2026年10月29日木曜日

1-2-1 キリスト教史解説(教会史)














キリスト教と歩んだ女子大学 創立の歴史とこれから──知名度順イッキ18校

 


キリスト教と歩んだ女子大学 ― 創立の歴史とこれから

知名度順イッキ18校 レジュメ


1. はじめに

  • 明治初期以降、来日したキリスト教宣教師が近代女子教育の発展に大きな役割を果たした
  • 女性が高等教育を受ける機会はごく限られていた
  • 宣教師と日本人キリスト者が各地に女子のための学校を創設した
    • 横浜・大阪の外国人居留地など、開港地から始まった学校も多い
  • 現在、少子化の中で、女子大学は共学化や募集停止という岐路に立っている

2. 18校の現在

現状校数該当校
女子大として継続12校聖心・津田塾・東京女子 ほか
学生募集停止2校恵泉女学園・京都ノートルダム
共学化済1校神戸松蔭
共学化予定3校平安女学院・広島女学院・仙台白百合

→ およそ3校に1校が転換点を迎えている

3. 創立の波 ― 源流となった学校の創立年代

年代学校
1870年代フェリス、神戸女学院、平安、同志社女子
1880年代白百合、東洋英和、福岡、宮城、清心(岡山)、広島
1890〜1900年代松蔭、津田、聖心
1910〜1930年代東京女子、恵泉、清泉
戦後京都ノートルダム
  • 明治前半(1870〜80年代)に宣教師による創立が集中
  • 明治後半〜昭和初期には、日本人教育者(津田梅子、河井道)や修道会による学校が加わる
  • ※仙台白百合は源流の創立年を扱っていない

4. 18校一覧

No.大学名系統源流大学開学現状
1聖心女子大学カトリック1908年 日本で教育開始(母体:聖心会、1800年仏で創立)1948年継続
2津田塾大学日本人創立者1900年 津田梅子が女子英学塾を創立1948年継続
3東京女子大学プロテスタント1918年 北米諸教派と日本側有志の協力で開学(初代学長:新渡戸稲造)1948年(新制)継続
4同志社女子大学プロテスタント1876年 京都に女子塾(新島八重、宣教師スタークウェザーら)1949年継続
5フェリス女学院大学プロテスタント1870年 宣教師メアリー・キダーが横浜で授業開始1965年継続
6神戸女学院大学プロテスタント1873年 宣教師の私塾(1875年 女学校開校)1948年継続
7白百合女子大学カトリック1878年 函館に修道院(1881年 東京・神田に学校)/シャルトル聖パウロ修道女会1965年継続
8ノートルダム清心女子大学カトリック1886年 私立岡山女学校(1924年 ナミュール・ノートルダム修道女会が来岡)1949年継続
9清泉女子大学カトリック1935年 清泉寮(1938年 清泉寮学院)/聖心侍女修道会1950年継続
10東洋英和女学院大学プロテスタント1884年 カナダ・メソジスト教会の宣教師カートメルが麻布で開校1989年継続
11恵泉女学園大学プロテスタント1929年 河井道が創立1988年募集停止(2024年度〜、閉学前提)
12宮城学院女子大学プロテスタント1886年 宮城女学校1949年継続
13福岡女学院大学プロテスタント1885年 宣教師が福岡英和女学校を創立1990年継続
14京都ノートルダム女子大学カトリック―1961年募集停止(2026年度〜)
15神戸松蔭大学(旧・神戸松蔭女子学院大学)日本聖公会1892年 松蔭女学校―共学化済(2025年4月)
16平安女学院大学日本聖公会1875年 大阪・川口居留地の「エディの学校」(1895年 京都へ)2000年共学化予定(2028年度)
17広島女学院大学プロテスタント1886年 広島女学会(1887年 英和女学校開校)1949年共学化予定(2027年4月)
18仙台白百合女子大学カトリック―(東北唯一の四年制カトリック大学)―共学化予定(2027年4月)

5. 岐路に立つ6校

大学変化時期
恵泉女学園大学学生募集停止(閉学前提)2024年度〜
神戸松蔭大学共学化・改称済2025年4月
京都ノートルダム女子大学学生募集停止2026年度〜
広島女学院大学共学化・「YIC学院大学」へ改称2027年4月
仙台白百合女子大学共学化・「仙台白百合大学」(予定)へ改称2027年4月
平安女学院大学共学化・「京都地域共創大学」(構想中)へ改称2028年度
  • 広島女学院大学は、2026年4月に運営母体が学校法人YIC学院へ引き継がれた

6. まとめ

  • 創立者はさまざま:宣教師、修道会、日本人教育者
  • 現在の道もさまざま:女子大として継続/募集停止/共学化
  • 形は変わっても、女性が学ぶ機会を広げようとした歴史は、各大学の教育理念として受け継がれている

読み方メモ:河井道(かわい みち)/京都地域共創大学(きょうと ちいき きょうそう だいがく)


2026年10月28日水曜日

【キリスト教入門・熟練者の学び直し講座】②旧約聖書の概要 ― 全体の見取り図

 


0. この解説の見取り図

旧約聖書は39の文書からなる大きな書物です。本解説では細部をいったん脇に置き、全体を一つの流れとしてたどります。

部内容範囲
第1部歴史の流れ創世記〜ネヘミヤ記
第2部預言者たち北王国/南王国/捕囚期/捕囚後
第3部主要年代の早見表前1020年頃〜前445年頃

全体を貫く一本の線:揺れ動く人間と、動かない神の誠実


1. 歴史の流れ

(1) 原初史(創世記1–11章)― 人間そのものの物語

  • 天地創造:神が世界と人間(男と女)を創造。人間は「神のかたち」に造られた(創1:26-27)
  • 堕罪と楽園追放:アダムとエバが禁じられた木の実を食べ、エデンの園から追放される(創3章)
  • カインとアベル:人類最初の兄弟殺し(創4章)
  • ノアの洪水:神による世界のリセット。洪水の後、神は二度と滅ぼさないと決意し、虹を契約のしるしとする(創8:21-22、9:8-17)
  • バベルの塔:天に届く塔を建てて名を上げようとする人間の傲慢。神は言葉を乱し、人々を全地に散らす(創11:1-9)

ポイント 洪水の後、人間は変わっていません。変わらない人間に対して、神の側が関わり方を決め直したのです。

(2) 族長物語(創世記12–50章)― 一つの家族の物語

  • アブラハムの召命:故郷を離れよという呼びかけと、祝福の約束(創12:1-3)
  • 祝福は最終的に「地上のすべての民族」に向かう。旧約全体を貫く大きな約束
  • 示された地カナンが、のちの「約束の地」となる
  • アブラハム → イサク → ヤコブ(=イスラエル)→ ヨセフ
  • ヤコブの12人の息子が、イスラエル十二部族の祖となる
  • 兄たちに売られたヨセフがエジプトで高い地位に就き、飢饉に苦しむ一族を救う。一族はエジプトへ移住する

ポイント 族長たちは模範的な人物ではありません。嘘をつき、だまし、争います。失敗を重ねる人間と、約束を取り下げない神。本解説のタイトルの構図が、ここで最もはっきり現れます。

(3) 出エジプトと荒野(出エジプト記〜申命記)

  • エジプトで奴隷となったイスラエルの民。モーセの登場
  • 過越を経て海を渡り、エジプトを脱出する ― イスラエルの信仰の原点
  • シナイ山で十戒と契約(出20章)
  • 契約を結んだそばから、金の子牛を拝む(出32章)
  • 40年の荒野の放浪。モーセは約束の地を目前にして世を去る(申34章)

(4) 約束の地へ(ヨシュア記・士師記)

  • モーセの後継者ヨシュアのもと、カナンに入る
  • 士師記に描かれる繰り返しのパターン:

背く → 圧迫される → 叫ぶ → 士師が立てられる → また背く

  • ギデオン、デボラ、サムソンらの士師によって、民はかろうじて存続する

(5) 王国時代(サムエル記・列王記・歴代誌)

  • 民は「ほかの国々のように」王を求める(サム上8章)。神が王であるという信仰から見れば、ある種の不信でもあった
  • サウル(前1020年頃)→ ダビデ(前1000年頃、エルサレムを都に)→ ソロモン(神殿建設)
  • ソロモンの死後、息子レハブアムの代に、王国は北イスラエルと南ユダに分裂(前930年頃/前922年説もあり)
  • 前722年、北イスラエル王国がアッシリア帝国により滅亡

(6) バビロン捕囚

  • 前597年、第1回捕囚
  • 前587/586年、新バビロニア帝国によりエルサレム陥落。神殿破壊、南ユダ王国滅亡
  • 約束の地・王・神殿をすべて失った民は、神との関係そのものを問い直すことになる
  • 旧約の多くの文書は、捕囚の経験のなかで、あるいはその後にまとめられたと考えられている

(7) 帰還と再建(エズラ記・ネヘミヤ記・エステル記)

年代出来事
前539年ペルシアのキュロス2世がバビロンを征服
前538年キュロスが捕囚民の帰還と神殿再建を許可(エズ1:1-4)
前515年預言者ハガイ・ゼカリヤに励まされ、第二神殿が完成
前5世紀前半エステル:ペルシアに残った離散ユダヤ人を救う(クセルクセス1世の時代)
前458年頃エズラが帰還し、律法に基づく共同体を再建
前445年頃ネヘミヤがエルサレムの城壁を再建

2. 預言者たち

預言者とは:神の言葉を「預かる」者。未来を言い当てる「予言者」ではありません。民が神から離れるとき、弱い者が踏みにじられるとき、国が滅びに向かうとき、歴史の節目ごとに現れて、王や民に語りました。

※ 年代は生没年ではなく、活動時期の目安です。

(1) 北イスラエル王国で活動

預言者活動時期要点
エリヤ前870–850年頃アハブ王の時代。カルメル山でバアルの預言者と対決(王上18章)
エリシャ前850–800年頃エリヤの後継者
ヨナ前780–750年頃ヤロブアム2世の時代(王下14:25)。ニネベへ派遣される
アモス前760–750年頃南ユダのテコア出身で、北で預言。社会の不正を告発
ホセア前750–725年頃北王国滅亡の直前まで、神の変わらない愛を語る

(2) 南ユダ王国で活動

預言者活動時期要点
イザヤ前740–700年頃40章以降は捕囚期以降の別の預言者とする説が有力
ミカ前740–700年頃イザヤと同時代。「公正を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩む」(ミカ6:8)
ナホム前660–612年頃ニネベの陥落(前612年)を預言
ゼファニヤ前630–620年頃ヨシヤ王の時代
エレミヤ前627–585年頃エルサレム陥落を経験。「新しい契約」を語る(エレ31:31-34)
ハバクク前610–600年頃新バビロニアの台頭期。「正しい人は信仰によって生きる」(ハバ2:4)
ヨエル年代不詳前9世紀説から前400年頃説まで幅がある

(3) 捕囚期

預言者活動時期要点
エゼキエル前593–571年頃第1回捕囚でバビロンへ。捕囚民の中で活動。枯れた骨の幻(エゼ37章)
オバデヤ前586年以降エルサレム陥落時のエドムの行動を非難
ダニエル舞台:前605–536年頃成立は前2世紀とするのが通説。ヘブライ語聖書では「諸書」に分類

(4) 捕囚後(帰還後)

預言者活動時期要点
ハガイ前520年神殿再建を急ぐよう励ます。預言の日付はすべてこの年
ゼカリヤ前520–518年頃ハガイと同時期。9–14章は後代とする説あり
マラキ前460–430年頃エズラ・ネヘミヤとほぼ同時代。キリスト教の旧約聖書では最後に置かれる

3. 主要年代の早見表

年代出来事
前1020年頃サウル王即位、王制の成立
前1000年頃ダビデ王、エルサレムを都とする
前930年頃ソロモンの死、王国の南北分裂
前722年北イスラエル王国滅亡(アッシリア)
前597年第1回バビロン捕囚
前587/586年エルサレム陥落、南ユダ王国滅亡
前539年キュロス2世、バビロンを征服
前538年捕囚民の帰還許可
前515年第二神殿の完成
前445年頃ネヘミヤによる城壁再建

必ず覚えたい三つの節目 前722年(北王国滅亡)/前587年(南王国滅亡)/前538年(帰還許可)


4. よくある誤解 ― 確認チェックリスト

よくある誤解正確な理解
バベルの塔は神に破壊された塔の破壊は記されていない。神は言葉を乱し、人々を散らした。建設はそこで途絶えた
王国はソロモンの時代に分裂した分裂はソロモンの死後、息子レハブアムの代
エステルは捕囚期の人物である舞台はペルシア時代(クセルクセス1世、前5世紀前半)。帰還許可の後も、ペルシアに残った離散ユダヤ人の物語
キュロスは前537年にバビロンを滅ぼしたバビロン征服は前539年、帰還許可は前538年
帰還後、首都を再建し、それから神殿を再建した神殿の完成(前515年)→ エズラ(前458年頃)→ ネヘミヤの城壁再建(前445年頃)の順
預言者の年代は生没年である生没年はほとんど分からない。示されるのは活動時期の目安
アモスは北王国の人である南ユダのテコア出身で、北に出向いて預言した
ダニエルは南ユダの預言者である物語の舞台は捕囚期、成立は前2世紀とするのが通説。ヘブライ語聖書では預言書ではなく「諸書」
「預言」と「予言」は同じ預言とは神の言葉を「預かる」こと。未来を言い当てることが本質ではない

5. まとめと復習の問い

  1. 人間は何度も神から離れる。 堕罪から始まり、荒野で、約束の地で、王国の時代に。旧約聖書は人間の失敗の歴史を隠さずに描く。
  2. それでも神は約束を捨てない。 アブラハムへの約束は、洪水の後も捕囚の後も取り下げられなかった。これが「揺れ動く人間と、動かない神の誠実」の意味である。
  3. 預言者は歴史の節目に語った。 彼らの言葉は、それぞれの時代の出来事と重ねて読むとき、はじめて本当の重みを持つ。

復習のための問い

  • 問1 洪水物語の前後(創6:5-7と8:21-22)で、神の人間への関わり方はどう変わっているか。人間の側に変化はあったか。
  • 問2 士師記に繰り返し現れるパターンを四つの段階で説明せよ。
  • 問3 前722年、前587/586年、前538年は、それぞれ何が起きた年か。
  • 問4 エステル記の舞台はいつ、どこか。「捕囚期の物語」という説明のどこが不正確か。
  • 問5 「預言者」と「予言者」の違いを説明せよ。

主要な聖書箇所

創1:26-27/3章/4:1-16/6:5-7/8:21-22/9:8-17/11:1-9/12:1-3/32:29/37–50章 | 出20:1-17/32章 | 民14:33-34 | 申5:6-21/34章 | 士2:11-19 | サム上8:5, 20 | 王上12章/18章 | 王下14:25/17:6/24:10-16/25:1-21 | エズ1:1-4/6:14-15 | エレ31:31-34 | エゼ37:1-14 | ミカ6:8 | ハバ2:4

【キリスト教入門・熟練者の学び直し講座】③天地の創造

 


  • テキスト:創世記 1章1節〜2章3節(新共同訳)

