1 基本データ
名称:大山ねずの命神示教会
「ねず」の漢字は、示偏に「一」がない「氏」をつくりとする。
創始者:供丸斎(ともまるさい)
本名 稲飯定雄(いないさだお)、1906-88年
第二代後継者:供丸姫(ともまるひめ、本名:森日出子)、-2002年
現代表:神主教会長・代表役員 森眞一(供丸姫の実兄)
(神奈川県脱酸素レポート事業者個票より)
教主正使者 供丸光(ともまるこう、供丸姫の実弟)
(上記、Wikiより、2019年時点)
教主補佐 森教広(のりひろ)(公式HPより)
宗教法人化:1952年
本部:神奈川県横浜市南区宮元町4丁目82 番地
本部名称:神総本部(しんそうほんぶ)
支部:全国に偉光会館(ひかりのやかた)38ヶ所。
海外:令和3年、北米事務所開設。
納骨施設:神奈川県湯河原町の偉光郷(ひかりのさと)他、13ヶ所。
信徒数:国内80万人(宗教情報リサーチセンター、2025年3月時)
国外1000人
2 教祖・供丸斎、並びに後継者・供丸姫、教団の足跡
1906年、富山県中新川(なかにいかわ)郡に生まれる。
1919年、東京、赤坂の金山軍服店にて奉公。
1928年、独立して、千代田区九段にて、天屋軍服店を開業。
1946年、咽頭癌であると判明。行者に加持祈祷を依頼するも効果なし。
夢枕にて女神より「大山ねずの命にすがれ」との啓示。
1948年、大山ねずの命が降り、ガンは完治し、神の使者とされる。
喉に巻き付いていた薔薇の蔦のようなものが剥がれたという。
1952年、宗教法人大山ねずの命神示教会設立。
1967年、供丸姫、本教団に入信。
彼女のプロフィール、入信の経緯については後述。
1975年、供丸姫、「副使者」に就任。
ここで供丸姫の名を受ける。
1978年、供丸姫、監査役に就任。
1979年、大幹部教育部長に就任。
1985年、供丸姫、「使者」に就任。後継者とされる。
1986年、供丸姫、「直使」に就任。
1987年、供丸姫、神の化身、とされる。
1987年、神示教会の本部を供丸姫の生誕の地、横浜市南区宮元町に移転。
神の降臨の聖地、「神総本部(しんそうほんぶ)」とする。
1988年、供丸斎、逝去。
大山ねずの命の側近の神、代神供丸斎命(だいしんともまるさいのみこと)
とされる。
2002年、供丸姫、逝去。
3 供丸姫
森金蔵・タヨの長女。
横浜市南区、地主の家系の裕福な家に生まれる。
1966年、元々病弱であったところ、高校卒業時に重病に。
家族が同教団に入信。病は快癒。
以降、供丸斎に師事。
1967年、神示を受ける。
1969年、森家に宮元分教所設立。支部長に就任。
(以降は上述に同じで省略)
4 小室圭氏の母・小室佳代氏の所属する宗教
・小室圭さんの結婚問題の折、小室佳代氏が同教団の信徒とのことで話題に。
・教団の元・信徒の談によると…
天皇家の神道は天照大神。教団によれば、「大山ねずの命」は
それをも包括するような存在とのこと。→天皇家に対する意識に影響?
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