2026年10月16日金曜日

宗教学(目次)

【宗教学 講義】①宗教の始まり――その原初形態  #アニミズム説 #プレアニミズム説 #文化人類学 #原始一神教説 #多神教説 #わかりやすい


【宗教学 講義】②呪術と科学と宗教──フレーザー、マレット、マリノフスキーの説を軸に  #わかりやすい


【宗教学 講義】③宗教の諸類型 ― 諸宗教をどう分類できるか


【宗教学 講義】④宗教(団体)の構成要素 ― 教義・儀礼・集団・体験


【宗教学講義】④宗教(団体)の構成要素 ― 教義・儀礼・集団・体験

 


宗教学講義 第4回 宗教(団体)の構成要素 ― 教義・儀礼・集団・体験


はじめに:宗教は何からできているか

宗教学は、比較言語学・比較神話学(F. M. ミュラー)、考古学、文化人類学による諸民族の宗教研究を通じて発展しました。諸宗教を比較する中で「どう区別するか」が問われ、前回扱った類型論が生まれました。

類型論が宗教の「違い」に注目したのに対し、今回はどの宗教(団体)にも共通して含まれる構成要素に注目します。

節構成要素内容問い
1教義宗教思想、信仰内容、教え、戒律何を信じ、何を教えるか
2儀礼一定の形式・順序をもつ宗教行為どのように行うか
3集団信仰を維持・継承する共同体と組織誰と共に担い、誰に伝えるか
4宗教体験知・情・意、そして感覚による体験信者は何を経験するか

問い1:「宗教を信じている」とは?

「私は〇〇教です」という言い方には、性格の異なる二つのメンバーシップが含まれています。

観点個人のメンバーシップ型共同体とのつながり型
典型的な言い方「クリスチャンです」「うちは代々〇〇寺で」「神道です」
所属の根拠本人の自発的な意志、教団への加入家・地域への帰属(檀家、氏子)
現れ方礼拝に通わないと、どこか後ろめたい葬儀、七五三、祭りの準備などで意識される
特徴実存的・主体的だが、本人の意志に左右される個人の帰属意識は薄いが、安定しており無難

二つはきれいに分けられない

  • キリスト教でも、カトリックやプロテスタントのルター派は社会的な性格を強くもちます。
  • ドイツでは、州教会が公法上の団体とされ、教会税を国が徴収します。
  • デンマーク国教会の牧師は国家公務員です。

「信じています」の二つの意味

  1. 教義を受け容れている。超越的存在や法(ダルマ)の存在を信じている。
  2. 特定の教団のメンバーである。

問い2:自己啓発系の宗教は現代向きか

人間の内面にある可能性を目覚めさせることを説く、自己啓発系・ヒューマニズム系の宗教について考えます。

強み

  • 個人化が進む現代社会によく適合します。
  • 自分で選び、主体的に信じる信仰です。

課題

  • 社会的な基盤が薄く、本人の意志次第で不安定になりやすい面があります。
  • 家族や周囲の理解を得にくく、結婚などで調整が必要になることもあります。

対照的に、「代々〇〇宗で」という信仰は、形式的で実存的とはいえませんが、安定しており無難です。

1. 教義

宗教思想、信仰内容、教え、戒律を指します。

1.1 宗教思想の三つの側面

側面問い例
人間観人間とは何か。生と死、生きる意味性善説・性悪説
世界観世界の根源、始まりと終わり、目的時間論:直線的(終末)/円環的(輪廻)
超越存在観(実在観)究極的な存在は何かキリスト教の神、原始仏教の法(ダルマ)

1.2 宗教思想の伝達方法

  • 口伝伝承:教えを暗唱し、口頭で伝えます。
  • 文書伝承:記憶と理解を保存するため、書き記し、編纂します。文書化は、組織の制度化と深く結びついています。

1.3 宗教思想の表現形態:神話・教説・教義

形態内容例
神話(myth)世界や民族の起源を語る物語『古事記』(712年)、『日本書紀』(720年)の創世神話(イザナキ・イザナミ)
教説(doctrine)教祖などの言葉・教え・言行。体系化される前の基本方針「(神、イエス、ブッダ)はこう仰った」という定型句
教義(dogma)教えを組織化・体系化したもの。拒否すれば破門・異端宣告の対象イエスは真の神にして真の人、神は三位一体

