2025年5月1日木曜日

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【マルコ福音書 講解説教】02「キリスト、福音、そして神の子」2025年4月27日分

光の教会【イースター説教】2025年4月20日分「永遠の命には、神様を感じる感受性が大切」

光の教会【礼拝説教】「1890年日本基督教会信仰の告白」の講解説教その1<明治憲法・天皇主権国家・ローマ皇帝神格化と崇拝の強要・マルコ福音書の精神・受難のキリストの提示>

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【茨木春日丘教会(光の教会)】聖日礼拝説教 2025年1月26日「祈りの家」

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光の教会【ひとこと説教】(動画)

光の教会【ひとこと説教 1】真面目腐るか、パーっと生きてみるか


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教会創立50周年記念礼拝説教 全文

「パウロの全体教会政治学ーー茨木四教会伝道会の全国連合長老会への加盟を目指すプロジェクトの神学的基盤ーー」

 「私が着任した当時(2012年)の状況についてーー特に聖日礼拝の様子」

「私が着任した当時(2012年)の茨木春日丘教会(光の教会)その2ーー制限問題」

【マルコ福音書 講解説教】02「キリスト、福音、そして神の子」2025年4月27日分

 

撮影場所:茨木春日丘教会 礼拝堂(光の教会)

撮影日時:2025年4月26日

想定実施礼拝説教日:2025年4月27日

想定実施礼拝説教場所:日本基督教団茨木春日丘教会


ーーー聖書本文ーーー

聖書箇所:マルコによる福音書 1章1節


ーーー説教本文ーーー

 マルコによる福音書連続講解説教の第2回ということで、今回は、この福音書の1章1節のみを取り上げております。

 「神の子イエス・キリストの福音の初め」

 ということで、この文、主語があって動詞があるという文にはなっておらず、名詞だけが繋がっていますから、いわゆる体言止めになっています。ということは、これは文章のタイトルではないかと。あるいは、序盤の部分の表題的なものではないか、とも推測されます。それならば、一体どっちなのか。この1節は、どこまでを指しているのか、悩み始めると頭が痛くなってきます。

 そうすると、肝になってくる要素が、「福音の初め」とあるところの「初め」になりまして、この「初め」が、マルコ福音書全体をもって「初め」の物語になっているのか、あるいは、マルコ福音書の序盤の部分のみを指しているのか、どちらなのかが問題となります。ある研究者は、この「初め」と訳されている語が、基礎とか基盤という意味を持つとして、この福音書全体を、キリスト教におけるいわゆる「福音」というものの、根底にある物語、基本の物語と位置付けているのだ、としています。一方で、この「初め」という語にそんな意味はないとして、否定する説もあります。このように、研究上でも意見が分かれていまして、正直私も決めかねています。

 既に皆さんの中にも、頭が痛くなってついていけなくなっている方もあろうかと想像しますが、ただ、こういう時はこの問題に限らず、シンプルに考えるところに立ち戻るのがよろしい時というのが、多々あります。そこで改めて考えますと、この1節の後、洗礼者ヨハネが唐突に登場しています。その後、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたり、イエスが試みを受けられたりして後、14節から、キリストの宣教活動が始まっていきます。普通の感覚であれば、14節から序盤が終わっていよいよ本編、キリストの宣教編へ、とするのが真っ当ではないでしょうか。

 

 で、次に参ります。「神の子」については、大トリに回しまして、「イエス・キリスト」についての解き明かしとしましょう。まず、「イエス」は人の名前です。日本語その他の言語では、ヨシュア記の「ヨシュア」と発音を変えて翻訳していますが、本来は同じ名前でありまして、ヘブライ語のヨシュアという人名を、ギリシャ語発音にしたものになります。ヨシュアと同じですから、当時もよく使われていた、ありふれた名前です。ちなみに、この名の意味は、「神は救い」というものです。奇しくも、キリストにピッタリの名前と感じるのは、私だけでしょうか。

