日蓮正宗と創価学会――「破門」に至る20年(1977〜1997年)
今回の三つの問い
- 創価学会は、もともと日蓮正宗とどういう関係にあったのか
- 対立はどのように始まり、どう深まっていったのか
- 双方はこの出来事を、それぞれどう語っているのか
前提:信徒団体としての創価学会
- 日蓮正宗(にちれんしょうしゅう):静岡県・大石寺(たいせきじ)を総本山とする宗派(以下「宗門」)
- 創価学会:日蓮正宗の在家の信徒団体として発展
宗教法人化にあたっての三原則(1951年、宗門側資料による)
第2代会長・戸田城聖(とだ じょうせい)が約束
- 折伏(しゃくぶく)した人は、信徒として各寺院に所属させる
- 日蓮正宗の教義を守る
- 三宝(さんぼう)=仏・法・僧を守る
→ 1952年、学会は宗教法人の認証を受ける
全体の流れ
| 時期 | 呼び方(本レジュメ) | 主な出来事 |
|---|
| 1970年代後半 | 第1次宗門問題 | 昭和52年路線 → 謝罪 → 池田会長辞任 → 収束 |
| 1990年代 | 第2次宗門問題 | 文書の応酬 → 宗規改正 → 破門 → 会員の資格喪失 |
- ※呼び方は資料によって揺れがある
- 1991年の破門=対立の原因ではなく、積み重なった対立が組織の分離として形になった地点
第1次宗門問題(1977〜1979年)
1977年:「昭和52年路線」
- 1月、池田大作(いけだ だいさく)会長が教学部大会で講演
- 宗門側はこれを「昭和52年路線」が表に出たきっかけと位置づけ
- 宗門側が問題視した点(宗門側の整理)
- 寺院を軽く見る考え方
- 会長を中心とする指導
- 法主(ほっす)が受け継ぐ血脈(けちみゃく)を経ずに、日蓮に直接つながるという考え方
1978年:訂正と謝罪
| 日付 | 出来事 |
|---|
| 6月 | 宗門が教義に関する34項目の質問書を送付 |
| 6月30日 | 学会が聖教新聞に「教学上の基本問題について」を掲載、教義上の表現を改める |
| 11月7日 | 大石寺での会合で、池田会長が一連の問題について謝罪 |
1979年:会長辞任と収束
| 日付 | 出来事 |
|---|
| 4月24日 | 池田氏が会長を辞任し、名誉会長に |
| 4月26日 | 法華講(ほっけこう)総講頭(そうこうとう)も辞任 |
| 5月3日 | 第66世法主・細井日達(ほそい にったつ)が問題の収束を表明 |
| 7月 | 日達が死去、阿部日顕(あべ にっけん)が第67世法主に |
- 1984年:池田氏が総講頭に再任 → 後の展開で意味を持つ
第2次宗門問題(1990年〜)
1990年7月:連絡会議
- 7月17日、宗門と学会の連絡会議 → 双方の説明が食い違う
| 宗門側の説明 | 学会側の説明 |
|---|
| 学会側が法主・宗門を一方的に批判して席を立った | 宗門に綱紀粛正を求めた |
「C作戦」【学会側の主張】
- 7月16日・18日に宗門上層部が会議を開き、学会との分離を狙う計画(いわゆる「C作戦」)を話し合った、とする主張
- 根拠:法主の側近だった僧侶のメモなど
- 宗門の公式年表には記載なし
※あくまで学会側の主張として紹介
1990年11〜12月:文書の応酬
| 時期 | 出来事 |
|---|
| 11月16日 | 学会本部幹部会で池田名誉会長がスピーチ |
| 12月 | 宗門側:法主・僧侶を軽んじる発言と受け止め、「お尋ね」文書を送付 |
| 〃 | 学会側:問題とされた発言はしていないと反論、9項目の「お伺い」文書を返送 |
→ 文書のやり取りは話し合いにつながらず
1990年12月27日:宗規の改正
- 臨時の宗会(しゅうかい)で宗規(しゅうき)の一部を改正
- 池田氏 → 総講頭の資格を喪失
- 秋谷栄之助(あきや えいのすけ)会長ら → 大講頭(だいこうとう)の資格を喪失
| 宗門側の説明 | 学会側の見方 |
|---|
| 以前から必要だった規則の整備 | 池田氏らを一方的に役職から外す措置 |
1991年:対立の激化
| 時期 | 出来事 |