※英語の doctrine は「教義」とも訳されます。ここでの三分法は、体系化の度合いによる整理です。

2. 宗教儀礼

定義:宗教的目的を実現するために、一定の形式や順序をもって行われる宗教行為の体系。儀式。

  • 語源:英語の ritual はラテン語 ritus(儀式・慣習)に由来します。サンスクリット語のリタ(ṛta=宇宙の秩序・法則)と同根とする説もあります。
  • 象徴的行為の体系:言葉(祈り)、所作(ひざまずく)、物(聖水、数珠)を用います。

2.1 儀礼の古い姿を探る

  • 類感呪術:J. G. フレーザーが『金枝篇』で論じた、「似たものは似たものを生む」という考えに基づく呪術です。例:雨乞いで水をまく。
  • ラスコー洞窟の壁画:動物の絵が重ね描きされていることから、狩猟の成功を願う儀礼の場だったとする解釈があります(狩猟呪術説)。ただし、数ある解釈の一つです。

3. 宗教集団

3.1 個人から共同体へ

信仰や教義を個人だけで維持・継承するのは現実的ではありません。「誰から教えられ、誰に伝えるのか」を考えると、組織の形成は必然です。

例:キリスト教修道院の展開

  • 3世紀末、エジプトでアントニオスらが荒野で個人の禁欲生活を始めました(隠修士)。
  • 4世紀、パコミオスが共住修道院を創設し、共同生活へと展開しました。

3.2 宗教集団を構成する要素:部活動にたとえると

構成要素部活動にたとえると
① 教義、思想、イデオロギー活動方針・決まり(先輩には絶対服従)
② 儀式、儀礼などの行動様式朝のミーティング、試合前の謎の儀式
③ 集団内部の組織構成監督、指導役、上級生のピラミッド
④ 建物、祭具などのインフラタイヤ引き、公式ユニフォーム

4. 宗教体験

教義・儀礼・集団とは異なる次元で、重要な要素です。

  • 三つの側面:知識・感情・意志(知情意)。または、認知的側面と感覚的側面。
  • 感覚的側面:これまでの研究では軽視されてきました。例:密教の曼荼羅を眺める、神秘的な礼拝堂で礼拝を捧げる。

4.1 カトリックとプロテスタントにおける礼拝体験の違い

観点カトリックプロテスタント(特に改革派系)
礼拝の姿勢十字架を見上げる目を閉じて祈る
十字架キリストの磔刑像(クルシフィクス)キリスト像のない十字架。あくまで象徴
空間ステンドグラス、礼拝堂の構造が体験を形づくる概して質素。語られる言葉に集中する

※ルター派や聖公会では、磔刑像やステンドグラスも用いられます。

まとめ

  • 宗教(団体)は、教義(何を信じるか)、儀礼(どう行うか)、集団(誰と担うか)、宗教体験(何を経験するか)が組み合わさって成り立っています。
  • 「宗教を信じる」という言葉には、教義の受容と集団への所属という、二つの意味があります。
  • 身近な宗教を一つ選び、四つの要素を当てはめてみましょう。

参考:人物と文献

事項人物・文献
比較宗教学の源流F. M. ミュラー(比較言語学・比較神話学)
類感呪術J. G. フレーザー『金枝篇』(初版1890年)
修道制の始まりアントニオス(隠修士)、パコミオス(共住修道院)
日本の神話『古事記』(712年)、『日本書紀』(720年)

2026年10月15日木曜日

【キリスト教史解説】殉教者ユスティノス ― ギリシア哲学とキリスト教の対話

 

殉教者ユスティノス ― ギリシア哲学とキリスト教の対話

0. 問題設定

  • 二世紀半ば、ローマでキリスト教を教えた思想家
  • 回心後も「哲学者」の姿のまま活動し、ギリシア哲学の言葉でキリスト教を説明
  • 問い:哲学とキリスト教は対立するのか、それともつながっているのか

