2025年3月25日火曜日

猫でもわかる「マタイによる福音書」概論

第1章  「マタイによる福音書は、誰が、いつ、どこで書いたのか」


 「マタイによる福音書」の緒論

 初回となる今回は、「マタイによる福音書」が、そもそもどのような人によって書かれ、いつ書かれ、どこで書かれたのかについて、お話ししたいと思います。こういった、著者、執筆年代、執筆場所などについての考察を、慣例では「緒論」(「ちょろん」または「しょろん」)」と呼びます。マタイ福音書の内容に踏み込んだ考察や、神学上の特徴といった議論へと広がっていくのに先立つ、その端“緒”となる議論というニュアンスでしょう。横文字では「イントロダクション」、すなわち「導入」のお話となります。


 「マタイによる福音書」の本文

 聖書の中で福音書と呼ばれる書は、四書あります。新約聖書に配置されている順序では、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書、以上です。この中でもマタイ福音書は、二世紀の段階では最も広く読まれた福音書と考えられています。言われてみれば確かに、分量も長く、筆遣いも威風堂々としています。緻密な全体構成に加え、「ほほう」と感心する整然とした全体構想が備わっていて、終始一貫して安定した叙述が際立っています。


 「マタイによる福音書」の執筆者

 今、「マタイ福音書の著者はマタイに決まっているではないか」と思われている方、きっと少なくないでしょう。教会の正典として定められた聖書でそう記述されているのですから、教会で読む分には、それで差し支えはありません。ただ、学問あるいは科学というものは、よく調べて論理的に考えた場合はどうなのかを問う営みですし、こちらの「特集」記事は、少々学問的な体裁も含むものですので、せっかくなので少しだけ踏み込んでみましょう。


 マタイ福音書には今でこそ「マタイによる福音書」という名称が付けられていますが、元々は書名などなく、本文にも著者が誰かという記述は見当たりません。書名は後から付けられたものです。


 ここからはちょっと散らかった話になりますが、頭を働かせて読んでみてください。新約聖書二七書が正典として定められる前の古代時代、それでもある程度それぞれの文書はまとめて保持されていたようで、その際、四つの福音書の並び順は、今日のマタイ福音書にあたる福音書が一番先であったことから、「第一福音書」と呼ばれていました。他方、ヒエラポリスの司教であったパピアスという人の言葉に、「マタイはヘブライ語で言葉集を編纂した」とあります。それ以降、恐らくはその記述を参考にして、何人もの司教、神学者が、マタイという人によってヘブライ語の書がしたためられたと書くようになりました。


 三世紀前半に活動した教父オリゲネスはこれらの情報を統合し、「第一福音書はかつて徴税人であり、後にイエス・キリストの使徒となったマタイによって書かれ……ヘブライ語で著された」と述べています。なるほど、マタイ九・九以下には、マルコ福音書では「レビ」という名の人物が「マタイ」に書き換えられた形で、収税人であった者がイエスによって招かれて弟子とされた記事が掲載されています。つまりオリゲネスは、【マタイ九・九の収税人マタイ=使徒マタイ=第一福音書の著者】と同定したということでしょう。それ以降、この理解が伝統として根付き、最終的に第一福音書は「マタイによる(福音書)」と名付けられるようになりました。結論として、マタイ福音書の著者は使徒マタイとするのがトラディショナルな見解です。


 これで一件落着かと思いきや、この見解には問題点があります。まず、先ほど「ヘブライ語」の書とありましたが、マタイ福音書はコイネー・ギリシャ語で書かれていて、食い違いがあります。また、今日の学術上の一般的な説としては、マタイ福音書の著者はマルコ福音書の現物を読んで、これを大幅に下地にして書いたとされています。そうだとすると、十字架以前のイエスを直接知っているはずの使徒マタイが、直接は知らないで書かれたマルコ福音書を、わざわざ参考にする必要があるのだろうかという疑問が残ります。他にも、細かい点でいくつか問題があります。


 以上の通り、【マタイ福音書の著者=使徒マタイ】かどうかは、今となっては検証のしようもありません。ただ、十二使徒のリストでもマタイ福音書はマタイのところに「徴税人」と書き加えてもいますので(一〇・三)、先の九・九以下と併せ、マタイ福音書が「徴税人マタイ」を他の福音書以上に強調していることは、まぎれもない事実です。マタイ福音書の熱い心が、徴税人でありながら弟子とされたマタイに注がれていることを意識しながら読むと、マタイ福音書の説教がより楽しくなるでしょう。


 「マタイによる福音書」の執筆年代

 まず、マタイ福音書の本文には、本書が執筆された時期について一切明記されていません。ということは、執筆者問題同様、状況証拠から埋めていくしかありません。先ほど、マタイ福音書はマルコ福音書を読んだ上で書かれていると述べました。これが正しければ、マタイ福音書はマルコ福音書の後に書かれたということになります。ところが、マルコ福音書の執筆年代も大いに議論されてきて、紀元六〇〜七〇年としておくのが一般的です。となれば、マタイ福音書はそれ以降であるとひとまずなります。


 ところで、例えば坂本龍馬を映画化したものがあったとして、劇中の龍馬の描き方やセリフは、必ずしも当時に忠実ではなく、映画化に際してその時代に発していきたいメッセージが上乗せされる、あるいは反映されるということがよくあります。マタイ福音書もそれと同様で、「執筆時の教会や時代の状況が滲み出ているなあ」と思わせる筆致が読み取れるのです。これらをつぶさに考察していくと、マタイ福音書はどうも、エルサレム神殿の崩壊(紀元七〇年)の後とか(二二・七)、八〇年代中頃にあったユダヤ人によるキリスト教徒追放処分が意識されているとか、言葉のはしばしに感じるところが多々あります。例えば、四・二三で「諸会堂」と訳されている箇所は、原文では「彼らの諸会堂」とあります。「あれ?同じユダヤ人なのに、『彼らの』なんて、まるで他人事みたいな距離感のある言葉遣いだな」と感じます。それで、「そうか、もうユダヤ教とは距離がある状況か」と気付くわけです。これらを丁寧に総合していくと、紀元八〇年代に書かれたと見るのが妥当です。


 ちなみに、推定成立年代が百年頃と目されている「ディダケー」などの書が、マタイ福音書の記述を知っているようなので、ということは、マタイ福音書の成立はそれ以前でなければならないとなります。以上、この辺りのものの考え方は、ミステリー小説における犯行推定時刻を推理する探偵のやっていることと、そうは変わりません。


 元々はユダヤ人イエスや使徒たちから始まった、ユダヤ教の中でのイエス運動が、迫害を受け、ついに追放処分を受け、そうして分離し、独立したキリスト教が成立するに至った……。その時、マタイ福音書を書いた人、読んだ人たちは、一体どんな闘いをしていたのだろうと、行間からその血と汗を読み取ろうとする営みは、説教を作る際の閃きに繋がっていきます。「『義のために迫害される人々』(五・一〇)って、こういうことか!」といった具合に、聖書の言葉の理解が立体的になります。仕上げに、「そうした迫害との闘いは、現代の私たちにとって、どんな意味があるのだろう」と思い巡らすのです。そうすると、例えば他の箇所での「恐れるな」という主イエスのみ言葉に、「そうか、結局、神以外のものを恐れるなということか」といった閃きが生まれ、み言葉に血と肉が付いていくのです。教会学校向けの説教はともかくとしても、大人向けの立派な説教が、「彼らの」というわずか一言から、自ずと湧き出してくるではありませんか。


