【キリスト教史】ポリュカルポス Polykarpos, 70/82‐156/168 CE
1 基本データ
・70/82‐156/168 生没年については諸説あり
・2世紀前半に活躍した小アジアのスミュルナの司教
・使徒教父。聖人(カトリック、正教会、聖公会、ルーテル)
補足:使徒教父=使徒たちの教えを受けた教父の意。いわば使徒の第2世代。
=ローマのクレメンス、アンティオキアのイグナティオス、ポリュカルポス
17世紀フランスのコトリエが「使徒教父」と名付け
・リヨンのエイレナイオス(130頃-202年)の師
・使徒ヨハネに師事したとエイレナイオスが伝える
・「復活祭論争」で知られる。
・著書『ポリュカルポスの手紙』(『フィリピ人への手紙』)。
2 プロフィール
・小アジアのスミュルナ(現・トルコのイズミル)の司教(在位 ca. 110-ca. 156 CE)
・エイレナイオスの師。
彼により、使徒ヨハネに師事したと伝えられている
イグナティオスと交友関係にあった。
3 特徴ーー異端との対峙と殉教死
・異端に対する闘い、正統信仰の擁護
教皇アナクレトゥスの時代、ローマを訪れて異端的な人々の多数を会心
・86歳の時、スミュルナで殉教
伝説では、火刑に処されても体は燃えず、剣で刺されて絶命
・彼の死の直後、『ポリュカルポス殉教録』執筆
4 「復活祭論争」
二世紀後半に生じた論争。当時、小アジアの教会では、使徒ヨハネの伝承に従って、ニサンの月の第14日にイースターが祝され、他方、ローマ等の教会ではニサンの月の第14日直後の日曜日にイースター祝祭が行われていた。120年頃、スミュルナ司教であったポリュカルポスはローマを訪れた際、ローマ司教アニケトゥスからニサンの月の第14日のイースターを変更するよう説得されたものの、彼はヨハネの伝統を主張してこれを拒否した。
著作
『ポリュカルポスの手紙』:フィリピ人に宛てて書かれた。背教への警告。
ポリュカルポスに言及している教父・文書
・エイレナイオス『異端反駁(Adversus Haereses)』
・エウセビオス『教会史(Historia Ecclesiastica)』
・『ポリュカルポス殉教録』
ーーー解説テキストーーー
ポリュカルポス Polykarpos, 70/82‐156/168 CE
【要約】
ポリュカルポス 70/82‐156/168
2世紀前半に活躍した小アジアのスミュルナの司教。使徒教父。聖人。エイレナイオス、テルトゥリアヌスの師。使徒ヨハネに師事したとも。イグナティオスと交友関係。「復活祭論争」で知られる。『ポリュカルポスの手紙』。
【本文】
2世紀前半に活躍した小アジアのスミュルナの司教(在位 ca. 110-ca. 156 CE)。使徒教父。聖人。エイレナイオス、テルトゥリアヌスの師でもあり、使徒ヨハネに師事したと伝えられている。イグナティオスと交友関係にあった。86歳の時、スミュルナで殉教。彼の死の直後、『ポリュカルポス殉教録』が執筆された。
「復活祭論争」
二世紀後半に生じた論争。当時、小アシ゛アの教会では、使徒ヨハネの伝承に従って、ニサンの月の第14日にイー スターが祝され、他方、ローマ等の教会ではニサンの月の第14日直後の日曜日にイースター祝祭が行われていた。120年頃、スミュルナ司教であったポリュカルポスはローマを訪れた際、ローマ司教アニケトゥスからニサンの月の第14日のイースターを変更するよう説得されたものの、彼はヨハネの伝統を主張してこれを拒否した。
著作
『ポリュカルポスの手紙』:フィリピ人に宛てて書かれた。背教への警告。
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