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2026年10月2日金曜日

アンティオキアのイグナティオス ──「使徒教父」、「殉教死」、最初の「公同の教会」提唱、「イグナティオスの手紙」(真正書簡7通)

 

アンティオキアのイグナティオス

キリスト教史解説 レジュメ 使徒教父/殉教/「公同の教会」/イグナティオスの手紙(真正書簡7通)


0. 本講の要点

イグナティオスが重要なのは、2世紀はじめの教会において、次の三つがどう結びついていたかを示しているからです。

  1. 司教を中心とする教会の一致
  2. 「公同の教会」という教会理解
  3. キリストが本当に人となり、苦しみ、復活したという信仰

1. 人物

  • 使徒教父の一人(使徒教父=使徒直後の時代、1世紀末〜2世紀前半に活躍した教会指導者)
  • シリアのアンティオキアの司教(アンティオキアは初期キリスト教の中心地の一つ)
  • 伝承:トラヤヌス帝(在位98〜117)の治下に捕らえられ、ローマへ護送され、野獣刑により殉教
    • ただし、殉教の場所・方法を確証する同時代史料はない
  • 殉教年:伝統的には107年ごろ。110〜117年ごろとする説もあり、確定できない

2. 七つの書簡

護送の途上、各地の教会とスミルナ司教ポリュカルポスにあてて、ギリシア語で執筆しました。

執筆地宛先備考
スミルナエフェソ教会宛て
スミルナマグネシア教会宛て
スミルナトラレス教会宛て
スミルナローマ教会宛て。ローマの司教に言及なし
トロアスフィラデルフィア教会宛て
トロアススミルナ教会宛て。「公同の教会」(8.2)
トロアスポリュカルポス唯一の個人宛て

伝承形態(三つの版)

  • 中間版:7通。真正性が広く認められている
  • 長大版:後代の加筆や偽書簡を含む
  • シリア語版(短縮版):3通を短縮したもの

成立年代をめぐる諸説

  • 伝統的見解:トラヤヌス帝期
  • 異説:ハドリアヌス帝期、または140年代

3. 司教を中心とする教会

  • 司教・長老・執事の三職を明確に区別
  • 一人の司教を中心とする一致を繰り返し説く(単独司教制/単独監督制)
  • 『スミルナ』8章:司教なしに、教会に関わることを何も行ってはならない

留意点:制度は一様ではなかった

  • 単独司教制がはっきり意識されていたのは、2世紀はじめの一部の地域
  • 『ローマの信徒への手紙』だけは、ローマの司教にまったく触れていない
  • イグナティオスの関心の中心は、制度そのものよりも分裂を避け、教会が一つであること

4. 「公同の教会」

  • katholikē ekklēsia(カトリケー・エクレーシア)
  • 『スミルナ』8.2の趣旨:司教が現れるところに会衆がいるように、イエス・キリストがおられるところに公同の教会がある
    • 司教と「公同の教会」が一つの文の中で並べられている
  • 「カトリケー」=「普遍的な」「全体的な」
    • 現在の「ローマ・カトリック教会」という教派名と同じ意味ではない
  • 現存資料で最も早い用例
  • 個々の地域教会を越えた、キリストを中心とする一つの普遍的教会という理解

その他の初期用例

  • 「キリスト教」Christianismos の最初期の用例
  • 聖餐を eucharistia と呼ぶ初期の重要な証言(同時期ないし先行する可能性のある『ディダケー』にも用例あり)

5. 仮現説への反論

  • 主張:キリストは本当に肉体を持って生まれ、苦しみ、十字架で死に、復活した
  • 同時に、キリストの神性も強調
  • 論敵:キリストの受肉・受難の現実性を認めない人々
    • イグナティオスによる要約:キリストは「苦しんだように見えただけ」
  • ギリシア語 dokein(ドケイン、「見える」)→ 後に**仮現説(ドケティズム)**と呼ばれる

なぜ重大か

  • 受肉が現実でなければ、十字架・死・復活・聖餐の意味が根本から揺らぐ
  • なお、ユダヤ教の慣習にこだわる人々も批判しており、向き合った問題は一つではない

6. 三つは一つ ― キリスト論・聖餐・教会の一致

  • 正しいキリスト理解、聖餐、教会の一致は、別々の問題ではない
  • 『スミルナ』7章:仮現説の人々は聖餐から離れている(聖餐を「救い主の肉」と告白しないため)
  • 論理の流れ
キリストは本当に肉体を持った
        ↓
聖餐はその死と復活に結びつく現実の意味を持つ
        ↓
そのキリストを信じる共同体は、分裂せず一つである
        ↓
その一致の中心としての司教

7. 殉教への旅

  • 七書簡は、殉教へ向かう旅の途中で書かれた
  • 自分の死を敗北ではなく、キリストの苦しみにあずかることとして受け止める
  • 『ローマ』4章:自分は「神の麦」。獣の歯に砕かれて、キリストの清いパンとなる
  • 七書簡は教会制度の論文ではなく、死を前にした一人の司教の証言

8. まとめ

  1. イグナティオスは2世紀はじめのアンティオキアの司教で、ローマへの護送の途中に七つの書簡を残した
  2. 司教を中心とする教会の一致を強く説いた
  3. 現存資料で最も早い「公同の教会」の語が登場し、同時にキリストの現実の受肉・受難・復活が強く主張されている

後のキリスト教史につながる三つの問い

  • 教会とは何か
  • キリストとは誰なのか
  • 教会は、どのようにして一つであるのか

用語集

用語原語意味
使徒教父—使徒直後の時代(1世紀末〜2世紀前半)の教会指導者
公同の教会katholikē ekklēsia普遍的・全体的な教会
キリスト教Christianismosイグナティオスに最初期の用例
聖餐eucharistia「感謝」に由来する聖餐の呼称
仮現説dokein(見える)に由来キリストの受肉・受難を見せかけとする考え方
単独司教制—各地域教会に一人の司教を置く体制

【キリスト教史解説】再洗礼派の光と影──過激派ミュンスターの狂気から非暴力メノー派まで

 

再洗礼派(英: Anabaptists、独: Wiedertäufer / Täufer)

【要約】

宗教改革期に現れた急進派のうち、幼児洗礼を無効とし、信仰告白に基づく洗礼(信仰者洗礼・成人洗礼)を行った諸集団の総称。スイス兄弟団、H. フートに始まる南ドイツ・オーストリア系、フーター派、メルヒオル派、ミュンスター再洗礼派、メノー派などが含まれる。これらは幼児洗礼の否定と国家教会体制からの分離という点で共通するが、発生地・教理・組織形態を異にし、相互に影響し合うと同時にしばしば対立した。宣誓・兵役・剣の行使を拒む平和主義的潮流と、熱狂的終末論や武力行使に向かう潮流の双方を含み、フーター派では財産共有が制度化された。カトリック・プロテスタント双方から激しい迫害を受けたが、その系譜はメノナイト、アーミッシュ、フーター派として今日まで存続している。

【本文】

名称

「再洗礼派」(Wiedertäufer/Anabaptist)は、一度限りであるべき洗礼を二度授ける者という意味で、反対派が用いた他称・蔑称である。この呼称は単なる蔑称にとどまらず法的な意味をもった。古代末期のローマ法(テオドシウス法典・ユスティニアヌス法典)はドナトゥス派対策として再洗礼を死罪と定めており、1529年のシュパイアー帝国議会の勅令がこれを援用して、再洗礼を帝国全土で死刑に値する犯罪としたためである。当事者たちは自らを「兄弟」あるいは「洗礼派」(Täufer、蘭 Doopsgezinden)と呼び、幼児洗礼はそもそも洗礼ではない以上、自分たちの洗礼は「再」洗礼ではないと主張した。現在のドイツ語圏の研究では中立的な Täufer が標準的な呼称である。

発生と多元性

かつては、チューリヒのスイス兄弟団を唯一の源流とし、そこから各地へ伝播したとする単一発生説(H. S. ベンダーら)が有力であった。しかし1975年の J. M. ステイヤー、W. O. パックル、K. デッパーマンの論文以降、①スイス、②南ドイツ・オーストリア、③オランダ・北ドイツという少なくとも三つの発生源を認める多元発生説が通説となっている。各潮流は、聖書主義、終末論、神秘主義、農民戦争後の社会的不満など、異なる要素の配合の上に成立した。ただし各派はまったく孤立していたわけではなく、とくにモラヴィアや南ドイツでは指導者の移動を通じて接触・融合・対立が繰り返された。
以下、主要な諸派を挙げる。

スイス兄弟団

ツヴィングリ(Huldrych Zwingli, 1484–1531)によるチューリヒの改革の途上で生まれた集団。指導者のグレーベル(Konrad Grebel, c. 1498–1526)、マンツ(Felix Manz, c. 1498–1527)らは当初ツヴィングリの熱心な協力者であったが、市参事会と協調し、その同意なしには改革を進めようとしない彼の姿勢に失望して離反した。1525年1月21日、マンツの家での集会でグレーベルがブラウロック(Georg Blaurock, c. 1492–1529)に洗礼を授け、ブラウロックが他の者に授洗したのが、再洗礼派の最初の信仰者洗礼とされる。
初期の運動内部には立場の幅があった。ヴァルツフート、のちモラヴィアのニコルスブルクで活動したフープマイヤー(Balthasar Hubmaier, c. 1480–1528)のように、為政者の権威と剣の行使を容認し、都市・領邦単位での洗礼派的教会形成を構想する者もおり(『剣について』1527年)、またドイツ農民戦争と接触して武力行使を肯定する者もいた。しかし1525年以降、チューリヒをはじめ各地で弾圧が本格化するなかで、分離主義・非暴力の路線が明確になる。その表明が、1527年2月24日にシャフハウゼン近郊のシュライトハイムで採択された「シュライトハイム信仰告白」(兄弟の一致 Brüderliche Vereinigung)である。ザトラー(Michael Sattler, c. 1490–1527)の起草とされる七箇条は、信仰者洗礼・戒規(破門)・パン裂き・世からの分離・牧者・剣の否定・宣誓の拒否を定め、公職就任や兵役を含む暴力行使を拒む徹底した平和主義と、世俗社会からの決定的な分離を特徴とする。ザトラー自身は同年5月、ロッテンブルクで処刑された。
弾圧は苛烈であった。マンツは1527年1月5日、チューリヒのリマト川で溺死刑に処され、プロテスタント当局に処刑された最初の再洗礼派となった(グレーベルは1526年にペストで死去)。それでも同団は消滅せず、スイス・アルザス・南ドイツで潜行して存続し、1693年のアマン(Jakob Ammann)による分裂を経てアーミッシュを生み、他はスイス・南ドイツ系メノナイトとして現在に至る。

南ドイツ・オーストリア系(H. フートの流れ)

ドイツ農民戦争(1524–25)に敗れた民衆の絶望的な心理状況を土壌として、フート(Hans Hut, c. 1490–1527)が南ドイツ・中部ドイツからオーストリア、モラヴィアにかけて熱烈な伝道を行い、多数の者に洗礼を授けた。フートを介してミュンツァーの神秘主義思想と急進的な終末論を受け継いだこの流れは、聖書主義的・分離主義的なスイス兄弟団とは性格を大きく異にする。フートは1528年の聖霊降臨祭に終末が到来すると予告したが、1527年12月、アウクスブルクの獄中で火災により死亡した(遺体はのちに焼かれた)。予言の不成就と指導者の死、各地の弾圧によって運動の一部は解体し、他は変質して、その多くがモラヴィアの諸集団に吸収され、のちのフーター派形成の一要素となった。

フーター派

プロテスタント・カトリック双方の当局から迫害された再洗礼派の多くは、比較的寛容な領主のもとにあったモラヴィア(現チェコ東部)に避難し、一時的ながら安全を得た。同地にはフープマイヤー系、フート系、スイス兄弟団系など諸潮流が集まり、互いに対立しつつ影響し合って新たな派を生んだ。財産共有の実践は、1528年にニコルスブルクからアウステルリッツへ移った一団(ヴィーデマン Jakob Wiedemann ら)に始まるが、チロル出身のフーター(Jakob Hutter, c. 1500–1536)が1533年にモラヴィアの諸集会を統合し、使徒行伝に範をとる財産共有と共同生活(ブルーダーホーフ)を制度として確立した。フーター自身は1535年に逮捕され、1536年2月25日、インスブルックで火刑に処された。
同派は思想的にはフート的要素とスイス兄弟団的要素を併せもつ折衷的な性格をもつが、平和主義を徹底し、リーデマン(Peter Riedemann, 1506–1556)の『信仰告白』(1540/45年)によって教理的基盤を得た。ヴァルポット(Peter Walpot)の指導期を中心とする16世紀後半には「黄金時代」を迎え、モラヴィアの他の再洗礼派諸派が途絶えた後も存続した。その後、迫害によってハンガリー(トランシルヴァニア)、ワラキア、ウクライナへと移動を重ね、1870年代に北米へ移住した。2024年の調査では北米に544のコロニー、約5万8千人を数え、その約7割がカナダに居住する。

メルヒオル派

毛皮職人出身の遍歴説教者ホフマン(Melchior Hoffman, c. 1495–1543)に始まる集団。当初ルター派の信徒説教者であったホフマンは、1530年頃から再洗礼派に転じ、帝国自由都市ストラスブール(現フランス、アルザス地方)を拠点として、東フリースラントとネーデルラントを中心に北ヨーロッパで大きな影響力をもった。彼は終末の切迫、その前に起こる迫害、敬虔な都市当局による神の敵の排除、そして神の国の樹立という黙示録的預言を説き、ストラスブールこそ「新しいエルサレム」であり1533年に主が再臨すると予告した。預言は成就せず、ホフマンは同年ストラスブールで投獄され、10年後に獄中で没した。彼のキリスト論(キリストの「天的肉体」論)と終末論は、オランダの平和主義的メルヒオル派と、次に述べるミュンスター再洗礼派の双方に受け継がれた。

ミュンスター再洗礼派

メルヒオル派の急進的一派が、1534年から35年にかけて北西ドイツの司教都市ミュンスターを掌握し、同市を「新しいエルサレム」と宣言して千年王国の実現を図った運動。ヤン・マティス(Jan Matthys)、続いてヤン・ファン・レイデン(Jan van Leiden)の指導下で、財産共有、一夫多妻制、王権の樹立へと急進化したが、司教軍の包囲の末、1535年6月に陥落し、指導者たちは翌1536年1月に処刑された。この事件は再洗礼派全体に「反乱者」の烙印を押し、以後の迫害を決定的に強めた点で、運動史上の分水嶺となった。

メノー派(メノナイト)

ミュンスター陥落後、分散し混乱したメルヒオル派の平和主義的残存勢力を再編したのが、フリースラントのカトリック司祭メノー・シモンズ(Menno Simons, 1496–1561)である。メノーは以前から実体変化と幼児洗礼に疑問を抱いていたが、1535年のオルデクロースター事件(ミュンスター派に共鳴した一団の武装蜂起で、彼の弟とされるペーテルも死亡)に衝撃を受け、1536年1月に司祭職を放棄した。非暴力的なメルヒオル派の指導者オッベ・フィリップス(Obbe Philips)、ディルク・フィリップス(Dirk Philips)に合流し、1537年頃に長老として按手を受けた。彼自身はミュンスター派に属したことはなく、その武力行使を明確に否定する立場から諸集会をまとめ、聖書に基づく非暴力・分離主義の路線を確立した点に歴史的意義がある。メノー派はスイス兄弟団と多くの共通点をもつが、その直接の後継者ではない。同派はオランダ・北ドイツからプロイセン、ロシアを経て南北アメリカへと広がった。
メノナイト諸教会は、信仰者洗礼、非暴力(無抵抗主義)と信徒共同体の相互扶助を特徴とし、伝統的に宣誓と兵役を拒否してきた。メノナイト世界会議の集計によれば、16世紀再洗礼派に連なる諸教会(アーミッシュ等を含む)の受洗信徒は世界87か国に約203万人を数え、地域別ではアフリカが45%で最大、北米が29%を占める。なお、アーミッシュの人口は子どもを含めて北米で約41万人に達している(2025年推計)。

【関連項目】

ツヴィングリ/宗教改革左派(急進的宗教改革)/ドイツ農民戦争/トマス・ミュンツァー/シュライトハイム信仰告白/ミュンスター再洗礼派/メノナイト/アーミッシュ/フーター派/平和主義

【主要文献】

  • Global Anabaptist Mennonite Encyclopedia Online (GAMEO)
  • J. M. Stayer, W. O. Packull, K. Deppermann, "From Monogenesis to Polygenesis: The Historical Discussion of Anabaptist Origins," Mennonite Quarterly Review 49 (1975)
  • G. H. Williams, The Radical Reformation, 3rd ed., 1992
  • C. Arnold Snyder, Anabaptist History and Theology: An Introduction, 1995
  • 田中真造「再洗礼派」『世界大百科事典』(平凡社)

1-2-1 キリスト教史解説(教会史)

アンティオキアのイグナティオス ──「使徒教父」、「殉教死」、最初の「公同の教会」提唱、「イグナティオスの手紙」(真正書簡7通)


第1ニカイア公会議と「原ニカイア信条」(325年)


 再洗礼派の光と影──過激派ミュンスターの狂気から非暴力メノー派まで

2026年9月30日水曜日

【キリスト教史解説】マルティン・ブツァー──ストラスブールの宗教改革者;ルターとカルヴァンを架橋した「融和の神学者」

 


要約

 シュトラスブール(ストラスブール)の宗教改革者。Bucer とも綴る。ドミニコ会士としてハイデルベルクで学ぶ中、エラスムスの人文主義とルターの教説に触れてプロテスタントに転じ、1523年よりシュトラスブールの教会改革に尽力した。教会規律・学校教育の整備を通じて南ドイツからフランスにまで影響を及ぼし、亡命中のカルヴァンを庇護して、その後の改革派教会形成にも影響を与えた。1548年のアウクスブルク仮信条協定に反対したためイギリスに亡命し、ケンブリッジ大学教授として、エドワード6世治下の英国教会改革に貢献した。


本文

 南部エルザスのシュレットシュタット(セレスタ)に生まれる。1506年(1507年とする説もある)、ドミニコ会に入会し、ハイデルベルクの同会修道院で神学を学ぶ。1517年にはハイデルベルク大学に籍を置き、翌1518年のハイデルベルク討論でルター本人と出会う。もとよりエラスムスの人文主義に傾倒していたブツァーは、この出会いを機にルターの教説に共鳴し、まもなくプロテスタントに転向した。

 1523年、ジッキンゲンの騎士戦争の敗北と破門を機にシュトラスブールへ逃れ、同地の宗教改革に参与。マタイス・ツェル、ヴォルフガング・カピト、カスパル・ヘディオらと共に教会規律の整備にあたる一方、聖餐論をめぐるルターとツヴィングリの対立の調停に努めるなど、教会全体が抗争状態になることを好まず、融和的・妥協的立場をとることが多かった(1529年マールブルク会談、1536年ヴィッテンベルク協約など)。この時期、宗教改革を教会制度の刷新にとどめず国家や学校教育の改革にも及ぼそうとし、ヨハネス・シュトゥルムと共にシュトラスブール・ギムナジウムの設立に関わるなど、その指導的立場は1530年の四都市信仰告白を通じ南ドイツからフランスにまで及んだ。1538年にはジュネーブを追われたカルヴァンをシュトラスブールに招いて庇護し、後年のジュネーブにおける改革派的教会形成の多くは、このシュトラスブール時代にカルヴァンが得た経験に由来するとされる。

 1548年、アウクスブルク仮信条協定に反対の意を示す(一時は圧力下で署名させられたが、帰郷後もカトリック儀礼への抵抗を続けた)。これにより身の置き所を失ったところへ、イングランド国教会大主教トマス・クランマーの招きもあり、1549年にイギリスへ亡命。ケンブリッジ大学の欽定神学教授(Regius Professor of Divinity)に任ぜられ、エドワード6世治下におけるイングランド教会改革(祈祷書改訂など)に尽力した。同地で『キリスト王国論』(De Regno Christi、1550年起草、没後1557年バーゼル刊)を執筆したほか、『真の魂の配慮について』(牧者論、1538年)をはじめ多数の聖書注解を残し、1551年ケンブリッジで没した。

【キリスト教史解説】スイス・チューリヒの宗教改革者ツヴィングリ

 

ーーーレジュメーーー
【キリスト教史解説】スイス・チューリヒの宗教改革者ツヴィングリ

[生] 1484年1月1日 ザンクト・ガレン州トッゲンブルク地方ヴィルトハウス
[没] 1531年10月11日 カッペル(第2次カッペルの戦いで戦死)

