ガラテヤ書緒論
ガラテヤの信徒への手紙
概要
本書簡は、伝統的にパウロの真筆性が殆ど疑われることのない七つの書簡の一つとして数えられている(七つの書簡:ローマ、1コリント、2コリント、ガラテヤ、フィリピ、1テサロニケ、フィレモン)。異邦人キリスト教徒を主体とした教会における、律法の遵守と信仰による救済に関わる重大な教理問題を扱った書であり、宗教改革者の一人であるルターは本書を大きく取り上げ、彼の提唱したいわゆる「信仰義認論」を支える聖書的根拠としたことで知られている。
著者
本書簡は、パウロをその著者として提示している(1:1「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」)。こうしたパウロの真筆性は、文体、用語、本書簡以外の伝承その他の総合的分析から、基本的にこれまで疑問視されたことはない。
6:11において「このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。」とあるように、パウロの習慣に従って本書簡が口述筆記によって書き留められたことが窺い知れる(参照、1コリント6:21「わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します」)。
宛先
本書簡の受取人は、1:2(「ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ。」)から「ガラテヤ」の諸教会とされる。また、本書簡の内容から、ガラテヤ書は受け取り側が広く教会一般に設定されている公同書簡のようなものではなく、ガラテヤの諸教会固有の問題に深く関わる文書である故、本書は特定の受取人が前提とされたものである。
なお、ガラテヤ書の宛先である「ガラテヤ」が、古くからのガラテヤ地方を指すのか、またはローマ時代における属州に相当するガラテヤを指すのかという問題については、この後の項目において論じるものとする。
「ガラテヤ」という名称の由来:地方名から属州名へ
ガラテヤ(Galatia)という名称は、元来小アジア中央部から北部地方を指す地方名もしくは王国名であり、278 BCEにイタリアからギリシア経由で移住してきたガリア人が定着した小アジア北東部に相当する。なお、「ガラテヤ」はこの「ガリア」に由来する。ガラテヤ人は前2世紀初頭、セレウコス王朝のアンティオコス3世と同盟を結ぶも、189 BCEのシリア戦争にてローマに敗北。以後、国力は衰退する中、25 BCEに正式にローマの属州とされ、「ガラテヤ」は元々のガラテヤ地方のみならずフリギア、ピシディア、ルカオニア等の南部の諸地域を含む広域地方名とされた。
ガラテヤ地方は体質的に親ローマであったため、元々のガラテヤ文化は比較的保持され、そこにローマ文化が加わり、両者の融合文化が興隆した。
「北ガラテヤ説」と「南ガラテヤ説」
パウロは1:2において「わたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ。」と記しているが、この場合のガラテヤが、前述の通り元々のガラテヤ地方を指すのか(北ガラテヤ)、あるいはローマの属州の一つとされた以降の広域のガラテヤ地方を指すのか(南ガラテヤ)について、これまで激しく議論されてきた。これがいわゆるガラテヤ書における「北ガラテヤ説」「南ガラテヤ説」問題である。
この問題が複雑化する背景には、これが本書簡の執筆時期および執筆状況の特定に直接的に関わるという事情がある。こうした執筆時期や状況によって、本文の解釈も推移していくことになり、複数の要素が相互に絡み合っているところに本問題の難しさがある。執筆時期、執筆状況については、後に論じるものとする。
パウロは地名に言及する時に地域名として使う傾向があるとする見方もあれば、行政区上の地名を使用しているという説もある。使徒言行録に北ガラテヤでの活動について触れられていないとの指摘もあるが、使徒言行録はそもそも史実に忠実であることを目的とした資料でもなく、従って網羅的でもない。
総じて言えば、本書簡から、「北ガラテヤ説」「南ガラテヤ説」のいずれかを断定するに足る根拠を見つけることはできない。
執筆状況
ガラ1:8、4:13, 19等のパウロ自身による記述より、ガラテヤの諸教会はパウロによって創設されたと見なされる。
ガラテヤ1:8「しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。」ガラテヤ4:13「知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。」
ガラテヤ4:19「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。」
パウロがガラテヤを去った後、恐らくはエルサレム教会に属する巡回教師が現れ、「他の福音」(1:6)「あなたがたが受けたものに反する福音」(1:9)を説いたことで、これに惑わされる信徒が生じていた(参照、1:6「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。」)。
論敵像
