2025年5月21日水曜日

【キリスト教史解説】ドナティスト論争

 

ーーーレジュメーーー

【キリスト教史】ドナティスト論争(後312-314 年)


 要約 

 カルタゴ司教としてカエキリアヌスを叙任したフェリクスが背教行為を犯していたことが判明し、フェリクスが行った叙任の有効性を巡って起こった論争。


 1 背景

・ディオクレティアヌス帝による迫害(後303-313年)

・棄教者が多数発生 →やがて迫害は鎮静化

 →棄教者「裏切り者(トラディトール)」の復帰をどう扱う?


 2 経緯

・カルタゴの司教としてカエキリアヌスが選出

・このカエキリアヌスをフェリクスが叙任

・その後、フェリクスにディオクレティアヌス帝時代の背信が発覚

・ヌミディアの司教や司祭ら70人がフェリクスの"叙任の無効性"を主張 →対抗司教としてマヨリヌスを擁立

・312年、マヨリヌスの後継としてドナトゥスを選出

 ←名称の由来

・民衆を巻き込んでの暴動に発展

・314年、コンスタンティヌス帝、教会会議を招集。

 聖職叙任の有効性を決議。その後、事態は沈静化。

・ドナトゥス派はその後、7世紀まで北アフリカに存続。


 3 ポイント

・サクラメント(秘跡)の有効性

 正当な教会の手続きによって執行された業は、執行者の倫理性で無効にならず

 →教会の普遍性は、個人の性質に勝る


ーーー解説テキストーーー

ドナティスト (ドナトゥス派) ドナティスト論争 312-314 CE


 【要約】

カルタゴ司教にカエキリアヌスを叙任したフェリクスが背教行為を犯していたことが判明し、叙任の有効性を巡って起こった論争。70人の反対者が対抗司教マヨリヌス、次いでドナトゥスを擁立。314年の教会会議で有効性承認。


 [Summary]

The Donatist Donatist Controversy 312-314

Controversy over the validity of the ordination of Felix Caechilianus as bishop of Carthage after he was found to have committed apostasy. 70 opponents supported a rival bishop, Mayolinus, followed by Donatus. The validity approved by the Church Council in 314 CE.


 【本文】

 カルタゴの司教としてカエキリアヌスが選ばれた際、彼を叙任したフェリクスは、ディオクレティアヌス帝の迫害時に背信行為を犯していたとして、ヌミディアの司教や司祭ら70人がフェリクスによる"叙任の無効性"を唱え、対抗司教としてマヨリヌスを立てた(311-312年)。312年、マヨリヌスの後継としてドナトゥスが選ばれる。彼はドナトゥス派の名称の由来となった。同派は、非定住民のキルクムケリオネスと呼ばれる修道士や農民を抱き込んで、暴動による混乱は波及していった。同派の特徴である殉教讃美、熱狂主義的終末思想は、モンタヌス派と共通するところが多い。


 コンスタンティヌス1世は暴動の鎮圧を試み、314年に教会会議を招集。この会議において、叙任者の人格如何に関わらず、聖職叙任は有効であるとの決議が為され、カエキリアヌスの叙任の有効性が確認された。


 その後、ドナトゥス派に弾圧が加えられたがさしたる効果はなく、7世紀に至るまで北アフリカに存在し続けた。なお、アウグスティヌスが同派と論争し、彼はサクラメントの有効性を教会法的に論証し、千年王国説を退け、カトリック教会の公同性と普遍性を主張した。


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