 スイス宗教改革の指導者。改革派系の人文主義的な宗教改革者の一人として数えられる。
 地元の有力な農家に生まれ、ベルンで人文主義者ハインリヒ・ヴェルフリン(通称ルプルス)に古典を学んだのち、ウィーン大学、バーゼル大学で人文学・哲学・神学を修めた。バーゼル在学中はエラスムス流の聖書中心的人文主義に強く影響を受け、後年エラスムス本人とも文通した。

 ハインリヒ・ヴェルフリン(Heinrich Wölflin, 1470頃–1534頃)は、ラテン名をHeinrich Lupulus(ルプルス)といい、スイスの人文主義者です。「Wölflin(小さな狼)」をラテン語化したものが Lupulus です。彼はベルンを中心に活動し、若きフルドリヒ・ツヴィングリに古典語・古典文学を教えました。ツヴィングリが後に聖書原典、とりわけギリシア語新約聖書を重視するようになる背景には、こうしたルネサンス人文主義の教育がありました。

 1506年、グラールスの教区司祭に叙任され、その後1516年から巡礼地アインジーデルンの司牧司祭を務める。1519年1月、チューリヒのグロースミュンスター(大聖堂)の司牧司祭に就任し、聖書の逐語的講解説教を開始した。同年ペストに罹患して瀕死の重病を経験し、これを機に改革運動への専心を強めたとされる。

アインジーデルン(Einsiedeln)はスイス中部の有名な巡礼地で、ベネディクト会修道院を中心に発展しました。ツヴィングリは1516年から1518年までアインジーデルンで司祭として活動しました。この時期、エラスムスの人文主義から強い影響を受け、新約聖書のギリシア語本文を研究しています。また、多くの巡礼者と接するなかで、巡礼や聖人崇敬など当時の教会の信仰実践に対する批判的視点も形成されていきました。そのためアインジーデルン時代は、1519年にチューリヒへ移って本格的な宗教改革を始める直前の思想形成期として重要です。


 1523年、チューリヒ市当局主催の公開討論会(チューリヒ討論)を経て、市と教会の新教化に成功。これはその後のスイス諸都市・州における改革運動のモデルとなった。以後、新教化する都市・州が相次ぎ、1527年にはチューリヒとコンスタンツの間で「キリスト教市民同盟(Christliches Burgrecht)」が結ばれ、1528年頃までにベルンなど他都市も加わり拡大した。

 スイスの新教同盟とドイツのルター派との協調の必要性を認識していたが、聖餐(聖体)の理解をめぐりルターと対立。ツヴィングリは聖餐を象徴的な記念行為とみなす立場(象徴説)を取り、実体的な現臨を説くルターとは相容れなかった。1529年のマールブルク会談、1530年のアウクスブルク国会でも和解には至らず、チューリヒは政治的・宗教的に孤立を深めた。

1530年のアウクスブルク国会

神聖ローマ皇帝カール5世が、帝国内の宗教的分裂を収拾するために招集した帝国議会。メランヒトンが起草した「アウクスブルク信仰告白」がルター派諸侯・都市によって提出され、ルター派の教義的基盤を確立する文書となった。一方、ツヴィングリ派に近い立場をとる南ドイツの都市(ストラスブルクなど)は、これとは別に「四都市信仰告白(テトラポリターナ信仰告白)」を提出し、ルター派とツヴィングリ派の神学的立場の相違が表面化。皇帝側はこれらの告白を拒絶し、プロテスタント側にカトリック信仰への回帰を求めたため、対立はむしろ先鋭化した。

 こうした緊張の中、カトリック側の森林諸州との間で1531年に第2次カッペルの戦いが勃発。ツヴィングリは従軍司祭として同行し、戦闘の中で命を落とした。

1531年の第2次カッペルの戦い

アウクスブルク国会での対立を経て、宗教改革を受け入れたチューリヒなど都市部のプロテスタント諸邦と、旧来のカトリック信仰を維持した「森林諸州(ウリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンなど)」との緊張が高まり、武力衝突に至った戦い。チューリヒ軍は準備不足のまま出陣し、カッペル・アム・アルビスで森林諸州側に敗北した。この戦闘でツヴィングリ自身が従軍牧師として同行しており、戦死している。この敗北により、スイス国内における改革派の拡大は停滞し、スイス各邦がそれぞれの信仰を選択する体制(邦ごとの信仰の自由)が固定化されることになった。

 人文主義の影響を色濃く受けつつ、聖書のみを信仰と実践の規範とする厳格な聖書中心主義(聖書主義)を貫いた点に思想的特徴がある。その改革は宗教儀礼の刷新にとどまらず、都市の道徳・社会秩序の再編にも及び、後のカルヴァンによるジュネーヴ改革にも道を開いたとされる。

2026年8月26日水曜日

第二スイス信仰告白 日本語訳

 

第二スイス信仰告白 日本語訳 

第二スイス信仰告白 (1566年)

ハインリヒ・ブリンガーおよびスイス諸教会の信仰告白

訳者注:本訳は、ブリンガーによる1566年の原文(ラテン語、および同年発表のドイツ語版)を典拠とし、パブリックドメインである英訳(フィリップ・シャフ『Creeds of Christendom』所収、ハーモニー・オブ・リフォームド・コンフェッションズ版)を参照しつつ、日本語に新たに翻訳したものです。既存の邦訳(大崎節郎訳『改革派教会信仰告白集Ⅲ』など)とは独立した翻訳です。学術的な引用や教会での正式な使用には、定評ある既刊の邦訳をご参照ください。
また、19-30章は、要約版からの翻訳となっています。19章にこの点に関する詳しい注記を挿入しています。

第1章 聖書は真の神のことばであること

われらは、旧新約両聖書における聖なる預言者たちと使徒たちの正典的な書物が、真の神のことばであり、それ自体のうちに、人によってではなく、十分な権威を有していることを信じ、告白する。
なぜなら、神ご自身が父祖たち、預言者たち、使徒たちに語られ、今なお聖書を通してわれらに語り続けておられるからである。
そしてこの聖なる聖書のうちに、キリストの普遍的教会は、救いに至る信仰、また神に受け入れられる生活を形づくることに関わるすべての事柄が、余すところなく説き明かされているのを持っている。この点において、神はこれに何も加えることも、これから何も取り去ることも許されないと、明確に命じておられる(申命記4:2、黙示録22:18-19)。
それゆえわれらは、これらの聖書から、真の知恵と敬虔、教会の改革と統治、また敬虔のすべての務めについての教えが導き出されるべきであり、要するに、教理の確証とすべての誤りの論駁、そしてあらゆる勧告が導き出されるべきであると判断する。使徒の「神の霊感によって書かれたすべての聖書は、教えと戒めのために有益である」(テモテ第二3:16-17)との言葉のとおりである。
また使徒はテモテに、「わたしがこれらのことをあなたに書き送るのは、あなたが神の家でどのようにふるまうべきかを知るためである」と述べている(テモテ第一3:14-15)。
さらに同じ使徒はテサロニケの人々に、「あなたがたがわれらから神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れた」と述べている(テサロニケ第一2:13)。
主ご自身も福音書において、「語っているのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって語っておられるのはあなたがたの父の御霊である」と言われ、それゆえ「あなたがたに聞く者はわたしに聞き、あなたがたを拒む者はわたしを拒む」と言われた(マタイ10:20、ルカ10:16、ヨハネ13:20)。
したがって、この神のことばが、正当に召された説教者たちによって教会において宣べ伝えられるとき、われらは、まさに神のことばそのものが宣べ伝えられ、信仰者たちに受け入れられていると信じる。他のいかなる神のことばも作り出されてはならず、天からの新たな啓示を期待してもならない。今や宣べ伝えられていることば自体こそが顧みられるべきであって、それを宣べ伝える説教者ではない。たとえその説教者が悪しき罪人であったとしても、神のことばは真実であり善なるものであり続ける。
われらはまた、外的な説教が無益であると考えるべきではない。真の宗教における教えは御霊の内的な照明に依存しているとか、「もはや人はおのおのその隣人を教えることをしない。彼らはみなわたしを知るようになるからだ」(エレミヤ31:34)、また「植える者も水を注ぐ者も取るに足りない。成長させてくださる神こそがすべてである」(コリント第一3:7)と書かれているからといって、そう考えるべきではない。
というのも、「天の父に引き寄せられる者でなければ、だれもキリストのもとに来ることができない」(ヨハネ6:44)のであり、聖霊によって内的に照らされなければならないとはいえ、それでもなお神の御心が、その御ことばが外的にも宣べ伝えられることにあるのを、われらは疑いなく知っているからである。
神は、使徒言行録に記されているように、聖ペテロの奉仕によらずとも、聖霊によって、あるいは御使いの奉仕によって、コルネリウスを直接教えることもおできになったであろう。しかし、それにもかかわらず神は彼をペテロのもとへと導かれ、そのことについて御使いは、「彼があなたのなすべきことを告げるであろう」と語っている(使徒10:6)。
なぜなら、人々に聖霊を与えることによって内的に照らされる方ご自身が、同じように命令をもって弟子たちに、「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16:15)と言われたからである。
こうしてパウロは、ピリピの紫布商人ルディアに外的にことばを宣べ伝えたが、主は内的にその女の心を開かれた(使徒16:14)。
そして同じパウロは、ローマ人への手紙第十章における見事な論理の展開の末に、ついに「それゆえ、信仰は聞くことにより、聞くことはキリストのことばによる」(ローマ10:14-17)と結論づけている。
その一方でわれらは、神が、望まれるときには外的な奉仕なしにも、御心のままにだれをも照らすことがおできになることを知っている。それは神の力に属することである。しかしわれらは、神からわれらに命令と実例をもって伝えられた、人を教える通常の方法について語っているのである。
それゆえわれらは、聖書が聖霊から出たことを否定したアルテモン、マニ教徒、ワレンティノス派、ケルドン派、およびマルキオン派のあらゆる異端を退ける。彼らは、聖書のある部分を受け入れず、あるいは改ざんし、腐敗させた。
とはいえわれらは、旧約聖書のある種の書物が、古代の著述家たちによって「アポクリファ(外典)」と呼ばれ、また他の者たちによって「教会的な書物」と呼ばれてきたことを否定するものではない。すなわち、それらは教会において読まれるべきものとはされたが、信仰の権威を裏づけ確証するために援用されるべきものとはされなかった書物のことである。
アウグスティヌスもまた、その著書『神の国』第十八巻第三十八章において、「列王記の書には、ある預言者たちの名前と書物が数えられている」と述べながらも、「それらは正典のうちに含まれていない」こと、そして「われらが持っているこれらの書物で敬虔には十分である」ことを付け加えている。

第2章 聖書の解釈について、また教父・教会会議・伝承について

使徒ペテロは、「聖書のどの預言も、私的解釈を施してはならない」(ペテロ第二1:20)と述べている。それゆえわれらは、あらゆる種類の解釈を許容するものではない。したがってわれらは、ローマ教会がいうところの「解釈」──すなわちローマ教会の擁護者たちがすべての人に単純に受け入れさせようとしているもの──を、聖書の真実で正当な解釈であるとは認めない。むしろわれらは、聖書そのものから(すなわち、それが書かれた言語の精神から)導き出され、文脈に応じて重みづけられ、類似の箇所・相違する箇所、またより多く・より明瞭な箇所と照らし合わせて解き明かされ、信仰と愛の規範に一致し、神の栄光と人の救いに著しく資するような解釈のみを、正統かつ正真の解釈として認める。
したがってわれらは、ギリシアおよびラテンの聖なる教父たちの解釈を軽んじるものではなく、彼らの議論や論考が聖書と一致する限りにおいて、それを退けるものでもない。しかしながら、彼らの記述が聖書と異なる、あるいはまったく相反する事柄を述べていると判明した場合には、われらは謙虚にこれと意見を異にする。この点においてわれらが彼らに何ら不当を働いているとは考えない。というのも、教父たち自身がこぞって、自分たちの著作を正典としての聖書と同列に置くことを望まず、むしろそれらと一致するかどうかを吟味するよう命じ、一致する点は受け入れ、一致しない点は退けるよう求めているからである。
そして同じ位置づけを、われらは教会会議の決議や規範にも与える。
それゆえわれらは、宗教上の論争や信仰の事柄において、教父たちの見解や教会会議の決定のみをもって自らの立場を押し通すことを、自らに許さない。まして、慣習として受け継がれてきたことや、同一意見を持つ人の多さ、あるいは長年の慣行によって押し通すことも許さない。したがってわれらは、宗教や信仰に関する論争において、聖書によって何が真実で何が偽りか、何に従い何を避けるべきかを告げる神ご自身以外のいかなる裁き手も認めない。それゆえわれらは、神のことばから導き出された霊的な人々の判断にのみ従う。
エレミヤをはじめとする預言者たちは、神の律法に反して組織された祭司たちの集まりを激しく非難し、自分たち独自の考案物のうちを歩み、神の律法から逸れていった教父たちに聞き従わず、その道を踏まないようにと、われらに熱心に警告した。
同様にわれらは、人間の伝承を退ける。それらは、あたかも神的・使徒的なものであり、使徒たちの生きた声によって教会に伝えられ、いわば使徒的な人々の手を経て、後継の主教たちを通じて受け継がれてきたかのように、立派な名称で飾り立てられていることがある。しかし、聖書と比較するとそれらと矛盾しており、その矛盾によって、それらが決して使徒的なものではないことを自ら露呈している。使徒たちが教理において互いに矛盾しなかったように、使徒的な人々もまた使徒たちに反することを説きはしなかった。むしろ、使徒たちが生きた声によって、自らの著作に反することを伝えたなどと主張するのは、冒瀆というべきである。パウロは、自分がすべての教会で同じ事柄を教えたと明確に断言している(コリント第一4:17)。また彼は再び、「わたしたちは、あなたがたが読んで理解できる以外のことは、何も書いていない」と述べている(コリント第二1:13)。さらに別の箇所で彼は、自分と自分の弟子たち──すなわち使徒的な人々──が同じ道を歩み、共に同じ御霊によってすべてを行ったことを証ししている(コリント第二12:18)。
かつてユダヤ人たちにも、長老たちの伝承があった。しかし、これらの伝承は主によって厳しく退けられ、それを守ることが神の律法を妨げること、またそのような伝承によって神が空しく礼拝されていることが示された(マタイ15:1以下、マルコ7:1以下)。

第3章 神について、その唯一性と三位一体について

われらは、神が本質・本性において唯一であり、自存し、それ自体で全き充足を持ち、目に見えず、身体を持たず、無限であり、永遠であり、見えるものと見えないものすべての創造主であり、至高の善であり、生きて、すべてのものに命を与え、これを保ち、全能かつ至高の知恵を持ち、慈愛と憐れみに富み、義であり真実である、と信じ、教える。まことにわれらは多くの神々を忌み嫌う。なぜなら、「あなたの神、主は唯一の主である」(申命記6:4)、「わたしはあなたの神、主である。あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト20:2-3)、「わたしは主である。わたしのほかに神はない。わたしのほかに神があろうか。わたしのほかに岩はない」「義なる神、また救い主であって、わたしのほかにはない」(イザヤ45:5、21)、「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神」(出エジプト34:6)と明確に記されているからである。
それにもかかわらず、われらは、この無限で唯一かつ不可分の神が、御父・御子・聖霊として、分かたれることなく、また混同されることなく、位格において区別されると信じ、教える。すなわち、御父は永遠から御子を生み、御子は言い表しがたい仕方で生まれ、聖霊はまことに両者から発出し、これも永遠からのことであり、両者とともに礼拝されるべきである。
こうして、神々は三つあるのではなく、三つの位格があるのであって、それらは同一実体であり、同永遠であり、同等である。位格(ヒュポスタシス)において区別され、順序においても一方が他方に先立つが、いかなる不平等もない。本性・本質において、それらは結び合わされて唯一の神であり、神的本性は御父・御子・聖霊に共通である。
というのも、聖書は位格の明確な区別をわれらに伝えているからである。御使いは祝された処女マリアに、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうであろう。それゆえ、生まれる者は聖なる者、神の子と呼ばれるであろう」と告げた(ルカ1:35)。またキリストの洗礼の際には、天から声があって「これはわたしの愛する子である」と言われた(マタイ3:17)。聖霊もまた鳩の形で現れた(ヨハネ1:32)。そして主ご自身が使徒たちに洗礼を授けるよう命じられたとき、「父と子と聖霊の名によって」洗礼を授けるよう命じられた(マタイ28:19)。同様に福音書の他の箇所で主は、「父はわたしの名によって聖霊をつかわされるであろう」(ヨハネ14:26)と言われ、また「助け主、すなわち父から遣わされる真理の御霊が来られるとき、その方はわたしについてあかしをするであろう」(ヨハネ15:26)などと言われた。要するに、われらは使徒信条を受け入れる。それがわれらに真の信仰を伝えているからである。
それゆえわれらは、ユダヤ人とマホメット教徒、そしてこの聖なる崇めるべき三位一体を冒瀆するすべての者を断罪する。またわれらは、御子と聖霊が名目上においてのみ神であると教え、あるいは三位一体のうちに何か造られたもの、他者に従属し仕えるものがあると教え、さらにそこに何か不平等なもの、より大きい・より小さいもの、身体的あるいは身体的に考えられたもの、性質や意志において異なるもの、混合したものあるいは単独のものがあり、あたかも御子と聖霊が御父なる唯一の神の情動や属性にすぎないかのように教える、すべての異端と異端者たち──君主論者、ノヴァティアヌス派、プラクセアス、パトリパッシアヌス派、サベリウス、サモサタのパウロ、アエティウス、マケドニウス派、擬人論者、アリウス派、その他これらに類する者たち──を断罪する。

第4章 偶像について、あるいは神・キリスト・聖徒たちの像について

神は霊であり、その本質において目に見えず無限であるゆえに、いかなる技巧や像によっても真に表現することはできない。それゆえわれらは、聖書とともに、神の像は単なる偽りであると恐れることなく宣言する。したがってわれらは、異邦人の偶像だけでなく、キリスト教徒の像もまた退ける。
キリストは人の本性を取られたが、それは彫刻家や画家に模範を与えるためではなかった。主は「律法や預言者を廃するために来たのではない」(マタイ5:17)と言われたが、像は律法と預言者において禁じられている(申命記4:15、イザヤ44:9)。主はご自身の身体的な臨在が教会にとって益となるとは言われず、むしろご自身の御霊によって永遠にわれらのそばにいると約束された(ヨハネ16:7)。それならば、主の身体の影や似姿が敬虔な者に何らかの益をもたらすと、いったい誰が信じるだろうか(コリント第二5:5)。主が御霊によってわれらのうちに宿られる以上、われらこそ神の宮である(コリント第一3:16)。しかし「神の宮と偶像との間に、何の一致があろうか」(コリント第二6:16)。
そして、天にある祝された霊たちと聖徒たちは、地上に生きていたとき自分自身への礼拝をことごとく拒んだのであり(使徒3:12以下、14:11以下、黙示録14:7、22:9)、像を非難していた。そうであるならば、天の聖徒や御使いたちが、人々がその前でひざまずき、頭を覆いを取り、その他の敬意を捧げる自分自身の像を喜ぶなどと、誰が考えられるだろうか。
実際には、人々を信仰において教え、神的な事柄と自らの救いを思い起こさせるために、主は福音の宣教を命じられたのであって(マルコ16:15)、絵によって信徒を教えるようにとは命じられなかった。さらに主は礼典を制定されたが、像をどこにも制定されなかった。
そのうえ、目を向けるどこにおいても、われらは神の生きた真実な被造物を見る。それらは、正しく観察するならば、人の手になるすべての像、あるいは空しく動かない、弱く死んだ絵よりも、はるかに鮮明な印象を見る者に与える。預言者が真実に語ったとおりである。「彼らには目があっても見えない」(詩篇115:5)。
それゆえわれらは、古代の著述家ラクタンティウスの判断を是とする。彼は「像のあるところに宗教は存在しない」と述べている。またわれらは、祝されたエピファニウスの行いを正しいと認める。彼はある教会の扉に、キリストか聖徒とおぼしき人物の絵が描かれた垂れ幕を見つけたとき、それを引き裂いて取り去った。人の絵が主の教会に掛けられているのを見ることが、聖書の権威に反すると考えたからである。それゆえ彼は、これ以降そのような垂れ幕──われらの宗教に反するもの──を主の教会に掛けてはならないと命じ、むしろキリストの教会と信徒にふさわしくないそのような疑わしいものは取り除かれるべきであると命じた。さらにわれらは、真の宗教について述べた聖アウグスティヌスの次の意見を是とする。「人の手になる作品への崇拝は、われらにとって宗教であってはならない。そのような物を作る職人自身のほうがまさっているのであり、それでもわれらは彼らを礼拝すべきではないのだから」(『真の宗教について』第55章)。

