コラム 日本基督教会信仰の告白(1890年制定)における「啓迪(けいてき)」という語について
「啓迪」という語は、明治から昭和初期にかけて、哲学思想文書・教育関連文書・文語的エッセイ・法令、特に宗教関連文書(儒学・朱子学・仏教・キリスト教など)において広く用いられた。意味としては「啓発する」「啓蒙する」「悟らせる」「導く」などに相当するが、とりわけ宗教的文脈では「啓発」よりも神的・霊的な色彩(すなわち啓示的ニュアンス)が強い。内村鑑三や新島襄らキリスト教指導者も、神学用語 “illumination” (聖霊の照明)の訳語としてしばしば「啓迪」を使用していたことが知られる。
しかし明治後期に入ると、「啓発」「啓蒙」「導き」など、より教育的・合理主義的な語が一般化する。その背景には、明治政府の文明開化政策に伴う教育重視の傾向があり、宗教的・形而上的な語彙が「非科学的」とみなされる啓蒙主義的風潮があった。このため、「啓迪」は古風かつ宗教的響きをもつ語として次第に退潮した。この傾向は日本基督教会にも及び、難解・文語的な用語を改め、用語統一を図る動きが見られたと考えられる。
また、改革長老主義教会の神学的特徴として、「聖霊の導き(instruction / guidance of the Holy Spirit)」が重視される点がある。これは、個人の内的照明(illumination of the Holy Spirit)よりも、聖霊が信仰者を導く主導的働きを強調する立場であり、その訳語として「教導」という語が好まれた。おそらく、1890年当初の信仰告白制定段階では、旧来の伝統を尊重して「啓迪」が採用された(日本基督教会第17回年会議事録参照)が、大正期以降、「啓迪」を「教導」に置き換える傾向が進んだと推測される。
ただし、「教導」への改訂を正式に決定した公的記録は現存しない。おそらくは各地の教会で文言調整が行われる過程で自然発生的に「教導」版が用いられるようになり、以後、並存する形で伝承されたものと思われる。
まとめ
時代的にも神学的にも、「啓迪」から「教導」への転換は自然な流れであった。しかし、1890年の日本基督教会信仰告白制定時に採用された原文には、確かに「啓迪」が用いられていた。後に「教導」へ変更されたという公的決定は確認されておらず、今日みられる両語の併用状態は、実務的・自然的な文言置換の結果と考えられる。