1. 基本データ

項目内容
生没年100年ごろ〜165年ごろ
出身古代サマリア地方フラウィア・ネオポリス(現ナブルス)
活動地ローマ
呼び名「殉教者ユスティノス」「哲学者ユスティノス」
主著『第一護教論』『第二護教論』『ユダヤ人トリュフォンとの対話』(いずれもギリシア語)
位置づけ二世紀を代表する護教家/ギリシア教父の一人

護教家(アポロギスト)とは

  • 二世紀のキリスト教徒は、周囲の社会から批判・誤解を受けていた
  • それに対し、哲学的・論理的にキリスト教を擁護した思想家たち
    • ギリシア語:アリステイデス、タティアノス(ユスティノスの弟子)、アテナゴラス など
    • ラテン語(やや後代):テルトゥリアヌス

2. 生涯

(1) 哲学の遍歴(『トリュフォンとの対話』2–8)

  1. ストア派 … 神について何も教えてくれない
  2. 逍遥学派(アリストテレス派)… すぐに授業料の話
  3. ピタゴラス派 … まず音楽・天文学・幾何学を学べと言われる
  4. プラトン派 … 強く惹かれ、求めていたものと感じる

(2) 回心

  • 海辺で一人の老人と出会い、問答を重ねる
    • 哲学だけでは神を知ることはできない
    • 哲学者より古く真理を語った人々=預言者
  • 「心に火がともった」→ キリスト教こそ確かで有益な、ただ一つの哲学
  • *回心の場所は本文に記載なし(エフェソス説が多いが不確実)
  • 『第二護教論』12:死を恐れないキリスト教徒の姿にも心を動かされた

ポイント:キリスト教は哲学を捨てて入るものではなく、「本当の哲学」

(3) ローマでの活動と殉教

  • 二世紀半ば、ローマで教え、哲学的にキリスト教を擁護
  • 教会内部の異説とも対決:マルキオン批判(旧約の神とキリストの父を別神とする説)
  • 165年ごろ、マルクス・アウレリウス帝治下で殉教
    • 『ユスティノス殉教録』:首都長官ユニウス・ルスティクスの裁判 → 仲間とともに斬首

3. 思想

(1) 哲学を否定しない

  • 哲学のなかにも真理がある、と認める
  • その真理をキリスト教との関係で捉え直す
  • ギリシア哲学の概念・言葉でキリスト教信仰を説明した、最初期の重要な思想家

(2) ロゴス

  • ギリシア語で「言葉」「理性」
  • ギリシア哲学:世界を貫く理性、世界秩序の原理
  • ヨハネ福音書1:1「初めに言(ロゴス)があった」
  • ユスティノス:キリスト=創造に先立って神から生まれたロゴス
    • 受肉以前から、世界のなかで働いていた

(3) 種子的ロゴス

ロゴスはすべての人間に「種」を蒔いている。

用語指すもの
種子的ロゴス(ロゴス・スペルマティコス)種を蒔く側のロゴス
ロゴスの種子人間の側に蒔かれたもの

*両者は混同されやすいので注意

(4) 部分と全体

  • 哲学者たちも、それぞれの程度に応じて真理の一部を認識しえた
  • 『第一護教論』46:ロゴスに従って生きた人は、キリスト以前でもキリスト者
    • 例:ソクラテス、ヘラクレイトス
  • しかしそれは部分的 → ロゴスの全体はイエス・キリストにおいて現れた

結論:キリスト教は哲学と対立する一宗教ではなく、哲学者が求めてきた真理がキリストにおいて完全に示されたもの

(5) 補足

  • アレクサンドリアのフィロン:聖書伝統をギリシア哲学で解釈する試みは、ユダヤ教側に先例あり
  • 借用説:プラトンはモーセから学んだ(『第一護教論』44, 59–60)
    • 歴史的事実ではないが、哲学と聖書を一つにつなげようとする意図がうかがえる