今日のねらい

  1. 六日間の創造に込められた構造をつかむ。
  2. この記事が捕囚の民に語られた言葉であることを知る。
  3. すべての人が**「神のかたち」**に造られた意味を考える。

1. 読む前に

  • 科学の教科書ではない:この記事は、世界が「どのように」できたかではなく、「誰が」「何のために」造ったかを語る信仰告白です。
  • 成立背景:バビロン捕囚(前6世紀)。国と神殿を失った民が、天体を神々とあがめる国と、その神話(エヌマ・エリシュ)の中で告白した信仰です。

2. 六日間の構造

前半三日で「場」を造り、後半三日でそこを「満たす」構成になっています。

「場」を造る(形を与える)そこを「満たす」(空しさを満たす)
第一の日 光第四の日 光る物(太陽・月・星)
第二の日 大空と水第五の日 鳥と水の生き物
第三の日 陸地と植物第六の日 動物と人
第七の日 安息

1:2の「混沌」の原語はトーフー・ワ・ボーフー(形なく、空しい)です。前半三日で形を与え、後半三日で満たすことが、この混沌への応答になっています。

3. 前半三日:混沌に形が与えられる

1:1-2 始まりは混沌と闇

地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

  • 「深淵」は、地を覆う原始の大水です。古代人にとって、海は魔物の住む未知の世界でした。
  • 本文は「無から」とは明言せず、混沌と闇に秩序(コスモス)が与えられる様を描いています。
    • ※「無からの創造」は後に確立した教理です(二マカバイ7:28、ロマ4:17、ヘブライ11:3)。

1:3 言葉による創造

神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

  • バビロニア神話では、神々の戦いで世界ができます。聖書では、神の言葉だけで世界が成ります(ヨハネ1:1-3)。
  • 闇と混沌は不条理と絶望の象徴、光は神の秩序と希望の象徴と読めます。捕囚の民にとって、闇は自分たちの現実でした。

1:4-5 第一の日:夜から朝へ

夕べがあり、朝があった。第一の日である。

  • 朝から夜へではなく、夜から朝へ進みます。絶望から希望へ、という流れです。
  • ユダヤの一日は日没から始まります。闇も「夜」と名づけられ、神の秩序の中に置かれます。

1:6-8 第二の日:大空が水を分ける

  • 大空が上の水と下の水を分けるのは、古代の人々が思い描いた宇宙の姿です。

1:9-13 第三の日:陸地と植物

  • 水が集められて海と陸ができ、陸に草と果樹が芽生えます。これで「場」が整います。
  • 聖書が「生き物」と呼ぶのは第五の日からで、植物は含まれません。植物は生き物を養う備えです。

4. 後半三日:場が満たされる

1:14-19 第四の日:太陽も月も神ではない

神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。

  • 本文は「太陽」「月」と呼ばず、**「光る物」**と呼んでいます。
  • バビロンでは天体は神々でした。聖書では、季節や日や年を知らせる被造物にすぎません。

1:20-23 第五の日:怪物さえも祝福される

  • 水の生き物と鳥が造られます。「大きな怪物」(レビヤタン、ラハブなど)も含まれます。
  • 神話では神と戦う怪物も、ここでは神の被造物です。
  • 「産めよ、増えよ」は、聖書で最初の祝福です。

1:24-25 第六の日:陸の動物

  • 家畜、這うもの、地の獣が造られます。
  • 「這うもの」は、爬虫類・虫・小動物など、地を這う生き物全般です。蛇もここに含まれます。

5. 人間の創造

1:26 「我々」とは誰か

我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。

主な説明は次の三つです。

  1. 天上の会議(御使いたち)への呼びかけ
  2. 熟慮の複数(「さあ、造ろう」)
  3. 三位一体の暗示(後のキリスト教による読み方)

1:27 すべての人が「神のかたち」

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

  • 古代では、王だけが「神の像」とされました。
  • 聖書では、男も女も、すべての人が神のかたちです。これが人間の尊厳の根拠になります。
  • 「男と女」は拘束事項ではなく、基本デザインと読みたいところです(解釈は分かれます)。

1:28-30 「支配せよ」の意味

産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。

  • 「支配せよ」「従わせよ」は、原語でも強い言葉です。
  • 神のかたちとして、神に代わって世話し、管理する務めと読むことができます(2:15「耕し、守る」)。
  • 29-30節では、人にも動物にも食物は植物です。ここでの「支配」は、殺して食べることを含みません。
  • 日本でよく言われる「自然との共生」とは、発想の出発点が違います。

6. 極めて良かった、そして安息

1:31 神の全肯定

見よ、それは極めて良かった。

  • それまでの「良し」に対して、最後は「極めて良かった」と言われます。造られた世界への全面的な肯定です。

2:1-3 第七の日:創造の頂点は安息

第七の日を神は祝福し、聖別された。

  • 創造の頂点は、人間ではなく安息です。
  • 第七の日だけ、「夕べがあり、朝があった」の結びがありません。
  • 安息日の由来です(出エジプト20:11)。期間は金曜の日没から土曜の日没までです。
  • 神殿を失った捕囚の民にとって、安息日は「時間の中の聖所」でした。

まとめ:絶望から、希望へ

  • 神は、混沌に秩序を与え、空しいところを満たされます。
  • すべての人は、「神のかたち」に造られた尊い存在です。
  • 世界は「極めて良かった」と肯定されています。
  • 創造の頂点は、安息です。

参考:関連聖句

事項箇所
無からの創造二マカバイ7:28、ロマ4:17、ヘブライ11:3
言葉による創造ヨハネ1:1-3
海の怪物イザヤ27:1、詩編74:13-14(レビヤタン)
耕し、守る創世記2:15
安息日の根拠出エジプト20:11(創造)、申命記5:15(出エジプトの解放)

【キリスト教史解説】ルターの宗教改革三大文書(1520年)

 


0. 背景

  • 1520年6月15日 教皇レオ10世が勅書『エクスルゲ・ドミネ』(Exsurge Domine)を発布
    • ルターに教説の撤回を要求し、従わなければ破門すると警告
  • 三大文書は、この緊迫した状況のなかで相次いで刊行された
著作刊行言語主な読者
①『ドイツのキリスト者貴族に与える書』1520年8月ドイツ語世俗の諸侯・貴族
②『教会のバビロン捕囚について』1520年10月ラテン語神学者
③『キリスト者の自由』1520年11月ドイツ語・ラテン語一般のキリスト者

1. 『ドイツのキリスト者貴族に与える書』(1520年8月)

原題:An den christlichen Adel deutscher Nation von des christlichen Standes Besserung

改革を阻む「三つの城壁」

  1. 霊的権力が世俗権力に優越するという主張
    • 聖職者は本質的に世俗の権力者より上位にあるとする
  2. 聖書解釈権の独占
    • 聖書を正しく解釈できるのは教皇だけだとする
  3. 公会議招集権の独占
    • 公会議を招集できるのは教皇だけだとする
    • そのため、教皇自身を正すための公会議が開かれない

城壁を崩す根拠:万人祭司

  • 洗礼を受けたキリスト者は皆、霊的な身分において等しく祭司である
  • したがって、世俗の諸侯や貴族も教会改革の担い手となるべきである

→ 教会制度と政治権力の関係を問い直した、宗教改革の「改革綱領」


2. 『教会のバビロン捕囚について』(1520年10月)

原題:De captivitate Babylonica ecclesiae praeludium

題名の意味

  • 旧約のバビロン捕囚になぞらえた比喩
  • 教会の秘跡(とくに聖餐)が、教皇権・ローマ教皇庁のもとで本来の姿から引き離され、囚われているという意味
  • ※1520年の時点では、まだ「カトリック対プロテスタント」という構図はない
  • ※中世の「教皇のバビロン捕囚」(アヴィニョン教皇庁、1309〜1377年)の言い方を逆転させている

秘跡の再検討

  • 中世の七秘跡:洗礼・堅信・聖餐・悔悛・終油・叙階・婚姻
  • 著作の冒頭:洗礼・悔悛・聖餐の三つを挙げる
  • 議論の過程:悔悛を独立した秘跡とすることに疑問を示す
  • 最終的な立場:洗礼と聖餐が中心

聖餐の「三重の捕囚」

  1. 一種陪餐:信徒にはパンだけを与え、杯を与えない慣行
  2. 化体説:パンとぶどう酒の実体がキリストの体と血の実体に変わるとする、アリストテレス哲学に基づく説明
    • ※ルターはキリストの現臨そのものは否定していない
    • 現臨を認めたうえで、パンとぶどう酒もそのまま残ると考えた
  3. ミサの犠牲的・功績的理解:ミサを人間が神に差し出す善行・犠牲とみなす理解
    • ルターにとってミサは、神の約束を信仰によって受け取るもの

→ 秘跡制度とミサ理解を根底から問い直した、三文書のなかで最も急進的な文書


3. 『キリスト者の自由』(1520年11月)

原題:Von der Freiheit eines Christenmenschen(ラテン語版:Tractatus de libertate christiana)

  • ラテン語版:教皇レオ10世への公開書簡を添えて教皇に献呈
  • ドイツ語版:ツヴィッカウの市長ヘルマン・ミュールプフォルトに献呈

冒頭の二つの命題

キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、誰にも服さない。

キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、誰にでも服する。

信仰と愛による説明

神 ──(信仰:恵みを受け取る)──▶ キリスト者 ──(愛:仕える)──▶ 隣人
  • 信仰において自由:救いは行いではなく信仰によって受け取るので、救いを得るために功績や外的な制度に縛られない
  • 愛において僕:信仰によって自由にされた者は、自分のためだけでなく、隣人に仕えて生きる

→ 信仰義認・キリスト者の自由・隣人への奉仕を一つに結びつけた、ルター神学の代表的文書


4. 三大文書の比較と意義

著作主題
① 貴族に与える書教会権威の構造を批判し、社会的・政治的改革を呼びかける
② バビロン捕囚秘跡制度とミサ理解を神学的に問い直す
③ キリスト者の自由信仰による自由と、愛による隣人への奉仕を示す

展開: 制度の批判 → 秘跡の再検討 → 信仰生活の積極的な提示


5. その後の展開

年月日出来事
1520年12月10日『エクスルゲ・ドミネ』を教会法の書物などとともに焼き捨てる
1521年1月3日勅書『デチェト・ロマヌム・ポンティフィケム』(Decet Romanum Pontificem)により正式に破門
1521年4月ヴォルムス帝国議会に召喚され、著作の撤回を拒否

まとめ

  • 1520年、ルターの改革思想が明確な形をとった
  • 教会制度・秘跡・信仰生活の三方向から、改革の理念が示された
  • 同時に、ローマ教会との決定的な決裂へ向かう転換点となった

【キリスト教史解説】アルミニウス主義(Arminianism)

 

レジュメ


0. 概要

  • オランダの改革派神学者ヤコブス・アルミニウス(1559/60–1609)の神学に由来する、プロテスタントの神学的立場
  • 神の予定と選び、人間の信仰、神の恩恵の関係をめぐり、カルヴァン主義の厳格な予定説解釈(とくにベザらの堕落前予定説)に異議を唱えた
  • 改革派の外からの批判ではなく、改革派内部の論争である

1. アルミニウスとゴマルスの論争

  • 1603年 フランシスクス・ユニウスの後任として、ライデン大学神学教授に就任
  • 同僚フランシスクス・ゴマルス(1563–1641)と、神の選びと人間の信仰の関係をめぐって論争
  • 1609年 アルミニウス没 → 論争は支持者たちに引き継がれる
ゴマルス側アルミニウス側
立場厳格な予定説(堕落前予定説)恩恵と人間の応答の関係を重視
選び神の定めが信仰に先立つ予知された信仰と結びつく
恩恵抵抗できない人間は拒むことができる

※ アルミニウスも、救いが神の恩恵によることは否定していない。

2. 「抗議書」(Remonstrance, 1610年)

  • 提出先:ホラント州議会
  • 起草:ヨハネス・ウイテンボハールト/署名:40名余りの牧師
  • 文書名から「レモンストラント派(Remonstrants)」と呼ばれる

抗議書の5つの論点

  1. 選び:神の選びは、あらかじめ知られた信仰と結びつく
  2. 贖罪:キリストの死はすべての人のため(贖罪の普遍性)
  3. 恩恵:堕落した人間が善をなすには、神の恩恵が不可欠
  4. 抵抗:恩恵には抵抗しうる
  5. 堅忍:否定はせず、聖書に基づくさらなる検討が必要として結論を保留

基本的な特徴:救いは神の恩恵による。しかし、人間の信仰的応答も重んじる。

3. 神学論争から政治対立へ

  • 1611年 反レモンストラント派が、ハーグ会談で「反抗議書」(Counter-Remonstrance)を提出
  • 神学的対立が、オランダ共和国の権力闘争・教会と国家の関係をめぐる対立と結びつく
    • ホラント州法律顧問 オルデンバルネフェルト:レモンストラント派を擁護
    • 総督 マウリッツ:反レモンストラント派を支持
  • マウリッツが実権を握る → 1619年、オルデンバルネフェルト処刑、フーゴー・グロティウス投獄

4. ドルト教会会議(1618–1619年)

  • レモンストラント派の教説を退け、改革派正統主義の立場から予定と救いの教理を定式化
  • 指導者シモン・エピスコピウスらは、正式な議員ではなく被召喚者として出席
  • 1619年1月、退場を命じられる
  • 会議後:牧師約200人が罷免、うち約80人が国外追放

5. レモンストラント派のその後

  • 1619年 亡命先のアントウェルペンでレモンストラント兄弟団を結成
  • 1625年 マウリッツ没 → 活動が次第に黙認される
  • 1634年 アムステルダムに神学校を開設 → 独自の教会共同体として存続
  • 1795年 バタヴィア革命 → 改革派教会の特権的地位の否定、諸宗派の法的平等へ
  • 1796年 政教分離の宣言

6. 後世への影響

  • 17世紀イングランド:ロード派の国教会聖職者、一般バプテストにアルミニウス主義的傾向
  • 18世紀 メソジスト運動:ジョン・ウェスレーは「先行的恩恵」と人間の応答を重視し、アルミニウス主義と深い親和性を示した
    • 1778年 ウェスレーが『アルミニアン・マガジン』を創刊

7. ソッツィーニ主義との関係(注意点)

  • 17世紀、レモンストラント派と反三位一体派(ソッツィーニ主義など)との間に思想的交流があった
  • そのため「ソッツィーニ主義者」との非難をしばしば受けた
  • しかし、アルミニウス自身・初期の抗議書は三位一体論を否定していない → 両者は区別して理解する

8. 年表

年出来事
1603アルミニウス、ライデン大学神学教授に就任
1609アルミニウス没
1610「抗議書」をホラント州議会に提出
1611ハーグ会談で「反抗議書」提出
1618–19ドルト教会会議
1619オルデンバルネフェルト処刑/レモンストラント兄弟団結成
1625マウリッツ没
1634アムステルダムに神学校開設
1778ウェスレー『アルミニアン・マガジン』創刊
1795バタヴィア革命
1796政教分離の宣言