第5章 神への礼拝・崇敬・祈願について、唯一の仲介者イエス・キリストを通して

われらは、まことの神のみが礼拝され崇敬されるべきであると教える。この栄誉を、われらは他のいかなる者にも分け与えない。主の命令、「あなたの神、主を拝み、ただ主にのみ仕えよ」(マタイ4:10)のとおりである。実に、すべての預言者は、イスラエルの民が見知らぬ神々を礼拝崇敬し、唯一まことの神を礼拝しないときには、激しくこれを非難した。しかしわれらは、神ご自身がわれらに教えられたとおりに、すなわち「霊とまこととをもって」(ヨハネ4:23以下)、迷信によってではなく、御言葉に従って誠実に、神が礼拝され崇敬されるべきであると教える。それは、いつか神が「だれがあなたがたに、これらのことを求めたか」(イザヤ1:12、エレミヤ6:20)と言われることのないためである。パウロもまた、「神は何かに乏しいかのように、人の手によって仕えられるのではない」(使徒17:25)と述べている。
われらの人生のあらゆる危機と試練において、われらは神のみに呼び求め、それはわれらの唯一の仲介者・執り成し手であるイエス・キリストの仲介によってである。というのも、われらは明確に「悩みの日にわたしを呼べ。わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」(詩篇50:15)と命じられているからである。さらに、主はもっとも寛大な約束をもって、「あなたがたが父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えるであろう」(ヨハネ16:23)、そして「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)と言われた。そして、「彼らがまだ信じたことのない者を、どうして呼び求めることができようか」(ローマ10:14)と書かれている以上、またわれらは神のみを信じている以上、われらは確かに神のみに呼び求め、そしてそれはキリストを通してである。使徒が言うように、「神は唯一であり、神と人との間の仲介者もまた唯一、人なるキリスト・イエスである」(テモテ第一2:5)、また「もしだれかが罪を犯すことがあれば、われらには父のみもとに助け主、義なるイエス・キリストがある」(ヨハネ第一2:1)。
それゆえわれらは、天の聖徒たちや他の神々を礼拝せず、崇敬せず、祈ることもなく、彼らを天の父のみもとにおけるわれらの執り成し手や仲介者とは認めない。神と仲介者キリストとで、われらには十分だからである。またわれらは、神のみとその御子に帰すべき栄誉を他の者に与えることはない。神は「わたしの栄光をほかの者に与えることはない」(イザヤ42:8)と明確に言われ、ペテロもまた、「わたしたちが救われるべき名は、天が下でこのキリストの名のほかに、人間に与えられていない」(使徒4:12)と述べているからである。信仰によって彼に同意する者たちは、キリストのほかに何も求めない。
同時にわれらは、聖徒たちを軽んじたり卑しく考えたりはしない。彼らを、肉と世に対して栄光のうちに打ち勝った、キリストの生きた肢体、神の友であると認めるからである。ゆえにわれらは彼らを兄弟として愛し、また敬うが、しかしいかなる種類の礼拝によってではなく、彼らについての敬意ある評価と正当な賞賛によってである。われらはまた彼らに倣う。切なる願いと祈願をもって、彼らの信仰と徳の模倣者となり、彼らとともに永遠の救いにあずかり、神の御前で彼らとともに永遠に住み、キリストにあって彼らとともに喜ぶことを、われらは真剣に望むからである。この点でわれらは、聖アウグスティヌスが『真の宗教について』のなかで述べた意見を是とする。「死せる人々への崇拝が、われらの宗教であってはならない。もし彼らが聖なる生涯を送ったのであれば、彼らはそのような栄誉を求める者とは見なされない。むしろ彼らは、その照明によって、われらが彼らの功績にあずかる同僚のしもべであることを喜ぶ、その方をこそわれらが礼拝することを望んでいる。それゆえ彼らは、模倣によって敬われるべきであって、宗教的な仕方で礼拝されるべきではない」等々。
まして、聖徒の遺物が崇敬され尊ばれるべきだとは、われらはさらに信じない。かの古代の聖なる人々は、その霊が天に昇った後、その遺骸を丁重に地に納めることをもって、死者への十分な敬意としたようである。そして彼らは、先祖の最も尊い「遺物」とは、その徳、その教え、その信仰であると考えた。彼らはこれらを死者への賞賛として称えるとともに、地上に生きている間、これに倣おうと努めた。
これら古代の人々は、神の律法に定められたとおり、唯一の神ヤハウェの御名によってのみ誓った。それゆえ、見知らぬ神々の名によって誓うことが禁じられているように(出エジプト23:13、申命記10:20)、われらもまた、たとえ求められようとも、聖徒への誓いを行わない。それゆえわれらは、これらすべての事柄において、天の聖徒たちにあまりにも多くを帰す教理を退ける。

第6章 神の摂理について

われらは、天と地にあるすべてのもの、またすべての被造物が、この賢く永遠かつ全能なる神の摂理によって保たれ、治められていると信じる。ダビデは証しして言う。「主はもろもろの国民の上に高くいまし、その栄光は天よりも高い。われらの神、主のように、高き所に座し、天と地とを見おろされる者があろうか」(詩篇113:4-6)。またこうも言う。「あなたはわたしのすべての道を探り出される……主よ、わたしの舌に一言があっても、あなたはことごとくこれを知っておられる」(詩篇139:3-4)。パウロもまた証しして、「われらは神にあって生き、動き、存在する」(使徒17:28)、そして「万物は神から出て、神によって成り、神に帰する」(ローマ11:36)と宣言する。それゆえアウグスティヌスは、その著書『キリストの戦いについて』第8章において、まことに聖書に従って次のように述べた。「主は言われた。『二羽の雀は一アサリオンで売られているではないか。それでもその一羽さえ、あなたがたの父の御心によらずに地に落ちることはない』。このように語ることによって主は、人が最も価値なきものと見なすものさえ、神の全能によって治められていることを示そうとされたのである。空の鳥は神によって養われ、野の百合も神によって装われると言う真理そのものが、われらの髪の毛さえ数えられていると言うのである」(マタイ10:29、6:26以下)。
それゆえわれらは、神の摂理を否定するエピクロス派、また神は天を治めるのに忙しく、われらとわれらの営みを見もせず顧みもしないと冒瀆的に語るすべての者を断罪する。王なる預言者ダビデもまた、これを非難して言った。「主よ、悪しき者はいつまで、悪しき者はいつまで勝ち誇るのでしょうか……彼らは言う、『主は見ておられない、ヤコブの神は顧みられない』と。民のうちの鈍き者よ、悟れ。愚かな者よ、いつになったら賢くなるのか。耳を植えた者が聞かないだろうか。目を造った者が見ないだろうか」(詩篇94:3、7-9)。
とはいえ、われらは神の摂理が働くための手段を、無用なものとして退けるのではない。むしろわれらは、それらが神の御言葉のうちにわれらに勧められている限りにおいて、それに自らを適応させるべきであると教える。それゆえわれらは、「すべてが神の摂理によって治められているのなら、われらの努力と勤勉は無駄である。神の摂理による統治にすべてを委ねさえすれば十分であり、もはや何ごとについても思い煩う必要はない」という、軽率な言葉を発する者たちを是としない。パウロは、自分が神の摂理のもとに航海していることを理解していた。神は彼に「あなたはローマでもあかしをしなければならない」(使徒23:11)と言われ、さらに「あなたがたのうち一人の命も失われることはなく……あなたがたの頭の毛一すじも失われることはない」(使徒27:22、34)と約束されていた。それにもかかわらず、水夫たちが船を捨てて逃れようとしたとき、同じパウロは百卒長と兵士たちに、「この人々が船に残っていなければ、あなたがたは助からない」(使徒27:31)と言った。すべてのものにその目的を定められた神は、その目的に至るための始まりと手段をも定められたからである。異邦人は物事を盲目の運命と不確かな偶然に帰する。しかし聖ヤコブは、われらが「きょうまたはあすかの町に行って、そこで商売をしよう」と言うことを望まず、むしろこう付け加えるようにと言う。「あなたがたはむしろ、『主のみこころであれば、わたしたちは生き永らえて、あのことを、または、このことをしましょう』と言うべきである」(ヤコブ4:13、15)。またアウグスティヌスは言う。「むなしい人々には自然のうちに偶然によって起こるように見えることも、それはすべて神の御言葉によってのみ起こるのであって、神の命令によってのみ起こるのである」(『詩篇註解』148篇)。かくしてサウルが父のろばを捜し求めていたときに、思いがけず預言者サムエルと出会ったのは、まったくの偶然のように見えた。しかし主は先立って預言者に、「あすわたしはベニヤミンの地から一人の人をあなたのもとに送る」(サムエル記上9:15)と告げておられたのである。

第7章 万物の創造について、天使・悪魔・人間について

この善にして全能なる神は、見えるものと見えないものすべてを、その永遠のみことばによって創造し、これを永遠の御霊によって保たれる。ダビデが証しして言うとおりである。「主のみことばによって天は造られ、その口の息によって天の万象は造られた」(詩篇33:6)。そして聖書が言うように、神が造られたすべてのものは非常に良く、人の用と益のために造られた。ここでわれらは、これらすべてのものが唯一の始まりから発すると主張する。
それゆえわれらは、善と悪という二つの実体と本性、また互いに敵対する二つの始まりと二柱の神を不敬虔にも想像したマニ教徒とマルキオン派を断罪する。
すべての被造物のうち、天使と人間はもっとも優れたものである。天使について、聖なる聖書はこう宣言する。「風をおのれの使者とし、燃える火をおのれのしもべとする方」(詩篇104:4)。またこうも言う。「彼らはみな、救いを受け継ぐことになっている人々に奉仕するために遣わされる、仕える霊ではないか」(ヘブライ1:14)。悪魔について、主イエスご自身が証しされる。「彼は初めから人殺しであり、真理に立ってはいない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うときは、自分の本性から語るのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからである」(ヨハネ8:44)。したがってわれらは、ある天使たちは従順にとどまり、神と人への忠実な奉仕のために任じられたが、他の天使たちは自らの自由意志によって堕落し、滅びへと投げ込まれ、すべての善とすべての信仰者の敵となった、と教える。
さて人間について、聖書は、人が初めに神のかたちと似姿にしたがって善く造られたこと、神が人を楽園に置き、すべてのものを人に従わせられたこと(創世記2章)を述べる。これはダビデが詩篇8篇において壮麗に述べているとおりである。さらに神は人に妻を与え、二人を祝福された。われらはまた、人間は一つの位格のうちに二つの異なる実体から成ると主張する。すなわち、身体から離れても眠ることも死ぬこともない不滅の魂と、最後の審判において死者のうちからよみがえらされる死すべき身体とである。それは、その時から全き人間が、生においても死においても、永遠に存続するためである。
われらは、魂の不滅性を嘲り、あるいは巧妙な議論によって疑いを差し挟む者たち、また魂が眠る、あるいは魂が神の一部であると言う者たちを断罪する。要するにわれらは、天使・悪魔・人間の創造について、キリストの使徒的教会において聖なる聖書からわれらに伝えられていることから逸脱する、あらゆる人々のあらゆる意見を断罪する。

第8章 人間の堕落について、罪について、罪の原因について

人間は初め、神のかたちにしたがって、義と真の聖さのうちに、善く正しく造られた。しかし蛇の教唆と自らの過ちによって、彼は善と正しさから堕落し、罪と死とさまざまな災いに服する者となった。そして堕落によってそのような者となったのと同様に、彼の子孫であるすべての人もまた、罪と死とさまざまな災いに服する者である。
罪とは、われらが理解するところ、われらの最初の父母から受け継がれ、われらすべてに広まった、人間の内在的な腐敗のことである。それによってわれらは、堕落した欲望に浸り、善から背を向け、あらゆる悪へと傾いている。われらは自分自身では、何ら善いことを行うことも、思うことさえもできない。しかも年を重ねるにつれて、神の律法に反する悪しき思い・言葉・行いによって、悪しき木にふさわしい腐った実を結ぶのである(マタイ12:33以下)。この理由によりわれらは自らの応報として神の怒りのもとにあり、正当な罰を受けるべき者である。
死によってわれらが理解するのは、身体の死のみではなく、われらの罪と腐敗に対する永遠の刑罰でもある。使徒は言う。「あなたがたは、自分の罪過とつみとの中に死んでいた者であって……ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。しかしあわれみに富む神は……わたしたちが罪過の中に死んでいた時、キリストと共に生かして下さった」(エペソ2:1以下)。また、「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入ってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類に広がった」(ローマ5:12)。
それゆえわれらは、すべての人に原罪があることを認める。またそこから生じるその他のすべての罪──死に至る罪であれ、赦されうる罪であれ、あるいは決して赦されることのない聖霊への罪であれ──もまた、そう呼ばれ、実際にそうであることを認める(マルコ3:29、ヨハネ第一5:16)。またわれらは、罪が等しくないことを告白する。それらは同じ腐敗と不信仰の源から生じるとはいえ、あるものは他のものより重いのである(マタイ10:14以下、11:24)。
われらはそれゆえ、これに反する教えをなすすべての者を断罪する。すなわち、原罪を否定するペラギウス派、ストア派とともにすべての罪を等しいと宣言するヨウィニアヌス派、そして聖書の明確な教えに反して神を罪の作者とする者たちである(詩篇5:5-7、ヨハネ8:44)。
神が人を頑なにし、目を見えなくし、反ばく心のままに委ねると言われるとき(出エジプト7:13、ヨハネ12:40)、それは義なる裁きとして理解されるべきである。しかも神は、ヨセフの兄弟たちの場合になされたように、人の悪をも益に転じられる。

第9章 自由意志について、人間の能力について

人間の意志と道徳的能力は、三重の状態のもとで考察されなければならない。
第一に、堕落以前の状態においては、人は善のうちにとどまるか、あるいは誘惑に屈するかの自由を持っていた。
第二に、堕落後、人の理解力は暗くされ、その意志は罪の奴隷となった(コリント第一2:14、コリント第二3:5、ヨハネ8:34、ローマ8:7)。しかし、人は「石や切り株」に変えられたわけではない。その意志(voluntas)は「非意志」(noluntas)ではない。人は罪に喜んで仕えるのであって、いやいやながらではない。外的・世俗的な事柄においては、堕落後もなお、人は一般的な神の摂理のもとで自由を保持している。
第三に、再生した状態においては、人はまことの正しい意味において自由である。その知性は聖霊によって照らされ、神の奥義と御心とを理解する。そしてその意志は御霊によって変えられ、自由に善を意志し、善を行う力を与えられる(ローマ8:5-6、エレミヤ31:33、エゼキエル36:26、ヨハネ8:36、ピリピ1:6、29、2:13)。
再生と回心において、人は単に受動的であるだけでなく、能動的でもある。人は神の御霊によって動かされ、自分自身の行為として、その行うことを行う。しかし、再生した者にもなお、ある種の弱さが残る。肉は、生涯の終わりに至るまで、御霊に敵対して戦う(ローマ7:14、ガラテヤ5:17)。
われらは、悪の始まりが人の自由意志から生じたことを否定するマニ教徒、また堕落した人間が神の戒めを守るのに十分な自由を持つと教えるペラギウス派を断罪する。前者は創世記1章27節、伝道の書7章29節によって、後者はヨハネ8章36節によって論駁される。

第10章 神の予定について、聖徒の選びについて

神は永遠から、人のいかなる功績にもよらず、ご自身の純粋な恵みによって、キリストにあって救おうとお定めになった聖徒たちを、自由に予定あるいは選び定められた(エペソ1:4、テモテ第二1:9-10)。
神はキリストにあって、キリストのゆえにわれらを選ばれた。それゆえ、いま信仰によってキリストに接ぎ木されている者たちが選ばれた者であり、キリストの外にある者たちは退けられた者である(コリント第二13:5)。
神が誰がご自身のものであるかを知っておられ、「選ばれた者の数は少ない」と語られる箇所があるとしても、われらはすべての人について善く望みを抱くべきであり、軽々しくだれかを退けられた者と見なすべきではない(テモテ第二2:19、マタイ20:16、ピリピ1:3以下)。
われらは、キリストの外に自分が選ばれているかどうか、また神が永遠から自分について何を定められたかを尋ね求める者たちを退ける。むしろわれらは福音を聞き、これを信じるべきである。そして、もしわれらが信じ、キリストのうちにあるならば、われらは選ばれていると確信すべきである。「わたしのもとに来なさい」(マタイ11:28)という主の招きに耳を傾け、世の救いのためにご自身の御子を与えられた神の限りない愛を信じ、「この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない」(ヨハネ3:16、マタイ18:14)ことを信じるべきである。
それゆえ、キリストをこそ、われらが自らの予定を映し見る鏡としよう。もしわれらが彼と交わりを持ち、真の信仰によって彼がわれらのものであり、われらが彼のものであるならば、われらが命の書に記されていることの十分に明白で確かな証しを、われらは持つことになる。
もしわれらが予定について試みられるならば、これをわれらの慰めとしよう。すなわち、神の約束はすべての信仰者に対して一般的なものであるということである。神ご自身、「求めよ、そうすれば与えられるであろう。すべて求める者は受けるのである」(マタイ7:8以下)と言われる。われらは全教会とともに、「天にいますわれらの父よ」と祈る。洗礼によってわれらはキリストのからだに接ぎ木され、教会において主の肉と血によってしばしば養われ、永遠の命に至る。かくして強められて、われらは「恐れおののいて自分の救いを達成すべきである。神はみこころのままに、あなたがたのうちに働きかけて、志を立てさせ、事を行わせておられるのだから」(ピリピ2:12-13)。

