圧政策により、18回に及ぶ検挙・勾留を受ける。
・1887年、中山みき、逝去。
 大工出身の飯降(いぶり)伊蔵(1833‐1907年)が「本席」に就任。
・1888年、神道天理教会として公認の一方、明治政府の国家神道体制の監視下に。
 本来の民衆現世宗教と異質な国家神道との融合を迫られた。
・1908年、独立した宗教団体、教派神道の一つとして公認。
・第2次大戦後、信教の自由のもと、教祖時代への回帰「復元」の気運が高まる。
・1970年、教派神道連合会から離脱。

 3  聖典
・『天理教教典』:『おふでさき』『みかぐらうた』
 『おさしづ』みきの晩年の教えと本席の飯降伊蔵の教えを筆録。

 4  教義、実践
・人間は「陽気暮らし」をするように親神(天理王命)に創造されたもの。
 だが、自ら苦悩を招来。救済のため親神が現る。
 人間が創造の秩序「元の理(ことわり)」に回帰するよう、「かぐらづとめ」を教示。
・親神は教祖をやしろとして、世界救済を実施。
・人は自分の心以外の全てを「神の貸しもの」として奉じることで幸福に至る。

 5  「搾取の宗教」
・庶民による積極的な布教活動。
 教祖をモデルに(「貧に落ちきれ」)、一切を布教活動に捧げることが信仰の証。
・これが社会問題化し、「搾取の宗教」と揶揄されるように。

 6  現況
・信徒数:30年前の公称値は190万(自己申告)。現在では減少か。
・分派として「ほんみち」「大道教」「日月(ひつき)教」など。
・戦後、天理教は創価学会のような組織拡大とはならず。
・天理市は天理教由来の名称であり、歴史化しつつある。


2025年2月6日木曜日

【新宗教・新興宗教解説】PL教団(パーフェクトリバティー教団)



ーーーーレジュメーーーー

【新宗教】PL教団(パーフェクトリバティー教団)


1 名称について

PL   = 「パーフェクトリバティ」の頭文字

PL教団 = パーフェクトリバティ教団の略称


2 基本データ

・立教年:1946年9月29日

・崇拝対象:大元霊(みおやおおかみ)

・初代教祖・御木徳一(とくはる)、第3代教祖・御木貴日止(たかひと)

 (第3代は2020年に逝去。以降、第4代の就任告知なし、不在の状態)

・本部・聖地:大阪府富田林市羽曳野丘陵

   ゴルフ場、PL 学園、健康管理センター

・出版物:雑誌『芸術生活』『PLジュニア』、『芸生新聞』

・公称信徒数:118万人 (1996年) →72万人(2012年)

・備考:・日本最大規模の花火大会(8月1日、近年縮小傾向で2020年より休止)

     名称:教祖祭PL花火芸術。御木徳一の晩年の意志を徳近が引き継いで。    

    ・海外布教の展開(特にブラジル)


3 成立の経緯

1916年、御嶽(おんたけ)教大本庁所属の御木徳一(とくはる、1871‐1938年)、

    御嶽教徳光大教会を創設。徳光教(教祖・金田徳光)の影響。

1924-28年、御木徳一と彼の長男・御木徳近(とくちか)、御嶽教からの破門、

    扶桑教に転属し、扶桑教人道徳光教会を創設。(資料により揺れがあり)

1931年、「扶桑教ひとのみち教会」に改称

1936年、徳一の退任に伴い、御木徳近が第2代教祖(おしえおや)に就任。

1937年、政府軍部の圧力により解散させられる

1946年、御木徳近(1900-83)、教団名と教義を変更、

    「パーフェクト・リバティ」として、佐賀県鳥栖に再建

1949年、教団本部を静岡県清水市に移転

1953年、大阪府富田林市に移転、同地を「聖地」とする。

    教祖祭にて最初の花火大会実施。

1955年、PL学園高等学校開校。

1963年、教祖祭花火大会を、「PL花火芸術」に改称。

1974年、「パーフェクト・リバティ教団」に改称  

1983年、御木徳近、逝去。御木貴日止(たかひと)、第3代教祖に就任。

    貴日止:徳近の妻の弟・橋本清太の子

2020年、御木貴日止逝去。2024年末の時点で、第4代の告知なしー事実上教祖不在


4 教義

4-1 教祖(教親「おしえおや」)が代々現れるという思想

 (普通、教祖は最初の一人のみだが)