9. まとめ

  1. 改革派内部の、予定説をめぐる論争から生まれた
  2. 恩恵を前提としつつ、人間の信仰的応答を重視する
  3. ドルト教会会議で退けられたが、独自の教会共同体として存続した
  4. イングランドの諸潮流やメソジスト運動など、後世に大きな影響を与えた

2026年10月26日月曜日

東北学院大学 創立の歴史 ― 日本人による牧師養成の私塾をという信念から ―






1. はじめに

  • 東北学院大学:仙台に本部を置く、東北最大規模の私立総合大学
  • 出発点は 1886年(明治19年)、学生 6名 の小さな私塾「仙台神学校」
  • 東北学院の 三校祖(さんこうそ)
    • 押川方義(おしかわ まさよし)― 日本人伝道者、初代院長
    • W・E・ホーイ ― 米国の宣教師、共に創立
    • D・B・シュネーダー ― 米国の宣教師、第二代院長

2. 押川方義と東北伝道

  • 伊予・松山藩の出身
  • 1872年 横浜で宣教師J・H・バラから受洗
    • 日本最初のプロテスタント教会「日本基督公会」(現・横浜海岸教会)の創立に参加
    • 本多庸一(ほんだ よういつ)、井深梶之助らと「横浜バンド」を形成
  • 1875年 新潟で宣教師の医療伝道を助ける
  • 1880年 吉田亀太郎(よしだ かめたろう)とともに仙台で伝道を開始
  • 1881年 仙台日本基督教会(現・仙台東一番丁教会)が誕生
  • 山形・米沢など東北各地に教会の基礎を築く
  • 押川の願い:日本人自身が伝道を担えるよう、日本人の牧師を育てる学校をつくること

3. 横浜でのホーイとの出会い

  • 1885年12月 押川、来日したばかりの宣教師W・E・ホーイと横浜で出会う
  • ホーイ
    • 1858年、ペンシルベニア州生まれ
    • フランクリン・アンド・マーシャル大学、ランカスター神学校で学ぶ
    • 派遣元:米国ドイツ改革派教会(のちに合同キリスト教会〈UCC〉を構成する流れの一つ)
  • 宗教改革(ルター・カルヴァン)の伝統 → 東北学院の建学の精神「福音主義キリスト教」へ
  • 北日本伝道の熱意で「肝胆相照らす(かんたん あいてらす)」間柄に
  • ホーイは仙台赴任と協力を約束

4. 仙台神学校の開校(1886年)

  • 1886年春 仙台神学校を開設 = 東北学院の創立
    • 院長:押川方義/副院長:ホーイ
    • 学生6名、借家の小さな私塾から出発
    • 目的:牧師・伝道者の養成
    • 創立記念日:5月15日
  • 1886年秋 宮城女学校(現・宮城学院)も設立 → 同じ年に生まれた「兄弟校」

5. シュネーダーの来日と「東北学院」への改称

  • 1887年暮れ D・B・シュネーダー夫妻が来日(同じ米国ドイツ改革派教会から)
  • 1888年 仙台神学校で教え始める → 三校祖がそろう
  • 1891年 校名を 「東北学院」(North Japan College)に改称
    • 伝道者志望の学生だけでなく、広く一般の青年に門戸を開く
    • 普通科を設置、英語教育を軸に東北一円から若者が集まる
    • 南町通り(みなみまちどおり)に「赤レンガ校舎」が完成
  • 1896年 島崎藤村が作文教師として赴任
  • 三校祖のその後
    • 1900年 ホーイ、中国伝道へ(湖南地方で25年活動)
    • 1901年 押川、ミッションとの対立から学院を去り、のちに政界・実業界へ
    • 1901〜1936年 シュネーダー、第二代院長として35年間学院を率いる(「東北学院中興の祖」)
  • 三校祖の役割(たとえ)
    • 押川:火をつけた人
    • ホーイ:ともに火をおこした人
    • シュネーダー:火を長く守り育てた人

6. 苦難の時代と新制大学

  • 大正〜昭和初期:卒業生1000名超、教育・伝道・官界(かんかい)・実業界で活躍
    • 杉山元治郎(すぎやま もとじろう):日本農民組合の創設に関与
    • 鈴木義男(すずき よしお):日本社会党の結成に関与
  • 1930年代 世界恐慌で母教会も財政難、援助が4割減 → 学院は自立へ
  • 1936年 創立50周年、80歳のシュネーダーの説教「我は福音を恥とせず」(ローマ1:16)をNHKが全国放送
  • 1937年 神学部が東京の日本神学校と合同し、その歴史を閉じる
  • 太平洋戦争期 学生・教職員の動員、校舎・礼拝堂の軍による接収
  • 1945年7月10日 仙台空襲で専門部・中学部の建物が焼失・損壊
  • 1949年 新制大学「東北学院大学」誕生
    • 文経学部(英文学科・経済学科)で出発
    • 初代学長:小田忠夫(おだ ただお)
  • 1962年 多賀城(たがじょう)に工学部を設置
  • 1965年 法学部を設置

7. 建学の精神と LIFE LIGHT LOVE

  • 建学の精神
    • 福音主義キリスト教の信仰に基づく「個人の尊厳の重視」と「人格の完成」
    • 神への畏れ、キリストにならう隣人愛
    • 文化の発展と社会の福祉に貢献する人材の育成
  • スクールモットー「LIFE LIGHT LOVE」
    • 1919年の仙台大火で中学部校舎が全焼
    • 1922年に再建された校舎の正面入口の上に、シュネーダーが選んだ三つの言葉を刻む
    • シュネーダーの説教題「生命、光明、愛(せいめい、こうみょう、あい)」

8. 年表

年出来事
1872押川方義、横浜でバラから受洗
1880押川、仙台で伝道開始
1885押川とホーイ、横浜で出会う
1886仙台神学校開校(東北学院の創立)、宮城女学校設立
1887シュネーダー夫妻来日
1891「東北学院」と改称、赤レンガ校舎完成
1896島崎藤村、作文教師として赴任
1900ホーイ、中国伝道へ
1901押川辞任、シュネーダー第二代院長に
1919仙台大火で中学部校舎焼失
1922中学部校舎再建(LIFE LIGHT LOVE を刻む)
1936創立50周年、説教「我は福音を恥とせず」
1937神学部、日本神学校と合同
1945仙台空襲で校舎焼失・損壊
1949東北学院大学(新制大学)誕生
1962工学部設置(多賀城)
1965法学部設置

参考資料

  • 東北学院大学図書館「押川方義」「D.B.シュネーダー」
  • 学校法人東北学院「東北学院の100年」(仙台大火 中学部の焼失と再建/第Ⅳ章 我は福音を恥とせず)
  • 東北学院大学 法学部シラバス総説(学院の歴史・建学の精神)
  • 東北学院大学の基本方針2017
  • 日本基督教団 教団新報(東北学院とホーイ)

ボンヘッファーとヒトラー暗殺計画─学術的考察


 


レジュメ


1. 問題の所在

  • ボンヘッファーは、しばしば「ヒトラー暗殺計画に加わった牧師」として紹介される。
  • そこから生まれる定番の問いが、「平和主義の牧師が、なぜ暗殺に加担したのか」である。
  • しかし「暗殺への同意」には段階がある。本レジュメでは、次の4つを区別して検討する。
段階問い
① 知っていた暗殺を含む計画を知る立場にいたか
② 協力した抵抗運動に手を貸したか
③ 承認した暗殺を道徳的に是認したか
④ 実行した実行計画に直接加わったか

2. 略年表

年月出来事
1906年ブレスラウに生まれる
1935–37年フィンケンヴァルデで告白教会の牧師候補生を指導
1937年『キリストに従う』刊行
1940年国防軍防諜部(アプヴェーア)の協力者となる
1942年5–6月シグトゥーナ(スウェーデン)でベル主教と会談
1942年末「十年後に」を執筆
1943年4月5日逮捕、テーゲル刑務所に収監
1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂事件(ボンヘッファーは既に獄中)
1944年9月ツォッセン文書の発見により陰謀への関与が露見
1945年4月9日フロッセンビュルク強制収容所で処刑

3. 抵抗運動への関与

(1) 防諜部への参加(1940年〜)

  • 義兄ハンス・フォン・ドナーニの仲介で、防諜部の民間協力者となる。
  • 防諜部は、カナーリス、オスターらを中心とする抵抗派の拠点の一つであった。
  • 名目上の「諜報員」として兵役を免れ、国外に出ることも可能になった。
  • 留意点:防諜部への参加が、そのまま暗殺計画への参加を意味するわけではない。

(2) シグトゥーナ会談(1942年)

  • 英国国教会のジョージ・ベル主教に、国内の反ヒトラー勢力の存在を伝えた。
  • 政権転覆後の和平の可能性について、英国政府への打診を依頼した。英国政府は応じなかった。
  • 留意点:交渉の目的は、暗殺そのものよりも、政権転覆後の政治的・外交的な見通しにあった。

4. 逮捕の理由(1943年)

  • 「作戦7」:ユダヤ人をスイスへ逃がした際の資金をめぐる、外貨法違反の嫌疑。
  • 防諜部を通じた兵役免除が「国防力破壊」にあたるという嫌疑。
  • 逮捕の理由は、暗殺計画ではなかった。 陰謀への関与は、1944年9月のツォッセン文書の発見で露見した。

5. 暗殺をめぐる証言と史料

(1) ヘフテンの問い

  • 1942年ごろ、のちにシュタウフェンベルクの副官となる将校ヘフテンが、「撃つべきか」と相談した。
  • ボンヘッファーは、撃つだけでは何も変わらず、政権の転換が伴わなければならない、と指摘したとされる。また、決断は本人が負うべきものだと応じたと伝えられる。
  • 史料上の注意:主な出典は、教え子ツィンマーマンの戦後の回想である。会話の時期にも異説がある。

(2) 「狂った運転手」の比喩

  • 暗殺を正当化した言葉として広く引用される。しかし、この形での典拠ははっきりしない。
  • 近い表現として、1933年の論文「ユダヤ人問題を前にした教会」にある「車輪」の比喩が知られる。ただし、これは国家に対する教会の責任を論じたもので、暗殺を論じたものではない。
  • 本人の言葉として断定的に引用することは避けるべきである。

(3) 本人の同時代テキスト

  • 「十年後に」(1942年末):抵抗の仲間に宛てて「責任ある行為」を論じた文章。回想ではなく、同時代の一次資料である。
  • 『倫理』(1940–43年執筆、未完):「罪の引き受け」を論じる。暗殺への参与を支える神学的枠組みとして読まれてきたが、暗殺を直接論じてはいない。両者を結びつけるのは解釈である。

6. 研究史:通説と異論

通説(研究の大勢)異論(少数説)
主張計画を知り、支持していた証拠の多くは戦後の回想に依存している
代表ベートゲの伝記(1967)、マーシュら後続の伝記作家Nation ほか Bonhoeffer the Assassin?(2013)
強調点「責任ある行為」としての抵抗平和主義の連続性
  • 異論は、史料の性格を問い直した点で重要な問題提起である。ただし、通説を覆したとまでは言えない。

7. 大衆的イメージ:2024年の映画をめぐって

  • 米国映画 Bonhoeffer: Pastor. Spy. Assassin.(2024)は、彼を「暗殺者」として描いた。これに対し、親族や研究者から批判が出た。
  • 次の二つの問題を区別する必要がある。
    • 史実の問題:彼は暗殺計画にどこまで関与したか。
    • 表現の問題:銃を手にした暗殺者として描くことは妥当か。
  • 表現への批判は、関与がなかったことの証明にはならない。

8. 結論

段階評価根拠
① 知っていたほぼ確実防諜部の中枢と近い関係にあった
② 協力した確実国外との連絡役、ベル主教との会談
③ 承認した有力だが異論あり根拠の多くは周辺者の回想
④ 実行した証拠なし実行計画への直接の関与は確認されない

抵抗運動への参加は事実として語ってよい。暗殺の承認は、解釈の問題として示すべきである。

9. 考察のための問い

  1. 「平和主義者がなぜ暗殺に加担したのか」という問いは、そもそも適切な問いか。
  2. 戦後の回想と同時代の史料を、どのように区別して扱うべきか。
  3. ボンヘッファーの言う「責任ある行為」とは何だったのか。

文献

邦文文献

  • エーバーハルト・ベートゲ『ボンヘッファー伝』全4巻、村上伸・雨宮栄一・森野善右衛門訳、新教出版社、1973–1974年(Eberhard Bethge, Dietrich Bonhoeffer: Theologe – Christ – Zeitgenosse, München: Chr. Kaiser, 1967)。
  • ディートリヒ・ボンヘッファー『ボンヘッファー獄中書簡集――抵抗と信従』村上伸訳、新教出版社、1988年(Dietrich Bonhoeffer, Widerstand und Ergebung)。「十年後に」所収。

欧文文献

  • Bonhoeffer, Dietrich. Konspiration und Haft 1940–1945. Hg. von Jørgen Glenthøj, Ulrich Kabitz und Wolf Krötke. Dietrich Bonhoeffer Werke 16. Gütersloh: Chr. Kaiser/Gütersloher Verlagshaus, 1996.
  • Marsh, Charles. Strange Glory: A Life of Dietrich Bonhoeffer. New York: Alfred A. Knopf, 2014.
  • Nation, Mark Thiessen, Anthony G. Siegrist, and Daniel P. Umbel. Bonhoeffer the Assassin? Challenging the Myth, Recovering His Call to Peacemaking. Grand Rapids, MI: Baker Academic, 2013.