第11章 まことの神まことの人であるイエス・キリストについて、世の唯一の救い主について

われらはさらに、神の御子、われらの主イエス・キリストが、永遠から御父によって世の救い主として予定され、あらかじめ定められたと信じ教える。そしてわれらは、主が処女マリアから肉を取られたときにはじめて生まれたのでもなく、世の基が置かれる少し前に生まれたのでもなく、あらゆる永遠に先立って、言い表しがたい仕方で御父によって生まれたと信じる。イザヤは言う。「だれがその代を語り得ようか」(53:8)。ミカも言う。「その出るところは昔から、永遠の日からである」(5:2)。ヨハネも福音書のうちで言う。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」等々(1:1)。
したがって、その神性において御子は御父と同等・同質であり、まことの神である(ピリピ2:11)。名目上や養子縁組、あるいは何らかの功績によってではなく、実体と本性において同等・同質である。使徒ヨハネがしばしば言うとおりである。「これはまことの神であり、永遠の命である」(ヨハネ第一5:20)。パウロもまた言う。「神は御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られた。御子はその栄光の輝きであり、そのご性質そのままの姿であって、力ある言葉をもって万物を保っておられる」(ヘブライ1:2-3)。福音書において主ご自身が言われる。「父よ、世が造られる前にわたしがみそばで持っていた栄光で、いま、みそばでわたしを輝かせてください」(ヨハネ17:5)。また福音書の別の箇所には、「ユダヤ人たちは、イエスがますます彼を殺そうとした。神を自分の父と呼んで、自分を神と等しい者とされたからである」(ヨハネ5:18)と記されている。
それゆえわれらは、御子に反するアリウスとアリウス派の不敬虔な教理、そしてとりわけスペイン人ミカエル・セルヴェトゥスとその追従者たちの冒瀆を忌み嫌う。
われらはまた、永遠の神の永遠の御子が、アブラハムとダビデの種から、人の子となられたと信じ教える。それはエビオン派の言うような人間の意志によるのではなく、聖霊によってきわめて清く宿され、常に処女であるマリアから生まれたのであって、福音書の記事と使徒書簡がわれらに丁寧に説明するとおりである(マタイ1章)。パウロは言う。「御子は御使いの性質を取ったのではなく、アブラハムの子孫の性質を取られた」(ヘブライ2:16)。使徒ヨハネもまた、イエス・キリストが肉体をもって来られたことを信じない者は神に属さないと言う(ヨハネ第一4:3)。したがって、キリストの肉体は、ワレンティノスやマルキオンが誤って想像したような、単なる見せかけのものでも、天からもたらされたものでもない。
さらに、われらの主イエス・キリストは、アポリナリオスが考えたような理性なき魂を持たれたのでもなく、エウノミオスが教えたような魂なき肉体を持たれたのでもなく、理性を伴う魂と、感覚を伴う肉体とを持たれた。その苦難のとき、主はその感覚によって真実の身体的苦痛を耐え忍ばれた。ご自身証しされたとおりである。「わたしの魂は死ぬばかりに悲しい」(マタイ26:38)、「今わたしの心は騒いでいる」(ヨハネ12:27)。
それゆえわれらは、われらの主イエス・キリストにおいて、神性と人性という二つの本性・実体があることを認める(ヘブライ2章)。そしてわれらは、これらが互いに、吸収されることも、混同されることも、混合されることもなく、むしろ一つの位格において結び合わされ結合されており、それぞれの本性の性質は損なわれることなく永続していると言う。
かくしてわれらは、二人ではなく一人のキリストを礼拝する。繰り返す──一人の、まことの神にしてまことの人である。神性においては御父と同質であり、人性においては、罪を除いてわれら人間と同質であり、すべての点でわれらと等しい(ヘブライ4:15)。
それゆえわれらは、キリストを二人とし、位格の一致を解消するネストリウス派の教理を忌み嫌う。同様に、人性の性質を破壊するエウテュケス派、単性論者・単意論者の狂気を、われらはまったく忌避する。
われらは、キリストの神性が苦しまれたとは決して教えず、キリストの人性がいたるところに存在するとも教えない。キリストのまことの身体は、その栄化の後にも神格化され、身体と魂に関するその性質を脱ぎ捨てて、まったくの神的本性へと変わり、単一の実体になったなどとは、われらは考えも教えもしない。しかしわれらは、われらの主イエス・キリストが、まことに肉においてわれらのために苦しみ死なれたと信じる。ペテロが言うとおりである(ペテロ第一3:18、4:1)。われらは、主の苦難を忌み嫌うヤコブ派やすべてのトルコ人たちの、はなはだしく不敬虔な狂気を忌み嫌う。同時にわれらは、パウロの言葉によれば、栄光の主がわれらのために十字架につけられたことを否定しない(コリント第一2:8)。というのも、われらは、聖書から引き出され、一見矛盾するように見える聖書の箇所を説明し調和させるために古代の教会全体が用いてきた「性質の交流」(コムニカティオ・イディオマトゥム)を、敬虔に、また敬意をもって受け入れ、用いるからである。
われらは、キリストが死なれたのと同じ肉において死者のうちから復活されたと信じ教える(ルカ24:30)。そして最高の天において、神の右に上げられたと信じる(エペソ4:10)。これは主の神的な威光と力への高挙を意味すると同時に、ある定まった場所をも意味する(ヨハネ14:2、使徒3:21)。
同じキリストが、世の悪がその極みに達し、反キリストがまことの宗教を腐敗させるとき、再び来られるであろう。主は反キリストを滅ぼし、生ける者と死せる者とを裁かれる(テサロニケ第二2:8、使徒17:31、テサロニケ第一4:17)。信仰者は祝された者たちの住まいに入り、不信仰者は悪魔とその使いたちとともに永遠の刑罰に投げ込まれる(マタイ25:41、テモテ第二2:11、ペテロ第二3:7)。
われらは、まことの復活を否定する者たち、すべての不敬虔な者ならびに悪魔さえも最終的に救われるという者たちを退ける。またわれらは、最後の審判の前に地上に千年王国、あるいは黄金時代があるというユダヤ人の夢想をも退ける。
われらは、キリストがこの世全体の唯一の贖い主であり、律法の前に、律法の下に、また福音のもとに救われたすべての者、そして世の終わりまでに救われるであろうすべての者が、彼にあって救われると信じ教える(ヨハネ10:1、7、使徒4:12、15:11、コリント第一10:1、4、黙示録13:8)。
それゆえわれらは大声をもって告白し教える。イエス・キリストは世の唯一の救い主、王にして大祭司、まことのメシアであり、律法とすべての予表、預言者たちのすべての預言が予表し約束した方である。神は彼をわれらに遣わされたのであり、われらは他の者を求める必要はない。あとはただ、われらが彼にすべての栄光を帰し、彼を信じ、彼のみに拠り頼むことのみが残されている。
そして、多くを短く言うならば、われらはわが主イエス・キリストの受肉の奥義について、聖書から定められ、ニカイア、コンスタンティノポリス、エフェソス、カルケドンにて開かれた最初の四つの最も優れた公会議の信条と決定、また祝された聖アタナシオスの信条、ならびにこれらと類似するすべての信条に要約された事柄を、誠実な心をもって信じ、自由な口をもって率直に告白し、これに反するすべてのものを断罪する。このようにしてわれらは、キリスト教的で正統かつ普遍的な信仰を、損なわれることなく完全に保持する。前述の信条のうちには、神のみことばと一致しないもの、また信仰の誠実な説明に資さないものは何も含まれていないことを知っているからである。

第12章 神の律法について

神の律法は、われらに対して神の御心を説き明かすものであり、善と悪、正と不正の何であるかを示す。それゆえわれらは、律法が善く聖なるものであると告白する。律法は二種類ある。人の心に刻まれた自然の律法(ローマ2:15)と、モーセに書き記された律法である。後者をわれらは、便宜のために、十戒の二枚の板に含まれる道徳律法、礼拝と儀式に関わる儀式律法、政治と経済に関わる裁判律法に区分する。
神の律法は完全であり、それに何も加えることも、それから何も取り去ることも許されない(申命記4:2、イザヤ30:21)。律法がわれらに与えられたのは、それを守ることによってわれらが義とされるためではなく、むしろそれによってわれらが罪と罪責の知識に導かれ、自らの力に絶望して、信仰によってキリストへと立ち返るためである(ローマ4:15、3:20、8:3、ガラテヤ3:21-24)。キリストは律法の終わりであり、律法の呪いからわれらを贖い出された(ローマ10:4、ガラテヤ3:13)。主はわれらが律法を成就することを可能にしてくださり、その義と従順とが信仰によってわれらに帰せられる。
律法は、それが信じる者をもはや断罪せず、怒りをもたらさないという意味において廃棄されている。彼らは律法のもとにではなく、恵みのもとにあるからである。さらに、キリストは律法のすべての型を成就された。それゆえ、影の代わりに実体が置かれ、キリストにあってわれらは今やすべての真理と充満とを持つ。それでもなお、律法は、あらゆる徳と悪徳をわれらに示し、新しい従順の生活を規律するのに有用である。キリストは律法を廃するためではなく、成就するために来られた(マタイ5:17)。
それゆえわれらは、古今の反律法主義を断罪する。

第13章 イエス・キリストの福音について

律法は怒りをもたらし、呪いを告げる(ローマ4:15、申命記27:26)が、福音は恵みと祝福を告げる(ヨハネ1:17)。それでもなお、律法の前に、また律法のもとにあった人々もまた、福音をまったく欠いていたわけではなく、偉大な約束を持っていた(創世記3:15、22:18、49:10)。約束は一部は現世的なものであり、一部は霊的で永遠のものであった。福音の約束によって父祖たちはキリストにあって救いを得た。
厳密な意味において福音とは、キリストによる救いの喜ばしい知らせであり、それによってわれらは赦し、贖い、永遠の命を得る。それゆえ、四福音書記者によって記されたキリストの歴史は、正当に福音と呼ばれる。
パリサイ人の律法主義と比較すると、福音は新しい教理であるかのように見えたし、今なお教皇主義者たちはそう呼んでいる。しかし実際には、それは最も古い教理である。神は永遠から、キリストを通して世を救うことを予定しておられ、この計画を福音において啓示されたのであるから(テモテ第二1:9-10)。それゆえ、われらの福音的信仰を最近の革新と呼ぶことは、重大な誤りである。

第14章 悔い改めと人の回心について

悔い改め(メタノイア)とは、福音の御言葉と聖霊とによって罪人のうちに生じさせられる心の変化であり、生まれながらの、また実際の堕落についての知識、罪への敬虔な悲しみと憎しみ、そして今後は徳と聖さのうちに生きようとする決意を含む。まことの悔い改めとは、神とすべての善へと立ち返り、悪魔とすべての悪から真剣に離れ去ることである。それは神の自由な賜物であって、われら自身の力による結果ではない(テモテ第二2:25)。
われらは、罪深い女(ルカ7:38)、堕落後のペテロ(ルカ22:62)、放蕩息子(ルカ15:18)、そして宮での取税人(ルカ18:13)のうちに、まことの悔い改めの実例を持っている。
神に対して自分の罪を、私的にも公の礼拝においても告白すれば十分であり、祭司に告白する必要はない。それは聖書のどこにも命じられていないからである。ただし、苦難と試練のときに福音の奉仕者から助言と慰めを求めることはあってよい(ヤコブ5:16参照)。
教皇主義者たちが、そこから剣や笏、王冠を作り出す天の御国の鍵は、福音の宣教と戒規の維持において、すべての正当な教会の奉仕者たちに与えられている(マタイ16:19、ヨハネ20:23、マルコ16:15、コリント第二5:18-19)。われらは、贖宥にまつわる教皇の実入りの良い悔悛の教理を断罪し、彼らに対してシモン・マグスへのペテロの言葉を適用する。「あなたの金は、あなたと共に滅びてしまえ」(使徒8:20)。

第15章 信仰者のまことの義認について

使徒がこの主題を論じるとき、「義とする」とは、罪を赦し、罪責と刑罰から解放し、恩寵のうちに受け入れ、義であると宣言することを意味する(ローマ8:33、使徒13:38、申命記25:1、イザヤ5:23)。
われらはみな生まれながらに罪人であり、神の前に不敬虔であって、神の裁きの座の前で死に定められている。しかしわれらは、われら自身の功績によってではなく、ただキリストの功績のみによって義とされる、すなわち罪と死から神なる裁き主によって解き放たれるのである。キリストのゆえに、その苦難と復活のゆえに、神はわれらの罪について恵み深くあられ、われらの罪をわれらに帰することなく、むしろキリストの義をわれら自身のものとして帰してくださる(コリント第二5:19以下、ローマ4:25)。それゆえわれらは、罪、死、断罪から清められ、赦され、義とされ、永遠の命の相続者となる。厳密に言えば、神のみがわれらを義とされ、それはただキリストのゆえにのみであって、われらの罪をわれらに帰することなく、その義をわれらに帰することによる。
それゆえわれらは、使徒とともに、罪人はただキリストへの信仰のみによって義とされるのであり、律法によってでも、いかなる行いによってでもないと教え、信じる(ローマ3:28、4:2以下、エペソ2:8-9)。義が信仰に帰せられるのは、信仰がわれらの義であるキリストを受け取り、すべてをキリストにある神の恵みに帰するからであって、それがわれら自身のわざであるからではない。それは神の賜物である。食べることによって食物を受け取るように、信仰はキリストを我がものとする。
われらは義認の恵みを、一部は神の恵みあるいはキリストに、一部はわれら自身の行いや功績に分けて帰すことはせず、もっぱらキリストにある神の恵みに、信仰を通して帰する。まずわれらが義とされなければ、われらは善い行いを愛し行うことができない。愛は信仰から生まれる(テモテ第一1:5、ガラテヤ5:6)。
それゆえここでわれらが語っているのは、偽りの死んだ信仰ではなく、われらの命であり命を与えるキリストのうちに生きる、生きた命を与える信仰である。ヤコブ(第2章)もまた、われらのこの教理に矛盾しない。彼が語るのは、悪霊さえ持っているような死んだ信仰についてであり、アブラハムが行いによって生きた義とする信仰を証したことを示しているのである。

第16章 信仰と善い行いについて、その報いと人の功績について

キリスト教信仰とは、人間的な意見や確信ではなく、最も堅固な信頼であり、心の明白で揺るがぬ同意である。それはまず、聖書と使徒信条のうちに示された神の真理についての、最も確かな把握であり、それゆえまた神ご自身、すなわち最高善についての、とりわけ神の約束と、すべての約束の成就であるキリストについての、最も確かな把握である。
このような信仰は神の純粋な賜物であって、神はご自身の恵みにより、御心のままに、いつ、だれに、どれほどの程度でこれを聖霊によって、福音の宣教と信仰の祈りという手段を通して、選ばれた者たちに与えられる。この信仰には段階があり、増し加わりうるものである。それゆえ使徒たちは「わたしどもの信仰を増してください」(ルカ17:5)と祈ったのである。(以下、ヘブライ11:1、コリント第二1:20、ピリピ1:29、ローマ12:3、テサロニケ第二2:3、ローマ10:16、使徒13:48、ガラテヤ5:6などの聖句が続けて引かれる。)
われらは、善い行いが生きた信仰から、聖霊を通して生まれ、神の御言葉の御心と規範にしたがって信仰者によってなされると教える(ペテロ第二1:5以下、テサロニケ第一4:3、6、23)。
善い行いは、それによって永遠の命を得るためになされてはならない。永遠の命は神の自由な賜物だからである(ローマ6:23)。また見せびらかしや利己心のためになされてはならない。主はこれを退けられるからである(マタイ6:2、23:5)。むしろ、神の栄光のため、われらの召しを飾るため、神への感謝を示すため、そして隣人の益のためになされるべきである(マタイ5:16、エペソ4:1、コロサイ3:17、ピリピ2:4、テトス3:14)。
われらは、人がキリストへの信仰によって義とされ、いかなる行いによるものでもないと教えるが、善い行いを非難するのではない。人は、絶えず善く有益なことを行うために、信仰によって造られ、再生させられたのである。「良い木は良い実を結ぶ」(マタイ7:17)。「わたしにとどまる者は、多くの実を結ぶ」(ヨハネ15:5)。「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちがそれを行って歩むように、あらかじめこれを備えてくださった」(エペソ2:10)。
それゆえわれらは、善い行いを軽んじ、あるいはそれを無用と言う者たちすべてを断罪する。同時にわれらは、善い行いが救いに必要であって、それなしにはだれも救われたことがない、というふうには考えない。われらはキリストのみによって救われるからである。しかし善い行いは信仰から必然的に生まれるのであり、本来は恵みに帰せられるべきものが、便宜上、行いに帰せられることがあるにすぎない(ローマ11:6)。
神は、信仰によってなされたわれらの行いを喜ばれ、これを是とされる(使徒10:35、コロサイ1:9-10)。また神はこれに豊かに報いられる(エレミヤ31:16、マタイ5:12、10:42)。しかしわれらは、この報いを、それを受ける人の功績にではなく、それを約束し与えられる神の善良さと真実さに帰する。神は何ものにも借りがないにもかかわらず、そうされるのである。「わたしたちは命じられたことを皆おこなったとき、『わたしたちは無益なしもべです』と言いなさい」(ルカ17:10)。われらはアウグスティヌスとともに、神はわれらのうちで、われらの功績にではなく、ご自身の恵みの賜物に冠を授けられると言う。それは恵みの報いであって、功績の報いではない。われらは受けたもの以外、何一つ持っていない(コリント第一4:7参照)。
それゆえわれらは、人の功績を擁護することによって神の恵みを無にする者たちを断罪する。

第17章 神の普遍的で聖なる教会について、教会の唯一の頭について

神は初めから、人々が救われ、真理の知識に至ることを望まれたのであるから(テモテ第一2:4)、教会──すなわち、世から呼び出され集められた信仰者の集まり、聖徒の交わり──が、常に存在し、今も存在し、世の終わりまで存在することは、必然である。彼らはまことの神を、われらの救い主キリストにあって知り、正しく礼拝し仕える者たちであり、信仰によってキリストを通して自由に与えられるすべての恵みにあずかる者たちである。彼らは神の家の同じ家族の一員である(エペソ2:19)。信条の条項、「わたしは聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信じる」は、これらの人々について理解されるべきである。
そして、神はただ一人、神と人との間の仲介者はただ一人、メシアなるイエスであり、全群れの牧者はただ一人、この体の頭はただ一人、御霊はただ一つ、救いはただ一つ、信仰はただ一つ、契約はただ一つであるから、必然的に教会もまたただ一つでなければならない。われらはこれを普遍的(カトリック)と呼ぶ。すなわちそれは世界のあらゆる場所、あらゆる時代に広がっているからである。
それゆえわれらは、教会をアフリカのある片隅に閉じ込めたドナトゥス派を断罪し、またローマ教会のみが普遍教会であるとするローマの排他主義をも是としない。
教会は、それ自体において分裂しているのではなく、そのメンバーの多様性のゆえに区分される。地上で戦う戦闘の教会と、天において主の御前で喜ぶ勝利の教会とがある。しかしこの両者の間には交わりがある。戦闘の教会はさらに個々の教会に分かれるが、これらはすべて唯一の普遍教会の一致に帰せられるべきである。教会は族長たちのもとでは異なる形で、モーセのもとではまた異なる形で、キリストのもとでは福音による形で構成された。しかし唯一のメシアにあって、ただ一つの救いがある。彼にあって、すべての者が一つの体の肢体として一つに結び合わされ、同じ霊的な食物と飲み物にあずかる。われらは今、より大いなる光と、より完全な自由とを享受している。
この教会は、生ける神の家(テモテ第一3:15)、生きた霊的な石で建てられた家(ペテロ第一2:5)、動かされることのない岩の上に建てられ、他に置くことのできない唯一の礎の上に建てられた家(コリント第一3:11)、真理の柱であり土台(テモテ第一3:15)と呼ばれる。それは、岩であるキリストの上に、預言者と使徒たちの礎の上に立っている限り、誤ることがない。しかし、唯一の真理である方から離れるたびに、誤ってしまうのも不思議ではない。この教会はまた、処女、キリストの花嫁、唯一の愛される者(コリント第二11:2)、そしてキリストの体(エペソ1:23等)とも呼ばれる。信仰者たちはキリストを頭として、その生きた肢体だからである。
教会はキリスト以外のいかなる頭も持つことができない。彼は自らの群れの唯一の普遍的な牧者であり、世の終わりまでその臨在を約束された。それゆえ主は代理人を必要としない。代理人とは、その本人が不在であることを含意するものだからである。〔教会に二重の頭と統治を持ち込む者たちは、明らかに使徒たちが断罪した誤った教師たちの部類に属する(ペテロ第二2章、使徒20章、コリント第二11章、テサロニケ第二2章)。〕
しかしわれらは、ローマの頭を退けることによって、教会に混乱や無秩序をもたらすのではない。教皇が存在する以前に使徒たちによって伝えられた統治にわれらは従っているからである。ローマの頭は、教会に持ち込まれた専制と腐敗を維持し、正当な改革をことごとく妨げ破壊している。
彼らはわれらに対して、ローマから分離して以来、あらゆる論争や分裂が生じたと非難する。あたかもローマ教会において、宗派や対立が説教壇でも民衆の間でも一度も存在しなかったかのように。神はまことに秩序と平和の神である(コリント第一14:33)。それでもなお、使徒たちの教会にも党派と分裂があった(使徒15章、コリント第一3章、ガラテヤ2章)。神はこれらの分裂を、ご自身の栄光のため、真理を明らかにするために用いられる。
われらはキリストにあるまことの教会との交わりを高く評価し、それから離れる者は神の前に生きることができないと考える。ノアの箱舟の外に救いがなかったように、選ばれた者に自らを味わわせてくださるキリストの外には、確かな救いはないとわれらは信じる。
しかしわれらは、やむを得ない事情によって、また不本意ながら礼典にあずからない人々、あるいは信仰の弱い人々、なお欠けや誤りのある人々を排除するほどには、教会を狭く限定しない。神はユダヤの民の外にも友を持っておられた。ペテロに何が起きたか、選ばれ信仰深い人々に日々何が起きているかをわれらは知っている。使徒がガラテヤとコリントのキリスト者たちの重大な過ちを叱責しながらも、なお彼らをキリストの聖なる教会と呼んでいることをわれらは知っている。神は時に、正しい裁きによって、教会がエリヤの時代のように(列王記上19章18節)ほとんど絶滅したかのように見えるまで、これを覆い隠し揺り動かすことを許されることがある。しかしそのようなときでさえ、神は七千人以上のまことの礼拝者を持っておられる。「神のかたい土台は変わることがない。それは、次のような銘を持っている。『主はおのれに属する者を知りたもう』」(テモテ第二2:19)。それゆえ教会は「見えない」と呼ばれることがある──それを構成する人々が見えないからではなく、彼らが神のみに知られており、われらはしばしば判断を誤るからである。教会のうちには多くの偽善者もおり、彼らは外面的にはすべての儀式に従うが、最終的にはその真の姿が明らかにされ、切り離される(ヨハネ第一2:19、マタイ13:24、47)。
教会のまことの一致は、儀式や祭儀のうちにではなく、真理と普遍的な信仰のうちに求められるべきである。それは聖書に基づき、使徒信条に要約されている。古代の人々の間には儀式の大きな多様性があったが、それによって教会の一致が損なわれることはなかった。

