【新宗教・新興宗教解説】真如苑ー伊藤真乗、友司夫妻の足跡と教団の歴史
序
・1990年代をピークに教勢を落としている教団が殆どの中、
勢力を伸ばしている教団。
1 基本データ
本部:東京都立川市
創始者:伊藤真乗(しんじょう、教主)、伊藤友司(ともじ、霊祖)
後継者:伊藤真聰(しんそう、苑主、旧名真砂子、三女)
伊藤真玲(しんれい、擁主、旧名志づ子、四女)
信徒数:72万人(『新宗教 教団・人名事典、1996年)
92万人(宗教年刊、令和6年版)
法人化:戦前の宗教団体法では、真言宗醍醐派に所属。
宗教法人法では、昭和28年に認証。
2 伊藤真乗氏の生い立ちと、教団の歴史
1906年、伊藤真乗、伊藤文二郎・よしえの次男として生まれる。
山梨県巨摩郡
幼い頃より、父から易学を教えられる。
1923年、上京し、叔父の養子となるも家を出て、
翌年より正則英語学校にて学ぶ。
1927年、近衛飛行第五連隊に入隊。翌年、除隊。
1928年、石川島航空機技術部に入社。
1932年、またいとこの友司と結婚。縁繋ぎは伯母の油井玉恵。
友司は祖母の内田きんと油井玉恵と除霊経験あり
真乗、仕事の傍ら、易学で知人を鑑定。
仏教を学び、真言密教を学び始める。
1935年、自宅に不動明王を祭祀。
1936年、1ヶ月の寒三十日の修行を実施。
妻友司、伯母の油井玉恵より霊能力を授かる。
1936年、立教を決意し、自宅で「立照閣」を開設。
この年が真如苑の創立の年となる。
立教に際して、友司の促しも大きかったという。
1936年、長男、死去。夫妻で高尾山にて修行。
1938年、立川に真澄寺(しんちょうじ)建立。
「真言宗醍醐派立川不動尊教会」設立。
1939年、醍醐寺にて出家修行。
恵印灌頂(えいんかんぢょう)を受法。
1941年、金胎両部伝法灌頂(こんたいりょうぶでんぽうかんじょ
う)を受法、大阿闍梨(だいあじゃり)とされる。
1948年、真言宗醍醐寺から独立し、「まこと教団」を設立。
「まこと基礎行」を実践。
1948年、「まこと教団事件」発生。
伊藤真乗を傷害、詐欺、横領の容疑で逮捕
(参考、NHKアーカイブスhttps://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009183007_00000)←メディア側が差別的にも感じる
1951年、「真如苑」に改称。
伊藤真乗・教主、伊藤友司・苑主の体制に。
この頃、実子二人が死去したことを契機に、
霊能者が相対して指導する「接心修行」を開始。
接心修行の指導と確立に際して、友司の影響が大きい。
*真如苑における「霊能」の位置付け
初代霊能 祖母内田きん
二代霊能 伯母油井玉恵
三代霊能 伊藤友司
1967年、ローマ法王と会見。
帰国後、伊藤友司(55歳)、逝去。
1968年、立川に総本部落成。海外展開を開始。
1989年、伊藤真乗、逝去
三女伊藤真聰、苑主を継承。四女伊藤真玲が補佐に。
1992年、伊藤真聰、真言宗醍醐派総本山醍醐寺より大僧正を、
伊藤真玲には、権大僧正(ごんのだいそうじょう)
を授与される。 (「権」は次という意味。大僧正の次位)
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