教皇エウゲニウス3世, 在位1145ー1153 CE
要約
イタリア人教皇。ベルナルドゥスの弟子となり、彼の後ろ盾により教皇となる。教皇圏と教皇領の回復に務めた。聖職者改革、修道主義、修道院制度の改革を行った。第2回十字軍勧説以来を機に衰退。
本文
イタリア人の教皇で、元シトー会修道院長。本名 Bernardo Paganelli。クレルボー修道院に入り、ベルナルドゥスの弟子となる。その後、ローマの聖アナスタシオ修道院長を経て、1145年、ベルナルドゥスの後ろ盾により教皇に選出。ベルナルドゥス著『教皇鑑』(De consideratione ad Eugenium Papam, 1149-)は、エウゲニウス3世のために執筆された。
教皇就任後、アルノルドゥスに率いられるローマの共和政府との不協和音により、1147-48年にフランスに滞在。教会会議をたびたび招集して、アルノルドゥスの破門を初め、人事により教皇権の回復を図る。
共和政府崩壊後、1149年、シチリア王の支援によりローマに帰還。反教皇勢力に苦慮し、1153年、ドイツ皇帝フリードリヒ1世とコンスタンツ協約を締結し、彼に帝冠を授与。教皇領の保全に関する支持を獲得。第二回十字軍の勧説を企図してベルナルドゥスにこれを任せたが、十字軍は敗退し、これにより影響力を失って回復することはなかった。
「コンスタンティヌスの後継者ではなく、ペトロの後継者となれ」というベルナルドゥスの教えの遵守に努め、聖職者改革、修道主義、修道院制度の改革を行ったことで知られる。
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