2024年11月16日土曜日

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管理人について

日本基督教団茨木春日丘教会(礼拝堂の建物名「光の教会」)牧師

関西学院大学非常勤講師


【茨木春日丘教会・茨木四教会関連】

建物見学の当面の停止について        Suspension of Building Tours

教会創立50周年記念礼拝説教 全文

「パウロの全体教会政治学ーー茨木四教会伝道会の全国連合長老会への加盟を目指すプロジェクトの神学的基盤ーー」


【新約聖書学】

史的イエス研究史        

マタイ福音書緒論        マタイ福音書神学           

イスカリオテのユダとは何者か(大学講義レジュメ)

猫でもわかるマタイ福音書講座〜〜第1回「マタイによる福音書は誰がいつどこで書いたか」

猫でもわかるマタイ福音書講座〜〜第2回「マタイの神学」

猫でもわかるマタイ福音書講座〜〜第3回「共観福音書問題」        

ガラテヤの信徒への手紙        

ヘロデ派    


事典項目

エルンスト・ケーゼマン        ゲツセマネ(ゲッセマネ)        ゴルゴタ       

サドカイ派    サマリア人        

【旧約聖書学】

ミカ書        


【キリスト教史(教会史)関連】

ーー初期キリスト教時代ーー

コイネー・ギリシャ語                

前21頃-後39年 ヘロデ・アンティパス        


ー古代教会時代ーー

(古代教会における聖書)「正典」の確定        信条の形成        シモニア(聖職売買)

70/82-156/168年 ポリュカルポス        2世紀初期 エビオン派 エビオン派福音書

100頃-163/167年 ユスティノス

?-258 ラウレンティウス        

2世紀中葉 モンタヌス・モンタヌス主義        Montanism / Montanus

2世紀中葉 マルキオン

160頃-220年以降 テルトゥリアヌス        130頃-202年頃 リヨンのエイレナイオス

200頃-258年 キプリアヌス        293頃-373年 アタナシオス

240頃-320頃 ラクタンティウス        

3世紀後半-4世紀 ミュラのニコラウス

312-14年 ドナティスト論争(ドナトゥス派)

325年 第1ニカイア公会議/原ニカイア信条

カパドキアの神学者たち(翻訳、ヤング『ニケアからカルケドンへ』)

330頃-379 バシレイオス        342頃-420年 ヒエロニムス

381年 第1コンスタンティにポリス公会議/ニカイア信条


ーー中世時代ーー

675年頃-749年頃 ダマスコのヨアンネス        

1265年頃-1308年 ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス        


ーー宗教改革時代ーー

15世紀  人文主義        

1482-1531年 エコランパディウス        

1483-1546年 マルティン・ルター    

1491-1551年 マルティン・ブツァー        

1500年代前半以降 再洗礼派        

1504-1575年 ヨハン・ハインリヒ・ブリンガー        

1509-64年 カルヴァン        

1511-53年 セルヴェトゥス        

1515-63年 カステリヨン        

1524-25年 ドイツ農民戦争        

1534年- アングリカンチャーチ(英国国教会)                

1545年- 対抗宗教改革        1555年 アウクスブルク宗教和議        

16世紀 改革派教会        Reformed Church        

1618-48年 三十年戦争        

1635-1705年 シュペーナー        

1705年- ソッツィーニ主義        Sozzinism        

1836- ディアコニッセ        


【組織神学】

神学        マモン        


その他の原稿・読み物など

クリスマスの由来に関する豆知識    クリスマスツリー



『信徒の友』掲載原稿の改訂版



『教会学校教案』の元原稿の改訂版
創世記 37章1-11節 「ヨセフ1」(2013年7月7日)
創世記 42-45章 「ヨセフ3」(2013年7月21日)
ルツ記 「ルツ」(2013年9月22日)


#旧「大石アーカイブス」

2024年11月15日金曜日

マルティン・ルター Martin Luther, 1483-1546

 ドイツ宗教改革をもたらした指導者。


 中部ドイツのアイスレーベンにて、鉱山業に携わっていた父の家に生まれる。1501年、当初は法律家となることを希望してエアフルト大学に入学し、哲学を学ぶ。22歳の時、落雷に遭遇し、友人が死ぬという経験を経て、両親の反対を押し切って、エアフルトのアウグスティヌス修道院の修道士となる。1506年、司祭に序階される。しかし、人間が打ち立てる功績によっては神の前に正しいとされないという自覚が深まり、罪に苦悩し、罪の赦しを希求した。