第18章 教会の奉仕者について、その制定と職務について

神は常に、教会を集め治めるために奉仕者を用いられた(ローマ10:14、17、ヨハネ13:20、使徒16:9、コリント第一3:9等)。
神は族長たち、モーセ、預言者たちをその時代の教師として用いられた。そしてついに、無限の知恵に満ちたひとり子を、われらの誤りなき導き手として遣わされた。キリストは使徒たちを選ばれ、彼らはすべての教会に牧師を任じた(使徒14:23)。その後継者たちが今日に至るまで教会を教え治めてきた。
新約の奉仕者は、使徒、預言者、伝道者、監督、長老、牧師、教師と呼ばれる(コリント第一12:28、エペソ4:11)。後代には、総主教、大主教、大主教区長、長老会長老、執事、副執事などの名称が導入された。しかしわれらは、教会の教育と統治のために使徒たちが制定した職務をもって満足する。
奉仕者は教会によって正当に召され選ばれ、聖なる学識、敬虔な雄弁、思慮深さ、汚れなき品性において優れていなければならない(テモテ第一3:2、テトス1:5)。選ばれた者は、公の祈りと按手によって長老たちから按手を受けるべきである。われらは、恣意的な僭称者や資質の不足した牧師を退ける。しかし同時に、誇り高い学識よりも、無垢な単純さのほうが有用であることもあるとわれらは認める。
新約の奉仕者は、生者と死者のために犠牲を捧げるユダヤの祭司のような祭司ではない。キリストこそがわれらの永遠の大祭司であり、十字架上のただ一つの完全な犠牲によって型としての犠牲を成就し廃止された。すべての信仰者は祭司であり、絶えず神への感謝と賛美という霊的な犠牲を捧げる。
すべての奉仕者は権威と使命において対等である。監督と長老は、もともと同じ職務であり、共同の奉仕によって教会を治めていた。主の言葉を心に留めつつ、「あなたがたの中でかしらになりたいと思う者は、仕える者となりなさい」(ルカ22:26)。教会の奉仕者の主な務めは、福音の宣教、礼典の執行、魂への配慮、戒規の維持である。これを効果的に行うために、彼らは神への畏れのうちに生き、絶えず祈り、聖書を熱心に学び、常に目を覚まし、生活の清さによってすべての人の前に輝かなければならない。戒規を行うにあたっては、その権能が徳を建て上げるために与えられたのであって、破壊のためではないことを覚えておくべきである(コリント第二10:8、マタイ13:29参照)。
われらは、説教と礼典の効力を奉仕者の道徳的性格に依存させるドナトゥス派の誤りを退ける。キリストの声は、ふさわしくない奉仕者の口からであっても聞かれ、従われなければならない(マタイ23:3)。礼典は、その神的な制定とキリストの御言葉によって、ふさわしく受ける者に対して有効である。
それでもなお、奉仕者の教理と品行に対する適切な規律と監督が、教会会議において行われるべきである。偽りの、あるいは不道徳な教師は容認されるべきではなく、警告されるか、あるいは罷免されるべきである。われらは、使徒的な先例(使徒15章)にしたがって、教会の福祉のために、教会の腐敗のためではなく行われる限り、一般公会議あるいは普遍公会議を否定しない。
労働者がその報酬を受けるにふさわしいように、奉仕者は自分と家族の生活の支えを、仕える会衆から受ける権利がある(コリント第一9:9以下、テモテ第一5:18等)。奉仕によって生計を立てる奉仕者を非難する再洗礼派に対して、われらはこれを主張する。

【訳者注:第19章以降について】
ここまで(第1〜18章)は、逐語訳に近い形の英訳(パブリックドメイン、シャフ『Creeds of Christendom』所収の完全な英語訳)を底本として翻訳してきた。しかし第19章以降については、入手できた完全な逐語訳の続きが確認できず、代わりにシャフ自身による要約版(同書内で「a condensed translation of the original」と明記されている、原文の趣旨をまとめた凝縮訳)を底本とせざるを得なかった。
したがって、以下の第19章〜第30章は、原文の逐語訳ではなく、要約(ダイジェスト)からの翻訳であることを明記する。各条項の趣旨・骨子は正確に反映するよう努めているが、原文にある個々の聖句引用の細部や修辞的な言い回しの多くは、要約の段階で省略されている。学術的な引用や正確な逐語訳が必要な場合は、原典(ラテン語)またはシャフの完全な英訳、既刊の日本語訳(大崎節郎訳『改革派教会信仰告白集Ⅲ』など)をご参照願う。

第19章 キリストの教会の礼典について 【要約】

御言葉の説教には、礼典すなわち聖なる儀式が伴う。これは、神がわれらの信仰を強めるためにその約束のしるしと証印として制定されたものであり、同時にわれらの側からは、神への献身の誓いともなる。
ユダヤの時代の礼典は割礼と過越の子羊であった。キリスト教時代の礼典は洗礼と主の晩餐である。
教皇主義者たちは礼典を七つに数える。このうち、悔い改め、教職按手、結婚については、神の有益な制度として認めるが、礼典としては認めない。堅信礼と終油の秘跡は人間の考案物であり、廃止しても何ら損失はない。われらは、ローマの祭司たちによって礼典にまつわって行われる商行為を忌み嫌う。
礼典の最高の恵みは、救い主キリストご自身であり、世の基が置かれる前から屠られた神の子羊、われらの父祖たちがみな飲んだあの岩である。この点において、旧約と新約の礼典は同一である。ただしわれらは、その実体をすでに持っている。
礼典は、御言葉、しるし、しるされる事柄から成る。神の御言葉とキリストの制定によって、それらは礼典となり、聖別される。洗礼におけるしるしは水であり、しるされる事柄は再生あるいは罪からの洗いである。主の晩餐におけるしるしはパンとぶどう酒であり、しるされる事柄はわれらのために犠牲とされたキリストの真実の体と血である。しるしはしるされる事柄そのものに変化するのではない──そうであれば、それはもはや、しるされる事柄を表す礼典的なしるしではなくなってしまう──しかし、それらは聖なる、有効なしるしと証印である。洗礼と晩餐を制定された方は、われらが外的な形だけでなく、内的な恵み、すなわち信仰によって真実に罪から洗われ、キリストにあずかる者となることを意図されたからである。
礼典の真実性と有効性は、それを執行する者の資格にも、それを受ける者の資格にも依存せず、神の真実にのみ依存する。信じない者は、差し出されているものを受け取らない。しかしその咎は人間の側にあり、彼らの不信仰が神の真実を無にするわけではない(ローマ3:3)。

第20章 聖なる洗礼について 【要約】

洗礼はキリストによって制定された(マタイ28:19、マルコ16:15)。教会における洗礼はただ一つであり、生涯にわたって効力を持ち、われらの神の子としての身分の永続的な証印である。キリストの御名によって洗礼を受けるとは、神の契約、神の家族、神の子らの相続財産に登録され、迎え入れられることであり、キリストの血によって罪から清められ、新しく汚れなき生活を送るためである。われらは聖霊によって内的に再生されるが、この恵みの公の証印を洗礼によって受け取る。水が汚れを洗い去り、体を爽やかにし慰めるように、神の恵みは内的・見えない仕方で魂を清める。
洗礼によってわれらは世から分かたれ、神に献げられる。洗礼においてわれらは自らの信仰を告白し、神への従順を誓う。われらは、肉と世と悪魔とに対して戦うキリストの聖なる軍勢に登録されるのである。
原初の洗礼の形式に後代人間が付け加えたもの──悪魔祓い、燃える灯火、油、塩、唾などの使用──は不要であるとわれらは判断する。
洗礼は女性や産婆によってではなく、教会の奉仕者によって執行されるべきである。
われらは、信仰者の子らが洗礼を受けるべきであることを否定する者たちを断罪する。神の国は子どもたちのものであり、彼らは神との契約のうちにあるのだから、なぜ契約のしるしを彼らに与えてはならないのか。それゆえわれらは再洗礼派ではなく、彼らとの交わりを持たない。

第21章 主の聖なる晩餐について 【要約】

主の晩餐、すなわち聖餐は、贖いの恵みへの感謝に満ちた記念であり、キリストによって制定された信仰者の霊的な饗宴であって、そのうちで主は真実の信仰によってご自身の肉と血をもってわれらを養い、永遠の命に導かれる。それは、この上ない恵みと祝福──主がまことにご自身の体を渡し、われらの罪の赦しのために血を流されたこと──をわれらにしるし、証印するものである。われらはそこで、まことの食物であるその肉を食べ、まことの飲み物であるその血を飲む(マタイ26:20以下、ルカ22:19、コリント第一11:21以下、ヨハネ6:51以下)。
この「食べる」ことは、口と胃による身体的・カペナウム的な食事ではなく、霊的なもの、すなわち聖霊による信仰を通してのものである。「肉」を身体的に食べても益はなく、「命を与えるのは霊」である(ヨハネ6:63)。「わたしはいのちのパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない」(ヨハネ6:51)。したがって、ここでの食べることと飲むこととは、キリストのもとに来て彼を信じることを意味する。アウグスティヌスが言うように、「なぜ歯と胃を用意するのか。信じよ、そうすればあなたはすでに食べたのである」。
この霊的な食事──キリストとの日々の霊的交わり──に加えて、礼典的な食事がある。それによって信仰者は、内的・霊的に主の真実の体と血にあずかるだけでなく、外的にも主の食卓に近づき、その体と血の目に見えるしるしと証印を受け取る。そして、しるしとともに、それがしるす当のもの自体をも受け取る。信仰者はこの霊的な食物によって養われ強められる。しるしはまた、キリストが人類全般のためだけでなく、あずかる一人ひとりの信仰者のためにも死なれたことの確かな証しである。さらにこの礼典にあずかることによって、われらは主の命令に従い、その贖いの死を記念し、大いなる贖いに感謝を捧げ、会衆の前で自らの信仰を公に告白する。
しかし、信仰なく、ふさわしくなくあずかる者は、目に見えるしるしのみを受け取り、それは自分自身への裁きとなる(コリント第一11:27以下)。
それゆえわれらは、パンとキリストの体、ぶどう酒とキリストの血を、パンそのものが(礼典的な意味を除いて)体そのものである、あるいはキリストの体がパンの形の下に身体的に隠されておりパンの形において礼拝されるべきである、あるいはしるしを受け取る者はだれでも必然的にしるされる事柄そのものをも受け取る、というふうには結びつけない〔ルター派の説に対して〕。キリストの体は、御父の右の座、天にある(マルコ16:19、ヘブライ8:1、12:2)。それゆえわれらは心を天に上げなければならない。
しかしそれでもなお、主は信仰者が聖餐にあずかるとき、彼らから不在であられるのではない。天における太陽がわれらに対して効果的に臨在するように、義の太陽であるキリストは、身体的にではなく、霊的に、その命を与え生かす働きによって、なおいっそうわれらとともにおられる。それは最後の晩餐において主ご自身が、ご自身がわれらとともにおられることを説明されたとおりである(ヨハネ14〜16章)。それゆえわれらは、キリスト不在の晩餐を持つのではなく、古代の全教会がそう呼んだように、血を流すことのない、神秘的な晩餐を持つのである。
さらに主の晩餐は、われらがその体の肢体であること、すべての兄弟と平和に生きるべきこと、聖なる生活のうちに成長し忍耐すべきことを、われらに思い起こさせる。それゆえ、悔い改めとキリストへの信仰について自己吟味することによって、あらかじめ自らを整えることは、まことにふさわしいことである(コリント第一11:28)。
外的な執行に関しては、われらは原初の形式──神の御言葉の告知、敬虔な祈り、主のみわざ、そしてパンを裂き、ぶどう酒とともに分け与える再演、主の体を食べ主の血を飲むこと、その死の感謝に満ちた記念、感謝、そして一つの体としての兄弟の聖なる集いという形式──を守る。
われらは、主の明確な命令「あなたがたはみな、この杯から飲みなさい」(マタイ26:27)に反する、杯の一般信徒への差し止めを是としない。
ミサは──古代においてどのようなものであったにせよ──有益な制度から空しい見せ物へと変えられ、さまざまな濫用に取り囲まれるようになった。これらの濫用は、ミサの廃止を正当化するものである。

第22章 聖なる集会・教会の集まりについて 【要約】

すべての人が自宅で私的に聖書を読み、これによって教え導かれることは、正当かつ正しいことである。同時に、宗教の維持には規則的な公の礼拝が求められる。これらは、民衆が理解できる言語によって、品位をもって、秩序正しく、徳を建て上げるために行われるべきである。

第23章 教会の祈り、賛美、聖務日課について 【要約】

聖なる集会における公の祈りは、すべての人が理解できる自国語でなされるべきである。すべての祈りは、聖徒たちにではなく、また聖徒たちを通してではなく、キリストのみを通した唯一の仲介によって、神のみに献げられるべきである。諸教会は、通常の形式から自由に変わることができる。祈りは、特定の場所や時間に迷信的に限定されるべきではない。公の集会における長く冗長な祈りは避けるべきである。賛美は不可欠ではないが、正当かつ望ましいものである。聖務日課(定時課)は聖書に定められておらず、古代にも知られていなかった。

第24章 祝祭日、断食、食物の選択について 【要約】

主の日は、使徒たちの時代から、神への礼拝と聖なる休息のために聖別されている。しかしわれらはこれを、ユダヤ的な迷信によってではなく、キリスト教的な自由のうちに守るのであり、ある一日がそれ自体において他の日より聖であるとは信じない。
もし諸教会がこれに加えて、主の降誕、割礼、十字架、復活、昇天、聖霊降臨を記念するならば、われらはこれを大いに是とする。しかし人間が聖徒を称えて制定した祝日は、聖徒の記憶が有益であり、その徳に倣うようにと民に勧められるべきものであるとしても、退ける。
まことのキリスト教的断食は、節制、節欲、目覚め、自己統制、そして御霊により従いやすくなるための肉の懲らしめから成る。このような断食は、祈りとあらゆる徳の助けとなる。
また、苦難と災いの時に定められる公の断食もあり、そのときには人々は夕方まで一切の食物を断ち、すべての時を祈りと悔い改めに費やす。このような断食は預言者たちにも言及されており(ヨエル2:12以下)、教会が苦しめられ抑圧されているときに守られるべきである。私的な断食は、それが自らの魂に有益であると各人が判断するときに、各自守るべきものである。
すべての断食は、自由で進んで行う心から生じるべきであり、真の謙遜の霊のうちに、肉に打ち勝ち、いっそう熱心に神に仕えるために行われるべきであって、人の好意や義の功績を得るためであってはならない。
四旬節の断食は古代の証しを持つが、聖書に命じられているわけではなく、信仰者の良心に課されるべきではない。初代教会には、断食の時期に関して大きな多様性と自由があった。イレナイオスや歴史家ソクラテスから、われらはこれを知る。
食物の選択に関して、われらは断食において肉欲を刺激するような食物や飲み物を控えるべきであると考える。しかしそれ以外については、神のすべての被造物は良いものであり(創世記1:31)、節度と感謝をもって区別なく用いてよい(コリント第一10:25、テトス1:15)。パウロは食物を禁じる教理を悪霊の教えと呼び(テモテ第一4:1以下)、過度の節制によって聖性の評判を得ようとする者たちを非難している。

第25章 教理教育について、また病人の訪問と慰めについて 【要約】

若者への宗教教育、とりわけ十戒、使徒信条、主の祈り、礼典の本質についての教育に、最大の配慮が払われるべきである。諸教会は、子どもたちが教理教育を受けるよう配慮すべきである。
病人を訪問し、慰め、力づけ、私的にも公にも彼らのために祈ることは、キリスト教の牧者の主要な務めの一つである。しかしわれらは、教皇主義者たちの終油の秘跡を是としない。

第26章 信仰者の埋葬について、死者への配慮について、煉獄と霊の出現について 【要約】

聖霊の宮である信仰者の体は、終わりの日によみがえるのであるから、迷信によらず、敬意をもって地に納められるべきであり、その親族、寡婦、孤児は手厚く配慮されるべきである。
われらは、信仰者は死後直ちにキリストのもとに行き、生きている者の祈りを必要としないと信じる。不信仰者は地獄に投げ込まれ、そこから逃れる道はない。
煉獄の教理は聖書に反し、キリストによる完全な贖罪と清めに反する(ヨハネ5:24、13:10参照)。
死者の霊が生きている者に現れ、自分たちの救済のために奉仕を求めるという話は、われらの判断では嘲弄あるいは悪魔の欺きである。主は死者への口寄せを禁じておられる(申命記18:10)。そして富める者は、もし地上の兄弟たちがモーセと預言者たちに耳を傾けないなら、たとえだれかが死人の中からよみがえっても、彼らは説得されないであろうと告げられた(ルカ16:30)。

第27章 儀式と祭儀について 【要約】

ユダヤ人の儀式律法は、まことの解放者キリストへとユダヤ人を導く養育係であり後見人であった。キリストはこれを廃止されたので、信仰者はもはや律法の下にではなく、福音の自由の下にある。使徒たちは、新しい改宗者にユダヤの儀式の重荷を負わせようとはしなかった(使徒15:28)。人間の儀式が教会に積み重ねられるほど、それはキリスト教的な自由から、そしてキリストご自身から、教会を遠ざける。無知な者たちは、信仰によってキリストのうちに求めるべきものを儀式のうちに求めてしまう。神の御言葉に一致した、少数の純粋で節度ある儀式で十分である。
古代の教会に存在した、そして今われらの間に存在するような、儀式における相違は、教理と信仰における一致と調和を妨げるものではない。それ自体は善でも悪でもない中立的な事柄(アディアフォラ)においては、教会は常に自由を用いてきた(コリント第一8:10、10:27以下)。

第28章 教会の財産について 【要約】

教会の財産は、公の礼拝と学校の維持、奉仕者と教師の支援、そしてとりわけ貧しい者の益のために用いられるべきである。
無知あるいは貪欲による教会財産の誤用と濫用は冒瀆であり、改革を要する。

第29章 独身、結婚、家政について 【要約】

天からの賜物として独身を与えられ、全き心をもって清く節制できる者は、他者に対して自らを誇ることなく、単純さと謙遜のうちに、その召しにあって主に仕えてよい。そうでなければ、使徒の言葉「情の燃えるよりは結婚するほうがよい」(コリント第一7:9)を思い起こすべきである。
結婚(不節制の治療であり、それ自体が節制でもある)は神によって制定され、神はこれを豊かに祝福し、男女を親密な愛と調和のうちに生きるよう不可分に結び合わされた(マタイ19:5)。結婚はすべての人において尊ばれるべきであり、その床は汚されていない(ヘブライ13:4、コリント第一7:28)。
われらは重婚を、また再婚を退ける者たちを断罪する。
結婚は主を畏れる心をもって、両親またはその代理人の同意を得て、それが制定された目的にしたがって結ばれるべきである。
子どもたちは主を畏れるうちに育てられ、両親によって適切に扶養され(テモテ第一5:8)、誠実な技術あるいは職業を教えられるべきである。
われらは、結婚を禁じる、あるいはこれを不浄で汚れたものとして間接的に貶める教理を断罪する(テモテ第一4:1)。われらは、汚れた独身、隠された、あるいは公然の淫行、そして偽善者たちの見せかけの節制を忌み嫌う。

第30章 為政者について 【要約】

世俗の為政者は、人類の平和と安寧のために、神ご自身によって立てられた(ローマ13章)。教会に敵対するなら、為政者は大きな害をなしうる。友好的であれば、教会に最も有益な奉仕をなしうる。
為政者の務めは、平和と公の秩序を保つこと、宗教と善き道徳を促進し保護すること、正しい法によって民を治めること、盗人、殺人者、抑圧者、冒瀆者、そして(真に異端者であるならば)矯正しがたい異端者など、社会に背く者たちを罰することである。
戦争は、自衛のためにのみ、そしてあらゆる和平の努力が尽きた後にのみ、正当化される。
われらは、キリスト者が公職に就くべきでない、為政者には何びとをも死刑に処す権利がない、戦争をなす権利がない、誓いを求める権利がないと主張する再洗礼派を断罪する。
すべての市民は、神のしもべとしての為政者に対して、そのすべての正しい命令において敬意と従順を負う。公共の安全と福祉が求めるときには、自らの命をもってさえも。それゆえわれらは、為政者を軽んじる者、反逆者、国家の敵、そして公然とあるいは巧妙に市民としての義務を拒む者たちすべてを断罪する。
われらは、われらの憐れみ深い天の父なる神に、君主と為政者、われらすべて、そして神のすべての民の上に、われらの唯一の主にして救い主なるイエス・キリストを通して、祝福を注いでくださるよう祈る。彼にとこしえに賛美と栄光と感謝がありますように。アーメン。

2026年8月5日水曜日

【小論】カルヴァンのサクラメント論、特に聖餐論について―Institutes IV.14-19を中心に―

 【小論】カルヴァンのサクラメント論、特に聖餐論について―Institutes IV.14-19を中心に―


I.カルヴァンのサクラメント論の基本構造(Inst. IV.14-19)
 Institutes(『キリスト教綱要』)第4巻第14~19章は、洗礼と聖餐を軸とするカルヴァンのサクラメント論が体系的に展開される代表箇所である。カルヴァンはここで、しるし(signum)と、しるされた事柄・実体(res significata)とを区別しつつも分離しない、という中世以来の枠組みを継承しながら、二つの戦線――カトリック・ルター派の客観主義と、再洗礼派・ツヴィングリ主義の霊的主観主義――に対して、独自の中道的立場を彫琢していく。