4. 著作

(1) 『第一護教論』

  • 150年代半ば、皇帝アントニヌス・ピウスとその息子たちに宛てる
  • 当時の非難(無神論・不道徳・国家への不忠実)への弁明
  • 神、イエス・キリスト、復活、キリスト者の生活を説明
  • 61–67:洗礼・聖餐・日曜日の礼拝の記述 → 初期礼拝のもっとも古い証言の一つ
  • ソクラテスも真理を語ったために迫害された → キリスト者への迫害も同じ

(2) 『第二護教論』

  • ローマ元老院宛て
  • 独立の書というより『第一護教論』の付録とみる説が有力
  • 13章:種子的ロゴスを語るもっとも有名な箇所
    • プラトン、ストア派、詩人、歴史家は、種子的ロゴスの分け前に応じて真理の一部を語った

(3) 『ユダヤ人トリュフォンとの対話』

  • ユダヤ人トリュフォンとの対話形式
  • 冒頭(1–8):ユスティノス自身の哲学遍歴と回心
  • 本論:旧約の預言はイエス・キリストにおいて成就した
    • 旧約と新約は神の救いの計画として一つにつながる
    • 主題:キリスト教にとって旧約聖書はどういう意味を持つか
  • 舞台はエフェソス(エウセビオス『教会史』4.18)

5. まとめ

  • 二世紀を代表する護教家
  • 哲学遍歴 → 回心 → ローマで教授 → 165年ごろ殉教
  • ギリシア哲学を否定せず:哲学者の真理は、種子的ロゴスが蒔いた種子によるもの
  • その真理の完全な現れをキリストに見いだした
  • 「哲学者」であり「殉教者」――ユスティノスにとって矛盾ではなかった。キリスト教こそが本当の哲学だったから。

主な参照

  • ユスティノス『第一護教論』5; 26; 44; 46; 58–60; 61–67
  • ユスティノス『第二護教論』8; 10; 12; 13
  • ユスティノス『ユダヤ人トリュフォンとの対話』1–8
  • 『ユスティノス殉教録』
  • エウセビオス『教会史』4.18

【キリスト教史解説】日本キリシタン史 16世紀〜17世紀

 


キリシタン史のリアル ―― 宣教師の戦略と文化摩擦

対象時期:16世紀半ば〜17世紀後半 キーワード:適応主義/南蛮貿易/キリシタン大名/大日とデウス/バテレン追放令/禁教令/島原・天草一揆/寺請制度


0. 問題設定

  1. なぜ宣教師は日本文化を学んだのか
  2. なぜ大名はキリスト教に改宗したのか
  3. なぜ日本は最終的にキリスト教を禁止したのか

三つの視点:①宣教師の戦略 ②日本社会との摩擦 ③政治と国際情勢


1. 宣教師と日本文化 ―― 適応主義

  • 1549年 フランシスコ・ザビエル、鹿児島に到着
  • 日本は「宗教のない国」ではなく、仏教・神道を持つ高度な宗教社会だった
  • カブラル(布教長、1570年来日):日本文化への適応に消極的。日本人司祭の育成にも否定的
  • ヴァリニャーノ(巡察師、1579年来日):カブラルと対立
    • 宣教師に日本語・礼儀作法を習得させる
    • セミナリヨ・コレジヨを設立し、日本人聖職者を育成
  • 適応主義=「日本人に伝わる形でキリスト教を伝える」
    • ただし宣教師全体の方針ではない(イエズス会内部の反対、フランシスコ会などの別路線)
    • 論争の末に選ばれた戦略

2. 宣教と貿易

  • ポルトガルの交易網(インド洋〜東南アジア〜日本)
  • イエズス会自身がマカオ―長崎間の生糸貿易に関与し、利益が布教資金の一部に
  • 1580年 大村純忠、長崎・茂木をイエズス会に寄進
  • 注意:「宣教師=ポルトガルの工作員」ではない
    • 宗教的目的は本物であり、貿易関与は会内部でも批判の対象
    • ただし海外進出・国際交易と無関係でもない

3. キリシタン大名

  • 大村純忠・大友宗麟・有馬晴信(いずれも九州)
  • 改宗の要因:信仰/南蛮貿易/外交/情報/領国内の政治状況
  • 領内で集団改宗が進む場合もあった
  • ただし「領民全員が自動的に改宗」したわけではなく、地域差がある