宗教学講義⑤ 宗教における超越存在 ― 神・法・ロゴス・マナ

 



この講義のねらい

宗教は必ずしも「神」を中心とするわけではありません。本講義では、諸宗教が究極的なものをどのような存在・原理・力として理解しているかを、二つの軸から比較します。

キーワード:実在観/超越存在/人格神と非人格的原理/一神教・二元論・多神教/有相と無相/三位一体/マナ/ロゴス/ブラフマン/ダルマ

序 実在観と超越存在

(1) 用語

  • 実在観(テキストの用語):宗教において何が真に存在すると考えられ、それがどう理解されているか。
  • 超越存在(本講義の用語):実在観のうち、人間や日常経験を超える存在・原理・力に注目した表現です。両者は完全な同義語ではありません。

(2) 創造神を中心としない宗教:初期仏教

  • 初期仏教の中心は、創造神ではなくダルマ(法)、すなわちブッダが悟った真理(苦の原因と、苦が滅する道)です。
  • 初期経典にも梵天(ぼんてん)などの神々(デーヴァ)は登場します。「神がいない」のではなく、創造神を中心としない宗教です。
  • のちに、仏の存在や救済の働きについて多様な理解が展開しました。
    • 大乗仏教の仏身論(法身・報身・応身)
    • 阿弥陀仏信仰

(3) 超越存在を理解する二つの軸

軸区分例
性格人格的(意志をもって人間に関わる)ユダヤ教・キリスト教・イスラムの神、ギリシア神話の神々
性格非人格的(理法・究極的実在・力)マナ、ロゴス、ブラフマン
数一元的唯一神、唯一の根本原理
数二元的ゾロアスター教の善と悪
数多元的多神教の神々、諸霊

注意:二つの軸は互いに独立しています。また、これは分析上の分類であり、実際の宗教では人格的理解と非人格的理解が併存することも多くあります(例:ヒンドゥー教)。

人格的な超越存在と人間の関係

(1) 神と人間の距離

  • 神々が人間に似た人格・感情をもつ型:ギリシア・ローマ神話(擬人神観)
    • 恋愛・嫉妬・争いなど人間くさい。ただし不死であり、人間を超える力をもちます。
  • 神と被造物の区別を重視する型:ユダヤ教・キリスト教・イスラム
    • 唯一の創造主と、人間・自然世界とを区別します。
    • キリスト教には受肉の教義があり、神と人間の関係が独自に理解されます。

(2) 神に対抗する勢力はあるか

宗教悪の存在神との関係
キリスト教悪魔(サタン)神に敵対するが、神と対等ではない
イスラムシャイターン神と対等な悪の原理ではない
ユダヤ教サタン像は時代・文献により異なる。第二神殿期後期に敵対者像が発展
ゾロアスター教アンラ・マンユ(アーリマン)善神アフラ・マズダーと対立する二元論。後代の教義では終末に悪が克服される

1.人格的な「神」観念

1.1 神観念の特色(岸本英夫『宗教学』を参考に整理)

  1. 超自然的な存在として、意志をもって活動する(機械やロボットではない)。
  2. 人間とは異なる存在でありながら、人格をもって人間に関わる。
  3. 人間を超える力をもち、人間の生に影響を及ぼす。

*これだけでは神と悪魔を区別できません。区別せずに超自然的な霊的存在を広く指すとき、本講義では「神霊」と呼びます。

1.2 神の分類

  • 由来による分類
    • 自然神:天体、山河、動物など
    • 人間神:祖先神、氏神、英雄神、守護神など(例:菅原道真=天神)
  • 機能による分類
    • 創造神:天地・人間を創造する神
    • 由来による分類とは基準が異なります。創造神は唯一神に限らず、多神教にもいます。

1.3 神の表象形態:有相と無相

  • 有相(うそう):植物・動物・人間の姿で表されます。
  • 無相(むそう):形をもたず、人間のイメージ力を超えます。
  • 偶像の禁止(出エジプト記20章):像を造り、それにひれ伏し仕えることを禁じます。背景には、神を人間の制作物と同一視することへの警戒があります。
    • キリスト教内部でも理解は分かれます(正教会のイコンは、受肉したキリストを描くことと結びつく)。
    • イスラムも偶像崇拝を禁じます。

1.4 姿・数・力の関係

表象神の数神の力
有相多神教相対的
無相一神教絶対的

この対応は傾向であり、必然ではありません。

  • ヒンドゥー教:有相の神々と、無相のブラフマンが併存します。
  • キリスト教:唯一神教ですが、聖画・聖像の伝統があります。

多神教の例:神々が願いや生活領域ごとに信仰されます。

  • 学問:湯島天神(菅原道真)
  • 商売繁盛など:神田明神
  • 開運:妙見菩薩(みょうけんぼさつ。北極星・北斗七星への信仰に由来。日蓮宗など神仏習合の伝統で広く信仰された)

1.5 一神教の中の「複数性」

  • 聖母マリア・聖人崇敬(カトリック)
    • 教義上、マリアも聖人も神ではありません。神への**礼拝(ラトリア)と聖人への崇敬(ドゥリア)**は区別されます。
    • 宗教学的には、多神教の神々と似た機能を果たす場合があります。ただし、機能の類似と教義の同一性は別問題です。
  • 三位一体
    • 唯一の神への信仰を保ちつつ、キリストと聖霊の神性をどう理解するかが課題となりました。
    • 325年 ニカイア公会議:御子は父と同一本質
    • 381年 コンスタンティノポリス公会議:聖霊についての教義を明確化
    • 神は唯一でありつつ、父・子・聖霊の**三つのペルソナ(位格)**において存在します。三人の神ではありません。
  • イスラムの立場:タウヒード(神の唯一性)を重んじ、神に他の存在を並べること(シルク)を批判します。三位一体もその対象となります。

2.非人格的な超越存在

*以下は「マナから発展した」という歴史ではなく、比較のための事例です。

2.1 宗教的な力:マナ

  • マナ(メラネシア):特別な力・効力を表す概念です。
    • コドリントン『メラネシア人』(1891年)が報告しました。
    • マレット「プレアニミズムの宗教」(1900年)は、霊魂の観念では説明できない力の観念を重視し、アニマティズムと呼びました。
    • これは当時の宗教進化論の文脈にある学説です。現在では、宗教が一律に同じ段階を経て発展するとは考えられていません。
  • ワカン・タンカ(北米・ラコタ族):「偉大なる神秘」「聖なるもの」と訳されます。人格的な理解も含み、マナと同一視はできません。

2.2 宇宙の秩序・究極的実在をめぐる観念

伝統概念内容
古代ギリシアロゴス宇宙の秩序・理法(ヘラクレイトス)。ストア派では宇宙に内在する合理的原理
ヴェーダリタ(天則)宇宙の秩序。のちのダルマ観念につながる
ウパニシャッドブラフマン(梵)究極的実在・宇宙の根本原理。個人の本体アートマン(我)との関係を探究
仏教ダルマ(法)ブッダが悟った真理(縁起・無常・無我)とその教え。宇宙を支配する力ではない
  • 不二一元論(ふにいちげんろん)ヴェーダーンタでは、梵と我の同一性(梵我一如〔ぼんがいちにょ〕)を悟ることが解脱とされます。ただしインド思想のすべてがこの立場ではありません。
  • 仏教は無我を説くため、ダルマはブラフマンと同一の概念ではありません。
  • 梵天(ブラフマー)は、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)を神格化した存在です。両者を混同しないよう注意します。

2.3 認識と救済

  • これらには、真理を理解することと、苦や迷いからの解放を結びつける伝統があります。
  • ただし、何を真理とし、どの道で救済されるかは宗教・宗派によって異なります。
    • 仏教内部:自力の修行を重んじる伝統と、阿弥陀仏の本願による救済を説く浄土教
    • キリスト教:恵み・信仰・キリストとの関係が救済論の中心

結び ヨハネ福音書のロゴス

  • 「初めに言(ロゴス)があった」(1:1)、「言は肉となった」(1:14)。
  • 背景には、ギリシア哲学のロゴスに加え、ユダヤ教の知恵文学(箴言8章など)や、創造における神の言葉(創世記1章)があります。
  • ヨハネの特徴は、ロゴスを抽象的な理法としてではなく、イエス・キリストにおいて人となった神の言葉として語る点にあります。
  • → 宇宙原理としてのロゴスと、人格的な神の自己啓示とを比較する視点を与えます。

本講義の問い:宗教は何を究極的な実在と考え、それをどう認識し、人間の生と結びつけるのか。

考えてみよう

  1. 身近な寺社や行事を一つ選び、そこで祀られているものを、二つの軸(人格的/非人格的、一元/二元/多元)で位置づけてみよう。
  2. 聖人崇敬と多神教の神々は、何が似ていて、何が異なるのか。「機能」と「教義」に分けて考えてみよう。
  3. 「悟りによる救済」と「恵みによる救済」は、超越存在の理解とどう関係しているだろうか。

読み方メモ

語読み
梵天ぼんてん
梵我一如ぼんがいちにょ
不二一元論ふにいちげんろん
妙見菩薩みょうけんぼさつ
有相/無相うそう/むそう
法身・報身・応身ほっしん・ほうじん・おうじん
擬人神観ぎじんしんかん

参考:人物と文献

事項人物・文献
人格的な神の特色岸本英夫『宗教学』(大明堂、1961年)
マナの報告R. H. コドリントン『メラネシア人』(The Melanesians, 1891年)
アニマティズムR. R. マレット「プレアニミズムの宗教」("Pre-Animistic Religion," Folk-Lore 11, 1900年)
ロゴスヘラクレイトス、ストア派
梵我一如ウパニシャッド、不二一元論ヴェーダーンタ
三位一体論ニカイア公会議(325年)、コンスタンティノポリス公会議(381年)
ヨハネ福音書のロゴスヨハネ1:1、1:14/箴言8章、創世記1章

2026年10月25日日曜日

京都ノートルダム女子大学 創立の物語……からの閉学まで

 



はじめに

  • 京都市左京区下鴨のカトリック女子大学
  • 2025年4月、2026年度以降の学生募集の停止を発表
  • 2025年度入学生の卒業をもって閉学の予定(2026年10月現在、在学生の教育は継続中)
  • 本講では、修道女会の来日から大学の創立・発展・募集停止までをたどる

Ⅰ 創立 ― 4人のシスターの来日

1. 母体:ノートルダム教育修道女会(School Sisters of Notre Dame, SSND)

  • 1833年、ドイツ・バイエルンで創立
  • 創立者:テレジア・ゲルハルディンガー
  • 使命:女子教育
  • モットー:Virtus et Scientia(ヴィルトゥス・エト・シエンツィア)=「徳と知」

2. 戦争で10年遅れた来日

年できごと
1937日本へ招かれる
戦時中戦争により計画延期
1947宣教師が日本の窮状をセントルイス管区に伝える
1948来日が実現

3. 4人のシスター、京都へ(1948年11月28日)

  • 米国セントルイス管区から4人が来日
  • 京都のカトリック教会の要請に応えたもの
  • 占領下の日本 ― パスポートに加え軍の許可も必要
  • 目的:戦争で途絶えたキリスト教教育の再建

4. 学校づくりの歩み

年設立所在地
1952中学校鹿ケ谷(ししがたに)
1953高等学校鹿ケ谷
1954小学校―
1961女子大学下鴨

5. ノートルダム女子大学の開学(1961年)

  • 文学部英語英文学科の1学部1学科で出発
  • キャンパスは下鴨(下鴨神社・府立植物園の近く)
  • 建学の精神「徳と知」、カトリック精神による女性教育

Ⅱ 発展 ― 60余年の歩み

6. 人物:シスター・メアリー・ジョセフ・ツヅキ(1916〜2024)

  • 京都生まれ、聖公会の家庭に育つ
  • 13歳で同志社の教会で受洗 → のちカトリックに改宗
  • 1949年、来日間もない修道会に入会
  • 1961年の開学から1988年まで大学で音楽を担当
  • 2024年10月、108歳で帰天

7. 改組の歩み

年できごと
1961文学部英語英文学科で開学
1963生活文化学科を設置
1999京都ノートルダム女子大学へ改称、人間文化学部を設置
2005心理学部を開設
2007生活福祉文化学部を開設(3学部体制)
2017国際言語文化学部・現代人間学部の2学部体制へ

Ⅲ 閉学 ― 募集停止とその後

8. 入学者数の推移(入学定員330人)

年度入学者数定員比
2020429人約130%
2021〜定員割れが続く―
2024186人約56%

9. 最後まで続いた改革

  • 2023年:社会情報課程を新設(2025年に社会情報学環へ改称)
  • 2025年:女子キャリアデザイン学環を新設
  • 2026年:国際言語文化学部を人文学部へ再編する計画(募集停止により実現せず)
  • → 入学者の回復には至らず

10. 学生募集停止の発表

  • 2025年4月22日:理事会で決定
  • 2025年4月25日:記者会見で発表
  • 理由:18歳人口の減少、続く定員割れ
  • 新学部の準備が進む中での「急展開」との報道も

11. 背景:女子大学の縮小

  • 私立女子大学の7割超が定員割れ(2024年度、週刊文春の報道)
  • 女子大学数:1998年の98校から2023年までに25校減
  • 同様の例:恵泉女学園大学、神戸海星女子学院大学(募集停止)、学習院女子大学(学習院大学に統合)、青山学院女子短期大学(2019年度から募集停止、2022年廃止)
  • 背景:少子化、共学志向の高まり、法人の経営判断(傘下の中高のブランドを守るための判断との指摘も)

12. 中学・高校・小学校の移管

  • 2026年1月21日:学校法人ヴィアトール学園(洛星中学・高校の設置者)と事業譲渡契約に調印
  • 2026年4月1日:小学校・中学・高校がヴィアトール学園の設置校に
  • 中高の新校名:洛星ノートルダム女学院中学高等学校(報道による)

13. 学生がつくった短編映画

  • 作品:『わたしらしく、誇らしく』
  • 制作:学生の大学広報研究会「MAGIE ESPOIR(マジ・エスポワール)」
  • 2026年5月、大学公式YouTubeで公開
  • 母校の記録と記憶を未来へ残す試み

Ⅳ 考察 ― 何が終わり、何が続くのか

  1. 戦後の宣教期に修道会が担った女子教育の使命は、ある意味で果たされたと見ることもできる
  2. 女子大学という形そのものの意味が問い直されている
  3. 修道会が担ってきた学校を他法人に委ねる流れ(日本のカトリック学校全体に見られる動き)
  4. 「徳と知」は中学・高校の教育理念として受け継がれる

まとめ

  • 1948年、戦後の京都に4人のシスターが来日
  • 1961年、英語英文学科1学科から開学
  • 少子化の中、改革を重ねるも定員割れが続く
  • 2025年に募集停止を発表、現在は在学生の教育を最後まで担う
  • 「徳と知」― 60余年の女子教育の記憶

主な参考資料

  • 大学基準協会「京都ノートルダム女子大学に対する大学評価(認証評価)結果」
  • School Sisters of Notre Dame 公式サイト(来日史、シスター・ツヅキ追悼文)
  • Sturdy Roots(SSND歴史サイト)"Asia"
  • リセマム(洛星ノートルダム誕生、短編映画の記事)
  • koubo.jp(短編映画公開の記事、2026年5月)
  • 週刊文春、coki(女子大学の動向)
  • 大学改革支援・学位授与機構 高等教育機関データベース(青山学院女子短期大学)

【キリスト教史解説】ハロウィン(Halloween)民間信仰・キリスト教・世俗文化が重なり合う祭

 



1. 全体像:続けて祝われる三つの日

日付名称英語名内容
10月31日万聖節前夜(ハロウィン)All Hallows’ Eve万聖節の前夜
11月1日万聖節(ばんせいせつ)/諸聖人の日All Saints’ Dayすべての聖人を記念
11月2日死者の日All Souls’ Day亡くなった人々のために祈る
  • 10月31日は、ルター派などでは「宗教改革記念日」でもある(1517年)

2. 起源をめぐって

(1) サムハイン:よく語られる説明

  • 古代ケルト社会の季節祭(Samhain)
  • 夏の終わり・冬の始まりを画する節目
  • 19世紀以降、「ケルト暦の新年」とする説が広まる
  • 生者と死者の世界の境界が曖昧になる時と解釈された

(2) 研究上の注意点

  • 古代の実態を直接伝える史料は乏しい
  • 中世の文献や近代の民俗学的解釈に依拠する部分が大きい
  • 季節の節目であることと、「新年」と認識されていたことは別
  • サムハインとの直接の連続性には議論がある

(3) 仮装の源流:ガイジング(guising)

  • アイルランド・スコットランドに、死者の霊や妖精的存在が現れるという民間信仰
  • 16世紀以降のスコットランドに、仮装や演技を伴うガイジングの記録
  • 当初はクリスマス期などにも行われ、後にハロウィンの風習として定着

