2023年10月2日月曜日

ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス

ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス Johannes Duns Scotus, c. 1265-1308 CE


 盛期スコラ哲学と後期スコラ哲学の橋梁的存在で、オッカムと共に、トマス・アクィナス以後のスコラ学を継承し、スコラ学を代表する中世哲学者の一人。フランシスコ会士。思想の徹底的な緻密さから「精妙博士」(Doctor Subtilis)とも呼ばれる。英語の「のろま」を意味するdunceという語は、スコトゥス学派に対する論敵による蔑称に由来する。


 生涯

「ドゥンス・スコトゥス」という呼び名が文字通り示すように、スコットランドのドゥンスに生まれる。1278−81年頃にフランシスコ会に入会。オックスフォードを経て1293−96年、パリ大学で哲学と神学を学ぶ。この間、フランスのフィリップ美麗王から教皇ボニファティウス8世に送られた要望書への賛同を求められ、これを拒否したため、一時、親教皇派としてパリを追放されるも再び帰還。その後、オックスフォードに再び戻り、1297−1301年、同大学で教鞭を執る。1307年、ケルンに派遣され、同地で42歳で没した。ケルンの墓碑には以下のように刻印されている。

Scotia me genuit, Anglia me suscepit, Gallia me docuit, Colonia me tenet.(「スコットランド我に生を授け、イングランド我を育てたり。パリ我を教え、ケルン我を眠らせたり」)


 思想

トマス・アクィナス、ガンのヘンリクスを初めとした13世紀後半の哲学者たちとの批判的対話を通じて、自らの形而上学を構築している。フランシスコ会のアウグスティヌス主義、アヴィセンナの哲学を広範に取り入れている。


 哲学に対する神学の優位、および神学の実践性

 哲学は非人格的な神の像の認識に留まる一方で、神学は神の愛と全能の神の認識へと人を導く。神の啓示を解釈する学である神学は、人間が生きるための必須の学であるが、哲学(スコトゥスにとって哲学とはアリストテレス哲学を専ら指す)は人間に生きる意味と目的を提供することはできない。さらに、神学においては、信仰以前の人間を原罪の影響下にある故に自然本性的には不完全と見なす。以上より、神学は哲学に対して優位にあるとスコトゥスは主張する。トマス・アクィナスにおいても神学は実践的な役割を持つとされたが、トマスにとって神学とは第一義的には理論的な理性的学であった一方で、スコトゥスは神学を実践的学であると主張した。


 神認識と個体認識の問題

 トマス・アクィナスを初めとした従来のスコラ哲学においては、基本的に人間は普遍的なものを認識できないとされる。原罪以前には、人間は何ら表象像を媒介することなく直接的に神を直観することが可能であったが、原罪以降、人間の知性は曇りを帯びたために、感覚的認識を契機とし表象像の媒介によって、類比、抽象をというステップを取ってイデアに近づいていくという、いわゆるトマスが言うところの「存在の類比」なしに、共通本性を直観し、完全な神認識へと至ることは不可能とされていた。

しかし、スコトゥスは人間の知性の能力を再吟味し整理することで、限定や誓約を受けつつも神認識へと至る道筋を開いたところに彼の特徴がある。彼によれば事物を認識する際、例えば“樹木一般”などといった普遍的概念を持っていなければ、個物を認識できない。感性はただ受動的であるだけでなく、認識を可能にするような普遍的な概念を備えているという。こうして、イデア的なるものを推論する知性の力を個々人が持っているとし、そして、知性によって認識可能なものとそうでないもの、また誤謬の可能性を整理し、そうして認識における機構改革を精密に行いつつ、なおかつ神認識の可能性を確保した。そして同時に、むしろこちらの方がスコトゥスの思想的貢献においては特筆すべきことだが、“知性は完全ではないにせよ、個物を個物として直観可能である”と見なす余地を切り開き、個それぞれに普遍性が備わっていることを見出した。そうした個物それぞれに備わっている普遍的な概念の中で最高にして第一のものこそ、「存在」という概念であると考えた。そこでスコトゥスは、「存在の一義性」というテーゼを導入する。


 「存在の一義性」

 神認識にせよ、自然的事物の認識にせよ、「存在」という概念において人間は一様に認識する。存在概念は、自然的事物が対象であるにせよ、神が対象であるにせよ、すべての合理的推論の基盤として、あらゆる存在者の認識において“一義的”である。“一義的”とは、あらゆる意味に対して同じ意味で適用可能ということを指すから、“神における「存在」という意味は、自然的事物における「存在」という意味と同一である”ということである。これを、スコトゥスにおける「存在の一義性」と呼ぶ。

