2024年12月12日木曜日

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管理人について

日本基督教団茨木春日丘教会(礼拝堂の建物名「光の教会」)牧師

関西学院大学非常勤講師


【茨木春日丘教会・茨木四教会関連】

建物見学の当面の停止について        Suspension of Building Tours

教会創立50周年記念礼拝説教 全文

「パウロの全体教会政治学ーー茨木四教会伝道会の全国連合長老会への加盟を目指すプロジェクトの神学的基盤ーー」


【新約聖書学】

史的イエス研究史        

マタイ福音書緒論        マタイ福音書神学           

イスカリオテのユダとは何者か(大学講義レジュメ)

猫でもわかるマタイ福音書講座〜〜第1回「マタイによる福音書は誰がいつどこで書いたか」

猫でもわかるマタイ福音書講座〜〜第2回「マタイの神学」

猫でもわかるマタイ福音書講座〜〜第3回「共観福音書問題」        

猫でもわかるマタイ福音書講座〜〜第4回「マタイの教会論」

猫でもわかるマタイ福音書講座〜〜第5回「マタイのクリスマス」

猫でもわかるマタイ福音書講座〜〜第6回「マタイのイースター」

ガラテヤの信徒への手紙        

ヘロデ派    マグダラのマリア    


事典項目

エルンスト・ケーゼマン        ゲツセマネ(ゲッセマネ)        ゴルゴタ       

サドカイ派    サマリア人        

【旧約聖書学】

ミカ書        バルク書    


【キリスト教史(教会史)関連】

ーー初期キリスト教時代ーー

コイネー・ギリシャ語                

前21頃-後39年 ヘロデ・アンティパス        

後30-101年 ローマのクレメンス    



ー古代教会時代ーー

(古代教会における聖書)「正典」の確定        信条の形成        シモニア(聖職売買)

70/82-156/168年 ポリュカルポス        2世紀初期 エビオン派 エビオン派福音書

100頃-163/167年 ユスティノス

?-258 ラウレンティウス        

2世紀中葉 モンタヌス・モンタヌス主義        Montanism / Montanus

2世紀中葉 マルキオン

160頃-220年以降 テルトゥリアヌス        130頃-202年頃 リヨンのエイレナイオス

200頃-258年 キプリアヌス        293頃-373年 アタナシオス

240頃-320頃 ラクタンティウス        

3世紀前半から中葉 モナルキアニズム

3世紀後半-4世紀 ミュラのニコラウス

312-14年 ドナティスト論争(ドナトゥス派)

325年 第1ニカイア公会議/原ニカイア信条

カパドキアの神学者たち(翻訳、ヤング『ニケアからカルケドンへ』)

330頃-379 バシレイオス        342頃-420年 ヒエロニムス

381年 第1コンスタンティにポリス公会議/ニカイア信条


ーー中世時代ーー

675年頃-749年頃 ダマスコのヨアンネス        

1265年頃-1308年 ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス

11世紀-15世紀中葉 十字軍        


ーー宗教改革時代ーー

15世紀  人文主義        

1482-1531年 エコランパディウス        

1483-1546年 マルティン・ルター    

1491-1551年 マルティン・ブツァー        

1500年代前半以降 再洗礼派        

1504-1575年 ヨハン・ハインリヒ・ブリンガー        

1509-64年 カルヴァン        

1511-53年 セルヴェトゥス        

1515-63年 カステリヨン        

1524-25年 ドイツ農民戦争        

1534年- アングリカンチャーチ(英国国教会)                

1545年- 対抗宗教改革        1555年 アウクスブルク宗教和議        

16世紀 改革派教会        Reformed Church        

1618-48年 三十年戦争        

1618-9 ドルトレヒト会議

1635-1705年 シュペーナー        

1705年- ソッツィーニ主義        Sozzinism        

1836- ディアコニッセ        


【組織神学】

神学        マモン        


【宗教学】

真如苑    


その他の原稿・読み物など

クリスマスの由来に関する豆知識    クリスマスツリー



『信徒の友』掲載原稿の改訂版



『教会学校教案』の元原稿の改訂版
創世記 37章1-11節 「ヨセフ1」(2013年7月7日)
創世記 42-45章 「ヨセフ3」(2013年7月21日)
ルツ記 「ルツ」(2013年9月22日)