4. 言葉の問題 ―― 「大日」から「デウス」へ

  • ザビエルは当初、神を「大日」と表現(ヤジロウの訳語とされる)
  • ザビエル書簡によれば、真言宗の僧侶は当初好意的だった
  • 教えの違いが明らかになり、ラテン語「デウス」へ転換
  • 原語使用の方針:デウス/パライソ/インヘルノ/アニマ
    • 理由:日本語の宗教語彙は仏教・神道の意味を帯びていた
  • 言葉の翻訳にとどまらない「世界観の翻訳」という課題

5. 文化摩擦

  • 唯一神信仰と、多元的な日本の宗教文化との衝突
  • 争点:寺院・仏像・宗教儀礼・葬送
  • 一部のキリシタン領主のもとで寺社・仏像の破壊があった
    • ただし一般化はできない(地域・時期による差)
  • 問い:新しい宗教は既存の宗教秩序とどう共存するか

6. 日本人キリシタンの葛藤

  • 家族の宗教・祖先の葬儀・地域行事・寺との関係
  • 改宗=家族・村・寺院・領主との関係を変える可能性
  • 「宣教師が改宗させた」という一方向の物語ではない
    • 受容する側の主体性に注目する

7. 天下人と幕府の警戒

  • 背景:スペイン・ポルトガルの世界進出、国内のキリシタン大名
  • 1587年 豊臣秀吉
    • 6月18日付「覚」:大名の改宗、領民への改宗強制、日本人の海外売買などに関わる内容
    • 6月19日付「バテレン追放令」(五か条):日本=「神国」、寺社破壊の非難、宣教師の20日以内の退去。貿易は継続可
    • 長崎を直轄地化
    • 追放令は徹底されず
    • ※二つの文書の関係・成立過程には研究上の議論がある
  • 1596年 サン=フェリペ号事件(土佐)
    • スペインの征服と宣教の関係への警戒が伝えられるが、影響の度合いは慎重な検討が必要
  • 1597年 二十六聖人の殉教(長崎)
  • 江戸初期 オランダ・イギリス(プロテスタント国)が来航し、布教を伴わない貿易を行う
  • 1612年 幕府、直轄領に禁教令
  • 1614年 禁教令を全国に拡大
  • 禁教は「宗教嫌い」ではなく、政治・外交・貿易・領主支配・宗教の複合問題

8. 島原・天草一揆

  • 1637年 島原・天草一揆
  • 背景:重い年貢/領主の苛政/飢饉/キリシタン弾圧/地域社会の不満
  • 一揆勢に多くのキリシタンが含まれ、宗教的シンボルも使用された
  • 時系列の整理:
    • 禁教は一揆以前(1612年〜)から進行していた
    • 一揆はその後の政策強化に影響した
  • 1639年 ポルトガル船の来航禁止
  • 宗門改・寺請制度:地域差を伴いながら整備され、17世紀後半にかけて全国に定着

年表

年出来事
1549ザビエル、鹿児島に到着
1570カブラル来日
1579ヴァリニャーノ来日
1580長崎・茂木がイエズス会に寄進される
1587「覚」(6月18日)・バテレン追放令(6月19日)
1596サン=フェリペ号事件
1597二十六聖人の殉教
1612幕府、直轄領に禁教令
1614禁教令を全国に拡大
1637島原・天草一揆
1639ポルトガル船の来航禁止
17世紀後半寺請制度が全国に定着

まとめ

  • キリシタン史は「キリスト教が日本に来た歴史」にとどまらない
  • 宗教と宗教/日本と海外/信仰と政治/個人と社会がぶつかった歴史
  • 歩み寄り(言語習得・訳語の模索・学校設立)と衝突(破壊・弾圧・殉教・潜伏)の両面がある

2026年10月14日水曜日

1-1 新宗教・新興宗教解説(目次)

─あ行─


─か行─

幸福の科学 教祖・大川隆法

─さ行─


世界救世教 教祖・岡田茂吉



─た行─

天理教 教祖・中山みき

─な行─

─は行─

─ら行─


─その他─









日蓮正宗と創価学会――「破門」に至る20年(1977〜1997年)

