マルティン・ブツァー Martin Butzer (Bucer), 1491‐1551
要約
元ドミニコ会士。ストラスブールの宗教改革者。エラスムスの人文主義とルターの改革に共鳴し、プロテスタントに転向。彼の教会論はカルヴァンの改革派的な教会形成に影響を与えた 。 アウクスブルク仮信条協定に反対し、イギリスに亡命した。
本文
ストラスブールにおける宗教改革者。彼の教会論は、カルヴァンの改革派教会的な教会形成に影響を与えた。
南部エルザスに生まれる。
1506年、ドミニコ会に入会。ハイデルベルクにて学ぶ。
後にエラスムスの影響を受け、また、ルターの宗教改革に共鳴し、プロテスタントに転向した。 彼はまた、人文主義的なキリスト教的ヒューマニズム、ルネサンス思想にも共感した。
1523年、ストラスブールでの宗教改革に尽力。南ドイツにおける改革運動で指導的立場を務めた。宗教改革が教会制度のみならず、国家や教育をも改革するようなものとなるようにと願い、学校教育等の進展に貢献した。
ブツァーは、教会全体が抗争状態になることを好まず、融和的、妥協的立場を採ることが多かった。そのため、1548年、アウクスブルク仮信条協定に反対。これにより身の置き所が難しくなったこと、そして、イギリス国教会大主教 T.クランマーに招かれたこともあり、1549年、イギリスに亡命。その後、ケンブリッジ大学教授に就任。エドワード6世の治世下、イングランドの教会の改革に尽力した。同地で『キリスト王国論』(De regno Christi)を執筆。
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