#旧「大石アーカイブス」

モナルキアニズム Monarchianism


 名称の語源モナルケスが「単独支配」を意味するように、三位一体論において、「父」「子」「聖霊」という位格の区別を無視し、位格の単一性を過度に強調する異端的教義を表す。

 以下の養子説(Adoptionism)と様態説(Modalism)の2種で展開された。


 1 養子説(Adoptionism)

 養子説は、主としてアンティオキア主教サモサタのパウロによって提唱され、アンティオキア学派によって継承された。

 元は人間であったイエスが、十字架と復活を経て御子とされたとする説で、キリストの完全な神性の否定に繋がるとして、正統派から退けられた。


 2 様態説(Modalism)

 様態説は、主としてプラクセアス(2世紀末〜3世紀初頭、小アジア出身)によって説かれ、サベリウス(?-260年頃)によっても展開された。

 「父」「子」「聖霊」は、神の様態(モード)の現れに過ぎないとする。「子」は「父」が受肉したものとする説で、キリストの神性否定と三位の独自性の解消に繋がるとして、正統派から拒絶された。

 この説はテルトゥリアヌス(『プラクセアス駁論』)によって天父受苦説(patripassianism)と呼ばれて論駁された。その後、様態説はスミルナのノエトゥスの一派により継承された。

2024年12月1日日曜日

カンタベリーのアウグスティヌス Augustinus, ?-604

 ツイッター用要約

聖人。ベネディクト会修道士。ローマの聖アンドレアス修道院長。別名「イギリスの使徒」。初代カンタベリー大司教。597年、アングロ・サクソン人への宣教のために、教皇グレゴリウス1世によりイギリスに派遣された。


 本文

 聖人。ベネディクト会修道士。ローマの聖アンドレアス修道院長。別名「イギリスの使徒」。初代カンタベリー大司教。


 597年、アングロ・サクソン人への宣教のために、教皇グレゴリウス1世によりイギリスに派遣された。ケント王セルバートに認められてカンタベリーに居住。


 601年、カンタベリー大司教に就任。カンタベリー大聖堂(カンタベリー司教座聖堂)と修道院を建築した。


 カトリックとイギリス文化との調和を企図したが、カトリック的伝統と既存のケルト教会との間で折り合いをつけることに苦慮し、彼の存命中には両者の合同には至らなかった。


 664年、ホイットビー司教会議にて、カトリック教会宣教以前から存在していたケルト教会とローマ・カトリックとの合同成立した。


2024年11月28日木曜日

マタイによる福音書 13章44-50節「天の国のたとえ」

教会学校教案 2012年9月16日分

マタイによる福音書 13章44-50節「天の国のたとえ」


 概要

 前回の「概要」にて述べた通り、マタイ13・1-52には、「天の国(=神の国)」に関わる八つの譬えが収められています。全体はおおむね「天の国」に何らかの形で関わるものですが、今回の三つの譬えは、「天の国は次のようにたとえられる」(44、45、47節)という文言の通り、より直接「天の国」に関わる譬えと見なされます。「畑の中の宝の譬え」(44節)と「高価な真珠の譬え」(45-46節)は、双方セットで同一の主題、すなわち、天の国の価値の大きさ、および、それを知る人たちが一切を支払ってでも躊躇なく天の国を得ようと求める情熱について語られています。便宜上、ここでは「畑の中の宝の譬え」と記していますが、より正確には「畑の中の宝を全力で入手する人の譬え」「高価な真珠を全力で入手する商人の譬え」と表現できます。もちろん、天の国を象徴する宝ないし真珠が持つ高い価値もその前提とされています。「網と魚の譬え」(47-50節)は、終末において「正しい人々」と「悪い者ども」が選び分かたれるという審判に関する言葉です。テーマとしては、終末時の審判と、その時までキリスト者が堅持すべき忍耐の必要を説く24-30節における「毒麦の譬え」と部分的に共通しています。47-48節が譬え本体、49-50節が譬えの解説部となっています。以上のように、前半二つと後半一つの譬えは、それぞれ「天の国」の譬えとして語られながらもテーマが異なりますから、説教の中で上手に仕切り直し等をして語りつつ、先週から続いた一連の譬え話を締めくくる形で全体を組み立てると良いでしょう。