 そう、私が今ここで述べていることは、神の言葉の立体化、血肉化へと目指すものです。「そんなことはどうでもいいから、手っ取り早く来週の説教のコツを教えて」というのも人情でしょうが、こういった余計とも思える情報の一つ一つの蓄積、そして反芻が、深いメッセージを地中から掘り出す結果へと導いていきます。手っ取り早さから、奥深い説教は生まれません。


 「マタイによる福音書」の成立場所

 マタイ福音書は、一体どこで書かれたのか。これもまた例により、本文中の記載は一切なく、状況証拠のみからの推理となります。まず、本書は「コイネー・ギリシャ語」で書かれていると先ほど述べました。よって成立場所は、その言語が使われているエリアでなければなりません。次に、マタイ福音書は他のどの福音書にもまさって、律法を重んじています(一例として五・一七「わたしが来たのは、律法や預言者を廃止するためではなく……完成するためである」)。同時に、ユダヤ人の慣習に詳しく、その知識を前提としています。ということは、この福音書の読者にはユダヤ人が多く含まれていると。それでいて、イエスが活動されたガリラヤを含むパレスティナの地理の書き方に、知識の乏しさを感じます。その他、本書におけるペトロの重要性の強調や、本書を最初に引用した古代文書の成立場所、初期キリスト教会の教会分布図などを加味すると、「シリア」という説が最も一般的でしょう。

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第2章 マタイによる福音書の神学的特徴

 一 はじめに

 まずは今回の副題をご覧ください。あえて「神学的」と書いています。素直に「内容的特徴」と書いても事足りはするのですが、せっかくのこういう特集記事ですし、この連載の先もまだまだ長いので、「神学」についてザックリお話ししておきましょう。

 一・一 「神学」とは

 ある観察対象や現象があった場合、よく「科学的に考察する」などと言ったりします。科学的とは広い意味では「学問的」ということで、学問的とは「論理的」と言っても良いでしょう。信仰をもたない人であれ誰であれ、ロジックで納得のいく説明をつけられることが、科学的という意味です。なお、厳密な定義としては、再現性や反証可能性などが求められますが。

 ところが、教会は論証できない神の存在を信じている一方で、世の中にはそうでない人がいます。このままだと教会の学は学問になりません。それでは話が進みませんから、神の存在や啓示された真理は前提とした上で、その上でキリスト教の信仰内容などに関する考察を深めていきましょうという営為こそ、「神学」に他なりません。ちなみに、イスラム教やユダヤ教でも神学と呼ばれ、仏教や神道では教学、宗学と呼ぶのが一般的な慣例です。もう一歩踏み込んで言えば、神学とは私たちの教会という領域の中で、神の真理に関する考察を深めることを指します。この記事の立ち位置は、こちらになります。


 一・二「福音書の特徴」という考え方

 根本的な話から始めたいと思いますが、そもそも「特徴」というのは、対象が一つだけでは成り立ちません。例えば、今この記事を読んでくださっている「あなた」の「特徴」は、他の誰かと比べた時に初めて際立ってくるものです。もし世界中にあなた一人であったなら、他の生物と比較しての人間の生物学的特徴は出てきても、あなた個人の人格については論じられません。これと同様に、マタイ福音書を教会以外の思想と比較することはできますが、ここで論じていく「特徴」とは、他の福音書と比較した時に明瞭となる、いわばマタイ福音書の人格になります。

 ということで、マタイ福音書と比較する書は次の三書、すなわち、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書です。ただしヨハネ福音書は、他の三書とは構想からして大幅に異なっていて、独特なおもむきの福音書となっているので、比較対象として触れられることは少なくなります


 二 「マタイによる福音書」の神学的特徴

 マタイの特徴を細かく挙げていくと、それこそ「枚挙にいとまがない」ので、今年度のカリキュラムで扱う範囲で、皆さんの説教準備に役立つ形で紹介したいと思います。

 【一】旧約聖書との繋がりを強調。【二】パウロとも微妙に異なる律法理解と律法重視、<律法の創始者モーセ、律法の完成者イエス>。【三】キリストの弟子としての教会。【四】イスラエルの継承者としての教会。【五】古いイスラエルから迫害を受ける、新しい教会。【六】教会の世界宣教の展望。

 「話が散らかって、こんなの頭に入らないよ」という方も多いと思いますが、これらは皆、一本の紐で繋がっているので、いったん頭に入ってしまえば、あとは楽です。


 二・一 「教会」

 まず、上記の箇条書きでも「教会」という語が何度も現れている通り、マタイ福音書の基本的な特徴は、「教会」が明瞭に意識されていることです。マタイ、マルコ、ルカにおいて、ヨハネを含めても「教会」という語を使っているのはマタイだけです。もっとも、その回数は三回と多くはないのですが、その理由は、福音書の舞台設定が教会誕生以前のイエス時代だからです。にもかかわらずマタイ福音書では、主イエスの口から「教会」という単語が出てくることはとても特徴的であり、意義深いです。ちなみに、ルカ福音書と使徒言行録の執筆者とされるルカは、ルカ福音書では同語を使っていない一方、使徒言行録の方では一転して二〇回以上使っています。切り替えが徹底していてすごいです。


 二・二 イスラエルを継承する「教会」

 次に、マタイにとって「教会」とは、イスラエルの民、旧約の民に取って代わり、今やその正統性と歴史を受け継ぐべき存在とされています。そして、それは教会の「かしら」であるイエス・キリストから既に始まっていたというのが、マタイの主張です。こうしてマタイは、旧約聖書の言葉を頻繁に引用しつつ、旧約とキリスト、イスラエルと教会との連続性を強調します。そして、旧約の根本要素である預言、律法、イスラエルなどを、新約の福音の光のもとで再定義していきます。さらに、キリストは単なる旧約の継承者に留まらず、モーセによって始まった律法、その完成者として示されます(五・一七「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである)。


 二・三 キリストの弟子としての「教会」

 十二人の使徒たちも含め、キリストの弟子たちは「教会」とされます。ペトロがその教会の「岩」とされている点も、マタイ福音書の大きな特徴の一つです(一六・一八「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」)。こうして、【新しいイスラエル=教会=キリストの弟子たち】という図式が出来上がります。


 二・四 古いイスラエルから迫害される「教会」

 前回の「特集」第一回で述べた通り、マタイ福音書の筆致から推察して、当時の教会はユダヤ人からの迫害、追放、そして分離を経験していたようです。いわゆる「山上の説教」(五〜七章)において、主イエスの言葉に「迫害」という語がたびたび現れるのは、そうした状況を反映しているものと考えられます(五・一〇「義のために迫害される人々は、幸いである」、五・一一、五・一二「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」、五・四四)。また、他の福音書と比べて、同語の使用回数も多い傾向にあります。ちなみに、五・一二の「あなたがたより前の預言者たちも」というくだりには、旧約との繋がりが意識されています。また、五・四四(「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」)は、旧約の隣人愛を超えるもの、すなわち旧約の“律法を超えて完成へ”と向かうイエスの教え、という意識が滲み出ています。