1.初期カトリックの伝統、特にアウグスティヌスとの連続性(IV.14.26)
 カルヴァンは、サクラメントを「見えない恵みの見える形態」とするアウグスティヌスの定義を高く評価し、これを土台としつつも「正しく、良いが、簡潔に過ぎる」としてみずから発展させる。IV.14.26では、旧約のサクラメント(割礼など)と新約のサクラメント(洗礼・聖餐)が、ともにキリストへと導くという同一の実体を指し示す点で本質的に同一であることを、アウグスティヌスの言葉――「旧約のそれらは成就されるべき事柄の約束であり、新約のそれは成就のしるしである」――を引用しつつ論証する。ここにカルヴァンは、初代教会以来のサクラメント論的伝統、すなわちしるしとその指し示す実体とを区別しながらも両者の結びつきを保持するという立場を、みずからの神学の出発点として引き継いでいることが確認できる。

2.カトリック・ルター派の「客観主義」への対抗――聖霊と信仰の必要性
 カルヴァンは、サクラメントの効力が儀式の執行それ自体によって自動的・客観的に生じるとするカトリックのex opere operato理解、およびパンとぶどう酒の実体を保持したままキリストの体と血がその中に・共に・下に(in, cum, sub)実体的・場所的に現臨するとするルター派の共在説(consubstantiatio)をともに退ける。1530年アウグスブルク信仰告白第10条が、キリストの体と血は「食する者に(vescentibus)」客観的に配られ与えられると定めたのに対し、カルヴァンはこれを「信じる者に(credentibus)」と修正すべきだと考えた。サクラメントが恵みを証印し得るのは、あくまで聖霊の働きと受領者の信仰とを媒介としてであり、信仰なきところにサクラメントの効力はない。これによってカルヴァンは、不信者や幼児にまでキリストの体を機械的に「飲み込ませる」という秘跡の自動主義を排除する。

3.再洗礼派と霊的主観主義への対抗――サクラメントの手段・媒介としての側面の強調
 他方でカルヴァンは、聖餐を単なる記念・象徴・信仰告白の行為へと還元するツヴィングリ主義、およびそれをさらに徹底し、教会・聖書・儀式といった外的なものそのものを軽視する再洗礼派の霊的主観主義とも対決する。カルヴァンにとってサクラメントは「裸の、空虚なしるし」ではなく、しるしと実体とが不可分に結びついた「呈示的(exhibitive)・道具的(instrumental)」な手段である。しるしは恵みを単に指し示すのみならず、聖霊の働きを通してその恵み自体を実際に運び伝える「道具」として機能する。B. A. ゲリッシュはこの立場を「象徴的道具主義(symbolic instrumentalism)」と呼び、ツヴィングリの「象徴的記念主義(symbolic memorialism)」、ブリンガーの「象徴的並行主義(symbolic parallelism)」と対比している。

II.歴史的背景――1520年代のルター・ツヴィングリ論争とその調停
 カルヴァンのサクラメント論は、1520年代に先鋭化したルターとツヴィングリの聖餐論争という文脈のなかで、いわば「後発の宗教改革者」として両者の中間を模索する形で形成された。

1.ルターのリアリズム(共在説)
 ルターは、神の内在性を重んじるトマス主義的伝統を継承しつつ、「これはわたしのからだである」(マタイ26章)という制定の言葉の文字通りの解釈に立脚し、パンとぶどう酒の実体を保持したまま、その中に・共に・下に(in, cum, sub)キリストの体と血が実体的・場所的に現臨するという共在説を主張した。この立場は、後継者(とりわけヨハン・ブレンツ)によって、キリストの人間性の遍在(ubiquitas)の教理にまで展開されていく。

2.ツヴィングリのスピリチュアリズム(象徴主義・人間側の態度)
 これに対しツヴィングリは、新プラトン主義的・アウグスティヌス的・人文主義的立場から、制定の言葉の「である(est)」を「意味する(significat)」と解釈し、パンとぶどう酒はキリストのからだの記念のしるし・象徴にすぎないとした。ツヴィングリにとって聖餐は、記念の食事(Gedächtnismahl)、兄弟的交わりの確認(Gemeinschaftsmahl)、信仰の誓約(Pflichtzeichen)という、水平的・人間側の態度(神人協働的な信仰応答)を主とするものであり、キリストとの実体的な交わりという贈与的性格を欠いていた。

3.ブツァーによる調停の道、およびカルヴァンとブリンガー
 1529年のマールブルク会談でもルターとツヴィングリの対立は解消せず、ストラスブールの改革者マルティン・ブツァーが両陣営の間の「中間の道」を模索した。ブツァーは、キリストの現臨は実在し恵みとして与えられるが、それは「聖霊のありかたにおいて(modo Spiritus Sancti)」霊的にであって、肉的・場所的にではない、という総合に到達した。1538~1541年のストラスブール滞在中にブツァーから決定的な影響を受けたカルヴァンは、聖霊が天にあるキリストのからだと地上の教会とを結ぶ「絆」であるとするこの理解を、みずからのサクラメント論の中心に据えることになる。他方、ツヴィングリの死後その立場を継いだハインリヒ・ブリンガーは、象徴主義を幾分和らげつつも、口がパンを受けるのと同時に・並行して心がキリストを受ける、という「象徴的並行主義」を基本的に保持し、後述の1549年チューリヒ合意(Consensus Tigurinus)においてカルヴァンの合意相手となった。

III.gnesio-ルター派、ヨアヒム・ヴェストファールとヘスフシウスによる反論(1552-1561)
 1549年のチューリヒ合意(カルヴァンとブリンガーによる、チューリヒとジュネーブの聖餐理解を統一する全26箇条の文書。1551年ラテン語版公刊)が世に問われると、正統ルター派(gnesio-ルター派)から激しい反発が起こった。1552年、ハンブルクの説教者ヨアヒム・ヴェストファールは、チューリヒ合意とカルヴァン、ペトルス・マルティルを攻撃する論考を著し、キリストのからだはパンのうちに実体的に、しかも局所的にではないにせよ遍在的に(extra locum)現臨しており、ユダもペトロと同様にそれを食した、と主張した。カルヴァンは『聖餐に関する健全で正統な教理の擁護――チューリヒ合意に基づく』(1555年)等で応答した。論争はブレーメンにも波及し、ティレマン・ヘスフシウスと(カルヴァン主義的立場に立つ)アルベルト・ハーデンベルクとの間で激化、ハーデンベルクは職を追われるに至った。1558年にハイデルベルクの総監督となったヘスフシウスは、その後もカルヴァン主義的傾向(いわゆるクリプト・カルヴィニズム)の追及を続けた。カルヴァンは1561年、『ヘスフシウスの迷妄を論駁するための、キリストの肉と血への真のあずかりに関する健全な教理の明晰な説明』(Dilucida explicatio sanae doctrinae de vera participatione carnis et sanguinis Christi in Sacra Coena, ad discutiendas Heshusii nebulas)を著し、自身の聖霊論を、ツヴィングリ主義的な「人間の霊とキリストの神性との合一」に解消されるものではなく、キリストの肉と血への実質的なparticipatio(あずかり)を含むものとして弁明した。この一連の論争(第二次聖餐論争)は、1552年のヴェストファールの攻撃に始まり、1561年のヘスフシウス論駁に至るまで、約10年にわたって続いた。

IV.カルヴァンのサクラメント論の形成過程――Institutes諸版の変遷
 近年のカルヴァン研究(とりわけWim Janseの研究)が示すように、カルヴァンの聖餐論は最初から一貫し完成された教理として存在したのではなく、Institutesの改訂を重ねるなかで、いわば振り子のように立場を揺らしながら段階的に形成されていった。

1536-1537年 ツヴィングリ的傾向(Inst. 1536)
 最初の『キリスト教綱要』(1536年版)およびこれに近接する時期の文書には、後年のような道具主義的な語彙(exhibere等)がまだ乏しく、ツヴィングリ的な色彩の強い記述が見られる。

1537-1548年 ルター派的傾向(Inst. 1539)
 ストラスブール時代(1538-1541年)のブツァーとの接触を経て、1539年版Institutesおよびこの時期の著作(『聖餐に関する信仰告白』1537年、『我らの主イエス・キリストの聖なる晩餐に関する小論』1541年など)には、道具主義的・呈示的(exhibitive)な語彙が導入され、キリストの体と血への実質的なあずかりを強調する、ルター寄りの傾向が顕著になる。カルヴァンはこの時期、1540年の修正アウグスブルク信仰告白(Confessio Augustana Variata)にも署名している。

1549-1560年 主観主義・霊的傾向の刷新(Inst. 1559)
 1549年のブリンガーとのチューリヒ合意交渉の結果、しるしと実体との「並行」を語るツヴィングリ=ブリンガー的な語法が改めて前面に出てくる。同時に、1550年代のヴェストファールとの論争(上記III)を経た成果も1559年版Institutesに組み込まれ、IV.14-19を含む決定版が成立した。カルヴァンは、この時期にブリンガーの圧力の下でツヴィングリ的な要素を取り入れることで、かえってルター派との架橋を果たせると(結果的には誤算であったが)考えていたことが指摘されている。

1561-1562年 ルター派への接近の再開
 ヘスフシウスとの論争(1561年、Dilucida explicatio)を経て、カルヴァンは再びルター派に対する融和的な姿勢――1540年代の「親ルター派的な調子」――に立ち戻り、キリストの体と血への実質的なあずかりを強く前面に出す表現を採るようになる。

結び
 以上に見たように、カルヴァンのサクラメント論は、初期カトリック(アウグスティヌス)的な連続性を保持しながら、一方でカトリック・ルター派の客観主義(ex opere operato・共在説)に対して聖霊と信仰の必要性を、他方で再洗礼派・ツヴィングリ主義的な霊的主観主義に対してサクラメントの手段的・道具的性格を、それぞれ強調するという二正面作戦の産物であった。そしてこの立場そのものが、1536年から1562年に至るInstitutesの改訂過程において、ツヴィングリ的段階(1536-37)→ルター派的段階(1537-48)→主観主義的刷新の段階(1549-60)→ルター派再接近の段階(1561-62)という、振り子のような往復運動を経て徐々に彫琢されていったものである。

主要参考文献
・Wim Janse, "Calvin's Doctrine of the Lord's Supper," Perichoresis 10.2 (2012): 137-163.(本レジュメの時代区分(1536-37/1537-48/1549-60/1561-62)は、同論文(および同氏 "Calvin's Eucharistic Theology: Three Dogma-Historical Observations," in Calvinus sacrarum literarum interpres, 2008)の歴史的分析に基づく。)
・John Calvin, Institutes of the Christian Religion (1559), IV.14-19.
・Consensus Tigurinus (1549).
・B. A. Gerrish, Grace and Gratitude: The Eucharistic Theology of John Calvin, Minneapolis: Fortress Press, 1993.

2026年6月6日土曜日

【キリスト教史解説】オリゲネス—最も重要かつ最も批判された古代神学者

 

【キリスト教史解説】オリゲネス(184頃–254頃)

1 概要

 オリゲネスは、3世紀前半に活躍した初期ギリシア教父の中でも、最も重要な神学者の一人であり、アレクサンドリア学派神学を体系的に確立した人物である。
 彼はキリスト教思想を単なる信仰の表現にとどめず、ギリシア哲学、とりわけプラトン主義の枠組みを用いて理論的に再構成しようとした最初期の試みを担った。
 その神学はきわめて思弁的であり、魂の先在説や万物回復思想(アポカタスタシス)など、後の正統教義と緊張関係を持つ教説を含んでいた。このため、後代には「オリゲネス主義」として異端視されることもあったが、同時に彼の思想はキリスト教神学の発展に決定的な影響を与えた。
 また彼は聖書解釈において、テキストが複数の層の意味を持つと考え、逐語的・道徳的・霊的という三重の解釈原理を提示した。これは後の神学・霊性思想に深く受け継がれていくことになる。
主著としては、聖書本文研究の画期的業績である『ヘクサプラ』、および最初期の体系神学書『原理論(De Principiis)』が挙げられる。

2 生涯

出自と教育

オリゲネスはエジプトのアレクサンドリアに生まれた。父レオニデスは敬虔なキリスト者であり、幼少期から聖書教育を施したと伝えられる。彼はキリスト教教育のみならず、当時の知的基盤であったギリシア哲学・文法学・修辞学にも精通し、広範な教養を身につけた。

迫害と青年期

202年、セプティミウス・セウェルスによる迫害の中で父が殉教し、家計は困窮した。これを契機に彼は若くして教師として活動を開始し、学問と信仰の双方において自立していく。

教理学校での活動

アレクサンドリア主教デメトリオスは、彼の才能を高く評価し、教理学校の責任者に任命した。オリゲネスは厳格な禁欲生活を送り、信仰の徹底を追求したとされる。伝承によれば、マタイによる福音書19章12節を文字通り解釈して去勢したとされるが、この点については史実性に議論がある。

学者としての名声と対立

215年頃にはその学識によって広く知られるようになったが、パレスティナにおいて平信徒の立場で説教を行ったことが教会規律違反とみなされ、問題となった。さらに230年頃、パレスティナで司祭に叙任されたことが主教デメトリオスとの対立を決定的なものとし、最終的にアレクサンドリアを追われることとなる。
その後はカイサリアに移住し、そこで学問活動を継続した。

晩年と死

250年、デキウスの迫害により投獄され、拷問を受けた。この時の後遺症がもとで、彼は254年頃に死去したと考えられている。

3 神学と業績

(1)聖書研究

オリゲネスの代表的業績の一つが『ヘクサプラ』である。これはヘブライ語原文と複数のギリシア語訳を並列した巨大な聖書対照表であり、聖書本文を比較・検証するという意味で、後の本文批判学の先駆的試みであった。

(2)体系神学

『原理論(De Principiis)』は、神、キリスト、人間、自由意志、救済史といった主題を統一的に論じた著作であり、キリスト教史上最初の本格的な組織神学と評価される。この書において彼は、信仰内容を理性的体系として提示しようと試みた。

(3)聖書解釈学

彼は聖書の意味を三つの次元に区別した。すなわち、
  • 逐語的意味(身体)
  • 道徳的意味(魂)
  • 比喩的・霊的意味(霊)
このうち特に霊的解釈を重視し、聖書の深層にある神学的・神秘的意味を読み取ろうとした。この方法はアレクサンドリア学派の基本原理となり、中世の聖書解釈にも大きな影響を与えた。

4 神学的特徴と論争

オリゲネスの思想には、以下のような特徴的教説が見られる。
  • 魂の先在説:人間の魂は現世以前から存在していたとする思想
  • 万物回復思想(アポカタスタシス):最終的にはすべての存在が神へと回復されるとする救済観
  • 従属説的キリスト論:子なるキリストが父なる神に従属する形で理解される傾向
これらは後の正統教義と緊張関係を持ち、特に三位一体論の確立以後には問題視されることとなった。ただし、これらの思想は彼の時代においては未確定であった教義領域を理論的に探究した結果でもある。

5 オリゲネス主義論争

4世紀後半になると、エピファニオスがオリゲネス思想を強く批判し、異端視する動きが強まった。さらに、当初は擁護的であったヒエロニムスも後に批判へと転じ、論争は拡大した。
この論争は修道士たちの間にも波及し、対立や迫害を引き起こした。6世紀にはパレスティナの修道院(聖サバス)を中心に再燃し、最終的には教会によって異端として排斥されるに至った。

6 評価

古代~中世

オリゲネスは長く「オリゲネス主義」の代表者として異端視され、その著作の多くは散逸した。現存するものもラテン語訳に依存する場合が多い。

近現代

近代以降、彼の思想は再評価されている。従来「異端的」とされた教説の中には、誤解や後代の単純化によるものも多いと指摘されている。今日では、彼は聖書学・組織神学・霊性思想の先駆者として高く評価されている。

まとめ

オリゲネスは、キリスト教神学を哲学的かつ体系的に深化させた最初の巨人であった。その大胆な思弁は後代に論争を引き起こしたが、同時に彼の業績は聖書解釈、組織神学、霊性思想の各分野に決定的な影響を及ぼした。彼の試みは、信仰と理性の統合というキリスト教思想の根本課題に対する最初期の本格的応答として位置づけられる。

【キリスト教史解説】アレクサンドリアのクレメンス—キリスト教神学と中期プラトン哲学の融和

アレクサンドリアのクレメンス レジュメ

1.基本情報

  • 名称:アレクサンドリアのクレメンス
  • ラテン名:Clemens Alexandrinus
  • 活動時期:2世紀後半〜3世紀初頭
  • 生没年:140〜150年頃生 ― 211〜215年頃没
  • 活動地:アレクサンドリア
  • 立場:
    • 初期キリスト教神学者
    • 哲学者
    • 教育者
    • 聖書釈義家

2.時代背景

(1)知的環境

  • ギリシア哲学、とくに「中期プラトン主義」が大きな影響力を持っていた。
  • キリスト教はまだ少数派宗教であり、異教世界との対話が必要だった。
  • 「弁証論者(Apologists)」たちは、キリスト教を理性的・哲学的に説明しようとした。

(2)クレメンスの特徴

  • ギリシア的教養(パイデイア)を修めた哲学者。
  • キリスト教とギリシア哲学を融合。
  • キリスト教に「体系的教育」という枠組みを与えた。

3.生涯

(1)学問と改宗

  • 各地を遍歴する職業哲学者として活動。
  • 後にアレクサンドリアへ移住。
  • キリスト教教師パンタイノスに師事。

(2)アレクサンドリア教会学校

  • パンタイノスの後継者となる。
  • 教会学校(カテケーシス学校)の校長職を継承。

(3)迫害と晩年

  • 202年:
    • ローマ皇帝 セプティミウス・セウェルス の迫害開始。
    • 洗礼志願者や教師が弾圧される。
  • クレメンスはアレクサンドリアを離れ、カッパドキアへ避難。
  • 215年頃に死去したと考えられる。

4.神学思想の核心

(1)啓示神学

  • 真理は「神の自己伝達(啓示)」によってのみ認識可能。
  • 人間の魂は物質への傾きによって歪められている。
  • 教師は人間を「神のロゴス」へ導く必要がある。

5.三段階の教育課程(三階梯)

段階内容対応著作
① 転向(Protreptikos)異教から神へ向かう回心『ギリシア人への勧め』
② 帰依(Paedagogus)倫理的訓練・魂の浄化『教師』
③ 真理認識(Didascalos)真の霊的認識(グノーシス)未完・未執筆

特徴

  • 密儀宗教の三段階構造
    • 「入会」
    • 「伝授」
    • 「観照」
  • をキリスト教化したもの。

6.主要著作

(1)『ギリシア人への勧め』(Protreptikos)

内容

  • 異教宗教の不合理・非倫理性を批判。
  • キリスト教ロゴスの優位性を提示。
  • 回心を促す弁証的著作。

(2)『教師』(Paedagogus)

内容

  • キリスト者の倫理的生活を指導。
  • 日常生活・食事・衣服・習慣などを規定。
  • 真理認識への準備段階を担う。

(3)幻の第3書『ディダスカロス』

重要点

  • 本来は真理伝達を扱う予定だった。
  • しかし執筆されなかった。

理由

  • 真理そのものは「文字で固定化できない」。
  • 真の理解は体験的・霊的認識である。

7.『ストロマテイス(雑録)』

特徴

  • 全8巻。
  • 「じゅうたん」「パッチワーク」のような構成。
  • 意図的に体系化を避けている。

主題

前半

  • キリスト教とギリシア哲学の関係。

後半

  • 真のキリスト教的グノーシス
    vs
    異端的グノーシス主義。

対象となる異端

  • ウァレンティノス 派など。

8.『救われる富者は誰か』

聖書箇所

  • マルコによる福音書 10章
  • 「金持ちの青年」の記事。

クレメンスの解釈

問題なのは

  • 富そのものではない。

真の問題

  • 富への執着。
  • 回心しない心。

意義

  • 所有否定ではなく「心のあり方」を重視。
  • 優れた聖書釈義の例。

9.その他の著作

現存するもの

  • 『テオドトス抜粋』
  • 『預言書精選』

失われた著作

  • 『ヒュポテュポーセイス(概要)』
  • 『過越』
  • 『摂理』

10.クレメンスの歴史的意義

(1)キリスト教と哲学の統合

  • 信仰と理性の対話を推進。
  • ギリシア哲学を積極的に利用。

(2)教育体系の形成

  • キリスト教信仰を段階的教育として整理。
  • 後の神学教育に大きな影響。

(3)後世への影響

  • とくに オリゲネス に継承される。
  • 東方教会神学の基礎形成に貢献。

11.まとめ

  • クレメンスは、ギリシア哲学を用いてキリスト教信仰を高度な知的体系へ高めた。
  • 「回心 → 倫理教育 → 真理認識」という三段階教育を提示。
  • 真理は単なる知識ではなく、「神との霊的一致」によって理解されると考えた。
  • その思想は後のキリスト教神学・教育・聖書解釈に大きな影響を与えた。