 次に、「キリスト」になります。まず、これは苗字ではありません。例えば皇帝とか、国王などといった、「称号」であります。称号であれば、「救世主」という語もそうですが、まさにその意味を表す称号です。この「キリスト」、元々はヘブライ語で「油注がれた者」を表す「メシア」と同義でありまして、かつては、国王や預言者のような、特別に神に立てられる者を任職する際、頭から香油を注ぎ変えるという慣習がありまして、それに因んだものでした。ところが、時代が下っていきますと、非常に困難な時代となりまして、いつか神から特別な者が遣わされて、世を救ってくださるという待望感が出始めました。そうしてメシアという語、もっぱらこの遣わされる方を指して使われるようになりました。さらにその後、キリストが現れて、十字架と復活があって、教会が誕生いたしますと、この「メシア」という語は、教会の専売特許の用語となった次第です。さらにまた、メシアがギリシャ語に翻訳されて、「キリスト」と相なったという次第です。


 次に進みましょう。この「キリスト」が先ほどの「イエス」と合体しまして、「イエス・キリスト」という、我々もよく耳にするフレーズとなっています。イエスとキリストの前後をひっくり変えて、「キリスト・イエス」というパターンも、全体の何分の一かはそうなっています。

 それで、合体したらどうなのだという話になるのですが、「イエス」というのは名前であり、同時に、あのキリストを指す固有名詞でもあるわけですね。それが「キリスト」、すなわちメシア、救世主であると。つまり、<あの歴史上の一人の人間イエスは、救世主なる方である>という意味になるのです。そうすると、イエス・キリストという文言のみで、「イエスこそキリストです」という信仰告白、よく最も短い信仰告白とも呼ばれますけれども、そうなるということなのです。ご存知ない方、「イエス・キリスト」というだけで、信仰告白にもなるということ、覚えてみてください。

 次は、「福音」です。福音についても、解説し始めると本が何冊も書けるものですし、おいおい何度も出てきて語る機会もあるものですので、この場では最小限にとどめておきたいと思います。「福音」とは、元々は、戦いに勝利したことを王宮に伝えてくる伝令、その伝令に手渡される褒美を指していたものです。それがいつしか、吉報、良い知らせを意味するようになったと。この語をキリスト教会が、割と早い段階から使い始めるようになりまして、その指す事柄というのは、いわゆるキリストによる救済の業です。すなわち、キリストが人となって来られて、十字架の死という贖罪の死、罪の赦し、そして復活、永遠の命をもたらされたという、一連の救済の働き、ないし出来事。これを「福音」と呼ぶようになりました。今日では、先のキリストと同様に、これも教会のほぼ独占使用となっております。が、マルコ福音書が書かれた背後の世界では、そうでもありませんでした。なぜなら、ローマ皇帝がいて、例えば皇帝ネロのような暴君もいて、教会は迫害を受けることもありました。そんなローマ社会では、「福音」と言えば、それは例えば皇帝の即位式であったり、皇帝に後継が誕生したりといった知らせを意味していました。そんな状況下で、「キリストが福音だ」と公言したら、どうなるでしょう。ローマに目をつけられて、下手すれば迫害を受けますね。

 ここで、先の「キリスト」「救い主」です。イエス誕生時代のローマ皇帝といえば、皇帝アウグストゥス。彼は、「全世界の救い主」と称賛されていました。もうお察しですよね?そこで「イエス・キリスト」、すなわち「イエスこそ救い主」と告白すれば、どうなるか。……皇帝崇拝に楯突くことになると。

 こうしてお膳立てが整ったところで、大トリに回した「神の子」。「神の子」もまた、というかこれこそ、自分自身を神格化したローマ皇帝が、自ら名乗り、帝国もまたそう呼んだところの、「称号」なのです。ということで、「神の子イエス・キリストの福音」、これだけでも、教会の神学の中だけで、重要な意味を持ちます。信仰告白、という意味合いも含みます。ところが、マルコ福音書の時代背景においては、さらに特別な意味をも持つことにもなるわけです。すなわち、世では「ローマ皇帝こそ、神の子、キリスト、救い主、福音!」と呼ばれていて、これに逆らえば、下手をすれば命はない。にもかかわらず、迫害を耐え忍ぶとしても、真実を語らなければならない。真実に立たなければならない。我々は命を賭して、イエスをキリスト、神の子、福音と告白するのだ、そういう気概が籠ったフレーズということです。

