2025年6月2日月曜日

光の教会【礼拝説教】マルコ福音書講解説教04「洗礼者ヨハネの現れ 1」

 

撮影場所:茨木春日丘教会 礼拝堂(光の教会)

撮影日時:2025年5月12日

説教題:「洗礼者ヨハネの現れ 1」


ーーー聖書本文ーーー

聖書箇所:マルコによる福音書 1章2-8節


2預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。

3荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、

4洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

5ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

6ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。

7彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。

8わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」


ーーー説教テキストーーー

 マルコによる福音書連続講解説教の4回目となります。前回は、冒頭の1章1節、その中にある「神の子」という語について、マルコ福音書の著者が込めたところの特別な意味について、深掘りをいたしました。マルコにとって神の子とは、無惨にも十字架にかけられて死を遂げた、イエス・キリストである、ということに他なりません。当時、「神の子」と言えば、まずはローマ皇帝でした。あるいは、神がかり的な力を持つ人、偉大な指導者、そういったものを表していました。ところがマルコは、そうではない、というメッセージを、この福音書全体に埋め込んでいるのです。そうして、壮絶な十字架の死を遂げたイエス。それが最も端的に表された箇所が、まさにキリストの十字架死の瞬間である、15章39節です。

Mar015039百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

 その時に私がコメントしたことですけれども、百人隊長のセリフ「本当に」という言葉、これは単に彼のセリフではなくして、執筆者自身の心の叫びであると。そして、本書のクライマックスであると。


 そうして今回は、1章2節以下に進みます。先の1章1節は、体言止めになっていまして、そこから、「神の子イエス・キリストの福音」までが本書のタイトルで、「初め」というのが、本書の序盤部分を指すのではないか、と述べました。では、その序章に何が書いてあるのかと言いますと、「洗礼者ヨハネ」であります。

 この洗礼者ヨハネという人物、イエス・キリストが宣教活動を行う少し前、ヨルダン川のほとりに突如として現れまして、そうして、神の審判と悔い改めを告げ知らせ、悔い改めの洗礼というものを授けた人です。4節から5節に、次のようにある通りです。

Mar001004洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。Mar001005ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

 神の審判と聞くと、私たちはとかく、「脅し文句かそれは」などと思ってしまいがちなのですが、それが脅しかどうかは、それを受け止める側、その人間の心に刺さるかどうかなのです。私たちも、現在の環境問題、戦争問題、人口問題、資源の枯渇、世界を支配する影の力、そういったものを見聞きしていると、「人類は滅びるのではないか」といった気持ちになります。当時も、形は違って似たようなものだったのでしょう、この洗礼者ヨハネのメッセージが、多くの人々の心に響きました。しかも、彼が説いたメッセージは、「罪の赦し」であったとあります。すなわち、救済です。あるいは、厳しさ7割、愛情3割の、神の愛であります。赦しの愛です。

 そうして、多くの人々が、彼のもとに押し寄せたことでした。同時代の資料を紐解いてみると、イエス・キリストの活動よりも、洗礼者ヨハネの活動の方が、どうも遥かに世に知られていたフシさえあります。

 また、洗礼者ヨハネは、その名前の通り、洗礼を授けたのですけれども、普通の洗礼ではありません。いや、今日の我々にとっては普通ではあります。「いやいや、それってどういうこと?かというと、それまでの当時、洗礼とはいわゆる清めの儀式の一つであって、繰り返し受けるものでした。しかし彼は、何回も何回も同じことの繰り返しのような、中途半端な悔い改めではなくして、腹括って一念発起、ここで自分のダレ切った人生変える!という意気込みで、たった一回きりで受ける洗礼というのを行ったのです。

 そして、今日の聖書箇所においても、キリストと洗礼者ヨハネとは密接な関係にありますけれども、後のキリスト教会は、基本的に、このヨハネの洗礼スタイルを踏襲したわけです。キリスト自身が洗礼を授けたかどうかという問題については、ヨハネ福音書4章2節に、「イエスご自身が洗礼を授けていたのではなく、弟子たちが授けていた」という記述があります。これが史実だとすれば、弟子たちがヨハネスタイルの洗礼をし始めた、ということになります。


 この箇所の説教は来週にも割り当てていますので、今日は、2節と3節における聖書引用の件について、解説しておきたいと思います。

Mar001002預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。Mar001003荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」

 まずは2節で、「預言者イザヤの書」とあります。こちら、我々の旧約聖書に収められている「イザヤ書」にあたるものでして、預言者イザヤといえば、預言者の中で最も熟成した人と言いましょうか、預言者を代表する人物であります。そのイザヤの言葉を収録したイザヤ書の言葉を引用しています。正確には、七十人訳聖書と呼ばれるギリシャ語聖書からの引用です。

 しかし実際には、2節の前半「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし」とあるところは、出エジプト記23章20節からの引用となっています。しかも、元々の文脈での意味から変更されていまして、元は「あなた」とあるところはイスラエルの民を指しています。「使者」というのは、約束の地へと導く先導者のことでして、つまり、神が使者を通じて約束の地へと導く、ということですね。