 その後、ヴィッテンベルク大学にて神学博士号を取得。聖書注解の講座を担当する。聖書講義のために聖書を熟読する過程で、イエス・キリストによってもたらされた神の恵みへの信仰によって、神の前に義とされ、罪の赦しを得て救われるという、いわゆる信仰義認の確信を得る。


 カトリック教会が財政難のために発行した贖宥状(これを購入することによって、他者の功績がその本人もしくは既に死亡した家族に還元され、罪の赦しを得られるというもの)に抗議(プロテスト)し、1517年にヴィッテンベルク城の門扉に九五箇条の提題を掲げた。これが、本人も予想し得なかった程の甚大な影響を周囲に及ぼし、ドイツからやがて周辺諸国にまで広まったことで、一連の宗教改革の端緒となった。


 カトリック教会はその後、ルターを破門。ルターもまた破門状を焼き捨て、身に危険が及ぶ中、選帝候フリードリヒの居城にかくまわれる。その折、聖書のドイツ語訳(ルター訳)を執筆した。


 ルターは、自らの善行や律法の実践によって人は救われるのではなく、キリストの救済の業に示された神の恵みへの救われるとする、いわゆる「信仰義認論」を説いた。


 救いや神の意志を悟るために必要なことは、すべて聖書に著されているとする、聖書中心主義(「聖書のみ」)や、人の救いは専ら神の恵みによるとする「信仰のみ」の立場、そして、人の功績ではなくただ神の恵みによって救われるとする、「恵みのみ」という主張を展開した。


 信仰が最も重要であるが故に、神と人とが結びつくのに際して、聖職者のみがその仲介となり得ることを批判して、万人がそれになり得ることを主張する「万人祭司主義」を説いた。


 個人の意志や信仰を重視したことは、後世の近代における個人の自覚を高める上で、大いなる発想の転換をもたらした。


クリスマスツリー

 南西ドイツのアルザス地方、シュヴァルツヴァルトが発祥。常緑樹が生命と再生の象徴とされた。宗教学的には、元々はゲルマン民族などの樹木崇拝などの影響が考えられる。


 ドイツのプロテスタント系の教会は、これをクリスマスの象徴と位置づけた。クリスマス・ツリー誕生である。飾りつけとして、リンゴがよく用いられたという。


 因みにカトリックでは、クリスマスの象徴としてクリッペ(馬小屋の箱庭)が用いられている。


 移民により、1746年にアメリカに渡ったと見られる。オーストリア、フランスには19世紀前半、イギリスは19世紀中葉、イタリアは第二次大戦後に、この習慣が伝わった。

ヘロデ派 Herodians

 【要約】

紀元1世紀に活動した、ユダヤのヘロデ大王家を支持する一党。ヘロデの政治的親衛隊、ローマに対して有効なユダヤ人か。資料僅少につき詳細不明。新約聖書の3回の言及と、ヨセフスの記述あり。ユダヤ戦記i.319; ユダヤ古代誌xiv. 450


 【本文】

 ヘロデ派とは、一般的には、ユダヤにおけるヘロデ大王家(37 BCE - 92 CE)を支持する、紀元1世紀に活動した政治的一党と考えられている(Horst Balz and Gerhard Schneider (eds.), /Exegetical Dictionary of the New Testament/ (vols. 2; Grand Rapids: William B.  Eerdmans Publishing Company, 1991, 124-5. 川島貞雄も「ヘロデを支持」し「ローマ人に対しても友好的」かも知れない「ユダヤ人」と推測するが、詳細不明としている。川島貞雄『マルコによる福音書―十字架への道イエス』(福音書のイエス・キリスト2)、日本基督教団出版局、1996年、91頁。)。その実体については、資料が乏しいため、殆ど不明である。


 新約聖書で3回言及されている他、ユダヤ人歴史家ヨセフスによっても触れられており、ヘロデの親衛隊もしくは支持者たちに相当するようなグループと考えられる。このようなヘロデ支持者たちがヘロデ大王の時代から存在していたことは、ヨセフスの記述から知り得る(ユダヤ戦記i.319; ユダヤ古代誌xiv. 450; xv. 2)。彼らは、ヘロデ大王に対して特別な敬意を表していたようである。

 しかし、ヨセフスの記述はすべてヘロデ大王時代に限られている。これに対して、新約聖書での用例は、ヘロデ大王以後のものであり、両者は微妙に時代を異にしている。


 新約聖書における三つの用例を挙げよう。

* 「ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。」(マルコ3:6)