2026年4月27日月曜日

【キリスト教学講義シリーズ ②】第5章 ローマ世界への浸透と迫害から、キリスト教公認、国教化、ローマ帝国東西分割、西ローマ帝国滅亡

 


第5章 ローマ世界への浸透と迫害から、キリスト教公認、国教化

  • ユダヤ教は、第1次ユダヤ戦争で壊滅状態になり、戦後に再編成。
  メシア思想、終末思想の放棄。律法遵守中心。離散により国家を持たない民族へ。
  • 100年頃 ユダヤ教のヤムニア会議。キリスト教の排除が決定。正典決定。
  • 教会の「排除」から異物としての無視へ。よってユダヤ人による迫害は下火に。
  • 132〜135年 第2次ユダヤ戦争(バル・コクバの乱)。再度、エルサレム陥落。他方、キリスト教はローマ他、各地で徐々に勢力を拡大。
  • ローマ帝国において、キリスト教はまだ変人集団扱い。「人肉を食らう」聖餐の誤解
  • 国家規模の迫害は、先の皇帝ネロを除いては、まだまだ。
  • 250年 ローマ皇帝デキウスによる国家的規模の迫害
  • 253-262年 ローマ皇帝ワレリアヌスによる国家的規模の迫害
  • 303年 ローマ皇帝ディオクレティアヌスによる国家的規模の迫害。殉教の時代。ローマ帝国によるキリスト教迫害は皇帝の考え次第で、迫害なしの時代も。
  • 313年 ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によるミラノ寛容令。キリスト教公認(保障)。理由は諸説あるが、帝国の安定のため。個人的体験。
  • 325年 ニカイア公会議。アレイオス論争ひとまず決着。アタナシオス派は正統、アレイオス派は異端とされる。
  • 380年 テッサロニキ勅令。キリスト教の国教化。ニカイア信条に基づくキリスト教(アタナシオス派)をローマ帝国の唯一の正統信仰とする
  • 392年 テオドシウス帝、ニカイア信条に立つ正統派アタナシオス派キリスト教以外の宗教を禁令。異教の禁止。アレイオス派は異端として弾圧対象に。
  • 395年 ローマ帝国は東西に分割(テオドシウス1世の死後)
  • 476年 西ローマ帝国滅亡。ゲルマン人将軍オドアケルが最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスを退位させた。ローマ・カトリックは存続。
  • 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は1453年にオスマン帝国により滅亡。 滅亡後も、ギリシア正教(東方正教会)は存続。
オスマン帝国は征服後、ギリシア正教会を「ミッレト(宗教共同体)」として公認。パトリアルキ(総主教)は宗教的指導者であると同時に、ギリシア人共同体の行政的代表としても扱われた。そのため、政治的国家は消えても、宗教組織は残った。
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2026年4月26日日曜日

【キリスト教学講義シリーズ②】第2〜4章 イエスの誕生年問題、公生涯、教会の誕生、パウロの足跡

 

【キリスト教学講義シリーズ②】キリスト教の歩み(1):初期時代、古代時代

 1.イエス時代のユダヤ社会
* 前37年、ヘロデ大王の支配下、ユダヤは実質的にローマの属国(植民地)とされる。
* 重税・異民族支配に対するユダヤ人の不満。政情不安。経済的貧困。
* サドカイ派:神殿祭司を中心とする貴族層。親ローマ的現状維持、利権確保。
* ファリサイ派:律法学者・宗教家・教師。異教民族の支配に反対。福音書では批判的に描かれるが、実際は敬虔で倫理的。民衆に影響力。
* 「熱心党(ゼーロータイ)」:反ローマ武装闘争を行う急進派。親ローマ側の暗殺も。

 宗教的背景
* メシア待望の高まり:政治的・宗教的救済者への期待(終末思想と結合)

 2.イエスの歩み
* 前4年 イエス・キリスト誕生(推定)
* 27年頃 洗礼者ヨハネの活動。ヨルダン川で洗礼を授ける宣教活動。
* 27-30年頃 イエス、宣教活動(「公生涯」)ルカ3:1などから推定
* 30年頃 イエス、十字架刑に処せられる。

 補足
* 年代は厳密には測定不可能。
* イエス誕生年のずれ:西暦元年がイエス誕生年ではなく……。6世紀頃、キリストの誕生年を元年とする暦がディオニシウス・エクシグウスにより考案。しかし後代、年代計算に4年のずれがあったことが判明。イエス誕生年の推定年代は前4年とされた。
* イエスの活動期間
  ・共観福音書 → 約1年説
  ・ヨハネ福音書 → 約3年説
  ・2世紀の教父エイレナイオスは、10年以上と報告。『異端反駁』2巻

 3.イエス以後:教会の誕生とパウロ
* 復活から50日後:ペンテコステ(聖霊降臨) → 教会誕生。『使徒言行録』より。
* 35/36年頃:「七人」(ギリシャ語を話すユダヤ人で構成)のステファノ殉教。
* その後、パウロ、ユダヤ教からキリスト教に回心。

 初期教会の特徴
* ユダヤ人からの迫害。
* 非ユダヤ人(ゴッドフィアラー)の流入。
* 割礼不要(割礼=ユダヤ人の証、包皮切除) → 民族宗教から普遍宗教へ
* 教会の初期の姿は、家の集会(ハウスチャーチ)。礼拝堂建築は後代。

宣教の展開
* 40年代以降、パウロ、シリア・小アジアで伝道。他でも進展。
* 地中海世界へ急速に拡大。ローマへも伝播。

4.パウロ以後:キリスト教の成立
* 64年:ローマ皇帝ネロによる迫害。ローマの大火。
* 66-70年:第1次ユダヤ戦争 →エルサレム神殿崩壊

文書成立
* 新約中、パウロ書簡は最も早く、主として50年代成立。四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)その他、70年代から100年代に多くの書が成立。

結果
* ユダヤ教からの分離が決定的に進行。→ キリスト教がユダヤ教の一派ではなく、独立宗教として成立。

5.ローマ世界への浸透と迫害
* 100年頃 ユダヤ教のヤムニア会議。キリスト教の排除が決定。正典決定。
* ユダヤ教自体、第1次ユダヤ戦争で壊滅状態になって、戦後に再編成。
  メシア思想、終末思想の放棄。律法遵守民族。国家を持たない民族へ。
* 教会の「排除」は異物として無視することへ。よってユダヤ人による迫害は下火に。
* 135年 第2次ユダヤ戦争(バル・コクバの乱)終了。再度、エルサレム陥落。この頃も、キリスト教はローマ他、各地で徐々に勢力を拡大。
* ローマ帝国において、キリスト教はまだ変人集団扱い。「人肉を食らう」聖餐の誤解
* 国家規模の迫害は、先の皇帝ネロを除いては、まだまだ。
* 250年 ローマ皇帝デキウスによる国家的規模の迫害
* 253-262年 ローマ皇帝ワレリアヌスによる国家的規模の迫害
* 303年 ローマ皇帝ディオクレティアヌスによる国家的規模の迫害
  ・ローマ帝国によるキリスト教迫害は皇帝の考え次第で迫害なしの時代も。
* 313年 ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によるミラノ寛容令。キリスト教公認。
* 392年 テオドシウス帝、正統派アタナシオス派キリスト教以外の宗教を禁令。国教化。
* 395年 東西ローマの分割。西欧のローマ・カトリック。東ローマの正教。
  後者は1453年にオスマントルコにより滅亡
  →ギリシア正教、ローマ正教は存続。

2026年4月23日木曜日

【キリスト教学講義シリーズ②】第1章 イエス時代のユダヤ社会—ローマの属国支配とメシア待望

 

1.イエス時代のユダヤ社会

  • 前37年、ヘロデ大王の支配下、ユダヤは実質的にローマの属国(植民地)とされる。
  • 重税・異民族支配に対するユダヤ人の不満。政情不安。経済的貧困。
  • サドカイ派:神殿祭司を中心とする貴族層。親ローマ的現状維持、利権確保。
  • ファリサイ派:律法学者・宗教家・教師。異教民族の支配に反対。福音書では批判的に描かれるが、実際は敬虔で倫理的。民衆に影響力。
  • 「熱心党(ゼーロータイ)」:反ローマ武装闘争を行う急進派。親ローマ側の暗殺も。

宗教的背景

  • メシア待望の高まり:政治的・宗教的救済者への期待(終末思想と結合)

2.イエスの歩み

  • 前4年 イエス・キリスト誕生(推定)
  • 27年頃 洗礼者ヨハネの活動。ヨルダン川で洗礼を授ける宣教活動。
  • 27-30年頃 イエス、宣教活動(「公生涯」)ルカ3:1などから推定
  • 30年頃 イエス、十字架刑に処せられる。

補足

  • 年代は厳密には測定不可能。
  • イエス誕生年のずれ:西暦元年がイエス誕生年ではなく……。6世紀頃、キリストの誕生年を元年とする暦がディオニシウス・エクシグウスにより考案。しかし後代、年代計算に4年のずれがあったことが判明。イエス誕生年の推定年代は前4年とされた。
  • イエスの活動期間

  ・共観福音書 → 約1年説   ・ヨハネ福音書 → 約3年説   ・2世紀の教父エイレナイオスは、10年以上と報告。『異端反駁』2巻

3.イエス以後:教会の誕生とパウロ

  • 復活から50日後:ペンテコステ(聖霊降臨) → 教会誕生。『使徒言行録』より。
  • 35/36年頃:「七人」(ギリシャ語を話すユダヤ人で構成)のステファノ殉教。
  • その後、パウロ、ユダヤ教からキリスト教に回心。

初期教会の特徴

  • ユダヤ人からの迫害。
  • 非ユダヤ人(ゴッドフィアラー)の流入。
  • 割礼不要(割礼=ユダヤ人の証、包皮切除) → 民族宗教から普遍宗教へ
  • 教会の初期の姿は、家の集会(ハウスチャーチ)。礼拝堂建築は後代。

宣教の展開

  • 40年代以降、パウロ、シリア・小アジアで伝道。他でも進展。
  • 地中海世界へ急速に拡大。ローマへも伝播。

4.パウロ以後:キリスト教の成立

  • 64年:ローマ皇帝ネロによる迫害。ローマの大火。
  • 66-70年:第1次ユダヤ戦争 →エルサレム神殿崩壊

文書成立

  • 新約中、パウロ書簡は最も早く、主として50年代成立。四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)その他、70年代から100年代に多くの書が成立。

結果

  • ユダヤ教からの分離が決定的に進行。→ キリスト教がユダヤ教の一派ではなく、独立宗教として成立。

5.ローマ世界への浸透と迫害から、キリスト教公認、国教化

  • ユダヤ教は、第1次ユダヤ戦争で壊滅状態になり、戦後に再編成。

  メシア思想、終末思想の放棄。律法遵守中心。離散により国家を持たない民族へ。

  • 100年頃 ユダヤ教のヤムニア会議。キリスト教の排除が決定。正典決定。
  • 教会の「排除」から異物としての無視へ。よってユダヤ人による迫害は下火に。
  • 132〜135年 第2次ユダヤ戦争(バル・コクバの乱)。再度、エルサレム陥落。他方、キリスト教はローマ他、各地で徐々に勢力を拡大。
  • ローマ帝国において、キリスト教はまだ変人集団扱い。「人肉を食らう」聖餐の誤解
  • 国家規模の迫害は、先の皇帝ネロを除いては、まだまだ。
  • 250年 ローマ皇帝デキウスによる国家的規模の迫害
  • 253-262年 ローマ皇帝ワレリアヌスによる国家的規模の迫害
  • 303年 ローマ皇帝ディオクレティアヌスによる国家的規模の迫害。殉教の時代。

  ・ローマ帝国によるキリスト教迫害は皇帝の考え次第で、迫害なしの時代も。

  • 313年 ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によるミラノ寛容令。キリスト教公認(保障)。理由は諸説あるが、帝国の安定のため。個人的体験。
  • 325年 ニカイア公会議。アレイオス論争ひとまず決着。アタナシオス派は正統、アレイオス派は異端とされる。
  • 380年 テッサロニキ勅令。キリスト教の国教化。ニカイア信条に基づくキリスト教(アタナシオス派)をローマ帝国の唯一の正統信仰とする
  • 392年 テオドシウス帝、ニカイア信条に立つ正統派アタナシオス派キリスト教以外の宗教を禁令。異教の禁止。アレイオス派は異端として弾圧対象に。
  • 395年 ローマ帝国は東西に分割(テオドシウス1世の死後)
  • 476年 西ローマ帝国滅亡。ゲルマン人将軍オドアケルが最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスを退位させた。ローマ・カトリックは存続。
  • 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は1453年にオスマン帝国により滅亡。 滅亡後も、ギリシア正教(東方正教会)は存続。

オスマン帝国は征服後、ギリシア正教会を「ミッレト(宗教共同体)」として公認。パトリアルキ(総主教)は宗教的指導者であると同時に、ギリシア人共同体の行政的代表としても扱われた。そのため、政治的国家は消えても、宗教組織は残った。

#1.講義用

【キリスト教学講義シリーズ①】キリスト教前史—旧約聖書時代からイエス時代へ

 

【キリスト教学講義シリーズ①】キリスト教前史—旧約聖書時代からイエス時代へ

序

 キリスト教は、ユダヤ教という民族宗教の内部から生じた運動である。すなわち、イエス・キリストは新たな宗教を創設しようとしたのではなく、ユダヤ教の神信仰の刷新、すなわち預言者的伝統に連なる改革運動を展開した人物として理解される。  しかしながら、イエスの十字架刑と、その後に弟子たちによって宣べ伝えられた復活信仰を契機として、状況は大きく変化する。弟子たちはイエスをメシア(キリスト)と告白し、その信仰運動を拡大していった。  この運動は当初、ユダヤ教内部の一潮流として存在していたが、やがてユダヤ教側から異端的集団とみなされ、統制・排除の対象となった。その過程には迫害や会堂からの排斥が含まれ、最終的にはユダヤ教との決定的分離に至る。この歴史的過程を経て、キリスト教は独立した宗教として成立した。

聖書と正典理解

キリスト教における聖書は、以下の二部構成から成る。

  • 旧約聖書
キリスト以前の歴史と信仰を記録した文書群であり、もともとはユダヤ教の正典である。
  • 新約聖書
キリスト以後の出来事、特にイエスの生涯と初期教会の歩みを記した、キリスト教会によって編纂された文書群である。

⠀なお、イエス自身は著作を残しておらず、福音書をはじめとする新約文書は、弟子や後代の信徒たちによって記されたものである。  また、ユダヤ教においては「旧約聖書」という呼称は用いられず、あくまでそれ自体が正典(ヘブライ聖書)であるため、この呼称の使用には注意が必要である。

「前史」としての旧約時代

キリスト教は、旧約時代の歴史を自らの「前史」として理解する。すなわち、旧約における神の啓示と歴史は、キリストにおいて成就すると解釈され、自らをその正統的継承者とみなす。 一方で、ユダヤ教もまた同じ歴史を自己の正統的伝統として理解しており、両者は同一の伝承を異なる神学的枠組みの中で解釈している。

結論

以上より、「キリスト教前史」とは一般に旧約時代全体を指す概念である。ただし文脈によっては、特にキリスト出現直前の第二神殿期ユダヤ教の時代を限定的に指す場合もある。

1.キリスト教前史

1.1.天地創造から族長以前まで

創世記に記される原初史は、人類と神との関係の起源を神話的・象徴的に描く部分である。

  • アダムとエバ
禁断の果実をめぐる「堕罪」により、人間の有限性と罪の問題が提示される。
  • カインとアベル
人類最初の殺人として、罪の拡大が描かれる。
  • ノアの方舟
神の裁きと救済という主題が提示される。
  • バベルの塔
人間の傲慢と、それに対する神の介入(言語の混乱)が描かれる。

⠀これらは歴史的叙述というより、神学的・象徴的物語として理解されることが一般的である。

1.2.族長時代

イスラエル民族の起源は、族長(パトリアルク)と呼ばれる人物群の伝承に基づく。

  • アブラハム
神との契約(約束)を結んだ最初の人物であり、信仰の祖とされる。この契約概念が後の「旧約(古い契約)」という枠組みの基礎となる。
  • イサク
契約の継承者として位置づけられる。
  • ヤコブ
「イスラエル」(神と争う者)という名を与えられ、その子孫がイスラエル民族とされる。
  • ヨセフ
エジプトにおける成功物語を通して、民族のエジプト移住の契機を提供する。

⠀ヤコブの十二人の子は、後のイスラエル十二部族の祖とされる。

1.3.モーセと出エジプト

  • モーセ
エジプトで抑圧されていたイスラエルの民を導き出した指導者。
  • 出エジプト
民族的・宗教的アイデンティティの原点となる出来事。
  • シナイ契約(律法授与)
神と民との契約が律法という形で具体化される。

⠀モーセ自身は約束の地に入ることなく死去し、後継者ヨシュアがカナン定住を導く。

1.4.王国時代と分裂王国

  • 初代王:サウル
  • 第二代王:ダビデ
  • 第三代王:ソロモン

⠀ソロモン死後、王国は分裂する。

北イスラエル王国

  • 前722年頃、アッシリア帝国により滅亡
  • 住民の移住政策により、民族的・宗教的混淆が進行

⠀南ユダ王国

  • 前587年、新バビロニア帝国により滅亡
  • バビロン捕囚が発生

⠀その後、前539年にアケメネス朝ペルシャがバビロニアを征服し、捕囚民は帰還を許される。 以後、ヘレニズム時代(プトレマイオス朝、セレウコス朝)の支配を受ける。

1.5.ハスモン朝時代

  • 前166年、マカベア戦争が勃発
  • 指導者:ユダ・マカバイ

⠀その後、ハスモン朝(マカベア王朝)が成立し、一時的な独立を達成する。

1.6.イエス時代のユダヤ

  • 前37年以降、ヘロデ大王の支配下で、ローマの影響力が強まる

⠀この時代の特徴:

  • ローマ支配への不満
  • 宗教的諸派の対立
    • サドカイ派:現状維持
    • ファリサイ派:宗教的純化志向
    • 熱心党:武装抵抗
  • 社会的不安・経済格差の拡大
  • メシア待望の高まり(政治的解放者としての期待)

⠀

1.7.イエス運動

  • イエス・キリストの宣教
    • 「神の国」の到来の宣言
    • 貧者・社会的弱者への祝福
    • 癒しや悪霊祓いなどの行為
  • 十字架刑による処刑
  • 弟子たちによる復活信仰の宣教
  • ペンテコステ
初期教会成立の象徴的出来事

⠀その後、福音書・書簡などの文書が形成され、教義の体系化が進展し、後の教会(特にカトリック教会の原型)へと発展していく。

補足(重要な学術的注意)

  • 「サマリア人=北王国の末裔」という理解は一面では正しいが、宗教的対立の歴史も含めて慎重に扱う必要がある。
  • 「旧約=古いから価値が低い」という意味ではなく、「契約の区分」を示す神学用語である。
  • イエス時代の「メシア待望」は単一ではなく、多様な期待(王的・預言者的・祭司的)が存在した。

2026年4月22日水曜日

(沖縄・辺野古転覆事故で、「同志社」と共に話題となっている) 「日本基督教団」の成立とその歴史的性格——ネット上の情報に対する修正と補足として

 


1.概要

 日本基督教団は、1941年に成立した日本最大のプロテスタント合同教会であり、その成立は、単なる複数の教派教会動詞の教会合同ではなく、国家・社会・神学の交錯の中で理解されるべき歴史的事象である。

2.成立の基本構造

 本教団の成立は、以下の二要因の交錯によって規定される。
(1)外的要因:国家権力による統制
 第二次大戦下の日本戦時体制下において制定された「宗教団体法」により、宗教団体は国家権力によって国家統制の枠内に組み込まれた。
 これにより日本政府側からは
  • 教派の分立は管理上の「非効率」と見なされる
  • 統一的教団の形成が事実上要請される
 つまり、像を1頭管理する方が、蟻を100万匹管理するより効率がいいという論理で、国家にとって管理しやすい宗教体制が志向される。
したがって教団成立は、国家主導的な宗教再編の一環という側面を持つ。

(2)内的要因:教会合同運動の蓄積

 しかしながら、この合同は完全な外圧によるもののみではない。背景には、
  • 19世紀末以降の教会合同運動
  • 宣教団体を通じた国際的連携
 エキュメニカル運動の影響が存在していた。
 したがって、教団成立は「外的強制」と「内的志向」の重なり合いとして理解される。
 国家権力による圧力でもあるが、それは同時に「渡りに船」の好機とも言えた。

