「マグダラ」は、ティベリアスの北2マイル、カファルナウムの南3マイルに位置するマリアの出身地「マグダラ」を表すと思われる。他のマリアと区別するために、そのように呼ばれたことは間違いない。
「マグダラのマリア」は、十字架、葬り、空の墓の場面で他の婦人たちと共に登場する箇所(マルコ15:40; 15:47; 16:1; マタイ27:56; 27:61; 28:1; ルカ)の他、イエスに従った女性たちに関する記述に含まれるルカ8:2において、「七つの悪霊を追い出されたマグダラの女と呼ばれるマリア」と言及されている。加えて、マルコ16:9でも、「イエスは復活して、週の初めの日の朝早く、七つの悪霊を追い出されたマグダラのマリアに、最初に姿を現した」と記されている。また、ヨハネ福音書では、マグダラのマリア個人に対するイエスの復活顕現の記事が記載されている(ヨハネ20:11-18)。
このマグダラのマリアは後に、ルカ7:36-50における「髪の毛でイエスの足を拭った罪人の女性」の記事での無名の女性と同一視され、彼女のイメージは娼婦およびイエスの足を髪の毛で拭った女性と結びつくこととなった。
さらに、ヨハネ12:1-3(「1過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。2イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。3そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」)におけるベタニアのマリアを、マグダラのマリアと同一人物であるとする見方もできあがっていった。
伝説では、彼女は、南仏へ赴き、30年の修道生活を送り没したと言われている。5世紀初頭(カトリック)もしくは6世紀頃(東方正教会)に活動した「エジプトのマリア」と呼ばれる聖人がおり、彼女のプロフィール(12歳で姦淫の生活におぼれたものの、17年後にエルサレムで啓示を受け、以後、荒れ野で禁欲生活を送った)がマグダラのマリアと重ね合わせられ、無自覚的に彼女のイメージが作り上げられていったのだろう。マグダラのマリアに荒れ野の修道女というイメージの源泉は、恐らくこのエジプトのマリアにあると思われる。
以上のように、新約聖書から見たマグダラのマリアは、イエスの足を髪の毛で拭ったわけでもないし、「七つの悪霊」に取り憑かれていた(マルコ16:9)とは書かれていても、必ずしも娼婦であったとは明記されておらず、長い髪の毛を持っていたとも限らない。にもかかわらず、後代の美術その他では、かつて娼婦であり、豊満な肉体と長い髪の毛を持つ美しき女性が自らの髪の毛でイエスの足を洗い、以後、禁欲生活を送ったことを前提としたイメージでもって描かれるようになっていった。ただ、当然ながら、イエスの十字架、葬り、墓が空になっている場面にて傍らに立つ彼女の姿がモティーフとされた作品や、ヨハネ20:11以下のマグダラのマリア個人への復活顕現の場面が描かれた絵画も多く存在する。
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