* 「さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。」(マルコ12:13)

* 「それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。」(マタイ22:15-16。マルコ12:13の並行箇所) 


 参考として、「ヘロデ」という表記をもって、ヘロデの支持を受けて動くグループを含意して使用されている用例も挙げておく。

* 「そのとき、イエスは、『ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。』(マルコ8:15)


* 「ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」(ルカ13:31)


* 「事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。」(使徒言行録4:27)


 マタイ22:15-16の用例は、マルコ12:13の並行箇所であるから、用例はマルコを源泉としている。マルコの用例の検討は後述することにして、先にマタイとルカの反応を見てみることにしよう。

 マタイは、マルコ12:13に含まれる「ヘロデ派」を保持しつつも(マタイ22:16)、マルコ3:6の「ヘロデ派」は削除している(マタイ12:14)。他方、ルカは、マルコ3:2を「律法学者たちやファリサイ派たち」(ルカ6:7)と書き換え、マルコ3:6を人称代名詞で書き直している(6:11)。加えて、マルコ12:13の「ファリサイ派とヘロデ派」という記述を、「律法学者たちや祭司長たち」(ルカ20:19)に遣わされた「義人を装うスパイ」に書き直している(ルカ20:20)。つまり、ルカはマルコにおける「ヘロデ派」という記述をすべて削除していることになる。

 従って、マタイ22:16を除けば、基本的にマタイとルカは、マルコの「ヘロデ派」を別のユダヤ人グループに書き換えており、表記を避けていることは確かである。では、マタイとルカは、なぜ避けたのか。1.エルサレム崩壊後の時代のマタイとルカにとって、崩壊と共に消滅したヘロデ派について書き記す必要がなかった、2.彼らはヘロデ派ついて知らなかった等、幾つかの可能性が考えられる。そこで、マルコにおける二ヶ所の用例を詳しく検討してみよう。


 マルコ3:6

 マルコ3:6を含むマルコ3:1‐6のペリコーペは、2:1から続く一連の論争物語シリーズの結びに相当する。3:6は、その最後のペリコーペの結語にあたり、段階的に高まっていくイエスとファリサイ派たちとの軋轢のクライマックスとして、次のようにコメントされている。「ファリサイ派たちは出て行って、すぐにヘロデ派たちと共に、イエスをどのようにして殺害しようかと相談し始めた」。

 2:1‐3:6におけるペリコーペの結集がどの程度まで伝承段階で為されており、マルコの編集作業がどれほど施されているかについては議論がある。ただ、断食問答の記事(2:18‐20)の中でイエスの死を暗示し、その上で3:6でイエス殺害がほのめかされている。ここには、論争物語の範疇を越えたテーマ、しかもマルコに特徴的なイエスの受難のテーマが複数のペリコーペに跨って埋め込まれているため、クライマックス部分も含めた編集構成にはマルコの意図が反映されている可能性が高い。実際、マルコ的な「出て行って」という言い回しも3:6には含まれている(川島貞雄『マルコによる福音書』、91頁。)。よって、3:6はマルコの編集句と見なしてよい。

 ということは、マルコは自ら「ヘロデ派」という語を書いていることになる。ただ、2:1以来登場してきたグループに「ヘロデ派」という名は見られず、この箇所がマルコにおける初出であり、しかも、何の説明も付されていない。マルコは、なぜマタイやルカが避けた「ヘロデ派」を書き入れたのか。


 マルコ12:13

 このように、「ヘロデ派」が「ファリサイ派」と共に併記されている現象は、もう一ヶ所の用例である12:13にも見られる。3:6が編集句である蓋然性が高いことと、この箇所と同様、「ヘロデ派」と「ファリサイ派」が一緒に登場しており、彼らはイエスに敵意を抱いている点で共通していることから、本節は状況設定句としてマルコによって付加されたものだろう。

 マルコ12:13は、ガリラヤの領主であったヘロデ・アンティパスの支持者を指していると見られる。彼は親ローマの政治的立場を採り、その意味で、ガリラヤではサドカイ派のような立ち位置にあった(Horst Balz and Gerhard Schneider (eds.), /Exegetical Dictionary of the New Testament/ (vols. 2; Grand Rapids: William B.  Eerdmans Publishing Company, 1991, 124-5. )。よって、マルコにおける「ヘロデ派」も、アンティパスと同様、ローマとの共存を支持する政治を志向したと推測される。だとすると、政治的な方向性が正反対同士の両者がイエス殺害を一緒にたくらむことに、矛盾と皮相が表されているとする見方も妥当なものだろう。