 二・五 世界宣教へと向かう「教会」

 新しきイスラエルとしての教会、キリストの弟子たちとしての教会は、ユダヤ民族という枠を越えて、世界へと羽ばたいていきます。それこそ、かの有名な二八・一八〜二〇のみ言葉です。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」復活のイエスが、「山」で弟子たちに語られたものです。「すべての民をわたしの弟子にしなさい」という、言わずと知れた「大宣教命令」ですが、これまで出てきた旧約、律法、イスラエルの継承、新しき教会、弟子たち…、すなわち、マタイ福音書の全ての伏線が、最後の一節に集約され回収されて大団円を迎えるという、この構成の見事さよ!古代時代のキリスト者が、「第一福音書」と位置付けたのも納得の構成です(四月号収録の「特集」第一回を参照)。構成の素晴らしさもさることながら、今の私たちが、マタイで示された教会、キリストの弟子として、リアルに生きているということに、胸が熱くなりますね。


 三 「マタイによる福音書」の弟子論

 さて、先ほどのマタイの特徴として挙げた【一】から【六】はロジック上の順番でもあるのですが、同時に、皆さんがただいま辿っているところのカリキュラムの順序も意識したものとなっています。七月のカリキュラムに割り当てられている聖書箇所には、「弟子」について述べられている記事が多く含まれます。しかし、今回の残りの紙面は既に残り少ないです。そこで【一】と【二】のもう少し詳しい解説は次回以降に回し、【三】の弟子論の視点から、七月分のいくつかの箇所を見てみましょう。


 三・一 徴税人マタイ

 七月七日分の箇所である「主イエス、マタイを弟子にする」は、徴税人であったマタイが主イエスの弟子として招かれるという、いわゆる「マタイの召命」記事のところです。先の「特集」第一回でも述べた通り、マルコ福音書では「レビ」と明記されている人物が、マタイ福音書では「マタイ」と記されているという、マタイ独自の箇所でもあります。マタイにしかない要素ということは、マタイの特徴をよく表してるということです。伝統的な解釈では、【この徴税人マタイ=使徒マタイ=マタイ福音書の執筆者マタイ】と同定されてきましたが、問題点も指摘されていて、マタイ福音書の執筆者が使徒マタイかどうかまでは定かではありません(この点についても「特集」第一回をご覧ください)。しかし、マタイ福音書が、徴税人としての過去を持つマタイを重視していることは間違いありません。忌み嫌われ、神の救いから遠いとされた者が、キリストに招かれ、弟子とされて再生するのだというコンセプトがマタイ福音書にはあるという点は、説教を準備する際いつでも意識しておいて損はありません。


 三・二 

 弟子たちが主イエスによって町や村に派遣されるという七月二十一日分は、内容がほぼ同じの記事が、マルコ福音書、ルカ福音書にも見られます。こういうものを、専門用語で「並行箇所」と呼びます。この箇所のマタイ福音書オリジナルの要素は、五節から八節となるかと思いますが、「イスラエルの家の失われた羊」を筆頭に、「天の国」という表記や旧約を意識した書き方など、マタイの特徴が満載です。


 最後に

 いかがでしたでしょうか。「頭がパンパンです」という方は、キリストは旧約・律法の完成者で、教会はイスラエルの後継であること、要するに“新約は旧約の続き”という私たちにとって当たり前の事柄が、とてもとても意識して書かれているのだと思っていただければ、とりあえずオーケーです。いっぺんに分かろうとせず、「マタイは旧約との繋がり重視だな、教会重視だな」といった具合に、ふわっと、まるっと掴んでおいてください。


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第3章 共観福音書問題

 はじめに

 今回は、表題の通り「共観福音書問題」について解説します。成人の方の礼拝説教の中で、例えば「並行箇所のマタイでは……」とか「マルコではこうありますが、マタイではこう書かれています」といったセリフを耳にしたことはないでしょうか。本誌の「テキスト解説」でも、しばしば見られます。そういう時、きっと皆さんの多くは、ピンと来ないまでもなんとなく「マタイやルカでは同じような記事があって、それらを比較しているのだろう」と考えるでしょう。この背後には、通称「共観福音書問題」が横たわっています。そこで今回はこの際、この問題について一から十までまとめてお話ししたいと思います。マタイ福音書だけに関わる問題ではありませんが、「マタイ福音書で説教」となると、結局、マルコやルカとの比較は避けられませんし、そうした違いが生じてくる背景を知ることで理解も深まりますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。


 一 「共観福音書問題」とは

 まず、そもそも共観福音書ってなに?という話からしなければなりません。時は遡って三世紀とか四世紀以降のお話です。マタイ、マルコ、ルカという三つの福音書が書かれ、それらが正式に新約聖書正典として定められる前後の時代から、昔の人たちは不思議に思っていました。「なんか、三つの福音書って似てない?ヨハネは全然違うけど」と。確かに、例えば「嵐しずめ」と呼ばれる有名なイエスの奇跡物語を見比べてみると、ほぼ同じという箇所もあれば、表現が微妙に違ったり、さらには大きく異なる部分もあったりすることに気づきます。それから、三つの福音書の記述を抜き出して並べて、一枚の紙上で見比べられるようにと、「共観表」(「シノプシス」)というものが作られました。「シノプシス」は、「共に(同時に)見る」という意味のギリシャ語に由来します。「(三つの福音書が)共に観られる(一覧)表」ということです。この「共観表」から、三福音書は「共観福音書」と呼ばれるようになりました。

 では、いったいなぜ、三つの福音書が互いに似ていると同時に違ってもいるのか、その理由が問題となります。この講座の第一回で、古代時代からマタイ福音書が「第一福音書」と呼ばれていたと述べました。内容も一番とされ、各福音書の並び順も一番目だったからです。そのこともあって、アウグスティヌスなどもそう考えたようですが、きっとマタイが先に書かれて、後からその縮約版としてマルコが書かれ、、他方、アレンジ版としてルカが著されたのだと思われるようになりました。めでたしめでたし、これで疑問も解決とばかりに、それ以降、この問題を深掘りする人はいなくなったのでした。

 ところが、時はめぐり、近代化の波が押し寄せるようになった十八世紀後半になると、科学的視点で聖書を分析する動きが生じてきました。そして、長きにわたる眠りから、突如として「共観福音書問題」は目覚めたのです。


 二「共観福音書問題」の解決へ

 ここで、皆さんは学校の先生になったつもりで、三名の学生のレポートを採点するイメージをしてみてください。一部、ほぼ丸写しの部分が見られることから、レポートの「剽窃」を疑うあなたですが、言葉遣いが異なる部分もあれば、全くのオリジナルの記述もあります。一体、三人はどのように写し合いっこをしたのか。はたまた、四人目のゴーストライターがいるのか。あなたはこの事件の真相をあばくことができるか……共観福音書問題は、そんなミステリーに置き換えることができます。

