ネポティズム nepotism
要約
教皇や司教の親族を教会の高位につける策、または特定の者を親族とした上で高位に着任させ、自己への便宜を図る策。名称は私生児を「甥」として登用したことに由来。聖職者の結婚禁止が背景にある。1692年、教皇イノケンティウス12世の勅書により終息。
本文
教皇や司教の親族を教会の高位につける策、または特定の者を親族とした上で高位に着任させ、自己への便宜を図る策を指す。
ネポティズムという名称は元来、私生児を甥(Eng. nephew; Ita. nipote)として登用したことに由来する。それ故、英語の呼称であるnepotismは、ラテン語で甥を意味するnepos, nepotisに由来する。特にルネサンス期の教皇選出の際に横行した。
ネポティズムが成立する背景には、中世時代のカトリック聖職者が世俗諸侯に匹敵する種々の権限を持っていたことがある。聖職者は結婚が禁じられており、跡継ぎを設けることができないため、親族の子供、すなわち甥を高位に据えることで自己の利益を追求した。自分の庶子を甥とすることも度々あり、著名な実例としては、教皇アレクサンデル6世の庶子、チェーザレ・ボルジアが挙げられる。また、パウルス3世は孫のアレッサンドロ・ファルネーゼを枢機卿に任命している。
しかし、1692年、教皇イノケンティウス12世により発布された勅書「ロマーヌム・デチェット・ポンティフィチェム」(Romanum decet Pontificem)により、教皇が親族に財産を寄与することが禁じられ、以後ネポティズムは終息した。
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