 

日蓮正宗と創価学会――「破門」に至る20年(1977〜1997年)


今回の三つの問い

  1. 創価学会は、もともと日蓮正宗とどういう関係にあったのか
  2. 対立はどのように始まり、どう深まっていったのか
  3. 双方はこの出来事を、それぞれどう語っているのか

前提:信徒団体としての創価学会

  • 日蓮正宗(にちれんしょうしゅう):静岡県・大石寺(たいせきじ)を総本山とする宗派(以下「宗門」)
    • ※日蓮宗(にちれんしゅう)とは別の宗派
  • 創価学会:日蓮正宗の在家の信徒団体として発展

宗教法人化にあたっての三原則(1951年、宗門側資料による)

第2代会長・戸田城聖(とだ じょうせい)が約束

  1. 折伏(しゃくぶく)した人は、信徒として各寺院に所属させる
  2. 日蓮正宗の教義を守る
  3. 三宝(さんぼう)=仏・法・僧を守る

→ 1952年、学会は宗教法人の認証を受ける


全体の流れ

時期呼び方(本レジュメ)主な出来事
1970年代後半第1次宗門問題昭和52年路線 → 謝罪 → 池田会長辞任 → 収束
1990年代第2次宗門問題文書の応酬 → 宗規改正 → 破門 → 会員の資格喪失
  • ※呼び方は資料によって揺れがある
  • 1991年の破門=対立の原因ではなく、積み重なった対立が組織の分離として形になった地点

第1次宗門問題(1977〜1979年)

1977年:「昭和52年路線」

  • 1月、池田大作(いけだ だいさく)会長が教学部大会で講演
  • 宗門側はこれを「昭和52年路線」が表に出たきっかけと位置づけ
  • 宗門側が問題視した点(宗門側の整理)
    • 寺院を軽く見る考え方
    • 会長を中心とする指導
    • 法主(ほっす)が受け継ぐ血脈(けちみゃく)を経ずに、日蓮に直接つながるという考え方

1978年:訂正と謝罪

日付出来事
6月宗門が教義に関する34項目の質問書を送付
6月30日学会が聖教新聞に「教学上の基本問題について」を掲載、教義上の表現を改める
11月7日大石寺での会合で、池田会長が一連の問題について謝罪

1979年:会長辞任と収束

日付出来事
4月24日池田氏が会長を辞任し、名誉会長に
4月26日法華講(ほっけこう)総講頭(そうこうとう)も辞任
5月3日第66世法主・細井日達(ほそい にったつ)が問題の収束を表明
7月日達が死去、阿部日顕(あべ にっけん)が第67世法主に
  • 1984年:池田氏が総講頭に再任 → 後の展開で意味を持つ

第2次宗門問題(1990年〜)

1990年7月:連絡会議

  • 7月17日、宗門と学会の連絡会議 → 双方の説明が食い違う
宗門側の説明学会側の説明
学会側が法主・宗門を一方的に批判して席を立った宗門に綱紀粛正を求めた

「C作戦」【学会側の主張】

  • 7月16日・18日に宗門上層部が会議を開き、学会との分離を狙う計画(いわゆる「C作戦」)を話し合った、とする主張
  • 根拠:法主の側近だった僧侶のメモなど
  • 宗門の公式年表には記載なし

※あくまで学会側の主張として紹介

1990年11〜12月:文書の応酬

時期出来事
11月16日学会本部幹部会で池田名誉会長がスピーチ
12月宗門側:法主・僧侶を軽んじる発言と受け止め、「お尋ね」文書を送付
〃学会側:問題とされた発言はしていないと反論、9項目の「お伺い」文書を返送

→ 文書のやり取りは話し合いにつながらず

1990年12月27日:宗規の改正

  • 臨時の宗会(しゅうかい)で宗規(しゅうき)の一部を改正
  • 池田氏 → 総講頭の資格を喪失
  • 秋谷栄之助(あきや えいのすけ)会長ら → 大講頭(だいこうとう)の資格を喪失
宗門側の説明学会側の見方
以前から必要だった規則の整備池田氏らを一方的に役職から外す措置