 まず、レッシングとアイヒホルンという人は、当時の言語であるアラム語で書かれた福音書があって、マタイやマルコたちはそれを翻訳したのだ、と考えました。でも、翻訳ならば三人とも、もっと似ていてもよいはずですよね。

 次に、シュライエルマッハーは、メモ書きのような断片が散らばっていて、三人はこれらをそれぞれ寄せ集めて福音書を書いたのだ、と考えました。いい線いってそうですが、それにしては三つの福音書の記事を並べて見てみると、記事の並び順が妙に一致しています。それぞれがメモ書きを集めたのなら、もっと順序が違っているはずです。

 それならばと、今度はヘルダーとギーゼラーが、当初は口伝えの伝承(口頭伝承)であったものを、翻訳を経て三人が福音書に編纂したのだと推測しました。しかし、これは先のメモ書き説と大して変わりません。やはり、丸写しにしたような逐語的な一致と、記事の並び順の一致から考えると、どうやらメモや口頭伝承の単なる寄せ集めではなく、三者で見せ合いっこ的なことをしたのでは……という推理へと導かれるのです。

 そこで現れたのがグリースバッハです。古代の神学者も考えたところの、マタイが最初に書かれてマルコとルカがマタイをアレンジしたという伝統的な説を、近代版に甦らせました。ところが、これにはすぐさまツッコミが入りました。この推理では、マタイにあるとても重要な記事を、マルコやルカがいとも簡単にカットしていることになってしまう、その理由を説明できないからです。

 そうして暗礁に乗り上げ、事件の捜査が振り出しに戻ったある日、ラッハマンは三福音書の記事の並び順をしげしげと見ていました。そのとき閃いたのです。「事件はマタイで起こるんじゃない、マルコで起こっているんだ!」と。すなわち、マルコが最初に書かれ、マタイとルカがそれを参考にして福音書を書いたのだろうと。この推理にはヴィルケとヴァイセも同意しました。しかし問題は、マルコにはなく、マタイとルカにだけ見られるキリストの言葉がたくさん存在することです。しかも、記事の配列も双方似ています。「マルコ以外に、もう一つ、未知の書があるはずだ。」

 そんな彼らの思いを形にしたのが、ホルツマンです。彼は、マタイとルカが参考にしたプロトタイプマルコの存在と同時に、マタイとルカだけが参考にしたであろう、キリストの言葉集のような資料(通称、Q)の存在を想定しました。今日に至ってなお、その原文も写本も発見されていない全くの理論上の資料で、まるでミスターXのようです。それでもこの仮説には、「真実はいつも一つ。これがそれか」、と巷も騒然となりました。その後、マタイだけ、またはルカだけに見られる記事を別立てとする調整案が、ストリーターによって提唱されました。こうして、ついにこの事件は、九分九厘の解決へと至ったのです。「謎は全て解けた。」現在、学説の大半は、マルコが最初に書かれ、マタイとルカはマルコおよび先の言葉集と共に、それぞれ独自の資料を用いて著したという説に落ち着いています。

 マルコ+言葉集+マタイ独自資料 =マタイ福音書

 マルコ+言葉集+ルカ独自資料  =ルカ福音書

 

 三 実際に違いを見てみよう

 三・一 「嵐しずめ」の奇跡物語をサンプルに

 「四資料仮説」とも呼ばれる以上の説は、学問上の仮説に過ぎません。ただ、これまでの講座を通じて述べてきたことの一つは、マタイの特徴をしっかり掴みつつ、マタイをガッツリ語るために、マルコやルカとの違いをしっかり意識することが必要ということです。理由はなんであれ、共観福音書で同じところもあれば、明確に違っているところもあることは事実ですから、ともかくもその事実認識だけは欠かせません。

 さて、ここからは実例を取り上げてみましょう。最初に、先ほども触れた「嵐しずめ」を見てみると、マルコ四・三十五〜四十一では劇的に物語られている一方、マタイ八・二十三〜二十七では、ちょっと短くなっています。先の仮説に準じて言えば、マタイはマルコを参考にする際、マルコの尺を短くしたということになります。実際、他の箇所でもマタイは、マルコの物語描写や展開をシンプルにする傾向があります。マタイ先生が「もっとシンプルでいいんだよ……」と呟きながら自分の福音書を書いている姿を想像すると、なんだか笑ってしまいます。

 他には、マルコでは弟子たちが「まだ信じないのか」と主イエスに叱られているのですが、マタイ八・二十三〜二十七では、「信仰の薄い者たちよ」、原語のコイネー・ギリシャ語では「信仰のちっちゃい者たちよ」とあります。マルコでは信仰があるかないかの問題で、「まだ」ないとでも言いたそうです。そもそもマルコは白黒つけた考え方や言い方が好みです。他方、マタイでは信仰が量的に表現されていると。それならルカ八・二十二〜二十五ではどうかというと、なんということでしょう、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」となっています。信仰はあるけれども、どっかにすっ飛んでしまっているという理解です。以上の通り、信仰論が三者三様で異なりますから、どの福音書で説教をするかによって、語り口も違ってきますよね。

 もう一つ、マルコでは「おぼれ(死んでも)かまわないのですか?」というセリフが、マタイやルカでは「おぼれ(死に)そうです」と書き直されています。私は、「見捨てるつもりですか?」と言わんばかりのマルコのキツい言い回しが好きです。


 三・二 「安息日の主」の記事をサンプルに

 いかがでしょう。これが「利き酒(ききざけ)」ならぬ、「利き共観福音書」です。マタイだけとは言わず、マルコでもルカでも説教したくなりますよね。さて、紙面もわずかですが、あとちょっとだけコメントして終わりましょう。

 マタイ十二・一〜八は、元の箇所がマルコ二・二十三〜二十八で、読み比べてみてください。ところどころ、はしょられているでしょう?しかし最大の違いは、マルコの「安息日は、人のために定められた」が削除されている点です。マルコの言い回しだと、律法軽視に繋がりかねない危険がありますが、マタイはそれを修正して、律法は用済みではなく、キリストによって律法が完成される点を前面に出しています。また、「わたしが求めるのは憐れみであっていけにえではない」という文言も追加されています。


 最後に

 ここまで読んでいただいてありがとうございます。皆さんがこれからの説教者ライフで、「利き共観福音書」を楽しまれることを願っております。


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第4章 「マタイが思い描く教会ーマタイ福音書の教会論」


 序 「教会論」ってなに?
 この講座、はや四回目となりました。今回は、「マタイが思い描く教会」です。マタイが持っている「教会とはこういうもの」というイメージ、また、あるべき教会の姿、などなどについてとなります。これらは牧師が使うような正式な表現でいくと、「教会論」となります。

 違う教派や教団の教会にいたことがある方なら、教会や礼拝や信仰、聖書について抱いている感覚が、それぞれの教会や教団でずいぶんと違うことを経験されたことでしょう。そうです、教会のイメージというのは、教派や教団が違えば当然のこと、同じ教団の教会でさえも、結構違っていたりするものなのです。