(4) アメリカへの伝播

  • 主に19世紀以降、アイルランド系・スコットランド系移民を通じて徐々に広まる
  • ランタン:故郷ではカブ → アメリカではカボチャ(ジャック・オー・ランタン)
  • 「Trick or treat!」の習慣は20世紀前半の北米で定着

3. キリスト教との関係

(1) 万聖節(11月1日)の成立

  • 8世紀前半:教皇グレゴリウス3世が、サン・ピエトロ大聖堂にすべての聖人に献げた礼拝堂を設け、11月1日に記念したと伝えられる
  • 同じ8世紀:イングランドなどでも11月1日の記念が見られる
  • 9世紀前半:グレゴリウス4世の時代に、西方教会で広く祝われるようになる

(2) 「異教の祭の置き換え」説について

  • 11月1日の記念は8世紀に既に見られる
  • 「サムハインを置き換えるために定められた」とは単純に言い切れない
  • 典礼史上の確実な事実と、異教祭礼との関連をめぐる仮説とを区別する

(3) 死者の日(11月2日)

  • 998年頃、クリュニー修道院長オディロのもとで、修道院共同体の死者を記念する慣行として始まる
  • その後、西方教会全体に広まる

4. 宗教改革以降

伝統万聖節の扱い
改革派・ピューリタン聖人への祈願・崇敬を批判し、典礼的意義は後退
ルター派・聖公会など「全聖徒の日」として記念を保持
  • 聖人への祈願の否定 ≠ 信仰の模範としての聖徒の記念
  • 10月31日:1517年、ルターが「95か条の提題」を公表した日とされる → 「宗教改革記念日」

日本の教会では

  • 日本基督教団の教会暦:11月第一日曜日が「聖徒の日(永眠者記念日)」(例:2026年は11月1日)
  • 召天者を覚えて記念礼拝を行う
  • すべてのプロテスタント教会に共通する規定ではない
  • カトリックの「死者の日」とは、歴史的背景も典礼上の意味も異なる

5. 語源

  • hallow:古英語 hālig(ハーリイ、「聖なる」)に由来。名詞では「聖人・聖徒(saint)」
  • 現代英語の holy と同じ系統の語

All Hallows’ Even(すべての聖徒の日の前夜) → Hallowe’en(短縮形) → Halloween(現在の語形)


6. 整理:ハロウィンの三層構造

層内容
世俗文化近代以降の移民文化による拡散、世俗化・商業化
キリスト教典礼暦における「万聖節前夜」
民間信仰サムハインなどケルト系の季節祭と、それに結びついた信仰
  • 単なる「異教の祭」ではなく、複数の要素が重なり合った複合的伝統
  • ただし、各層の連続性には、なお議論の余地がある

7. 文化史的影響:映画『ハロウィン』

  • 1978年公開、監督:ジョン・カーペンター
  • 劇中で「ブギーマン」と呼ばれる殺人鬼マイケル・マイヤーズを描く
  • 祝祭日を舞台とする設定と緊張感のある演出で、スラッシャー映画の普及に大きく貢献
  • 影響を受けた作品:『13日の金曜日』(1980年)、『エルム街の悪夢』(1984年)
  • シリーズ展開:8作目『ハロウィン レザレクション』(2002年)、ロブ・ゾンビ監督のリメイク版(2007年・2009年)、第1作の直接の続編3部作(2018〜2022年)
  • ジャンルの「唯一の起源」ではなく、その発展と普及を促した重要作品

まとめ

  1. 起源:サムハイン起源説は「通説」であり、断定は禁物
  2. 名称:万聖節の前夜(All Hallows’ Even)に由来
  3. 宗教改革以降:教派によって記念のあり方が異なる。10月31日は宗教改革記念日でもある
  4. 近代以降:移民文化・世俗化・映画などを通じて世界的な祝祭へ

2026年10月23日金曜日

日本で最初の信仰告白─1890年 日本基督教会「信仰の告白」への道

 

概要

日本で最初に作られたプロテスタントの信仰告白は、1872年に横浜で設立された日本基督公会の信仰箇条とされる。これは万国福音同盟の9箇条にならった簡潔なものであった。その後、日本基督一致教会(1877年)は欧米の改革派の詳しい信条を規準として採用したが、1890年、日本基督教会は短い前文と使徒信条からなる「信仰の告白」を採択した。簡潔な告白から詳しい信条へ、そして再び簡潔な告白へという流れを、万国福音同盟の性格とあわせてたどる。


一 万国福音同盟(1846年)

(1)成立

  • 1846年8月、ロンドンで結成された。
  • 欧米の50余りの教派から約800人が参加した、教派を超えたプロテスタントの連合である。
  • 背景には、英国国教会内でカトリック的伝統を強調したオックスフォード運動への反発があった。

(2)9箇条

  1. 聖書の霊感・権威・十全性
  2. 聖書解釈における私的判断の権利と義務
  3. 神の唯一性と三位一体
  4. 人間性の全的堕落
  5. 受肉と贖罪
  6. 信仰のみによる義認
  7. 聖霊による聖化
  8. 霊魂の不滅・身体の復活・最後の審判
  9. 教職の神的制定

(3)性格

  • この要約は正式な信条や信仰告白ではなく、同盟に加わる人の範囲を示す目安であると明記されていた。
  • 教派を超えて集まるための最小限の合意であった。

(4)祈祷週間

  • 毎年1月の第1週を祈祷週間とすることを提唱した。

二 日本基督公会(1872年)

(1)成立

  • 1872年の年初、横浜の宣教師たちが同盟の祈祷週間にならって初週祈祷会を開いた。
  • そこから信仰を告白する青年が現れ、同年3月、日本人による最初のプロテスタント教会として日本基督公会が設立された。
  • 創立時の会員は11人で、多くはバラ宣教師のもとで英語を学んでいた青年であった。

(2)信仰箇条

  • 万国福音同盟の9箇条にならった、ごく簡潔なものであった。
  • これが日本で最初に作られた信仰告白とされる。

(3)公会主義

  • 特定教派の信条を掲げず、教派を超えた一つの教会を目指す立場である。

三 日本基督一致教会(1877年)

  • 公会系の教会が長老派・改革派のミッションと合同して成立した。
  • ウェストミンスター小教理問答やハイデルベルク信仰問答など、改革派の詳しい信条を規準として採用した。
  • 教派教会としての体制が整う一方、公会時代の簡潔な信仰箇条からは後退した。

四 組合教会との合同運動(1880年代後半)

  • 会衆派の流れをくむ組合教会との合同が交渉された。
  • 教会政治と信条の扱いをめぐって意見がまとまらず、合同は実現しなかった。
  • この経験を通して、日本の教会が自分たちのことばで信仰を言い表す必要が意識されるようになった。

五 日本基督教会「信仰の告白」(1890年)

(1)採択

  • 一致教会は日本基督教会と改称し、欧米の諸信条に代えて新しい告白を採択した。

(2)構成

  • 短い前文に使徒信条を付した、きわめて簡潔な形をとる。

(3)成立に関わった人物

  • 植村正久が簡易信条の方向を主導したとされる。
  • 起草には明治学院のインブリー(W. Imbrie)が関わったと伝えられる。
  • 両者の役割分担については、一次資料による確認の余地がある。

(4)何が変わったか

年規準とした信条
1877年欧米の改革派の詳しい信条
1890年前文+使徒信条(古代以来、教派を超えて共有されてきた信条)
  • 特定教派の神学を細かく定めるのではなく、教会全体に共通する信仰に立つ姿勢の表明であった。
  • 公会主義の精神を、教派教会の中で取り戻したと見ることができる。

六 意義

  • 日本の教派が自ら正式に採択した最初の信仰告白である。
  • 外来の信条をそのまま用いるのではなく、自前の告白を持とうとした。
  • 簡潔な信条を重んじる「簡易信条」の伝統をつくった。
  • この伝統は日本基督教団信仰告白(1954年)にも受け継がれていく。

七 時代背景

  • 1889年:大日本帝国憲法の発布
  • 1890年:教育勅語の発布
  • 以後、国家主義の高まりの中で、キリスト教は厳しい批判と圧力にさらされていく。
  • 日本の教会が自分たちのことばで信仰を言い表そうとしたのは、こうした時代の入り口でもあった。

年表

年出来事
1846年万国福音同盟、ロンドンで結成
1872年横浜で初週祈祷会、日本基督公会設立
1877年日本基督一致教会成立
1880年代後半組合教会との合同交渉、不成立
1889年大日本帝国憲法発布
1890年日本基督教会「信仰の告白」採択、教育勅語発布
1954年日本基督教団信仰告白制定

まとめ

  • 1872年:同盟にならう簡潔な信仰箇条
  • 1877年:改革派の詳しい信条へ
  • 1890年:前文+使徒信条の簡潔な告白

簡潔さを重んじる流れの中に、教派を超えて一つの教会を目指すという、日本のプロテスタントの出発点にあった理想が息づいている。


参考

2026年10月21日水曜日

【キリスト教入門】④人間の創造と人間の罪 ― 創世記1〜2章を読む

 



0. 本日の要点

  1. 二つの創造物語と安息日(創世記1:1〜2:4前半)
  2. 神のかたちに造られた人間(創世記1:26〜31)
  3. 土から造られた人間(創世記2:4後半〜17)
  4. 人間は独りではない(創世記2:18〜25)
  5. まとめ:四つの関係から見た人間理解

1. 二つの創造物語

項目第一の創造物語第二の創造物語
範囲創世記1:1〜2:4前半創世記2:4後半〜25
神の呼び名「神」(エロヒーム)「主なる神」(ヤハウェ・エロヒーム)
創造の描き方神の言葉によって、秩序立てて六日間で創造土・水・園など具体的な素材と場面の中で創造
人間の位置創造の最後に「男と女」として創造まず土から人が造られ、最後に女が造られる
伝承的背景(通説)祭司資料(P)ヤハウェ資料(J)
  • 同じ出来事の繰り返しではなく、異なる伝承に由来する物語が並べられている
  • 異なる角度から、人間と世界の関係を描いている

2. 造られたものは「極めて良い」(1:31)

神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。(創世記1:31)

  • 人間だけでなく、動物・植物・大地・海も神の創造の一部として肯定される
  • 2章では、人間は土から造られ、園を耕し守る存在として描かれる
  • → 人間は自然に支えられて生き、同時に自然に対して責任を負う存在

3. 安息日の由来(2:1〜3)

  • 神は第七の日に業を完成し、休まれた。その日を祝福し、聖別した
    • ※ 七十人訳などの古代訳は「第六の日に完成」と読み替えている
  • ユダヤ教の安息日:金曜日の日没〜土曜日の日没
  • キリスト教:イエスの復活を記念する日曜日の礼拝が定着
  • → 人間の価値を、生産性や労働能力だけで測らないという倫理的視点

4. 「神のかたち」とは何か(1:26〜27)

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(創世記1:27)

  • 「かたち」=ヘブライ語 ツェレム(צֶלֶם)。本来は「像」「彫像」を指す語
    • 創世記5:3では、アダムが「自分に似た、自分にかたどって」セトをもうける
  • ただし聖書は神の身体的な姿を明確に定義していない
  • → 「神のかたち」を、身体の形の類似だけに限定することはできない

三つの解釈

解釈内容代表的な論者
実体的解釈理性・判断力・言葉を使う能力に注目アウグスティヌス、トマス・アクィナス
関係的解釈神と応答し、他者と関係を結ぶことに注目K.バルト
機能的(王的)解釈神の代理として、地上で神の統治を映し出す役割に注目G.フォン・ラート、J.R.ミドルトン
  • 三つは互いに排他的ではない
  • 1:26〜28では「神のかたち」と「生き物を治めること」が並んで語られる
  • → 神のかたちは、人間の特別な地位と、それに伴う責任を示す

5. 「男と女に創造された」(1:27)

  1. 男と女の双方が神のかたちに造られている
  2. 神のかたちを担う地位は、男性だけのものではない
  3. 人間は、他者との関係の中に生きる存在として描かれている
  • ※ この記述を、現代の性別・ジェンダーをめぐる多様な問題に一律に当てはめることには慎重さが必要
  • 本文が語ることと、そこから現代の倫理的課題を考えることとを区別する

6. 「支配せよ」をどう読むか(1:28)

産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。(創世記1:28)

  • 人間が自然を利用する権利を与えられた、と読まれてきた歴史がある
  • リン・ホワイト「現在の生態学的危機の歴史的根源」(1967年)
    • キリスト教的自然観が環境危機の一因になったと批判
  • 現代のキリスト教環境倫理:自然の**管理責任(スチュワードシップ)**として読む解釈が有力

日本の自然観との比較

  • 「キリスト教=自然を支配、日本文化=自然と共生」という二分法は単純すぎる
    • キリスト教思想の内部にも自然との調和を重視する考え方がある
    • 日本の自然観も一様ではない
  • 創世記に即した整理
    • 1章:生き物を治める特別な役割
    • 2章:土から造られ、園を耕し、守る責任
    • 現代:人間の力を無制限な支配権とみなさず、責任として問い直す

7. 食物として与えられたもの(1:29/9:3)

  • 創造当初の食物は、種のある草と、種のある実をつける木
  • 洪水の後(9:3)、動物を食物とすることも認められる
  • → 聖書全体が菜食主義を絶対の規範としているとは言えない
  • それでも、生命の維持を神からの恵みとして描く点は、食物倫理・環境倫理にとって重要

8. 土の塵から造られた人(2:4後半〜7)

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(創世記2:7)

  • 第二の物語は「主なる神が地と天を造られたとき」(2:4後半)から始まる
  • 言葉の響き合い:アダム(אָדָם、人)とアダマ(אֲדָמָה、土)
  • 命の息:ニシュマト・ハッイーム(נִשְׁמַת חַיִּים)
  • ポイント
    • 人間の体は土に由来し、自然の外側にいる存在ではない
    • 命は、人間が自力で獲得したものではなく、神から与えられたもの
    • → 人間の有限性、生命をどう尊重するかという生命倫理の問いへ

9. エデンの園と二本の木(2:8〜9)

木意味ポイント
命の木生命と不死3:22〜24で人は園から追放される。人は自力で永遠の命を確保できる存在ではない
善悪の知識の木唯一禁じられた木知識そのものが悪いのではない。神に属する判断を自分のものにする問題

善悪の知識の木をめぐる主な解釈

  • 善悪を判断する知識そのものを象徴する
  • 神だけに属する判断の領域を、人間が自分のものにしようとすることを象徴する
  • 神の命令を受け入れるか、自分の判断を優先するかという問題を示す
  • ※「悪を知らない時が最も無垢だった」という説明は、本文に直接書かれたことではなく解釈の一つ

10. エデンから流れ出る四つの川(2:10〜14)

川の名前聖書本文の説明同定
ピションハビラ地方全域を巡る不明。ヨセフスはガンジス川とした
ギホンクシュ地方全域を巡る不明。ヨセフスはクシュをエチオピアと解し、ナイル川とした。エルサレムの泉の名でもある
チグリスアシュルの東の方を流れるメソポタミアの実在の大河
ユーフラテス(説明なし)メソポタミアの実在の大河
  • エデンを豊かな水源とし、そこから世界へ水が流れていくイメージ
  • 関連作品:ベルニーニ「四大河の噴水」(1651年、ローマ、ナヴォーナ広場)
    • ナイル・ガンジス・ドナウ・ラプラタを表す。創世記の四つの川そのものではない