 解説

 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」(44節)

 ある土地に宝を見つけた人がその土地ごと買い取って金持ちになるといった類の話は、広く周辺の諸文化に幾つも見られるストーリーです。恐らく、実際には滅多にないけれども、よく聞く類の話として知られた逸話を、主は譬えとして用いられたのでしょう。ここでは、「見つけた人」が地主から土地を借りて農業を営む小作人であるかといった細かい設定は明記されていません。また、こうした事例で入手した拾得物が法的に妥当なのかどうかについても、それぞれの文化で異なりますし、聖書もこの点に注意を払ってはいません。「落とし物をこうした仕方で手に入れることは、法的、道徳的にいかがなものか」といった趣旨の質問が子どもたちから出てくるかも知れませんので、一言「日本とは違う場所のお話で、あくまで譬え話ですから」と説明できる用意をしておいて下さい。補足として、「畑」を世界、「人」をキリスト、「宝」をキリスト者を表すとして、この譬え全体を、失われた魂を求めるキリストの愛を指し示す等と解釈する諸説もありますが、前回同様、今回もこうした「寓意的解釈」は採っていません。


「また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」(45-46節)

 「商人」とは輸入品を扱う商売人のこと。当時、「真珠」は主にエジプトからもたらされ、高い価値を持つ物を象徴する語としても頻繁に使われていました。律法、知恵などもよく「真珠」に例えられました(箴言3:15。参考、マタイ7:16「真珠を豚に投げてはならない」)。最初の「畑の中の宝の譬え」と共通している点は、「高価な真珠」のために持ち物をすべて売り払って、それを買い取ること、そして、それを達成しようとする人間のあくなき情熱です。「天の国」を見出した人もまた、同様に大いなる喜びと熱心さをもって、たとえ全てに代えてでもそれを受けたいと願うことが、譬えによって鮮やかに示されているのです。


「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。」(47節)

 上述のように、この節から天の国に関わる新たな主題の譬えが始まります。「湖に投げ降ろされ」る「網」は、地引き網漁を意味します。


「人々は岸に引き上げ・・・・・・良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。」(48節)

 「良いもの」は食用、「悪いもの」は食用にはならない魚。湖の中では混在していた魚を選り分ける場面が、次節以降の「世の終わり」の「審判」へと繋がっていきます。


「世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け・・・・・・悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」(49-50節)

 「泣きわめいて歯ぎしり」は、審判の際に人が嘆く様(参照、8:12)。現在は、良き物も悪い物も混在した状況です。「なぜ許されざる悪がこの世に存在するのか」「なぜこのような悲惨な出来事が起きるのか」と、皆様自身もしばしば自問自答し、思い悩むことも多いでしょう。現在における善と悪の混合状態と、将来の終末における選びを物語るこの譬えは、そうした問いに答えるもので、先の「毒麦の譬え」も同様のニュアンスを持ちます。


 信頼をもって待ちましょう。世の終わりを。そして、もう思い切って楽しんで求めていきましょう! 

茨木春日丘教会 大石健一


ローマのクレメンス Clemens, 30‐101 CE

 ローマの第2代または第3代監督。コリントの諸教会のために書かれた『クレメンスの第一の手紙』の執筆者と推定される(推定執筆年代は96-97年)。


 伝承によれば、クレメンスはペトロの直系の後継とされているが、これについては後代における権威付けの可能性もある。彼に対する評価は高く、彼の名前が付された偽書も少なくない。

2024年11月27日水曜日

真如苑

真如苑 


 【要約】

真言系の新宗教。真言宗醍醐派の在家僧侶であった伊藤真乗(1906-89)が同派から離脱し、1948年に「まこと教団」を創立。後に現在名に改称した。聖典は『大般涅槃経』。修行法として、自己の覚知から菩提へと至るための「接心」。教団本部は東京都立川市。