 これと同様に、四つの福音書、すなわち、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネでも、教会観の多様性が見られます。ただ、福音書は基本、キリストの地上での生涯を時間設定としていますから、教会の成立以前の時代が舞台です。よって、その舞台ではまだ存在しない教会の話は出てこないのが普通です。実際、「教会」と訳されるエクレシアという語は、福音書にはほぼ出てきません。唯一散見されるのが、今回の特集の主題である我らがマタイ福音書なのです。

 しかしそれでも、福音書が書かれたのは教会の時代ですから、言葉の端々(はしばし)から各福音書がどんな教会をイメージしているのかが、じんわりと滲み出ています。そこで、その滲み出たものを具体的に見ていきましょう。まず、おのおの共通する要素から参りますと、教会とは、神によって選ばれて招かれた人たちの集まりとなります。「教会」と訳されるギリシャ語のエクレシアという語も元々、誰かによって呼ばれて集められた人たちという意味を持っています。その語が教会専門用語として使われるようになると、神によって招き集められた人々の集まり、という意味に特化していったというわけです。さらにそれは、キリストによって招かれ、キリストに導かれ、キリストを中心とする“群れ”というニュアンスが織り込まれていきました。


 一 四福音書それぞれの教会のイメージ
 せっかくのこういう機会ですので、私の主観もアリとはなりますが、四福音書それぞれが抱いている教会イメージ、すなわち教会論について、ざっくりと述べておきましょう。まず、マルコは「十字架を背負って主に従う教会」となります。マルコは十字架を前面に出す福音書なので、教会の前身であり、後の教会を暗示する弟子たちは、自分の十字架を背負ってキリストに従う群れとなるわけです(マルコ八・三四)。

 次にルカは、「ルカ福音書」を第一巻として書いた後、「使徒言行録」を第二巻として書いていて、二巻仕立てにしているということが最大の特徴でしょう。ですので、「<地上のイエスの時代>を経て、その後の<教会の時代>を生きていく教会」となるでしょうか。

 ヨハネ福音書については、世の罪を取り除く神の小羊(一・二九)、永遠の命(三・一五)、命の水(四・一四)、聖霊(一四・二六)がキーワードですので、「永遠の命と復活、ほふられた小羊なる御子イエスと聖霊を信じる教会」とでもしておきます。

 最後に今回のマタイとなりますが、この講座をこれまで読んでいただいた方にはもうお馴染みでしょう。マタイと言えば、旧約と律法の完成者イエス、神との契約を継承する神の民としての弟子たち、そして、キリストが共にありつつ、主イエスの大宣教命令(二八・一六ー二〇)に生きる弟子たちが特徴的であることから、「神の民の契約を継ぎ、キリスト共に宣教する教会」とまとめてみました。今回の講座の結論が、早くも出てしまいました。



 二 「マタイの神学」こそ「マタイの教会論」
 前回の講座である第三回では、「共観福音書問題」について述べました。これはもはや信徒のレベルを越えていて、神学者レベル、牧師レベルの専門的内容です。ここから、今回の講座で重要な部分のみを抽出すると、次の一点に集約されます。すなわち、<マタイ福音書は基本、マルコ福音書を参考にして執筆された>という点です。このことがなぜ重要なのかというと、第一に、マルコを参考にしているということは、マタイがマルコの何をそのまま踏襲し、何を書き足し、何を書かずに削除したかが、読み比べればわかるという点に尽きます。そして第二に、とりわけ相違点を挙げ連ねることにより、マタイ福音書の考えの独自性が自ずとあぶり出されてくるという仕組みなのです。素晴らしい!

 こういう発想がイメージしにくいという方は、福音書をコンビニに例えてみてください。共観福音書はセブンイレブン、ローソン、ファミリーマートに例えられ、どれも似ていますよね。でも、それぞれ個性がある。業界では二位のファミマがファミチキ(マルコ福音書)という新機軸の看板商品を出したら、業界一位のセブイレがこれを参考に、ナナチキ(マタイ福音書)を繰り出してきたようなものです。ところが、後発のナナチキが一番美味しいと言われるようになり、第一チキン(第一福音書=マタイ福音書)の座を獲得したというのが、共観福音書の歴史です。

 それはともかく、こうして組み立てられたマタイ福音書の内容的特徴、イコール、「マタイの神学」が、私の組み立てによれば、以下の通りとなります。

 一.旧約聖書との繋がりを強調。二.パウロとも微妙に異なる律法理解と律法重視、【律法の創始者モーセ、律法の完成者イエス】。三.イエスの弟子としての教会。四.イスラエルの継承者としての教会。五.古いイスラエルから迫害を受ける、新しいイスラエルの教会、六.教会の世界宣教の展望。(講座の第二回、マタイ福音書の神学より)

 ただ、これらの特徴は、マルコやルカ、ヨハネには全く見られないという意味ではありません。福音書間で共通して見られる事柄でもあるのですが、マタイは誰よりもこれを前面に打ち出しているということです。マタイがイメージする教会は、当然のこと、以上の神学的特徴を実践する共同体であるはずですから、これがマタイの教会論となるわけで、結果、本章の表題通り、マタイの神学はマタイの教会論でもある、という図式が成り立ちます。



 三 律法の完成者イエスの教えを実践する教会
 これで話の前提が整いました。それでこの章からは、マタイの神学を念頭に置きつつ、具体的な聖書箇所を参照しながら深掘りしていきましょう。

 マルコでは律法の束縛からの自由が強調されていて、その点ではパウロの路線と共通するのですが、マタイはこれにやや修正をかけています。具体的には、律法は廃止されたわけではないことが強調されつつ、律法の一点一画までおろそかにされるべきではないことが、マタイによって新たに書き加えられています(五・一七「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」)。端的に言えば、マルコ福音書やパウロの言葉を行き過ぎて理解して、「律法なんか、もう要らないね!」という主張は、マタイの逆鱗(げきりん)に触れるものだということです。しかも、単純に律法を遵守せよということではなく、(イエス以前は未完成だった)律法を「完成」しつつ、律法を超越するイエスの教え・言葉を実践することが求められています。そうして提示されているイエスの言葉こそ、かの有名な「山上の説教」(五ー七章)というわけですね。


 四 ペトロを筆頭とする弟子たちに由来する教会
 マタイ福音書にしかないオリジナル記事といえば、私なら毒麦の例えや天の国の例えを思い浮かべますが、なにより、ペトロの信仰告白の箇所が挙げられます。ペトロの信仰告白の記事自体は、マルコが掲載しているものですが、マタイはそれにプラスして、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」(一〇・一八)という言葉を書いています。

 実はこの箇所は、カトリックとプロテスタント側とで解釈や重んじ方が違ってきて、なおかつそれぞれの教会の正統性の主張が絡んでくるというセンシティブな箇所でもあります。それだけに扱いが難しいのですが、マタイがペトロを重視していることは確かです。他方、ヨハネ福音書はペトロ優位を弱めています。まあ、イエスによって立てられた使徒たちが土台となって、今日の教会へと続いているのだという教会の自己理解は妥当でしょう。


 五 人間関係のトラブルにキッチリ対処する教会
 「仲間を赦さない家来の例え」を導入している「七の七十倍までも赦しなさい」(一八・二二)という言葉もマタイオリジナルで、他方、ルカでは「一日に七回でも赦してやりなさい」とありますから、マタイはこの辺り、徹底して強調していることは明らかです。なにせ七十倍ですから。