11. 園を「耕し、守る」(2:15)

主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。(創世記2:15)

  • 「耕す」アバド(עָבַד):「仕える」とも訳される
  • 「守る」シャマル(שָׁמַר):「見守る」「保つ」とも訳される
  • → 人間は恵みを受け取るだけでなく、環境を保つ責任も担う
  • 1章の「支配せよ」は、2章の「耕し、守る」と合わせて読む

12. 自由と限界(2:16〜17)

  • 園のすべての木から食べてよい
  • ただし、善悪の知識の木からは食べてはならない
  • → 「自由」と「限界」という主題。3章「人間の罪」への伏線

考えてみよう

  • 技術的に可能であることは、倫理的にも許されることなのか
  • 自然を利用できることは、自然を無制限に利用してよいことを意味するのか
  • 人間の自由には、どのような責任や限界が伴うのか

13. 「人が独りでいるのは良くない」(2:18〜20)

主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(創世記2:18)

  • 1章の「良し」に対し、聖書で初めて「良くない」と言われるのが人間の孤独
  • 動物たちの中に「合う助け手」は見つからない
  • 「彼に合う助ける者」=エーゼル・ケネグドー(עֵזֶר כְּנֶגְדּוֹ)
    • 「向かい合う、ふさわしい助け手」の意
    • エーゼルは神の助けにも用いられる語(出エジプト記18:4、詩編121:1〜2など)
    • → それ自体が従属を意味するわけではない
  • ※ 本文は男の側から見た助け手を語る。「互いに助け合う関係」は現代的・倫理的に展開した解釈

14. 女の創造(2:21〜23)

  • 神が人を深い眠りに落とし、あばら骨の一部から女を造る
    • 人が自力で伴侶を造り出したのではなく、神の働きによって相手が与えられた
    • ※ 神学的解釈であり、すべての人に結婚相手が与えられるという意味ではない
  • 「あばら骨」ツェラ(צֵלָע)は「側面」も意味する語
    • 物語の細部を解剖学的説明として読む必要はない
  • 歴史的に女性の従属の正当化に用いられたが、本文は男が女より優れているとは述べていない

ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。(創世記2:23)

  • 相手が自分と深く結びついた存在であることへの喜び
  • イシュ(男)とイシャー(女):音の似た語を結びつける言葉遊び
    • 語源的には別の語根とされる
    • → 男女の社会的な上下関係の根拠にはならない

15. 「二人は一体となる」(2:24)

こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。(創世記2:24)

  • 結婚によって新しい関係が形成され、一つの生活単位をつくることを説明する言葉
  • 親との関係を断ち切れという命令ではない
  • イエスも引用(マタイ19:4〜6、マルコ10:6〜9。エフェソ5:31も参照)
  • ※ 結婚をすべての人の義務としたり、独身の生き方を否定したりする根拠にはならない

16. 裸でも恥ずかしがらなかった(2:25)

人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。(創世記2:25)

  • 互いに恐れたり隠れたりする必要のない、率直で無防備な関係
  • 3章で、二人が裸を意識して身を隠す場面と対照をなす
  • 言葉遊び:「裸の」アルーミーム(2:25)と、蛇を形容する「賢い」アルーム(3:1)
    • → 言葉の響きでも次の場面へ橋渡しされている

17. まとめ:創世記1〜2章の人間理解

観点創世記の記述問い
神との関係神のかたちに造られる人間の尊厳は何に由来するのか
自然との関係治め、耕し、守る人間は自然に対してどのような責任を負うのか
生命との関係土から造られ、命の息を受ける生命を自分の所有物と考えてよいのか
他者との関係向き合う他者を必要とする他者との関係において何が求められるのか
  • 人間に特別な地位を与えると同時に、人間の有限性と責任を示している
  • 次回(創世記3章)への視点
    • 神が造った世界そのものが悪かったのではない
    • 問われるのは、人間が与えられた自由と限界にどう向き合うか

主な聖書箇所

事項聖書箇所
第一の創造物語創世記1:1〜2:4前半
「極めて良かった」創世記1:31
安息日の由来創世記2:1〜3
神のかたち・男と女創世記1:26〜27
地を従わせ、支配せよ創世記1:28
食物の提供創世記1:29、9:3
アダムに似たセト創世記5:3
土の塵から造られた人創世記2:7
エデンの園と二本の木創世記2:8〜9、3:22〜24
四つの川創世記2:10〜14
耕し、守る創世記2:15
禁止の命令創世記2:16〜17
彼に合う助ける者創世記2:18〜20
神の助け(エーゼル)出エジプト記18:4、詩編121:1〜2
女の創造創世記2:21〜23
二人は一体となる創世記2:24、マタイ19:4〜6、マルコ10:6〜9、エフェソ5:31
裸と蛇の賢さ創世記2:25、3:1

主な参照

  • 『聖書 新共同訳』日本聖書協会
  • Lynn White Jr., "The Historical Roots of Our Ecologic Crisis," Science 155 (1967)
  • フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』第1巻
  • Gerhard von Rad, Das erste Buch Mose: Genesis(ATD)
  • J. Richard Middleton, The Liberating Image: The Imago Dei in Genesis 1

説教や聖書研究をする信徒のための聖書注解 マタイによる福音書 27:57-61「イエスの埋葬」


概要

イエスの死(27:45–56)の直後、場面は十字架から墓へ移ります。アリマタヤ出身の富裕なヨセフがピラトにイエスのからだを求め、それを清い亜麻布で包み、自分のために岩に掘っておいた新しい墓に納めて、入口に大きな石を転がして立ち去ります。マグダラのマリアともう一人のマリアは、墓の向かいに座ってそれを見届けています。
この短い段落は、次の三つの役割を担っています。
  1. 死の確証 イエスは本当に死に、本当に葬られました(Ⅰコリ15:3–4「葬られたこと」)。「からだ」(σῶμα)という語が三度繰り返されます。
  2. 墓の同定 「新しい」「彼自身の」墓、「大きな石」、そしてそれを見ていた女性たち。どの墓に納められたかが明確にされ、番兵の配置(27:62–66)と空の墓(28:1–10)への伏線となります。
  3. 弟子のあり方 十二弟子が逃げ去った(26:56)あとで、それまで表に出ていなかった「弟子」(ἐμαθητεύθη)と女性たちが、主(のからだ)のために仕えます。
 共観福音書の中でマタイに特有の要素は、ヨセフが「金持ち」であること、「弟子となっていた」こと、亜麻布が「清い」こと、墓が「彼自身の」ものであり「岩に掘った」ものであることです。他方、マルコにある「議員」という肩書き、ヨセフの「勇気」、ピラトがイエスの早い死を不審に思って百人隊長に確認する場面(マコ15:43–45)は省かれています。

マタイ27:57

  • 原文: Ὀψίας δὲ γενομένης ἦλθεν ἄνθρωπος πλούσιος ἀπὸ Ἁριμαθαίας, τοὔνομα Ἰωσήφ, ὃς καὶ αὐτὸς ἐμαθητεύθη τῷ Ἰησοῦ·
  • 私訳: さて夕方になったとき、アリマタヤから一人の金持ちの人が来た。名はヨセフといい、彼自身もイエスの弟子とされていた者であった。

文法解析

  • Ὀψίας:ὄψιος「遅い」形容詞 女性単数属格(名詞化:「夕方」。ὥρα の省略)
  • γενομένης:γίνομαι「なる」アオリスト中動態分詞 女性単数属格(独立属格)
  • πλούσιος:πλούσιος「富んだ、金持ちの」形容詞 男性単数主格(限定用法)
  • ἐμαθητεύθη:μαθητεύω「弟子となる、弟子とする」直説法アオリスト受動態 3人称単数

本文批評

  • ἐμαθητεύθη(受動態)に対し、多くの写本(ビザンチン系を含む)は ἐμαθήτευσεν(能動態・自動詞「弟子であった」)と読みます。意味の差はわずかですが、受動態はマタイ28:19 の μαθητεύσατε(他動詞「弟子とせよ」)との語彙的つながりをより明確にします。NA28 は ἐμαθητεύθη を採用しています。

注解

  • 「夕方になったとき」 :申命記21:22–23 は、木にかけられた者の死体を夜通し残してはならず、その日のうちに葬るよう命じています。さらに翌日は安息日であり(27:62「準備の日の翌日」)、日没までに埋葬を終える必要がありました。ヨセフの行動には時間的な切迫がありました。ヨセフスも、ユダヤ人は十字架刑に処された者でさえ日没前に下ろして葬ると記しています(『ユダヤ戦記』4.317)。
  • 「金持ちの人」 マルコは「身分の高い議員」(マコ15:43)、ルカは「善良で正しい議員」(ルカ23:50)と記しますが、マタイは「金持ち」とだけ記します。ここにはイザヤ53:9「彼の墓は……富む者とともに設けられた」の成就が意識されていると考えられます。マタイは引用定式を用いていませんが、苦難の僕の歌が受難物語全体の背景にあることを考えると、この語の選択は偶然ではないでしょう。また、マタイ19:23–26 との対照も見逃せません。イエスは「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と語られました。そして「それは人にはできないが、神には何でもできる」と結ばれました。ここで、その「金持ち」が弟子となり、主の遺体を引き受けます。神にはそれがおできになるということが、受難の極みで示されています。
  • 「アリマタヤから」 アリマタヤは、サムエルの故郷ラマタイム・ツォフィム(サム上1:1)と同一視されることが多く、エルサレムの北西に位置したとされます。ヨセフはエルサレムに墓を所有していたことから(60節)、エルサレムに移り住んでいたと考えられます。
  • 「イエスの弟子とされていた」:「弟子とする」(μαθητεύω) は福音書ではマタイだけが用いる動詞です(13:52; 27:57; 28:19。他に使徒14:21)。13:52 では「天の国のことを学んだ(弟子とされた)学者」、28:19 では「すべての民を弟子とせよ」と用いられます。受動態は、ヨセフが自分で弟子になったというよりも、神によって弟子とされた者であることを示唆します。そして、この語が復活の主の大宣教命令の中心動詞となることを考えると、ヨセフは、十二弟子が不在となった場面で現れる「弟子とされた者」の先取り的な姿と言えます。
  • 「彼自身もまた」(καὶ αὐτός)は、直前に描かれた女性たち(27:55–56「ガリラヤからイエスに従って来て仕えていた」)と並べて、ヨセフもまたイエスに属する者であったことを示します。

マタイ27:58

  • 原文: οὗτος προσελθὼν τῷ Πιλάτῳ ᾐτήσατο τὸ σῶμα τοῦ Ἰησοῦ. τότε ὁ Πιλᾶτος ἐκέλευσεν ἀποδοθῆναι.
  • 私訳: この人がピラトのもとに来て、イエスのからだを求めた。そのときピラトは、引き渡されるよう命じた。

文法解析

  • προσελθὼν:προσέρχομαι「近づく、来る」アオリスト能動態分詞 男性単数主格
  • ᾐτήσατο:αἰτέω「求める、願う」直説法アオリスト中動態 3人称単数
  • ἐκέλευσεν:κελεύω「命じる」直説法アオリスト能動態 3人称単数
  • ἀποδοθῆναι:ἀποδίδωμι「引き渡す、返す」アオリスト受動態不定詞

本文批評

  • 多くの写本(ビザンチン系)は ἀποδοθῆναι の後に τὸ σῶμα を補い、「からだが引き渡されるよう」とします。意味を明確にするための補足と考えられ、NA28 は短い読みを採用しています。

注解

  • ピラトへの願い出 ローマの十字架刑では、見せしめのために遺体を十字架に放置したり、共同の穴に投げ込んだりすることが珍しくありませんでした。処刑された者の遺体の引き渡しは総督の裁量によるもので、祝祭日に親族へ引き渡された例もあったことがフィロンによって伝えられています(『フラックス反駁』83)。反逆罪(「ユダヤ人の王」27:37)で処刑された者のからだを求めることは、自らをその者と結びつける危険な行為でした。マルコはヨセフが「勇気を出して」(τολμήσας)願い出たと記しますが、マタイはこの語を省き、行動だけを簡潔に描きます。
  • 「からだ」の反復:「からだ」σῶμα は58節に一度、59節に一度現れ、59節では代名詞 αὐτό でも受けられます。強調されているのは、イエスが本当に死に、そのからだが実在したということです。仮死説のような解釈をあらかじめ退けると同時に、28章で起こる復活が「からだ」の復活であることを準備しています。また、最後の晩餐でイエスが「これはわたしのからだである」(26:26 τοῦτό ἐστιν τὸ σῶμά μου)と言われた、その「からだ」が、いま裂かれた者として人の手に委ねられています。
  • マタイは、ピラトがイエスの早い死を不審に思って百人隊長に確認させる場面(マコ15:44–45)を省いています。

マタイ27:59

  • 原文: καὶ λαβὼν τὸ σῶμα ὁ Ἰωσὴφ ἐνετύλιξεν αὐτὸ [ἐν] σινδόνι καθαρᾷ
  • 私訳: そしてヨセフはそのからだを受け取り、それを清い亜麻布で包み、

文法解析

  • λαβὼν:λαμβάνω「取る、受け取る」アオリスト能動態分詞 男性単数主格
  • ἐνετύλιξεν:ἐντυλίσσω「包む、巻く」直説法アオリスト能動態 3人称単数
  • σινδόνι:σινδών「亜麻布」名詞 女性単数与格
  • καθαρᾷ:καθαρός「清い、きれいな」形容詞 女性単数与格(限定用法)

本文批評

  • 前置詞 ἐν は写本によって有無が分かれるため、NA28 では角括弧に入れられています。

注解

  • 「受け取り」 λαβών(受け取って)は、最後の晩餐でイエスがパンを「取り」(26:26 λαβών)、杯を「取った」(26:27 λαβών)ことと同じ動詞です。かつてイエスが取って与えたそのからだを、いま弟子が受け取っているという対応は、説教などにおいて味わう価値があるでしょう。
  • 「清い亜麻布」 マルコは、ヨセフが亜麻布を「買って」きたと記します(マルコ15:46)。マタイはそれを省き、代わりに「清い」(καθαρᾷ)という形容詞を加えています。これは新品で汚れのない上質の布を指し、ヨセフの富と、イエスへの深い敬意を表しています。王にふさわしい丁重さで葬られていることを暗示しています。
  • ユダヤの埋葬の慣習では、遺体を洗い(ミシュナー『安息日』23:5 参照)、香料とともに布で包むのが通例でした。マタイは香料にも洗い清めにも触れていません。安息日を前にした急ぎの埋葬であったことが背景にあると考えられます(ヨハネ19:39–40 ではニコデモが没薬と沈香を持参します。マルコ16:1 では女性たちが安息日明けに香料を携えて墓へ向かいます)。