 両派の者たちを派遣した「人々」が誰であるか具体的には書かれていないが、それまでの受難予告等から(8:31; 9:31(「人々の手に引き渡され」); 10:33)、「長老、祭司長、律法学者たち」、すなわち、ユダヤの最高権力機構であるサンヘドリンに属する者たちを指すことは明らかである。12:13以降、受難物語の中でもヘロデ派は姿を見せることなく、サンヘドリン主導でイエスはピラトに引き渡され、十字架の場面へと入っていく。こうして見ると、伝承段階でもイエスを殺害していく主体は「長老、祭司長、律法学者たち」である。


 ヘロデ・アンティパスによるバプテスマのヨハネの処刑(6:14-29)や、先の「ヘロデのパン種」と関連づけて、状況に流されての不本意な行動はイエスに対する敵対的な行動でさえあることを印象づけるために、敢えて「ヘロデ派」を書き込んだとも考え得るが、推測の域を出ない。


 参考文献

    B. W. Bacon, "Pharises and Herodians in Mark," /JBL/ 39 (1920): 102-12.

    W. J. Bennet," The Herodians of Mark's Gospel," /NovT/ 17 (1975): 9-14.

E. Bickerman, "Les Hérodiens," RB 47 (1938): 184-97.

    C. Daniel,"Les 'Hérodiens' du NT sont-ils des Esséniens?," /RevQ/ 7 (1970): 397-402.

    H. W. Hoehner, Herod Antipas (1972): 331-42. 

P. Joüon, "Les 'Hérodiens' de l'Évangile," /RSR/ 28 (1938): 585-88.

    H. H. Rowley," The Herodians in the Gospels," /JTS/ 41(1940): 14-27.

    A Schalit, König Herodes (1969): 378-81.


「エフェソの信徒への手紙」緒論

 伝統的には、パウロが小アジア西岸に位置する都市エフェソの教会に書き送った手紙とされている。しかし、用語や文体がパウロ真正書簡と相当異なることや、パウロ思想との相違点が指摘されており(キリスト論が教会論に勝る神学から、教会論にキリスト論が統合される神学への変化。2:8における既に実現した救済。2:8「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」)、本書の真筆性に関して疑義が呈されている。そのため、本書の真筆性を否定する場合には、本書は第2パウロ書簡(「偽名書簡」とも言う)に含められることになる。


 エフェソの教会について

 エフェソの教会は、パウロの第2次伝道旅行(使徒言行録15:36-18:22)において、恐らく52年頃に設立された。後の第3次伝道旅行において、パウロはエフェソを再び訪れ、同地に2年間程滞在し、コリントの信徒への手紙、ガラテヤの信徒への手紙、フィリピの手紙を執筆した。


 『コロサイの信徒への手紙』との類似性

 内容や語彙において、本書と『コロサイの信徒への手紙』との類似性がしばしば指摘され、両書の文献的依存関係について議論されてきた。エフェソ書の方がコロサイ書に依存していると見なす説が優勢である。


 執筆時期

 本書のコロサイ書への依存を認める場合、90年頃に小アジアで執筆されたと見なすことが多い。


 内容

 全体構成としては、1-3章までの教理部分と4-6章の倫理的勧告部分に大別される。上述の通り、キリスト論をも包含するような、キリストを中心とした教会論が特徴的であり(2:11-22を参照)、キリストの十字架による和解によって異邦人とイスラエルの民が一つとされ(2:14以下)、キリストを要石として聖なる神殿とされ(2:21)、すべてがキリストにおいて一つとされるという論(1:10を参照)が展開されている。


 全体構成

1:1−2      挨拶

1:3−23     讃美と祈り

 1:3−14    神の恵みに対する讃美

 1:15−23   読者のための祈り

2:1−3:21   異邦人の救い・教会・福音

 2:1−10    読者の過去と現在・キリストによる救い

 2:11−12   異邦人とユダヤ人を一つにする教会

 3:1−13    異邦人のための福音に仕えるパウロ

 3:14−21   読者のための祈りと頌栄

4:1−6:20   倫理的勧告

 4:1−16    キリストの体なる教会

 4:17−5:20 異邦人読者のための勧告

 5:21−6:9  家庭訓

 6:10−20   悪魔との戦い

6:21−24    結び

「マタイによる福音書の神学的特徴」

 一 はじめに

 まずは今回の副題をご覧ください。あえて「神学的」と書いています。素直に「内容的特徴」と書いても事足りはするのですが、せっかくのこういう特集記事ですし、この連載の先もまだまだ長いので、「神学」についてザックリお話ししておきましょう。