 金田徳光(徳光教教祖) =幽祖(かくりおや)

 御木徳一  =初代教祖(おしえおや)          

 御木徳近  =第2代教祖(おしえおや)

 御木貴日止 =第3代教祖(おしえおや)


4-2 基本的信仰内容の5ヶ条

 (以下5ヶ条とカギ括弧内は公式HPより引用)

4-2-1 みしらせ・みおしえ

 「苦痛は、心の癖によって起こる」 

 「心癖は“みおしえ”によって教えていただく」


4-2-2 神霊(しんれい・みたま)

・「神に依った自己表現を全うするために、神に通じる道」

・「おしえおやが遂断(しき)ってくださった“神霊(みたま)”を

 礼拝の対象

・新友神霊(あらみたま):PL入会時、まずは祀って信仰する神霊

・教徒神霊:あらみたまの体験後、拝受する神霊

 教徒神霊の3種

  大元霊(みおやおおかみ)

  教神(きょうしん:幽祖、初代教祖、二代教祖のみたま)

  祖霊(それい:それぞれの家の先祖代々のみたま)」 


まとめると →おしえおやから信徒に授けられる神霊を拝受し、

       これに導かれて信仰生活を営む


4-2-3 祖遂断(おやしきり)

・「お・や・し・き・り」という五文字の言葉に、「おしえおやの世界全人類の平和と福祉とを祈念されての命懸けの誠がこめられて」いる。「無限の神恵・功徳」がある。


4-2-4 宝生(ほうしょう)

・教えを広めるための浄財。いわゆるお布施、献金。

 財産への執着を払拭する意味も含む。


4-2-5 解説(かいせつ)

・問題に対する適切なアドバイス。教団内の熟練者を通じて。

「PL会員なら誰でも教会でPL教師や常勤補教師に自分の思いや心に引っかかっていることなどを話し、PLの教えに基づいたアドバイスを受けられます」


4-3 「21ヶ条の処世訓」

・教団の「憲法」的な位置付け。

・教祖が昭和22年に神より授けられたもの。

・「人生は芸術である」「人の一生は自己表現である」

 「自己は神の表現である」など

 *自己中心の視座から、自己、自己と神との関係を説く「生活指導教」

  とも呼ばれる。


 PL処生訓21カ条 全箇条

 1 人生は芸術である。

 2 人の一生は自己表現である。

 3 自己は神の表現である。

 4 表現せざれば悩がある。

 5 感情に走れば自己を失う。

 6 自我無きところに汝がある。

 7 一切は相対と在る。

 8 日の如く明かに生きよ。

 9 人は平等である。

 10 自他を祝福せよ。

 11 一切を神に依れ 。

 12 名に因って 道 が あ る 。

 13 男 性 に は 男 性 の 、 女 性 に は 女 性 の 道 が あ る 。 

 14 世界平和の為の一切である。 

 15 一切は鏡である。

 16 一切は進歩発展する。

 17 中心を把握せよ。

 18 常 に 善 悪 の 岐 路 に 立 つ 。 

 19 悟 る 即 立 つ 。 

 20 物心両全の境に生きよ。

 21 真の自由に生きよ 


5 PL学園

・教団の教えに基づく教育機関として、1955年に創立。

・「人生は芸術である」という理念のもと、世界平和に貢献できる人材育成を標榜。

・幼稚園、小学校、中学校、高等学校、衛生看護専門学校がある。


・野球部休部問題(2016年)

  教祖の逝去から10年を越え、教団と学園の一体性が緩む。

 先輩から後輩への暴力問題(2001年〜2013年、「氷山の一角」)

  全寮制で先輩への絶対服従が伝統であった

 野球経験のない教師が監督に就任(2014年)

 新入部員募集停止(2015年)


6 教団の「聖地」


・正殿

 大本庁神霊を奉安

・初代教祖奥津城(おくつき=神道における墓)