3.成立過程

  1. 各教派間の協議と調整
  2. 約30教派の合同決定
  3. 1941年の創立総会
 この過程により、単一の教団としての日本基督教団が成立した。

4.成立の歴史的性格

 この教団の特徴は、単純な組織的一致ではなく多元的統合にある(多元性と統合は、論理的には相矛盾する関係)。
  • 神学・典礼・制度の統一は不十分
  • 各旧教派の自主性が温存
  • 統一原理は制度的であり、神学的には一致性が乏しい。
 したがってこの合同は、さしあたっては「神学的一致」ではなく「歴史的妥協」として評価され得る。→一致を喜ぶ界隈と、教派的独自性が失われて悲しむ界隈。反応も二分することに。

5.戦後の展開と再編

 戦後、信教の自由の回復とともに教団は再出発するが、
  • 海外教会との再接続 支援受領と自立性の再設定
  • 各教派の再自立志向 教派・教団の独立、教団離脱
  • 聖公会・ルター派の離脱
などにより動揺を経験する。
 なお教団に留まり続ける教派的グループは、取り残されたような状況下、その意義とアイデンティティの構築を迫られた(今もなお、常に迫られ続ける運命)。
 それでも教団は解体せず存続し、結果として、多数教派を内包する合同教会として位置づけられる。

6.まとめ

 日本基督教団は、国家的要請の中で成立しつつも教会合同運動の蓄積を背景に成立した教団であり、教派的「多様性」持つ一方で、そのロジカルな帰結として、統一的な一致の不完全性をも内包した教団である。
 多様性を内包する組織が、一つの組織としていかにして一致性を保持し得るか。同時にその逆として、一つの組織として一致性を持つ組織が、いかにして多様性を保持し続けられるかという、組織論的に壮大な実験体としての価値を持つと言える。今日、我々を取り巻く世界が多様性重視を求められる一方で、一体性が課題とされているように。

7. 現在の日本基督教団の状況

 ネットなどで出回っている情報の修正として
  • 「日本基督教団は左翼」
  →左翼的な社会派志向の勢力は確かに存在するが、
   全体上の割合としては、少なくとも過半数を割っている。
   よって、同教団の特性を「左」と断定することは不正確。
  • 「戦後、ちゃんとした教会は、教団を離脱した」
  「だめな教会が、教団に残った」
  →教派の独自性と自主性を重んじた教会は、離脱した。
  →国家権力の圧力ではあれ、教派合同というエキュメニズムを
   神の歴史展開と理解した教会は、留まった。
  • 「京都教区の総会で、基地反対運動を支持する決定が為された」「これは日本基督教団が左翼であることの証左だ」
 →京都だけでなく、社会派系統(左翼的)の勢力が過半数を取り、支配権を握っている教区では、反対運動体への支援が為されている、または支持するベクトルにある。
 →ただし、全国レベルでは左派的勢力は過半数を上回っていないことには注意。地方・地域ごとに特性がある。

2026年4月11日土曜日

【解説】シモニア(聖職売買)


シモニア(聖職売買)

英: Simony
ラテン: Simonia

要約

 シモニア(聖職売買)とは、金銭その他の対価をもって、聖職者の位階、秘蹟の授与、教会統治権、あるいは聖職者任命や推薦といった神聖な事柄を意図的に取引する行為を指す。対象は必ずしも「聖職」に限定されず、広く霊的権威一般を含む概念である。
このような行為は、世俗権力や財力による教会支配を助長し、宗教的腐敗を招くものとして、古代教会以来、一貫して強く批判され、教会法的規制の対象とされてきた。
「シモニア」という名称は、聖霊の力を金銭で得ようとした魔術師シモン(シモン・マグス)に由来し、その逸話は『使徒言行録』8章18–24節に記されている。


本文

 シモニアとは、金銭やその他の利益を対価として、聖職者の位階、秘蹟、教会の統治権、さらには聖職者人事における推薦や任命といった、神性に属する事柄を故意に売買する行為を指す概念である。この点で、単なる聖職叙任の問題にとどまらず、教会の霊的権威そのものを取引対象とする点に本質がある。

 とりわけ、世俗権力が教会支配を掌握しようとする場合、金銭を媒介としてこれらの権限が交換されるならば、教会内部に世俗的利害が深く浸透することになる。また、本来は厳格な宗教的規律が求められる領域において金銭授受が常態化すれば、信仰と制度の腐敗は不可避である。このため、古代教会時代から繰り返し規制が試みられてきたが、献金と賄賂との線引きが困難であることもあり、実効的な取り締まりは容易ではなく、事実上はイタチごっこの様相を呈していた。

 さらに中世においては、私有教会制のもとで国王や領主が教会を支配し、配下の聖職者を任命する制度が存在したため、裏取引としての対価の授受が行われても表面化しにくいという構造的問題を抱えていた。


語源

 「シモニア(Simonia)」という名称は、『使徒言行録』8章18–24節に登場する魔術師シモン(シモン・マグス)に由来する。彼は、使徒たちが按手によって聖霊を授けるのを見て、その力を得るために金銭を差し出したとされ、この行為が霊的権能を金で買おうとする象徴的事例として、後世の教会における規範形成に決定的な影響を与えた。


歴史

 キリスト教会に富と権力が集中するにつれて、古代後期から中世にかけてシモニアは顕在化するようになった。

 306年のエルビラ教会会議では、洗礼執行に関する売買が禁止され、451年のカルケドン公会議では、霊的祝福の売買全般が禁じられた。
教皇グレゴリウス1世(在位590–604年)は、シモニアに関与した聖職者を破門する慣行を確立した。

 787年の第2ニカイア公会議では、魔術師シモンの名を明示的に挙げつつ、神聖事の売買禁止が再確認された。
また、ヴォルムスのブルクハルトは、自身が集成した教会法においてシモニアを冒涜行為と位置づけた。これに関連して、シモニアによって任命された聖職者が執行するサクラメントの有効性を否定する見解も現れたが、ペトルス・ダミアニは、秘蹟の効力は執行者の道徳性に依存しないとする ex opere operato の原理を擁護し、これに反論した。

 1059年には、枢機卿団による教皇選出制度(コンクラーヴェ)が定められ、教皇選挙をシモニアから防衛する制度的措置が講じられた。
さらに教皇グレゴリウス7世(在位1073–1085年)は、いわゆる「グレゴリウス改革」の一環として、俗人による聖職叙任を禁止し、シモニアおよび聖職売買と密接に結びついた叙任権問題に正面から取り組んだ。

 16世紀においては、贖宥の発布とそれに伴う金銭授受が、実質的にシモニアに当たるとして、ウィクリフ、フス、ルターら宗教改革者によって厳しく批判され、宗教改革運動の重要な論点の一つとなった。

2026年3月31日火曜日

【キリスト教解説】「イースター」(復活祭)—意味、名称由来、移動祝祭日

 


1. 意味、概要

 イースターは、キリストの復活を記念して祝われるキリスト教の重要な祭日。

2. 名称の由来

 名称の由来についてはゲルマン神話の春の女神(元来は夜明けの女神)「エオストレ(Ēostre)」に由来するという説が主流。

 8世紀のイングランドの修道士・歴史家 ベーダ(Bede) が著書『自然の計算(De temporum ratione)』の中で、 4月は春の女神エオストレの名に因んで古英語でエオストル月と呼ばれ、 キリスト教徒はこの時期の祭りを「Easter」と呼ぶようになったと述べている。
 要するに、ゲルマン民族における異教の春祭りの名称が、キリスト教の復活祭に転用されたということになる。

3. イースターの日付の設定法と移動祝祭日

 クリスマスが毎年12月25日と固定されているのに対し、イースターは 春分(教会暦では3月21日と固定され、天文学的な春分とは一致しない)以降に訪れる最初の満月の次の日曜日 と定められており、毎年日付が変動する。
 この規定は、325年に開催されたキリスト教史上初の全教会会議である ニカイア公会議 において取り決められたもので、当時、地域によって異なっていたイースターの日付を統一することが目的であった(14日に祝う習慣の地域もあった)。
 この日付決定には、太陽暦(春分)と太陰暦(満月)という異なる暦体系が組み合わされている。これは、イエスの受難と復活がユダヤ教の過越祭(Pesach)の時期と深く結びついているためである。過越祭はユダヤ暦(太陰太陽暦)に基づいており、その伝統を部分的に継承したキリスト教は、太陽暦と太陰暦の双方を参照する独自の計算方法を必要とした。この複雑な暦法的・天文学的計算は コンプトゥス(Computus) と呼ばれる。
 移動するイースターの日付の振れ幅は以下の通り。
  • 最も早い日付:3月22日
  • 最も遅い日付:4月25日

 イースターのように日付が毎年変動する祝日は 移動祝日(movable feast) と呼ばれる。イースターはその代表例であり、さらにイースターを基準として、受難日や聖霊降臨祭(ペンテコステ)など、多くの教会暦上の祝日が連動して動くため、教会暦全体の中心軸の役割を果たしている。
  • 灰の水曜日(イースターの46日前)
  • 受難日(Good Friday)(直前の金曜日)
  • 昇天日(39日後)
  • 聖霊降臨祭(ペンテコステ)(49日後)

4. 西方教会と東方教会で日付が異なる理由

イースターの日付は、西方、東方、それと連動しての教派によって異なる。
  •  西方教会(カトリック・プロテスタント):グレゴリオ暦
  • 東方教会(正教会):ユリウス暦を基準に計算
暦法の違いにより、「春分」や「満月」の取り扱い法が異なるため、日付がずれることがある。

5. イースターの象徴—卵とウサギ

  • 卵=「イースターエッグ」:命の象徴として、中世時代のヨーロッパで広まった。
  • ウサギ=「イースターバニー」:ゲルマン系民俗では多産のために生命の象徴とされていたウサギがイースターに転用され、これがアメリカに伝わり流通した。これもまた、異教文化がキリスト教文化と融合した一例である。

2026年3月28日土曜日

改革派教会 Reformed Church

改革派教会(Reformed Church)

【要約】

宗教改革者であるジャン・カルヴァンの神学的伝統に基づく諸教派の総称であり、「神の言葉(聖書)によって改革された教会」を意味する。教会統治は、会衆によって選出された長老と牧師から構成される長老会(presbytery)によって担われる。制度的には、個別教会を単位とする「小会」、地域的連合体である「中会」、そして全体を統括する「大会(総会)」という三層構造を有する。


【Summary】

A collective term for denominations rooted in the theological tradition of John Calvin. It refers to churches “reformed” according to the Word of God (Scripture). Governance is carried out by a presbytery composed of elders elected by the congregation together with the minister. The system is structured in three levels: the local session, the regional presbytery, and the general assembly (synod).


本文

 改革派教会とは、宗教改革者ジャン・カルヴァンの神学的系譜に属する諸教派の総称である。その名称は、「神の言葉(聖書)に従って絶えず改革される教会(ecclesia reformata, semper reformanda)」という理念に由来する。

 教会統治は、会衆によって選出された複数の長老と牧師から構成される長老会によって担われる。各個教会における長老会は「小会(session)」と呼ばれ、複数教会によって「中会(presbytery)」が形成され、さらに広域的には「大会(synod/general assembly)」が設置されるという段階的構造を有する。

 このような統治形態は、教会の権威を特定の個人ではなく、共同体とその代表者たちの合議に基づいて行使する点に特徴を有する。

歴史的経緯

 改革派教会の起源は、16世紀宗教改革におけるスイスおよびラインラントを中心とする運動に求められる。特にジュネーヴにおける ジャン・カルヴァン の改革は決定的な影響を与えた。

同時に、以下の人物たちが各地で並行的に改革運動を推進し、改革派の形成に寄与した。

  • フルドリッヒ・ツヴィングリ(チューリヒ)
  • ヨハン・ハインリヒ・ブリンガー(ツヴィングリの後継者、第2スイス信仰告白)
  • マルティン・ブツァー(ストラスブール)
  • ジョン・ノックス(スコットランド宗教改革を指導)
  • ヨハネス・エコランパディウス(バーゼル)

これら初期指導者の多くは人文主義の影響を受けており、聖書原典への回帰(ad fontes)を重視した点に特徴がある。


信条・信仰問答

 改革派教会の神学的特徴は、信条および信仰問答に明確に表れている。代表的なものは以下の通りである。

  • 第2スイス信仰告白(1566)
  • ジュネーブ信仰問答(1536年・1542年)
  • ハイデルベルク信仰問答(1563年)

呼称

改革派教会は文脈に応じて以下のようにも呼ばれる。

  • 改革派(Reformed)
  • 長老派(Presbyterian)
  • カルヴァン派(Calvinistic)

 特に、ジョン・ノックス によるスコットランド宗教改革に由来する系統は「長老派」と呼ばれることが多い。


日本での展開

 日本における改革派・長老派の伝来は、宣教師 ジェームス・カーティス・ヘボン によって開始された。彼の働きにより日本基督公会が設立され、後の日本基督教会へと発展した。

 その後、日本の代表的指導者として以下が挙げられる。

  • 植村正久
  • 高倉徳太郎

 第二次世界大戦後には、国家主導で成立した 日本基督教団 から分離する形で、日本基督改革派教会 や 日本基督教会 が成立した。

【キリスト教史解説】信条・信条の形成 ー使徒信条、原ニカイア信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条、カルケドン信条


信条・信条の形成 ー使徒信条、使徒信条、原ニカイア信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条、カルケドン信条


【要約】

信仰告白とも。元来は古代教会の洗礼式を座として形成。讃美頌栄的な言葉が特色。公会議にて信条をもって教理が制定された。使徒信条、原ニカイア信条(325)ニカイア・コンスタンティノポリス信条(ニカイア信条、381)、カルケドン信条(451)が著名。


本文

 信仰告白は元来、古代教会の洗礼式をSitz im Lebenとして形成、制定されたもので、讃美頌栄的な言葉をその特色としている。第一コリント15:3以下等、既に聖書の中に信仰告白的な伝承が存在しており、その多くは洗礼式と結合している。1世紀から2世紀にかけての使徒教父や、2世紀から3世紀の弁証家であるヒッポリュトス、テルトゥリアヌスらの文書中にも、信条の形成の萌芽を確認することが出来る。313年のミラノ勅令によるキリスト教公認以後、教会内部において幾つもの教理論争が生じ、そうした内部での混乱を収拾すべく開催された公会議において、信条が制定されていった。


 その最初の公会議と信条は、325年に開催されたニカイア公会議と原ニカエア信条である。御子を御父よりも劣る存在とし(異なった存在:ヘテロウシオス)、御子の被造性と、御子が存在しなかった原初の時があったとするアレイオス派の主張は、当時の教会全体を大きな混乱に陥れたが、本公会議において正統派の教理が認められ、御子と御父の同質性(ホモウシオス)を宣言する条項が盛り込まれた原ニカイア信条が採択された。またこの会議には、生涯アレイオス派との論争に従事したアタナシオスが、アレクサンドリア司教アレクサンドロスの司教秘書として列席している。


 ニカイア・コンスタンティノポリス信条

 いわゆる「ニカイア信条」と呼ばれるニカイア・コンスタンティノポリス信条は、一般には381年のコンスタンティノポリス公会議において成立したとされているが、実際にはそれ以前の年代である4世紀中葉から後半には原型が完成していたと推測される。4世紀のキリスト教会全体に混乱を生じさせたアレイオス論争を終結させるため、皇帝テオドシウス1世により招集された。本信条は、三一論定式が明確に定められ、御父と御子の同質性と本質、聖霊の発出に関する条項を内包する。なお、聖霊の発出に関するFilioqueの挿入については、これを認めない東方教会との間で長らく対立が生じたことで知られている。


 カルケドン信条

 451年のカルケドン公会議において制定されたカルケドン信条では、キリスト論に関する教理的問題の解決が図られた。キリストの神性と人性との関係が「混ざらず、変わらず、分かれず、離れず」という否定表現によって明記されている。その背景には、単性論主張者と、神性と人性の明確な区分を説いた(と見なされた)ネストリウスの主張を退ける目的があった。


2026年2月13日金曜日

【キリスト教史解説動画】ケルソス(Celsus)― 最古の反キリスト教思想家

ケルソス Kelsos 生没年不詳(3世紀頃)


【キリスト教史解説】ケルソス(Celsus)― 最古の反キリスト教思想家

活動時期:西暦170–180年頃(2世紀後半)
立場:ギリシア系哲学者、初期キリスト教の批判者
主著:『真理の言葉(Λόγος Ἀληθής)』※現存せず
本書は、3世紀の神学者 オリゲネス が著した『ケルソス駁論』(248年)に引用された形でのみ伝存している。
現存最古の体系的なキリスト教批判書である。

思想的立場

  • オリゲネスは彼をエピクロス派と呼んだが、現代研究では否定的。
  • 実際にはプラトン主義を中心とする折衷主義的哲学者と考えられる。
  • 伝統宗教とローマ帝国秩序を擁護する保守的知識人。
  • 神観は単純な多神論ではなく、最高神を頂点とする階層的神観(ヘノテイズム的傾向)。

主な批判内容

1.イエス批判

  • 処女懐胎を否定
  • 出自を不名誉なものと主張
  • 奇跡を魔術と解釈

2.教義批判

  • 受肉思想を非合理とみなす
  • 復活思想を荒唐無稽と批判
  • 聖書解釈を恣意的と指摘

3.社会批判

  • キリスト教徒が国家祭儀を拒否することを問題視
  • 軍務・公共義務を回避する態度を非難
  • キリスト教を新奇で分裂的な宗教とみなす

史料的特徴

  • 『真理の言葉』は448年に禁書とされ消失。
  • 内容はオリゲネスの反駁書から再構成される。
  • オリゲネスの引用は比較的忠実と考えられている。

歴史的意義

  • 最古の本格的反キリスト教哲学的論駁。
  • キリスト教弁証学発展の重要契機。
  • キリスト教がローマ知識層からどのように見られていたかを示す一次的証言。

2026年2月7日土曜日

【キリスト教史解説動画】ユグノー(Huguenot)

ユグノー(Huguenot)


1.定義

 ユグノーとは、16~17世紀フランスにおけるカルヴァン派プロテスタントの総称である。彼らは単なる宗教的少数派ではなく、信仰告白・教会制度・政治的自己防衛構造を備えた改革派教会共同体を形成した点に特徴がある。

2.名称の由来

「ユグノー(Huguenot)」という名称は、ドイツ語 Eidgenosse(「誓約仲間」「盟約者」の意)がジュネーヴ訛りで eyguenot と発音されたことに由来するという説が有力である。
 この呼称は当初、カトリック側(特にギーズ家を中心とする勢力)による蔑称として用いられたが、次第に改革派自身もこれを受容し、呼称として定着した。

3.宗教改革とフランス改革派教会の形成

 16世紀半ば以降、カルヴァンの神学はフランスに急速に浸透し、都市部・貴族層を中心に改革派信徒が増加した。しかしフランス王権およびカトリック教会はこれを異端として抑圧し、迫害が恒常化した。
 こうした状況の中でユグノーは組織化を進め、1559年、パリにおいて最初の全国改革派教会会議を開催した。この会議では、
  • 改革派教会の制度的枠組みの確立
  • 信仰告白としての「フランス信条(Confessio Gallicana)」の採択
が行われ、フランス改革派教会が神学的・教会論的に自己規定を行った画期と位置づけられる。

4.ユグノー戦争と宗教暴力

 1562年、バシーにおけるユグノー虐殺事件を契機として、ユグノー戦争(宗教戦争)が勃発した。以後、約30年以上にわたり、フランスは断続的な内戦状態に置かれた。
 特に1572年のサン=バルテルミの虐殺は、国家権力と宗教暴力が結託した象徴的事件であり、プロテスタントにとって「殉教」と「神の摂理」という神学的問いを深く刻み込む出来事となった。

5.ナントの勅令と限定的寛容

 1598年、アンリ4世によって公布されたナントの勅令は、ユグノー戦争を終結させ、
  • ユグノーの信仰の自由(地域限定)
  • 礼拝の公的承認
  • 一定の政治的・軍事的権利
を保障した。
 これは近代国家における政治的妥協としての宗教寛容の典型例と評価される。

6.勅令撤回と弾圧の再燃

 1685年、ルイ14世はフォンテーヌブロー勅令をもってナントの勅令を廃止した。これによりユグノーは再び厳しい弾圧を受け、多数が国外へ亡命した。
 南フランスでは抵抗運動としてカミザール戦争が勃発し、宗教的抵抗と政治的反乱が結びついた形で展開された。
 この不寛容の体制は、フランス革命に至るまで制度的に解消されなかった。

7.神学史的意義

神学史的に見てユグノーは、
  • カルヴァン主義の教会制度化
  • 信仰告白を核とする教会アイデンティティの形成
  • 国家権力と教会の緊張関係の先鋭化
  • 迫害下における殉教神学と抵抗の神学
を体現した存在であり、近代プロテスタント史における重要な一事例である。

1-0 トップページ(目次)

1-1 新宗教・新興宗教解説 1-2 キリスト教解説 1-3 説教や聖書研究をする信徒のための聖書注解