真如苑
【要約】
真言系の新宗教。真言宗醍醐派の在家僧侶であった伊藤真乗(1906-89)が同派から離脱し、1948年に「まこと教団」を創立。後に現在名に改称した。聖典は『大般涅槃経』。修行法として、自己の覚知から菩提へと至るための「接心」。教団本部は東京都立川市。
本文
伊藤真乗(1906-89、いとうしんじょう)を創立者とする真言宗系の新興宗教。伊藤が真言宗醍醐派から離脱し、1948年、「まこと教団」を創立。その後、「真如苑」と改称された。
『大般涅槃経』を重視し、接心と呼ばれる修行法により、自分自身の本質である真性(こころ)を覚知し、菩提(しんじん)の道を全うすることを目的としている。 機関誌に『内外時報』(月刊)、『歓喜世界』(季刊)がある。
教団本部 :東京都立川市柴崎町。公称信徒数:約 74万人(1996)
【解説文】
真言密教系の在家教団。創立者は伊藤真乗。本名は文明(ふみあき)。1906年、山梨県巨摩郡秋田村の農家に生まれ育つ。17歳で上京、月島の石川島航空機に就職。1931年、会社移転に伴い立川に移住。
1932年、従姉妹の友司(ともじ)と結婚。友司の叔母の玉恵(教団名:玉恵の命)、祖母は内田(教団名:宝珠院)は霊能者。伊藤は近隣住民の相談に乗るようになる。
1935年、真言宗の僧侶大堀修弘(おおぼりしゅうこう)と出会い、自宅に不動尊像を祀る。
1936年、修行を経た後に、立川飛行機を退職し、宗教活動に専念。醍醐寺に得度、在家の修験になる。
1936年、長男智文を失う。
醍醐寺より、真乗の名を与えられ、在家の大阿闍梨(だいあじゃり)に就任。
1938年、立川に真言宗醍醐派立川不動尊分教会を設立。
1948年、第二次大戦後、真言宗醍醐派として独立した醍醐寺には所属せず、真澄寺しんちょうじと改称して独立、「まこと教団」創設。
1950年、修行時に信徒をリンチしたとして幹部から告発され、伊藤は逮捕される。執行猶予付きの有罪判決を受ける。「まこと教団リンチ事件」。友司が苑主、真乗は教主となる。
1952年、次男友一を失う。「抜苦代受」の思想(苦しみを身代わりとなって背負うこと)に至る。
1953年、「真如苑」に改名。『涅槃経』を経典とし位置づける。
1967年、友司逝去。
バブル経済期において生じた宗教ブームに乗って急速に規模が拡大し、一時の信徒数は200万に達したとも言われた。バブル崩壊以降は勢力も低下し、現在の信徒数は100万を切っているだろうが、それでも日本の新宗教における代表的な教団である創価学会、立正佼成会に次ぐ勢力を誇る。
1980年代中盤、沢口靖子や高橋恵子、松本伊代、大場久美子といった著名人が入信していると伝えられたことで注目を浴びる。
1989年、真乗逝去。後継は三女真聰。
2001年、日産自動車村山工場跡地を購入。
2007年、『真乗ーー心に仏を刻む』がベストセラーに。
接心(せっしん)
教団独自の修行とされ、霊的能力の開発を目的とする。宗教ブーム時の霊能力開発の流行と重なり、スピリチュアルブームの先駆となった。
霊能者によって霊言が語られる形式だが、シャーマンが忘我状態になるような典型的なお告げのスタイルではなく、簡素に韻を結んで唱え言をする程度で、霊能者の知見に基づくアドヴァイス、カウンセリングに近い。
参考文献
島田裕巳『日本の10大新宗教』、幻冬舎、2013年。
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