|---|
| 1月〜 | 学会の機関紙で宗門批判が始まる(宗門側の年表による) |
| 3月 | 海外信徒の指導を、SGIに任せず宗門が直接行うことに |
| 7月 | 大石寺参拝を、各寺院の紹介状「添書」(てんしょ)による方式に変更 |
| この年 | 学会が僧侶を呼ばない葬儀を開始(宗門側の年表による)→ のちの「友人葬」 |
二つの争点
| 争点 | 宗門側 | 学会側 |
|---|
| 葬儀 | 宗門の儀礼=化儀(けぎ)に反する | 信徒の自主的な宗教活動 |
| 法主の権威 | 唯一人に受け継がれる血脈を受けた法主に従うことは信仰の根本 | 僧侶による行き過ぎた権威化 |
1991年11月:解散勧告と破門
| 日付 | 出来事 |
|---|
| 11月7日 | 宗門が「解散勧告書」を送付、信徒団体として自ら解散するよう求める |
| 11月28日 | 学会が従わず、宗門が創価学会とSGIに「破門通告書」を送付 |
- 解散勧告の理由:三宝を壊した/伝統の教えを変えた/宗門を攻撃した など
- 宗門側の表現では「およそ60年に及んだ関係」が終わる
破門をめぐる二つの見方
| 宗門側 | 学会側 |
|---|
| 学会自身が宗門から離れていったことを正式に確認したもの | 宗門による一方的な切り捨て |
| 「魂の独立」と呼び、11月28日を記念日に |
| 日顕法主の退座を求める署名が全世界で1600万人超と発表(学会側の発表) |
破門後の分離
1992年:池田氏の除名
1993年:本尊の問題
- 本尊(ほんぞん)=信仰の中心として拝む対象
- 破門により、学会は宗門から本尊を受けられなくなる
- 9月、学会が江戸時代の法主・日寛(にちかん)書写の本尊を複製し、会員に授与すると発表
- 原本:宗門を離れた栃木県の寺院・淨圓寺(じょうえんじ)所蔵
| 宗門側 | 学会側 |
|---|
| 正統ではない本尊 | 日寛の書写による正当な本尊 |
1997年:会員個人の資格喪失
- 破門後もしばらく、宗門は学会員個人を日蓮正宗の信徒として扱う
- 9月、学会に所属したままの会員の信徒資格を失わせることを決定
- 12月1日に実施
- → 組織だけでなく、会員個人の単位でも関係が切れる
まとめ
① 広がった争点
教義 → 法主の権威 → 組織のあり方 → 葬儀などの儀礼 → 本尊 → 信徒の資格
- ※争点は重なり合っており、はっきりした段階を順に踏んだわけではない
② 二つの物語
| 日蓮正宗 | 創価学会 |
|---|
| 「学会が宗門から逸脱した」 | 「宗門が学会を切り捨てた」 |
- 同じ出来事でも、呼び方からして違う
- → 一度の処分ではなく、どちらが正統かをめぐる争いだった
年表(総括)
| 年 | 出来事 |
|---|
| 1951 | 戸田城聖が三原則を約束(宗門側資料) |
| 1952 | 創価学会、宗教法人に |
| 1977 | 池田会長の講演(「昭和52年路線」) |
| 1978 | 34項目の質問書/教義表現の訂正/池田会長の謝罪 |
| 1979 | 池田会長辞任・総講頭辞任/日達が収束表明/日顕が法主に |
| 1984 | 池田氏、総講頭に再任 |
| 1990 | 連絡会議(7月)/池田スピーチ(11月)/「お尋ね」「お伺い」(12月)/宗規改正(12月27日) |
| 1991 | 海外信徒の直接指導(3月)/添書方式(7月)/解散勧告(11月7日)/破門(11月28日) |
| 1992 | 池田氏を除名(8月) |
| 1993 | 学会が日寛書写本尊の授与を発表(9月) |
| 1997 | 学会員の信徒資格喪失(12月1日実施) |
出典
日蓮正宗側の資料
創価学会側の資料
補助資料
- Wikipedia「創価学会」
- 東洋経済オンライン「極秘資料からたどる『創価学会』の黒歴史③」
※日蓮正宗・創価学会の資料は、いずれも当事者による説明です。
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