2025年10月15日水曜日

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マタイ22:34-40

 説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マタイ22:34-40


 

 直前の記事(22:23-33)において、イエスの返答に返す言葉のなかったサドカイ派の論客の無力さが描かれていた。本記事では、ファリサイ派とサドカイ派が結託することで、イエスに敵対する人々の構図が明瞭とされている。


 注解

 34節

新共同訳「ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。」

Ἀκούσαντες δὲ οἱ Φαρισαῖοι ὅτι ἐφίμωσεν τοὺς Σαδδουκαίους, συνήχθησαν ἐπὶ τὸ αὐτό.


「サドカイ派」:直前の記事の22:23-33を参照。ここでの「言い込められた」場面が伏線となっている。

「一緒に集まった」:前述の通り、ファリサイ派とサドカイ派は、政治信条的に競合関係にあるが、敵同士がイエスを陥れるために協働している。詩編2:2における神に逆らうものたちの結束が、ここでイメージされているかもしれない(「支配者は結束して主に逆らい」)。



 35節

新共同訳「そして、そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。」

καὶ ἐπηρώτησεν εἷς ἐξ αὐτῶν νομικός, πειράζων αὐτόν


「律法の専門家」(νομικός):ユダヤ教の教師(ラビ)を指す。

4:1-11における「荒野の誘惑(πειράζω)」における「誘惑(試み、πειράζω)」は、本節での「試そうとして」と同じ動詞。悪魔による試みと、ユダヤ教のラビのそれとが、同列的に扱われているのかもしれない。



 36節

新共同訳「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」

Διδάσκαλε, ποία ἐντολὴ μεγάλη ἐν τῷ νόμῳ;


「最も重要な戒め」:ユダヤ教のすべての戒めの中で最も重要なものは、申命記6:4-5における律法、通称シェマー。

シェマー:同箇所の冒頭の言葉「聞け」と訳されているヘブライ語の動詞 שָׁמַעに由来。「聞く」「従う」の意。

申命記6:4-5:聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。


 37-38節

新共同訳「イエスは言われた。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な、第一の戒めである。」

ὁ δὲ Ἰησοῦς ἔφη αὐτῷ· Ἀγαπήσεις Κύριον τὸν Θεόν σου ἐν ὅλῃ τῇ καρδίᾳ σου καὶ ἐν ὅλῃ τῇ ψυχῇ σου καὶ ἐν ὅλῃ τῇ διανοίᾳ σου. αὕτη ἐστὶν ἡ μεγάλη καὶ πρώτη ἐντολή.


「心を尽くし……主を愛しなさい」:申命記6:5からの引用。ユダヤ人は、これを唱えることを日課としていた。

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして」:自分の全存在をもって神を愛すること。



 39節

新共同訳「第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」

δευτέρα ὁμοία αὐτῇ· Ἀγαπήσεις τὸν πλησίον σου ὡς σεαυτόν.


「隣人を自分のように……」:レビ記19:18からの引用。いわゆる隣人愛。

「第二も…重要である」:原文の直訳では、「第二もそれを同様」となる。双方は「同様」の重要性を持つものの、「第一」「第二」と序列が設けられていることに留意したい。


 隣人愛については、先のシェマーに直接含まれているものではない。しかし、ユダヤ教ではこれもシェマーと並べて重要なものとされていた。


 40節

新共同訳「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

ἐν ταύταις ταῖς δυσὶν ἐντολαῖς ὅλος ὁ νόμος ἐντέταται καὶ οἱ προφῆται.


「律法全体と預言者」:「律法と預言」は、旧約聖書全体を指す表現。イエスは第一に神を愛すること、第二に隣人を愛することを、人の生きる道、すなわち倫理とした。


 まとめ

 イエスの返答は、ユダヤ教のラビにとって、基本的なものである。種々の質問に対するイエスの回答は、奇抜なものばかりとは限らない。この記事では、基本中の基本を直裁に語ることによって、最重要事項の本質を示した。


 黙想
 神を愛することと、隣人を愛すること。両者は重要性においては同様としても、二つに順序がある点は、展開のしどころが豊富だろう。例えば、神を愛することによって、人を愛することを知る、とか、神を愛し神に愛されることで、人を愛することが可能になる、など。あるいは、世界は人間が中心ではなく、まずは神があってそれが中心にあり、そこに人間がいるなど、神と人間の存在構図などにも敷衍することが可能だ。
 キリスト教の教義と絡めるなら、人が神と人とを愛することができるようになるために、その人の内面に働く聖霊の力が用意されていることに触れても良い。

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