2023年7月27日木曜日

「教会創立50周年記念礼拝 礼拝説教全文」

「教会創立50周年記念礼拝 礼拝説教全文」2022年4月3日


 本日の礼拝は、表題にもなっています通り、日本基督教団茨木春日丘教会 教会創立50周年記念礼拝として捧げられています。包括団体である日本基督教団への教会登録日が1972年4月2日ですので、昨日がちょうど50年目ということになり、今日はその翌日の聖日礼拝であるという次第です。

 事務手続き上、創立日はかようになっておりますが、それ以前から実質的な教会の歩みは始まっていました。また、教会の前身の段階での歩みも当然ありました。茨木教会の働きによりまして、周辺に3つの教会学校分校が設置され、その一つ一つが各個の教会へと成長いたしました。その一つが、茨木春日丘教会として創設されていったというわけです。この辺りの情景につきましては、礼拝後に上映を予定している、50周年記念動画のパイロット版、並びに後に完成予定の完全版にて、インタビューという形で、伺い見られるでしょう。

 また今日は、茨木春日丘教会50年の歴史の中で、実に40年間重責を担われ、教会のために尽力された軽込昇前牧師がお見えになっています。この礼拝の後、ご挨拶の言葉を賜りますので、その際にも、先生を通して歴史の一端をお聞きすることができるかと存じます。


 50年の半分からそれ以降、今日に至るまでの四半世紀くらいの時代、私たちの教会にとって大きなことの一つであったと思えるのは、やはり会堂建築、すなわち「光の教会」と呼ばれるこの会堂の建築であったかと思います。私が着任したのは10年前の2012年ですので、1989年の竣工に至るまでの経緯と、その前後の期間でのご労苦というものについては、私は詳しく知る由もありませんが、限られた資金や人的資源、あるいはまた、それぞれの立場から様々に飛び交う意見や要望をまとめていかなければならないという状況下、定まらぬものを一つの形に収められるまで、実に大変なご苦労があったことと拝察します。

 また、この会堂が建築として著名になってからのご苦労もまた、筆舌に尽くし難いものがあったことでしょう。これにつきましては、私が着任してからの時期が、日本の国策として海外旅行客を呼び寄せる時代にあたりまして、海外旅行客数がわずか数年のうちに、3倍、4倍へと伸びていった頃でした。ですので、私自身も味わっておりますし、教会員の皆様におかれましても、多くの方が訪れる喜びだけではなく、それが多過ぎることによる悩みも、一入(ひとしお)であったことでしょう。


 世の中というものの中で生きておりますと、物事の評価や評判といったものから逃れることはできません。それはたとえキリスト教会という世界においても、例外ではありません。それはさらに、私のこちらでの10年間の働きについてもそうです。押し寄せる観光客に対して執ってきた対処法につきましても、内外で意見が分かれるところであると認識しています。また、「光の教会」の建築ということ自体につきましても、キリスト教という世界内、あるいは一般社会において、非常に多様な評価や意見というものがございます。また、評価や意見が、それぞれで食い違うということから、人間関係の対立という構図も生まれてくるということも、かような環境の只中にいる私自身、幾度となく味わってきました。

 ただ、私自身は、巷でよく口に出されるような、いわゆる「ああすべきではなかった」逆に「これは良かった」。また、「こうすべきだった」「これは誤った判断だった」「いや正しかった」といった価値判断を下すつもりはありません。このことは、例えば一人の人生の歩みについて、自分や他人が価値評価をいちいち下すことができるのか、という問題と、同じ構造を持つように思います。

 確かに現実には、当面の間、成功や失敗と思われることや、それに伴う成功体験、挫折、あるいは後悔、といったものが生じてきます。しかし、中短期的にはそうであっても、人生全体という長い期間で見た時にどうかということで、見方が違ってくることもまた事実ではないでしょうか。成功体験もあって、挫折や後悔もあって、それら全てが、神の眼差しのもとに置かれている一人の人間にあっては、確実に意味あるものです。かえってあのことがあったから、今があるーーここにいらっしゃる多くの方々は、そういう人生をこれまで歩まれてきたことと拝察します。神の眼差しと摂理、個々人の人生。このことが、教会の人生たる教会の歩みについても、そのまま当てはまります。

 私の胸に今、去来していることはこうです。それは、私たちの教会の歴史の中で、実に様々なことが起こってきましたが、それらの全てがあって、現在の私たちがあるということです。今というこの瞬間もまた、同様であります。私はこの教会の歴史の全てを、神の摂理として、神が紡がれた歴史として受け止めたいと願っていますし、事実そう思っております。


 私の個人的な話にはなりますけれども、私個人にとっての牧師という職業観については、生涯ずっと牧師の勤めをし続けるというものというよりは、どこかで要請があって、あるいはミッションとも言うべきものがあって、そこで自分が牧師として立って使命に応えるというものです。前任地の教会もそうでしたが、こちらの春日丘教会の場合には、まさにそうでした。当時、キリスト教主義学校の教師など別の道を考え、牧師業を一旦お休みにするか、というよりも、もう二度とこの職に就くことはないだろうと考えていた矢先、こちらの招聘のお話をいただきまして、強い使命感を覚えて、こちらにやって参りました。

 観光客への対処、空調導入、中長期補修計画、高槻・茨木の地震による修復工事、牧師館建築借入金の返済など、色々とありました。しかしながら、個々の一つ一つがどうという思いというよりはむしろ、一言で言えば、こちらでのミッションが、牧師として立てられた自分にとっての「救い」になった、というのが率直なところです。

 そろそろ辞めようか、そう思っていたところからこちらに参りまして、私の四半世紀の牧師としてのキャリアの中で、最も充実した時となって、やはり率直な一つの表現として、この教会に救われたという文言が、一番しっくりきます。私のこの教会との出会いもそうですし、私と皆さんとの出会いも、これら一切、この教会が創立されて、光の教会を建築し、その後の経緯もあったからこそ、成立しているものに他なりません。

 そういう風に、自分の体験も織り交ぜて考えますと、人の評価というものは詰まるところ、自分に都合が良いところだけをピックアップしているだけのことなのかもしれません。全てが神の摂理の中にある。神が紡がれる歴史としてある。これが真実です。


 神の為されることは、既に為されたその時点で美しい、ということもあるでしょうが、大体の場合には、後になってみて、とりわけ「ずっと後になってみて」わかる、悟る、ということが多いように思います。

 私もまた、今になっての今だからこそ、「神のなされることは皆、その時にかなって美しい」、と心から悟ることができました。茨木春日丘教会の歴史のすべてについて、この御言葉をもって、かように告白する次第です。


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