 この1章1節、まだ終わりません。次回、マルコが「神の子」という語に込めた意味合いを、深掘りしていきたいと思います。


「神の子イエス・キリストの福音の初め」

光の教会【イースター説教】2025年4月20日分「永遠の命には、神様を感じる感受性が大切」

 

聖書本文 マルコ10:17-22

17イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」

18イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。

19『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」

20すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。

21イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

22その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。


説教本文

 今日は、キリストが復活されたことをお祝いする、教会の祝日です。

キリストが十字架にかかられて亡くなられた時、曜日で行くと金曜日となりますけれども、次の日曜日の朝に復活されたことになります。ですのでよく、「キリストは三日目に甦られた」などとも言われるわけです。

 今回は、キリストが甦られた時のお話ではなくして、「永遠の命」ということについて述べたいと思います。キリスト教では、キリストの復活も大事なことですが、「永遠の命」ということもこれと関連して、大切な事柄として挙げられています。

 では、その「永遠の命」とは一体なんでしょうか。それは、生きていることが永久に続くことではありません。それはもはや、果てしない苦しみです。永久と永遠は、違います。あるいは、輪廻転生して、私の前世はこうだったとか、次はこうなるとか、そういう風に続く命でもありません。全く違います。では、なんでしょう。

 大人の方も子供も含めて、特にキリスト教歴の長い方、簡単に説明できるでしょうか?

 まあ、色々と説明の仕方はあるでしょうけれども、一番簡単で、一番しっくりくるのはこうです。

 永遠の命とは、神様を信じて生きること。永遠の命とは、神様と一緒に生きること。言うなれば、永遠の命とは、神様の子供とされることです。

 神様の子供とされて、神様と一緒に歩む人生は、辛い時もありますが、最も幸せなこととされています。でも、物事には全て、始まりが、終わりがありますよね。万博に行って楽しくても、何かをして楽しくても、楽しい時には「終わり」というものが、つきものなのです。

 でも、神様の子供とされた幸せには、終わりがないのです。生きていても、そしていつか必ず死んでしまうとしても、その楽しさは終わらないのです。だから永遠の命とは、永久の命とは言わずに、永遠の命と呼びますし、それが「永遠」という言葉の意味になります。


 そしてまた、永遠の命の生き方というのは、特別なことをするわけでもありません。普通の生活です。寝る、起きる、ご飯、学校、仕事、趣味、遊び、寝る。以上。普通です。普通のことをするのです。

 ただ一つだけ、一つだけ、必要なことがあります。それは、神様が見守ってくださるのをいつも感じている、思っている。神様が一緒にいるのを、感じている、思っている。これがなければいけません。感受性というものが、とっても大事。

 きっとここで、懸命で熟練の大人の方は、「信仰が大事」と思われる方もあるでしょう。それはその通り。けれども、頑張って信仰信仰といっても、神様を感じられなかったら、それは自分に思い込みを植え付けようという自分の頑張りではないでしょうか。

 ですので、大人も、子供も、神様を感じる感受性を大事にしましょう。今日の聖書でのキリストの言葉、「持っている物を捨てなさい」というのは、豊かさでもって鈍ってしまっている感受性を取り戻しなさい、ということです。

 そうすると、「信仰が大事!」とこめかみに青筋立てて頑張ることも、感受性をかえって鈍らせてしまうことにもなりかねません。

 もっと、素直になること。もっと楽になること。そうして、我が心、我が身を委ねること。それが大事ですし、永遠の命に至る、近道となるでしょう。


【新宗教・新興宗教解説】立正佼成会 ー霊友会からの独立系 庭野日敬、長沼妙佼

 


