【要約】
紀元1世紀に活動した、ユダヤのヘロデ大王家を支持する一党。ヘロデの政治的親衛隊、ローマに対して有効なユダヤ人か。資料僅少につき詳細不明。新約聖書の3回の言及と、ヨセフスの記述あり。ユダヤ戦記i.319; ユダヤ古代誌xiv. 450
【本文】
ヘロデ派とは、一般的には、ユダヤにおけるヘロデ大王家(37 BCE - 92 CE)を支持する、紀元1世紀に活動した政治的一党と考えられている(Horst Balz and Gerhard Schneider (eds.), /Exegetical Dictionary of the New Testament/ (vols. 2; Grand Rapids: William B. Eerdmans Publishing Company, 1991, 124-5. 川島貞雄も「ヘロデを支持」し「ローマ人に対しても友好的」かも知れない「ユダヤ人」と推測するが、詳細不明としている。川島貞雄『マルコによる福音書―十字架への道イエス』(福音書のイエス・キリスト2)、日本基督教団出版局、1996年、91頁。)。その実体については、資料が乏しいため、殆ど不明である。
新約聖書で3回言及されている他、ユダヤ人歴史家ヨセフスによっても触れられており、ヘロデの親衛隊もしくは支持者たちに相当するようなグループと考えられる。このようなヘロデ支持者たちがヘロデ大王の時代から存在していたことは、ヨセフスの記述から知り得る(ユダヤ戦記i.319; ユダヤ古代誌xiv. 450; xv. 2)。彼らは、ヘロデ大王に対して特別な敬意を表していたようである。
しかし、ヨセフスの記述はすべてヘロデ大王時代に限られている。これに対して、新約聖書での用例は、ヘロデ大王以後のものであり、両者は微妙に時代を異にしている。
新約聖書における三つの用例を挙げよう。
* 「ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。」(マルコ3:6)
* 「さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。」(マルコ12:13)
* 「それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。」(マタイ22:15-16。マルコ12:13の並行箇所)
参考として、「ヘロデ」という表記をもって、ヘロデの支持を受けて動くグループを含意して使用されている用例も挙げておく。
* 「そのとき、イエスは、『ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。』(マルコ8:15)
* 「ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」(ルカ13:31)
* 「事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。」(使徒言行録4:27)
マタイ22:15-16の用例は、マルコ12:13の並行箇所であるから、用例はマルコを源泉としている。マルコの用例の検討は後述することにして、先にマタイとルカの反応を見てみることにしよう。
マタイは、マルコ12:13に含まれる「ヘロデ派」を保持しつつも(マタイ22:16)、マルコ3:6の「ヘロデ派」は削除している(マタイ12:14)。他方、ルカは、マルコ3:2を「律法学者たちやファリサイ派たち」(ルカ6:7)と書き換え、マルコ3:6を人称代名詞で書き直している(6:11)。加えて、マルコ12:13の「ファリサイ派とヘロデ派」という記述を、「律法学者たちや祭司長たち」(ルカ20:19)に遣わされた「義人を装うスパイ」に書き直している(ルカ20:20)。つまり、ルカはマルコにおける「ヘロデ派」という記述をすべて削除していることになる。
従って、マタイ22:16を除けば、基本的にマタイとルカは、マルコの「ヘロデ派」を別のユダヤ人グループに書き換えており、表記を避けていることは確かである。では、マタイとルカは、なぜ避けたのか。1.エルサレム崩壊後の時代のマタイとルカにとって、崩壊と共に消滅したヘロデ派について書き記す必要がなかった、2.彼らはヘロデ派ついて知らなかった等、幾つかの可能性が考えられる。そこで、マルコにおける二ヶ所の用例を詳しく検討してみよう。
マルコ3:6
マルコ3:6を含むマルコ3:1‐6のペリコーペは、2:1から続く一連の論争物語シリーズの結びに相当する。3:6は、その最後のペリコーペの結語にあたり、段階的に高まっていくイエスとファリサイ派たちとの軋轢のクライマックスとして、次のようにコメントされている。「ファリサイ派たちは出て行って、すぐにヘロデ派たちと共に、イエスをどのようにして殺害しようかと相談し始めた」。
2:1‐3:6におけるペリコーペの結集がどの程度まで伝承段階で為されており、マルコの編集作業がどれほど施されているかについては議論がある。ただ、断食問答の記事(2:18‐20)の中でイエスの死を暗示し、その上で3:6でイエス殺害がほのめかされている。ここには、論争物語の範疇を越えたテーマ、しかもマルコに特徴的なイエスの受難のテーマが複数のペリコーペに跨って埋め込まれているため、クライマックス部分も含めた編集構成にはマルコの意図が反映されている可能性が高い。実際、マルコ的な「出て行って」という言い回しも3:6には含まれている(川島貞雄『マルコによる福音書』、91頁。)。よって、3:6はマルコの編集句と見なしてよい。
ということは、マルコは自ら「ヘロデ派」という語を書いていることになる。ただ、2:1以来登場してきたグループに「ヘロデ派」という名は見られず、この箇所がマルコにおける初出であり、しかも、何の説明も付されていない。マルコは、なぜマタイやルカが避けた「ヘロデ派」を書き入れたのか。
マルコ12:13
このように、「ヘロデ派」が「ファリサイ派」と共に併記されている現象は、もう一ヶ所の用例である12:13にも見られる。3:6が編集句である蓋然性が高いことと、この箇所と同様、「ヘロデ派」と「ファリサイ派」が一緒に登場しており、彼らはイエスに敵意を抱いている点で共通していることから、本節は状況設定句としてマルコによって付加されたものだろう。
マルコ12:13は、ガリラヤの領主であったヘロデ・アンティパスの支持者を指していると見られる。彼は親ローマの政治的立場を採り、その意味で、ガリラヤではサドカイ派のような立ち位置にあった(Horst Balz and Gerhard Schneider (eds.), /Exegetical Dictionary of the New Testament/ (vols. 2; Grand Rapids: William B. Eerdmans Publishing Company, 1991, 124-5. )。よって、マルコにおける「ヘロデ派」も、アンティパスと同様、ローマとの共存を支持する政治を志向したと推測される。だとすると、政治的な方向性が正反対同士の両者がイエス殺害を一緒にたくらむことに、矛盾と皮相が表されているとする見方も妥当なものだろう。
両派の者たちを派遣した「人々」が誰であるか具体的には書かれていないが、それまでの受難予告等から(8:31; 9:31(「人々の手に引き渡され」); 10:33)、「長老、祭司長、律法学者たち」、すなわち、ユダヤの最高権力機構であるサンヘドリンに属する者たちを指すことは明らかである。12:13以降、受難物語の中でもヘロデ派は姿を見せることなく、サンヘドリン主導でイエスはピラトに引き渡され、十字架の場面へと入っていく。こうして見ると、伝承段階でもイエスを殺害していく主体は「長老、祭司長、律法学者たち」である。
ヘロデ・アンティパスによるバプテスマのヨハネの処刑(6:14-29)や、先の「ヘロデのパン種」と関連づけて、状況に流されての不本意な行動はイエスに対する敵対的な行動でさえあることを印象づけるために、敢えて「ヘロデ派」を書き込んだとも考え得るが、推測の域を出ない。
参考文献
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