 金田徳光ゆかりの榊の木と、御木徳一が奉祀

・超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔

 1970年落成。高さ180メートル。

・錬成会館

 講義棟、宿泊棟、エントランス棟、ダイニング棟で構成。2009年完成。

2024年11月27日水曜日

 【新宗教・新興宗教解説】真如苑ー伊藤真乗、友司夫妻の足跡と教団の歴史



 【新宗教・新興宗教解説】真如苑ー伊藤真乗、友司夫妻の足跡と教団の歴史


・1990年代をピークに教勢を落としている教団が殆どの中、

 勢力を伸ばしている教団。


1 基本データ

本部:東京都立川市

創始者:伊藤真乗(しんじょう、教主)、伊藤友司(ともじ、霊祖)

後継者:伊藤真聰(しんそう、苑主、旧名真砂子、三女)

    伊藤真玲(しんれい、擁主、旧名志づ子、四女)

信徒数:72万人(『新宗教 教団・人名事典、1996年)

    92万人(宗教年刊、令和6年版)

法人化:戦前の宗教団体法では、真言宗醍醐派に所属。 

    宗教法人法では、昭和28年に認証。


2 伊藤真乗氏の生い立ちと、教団の歴史

1906年、伊藤真乗、伊藤文二郎・よしえの次男として生まれる。

     山梨県巨摩郡

    幼い頃より、父から易学を教えられる。

1923年、上京し、叔父の養子となるも家を出て、

     翌年より正則英語学校にて学ぶ。

1927年、近衛飛行第五連隊に入隊。翌年、除隊。

1928年、石川島航空機技術部に入社。

1932年、またいとこの友司と結婚。縁繋ぎは伯母の油井玉恵。

     友司は祖母の内田きんと油井玉恵と除霊経験あり

    真乗、仕事の傍ら、易学で知人を鑑定。

    仏教を学び、真言密教を学び始める。

1935年、自宅に不動明王を祭祀。

1936年、1ヶ月の寒三十日の修行を実施。

    妻友司、伯母の油井玉恵より霊能力を授かる。

1936年、立教を決意し、自宅で「立照閣」を開設。

    この年が真如苑の創立の年となる。

    立教に際して、友司の促しも大きかったという。

1936年、長男、死去。夫妻で高尾山にて修行。

1938年、立川に真澄寺(しんちょうじ)建立。

    「真言宗醍醐派立川不動尊教会」設立。

1939年、醍醐寺にて出家修行。

    恵印灌頂(えいんかんぢょう)を受法。

1941年、金胎両部伝法灌頂(こんたいりょうぶでんぽうかんじょ

     う)を受法、大阿闍梨(だいあじゃり)とされる。

1948年、真言宗醍醐寺から独立し、「まこと教団」を設立。

    「まこと基礎行」を実践。

1948年、「まこと教団事件」発生。

    伊藤真乗を傷害、詐欺、横領の容疑で逮捕

(参考、NHKアーカイブスhttps://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009183007_00000)←メディア側が差別的にも感じる

1951年、「真如苑」に改称。

    伊藤真乗・教主、伊藤友司・苑主の体制に。

    この頃、実子二人が死去したことを契機に、

    霊能者が相対して指導する「接心修行」を開始。

    接心修行の指導と確立に際して、友司の影響が大きい。


 *真如苑における「霊能」の位置付け

   初代霊能 祖母内田きん

   二代霊能 伯母油井玉恵

   三代霊能 伊藤友司

  

1967年、ローマ法王と会見。

    帰国後、伊藤友司(55歳)、逝去。

1968年、立川に総本部落成。海外展開を開始。

1989年、伊藤真乗、逝去

    三女伊藤真聰、苑主を継承。四女伊藤真玲が補佐に。

1992年、伊藤真聰、真言宗醍醐派総本山醍醐寺より大僧正を、

     伊藤真玲には、権大僧正(ごんのだいそうじょう)

     を授与される。 (「権」は次という意味。大僧正の次位)

2023年7月31日月曜日

幸福の科学

 

ーーーレジュメーーー

幸福の科学

 大川隆法を教祖として、1986年に創設された宗教団体。本部は元々杉並区にあったが、千代田区紀尾井町を経て、現在は品川区東五反田にある。

 キリストやブッダを導いた至高神エル・カンターレを本尊とし、教祖大川隆法がそのエル・カンターレ自身であるという教義を持つ。根本教典『正心法語』(しょうしんほうご)。


 大川隆法氏について

 本名、中川隆。配偶者:大川きょう子(1988-2012)、大川紫央(2012より現在)