ーーーレジュメーーー

【新宗教・新興宗教解説】立正佼成会


1 基本データ

系統:日蓮系統の新宗教。霊友会からの独立系

所在地:東京都杉並区


創始者:庭野日敬(にわのにっきょう、会長、教祖、庭野鹿蔵)

    長沼妙佼(ながぬまみょうこう、副会長、脇祖)

     長沼政(まさ)、元天理教徒、霊能力あり


後継者:現会長 庭野日鑛(にわのにちこう、1991年)

    次期会長 庭野光祥(にわのこうしょう)

     祖父:庭野日敬開祖、父:庭野日鑛会長


名称の変更:1938年、大日本立正交成会

      →1960年、立正佼成会


本尊:久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊

   (くおんじつじょうだいおんきょうしゅしゃかむにせそん)


「この世に実在し、真理を説いた釈尊の姿と、法華経に説かれている久遠の本仏を一体化し、目に見える形であらわしたものです。ご本尊に帰依することで、「万人が救われるように」という仏さまの願いを私たち自身の願いとしています」(公式HPより)


経典:法華三部経(ほっけさんぶきょう)

   三部 1 無量義経(むりょうぎきょう)

       妙法蓮華経に先立って釈迦が説いたもの

      2 妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう、法華経)

      3 仏説観普賢菩薩行法経(観普賢経)

      (かんふげんぼさつぎょうほうぎょう)

       妙法蓮華経の最終部を受けて説かれたもの


公称信徒数約:627万人(1996)、180万人(2023)、実質20万人?


関連事業

 株式会社 佼成出版社

 立花産業株式会社

 株式会社 佼成ライフプラン【事業終了】



2 教団の足跡

1938年、霊友会の新井支部副支部長の庭野日敬、および

 霊能者の長沼妙佼、霊友会から脱退

 約30名の同志と東京の中野にて大日本立正交成会を創設

1942年、本部を杉並区に移転。

1950年、機関誌『交成』創刊。


1947年、信徒1万世帯達成

1955年、信徒30万世帯

1952年、佼成病院を開院

 社会活動、平和活動を展開していく

1956年、『交成新聞』(佼成新聞)を創刊

1958年、庭野日敬、「真実顕現」の宣言

 法華経の解釈を中心とした教学の学びを重視

1962年、会員綱領制定

1964年、本部に大聖堂が落慶

1991年、法燈継承式

 庭野日敬:開祖、庭野日鑛:第二代会長とされる。


3 活動

・第二次大戦後に急成長し、一時は創価学会と並ぶように

・長沼妙佼の存命中は彼の霊能力による導きが活動の主体

・戦後の活動主体

  姓名鑑定

  法座 法座主を中心に数名が囲み、互いに語り合う集まり

     別名「佼成会のいのち」

     「先祖供養と心根性の切りかえ」

・長沼妙佼の存命中は、霊能力を用いた教えと活動中心

 逝去後、教学重視の方針へ




【新宗教・新興宗教解説】生長の家 初代総裁 谷口雅春

 


ーーーレジュメーーー

【新宗教・新興宗教解説】生長の家 初代総裁 谷口雅春


所在地:東京都渋谷区神宮前

総本山:長崎県西彼杵郡(にしそのぎぐん)の顕斎殿(けんさいでん)

系統:大本やニューソート、クリスチャン・サイエンスなどの

   影響を受けた神道系新宗教


創始者:谷口雅春(初代総裁)

後継者:第二代総裁 谷口清超(せいちょう)

    現総裁 谷口雅宣(まさのぶ)


法人化:1936年、教化団体に登録

    1941年、宗教団体法による宗教結社

    1952年、宗教法人法における宗教法人化


名称:1930年 生長の家

   1949年 生長の家教団

   1957年 生長の家


国内信徒数:34万人。海外:69万人。(公式HP、2021年時点)