 一・一 「神学」とは

 ある観察対象や現象があった場合、よく「科学的に考察する」などと言ったりします。科学的とは広い意味では「学問的」ということで、学問的とは「論理的」と言っても良いでしょう。信仰をもたない人であれ誰であれ、ロジックで納得のいく説明をつけられることが、科学的という意味です。なお、厳密な定義としては、再現性や反証可能性などが求められますが。

 ところが、教会は論証できない神の存在を信じている一方で、世の中にはそうでない人がいます。このままだと教会の学は学問になりません。それでは話が進みませんから、神の存在や啓示された真理は前提とした上で、その上でキリスト教の信仰内容などに関する考察を深めていきましょうという営為こそ、「神学」に他なりません。ちなみに、イスラム教やユダヤ教でも神学と呼ばれ、仏教や神道では教学、宗学と呼ぶのが一般的な慣例です。もう一歩踏み込んで言えば、神学とは私たちの教会という領域の中で、神の真理に関する考察を深めることを指します。この記事の立ち位置は、こちらになります。

 一・二「福音書の特徴」という考え方

 根本的な話から始めたいと思いますが、そもそも「特徴」というのは、対象が一つだけでは成り立ちません。例えば、今この記事を読んでくださっている「あなた」の「特徴」は、他の誰かと比べた時に初めて際立ってくるものです。もし世界中にあなた一人であったなら、他の生物と比較しての人間の生物学的特徴は出てきても、あなた個人の人格については論じられません。これと同様に、マタイ福音書を教会以外の思想と比較することはできますが、ここで論じていく「特徴」とは、他の福音書と比較した時に明瞭となる、いわばマタイ福音書の人格になります。

 ということで、マタイ福音書と比較する書は次の三書、すなわち、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書です。ただしヨハネ福音書は、他の三書とは構想からして大幅に異なっていて、独特なおもむきの福音書となっているので、比較対象として触れられることは少なくなります


 二 「マタイによる福音書」の神学的特徴

 マタイの特徴を細かく挙げていくと、それこそ「枚挙にいとまがない」ので、今年度のカリキュラムで扱う範囲で、皆さんの説教準備に役立つ形で紹介したいと思います。

 【一】旧約聖書との繋がりを強調。【二】パウロとも微妙に異なる律法理解と律法重視、<律法の創始者モーセ、律法の完成者イエス>。【三】キリストの弟子としての教会。【四】イスラエルの継承者としての教会。【五】古いイスラエルから迫害を受ける、新しい教会。【六】教会の世界宣教の展望。

 「話が散らかって、こんなの頭に入らないよ」という方も多いと思いますが、これらは皆、一本の紐で繋がっているので、いったん頭に入ってしまえば、あとは楽です。

 二・一 「教会」

 まず、上記の箇条書きでも「教会」という語が何度も現れている通り、マタイ福音書の基本的な特徴は、「教会」が明瞭に意識されていることです。マタイ、マルコ、ルカにおいて、ヨハネを含めても「教会」という語を使っているのはマタイだけです。もっとも、その回数は三回と多くはないのですが、その理由は、福音書の舞台設定が教会誕生以前のイエス時代だからです。にもかかわらずマタイ福音書では、主イエスの口から「教会」という単語が出てくることはとても特徴的であり、意義深いです。ちなみに、ルカ福音書と使徒言行録の執筆者とされるルカは、ルカ福音書では同語を使っていない一方、使徒言行録の方では一転して二〇回以上使っています。切り替えが徹底していてすごいです。

 二・二 イスラエルを継承する「教会」

 次に、マタイにとって「教会」とは、イスラエルの民、旧約の民に取って代わり、今やその正統性と歴史を受け継ぐべき存在とされています。そして、それは教会の「かしら」であるイエス・キリストから既に始まっていたというのが、マタイの主張です。こうしてマタイは、旧約聖書の言葉を頻繁に引用しつつ、旧約とキリスト、イスラエルと教会との連続性を強調します。そして、旧約の根本要素である預言、律法、イスラエルなどを、新約の福音の光のもとで再定義していきます。さらに、キリストは単なる旧約の継承者に留まらず、モーセによって始まった律法、その完成者として示されます(五・一七「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである)。

 二・三 キリストの弟子としての「教会」

 十二人の使徒たちも含め、キリストの弟子たちは「教会」とされます。ペトロがその教会の「岩」とされている点も、マタイ福音書の大きな特徴の一つです(一六・一八「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」)。こうして、【新しいイスラエル=教会=キリストの弟子たち】という図式が出来上がります。