 本文

 伊藤真乗(1906-89、いとうしんじょう)を創立者とする真言宗系の新興宗教。伊藤が真言宗醍醐派から離脱し、1948年、「まこと教団」を創立。その後、「真如苑」と改称された。


 『大般涅槃経』を重視し、接心と呼ばれる修行法により、自分自身の本質である真性(こころ)を覚知し、菩提(しんじん)の道を全うすることを目的としている。 機関誌に『内外時報』(月刊)、『歓喜世界』(季刊)がある。 


 教団本部 :東京都立川市柴崎町。公称信徒数:約 74万人(1996) 



 【解説文】

 真言密教系の在家教団。創立者は伊藤真乗。本名は文明(ふみあき)。1906年、山梨県巨摩郡秋田村の農家に生まれ育つ。17歳で上京、月島の石川島航空機に就職。1931年、会社移転に伴い立川に移住。


 1932年、従姉妹の友司(ともじ)と結婚。友司の叔母の玉恵(教団名:玉恵の命)、祖母は内田(教団名:宝珠院)は霊能者。伊藤は近隣住民の相談に乗るようになる。


 1935年、真言宗の僧侶大堀修弘(おおぼりしゅうこう)と出会い、自宅に不動尊像を祀る。


 1936年、修行を経た後に、立川飛行機を退職し、宗教活動に専念。醍醐寺に得度、在家の修験になる。


 1936年、長男智文を失う。


 醍醐寺より、真乗の名を与えられ、在家の大阿闍梨(だいあじゃり)に就任。


 1938年、立川に真言宗醍醐派立川不動尊分教会を設立。


 1948年、第二次大戦後、真言宗醍醐派として独立した醍醐寺には所属せず、真澄寺しんちょうじと改称して独立、「まこと教団」創設。


 1950年、修行時に信徒をリンチしたとして幹部から告発され、伊藤は逮捕される。執行猶予付きの有罪判決を受ける。「まこと教団リンチ事件」。友司が苑主、真乗は教主となる。


 1952年、次男友一を失う。「抜苦代受」の思想(苦しみを身代わりとなって背負うこと)に至る。


 1953年、「真如苑」に改名。『涅槃経』を経典とし位置づける。

 

 1967年、友司逝去。


 バブル経済期において生じた宗教ブームに乗って急速に規模が拡大し、一時の信徒数は200万に達したとも言われた。バブル崩壊以降は勢力も低下し、現在の信徒数は100万を切っているだろうが、それでも日本の新宗教における代表的な教団である創価学会、立正佼成会に次ぐ勢力を誇る。


 1980年代中盤、沢口靖子や高橋恵子、松本伊代、大場久美子といった著名人が入信していると伝えられたことで注目を浴びる。


 1989年、真乗逝去。後継は三女真聰。


 2001年、日産自動車村山工場跡地を購入。


 2007年、『真乗ーー心に仏を刻む』がベストセラーに。



 接心(せっしん)

 教団独自の修行とされ、霊的能力の開発を目的とする。宗教ブーム時の霊能力開発の流行と重なり、スピリチュアルブームの先駆となった。

 霊能者によって霊言が語られる形式だが、シャーマンが忘我状態になるような典型的なお告げのスタイルではなく、簡素に韻を結んで唱え言をする程度で、霊能者の知見に基づくアドヴァイス、カウンセリングに近い。


 参考文献

島田裕巳『日本の10大新宗教』、幻冬舎、2013年。

マタイによる福音書 3:13-17(2012年4月22日)

教会学校教案 2012年4月22日分

マタイによる福音書 3:13-17


 概要

 「イエスの洗礼」という出来事は、四福音書すべてが伝えているものです(マルコ一・九ー一一、ルカ三・二一ー二二、ヨハネ一・三二ー三四)。ですから、今回の記事はそれだけ教会全体に知られ、大切な出来事として受け止められていたことが推測されます。ただし、それぞれの福音書では語り方、取り上げ方が違っています。実際読まれると、随分異なると感じられるでしょう。それぞれに個性がありますから、マルコはマルコのように、マタイはマタイのように語ることを目指しましょう。マタイの特徴は、一に、洗礼者ヨハネが主イエスに洗礼を授けた事実。二に、その際にヨハネが思い留まらせようとしたこと。三に、主イエスご自身がヨハネから洗礼をお受けになる意義を説かれたことに現れています。「三」によれば、洗礼を受け新しい命に生きようとする者と、主が共に歩んで下さるために、敢えてヨハネから洗礼を受けられたと言えます。

 主イエスの洗礼には、もう一つ大きな意味があります。今回の箇所の後半で語られている通り、主が神の御子であり、救い主なる方であることが示されるためです。以上、ヨハネから受けた洗礼の意味と、このことの二つを柱として、説教作成に臨みましょう!