存在の一義性とは、すべての事物に神的なものが付随するというような汎神論とは違う。あくまで、神における存在の意味と、事物におけるそれとが同一の意味を持つということである。そうして彼は、安易な汎神論に陥るのを避けつつ、同時に、これまでアリストテレスやトマスにおいてさえ分断されていたイデアなる普遍と個物との間に、共通の存在概念をもって橋渡しをし、両者間に橋梁となる細い道筋を確保したのである。


 普遍から個への転回

 このように普遍と個物の双方に存在概念を認めるという「存在の一義性」の主張は、必然的に、個物にそれぞれ個体としての普遍性が付与されているという結論を導く。プラトンにおいて個とはイデアの影に過ぎず、プラトンを批判的に継承したアリストテレス哲学を摂取したトマス他盛期スコラ哲学においてさえ、存在者の個体化は、形相が第一資料によって分散された結果でしかなかった。しかしスコトゥスに至って、それぞれの個体にそれぞれの普遍性が付与され、個物の積極的な存在性が認められたのである。存在概念は、究極概念であるから、ここに至って存在者は究極の現実性を手に入れたことになる。こうした個物において認められた積極的な存在概念と現実性は、「このもの性」(haecceitas)と呼ばれる。スコトゥスはこうして、形相としての「このもの性」という概念を導入することで、個に個独自の普遍性を与えたのである。

これは、哲学の対象がそれまでの普遍的なものから具体的な個物へと転回する契機をもたらしたことを意味する。そして、それはオッカムの唯名論の誕生を促進することになった。また、スコトゥスの個別の存在における価値の発見は、ライプニッツのモナド論に継承されていく。


 自由意志 −主知主義から主意主義へ−

 アウグスティヌス以降の教義においては、神は自らの知性の内にイデアを内包し、そのイデアを見て、天地創造を意志して世界を創ったとされていた。この思考においては、意志は知性に従属することになる。それ故に、意志の「自由」とは、理性による「知性」の管理下に置かれ、「自由」は理性による真理および正義の正しい判断を前提とすると考えられた。つまり、自由とは専ら、理性が判断した正しさの中でのみ実行力持つ能力として考えられたのである。このような、自由意志に対する理性の優位を、主知主義(intellectualism)と呼ぶ。

しかしスコトゥスは創世記を再解釈し、神は「意志」のみから世界を創造し、その結果を見て「それはとても良かった」と「知性」をもって判断したのだと考え、こうして知性の管理下から意志の自由を確保したのである。これを、主意主義(voluntarism)と呼ぶ。

彼は、意志と理性との関係において、理性が提示する案を拒絶することのできる「拒絶」の自由を意志の内に認める。こうして、哲学においては、「善」を一元的に志向する在り方から、自己の意志(「自分が何を望むか」)にも自由の根拠を認めることになったのである。

従来、信仰とは「善」であるから、最高善なる神を知った者がそれを選び取ることは必然的帰結であった。平たく言えば、最高善を知性によって知った者は、意志の如何に関わらず、それを選んで当然と思考されていたのである。しかしスコトゥスに至って、たとえ神を知ったとしてもそれをなお拒絶する意志の自由が認められることになった。そして、だからこそ信仰を選択することの重要性が喚起されるようになったのである。神の知識を持たんと願う意志の“優位”である。


スコトゥスにおいては、必然的なものとしての自然に独自の普遍性が認められ、同時に、それを観察する認識の可能性も明らかとされた。彼において、被造的世界は神から与えられた大きな自然法則によって運行する故、自然界においては偶然性が承認される。一方で、人間の意志はそうした自然法則という必然性から切り離され、意志の自由が確保された。世界に対する神の自由も承認されていることは言うまでもない。彼によってもたらされた二つの方向性、その前者は、自然を一つの独立した機関として見なし、観察の対象とする自然科学の誕生を準備した。そして後者は、個々人の意志決定の自由を強調する主体性の重視、言うなれば、近代的な人間理解へと通じていくことになったのである。


『キリスト教の歴史』小田垣雅也著

哲学と神学の間に断絶がないトマス神学に対して、その両者を区別した。神理解に関して理性は無効なのである。トマスが神は善を意志すると言ったのに対して、スコトゥスは神が意志することは何であれ善であると言う。前者の立場が人間の理性に矛盾しない神理解であるのに対して、後者にはアウグスティヌスに見られるような、信仰における知的理解の順序の逆転がある。その意味で神は「他者」であり、このスコトゥスの主張はきたるべき宗教改革の福音主義(つまり主知主義ではない)的立場を先取している。


 2 普遍論争と神秘主義 (第5章 中世末期)