マタイ27:60

  • 原文: καὶ ἔθηκεν αὐτὸ ἐν τῷ καινῷ αὐτοῦ μνημείῳ ὃ ἐλατόμησεν ἐν τῇ πέτρᾳ καὶ προσκυλίσας λίθον μέγαν τῇ θύρᾳ τοῦ μνημείου ἀπῆλθεν.
  • 私訳: そして、彼が岩の中に掘っておいた自分の新しい墓の中にそれを置き、墓の入口に大きな石を転がしてあてがって、立ち去った。

文法解析

  • ἔθηκεν:τίθημι「置く」直説法アオリスト能動態 3人称単数
  • ἐλατόμησεν:λατομέω「(岩を)切り出す、掘る」直説法アオリスト能動態 3人称単数
  • προσκυλίσας:προσκυλίω「転がしてあてる」アオリスト能動態分詞 男性単数主格
  • ἀπῆλθεν:ἀπέρχομαι「立ち去る」直説法アオリスト能動態 3人称単数

注解

  • 「自分の新しい墓」:この墓がヨセフ自身のものであったと明記するのはマタイだけです。ルカは「まだだれも葬られたことのない」墓(ルカ23:53)、ヨハネは「新しい墓」(ヨハネ19:41)と記します。「新しい」ことには二つの意味があります。第一に、他の遺体と混同されることがなく、後に空になった墓がまさにイエスの墓であったことが確実になります。第二に、王の入城の際の「まだだれも乗ったことのない子ろば」(マコ11:2)のように、まだ用いられていないものが主のために聖別されるという含みを持ちます。そして、イザヤ53:9「富める者とともに」の成就がここで完成します。
  • 「岩の中に掘っておいた」:当時のエルサレム周辺の富裕層の墓は、石灰岩の岩盤を掘り抜いた横穴式で、内部に遺体を置く棚や壁龕(コーヒーム)を備えていました。遺体が朽ちた後に骨を集めて骨箱(オッスアリウム)に納める二次葬が一般的でした。
  • 「大きな石を転がして」 円盤状の転がし石を備えた墓は、第二神殿時代の考古学的発見の中では少数であり、富裕層の墓に限られていたとされます。多くの墓は四角い石で入口を塞ぐものでした。いずれにせよ、「大きな石」という描写は、この墓が容易には開けられないことを強調します。この石は、祭司長たちによる封印と番兵(27:66「石に封印をし、番兵をおいて」)の対象となり、そして復活の朝、主の天使によって「転がされ」(28:2)ます。60節の προσκυλίσας と28:2 の ἀπεκύλισεν は同じ語根 κυλίω を持ち、人が転がして閉じた石を、神が転がして開くという対照をなしています。

マタイ27:61

  • 原文: Ἦν δὲ ἐκεῖ Μαριὰμ ἡ Μαγδαληνὴ καὶ ἡ ἄλλη Μαρία καθήμεναι ἀπέναντι τοῦ τάφου.
  • 私訳: そこには、マグダラのマリアともう一人のマリアがいて、墓の向かいに座っていた。

文法解析

  • Ἦν:εἰμί「いる、ある」直説法未完了過去 3人称単数
  • καθήμεναι:κάθημαι「座っている」現在中動態分詞 女性複数主格
  • ἀπέναντι:ἀπέναντι「向かいに」副詞(前置詞的用法、属格支配)
  • τάφου:τάφος「墓」名詞 男性単数属格

本文批評

  • Μαριάμ(ヘブライ語・アラム語形)については、写本によって Μαρία(ギリシア語化形)と読むものがあります。マタイは同じ人物について両形を用いており(27:56 Μαρία ἡ Μαγδαληνή; 28:1 Μαριὰμ ἡ Μαγδαληνή)、本文伝承でも揺れが見られます。

注解

  • 二人のマリア:「もう一人のマリア」とは、27:56 の「ヤコブとヨセフの母マリア」を指します。この二人は、十字架を遠くから見守り(27:55–56)、埋葬を見届け(27:61)、週の初めの日に墓を見に行きます(28:1「マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った」)。マタイは、同じ二人の女性を十字架・埋葬・空の墓の三場面すべてに置くことで、証言の連続性を保証しています。彼女たちは、イエスが死んだこと、どの墓に納められたか、そしてその墓が空になったことの、途切れのない目撃者です。当時のユダヤ社会では、女性の法廷証言は重んじられませんでした(ヨセフス『ユダヤ古代誌』4.219 参照)。それにもかかわらず、福音書がそろって女性を埋葬と復活の第一証人としているのは、これがフィクションではなく事実である可能性を示唆すると多くの研究者は見ています。
  • 「座っていた」 καθήμεναι は現在分詞で、継続している状態を描きます。ヨセフが「立ち去った」(60節)のに対し、女性たちはなお「座り」続けます。それは喪に服す姿であり、もはや何もできない中でなお主のそばにとどまろうとする姿勢です。十二弟子は「皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(26:56)のに対し、女性たちは最後までとどまりました。
  • τάφος と μνημεῖον 60節では「墓」に μνημεῖον が二度用いられますが、61節では τάφος に変わります。両者はほぼ同義で、マタイは27:64, 66; 28:1 でも τάφος を用います。μνημεῖον は「記念するもの」(μιμνῄσκομαι「思い起こす」)に由来する語で、死者を記念する場所としての墓を、τάφος は「葬る」(θάπτω)に由来する語です。

<以上の注解をもとにしての説教の結びの言葉として>
 イエスの埋葬は、沈黙の場面です。奇跡も、劇的な対話もありません。ただ、主のからだを前にして、ヨセフが「受け取り」、女性たちが「座り続ける」。そこには、弟子とは何かという問いに対する、きわめて具体的で、きわめて静かな答えがあります。
 十二弟子が姿を消したその場所に、あまり知られていない女性たちと、これまで表に出てこなかった一人の男が立っています。彼らは語りません。ただ、主のためにできることをし、主のそばにとどまり続けます。神の国に入ることが「人にはできない」その金持ちが、神によって弟子とされ、主のからだを受け取ります。何もできないと思われた女性たちが、主の死と埋葬と復活の連続した証人とされます。ここに、神が弟子を起こされるという事実が、静かに、しかし確かに示されています。
 そして、ヨセフが人の手で「転がして閉じた」大きな石を、神は復活の朝に「転がして開かれ」ます。人ができることと、人にはできないこと。その境界線の向こう側で、神は救いの業を完成されます。私たちが主のそばにとどまり、主のためにできる小さなことを忠実に行うとき、神はその小さな従順を、復活のいのちへとつながる道の一部として用いてくださいます。
 埋葬の場面は、終わりではありません。ここは、復活の光が差し込む直前の、深い静けさの場所です。ヨセフと二人のマリアが示したように、私たちもまた、この静けさの中で主にとどまり、主に仕える者でありたい。神が弟子を起こし、神が石を動かし、神がいのちを与えてくださる。その確かさの中で、私たちの歩みもまた、復活へと続いていきます。

【キリスト教史解説】牧師ボンヘッファー ― ナチズムに抵抗し処刑された神学者

 

牧師ボンヘッファー(1906–1945)― ナチズムに抵抗した神学者


0. 本日の要点

  1. 若き神学者の出発 ―『聖徒の交わり』の教会論
  2. ナチ政権と教会の闘い ― 告白教会と牧師養成
  3. 帰国の決断と抵抗運動への参加
  4. 逮捕から処刑まで
  5. ボンヘッファーが問い続けたこと

1. 基本データ

項目内容
名前ディートリッヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer)
生没1906年2月4日 – 1945年4月9日(39歳)
出身ブレスラウ(当時ドイツ領、現ポーランドのヴロツワフ)
立場ドイツの牧師・神学者。ナチ時代は告白教会で活動
最期フロッセンビュルク強制収容所で処刑

2. 生い立ちと学び(1906〜1927年)

  • 学者の家庭に生まれる。父カールは精神医学者で、のちにベルリン大学教授
  • 8人きょうだいの6番目。双子の妹がいる
  • 1912年、一家でベルリンへ移る
  • 十代で神学の道に進むことを決め、テュービンゲン大学(1923年〜)、ベルリン大学で学ぶ
  • 1927年、学位請求論文『聖徒の交わり』を提出。同年12月、21歳で博士号を取得
    • ※ 書籍としての刊行は1930年

3. 『聖徒の交わり』の教会論

  • テーマは「教会とは何か」
  • 教会をキリストにおける人間相互の交わりとして捉える
  • 鍵となる定式:「共同体として存在するキリスト」(Christus als Gemeinde existierend)
    • キリストは、人と人とが支え合い、責任を負い合う教会の交わりのなかに現に存在する
  • 神学に社会学の視点を取り入れて論じた
  • カール・バルトは「神学的な奇跡」と評した
  • → 教会を具体的な交わりとして見る視点は、その後の歩み全体を貫く

4. ニューヨーク留学と帰国(1930〜1931年)

  • 1930年、大学教授資格論文『行為と存在』を完成
  • 1930〜31年、ニューヨークのユニオン神学校に留学
    • アメリカの神学・教会生活に触れる
    • ハーレムの黒人教会(アビシニアン・バプテスト教会)に通い、人種差別のなかを生きる人々の信仰と礼拝に深く触れる
  • 1931年に帰国
    • ベルリン大学の私講師
    • ベルリン工科大学の学生牧師

5. ヒトラー政権の成立と教会(1933年)

  • 1933年1月、ヒトラーが首相に就任
  • ナチ政権は教会を自らの支配下に置こうとする
  • 協力勢力:「ドイツ的キリスト者」
    • ユダヤ系の出自を持つ牧師を排除する「アーリア条項」を教会にも導入しようとした
  • ボンヘッファーは早くからこれに反対
    • 1933年4月、論文「教会とユダヤ人問題」
  • → ナチズムによる教会支配と人種主義に、はっきりと批判的な立場をとる

6. ロンドン時代(1933〜1935年)

  • 1933年秋、ロンドンへ。2つのドイツ人教会(シデナム、聖パウロ教会)で牧会
  • 国際的なエキュメニカル運動に関わる
    • 教派や国境を越えて、教会の一致と協力を目指す運動
  • 英国国教会のチチェスター主教ジョージ・ベルと出会う
    • ベル主教はボンヘッファーを通してドイツの教会の状況を知り、以後も長く彼を支えた

7. 告白教会と牧師研修所(1934〜1940年)

年出来事
1934年5月バルメン宣言の採択。ナチ政権に協力する教会勢力に対抗する「告白教会」が形成される
1935年ボンヘッファー帰国。告白教会の牧師研修所の責任者となる
1935年研修所はツィングストに置かれ、まもなくフィンケンヴァルデへ移転。共同生活をしながら候補生を指導
1937年ゲシュタポにより研修所が閉鎖される
1937〜1940年「集合牧師補制度」の形で非合法に牧師養成を継続(1940年3月に閉鎖)
  • 集合牧師補制度:候補生を名目上は各地の牧師のもとに配属しながら、実際には共同生活を続けた(東ポメルンのケスリン、シュラーヴェ/ジグルツホーフ)
  • この時期の経験から、『キリストに従う』(1937年)、『共に生きる生活』(1939年)が生まれた

8. 帰国の決断(1939年)

  • 1939年6月、再び渡米。戦争が迫り、兵役の問題も抱えていた彼のために、アメリカの友人たちが活動の場を用意した
  • 約1か月で帰国を決断
  • ラインホールド・ニーバー宛の手紙(要旨)

    この時代の試練を同胞と共に担わなければ、戦後のドイツでキリスト教の生活を再建することに加わる資格はない

  • 1939年7月、ドイツへ戻る
  • 9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まる

9. 抵抗運動へ(1939〜1943年)

  • 義兄ハンス・フォン・ドーナーニ(姉クリスティーネの夫)が橋渡し役
  • 国防軍情報部(アプヴェーア)
    • 組織の一部が、ヒトラー政権の打倒を目指す抵抗グループの拠点になっていた
  • ボンヘッファーはアプヴェーアの嘱託となる
    • 表向きは情報部の任務として国外(スイス、スウェーデンなど)へ渡航
    • 国外の教会関係者を通じて、ドイツ国内の抵抗勢力と連合国側との連絡に関わる
  • 1942年5月、スウェーデンのシグトゥーナでベル主教とひそかに会見
  • ユダヤ人をスイスへ逃がす救出作戦にも関与

10. 逮捕と獄中(1943〜1945年)

年月出来事
1943年1月マリア・フォン・ヴェーデマイヤーと婚約
1943年4月5日逮捕。きっかけは救出作戦の資金の流れなどをめぐる捜査。ベルリンのテーゲル軍刑務所に拘禁
獄中親友エーバーハルト・ベートゲに多くの手紙を書く
1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂事件。その後、抵抗運動の関係文書が発見され、関与が明るみに出る
1944年10月ゲシュタポ本部(プリンツ=アルブレヒト通り)の監獄へ移される
1945年2月ブーヘンヴァルト強制収容所へ移送
  • ※ 逮捕の段階では、抵抗運動の核心はまだ知られていなかった

11. 最期(1945年4月)

  • いくつかの場所を経て、フロッセンビュルク強制収容所へ
  • 4月8日、ヒトラーの命令による親衛隊の即決裁判で死刑判決
  • 4月9日早朝、処刑(39歳)
    • 同日、アプヴェーア長官カナーリス提督らも処刑される
  • その後
    • 約2週間後、収容所がアメリカ軍によって解放
    • 4月30日、ヒトラー自殺
    • 5月、ドイツ降伏
  • → ナチ体制の崩壊は目前に迫っていた

12. 主な著作

著作年内容
『聖徒の交わり』1930年刊博士論文。教会論
『行為と存在』1931年刊大学教授資格論文
『キリストに従う』1937年弟子としての生き方。「安価な恵み」批判
『共に生きる生活』1939年フィンケンヴァルデでの共同生活から
『倫理』遺稿戦時中に執筆、未完
『抵抗と信従』遺稿獄中書簡・獄中で書かれた文章
  • 『倫理』『抵抗と信従』は、戦後ベートゲが編集・出版
  • 特に『抵抗と信従』は世界中で読まれた

13. ボンヘッファーの問い

  1. 教会はどうあるべきか
    • 教会を、人と人との具体的な交わりとして考える
  2. キリスト者の責任とは何か
    • 『キリストに従う』:従うことを求めない恵みを「安価な恵み」と呼んで批判した
    • 恵みは、それに応えて生きることと切り離せない
  3. 国家権力と不正義にどう向き合うか
  4. 信仰と実践を切り離さない
  • ※ 牧師が政権打倒を目指す抵抗運動に加わったことの評価には、現在もさまざまな議論がある

14. まとめ

  • 21歳で教会論の博士論文を書いた、早熟な神学者
  • ナチ政権の教会支配と人種主義に反対し、告白教会で牧師の養成に力を注いだ
  • アメリカに留まる道を捨て、苦難を共にすることを選んで帰国した
  • 抵抗運動に加わり、1945年4月9日、戦争の終わりを目前にして処刑された
  • その生涯と著作は戦後の神学と世界の教会に大きな影響を与え、信仰と社会的責任の関係について今も問いを投げかけている

