2024年2月2日金曜日

カステリヨン

カステリヨン Sébastien Castellion, 1515‐63 


 【要約】

宗教改革時代におけるフランスのキリスト教神学者。異端とされてカルヴァンに焚刑に処せられたセルヴェトゥスの処罰を巡って、寛容論争の口火を切った。聖書の真理性の否定ではなく、自分の正当性の絶対化の危険性を説いた。


 【本文】

 宗教改革時代におけるフランスのキリスト教神学者。異端の処罰を巡って、寛容論争の口火を切ったことで知られる。


 宗教改革に賛同し、ジュネーブで活動していたカルヴァンに協力。高等学院にて教育に従事。しかし、旧約の『雅歌』の解釈を巡ってカルヴァンと対立し、1544年、高等学院を辞職。バーゼルに移住。バーゼルでは、カルヴァン派の批判にあいながらも、大学のギリシア語講師等をしながら生活を維持。1555年、フランス語訳聖書を刊行。


 カルヴァンが指導していた改革派都市ジュネーブに、キリストの神性を否定する異端的な神学を唱えるスペイン人医師ミシェル・セルヴェ(セルヴェトゥス)が訪れた際、彼は捕えられ、主張を撤回しなかったことから、異端として焚刑に処せられた(1553年)。神の栄光を汚す異端を処罰する正当性を主張するカルヴァンをカステリヨンは批判して、1554年、『異端者について』を発刊。過去の文献に当たりつつ、権力による異端処刑が誤ったものであるという議論を展開した。これがいわゆる、寛容論争である。


 1562年には、宗教改革に起因する戦争がフランスを揺さぶる状況の中で、個人の信仰の尊厳と相争うことの愚かさ、そして平和と国家統一を説いた『悩めるフランスに勧める』(1562年)を発刊した。


 カルヴァン批判の論点

 カステリヨンは、カルヴァンが異端を排除する際、彼自身が自らを「真の宗教」と自負している点を指摘する。このような自負はどの宗教、教派にも当てはまるものであるし、正統か異端かの相違は、時代や状況によっても変化する相対的なものである。たとえ「神の言葉」に基づくと主張したとしても、それはあくまでその人にとっての真理である。

 そのように考えると、自ずと価値相対主義に陥る問題があるが、彼は聖書の真理性を否定しているわけではなく、自分の正当性を絶対化することによって生じる争いを否定し、キリストの説いた隣人愛を実践して生きるべきと説く。

 以上の点から、国家は宗教的真理に関わるべきではなく、世俗的領域の事柄に留まるべきという、政教分離の思想が導き出される。


 参考文献

セバスティアン・カステリヨン『異端者を処罰すべからざるを論ず』(中央大学人文科学研究所翻訳叢書 9)、中央大学人文科学研究所編、2014年。

佐々木毅『近代政治思想の誕生』(岩波新書)、岩波書店。


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