 教皇権の衰退と教皇庁の頽廃は、トマス神学的統一世界が現実的な根拠を失ったということである。中世的秩序は崩れたのである。したがってこの時期の思想も、中世の秩序を支えていたトマス神学への批判になる。それが共にフランチェスコ教団のドゥンス・スコトゥスとウィリアム・オッカム、特に後者の唯名論(Nominalism)である。この唯名論と実念論(Realism)の論争が「普遍論争」と言われる論争である。


 スコトゥスはトマス神学に対して、プラトン―アウグスティヌス的要素を復活させた。言いかえれば、理性の一貫性が保持され、哲学と神学の間に断絶がないトマス神学に対して、その両者を区別した。神理解に関して理性は無効なのである。トマスが神は善を意志すると言ったのに対して、スコトゥスは神が意志することは何であれ善であると言う。前者の立場が人間の理性に矛盾しない神理解であるのに対して、後者にはアウグスティヌスに見られるような、信仰における知的理解の順序の逆転がある。その意味で神は「他者」であり、このスコトゥスの主張はきたるべき宗教改革の福音主義(つまり主知主義ではない)的立場を先取している。


 しかしそれにもかかわらず、スコトゥスは普遍論争に関しては実念論者である。カトリックの正統的立場は実念論的である。実念論とは「普遍は個物に先立つ」という立場である。このような立場が前提されていなければ、個々の信者に先だって教会が客観的な実在として存在するというカトリックの教会観(プロテスタントは違う)はなりたたないし、三位一体論も実念論的に理解しないと、三位ばらばらの三神論になってしまう。しかしスコトゥスの実念論は、トマスのように個物を個物たらしめているのは質料で、形相は個物に先だってあるとするのではなく、各個物もその個物独自の形相を持っているとするもので、言わば個物の立場を高めた実念論である。このことはスコトゥスの実念論が個物のみが実在するとする唯名論的立場に近づいているということである。


 ただトマスは、形相たる普遍が質料たる個物に先だってあるということも、その在り方としては、「普遍は個物の中に存在する」と言う。これはトマスが啓示と理性を、さきに説明したように、次元的に考えたことに照応する。普遍と個物は対立しているのではなくて次元的に違うのだという意味であろう。それに対して、オッカムに代表される唯名論は、「普遍は個物の後に存在する」とする。すなわち普遍は名目的に存在するだけだと言うのである。


 これが唯名論という名前の意味である。そしてもし普遍が個物に先だって実在するとすれば、普遍は神が個物を創造する創造の業の先にあることになり、「無から創造」という教理にも反することにもなると主張する。唯名論は個物として経験できるもの以外は信じないから、カトリック的思考とは相容れないし、個の自覚に基く近世哲学に連なるものを持っている。しかしオッカム自身の自覚はローマ教会批判ではなく護教的なものであった。この唯名論の立場から神を証明することはできない。だから神学は哲学とは別なのであり、教会の信条はただ信仰されるべきだとオッカムは言う。これがいわゆる「新人」(moderni)の態度であり、それに対して実念論者は「旧人」(antiqui)である。このオッカム主義は、ドイツではガブリエル・ビール(1410-1495)が受けつぎ、それが若きルターに影響をあたえた。普遍論争は抽象的な議論に見えるが、理想主義か現実主義か、全体が先か個が先か、本質が先か実存が先かというような現代的なテーマは、普遍論争のヴァリエーションである。そしてこれは本来、論理的に結着のつく問題ではない。


 このような批判的な意見を跳ね除け、「無原罪」説を有利なものとしたのがドゥンス・スコトゥス(~1308年)である。彼はマリアの無原罪を初めて理論化した神学者として、「マリア博士」とも呼ばれる人物である。スコトゥスは、そのような疑いこそがキリストへの信仰を損ねるものであると返す。彼によると、マリアの無原罪の御宿りは、マリアに対するキリストによる贖罪であるという。キリストが全人類の贖い主であれば、キリストは母マリアに対してもそうであるはずである。他の人間が、罪を犯したためにキリストによる贖罪を必要とするのに対し、マリアは罪と契約を交わさないでおくために、キリストによる贖罪を必要としたのである。これは「予防的贖罪」と呼ばれる。


 スコトゥスの説以後、この問題への関心はにわかに高まり、バーゼル公会議(1431~1439年)ではついに、マリアの無原罪が史上初めてはっきりと宣言された。聖処女にして神の母であるマリアは、神の特別な恩恵によってあらかじめ罪から守られ、あらゆる罪を免れた存在であるという。この公会議の決定は、ローマ教会によって公式に認許されることはなかったが、問題への関心をさらに高めるきっかけとなった。その後、教皇シクトゥス四世(在位1471~1484)によって初めて無原罪が教義とされ、1854年の大勅書まで長い論争が繰り広げられることとなったのである。


0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。