【小論】マルコ福音書における女性たち
1. マルコ福音書に登場する女性の総数と実名性
マルコ福音書において言及されている女性は、合計で15名に及ぶ。筆者は、イエスの母マリアと「小ヤコブとヨセの母マリア」とを同一人物と考えるが、本稿では差し当たり別個の人物として数える。 この15名のうち、実名が明示されている女性は以下の5名である。
- イエスの母マリア
- ヘロディア
- マグダラのマリア
- 小ヤコブとヨセの母マリア
- サロメ
このことから、マルコ福音書における女性表象は、大多数が匿名のまま描かれているという特徴を有していると言える。匿名性は、女性たちを個人史的存在としてよりも、物語機能的・神学的役割を担う存在として前景化する効果をもたらしている。
2. 「仕える」女性――ディアコニアのモチーフ
マルコ福音書において、「仕える(διακονεῖν)」という行為を実際に行っている人物として明示的に描かれているのは、シモンの姑と、ガリラヤから従ってきた婦人たちである。 シモンの姑は、癒やしの直後に「彼らに仕えた」と記されており(1:31)、これはイエスの活動開始直後における最初のディアコニアの実践である。一方、十字架記事において言及される婦人たちは、「イエスがガリラヤにいた時に従い、仕えていた」と回顧的に描写される(15:40–41)。 Witherington が指摘するように、これらの婦人たちは単なる観察者ではなく、弟子集団の周縁に位置するもう一つの弟子層として理解されるべき存在である1。
3. イエスの母マリアと「真の家族」主題
マルコ福音書におけるイエスの母マリアへの明瞭な言及は、主として二箇所に限られている。第一は、イエスの身内が彼を取り押さえに来た文脈を引き継ぎつつ、「真の家族」が再定義される場面(3:31–33)であり、第二は、イエスが故郷に帰った際の言及(6:3)である。 特に3章31–35節では、母および兄弟たちが外に立つ一方で、イエスは「神の御心を行う者」こそが自らの家族であると宣言する。この文脈において、マリアは血縁関係のある特権的存在としてではなく、再定義される家族概念の中に位置づけられる存在として描かれている。 なお、イエスの故郷がナザレであることは、すでに1章9節および1章24節において特定されている。
4. マルコ福音書に登場する女性の一覧
以下に、マルコ福音書で言及される女性を登場順に整理する。
- シモンの姑(1:29, 31)
- イエスの母マリア(3:31–32; 6:3)
- ヤイロの娘(5:23, 35, 41–43)
- 長血を患う女性(5:25–34)
- イエスの姉妹たち(6:3)
- ヘロディア(6:17, 19, 24, 28)
- ヘロディアの娘(6:22–28)
- シリア・フェニキアの女性(7:25–30)
- 「やもめの献金」の女性(12:42–44)
- 香油を注いだベタニアの女性(14:3–9)
- 大祭司の邸宅にいた女中(14:66, 69)
- 十字架のもとに立つ婦人たち(15:40–41)
- マグダラのマリア(15:40, 47; 16:1[9])
- 小ヤコブとヨセの母マリア(15:40, 47; 16:1)
- サロメ(15:40; 16:1)
5. まとめ
マルコ福音書における女性たちは、物語の周縁に置かれながらも、癒やし、信仰告白、奉仕、証言、そして受難と復活の場面において決定的な役割を果たしている。とりわけ、男性弟子たちが沈黙や逃亡によって描かれるのに対し、婦人たちは「従い」「仕え」「見届ける」存在として一貫して描写されている点は注目に値する。 このことは、マルコ福音書が描く弟子像が、十二弟子の枠に限定されない、多層的構造を有していることを示唆している。
脚注
1: Ben Witherington III, The Gospel of Mark: A Socio-Rhetorical Commentary, William B. Eerdmans Publishing Company, 2001, p.442.
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