2024年3月1日金曜日

サムエル記上 「サムエル」(2013年10月6日)

サムエル記上 「サムエル」(2013年10月6日)


 

 「神の名」という意味が込められた名前を持つ「サムエル」は、紀元前11世紀、士師時代の末期から王国創設時代にかけて活動した預言者、指導者です。彼は、他国との戦闘を指揮する士師としての働きもすれば(7:3-14を参照)、同時に祭司や預言者としても活躍したマルチな人でもありました。また、来週扱う人物であるサウルを最初の指導者とする王制をイスラエルに導入するに際して、重要な役割を担ったことでも知られています。

 彼はまた、父エルカナと母ハンナの子でした。不妊に悩んでいたハンナは、主の前に涙の祈りを捧げ、それが聞き入れられ、そうして与えられた子がサムエルでした。ハンナが主に約束した誓い通り、サムエルはやがてシロの神殿祭司であったエリに「ナジル人」として預けられ、その後、彼は預言者としての召命を受けて立たされました。彼が初めて神の言葉を聞く体験をしたエピソードが、今回の聖書箇所に相当します。


 王制を望むイスラエルの民

 こうしてサムエルは、士師時代最後の士師とされ、ベテル、ギルガル、ミツパの各地を回ってイスラエルを治めました(サムエル記上7:15-17)。ところが、多忙を極めたサムエルもついに年老い、後継者の二人の息子が悪の道を進んだこともあって(サムエル記上8:3)、周辺諸国の脅威に悩んでいた民は、これらに対抗できる強いイスラエルを築き上げるために、王制への移行を切望しました。これは、サムエルに対する一種の裏切りにして反逆でもあり、「サムエルの目には悪と映った」(サムエル記上8:6)と述べられています。主ご自身も、「彼らの上にわたし(主)が王として君臨することを退けている」(8:7)と本質を見抜いていましたが、サムエルにサウルを立てることをお許しになったのです。

 後にサウルが主の命令に従わなかったため、サムエルはサウルを廃位し(15:23)、代わりにダビデを王として立てました(16:13)。サムエルはこうして、ダビデ王誕生にも大切な働きをした人物でもあります。「サムエルが死んだ。全イスラエルは彼を悼み、彼の町ラマに葬った」(サムエル記上28:3)。神の言葉の取り次ぎ、民の指導、政治変革に従事し、老齢に至るまで全力で駆け抜けた生涯でした。


 神の呼びかけの言葉を聞くサムエル

 今回の聖書箇所には、このサムエルがまだ幼い時に祭司エリのもとで仕えていた時代に、神の声を聞き、神の召命を受けた出来事が記されています。エリに預けられていたサムエルは少年にまで成長しました。「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」(3:1)という状況において、神が語られなかったことも事実でしょうが、一方で、人々は神の言葉を聞く耳を持たなかったということが大きいと言えましょう。ある日、サムエルは一人、「神の箱が安置された主の神殿に寝ていた」(3:3)ところ、主はサムエルを呼ばれました。サムエルは、エリが呼んだものと思いつつ、目がほとんど見えぬ彼に向かって、「ここにいます」と答えます。「お呼びになったので参りました」とエリに告げると、エリは、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言います。サムエルが再び就寝すると、主は再びサムエルを呼ばれました。再度エリのところに行くと、エリは「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と答えます。再び眠ろうとしたサムエルに、主は三たび彼を呼ばれました。今度ばかりはエリも事の真相に気づき、主がサムエルを呼ばれたのだと気づきます。そこで彼はサムエルに、「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい」と諭します。そうして「サムエルは戻って元の場所に寝た」ところ、主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれました。「『サムエルよ。』サムエルは答えた。『どうぞお話しください。僕は聞いております。』」(3:10)。

 この出来事が、サムエルが預言者として召される召命となり、神の言葉に耳を傾けこれに従うという、信仰者にとって基本中の基本の原体験となりました。


 まとめ

 サムエルは、士師時代から王政時代への変革期において、士師として、預言者として、そして祭司として活動した人で、人心が荒廃した困難な時代にあって、青年時代から高齢で亡くなるその時まで、民の指導に取り組み、ある時は子どもたちの問題で苦しみ、またある時は新たな指導者サウルとの確執に悩み、そうして身を粉にして働き通しました。

 彼の生涯は、第一に「神の言葉を聞く」こと、第二に「神の言葉を人々に伝えること」を軸としたものでした。誰も神の言葉を求めもしなければ、神の言葉を聞こうともしない人々が満ちた時代において、使命に生きることはどれほど辛いものだったでしょうか。もし皆さんが、神の言葉を取り次ぐ務めが苦しいと思ったならば、思い出して下さい。サムエルもまた、同じ闘いをしたことを。 大石健一

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