2025年6月25日水曜日

【新宗教・新興宗教解説】大本(大本教、おおもと/おほもと) ーPL、世界救世教の岡田茂吉、崇教真光、生長の家などに影響を与えた教団


 

 1 基本データ

分類:神道系の新宗教
創立年:1892年
創始者:出口なお(でぐちなお、1837年(天保7年)-1918。
    指導者:出口王仁三郎(1871–1948)
後継者:
第2代教主 出口すみこ(大正7年ー昭和27年)
第3代教主 出口直日(なおひ、昭和27年ー平成2年)
第4代教主 出口聖子(きよこ、平成2年ー)
本部:京都府綾部、京都府亀岡、東京都台東区
信徒数:17万人(1996年)
名称の変遷:
 1899年 金明会(きんめいかい)
 1899年 金明霊学会
 1908年 大成教直轄 直霊教会(ちょくれいきょうかい)
 1908年 大日本修斎会(しゅうさいかい)
 1913年 大本教(たいほんきょう)
 1916年 皇道大本(おおもと)
 1921年 大本
 1933年 皇道大本
 1946年 愛善苑
 1949年 大本愛善苑
 1952年 大本

 2 出口なおの生い立ちと、教団の歩み
1837年 京都大工の長女として生まれる。
  • 後に出口家の養女となり、夫を婿に迎える。
  • 夫の散財により生活苦を経験。

1890年 三女が精神を病む。
  • 金光教の布教師により癒されたことを契機に金光教に入信。しかし、次いで長女が精神異常に。

1892年1月 出口なおに神が降る
  • 「三千世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神の世になりたぞよ」と叫び、世直しを決意。病の治癒を通して活動を展開。
  • 大本教の教義の根幹となる筆先を執筆。

⁠1894年 出口なお、金光教の布教師となり、⁠離脱して独立。
  • 1899年 金明会(きんめいかい)を設立。
  • ⁠大本教の原モデル誕生。

1898年 出口なおと、上田喜三郎との出会い
  • 稲荷講社で霊学などの行法を習得した後の出口王仁三郎(おにさぶろう)と、京都・綾部で出会う。

1899年 出口王仁三郎、稲荷講社に所属する分会として金明霊学会を設立
  • 非公認ゆえに弾圧されていた大本教を守る。

1900年 上田喜三郎、なおの後継者五女すみこと結婚。
  • ⁠出口王仁三郎と名を改める。
  • 出口なおの神がかりと予言の御筆先、そして出口王仁三郎の霊学の合体神学

1908年 大日本修斎会を設立。布教活動の本格化

1913年 大本教(たいほんきょう)に改称。

1916年 皇道大本に改称。

1918年 出口なお、逝去
  • 指導者に王仁三郎、教主に五女すみが就任。教義を組織化する力のあった出口王仁三郎とすみによって、鎮魂帰神法が提唱された。
  • 「立替え立直しの時期切迫」の宣伝により、終末運動が社会問題化。社会批判が高まる。
  • 立替え、立直し=既存の世の中を根底から壊し、再創造させようという運動

1919−20年 教勢拡大。
  • 台湾政府より布教禁止措置。
  • 脱退、分派の動きも高まる。

1919年 大本『大正日々新聞』を買収。
  • 一時は毎日、読売を凌ぐ発行部数。

1921年 出口王仁三郎と新聞社幹部が検挙される。

1921年 第1次大本事件
  • 不敬罪、新聞紙法違反の容疑で、大本本部が家宅捜査される。
  • 立替え、鎮魂帰神中心の位置付けを変更。日本主義的傾向から、人類主義的方向へ転換。
  • 教団名称から「皇道」を除き「大本」に変更。

1925年 世界同胞主義の人類愛善苑を発足。
本部を綾部から亀岡へ移転。

1927年 不敬罪などに対して、大赦が下りる。

1931年 満州事変勃発。再び日本国家寄りに改組統一するも、政府系の監視が続く。

1934年 政治活動を主体とした昭和神聖会を発足。
  • 統管:出口王仁三郎、副統管:内田良平

1935年 第2次大本事件勃発。
  • 不敬罪による弾圧を受け、解散させられた。綾部と亀岡の施設がダイナマイトで爆破された。全組織解体、全幹部拘束。出版物発禁。昭和神聖会を含め8団体が起訴。

1946年 終戦後に大赦令が公布され、弾圧、刑事処分が解除される。
  • 教団は愛善苑として再発足。
  • 世界的平和主義に取り組む。

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