1956年7月7日、徳島県に生まれる。父・中川忠義、母・君子。4歳上の兄を持つ。

 父の忠義は、10代後半、矢内原忠雄門下の無教会主義教会でキリスト教を学び、「生長の家」で谷口雅春の唯神実相哲学を学んだ。

 一年浪人の末、東京大学法学部に入学。司法試験、国家公務員上級試験、共に不合格。卒業後、総合商社トーメンに就職。東京本社、外国為替部門に配属。

 1986年、30歳の時「幸福の科学」創設を決意。それまで、既に亡くなった歴史上の宗教家や偉人の声を聞いて語る「霊言」を多数著して創設の準備をしていた。

 「幸福の科学」における大川隆法は、地球系霊団の至高神であり、仏教、キリスト教、イスラム教を導いた「エル・カンターレ」と呼称される至高存在とされる。

 1986年、根本教典『正心法語』を刊行。

 1987年、『太陽の法』(世界観、人間観について論述)を刊行。

 他、『太陽の法』と併せ、『黄金の法』『永遠の法』という「救世の法三部作」を著す。


 「幸福の科学」の歩み

 「幸福の科学」は創立当初、さして勧誘をしなかったという。戸別訪問もしていない。むしろ、ハードルを設け、「入会試験制度」を導入し、入会希望者は大川隆法の著作を10冊以上読むことが必須条件とされた。また、年に一度、「全国仏法真理学検定試験」が実施され、習熟度が試されていた。エリート、インテリ層の入会者が多かったという。

 後、入会条件を緩和する制度「誌友会員」(「幸福の科学」関連書物を読むことで準会員になれる)を導入。

 1990年、「サンライズ’90」計画発動。「学習団体」から「伝道団体」へ転換。現在は、希望のみで入会可能。

 入会後、『入会版「正心法語」』が授与され、1000円を奉納する。

 1991年、宗教法人となる。

 2009時の信徒数は 約1,100万。但し、 根本経典『正心法語』累計発行部数が公称値とされている。


 幸福の科学学園

 2010年、栃木県那須郡に、「幸福の科学学園中学高等学校」を開校。2015年の卒業生は100名。卒業先については、東京大学、京都大学に4名。東京工業大学、お茶の水女子大学、神戸大学等の国公立に16名。防衛医大1名。早稲田3名、慶応1名、明治大学10名、同志社5名等。


 幸福実現党

 「幸福の科学」によって結成された政党。2009年発足。立党の指針は、大川隆法著『幸福実現党宣言』。結成当時の党首は饗庭直道。2013年より、釈量子が党首を務める。


 『フライデー』事件

 1991年、講談社『フライデー』の記事に虚偽があるとして同社を提訴。作家の故・景山民夫氏が「講談社フライデー全国被害者の会」の会長となり、小川知子氏と共に、損害賠償を請求した。


 「幸福の科学大学」創設計画

於:千葉県長生村。200人収容の大講義室。60の教室。500人の食堂、寮を完備する4階建ての校舎を建築。

学部:「人間幸福学部」「経営成功学部」「未来産業学部」

・2015年開校を目指していた。

・2014年10月、文科省の大学設置審議会「不可」と判断。理由1.霊言を根拠とした教育内容は学問として認められない。2.霊言は科学的合理性が欠如。3.実証可能性に疑義あり。

・下村博文文科大臣宛に書簡:「下村博文守護霊の霊言パート2」→設置可否の判断に心理的圧力と妨害を行っていると文科省側は判断。

大川隆法著『文部科学大臣下村博文守護霊インタビュー』、幸福の科学出版。

・幸福の科学側:不認可の撤回を求める。

・文科省側:2014年10月から2019年10月まで、大学と短大の設置を認めない処分を通達。HSU側:2019年10月15日、大学認可を再申請。

・私塾「ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ」(HSU)を2015年に開学。定員240名、260名で開始。信者の子息で東大理科一類に合格しながらHSUに入学した学生も。

 その後、文科省に大学として認可申請をしたものの、文科省側は「霊言」を学術的とは見なし難いとして難色。是非の答申は2020年11月に明らかとなる予定だったが、同年7月に幸福の科学側が認可申請を取り下げた。理由は、本学独自の教育が困難になるからであったという。