1991年:対立の激化

時期出来事
1月〜学会の機関紙で宗門批判が始まる(宗門側の年表による)
3月海外信徒の指導を、SGIに任せず宗門が直接行うことに
7月大石寺参拝を、各寺院の紹介状「添書」(てんしょ)による方式に変更
この年学会が僧侶を呼ばない葬儀を開始(宗門側の年表による)→ のちの「友人葬」

二つの争点

争点宗門側学会側
葬儀宗門の儀礼=化儀(けぎ)に反する信徒の自主的な宗教活動
法主の権威唯一人に受け継がれる血脈を受けた法主に従うことは信仰の根本僧侶による行き過ぎた権威化

1991年11月:解散勧告と破門

日付出来事
11月7日宗門が「解散勧告書」を送付、信徒団体として自ら解散するよう求める
11月28日学会が従わず、宗門が創価学会とSGIに「破門通告書」を送付
  • 解散勧告の理由:三宝を壊した/伝統の教えを変えた/宗門を攻撃した など
  • 宗門側の表現では「およそ60年に及んだ関係」が終わる

破門をめぐる二つの見方

宗門側学会側
学会自身が宗門から離れていったことを正式に確認したもの宗門による一方的な切り捨て
「魂の独立」と呼び、11月28日を記念日に
日顕法主の退座を求める署名が全世界で1600万人超と発表(学会側の発表)

破門後の分離

1992年:池田氏の除名

  • 8月、宗門が池田氏を信徒から除名

1993年:本尊の問題

  • 本尊(ほんぞん)=信仰の中心として拝む対象
  • 破門により、学会は宗門から本尊を受けられなくなる
  • 9月、学会が江戸時代の法主・日寛(にちかん)書写の本尊を複製し、会員に授与すると発表
    • 原本:宗門を離れた栃木県の寺院・淨圓寺(じょうえんじ)所蔵
宗門側学会側
正統ではない本尊日寛の書写による正当な本尊

1997年:会員個人の資格喪失

  • 破門後もしばらく、宗門は学会員個人を日蓮正宗の信徒として扱う
  • 9月、学会に所属したままの会員の信徒資格を失わせることを決定
  • 12月1日に実施
  • → 組織だけでなく、会員個人の単位でも関係が切れる

まとめ

① 広がった争点

教義 → 法主の権威 → 組織のあり方 → 葬儀などの儀礼 → 本尊 → 信徒の資格

  • ※争点は重なり合っており、はっきりした段階を順に踏んだわけではない

② 二つの物語

日蓮正宗創価学会
「学会が宗門から逸脱した」「宗門が学会を切り捨てた」
  • 同じ出来事でも、呼び方からして違う
  • → 一度の処分ではなく、どちらが正統かをめぐる争いだった

年表(総括)

年出来事
1951戸田城聖が三原則を約束(宗門側資料)
1952創価学会、宗教法人に
1977池田会長の講演(「昭和52年路線」)
197834項目の質問書/教義表現の訂正/池田会長の謝罪
1979池田会長辞任・総講頭辞任/日達が収束表明/日顕が法主に
1984池田氏、総講頭に再任
1990連絡会議(7月)/池田スピーチ(11月)/「お尋ね」「お伺い」(12月)/宗規改正(12月27日)
1991海外信徒の直接指導(3月)/添書方式(7月)/解散勧告(11月7日)/破門(11月28日)
1992池田氏を除名(8月)
1993学会が日寛書写本尊の授与を発表(9月)
1997学会員の信徒資格喪失(12月1日実施)

出典

日蓮正宗側の資料

創価学会側の資料

補助資料

  • Wikipedia「創価学会」
  • 東洋経済オンライン「極秘資料からたどる『創価学会』の黒歴史③」

※日蓮正宗・創価学会の資料は、いずれも当事者による説明です。

1-2 キリスト教解説

1-2-1 キリスト教史(教会史)(目次)

1-2-2 新約聖書(目次)


1-2-x キリスト教学(目次)



1-2-1 キリスト教史解説(教会史)

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