 ところで、七の七十倍赦せという言葉、「そんなの無理!」と恐怖心を抱いている方もきっと多いと思いますが、これにはマタイの妥協を許さない性格や、マタイが好む徹底的かつ厳格な言い回しを考慮してもいいように考えています。

 これと共に添えられているマタイオリジナルの箇所が、「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい」の言葉を含むくだりです(一八・一五ー二〇)。ここから察するに、マタイの教会では人間関係のトラブルがあった際、責任を持つ人が仲介に立って事情を聞いた上で、指導に従わないなら除名処分という手順が定められていたようです。これもまた、教会論と密に関わってきます。


 六 洗礼を授け、キリストの言葉を教える教会
 やはり最後は、アレです。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(二八・一九ー二〇)。マタイ福音書を締めくくる、言わずと知れた「大宣教命令」です。「あなたがたと共に」については、クリスマス記事の一・二三「インマヌエル」と呼応関係にあり、マタイの始めと終わりがこれで囲まれていることも、以前に触れたことでした。

 洗礼を授けることも含めたこのような命令は、後代の付加部分と見なされているマルコ一六・九以降を除けば、マタイのみに見られるものです。ただ、ルカは使徒言行録でその旨を物語り、ヨハネでは弟子たちが福音書中で既に実践していますが(四・二)。


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第5章 「四福音書のクリスマス事情~特にマタイに注目して」

 はじめに

 この講座も第五回となり、この回を含めて二回を残すのみとなりました。さて、現在まだ十一月と早めではありますが、今回はクリスマスと参りましょう。表題の通り、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという四つの福音書におけるクリスマスってどうなの?という主題でお話しします。マタイのクリスマス記事の詳細については、「テキスト研究」が別にあるはずですので、改めてそちらでどうぞ。

 まず、主イエスの誕生について物語るクリスマス物語については、毎年恒例ということで皆さんもお馴染みでしょう。このクリスマス物語の源泉になりますが、実はマタイ福音書とルカ福音書だけからしか採用されていません。マルコとヨハネには、誕生物語はないのです。

 ただし、民間伝承レベルのクリスマス物語では、マタイとルカの他にも、聖書正典には含まれない外典『ヤコブ原福音書』や、ジェノバ大司教ヤコブス・デ・ウォラギネが著した『聖人伝説』(通称『黄金伝説』)もソースとされています。例えばヨセフが高齢という設定や、幼子イエスを礼拝した占星術の学者の人数が三人で(マタイ二・七などでは単に「学者たち」と複数形)、それぞれ名前まで付けられているという設定などがそうです。こうした話題も面白いのですが、今回の講座にとって重要なポイントは、誕生物語的な記事はマタイとルカのみにしか含まれておらず、マルコ、ヨハネには含まれていないという点です。


 「初めにことばがあった」から始まるヨハネ福音書
 マルコとヨハネには誕生物語的な記事がないことは、初耳の方にとっては意外に感じられるでしょう。「本当にヨハネ福音書にはないの?」と思われる方は、ヨハネ福音書の冒頭を開いてみてください。「初めに言(ことば)があった」(ヨハネ一・一)という文言から開始され、詩的でミステリアスな言い回しが続いています。これは一般に「キリスト讃歌」と呼ばれ、後述のようにキリストの受肉の要素も含まれることから、クリスマスの聖書箇所として読まれることは多々あります。しかし、赤子のイエスには一切触れられていません。

 ヨハネ福音書にとってのクリスマスは、「言(ことば=キリスト)は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ一・一四)といういわゆる「受肉」の出来事に集約されています。すなわち、キリストである「言」は永遠の「初め」から「神と共に」存在される「神」なる方であるにもかかわらず、「人となって」私たちのもとに来られたという神学を提示しています。そのために、具体的な誕生物語を描くよりも、こちらの方が優先されたということですね。あえて言えば、受肉こそ「ヨハネのクリスマス」です。


 クリスマスを書かなかったマルコ福音書
 「いやいや、さすがにマルコにはなかったっけ?」と思われている方、マルコ福音書を紐解いてみてください。マルコは「神の子イエス・キリストの福音の初め」という宣言から始まり、「荒れ野で叫ぶ声がする」との旧約聖書の預言の言葉と共に、洗礼者ヨハネの登場をもって開始されています。そして彼が逮捕されたタイミングで、主イエスが宣教活動を始められるという物語の運びとなっているので、やはりマルコにもキリスト誕生物語は全く含まれていないということになります。

 その理由について私の推測によれば、マルコはキリストが生まれてからの伝記物語を書こうとしているのではなく、群衆からメシアであると期待されたナザレのイエスの末路が十字架での悲惨な死であり、しかしそこにこそ真の救い主の姿がある!と主張したかったのでしょう。十字架死へと急転直下していく劇的展開を重んじているわけですから、そう考えると、誕生物語から長々と物語るよりも、バッ!とイエスが現れて、ドドっ!と話が動いて、後半から一気に暗雲立ち込め、ドーン!と十字架の闇が覆うという筋書きの方が躍動感があります。この点から、誕生物語はマルコにとってむしろ不要であった、ゆえに書かれなかったのだ、と私は仮説を立てています。一言でいえば、「マルコのクリスマス」とは、あえてそのような誕生物語を省いた末の「いきなり十字架への道」、とでもなるでしょうか。


 マタイとルカでのクリスマス記事の配分
 以上、クリスマス物語のソース(源)はマタイとルカ、ということでご理解いただけたでしょう。では、それぞれに含まれるクリスマス関連記事の配分をザックリと見ておきましょう。

 マタイ:父ヨセフへの告げ知らせ。東方の占星術の学者たちの来訪。ヘロデ大王の恐れ。幼子イエスを礼拝する学者たち。ヘロデによる嬰児虐殺。エジプトへの避難。

 ルカ:不妊のザカリアとエリサベト夫妻。マリアへの受胎告知。マリアのエリサベト訪問。ベツレヘムへの旅と出産。羊飼いたちの来訪。

 毎年、教会学校でクリスマスに向き合っている先生方なら、「ふむふむ、なるほどなるほど」といった感じですよね。いわゆるクリスマス物語の各パートは、こんな風にマタイとルカの双方に散らばっているのです。そして、それらが時系列順にうまい具合に繋ぎ合わせられたものが、あのクリスマス物語であるということです。