 二・四 古いイスラエルから迫害される「教会」

 前回の「特集」第一回で述べた通り、マタイ福音書の筆致から推察して、当時の教会はユダヤ人からの迫害、追放、そして分離を経験していたようです。いわゆる「山上の説教」(五〜七章)において、主イエスの言葉に「迫害」という語がたびたび現れるのは、そうした状況を反映しているものと考えられます(五・一〇「義のために迫害される人々は、幸いである」、五・一一、五・一二「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」、五・四四)。また、他の福音書と比べて、同語の使用回数も多い傾向にあります。ちなみに、五・一二の「あなたがたより前の預言者たちも」というくだりには、旧約との繋がりが意識されています。また、五・四四(「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」)は、旧約の隣人愛を超えるもの、すなわち旧約の“律法を超えて完成へ”と向かうイエスの教え、という意識が滲み出ています。

 二・五 世界宣教へと向かう「教会」

 新しきイスラエルとしての教会、キリストの弟子たちとしての教会は、ユダヤ民族という枠を越えて、世界へと羽ばたいていきます。それこそ、かの有名な二八・一八〜二〇のみ言葉です。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」復活のイエスが、「山」で弟子たちに語られたものです。「すべての民をわたしの弟子にしなさい」という、言わずと知れた「大宣教命令」ですが、これまで出てきた旧約、律法、イスラエルの継承、新しき教会、弟子たち…、すなわち、マタイ福音書の全ての伏線が、最後の一節に集約され回収されて大団円を迎えるという、この構成の見事さよ!古代時代のキリスト者が、「第一福音書」と位置付けたのも納得の構成です(四月号収録の「特集」第一回を参照)。構成の素晴らしさもさることながら、今の私たちが、マタイで示された教会、キリストの弟子として、リアルに生きているということに、胸が熱くなりますね。


 三 「マタイによる福音書」の弟子論

 さて、先ほどのマタイの特徴として挙げた【一】から【六】はロジック上の順番でもあるのですが、同時に、皆さんがただいま辿っているところのカリキュラムの順序も意識したものとなっています。七月のカリキュラムに割り当てられている聖書箇所には、「弟子」について述べられている記事が多く含まれます。しかし、今回の残りの紙面は既に残り少ないです。そこで【一】と【二】のもう少し詳しい解説は次回以降に回し、【三】の弟子論の視点から、七月分のいくつかの箇所を見てみましょう。

 三・一 徴税人マタイ

 七月七日分の箇所である「主イエス、マタイを弟子にする」は、徴税人であったマタイが主イエスの弟子として招かれるという、いわゆる「マタイの召命」記事のところです。先の「特集」第一回でも述べた通り、マルコ福音書では「レビ」と明記されている人物が、マタイ福音書では「マタイ」と記されているという、マタイ独自の箇所でもあります。マタイにしかない要素ということは、マタイの特徴をよく表してるということです。伝統的な解釈では、【この徴税人マタイ=使徒マタイ=マタイ福音書の執筆者マタイ】と同定されてきましたが、問題点も指摘されていて、マタイ福音書の執筆者が使徒マタイかどうかまでは定かではありません(この点についても「特集」第一回をご覧ください)。しかし、マタイ福音書が、徴税人としての過去を持つマタイを重視していることは間違いありません。忌み嫌われ、神の救いから遠いとされた者が、キリストに招かれ、弟子とされて再生するのだというコンセプトがマタイ福音書にはあるという点は、説教を準備する際いつでも意識しておいて損はありません。

 三・二 

 弟子たちが主イエスによって町や村に派遣されるという七月二十一日分は、内容がほぼ同じの記事が、マルコ福音書、ルカ福音書にも見られます。こういうものを、専門用語で「並行箇所」と呼びます。この箇所のマタイ福音書オリジナルの要素は、五節から八節となるかと思いますが、「イスラエルの家の失われた羊」を筆頭に、「天の国」という表記や旧約を意識した書き方など、マタイの特徴が満載です。


 最後に

 いかがでしたでしょうか。「頭がパンパンです」という方は、キリストは旧約・律法の完成者で、教会はイスラエルの後継であること、要するに“新約は旧約の続き”という私たちにとって当たり前の事柄が、とてもとても意識して書かれているのだと思っていただければ、とりあえずオーケーです。いっぺんに分かろうとせず、「マタイは旧約との繋がり重視だな、教会重視だな」といった具合に、ふわっと、まるっと掴んでおいてください。


