【要約】
聖墳墓を含む聖地エルサレムをイスラム勢力から奪還・防衛することを目的として、欧州のキリスト教徒が行った軍事的な東方遠征。クレルモン会議(1095年)での教皇ウルバヌス2世の宣言により第1回十字軍が組織された。
本文
狭義:11世紀から13世紀にかけて行われた、聖墳墓を含む聖地エルサレムを拡大するイスラム勢力から奪還・防衛することを目的として、ヨーロッパのキリスト教徒が行った軍事的な東方遠征を指す。クレルモン会議(1095 CE)において、教皇ウルバヌス2世の宣言によって、第1回十字軍が組織された。1270年におけるチュニスでの敗退が最後の遠征。
広義では、11世紀から15世紀中葉にかけて、イベリア半島、イタリア等の地域をイスラム支配から取り戻すために行われた戦いや、一般民衆による自発的な軍事行動(非公式遠征)等を含む。
第1次(1095−1099 CE)
トルコ人の侵攻に苦慮するビザンティン皇帝アレクシオス1世コムネノスの要請を受けたことを契機として、教皇ウルバヌス2世により十字軍派遣の宣言。フランスの諸侯ら40万の軍による遠征。1099年、聖墳墓を奪還、エルサレム王国を建設。
第2次(1147-1149 CE)
ドイツのコンラート3世、フランスのルイ7世が参加。敗退。
第3次(1189−92 CE)
第4次(1202-1204 CE)
聖地奪還の目的から外れ、利益追求のための遠征へと転じていく。ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルを制圧。ラテン帝国を樹立。
第5次 (1218−1221 CE)
第6次 (1227-1245 CE)
第7次 (1248-1268 CE)
第8次 (1268-1291 CE)
→イスラム勢力の勝利
2.十字軍発生の要因
1.1.社会的要因
11世紀中葉から始まる気候変動により、農業の生産性が増し、急激な人口増がもたらされ、経済活動、消費活動も上昇し、生活の豊かさの追求も為され始める。経済的発展は、貧富の拡大と新たな社会的階層を生み出し、気運高まる内的な力は外部への発展先を求めた。
2.2.精神的要因
この時代はまた、人々の宗教的精神性が変化、増大し、大聖堂建築、修道院制の発展、聖遺物崇拝、巡礼意欲の高まり等として現れるにいたった。異教徒によって支配された地を奪還する戦いに身を投じることこそ敬虔の証であるといった気風も生じた。こうして、十字軍の初期、中期は宗教性と相即不離の関係にあり、聖職者を騎士団が構成され、時にこれに民間人が同行するという形式が、十字軍遠征隊の実態であった。
#キリスト教史
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