 マタイ福音書の誕生物語
 ということで、我らがマタイ福音書のクリスマス記事の構成を、もう少しだけ詳しく見ていくことにしましょう。マタイの誕生物語は、アブラハムからイエスへと至る系図に始まり(マタイ一・一?一七)、次いで父ヨセフへの告知、イエス誕生と命名について述べられます(マタイ一・一八?二五)。その後、場面は変わって東方の占星術の学者たちの来訪物語となります(マタイ二・一?一二)。そして、ヘロデの恐れと企みを経て、ヘロデから逃れるためにヨセフ一家がエジプトへと避難し、最終的にナザレに移住したことをもって結ばれています(マタイ二・一三?二三) 。この一連の物語に共通して現れる要素が、「夢」(一・二〇、二・一二、一三、一九)と「主の天使」(一・二〇、二四、二・一三、一九)、そして成就引用です。「夢」「主の天使」「エジプト」という諸要素から見て、マタイは旧約聖書のヨセフ物語やモーセの出エジプトの出来事との対応関係を意識しています。旧約聖書との繋がりは、とりわけ成就引用によって示されています。成就引用とは、ある出来事が神の摂理の中で起こるべくして起こった必然的なことであることを、旧約聖書の引用をもって示すもので、マタイが好んで使う表現です。以前の講座における「マタイ福音書の神学」の回でも述べたもので、例えば、マタイ一・二二の「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」という言い回しが挙げられます。マタイの誕生物語全体の中では、他に二・一五、一七、二三に見られます。「やっぱりマタイ、旧約との繋がり重視だね!」、まさにそういう感じです。


 マタイとルカにおけるクリスマス記事の相違点
 マタイとルカの誕生物語には、互いに重複するエピソードはありません。同じエピソードが重なってもよさそうなのに、ちょっと意外な感じです。ということは、マタイとルカは、それぞれに伝えられていたエピソードを使ってそれぞれのクリスマス物語を組んだところ、たまたまそれぞれ逸話が被ることなく組み上げるに至った、と推理されます。

 ただ、ここで問題が一つあります。マタイとルカから事実を再構成してみると、矛盾する点があるのです。ルカ二・四には「ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」と記されていることから、マリアとヨセフはイエスの誕生以前から元々ナザレに住んでいて、住民登録のためにベツレヘムに赴いて同地でイエスを出産したという設定となっています。一方、マタイの方では、イエスの家族は元々ベツレヘムに住んでいたけれども、「アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配」していたために、イエスの誕生以後にガリラヤに移住したという書き方になっています(マタイ二・二二?二三「夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方にひきこもり、ナザレという町に行って住んだ」)。

 以上をザックリ図式化してみましょう。

 マタイ ベツレヘム →エジプト避難 →ガリラヤ

 ルカ  ガリラヤ  →ベツレヘム滞在 →ガリラヤ

 なんということでしょう!二人の匠による記述が、違っているではありませんか!私たちが触れているクリスマス物語では、この辺を変に深掘りすることなく、ベツレヘムに旅してそこの馬小屋で主はお生まれになり、その後にガリラヤで住むようになったよね、という形でフンワリ済ませています。それで基本、問題ありません。ただ、この事実を知ったからには、やはりこのミステリーを謎解きしておきたいですよね。

 そこでまず、両者、イエスはベツレヘムで生まれ、ナザレで育ったという点では一致しています。ユダヤでは伝統的に、メシアがダビデの末裔としてベツレヘムより現れるというメシア待望が根強くありました。ミカ書五・一を引用してのマタイの記述が示す通りです。「王は…メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。…「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ…お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となる』」(マタイニ・四-六)。余談ですが、こういう旧約引用もマタイっぽいです。

 他方、主イエスがガリラヤのナザレでお生まれになったかどうかは別として、「ナザレのイエス」という呼称の通り、長らくガリラヤで過ごされたことは既成の事実でした。ところが、以上の二点を成立させる筋書きが、統一されていなかったのだと思います。それで、マタイとルカはそれぞれ、この二点を繋げる作業に迫られていた中で、マタイとルカはお互い面識はありませんから、別々の筋書きが出来上がるに至ったのだ、と私は診ております。歴史的事実はどうであったかについては、今となっては時の彼方のことです。


 結びとして
 マタイとルカとの矛盾については、変に深入りせず、一点突破ならぬ、ベツレヘム生まれのナザレ育ちという「二点突破」で乗り切りましょう。ユスティノスやオリゲネスといった有名な古代の神学者たちも、細かいところは置いておきつつ、ポイント押さえてグイッといくやり方のようですから、これで間違いありません。

 また、マタイの記事からクリスマス説教をする際は、いずれの箇所であれ旧約聖書を意識すると、識者が聞いても「うむ、よく準備されたマタイらしい説教」となります。 ではでは、ちょっと早めのメリー・クリスマス!


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第6章 四福音書のイースター事情?特にマタイ福音書に注目して

 はじめに
 こちらの講座、ついに最終回である第六回を迎えました。この原稿を皆様が読まれている現在、一月頃とまだ早めではありますが、来たるイースターに向けて、マタイ福音書における復活を見ていきたいと思います。ただ、サブタイトルに「四福音書」とある通り、前回のクリスマス編と同様、四福音書全体でイースター記事がどう書かれているのかを中心に見ていきます。マタイの復活記事については個別に「テキスト研究」で解説されることになるので、ここではあえて深掘りはしません。基本、他の福音書との比較の中で、「へえ、マタイの復活記事全体ってこうなっているのかあ」というテーストでお楽しみください。

 
 一 四福音書の復活記事 
 新約聖書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書が収められています。いずれの福音書も、十字架と復活に至るまでのイエス・キリストの足跡にスポットライトを当てた物語となっていて、大筋としてはどれも大差はないように感じられるでしょう。ところが、相違点も少なくなりません。たとえば、前回の特集内容であったクリスマスについては、赤子のイエスが登場するお話はマタイとルカのみで、マルコとヨハネにはありません。ヨハネの冒頭のいわゆる「キリスト讃歌」は、クリスマス礼拝の聖書箇所にされることは多いですが(例えばヨハネ一・一四「ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた」)、マルコにおいてクリスマス的な要素は皆無です。

 それでは、キリストの復活についてはどうでしょう。「安心してください、ちゃんとありますよ」ただし、相違点は本当に各福音書で多々あり、もうバラバラと言っても過言ではありません。そこで、そうした相違点をこれからザッと見ていく前に、イースターに関連する記事の種類について整理しておきましょう。ただし、マルコ一六・九以下の記事は、後代における写本段階での付加とされているので、ここでの考察からは外しています。

 一・一 空の墓復活物語
 まず、キリストが葬られた墓を婦人たちや弟子たちが訪れる「空(から)の墓復活物語」が挙げられます。ラインナップとしては(括弧内は登場人物)、マタイ二八・一-八(二人のマリア)、マルコ一六・一-八(三人の婦人たち)、ルカ二四・一-一二(三名の婦人たちと一緒にいた婦人たち)、ヨハネ二〇・一-一〇(マグダラのマリア)。ベースは同じ舞台設定のお話しですが、登場人物が結構バラけていますね。

 一・二 復活顕現物語
 次に、復活したキリストが婦人(たち)または弟子たちの前に姿を表す「復活顕現物語」です。そのラインナップは、マタイ二八・九-一〇(二人のマリア)、マタイ二八・一八-二〇(十一人の弟子たち)、ルカ二四・一三-三五(クレオパ含む二人の弟子、いわゆるエマオ物語)、ルカ二四・三六-四九(弟子たちへの顕現)、ヨハネ二〇・一一-一八(マグダラのマリアへの顕現)、ヨハネ二〇・一九-二三(弟子たち)、ヨハネ二〇・二四-二九(トマス)、ヨハネ二一・一-一四(七人の弟子たち)、ヨハネ二一・一五-一九(イエスとペトロ)、ヨハネ二一・二〇-二三(イエスの愛しておられた弟子)。こうしてみると、ヨハネの顕現記事の品揃えは豊富ですね。