本書簡におけるパウロの論敵は、「惑わす者」(5:10)、「かき乱す者」(5:12)ともパウロにより呼ばれているが、そのユダヤ的背景から見てエルサレム教会から派遣されたユダヤ人キリスト者巡回教師であると推定され、彼らは、割礼を初めとした律法の遵守が救いに必要であると説いた。また、彼らはパウロの使徒性に疑念を抱いて彼に攻撃を加えている。
エルサレム会議が回顧されている箇所において、「潜り込んで来た偽の兄弟たち」(2:4)と言及されている者たちと同一か同類の者たちであろう。
そのように仮定すれば、この巡回教師たちは、エルサレム教会から来てはいるが、正式に全権を委ねられた者たちではなく、エルサレム教会の一角を形成する一派から派遣された教師と推論される。
他に、彼らを異邦人キリスト者、あるいはグノーシス的キリスト者と見なす説もあるが、グノーシス主義はこの時代以降に台頭した運動であることや上述の諸要素から判断して、先の見解が最も妥当である。
本書簡の成立時期の問題
本書簡が執筆された時期は、先に述べた北ガラテヤ説、南ガラテヤ説のいずれかを選択するかで変わってくる。また、ガラテヤ2章で報じられているエルサレム会議が、使徒15章の会議と同一であるのか否か。さらに仮に同一のものと仮定して、第一次伝道旅行の後に行われたとされるエルサレム会議が、史実の時系列と一致するのか否か(史実では第一次伝道旅行以前であったとする見解もある)。差し当たりエルサレム会議という要素は保留して検討を加えよう。
まず、1:8、4:13等の記事から、パウロは少なくとも一度は直接ガラテヤの人々と出会っている。その上で、次に各説に準じて検討してみる。
北ガラテヤ説:第2回ガラテヤ訪問後
使徒16:6によれば、第二伝道旅行の際にパウロはガラテヤ地方を通過している(さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。)。そして、第三伝道旅行の際に同地を訪問して牧会している(使徒18:23「パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。」)。従って、可能な執筆時期は、第三伝道旅行のエフェソ滞在以降から恐らく同伝道旅行終了以前までとされ、蓋然性がある時期として、後53年から56年、本書簡と共通かつ大規模な構造を持つローマの信徒への手紙執筆(56年)と同時期かそれ以前と推定される。
南ガラテヤ説
本説の場合、パウロは第一伝道旅行の際に属州ガラテヤに含まれるピシディアのアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベに教会を創立し(使徒13-14章)、第二伝道旅行の途上で再び訪問していることになる(使徒16:1-5)。よって、第一伝道旅行以降のいずれの時期でも執筆は可能だが、本文の書き方からして複数回訪問している様子であること、さらに上述のローマの信徒への手紙との親近性を考慮すれば、北ガラテヤ説と大差はない。
執筆目的
「他の福音」を説く教師たちに惑わされたガラテヤの諸教会の福音理解を、正しいそれに修正することが第一の目的である。
社会的な視点から見れば、割礼が救済に必要であるか否かという問題は、異教徒がキリスト教に入信する際、割礼を必須とするか否かという、入会儀礼の問題に帰着する。ギリシャ・ローマ系の人々にとって、割礼は極めて野蛮な行為として認識されており、実際、割礼を受けた者たちで構成されるユダヤ教ユダヤ人共同体とは別に、「神を畏れる者たち」というグループが存在した。彼らシンパサイザーに割礼を受けさせることなく洗礼を受けさせることでキリスト教会に入信させ、教会は発展してきたという経緯がある。割礼問題は、この方針の全否定を伴う重大事であった。要するに、福音理解は執筆目的の根幹としてあるが、それだけではない問題を孕むのである。
内容構成
内容構成については多様な解釈がある。口述筆記を取らせながら一気に初めから終わりまで書かれた趣が強く、精密に全体構成が吟味されたとは限らないが、構成としては、問題の所在から始まって正しい福音の提示、一般論的スタイルでの議論、各論的スタイルでの訴えと続き、信徒たちへの行動上の勧告をもって結語へと到達するという流れを持つ。複数の書簡が後に一つとされたといった、フィリピ、2コリントのような緒論問題はガラテヤにはない。
第1部 ガラテヤ教会問題・真の福音
1:1−5 挨拶
6−10 他の福音になびく者への叱責
11−24 パウロが伝えた福音はキリストからのもの
11−17 パウロの使徒としての召命1
18−24 パウロの使徒としての召命2
2:1ー10 エルサレム会議の経緯と決定事項
11−14 アンティオキアにおけるペトロへの非難
15−21 真の福音:キリストへの信仰によって義とされる
第2部 奴隷から自由にする福音
3:1ー6 ガラテヤの信徒たちへの非難
7−14 アブラハムに啓示された福音
15−20 アブラハムの子孫への約束;律法の役割
21−29 律法の時代からキリストの時代へ
4:1ー7 奴隷ではなく子:相続人の例え
4:8−20 ガラテヤの信徒たちへの訴え
21−5:1 女奴隷と自由な女の例え:律法とキリストの福音
5:2−15 割礼を受ける者への警告:自由を得るための召し
第3部 自由の行使
5:16−26 肉の業と聖霊の実
6:1−10 信徒相互による重荷の担い合い
6:11−18 結びの言葉:最後の警告と祝祷
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