2024年11月14日木曜日

「マタイによる福音書は、誰が、いつ、どこで書いたのか」

 「マタイによる福音書」の緒論

 初回となる今回は、「マタイによる福音書」が、そもそもどのような人によって書かれ、いつ書かれ、どこで書かれたのかについて、お話ししたいと思います。こういった、著者、執筆年代、執筆場所などについての考察を、慣例では「緒論」(「ちょろん」または「しょろん」)」と呼びます。マタイ福音書の内容に踏み込んだ考察や、神学上の特徴といった議論へと広がっていくのに先立つ、その端“緒”となる議論というニュアンスでしょう。横文字では「イントロダクション」、すなわち「導入」のお話となります。


 「マタイによる福音書」の本文

 聖書の中で福音書と呼ばれる書は、四書あります。新約聖書に配置されている順序では、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書、以上です。この中でもマタイ福音書は、二世紀の段階では最も広く読まれた福音書と考えられています。言われてみれば確かに、分量も長く、筆遣いも威風堂々としています。緻密な全体構成に加え、「ほほう」と感心する整然とした全体構想が備わっていて、終始一貫して安定した叙述が際立っています。


 「マタイによる福音書」の執筆者

 今、「マタイ福音書の著者はマタイに決まっているではないか」と思われている方、きっと少なくないでしょう。教会の正典として定められた聖書でそう記述されているのですから、教会で読む分には、それで差し支えはありません。ただ、学問あるいは科学というものは、よく調べて論理的に考えた場合はどうなのかを問う営みですし、こちらの「特集」記事は、少々学問的な体裁も含むものですので、せっかくなので少しだけ踏み込んでみましょう。

 マタイ福音書には今でこそ「マタイによる福音書」という名称が付けられていますが、元々は書名などなく、本文にも著者が誰かという記述は見当たりません。書名は後から付けられたものです。

 ここからはちょっと散らかった話になりますが、頭を働かせて読んでみてください。新約聖書二七書が正典として定められる前の古代時代、それでもある程度それぞれの文書はまとめて保持されていたようで、その際、四つの福音書の並び順は、今日のマタイ福音書にあたる福音書が一番先であったことから、「第一福音書」と呼ばれていました。他方、ヒエラポリスの司教であったパピアスという人の言葉に、「マタイはヘブライ語で言葉集を編纂した」とあります。それ以降、恐らくはその記述を参考にして、何人もの司教、神学者が、マタイという人によってヘブライ語の書がしたためられたと書くようになりました。

 三世紀前半に活動した教父オリゲネスはこれらの情報を統合し、「第一福音書はかつて徴税人であり、後にイエス・キリストの使徒となったマタイによって書かれ……ヘブライ語で著された」と述べています。なるほど、マタイ九・九以下には、マルコ福音書では「レビ」という名の人物が「マタイ」に書き換えられた形で、収税人であった者がイエスによって招かれて弟子とされた記事が掲載されています。つまりオリゲネスは、【マタイ九・九の収税人マタイ=使徒マタイ=第一福音書の著者】と同定したということでしょう。それ以降、この理解が伝統として根付き、最終的に第一福音書は「マタイによる(福音書)」と名付けられるようになりました。結論として、マタイ福音書の著者は使徒マタイとするのがトラディショナルな見解です。

 これで一件落着かと思いきや、この見解には問題点があります。まず、先ほど「ヘブライ語」の書とありましたが、マタイ福音書はコイネー・ギリシャ語で書かれていて、食い違いがあります。また、今日の学術上の一般的な説としては、マタイ福音書の著者はマルコ福音書の現物を読んで、これを大幅に下地にして書いたとされています。そうだとすると、十字架以前のイエスを直接知っているはずの使徒マタイが、直接は知らないで書かれたマルコ福音書を、わざわざ参考にする必要があるのだろうかという疑問が残ります。他にも、細かい点でいくつか問題があります。

 以上の通り、【マタイ福音書の著者=使徒マタイ】かどうかは、今となっては検証のしようもありません。ただ、十二使徒のリストでもマタイ福音書はマタイのところに「徴税人」と書き加えてもいますので(一〇・三)、先の九・九以下と併せ、マタイ福音書が「徴税人マタイ」を他の福音書以上に強調していることは、まぎれもない事実です。マタイ福音書の熱い心が、徴税人でありながら弟子とされたマタイに注がれていることを意識しながら読むと、マタイ福音書の説教がより楽しくなるでしょう。


