2023年7月6日木曜日

信条・信条の形成

信条・信条の形成 creed


【要約】

信仰告白とも。元来は古代教会の洗礼式を座として形成。讃美頌栄的な言葉が特色。公会議にて信条をもって教理が制定された。使徒信条、原ニカイア信条(325)ニカイア・コンスタンティノポリス信条(ニカイア信条、381)、カルケドン信条(451)が著名。


本文

 信仰告白は元来、古代教会の洗礼式をSitz im Lebenとして形成、制定されたもので、讃美頌栄的な言葉をその特色としている。第一コリント15:3以下等、既に聖書の中に信仰告白的な伝承が存在しており、その多くは洗礼式と結合している。1世紀から2世紀にかけての使徒教父や、2世紀から3世紀の弁証家であるヒッポリュトス、テルトゥリアヌスらの文書中にも、信条の形成の萌芽を確認することが出来る。313年のミラノ勅令によるキリスト教公認以後、教会内部において幾つもの教理論争が生じ、そうした内部での混乱を収拾すべく開催された公会議において、信条が制定されていった。


 その最初の公会議と信条は、325年に開催されたニカイア公会議と原ニカエア信条である。御子を御父よりも劣る存在とし(異なった存在:ヘテロウシオス)、御子の被造性と、御子が存在しなかった原初の時があったとするアレイオス派の主張は、当時の教会全体を大きな混乱に陥れたが、本公会議において正統派の教理が認められ、御子と御父の同質性(ホモウシオス)を宣言する条項が盛り込まれた原ニカイア信条が採択された。またこの会議には、生涯アレイオス派との論争に従事したアタナシオスが、アレクサンドリア司教アレクサンドロスの司教秘書として列席している。


 ニカイア・コンスタンティノポリス信条

 いわゆる「ニカイア信条」と呼ばれるニカイア・コンスタンティノポリス信条は、一般には381年のコンスタンティノポリス公会議において成立したとされているが、実際にはそれ以前の年代である4世紀中葉から後半には原型が完成していたと推測される。4世紀のキリスト教会全体に混乱を生じさせたアレイオス論争を終結させるため、皇帝テオドシウス1世により招集された。本信条は、三一論定式が明確に定められ、御父と御子の同質性と本質、聖霊の発出に関する条項を内包する。なお、聖霊の発出に関するFilioqueの挿入については、これを認めない東方教会との間で長らく対立が生じたことで知られている。


 カルケドン信条

 451年のカルケドン公会議において制定されたカルケドン信条では、キリスト論に関する教理的問題の解決が図られた。キリストの神性と人性との関係が「混ざらず、変わらず、分かれず、離れず」という否定表現によって明記されている。その背景には、単性論主張者と、神性と人性の明確な区分を説いた(と見なされた)ネストリウスの主張を退ける目的があった。


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