2023年8月5日土曜日

カルヴァン

ジャン・カルヴァン Jean Calvin (本名 Jean Chauvin), 1509-64 CE


【要約】

ジャン・カルヴァン 1509-64

宗教改革者。フランスのノワイヨン出身。法律、人文主義を修得。プロテスタントとの交流を通じて神学を吸収。1536年よりジュネーブの宗教改革を主導。その指導が厳格であったため反対派によって追放されたが、再度招聘を受け復帰。


本文

 宗教改革初期における宗教改革者の代表的人物。フランス・ピカルディの小都市ノワイヨンにて生まれる。オルレアン、プールシュで法律を学び、人文主義の教養を得る。1531年、パリ大学にて学ぶ。プロテスタントの人々との交流を通してプロテスタント神学を吸収し、1532年に回心の経験をする。


 友人コップの就任演説を代筆し、これが元で迫害を受けるようになり、コップの生地であるバーゼルに移住。この地で、『キリスト教綱要』第一版(1536年)を記す。


 1536年より、ジュネーブの宗教改革を主導的に導く。しかし、その指導は厳格であったため、反対派によって追放される(1538年)。ストラスブールで指導の傍ら、1539年に旧新約聖書全体の注解書を執筆。1541年、迷走するジュネーブから再度招聘を受け、復帰。反対派を押しのけて、厳格な改革を断行した。


 1560年、『キリスト教綱要』最終版発刊。1564年、没。


 彼は、「ただ神にのみ栄光」 Deo soli gloriaを旗印として、神の絶対的主権を強調した。また、救済される者は神によって前もって定められているとする「予定説」を強調した。カルヴァンのこうした方向性を支持するカルヴァン派が、スイスを中心に形成されていった。


 職業理解については、ルターがこれを神の召命と捉えた一方で、カルヴァンは神の栄光を表すものとした。こうした彼の職業理解が、マックス・ヴェーバーによれば、「世俗内禁欲」へと繋がり、資本主義の発展に寄与したという(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)。


予定説については キリスト教綱要3巻21章5節を参照。

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