 「マタイによる福音書」の執筆年代

 まず、マタイ福音書の本文には、本書が執筆された時期について一切明記されていません。ということは、執筆者問題同様、状況証拠から埋めていくしかありません。先ほど、マタイ福音書はマルコ福音書を読んだ上で書かれていると述べました。これが正しければ、マタイ福音書はマルコ福音書の後に書かれたということになります。ところが、マルコ福音書の執筆年代も大いに議論されてきて、紀元六〇〜七〇年としておくのが一般的です。となれば、マタイ福音書はそれ以降であるとひとまずなります。

 ところで、例えば坂本龍馬を映画化したものがあったとして、劇中の龍馬の描き方やセリフは、必ずしも当時に忠実ではなく、映画化に際してその時代に発していきたいメッセージが上乗せされる、あるいは反映されるということがよくあります。マタイ福音書もそれと同様で、「執筆時の教会や時代の状況が滲み出ているなあ」と思わせる筆致が読み取れるのです。これらをつぶさに考察していくと、マタイ福音書はどうも、エルサレム神殿の崩壊(紀元七〇年)の後とか(二二・七)、八〇年代中頃にあったユダヤ人によるキリスト教徒追放処分が意識されているとか、言葉のはしばしに感じるところが多々あります。例えば、四・二三で「諸会堂」と訳されている箇所は、原文では「彼らの諸会堂」とあります。「あれ?同じユダヤ人なのに、『彼らの』なんて、まるで他人事みたいな距離感のある言葉遣いだな」と感じます。それで、「そうか、もうユダヤ教とは距離がある状況か」と気付くわけです。これらを丁寧に総合していくと、紀元八〇年代に書かれたと見るのが妥当です。

 ちなみに、推定成立年代が百年頃と目されている「ディダケー」などの書が、マタイ福音書の記述を知っているようなので、ということは、マタイ福音書の成立はそれ以前でなければならないとなります。以上、この辺りのものの考え方は、ミステリー小説における犯行推定時刻を推理する探偵のやっていることと、そうは変わりません。

 元々はユダヤ人イエスや使徒たちから始まった、ユダヤ教の中でのイエス運動が、迫害を受け、ついに追放処分を受け、そうして分離し、独立したキリスト教が成立するに至った……。その時、マタイ福音書を書いた人、読んだ人たちは、一体どんな闘いをしていたのだろうと、行間からその血と汗を読み取ろうとする営みは、説教を作る際の閃きに繋がっていきます。「『義のために迫害される人々』(五・一〇)って、こういうことか!」といった具合に、聖書の言葉の理解が立体的になります。仕上げに、「そうした迫害との闘いは、現代の私たちにとって、どんな意味があるのだろう」と思い巡らすのです。そうすると、例えば他の箇所での「恐れるな」という主イエスのみ言葉に、「そうか、結局、神以外のものを恐れるなということか」といった閃きが生まれ、み言葉に血と肉が付いていくのです。教会学校向けの説教はともかくとしても、大人向けの立派な説教が、「彼らの」というわずか一言から、自ずと湧き出してくるではありませんか。

 そう、私が今ここで述べていることは、神の言葉の立体化、血肉化へと目指すものです。「そんなことはどうでもいいから、手っ取り早く来週の説教のコツを教えて」というのも人情でしょうが、こういった余計とも思える情報の一つ一つの蓄積、そして反芻が、深いメッセージを地中から掘り出す結果へと導いていきます。手っ取り早さから、奥深い説教は生まれません。


 「マタイによる福音書」の成立場所

 マタイ福音書は、一体どこで書かれたのか。これもまた例により、本文中の記載は一切なく、状況証拠のみからの推理となります。まず、本書は「コイネー・ギリシャ語」で書かれていると先ほど述べました。よって成立場所は、その言語が使われているエリアでなければなりません。次に、マタイ福音書は他のどの福音書にもまさって、律法を重んじています(一例として五・一七「わたしが来たのは、律法や預言者を廃止するためではなく……完成するためである」)。同時に、ユダヤ人の慣習に詳しく、その知識を前提としています。ということは、この福音書の読者にはユダヤ人が多く含まれていると。それでいて、イエスが活動されたガリラヤを含むパレスティナの地理の書き方に、知識の乏しさを感じます。その他、本書におけるペトロの重要性の強調や、本書を最初に引用した古代文書の成立場所、初期キリスト教会の教会分布図などを加味すると、「シリア」という説が最も一般的でしょう。