 会費を収めている会員。

 但し、会合に参加するアクティブ会員は1割程度との情報。


機関誌:『精神科学』『理想世界』『白鳩』 (月刊) 

    「生長の家 白鳩会」婦人部的な組織

    読者層に対応させての多種

    文書布教のための株式会社「日本教文社」が戦後に設立


**2 谷口雅春と「生長の家」の足跡**

1893年、神戸市兵庫区(現・兵庫県八部(やたべ)郡)に生まれる


1919年、谷口雅春、大本(教)に入信

1922年、第一次大本事件後、脱会。

 *日本政府が大本に対して実施した弾圧、捜査、逮捕(出口王仁三郎他、幹部)


1922年以降、19世紀アメリカのニューソートやメンタルサイエンス、日本の心霊科学研究会から影響を受け、後の教義の着想を得る。

 *ニューソート、メンタルサイエンス =19世紀後半。思考が現実を実現する的な思想。引き寄せのルーツ。

  心霊科学研究会 =大正から昭和初期にかけての心霊現象の科学的解明

  

1929年、「今起て」との神の啓示を受ける。「生命の実相を知れ」「人間は神の子」「天地一切のものと和解せよ」などの啓示。

 実相:現象や見かけの背後に、唯一根本の実在、神が存在

   人間の物質界は仮の姿(「仮相」)、普遍の実在が「実相」


1930年、練っていた唯神実相哲学を元に、個人雑誌『生長の家』発刊。同年が教団の創立年となる。

1930年から1933年、「万教帰一の神示」(全ての宗教の根は同じ、共有)

     「大調和の神示」「無限供給の神示」を発表。

     『生長の家』の姉妹誌『生命の芸術』発刊。

1934年、本部を東京に移転。

1935年、『生命の教育』(教育活動推進系)発刊。

1936年、婦人組織の白鳩会を組織。

戦後の1945年以降、祖国再建を企図して生長の家社会事業団を設立。

 天皇制の護持、「君民同治」(君主と民の議会が共同統治)を主張。

1950年、聖典や月刊誌の頒布機関の「世界聖典普及協会」設立。

1956年、紀元節復活運動、明治憲法復元運動を展開。

     日本の神道的要素を尊重


1960年、京都府宇治市に別格本山宝蔵神社落慶。

1964年、政治結社「生長の家政治連合」が組織。

1964年、優生保護法改正運動を展開。生命尊重の立場を鮮明にする。

1971年、同山の山頂に神癒の社(しんいのやしろ)

    入龍宮幽斎殿落成 龍宮=実相 龍宮界に直入

1978年、長崎県に龍宮住吉本宮落慶。

      九州別格本山から総本山となる。

1983年、生長の家政治連合の停止の他、政治活動から手を引く。


 **3 宗教思想的変遷**

 実相における命は、まずブッダの教えに現れ、

 西欧ではカント、ヘーゲルに代表される観念論哲学、

 アメリカでラルフ・ウォルドー・エマソンの光明思想(神示重視)

 第2次世界大戦時、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を中心に

 戦後、一時はキリストを中心とするも、再び天皇系神道中心に。

 

 **4 教団の教師から聞くあれこれ**

・大本の分派であるが、クリスチャン・サイエンスの影響大。

 クリスチャン・サイエンス

・実相の神:唯神、唯一、絶対。一神教的。

 悪いことは、「心の影」が引き起こす。(現象は仮の相)

・降霊や霊系の教えは大本から継承したもの。現在はほぼ残存せず。

・対面での勧誘はわずか。本での伝道が推奨されている。

 理由:教義がよく伝わる。


【宗教学関連】リスト

【新宗教】









PL教団(動画)

天理教(動画)

世界救世教(動画)




【諸宗教】
マンダ教(動画)

【その他】


【その他の事項】
ーあ行ー

ーか行ー
クリスマスツリー (動画)       交霊会


ーさ行ー

ま行
マクドゥーガル(魂の重量計測)