 
 二 各福音書の復活記事の構成
 それでは、四福音書ごとの復活記事の構成を見ていきましょう。マルコ、ルカ、ヨハネの順で、トリをつとめるのはマタイとなります。

 二・一 マルコに復活顕現記事がない理由
 前述の通り、マルコのオリジナルの結びを一六・八とした場合、その最大の特徴はなんといっても、空の墓復活物語はあっても復活顕現記事がないことです。「え?復活のキリストが現れないまま終わるの?」という感じです。しかもその結びは、婦人たちが恐れによって誰にも何も言わずに沈黙していたところで唐突に閉じられています。これはいまだに解決されない新約聖書学上の大問題の一つで、これまで誰一人として説得力のある回答を示した人はいません。これについての私見になります。前回の特集でも述べたように、マルコはキリストの壮絶な十字架死という劇的物語を書きたい人です。そして、その悲劇性をもって、イエスが神の子であることを浮き彫りにしたい人です。そのため、イエス誕生の記事にも触れず、洗礼者ヨハネの逮捕という意味深なところから始めて、上り調子の前半から転じて、受難の暗雲漂う後半へと突入し、終盤は急転直下、十字架の死へと叩き落としてきます。そこで私は思うのです。「これで最後に長々と復活顕現記事を入れたら、もう復活カラーで十字架色が消されてしまう」と。たとえるなら、讃美歌の「ちしおしたたる」を歌った後は、しばらくはキリストの死のショックに酔いしれたく、「復活はちょっと待ってよ」となるようなものと。その後の展開は読者なら皆がわかりきっていることですから、説明を入れれば入れるほど、文学的にはダサくなる感じがしないでしょうか。他方、そういうマルコがあるからこそ、マタイは自身の福音書の結びに弟子たちへの顕現を持ってきて、いわゆる後述の大宣教命令をもって大団円で閉じるという、マタイの重厚な書きっぷりのすごさを実感するというものです。雑な言い方をすれば、マタイが論述なら、マルコは小説とか劇場。

 二・二 やっぱりエマオにつきるルカ
 ルカの復活記事の構成は順番に、空の墓、エマオ途上の顕現、弟子たちへの顕現、最後にキリスト昇天、以上です。ルカの復活記事といえば、やはり「エマオ」です。エマオの記事の内容については、言わずもがなでしょう。ただ、ルカの特徴として見逃せないのは、キリスト昇天記事があることです。使徒言行録はルカの作品と見なされ、ルカ福音書と使徒言行録で二巻本構成であることは、有名な話です。ルカの終わり、使徒言行録の初めにおける昇天の場面を通じて、双方が繋がっているというわけです。

 二・三 顕現記事のオンパレードなヨハネ
 空の墓物語では、ペトロと「イエスが愛しておられた弟子」とが競争するのも印象的である一方、先にもチラッとつぶやきましたが、ヨハネにおける顕現記事の多さとオリジナリティは半端ではありません。空の墓の登場人物はマグダラのマリアだけですし、彼女限定の顕現記事も後に続いています。ヨハネ福音書以外では名前だけ触れられているに過ぎないトマスが登場し、彼のために会いに来られる復活顕現の逸話も、ヨハネ独自の記事です。七人の弟子たちが漁をする場面で現れたかと思えば、ルカの顕現記事のように焼き魚を食べまではしませんが、弟子たちに魚とパンを差し出されています。そして、ペトロに対する三度の「わたしを愛しているか」との問い。締めには、謎の「イエスの愛しておられた弟子」が登場して、最後は後書きで終わるというのがヨハネの構成です。


 三 マタイの復活記事の構成と特徴
 マタイ福音書の復活記事の全体構成は左記の通りです。

 二七・六二-六六 墓を監視する番兵 その一

 二八・一-八 空の墓物語(二人の婦人)

 二八・九-一〇 二人の婦人への復活顕現

 二八・一一-一五 番兵を監視する番兵 その二

 二八・一六-二〇 ガリラヤでの復活顕現

 三・一 番兵の存在が持つ意味

まず、マタイ独自の要素としては、墓を監視する番兵に関する記事を挙げることができます。要旨としては、祭司長、ファリサイ派、そしてピラトが協議し、弟子たちが死体を盗みに来て、後から「復活した」などと言い出さないよう、番兵を立てたというのが前半。後半は、空の墓物語の中で「震え上がり、死人のようになった」(二八・四)出来事を経て報告を果たしたところ、「弟子たちが死体を盗んだ」ということにしておけと指示され、ワイロまでつかまされたという筋書きです。以前の特集で私が述べたことを覚えていらっしゃるでしょうか。マタイとその教会は、ユダヤ人やユダヤ教の正統派から迫害を受けていて、追放処分を受けているさなかにありました。とすると、正当なユダヤ人の側から、「イエスの復活なんて、でっちあげだ!」と言われ続けていたとしても全く不思議ではありません。この揶揄に対する対抗として、番兵のくだりの記事を挟み込んだのだろうと推測されます。

 三・二 大宣教命令と、ガリラヤという場面設定
 復活のイエスが弟子たちの前に姿を現され、いわゆる「大宣教命令」を発せられる場面となっています。この舞台設定が特徴的で、その場所は、十字架と墓のあるエルサレムからわざわざ移動しての「ガリラヤ」となっています(二八・一六)。これは、「復活した後・・・ガリラヤへ行く」(二六・三二)という事前予告を受けてのもので、元々はマルコ福音書の筋書き(マルコ一六・七)を踏襲したものです。ただ、前述の通りマルコ先生は、十字架の死の衝撃を維持したまま書き終えたいものですから、「もう書かなくても、皆さんわかるよね」という感じでそこで筆を置いたと。それでマタイ先生は、マルコが書かなかったガリラヤ顕現記事をまとめて、自分なりの味つけも施した上で、自分の福音書の中で描いたのだ、というのが私の推測です。

 三・三 溢れ出すマタイの神学
 単にマルコの設定を引き継いだだけで終わらないのがマタイのすごさで、まずキリストの権威をバーンと打ち出しています(二八・一八「わたしは天と地の一切の権能を授かっている)。そして、そこからの「すべての民をわたしの弟子にしなさい」、「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」なさい(二八・一九)、「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(二八・二〇)という、宣教命令三連発が繰り出されています。私たちの教会の使命と合致するみ言葉が示されて、「我らの教会の源流、ここにあり!」と胸熱の展開です。

 そして最後の最後の最終節は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(二八・二八)です。思い返せば、クリスマス記事の中の一・二三において、イザヤ書のメシア預言が引用されての「神は我々と共におられるという意味である」という文言の伏線回収ではありませんか。旧約引用、預言成就、それを実現する方としてのキリスト、イスラエルを受け継ぐ教会、これらマタイ神学の伏線の全てが回収され、主イエスと弟子たちの大団円で終わるという、マタイの構成と神学の見事さよ!二〇年前のオリンピック選手の名言、「ちょー気持ちいい!」と叫びたくなる気持ちを胸に抱きつつ、ここで終わりたいと思います。

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