略年表

年代出来事
1906年ブレスラウに生まれる
1912年一家でベルリンへ
1923年テュービンゲン大学で神学を学び始める
1927年『聖徒の交わり』を提出、博士号取得
1930〜31年ユニオン神学校に留学
1931年帰国。ベルリン大学私講師、ベルリン工科大学学生牧師
1933年1月ヒトラー、首相に就任
1933年秋ロンドンで牧会(〜1935年)
1934年5月バルメン宣言、告白教会の形成
1935年帰国、牧師研修所の責任者に(ツィングスト→フィンケンヴァルデ)
1937年研修所閉鎖。『キリストに従う』
1939年『共に生きる生活』。6月渡米、7月帰国。9月、第二次世界大戦始まる
1940年集合牧師補制度の閉鎖。この年からアプヴェーアの嘱託に
1942年5月シグトゥーナでベル主教と会見
1943年1月婚約、4月5日逮捕(テーゲル軍刑務所)
1944年7月20日事件。10月、ゲシュタポの監獄へ
1945年2月ブーヘンヴァルトへ。4月9日、フロッセンビュルクで処刑


2026年10月19日月曜日

【キリスト教史解説】カノッサの屈辱─叙任権闘争の転換点

 

カノッサの屈辱(1077年)― 王はなぜ、城門の前に立ったのか


0. 本日の要点

  1. 何が争われていたのか ― 叙任権という問題
  2. 王はなぜカノッサへ行かなければならなかったのか
  3. カノッサで何が起き、それをどう評価すべきか
  4. 事件のあと、王と教皇の争いはどうなったのか

1. 二人の主人公

ハインリヒ4世グレゴリウス7世
地位ドイツ王(ローマ王)ローマ教皇
就任1056年、父の死により5歳で王位1073年
特徴1084年に皇帝として戴冠教会改革を強力に推進(グレゴリウス改革)

呼称についての注意

  • 「神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世」と呼ばれることが多いが、カノッサ事件(1077年)の当時はまだ皇帝ではない
  • 「神聖ローマ帝国」という国号自体も12〜13世紀以降のもので、この時代にはまだない

2. 背景 ― 叙任権とグレゴリウス改革

2.1 叙任権とは

  • 司教や修道院長を任命し、その職に就ける権限
  • 当時の司教・修道院長は、宗教的職務に加え、広大な所領・収入・政治的権限を持つ
  • ドイツ王はオットー朝以来、司教を王国統治の支柱とし、その任命に深く関与(帝国教会政策)
  • → 叙任権は単なる人事の問題ではなく、統治そのものの問題

2.2 グレゴリウス改革

  • 11世紀の教会改革運動。改革派が特に批判したのは次の二つ
    • 聖職売買(シモニア):金銭による聖職の売買
    • 聖職者の妻帯(さいたい)(ニコライズム)
      • 西方教会では古くから聖職者に独身・禁欲が求められていたが、11世紀には妻を持つ司祭が少なくなかった
      • 教会財産が子に受け継がれ、聖職が世襲化するおそれ
      • 聖職者は世俗の生活から区別されるべきだという考え
  • 弊害の根本に「俗人による聖職者の任命」があると考えた
  • 1075年、グレゴリウス7世は俗人叙任を禁じたとされる
    • ※ 条文が残らず、存在や内容に議論あり。明確な条文は1078年・1080年の教会会議

3. 対立の始まり(1075〜1076年)

年月出来事
1075年ミラノ大司教の任命をめぐる争い。王が教皇の意向に反して自派の人物を立てる
1076年1月ヴォルムス教会会議:王がドイツの司教たちにグレゴリウス7世の廃位を宣言させる
1076年2月ローマ教会会議:教皇が王を破門し、臣下を王への忠誠の誓いから解く
  • 先に相手を退けようとしたのは王の側だった

4. 破門の衝撃

  • 破門は宗教的制裁にとどまらず、王の政治的基盤を揺るがした
  • 背景:ドイツ諸侯のあいだには、もともと王への不満があった(1073年に始まるザクセン人の反乱など)
  • 1076年10月、トレブール(トリブール)の会合
    • 破門から1年以内に赦しを得なければ、ハインリヒを王と認めない
    • 翌1077年2月、アウクスブルクに教皇を招き、王の処遇を決める予定
  • → 王は崖っぷちに立たされた

5. カノッサ城の前で(1077年1月)

  • 王は教皇がドイツに入る前に赦しを得ようと、真冬のアルプスを越えてイタリアへ
  • アウクスブルクへ向かう途中の教皇は、王の意図を測りかね、北イタリアのカノッサ城に身を寄せる
    • トスカーナ女伯(じょはく)マティルデの居城。マティルデは教皇の有力な支持者
  • 1月25日から3日間、王は城門の前で、裸足に粗末な羊毛の衣という贖罪者の姿で赦しを請い続けたと伝えられる
  • 1月28日、教皇は破門を解く

6. 史料をどう読むか

史料立場・性格主な記述
グレゴリウス7世の書簡(ドイツ諸侯宛、事件直後)自らの判断を諸侯に説明する目的3日間、裸足、羊毛の衣で城門の前にいた
ヘルスフェルトのランペルト『年代記』ハインリヒに批判的その冬の厳しい寒さを詳しく描写
  • いずれも同時代史料。ただし、どちらも一方の立場から書かれている
  • 劇的な場面ほど、誰が、どんな目的で書いたのかに注意して読む

7. 「屈辱」か、「勝利」か

7.1 伝統的な理解

  • 教皇権が世俗権力に勝った象徴的事件
  • 「カノッサの屈辱」は日本で定着した呼称。ドイツ語では「カノッサ行き(Gang nach Canossa)」が一般的
  • 1872年、文化闘争期のビスマルク:「我々はカノッサには行かない」
    • 国家が教会に屈服することの代名詞に

7.2 近年の評価

  • ハインリヒ側から見れば戦術的な成功だったとする見方が有力
    • 破門が解かれ、諸侯は王を廃する根拠を失った
    • 教皇がドイツで王を裁くという計画も実現しなかった
  • → 頭を下げることで、王は王位を守ったとも言える

8. その後の展開

8.1 対立王と再破門(1077〜1080年)

年月出来事
1077年3月フォルヒハイムで、反国王派の諸侯がシュヴァーベン公ルドルフ(ラインフェルデンのルドルフ)を対立王に選出。ドイツは内戦へ
1080年3月教皇が王を再び破門し、ルドルフを王と認める
1080年6月ブリクセン教会会議:グレゴリウス7世の廃位を宣言、ラヴェンナ大司教ウィベルトを対立教皇に擁立(クレメンス3世)
1080年10月ルドルフ、エルスター河畔の戦いの傷がもとで死去 → 王はイタリア遠征に注力

8.2 ローマの攻防(1084〜1085年)

年月出来事
1084年3月王がローマに入城、クレメンス3世を即位させる
1084年3月31日ハインリヒ4世、クレメンス3世の手で皇帝として戴冠
1084年5月サンタンジェロ城に籠もる教皇を、ノルマン人の指導者ロベール・ギスカールが救出
1084年ノルマン軍によるローマ略奪。市民の反感が教皇に向かう
1085年5月25日グレゴリウス7世、サレルノで死去

カノッサで王に頭を下げさせた教皇は、ローマを去って生涯を終えた。


9. ヴォルムス協約(1122年)

  • 皇帝ハインリヒ5世と教皇カリストゥス2世のあいだで締結
  • 叙任権闘争は一応の決着をみる
教会皇帝
授与するもの指輪と杖による叙任笏による世俗的権益の授与
性格霊的な権限世俗の権限
  • ただしドイツでは、司教選挙に皇帝が立ち会うことも認められた
  • → 世俗権力の関与は、形を変えて残った

10. まとめ

  • カノッサの屈辱は、叙任権をめぐる王と教皇の争いの中で起きた出来事
  • 王は城門の前で赦しを請い、教皇は破門を解いた
  • 教皇権の勝利の象徴として語られてきたが、王にとっては王位を守るための計算された一手でもあった
  • 争いはその後も続き、1122年のヴォルムス協約で一応の決着
  • カノッサの出来事は、中世ヨーロッパの人々が教会と国家それぞれの権威をどう考えていたのかを映し出す鏡である

略年表

年代出来事
1056年ハインリヒ4世、5歳で王位を継ぐ
1073年グレゴリウス7世、教皇に就任。ザクセン人の反乱始まる
1075年俗人叙任の禁止(とされる)。ミラノ大司教問題
1076年1月ヴォルムス教会会議(王による教皇廃位宣言)
1076年2月教皇、王を破門
1076年10月トレブールの会合
1077年1月25〜28日カノッサ。28日に破門解除
1077年3月ルドルフ、対立王に
1080年再破門(3月)、ブリクセン教会会議(6月)、ルドルフ死去(10月)
1084年ハインリヒ4世、ローマ入城・皇帝戴冠。ローマ略奪
1085年グレゴリウス7世、サレルノで死去
1122年ヴォルムス協約
1872年ビスマルク「我々はカノッサには行かない」

主な参照

  • グレゴリウス7世書簡(ドイツ諸侯宛、1077年1月)『教皇登録簿』(Registrum)IV, 12
  • ヘルスフェルトのランペルト『年代記』(Annales)1077年の項
  • ヴォルムス協約(1122年)皇帝証書・教皇証書
  • ビスマルク、帝国議会演説(1872年5月14日)

【宗教学】カルト宗教で終末予言がハズれた時──宗教心理学から読み解く認知的不協和の心理 #レオン・フェスティンガー

 


レジュメ


0. はじめに:問題の所在

  • 終末預言が外れても、信仰を保ち続ける人がいる
  • 預言を再解釈し、むしろ信仰を強める人さえいる
  • 本講で扱う3つの事例
    1. エホバの証人の「1975年」
    2. 末日聖徒イエス・キリスト教会の神殿建設の啓示
    3. 1844年の「大失望」(ミラー運動)
  • 分析の視点:認知的不協和理論

1. 認知的不協和とは何か

1-1. 定義

  • 信念と現実が食い違ったときに生じる心理的な緊張・不快感
  • 体系化:レオン・フェスティンガー(米国の社会心理学者)

1-2. 不協和を小さくする方法

  • 信念そのものを修正する
  • 預言の意味を解釈し直す
  • 外れた理由を新たに説明する
  • 仲間との結びつきを強め、信念を支え合う

→ 矛盾に直面しても、信念を捨てるとは限らない

1-3. 『予言がはずれるとき』(1956年)

  • UFOによる終末を予言した小集団を、研究者が身分を隠して観察
  • 予言の失敗後、信者は外部への布教を活発化させた
  • 解釈:支持者が増えれば不協和は和らぐ

1-4. 研究への批判

  • 研究者の参加が集団の動きに影響した可能性
  • 観察記録の信頼性への疑問

2. エホバの証人:1975年をめぐる期待

年出来事
1966書籍『神の子たちの自由のうちに得る永遠の命』が、アダム創造から6000年の終わりを1975年とする年代計算を示す
1966〜75期待を高める記事が出版物に続く
1975何事もなく過ぎる
1980『ものみの塔』3月15日号が、一部の記述が望ましい以上に断定的だったことを認める
  • 組織は「1975年に世界が終わる」と公式に断言してはいない
  • ただし期待を強める表現は存在した
  • 反応は一様ではない:期待を修正して留まる人/離れる人

3. 末日聖徒イエス・キリスト教会:神殿建設の啓示

3-1. 啓示の内容

  • 『教義と聖約』84章(1832年9月)
  • ミズーリ州インディペンデンスに新エルサレムの都と神殿を建設
  • 神殿を「この世代のうちに」建てる

3-2. その後の経緯

  • 1833年末、信徒がジャクソン郡から追放され、神殿は建たず
  • 『教義と聖約』124章:敵対者に妨げられた命令は求めない、との趣旨
  • 教会の理解:神殿はいずれ建てられる
  • 批判側:成就しなかった預言の例
  • 補足:現地には分派コミュニティ・オブ・クライストの神殿(1994年献堂)があるが、84章の想定とは別の文脈

3-3. 分析の視点:区別すべき3つの層

  1. 当初の文書は何を述べたか
  2. 当時の人々は何を期待したか
  3. 後世にどんな解釈が生まれたか

4. 1844年の大失望

4-1. 経緯

時期出来事
当初ミラーがダニエル書を独自に計算し、1843年3月21日〜1844年3月21日の再臨を説く
1844年3月期限が過ぎる(1度目の失敗)
1844年8月サミュエル・スノーが、贖罪の日(第七の月の十日)=10月22日と提示。「第七の月運動」が拡大し、ミラーも受け入れる
1844年10月22日再臨は起こらず=大失望

4-2. 再解釈

  • 誤りは日付ではなく「その日に起こる出来事の理解」にあった
  • 10月22日=天の聖所でのキリストの働きが新段階に入った日
  • → 後のセブンスデー・アドベンチスト教会の教理へ

4-3. 注意点

  • 心理的防衛だけでは説明できない(聖書解釈の伝統、宗教体験、共同体の再編成)
  • ミラー派は複数の流れに分かれた。ミラー自身はSDAに加わっていない

5. なぜ信仰を維持するのか

  1. これまでの歩みを無意味にしたくない
    • 長年の活動・献金・人間関係の変化
    • 関連概念:努力の正当化、サンクコスト効果
  2. 預言の再解釈
    • 意味の変更、成就時期の延期
  3. 集団への帰属
    • 宗教は生活の基盤でもある
    • 仲間との支え合いや布教が不協和を和らげる
  • ただし、失敗をきっかけに離れる人もいる
  • 信仰の継続は、教義への確信だけでなく生活環境・人間関係にも左右される

6. 宗教だけの問題なのか

  • 身近な例
    • 支持する政治家の失敗を認められない
    • 投資の損失を認めず、資金をつぎ込む
    • 計画を見直せず、損失を広げる
  • 宗教的終末預言と同じ現象ではないが、「信念を手放す難しさ」は共通
  • 「愚かだから信じ続ける」という説明は不十分

7. まとめ

  • 3つの事例は預言の種類が異なる
  • 共通して見えるのは、信念を修正・再解釈し、ときに手放す過程
  • 人は矛盾に直面しても信念を捨てるとは限らない
  • 理解には、心理と社会的環境の両面が必要

考えてみよう

預言が外れたとき、信者は何を守ろうとしているのか。

  • 神への信仰か
  • 指導者への信頼か
  • 仲間とのつながりか
  • 「自分の人生には意味があった」という確信か

参考文献

  • L. フェスティンガー、H. W. リーケン、S. シャクター『予言がはずれるとき』水野博介訳、勁草書房、1995年(原著1956年)
  • L. フェスティンガー『認知的不協和の理論』末永俊郎監訳、誠信書房、1965年(原著1957年)
  • 『神の子たちの自由のうちに得る永遠の命』ものみの塔聖書冊子協会、1966年
  • 『ものみの塔』1980年3月15日号
  • 『教義と聖約』84章、124章

1-2-1 キリスト教史解説(教会史)

アンティオキアのイグナティオス ──「使徒教父」、「殉教死」、最初の「公同の教会」提唱、「イグナティオスの手紙」(真正書簡7通) (35年頃–107/110年頃)  スミュルナのポリュカルポス ― 使徒時代と2世紀をつないだ教父 (69年頃–155年頃)  殉教者ユステ...