 解説

 「彼から洗礼を受けるため」(一三節):原文では「彼に洗礼を授けられるため」:なんと厳かな言葉でしょうか。主なる方が謙って、人間に過ぎない者から洗礼をお受けになろうとしているのですから。「ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。『わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに・・・』」(一四節):かつてヨハネは、主イエスに対して自分を「その履き物をお脱がせする値打ちもない」(三・一一)と語りました。ヨハネは恐らく、主は自分から洗礼を受けるべき方ではなく、むしろ自分に授けるべき方であると表明しています。ひょっとすると、ヨハネの洗礼は罪人に赦しを与える「悔い改めの洗礼」でしたから、罪なき方であり、罪の赦しをお与えになる主イエスが、彼の洗礼を受けるのは不可解であると思ったのかも知れません。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです・・・」(一五節):「正しい」と訳されている語は、「ヨハネが来て義の道を示した・・・」(二一・三一)で「義」と訳されている語と同じです。ヨハネのもとに来て自分の思いではなく神の御心のままに歩むと決心して悔い改めの洗礼を受けた人たち。神の「義」を求めて生きようとする者たちと、主イエスも共に歩んで下さることが示されるために、主は<私たちと同じように>洗礼をヨハネから受けられるのです。励ましに満ちた主の行動です。「イエスは洗礼を受け・・・そのとき、天がイエスに向かって開いた・・・神の霊が鳩のように・・・」(一六節):旧約時代から「鳩」は聖霊の象徴であり、今や目に見える形で聖霊が主に降ります。聖霊の注ぎはイスラエルで待望されていた出来事です。また、クリスマスに読まれることの多いメシアに関する預言の一つであるイザヤ一一・一ー五では、霊がメシアに注がれ、そうしてメシアが持つべき知恵、力、権威が賦与されることが記されています。ですから、この出来事は、主イエスがメシアであることを示しています。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。」(一七節):「天の声」が父なる神の声であるならば、ここには御子イエス、父なる神、聖霊という「三位一体の神」が同時に表されています。その意味でも今回の箇所は大切なところです。「これはわたしの愛する子」という表現の背後には、詩編二・七(「お前はわたしの子・・・」)と、イザヤ四二・一(「主の僕」と呼ばれる者の召命)があります。ですから、「愛する子」という言葉は、主が神の<独り子>、御子なる神であり、三位一体の神の御心によってメシアとして立てられていることを指し示しています。さらには、「これはわたしの愛する子・・・」という「声」は、「山上の変容」とも呼ばれるイエスの姿変わりの記事において再度繰り返されます(一七:五)。大事な意味を持つことが、この繰り返しに暗示されていますね。

 まとめ

 「これは私の愛する子」という言葉は、かつて神がアブラハムにイサクを献げるよう命じられたことを思い起こさせます(創世記二二・二「あなたの息子、あなたの愛する独り子を・・・献げ物としてささげなさい」)。事実、父なる神は私たちの救いのために、御子イエスを十字架に架けられました。イザヤ書の「主の僕」も、イザヤ五三章の「苦難の僕」と繋がっています。つまり、今日の箇所は主イエスがメシアであることを示しているだけでなく、主の受難をも暗示しているのです。

 主イエスは、私たちと歩みを共にされるためにヨハネから洗礼を受けられましたが、謙られた主は、十字架の死に至るまでご自身を低くされました。そして、これらをすべて見越して「これはわたしの愛する子」という「声」があるのです。この峻厳な事実に畏れを抱きながら、子どもたちに福音を語りましょう! (茨木春日丘教会 大石健一)