 他方のマルコでは、「あなた」をキリスト、「使者」を洗礼者ヨハネと置き換えて、意味を変更してというわけです。

 「なんかややこしくてついていけない」という方、これがマルコ福音書であり聖書の言葉ですので、ぜひ我慢してください。これでもわかりやすく解きほぐしていますので。また、2節後半、「あなたの道を準備させよう」は、マラキ書3章1節からの引用です。こちらは、元々の「我が道」が「あなたの道」へと書き換えられています。

 以上、一体なんなのかといいますと、まず、当時、複数の聖書箇所から引用してきて、それをまとめたものが既にあったのだろう、ということです。学術的には、「証言集」とか「テスティモニア」と言われているものです。ですから、原初のキリスト教徒は、今見たように、割と自由に聖書の言葉を受け止めて、で、元の文脈からも離れて、いわばその言葉の響きを受け取って、キリストと聖書の言葉を結びつけていた。そうして、まとめ集みたいなものさえ作っていたのだろうと。そしてマルコは、そうした証言集を手元に置いてこの書をしたためたか、あるいはもう記憶していて、それをここに書き留めたか、そういう生の執筆者の姿、こうして聖書が描かれたのかというということが、この2節から3節から読み取れるのです。

 あと、先に述べた、文脈から離れて、割と自由に響きで聖書の言葉を受け止めるという点。私たちも、キリスト教の教義から外れない限り、そういう読み方が許されると思います。なんだか意味はよーわからんけれども、なんか、この言葉が胸に響いたとか、それも良いと思います。

 まあ、それだけに、これとは対照的に文脈とか字義を読み取って、執筆者の意図を徹底的に掘り下げていく私の聖書講解も、ご評価いただければ幸いです。


2025年5月30日金曜日

光の教会【礼拝説教】マルコ福音書講解説教03「マルコ福音書における『神の子』の意味」2025年5月4日分

 

撮影場所:茨木春日丘教会 礼拝堂(光の教会)

撮影日時:2025年5月4日

礼拝説教実施日:2025年5月4日

礼拝説教実施場所:日本基督教団茨木春日丘教会

説教題:「マルコ福音書における「神の子」の意味」


ーーー聖書本文ーーー

聖書箇所:マルコによる福音書 1章1節


「神の子イエス・キリストの福音の初め」


ーーー説教原稿ーーー

「マルコにおける「神の子」の意味」(マルコによる福音書講解説教 第3回)

 マルコによる福音書連続講解説教の3回目となります。前回は、マルコ福音書の冒頭の一句「神の子イエス・キリストの福音の初め」を解説しました。内容をまとめますと、まず、「神の子イエス・キリストの福音」という章句は、マルコ福音書のタイトルのようなものではないか、ということでした。ただ、そこに「初め」という語が加わっていますから、そうすると、マルコ福音書の序盤を指す表題ではないか。では、どこまでを本書の序盤と見なすかになりますが、結論から言えば、13節まで、あるいは15節まで、すなわち、イエス・キリストが宣教活動を始める以前が、本書の序章と見なすのが良い、ということでした。

 また、イエスは人の名前。キリストは称号で、旧約聖書時代のメシアという語に由来し、これは「油注がれた者」という意味であると。すなわち、神から特別に選ばれた者という意味になります。また、イエス時代にはメシアという称号は専ら、神のもとから世に遣わされ、苦しく厳しい世の中を変えて、ユダヤの民、イスラエルの民に救済をもたらしてくれる「救世主」という意味合いを持っていました。以上が、前回のあらましになります。

 そこで今回は、1章1節に含まれる「神の子」という言葉に絞って、マルコがこの言葉に込めた、特別の思い、特別の意味合いを明らかにしていきたいと思います。


 まず、「神の子」という言葉、これはキリスト教に限らず、方々でよく使われるものです。例えばギリシャ神話では、文字通り、神々が産み落とした子供という意味で使われることもあれば、他方、神が特別に遣わした者、あるいは、神がかり的な力を持つ人も、「神の子」と呼んだりします。

 それなら、イエスに対して「神の子」と書く場合、どんな意味を持つのかといいますと、こうです。「父なる神」がありまして、それに対して、「子なる神」という位置づけなのだ、と言っておけば、問題はありません。

 そこで、これからマルコ福音書における「神の子」という章句が使われているところを見て参りたいと思いますけれども、ここで一つ、注意点があります。それは、正確に「神の子」と書かれていなくても、文脈としてそういう意味になっているという箇所です。例えば、1章9節以降の箇所、キリストの洗礼の記事がありますけれども、その場面で11節です。天から父なる神の声が響いて、こう語られています。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」、こちら、意味としては「神の子」ということになりますよね。もう一つ、ここでは時間の関係で詳細は述べませんが、9章2節以降の箇所、いわゆる「山上の変容」ないし「山上の変貌」と呼ばれている記事です。その9章7節に、こうあります。


7すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」

 声の主は父なる神ですから、これも先ほどのものと同様です。以上を改めて考えると、父なる神と子なるイエス・キリストとは、父と子という人間的な表現が使われているくらいですから、両者は非常に密な、愛の繋がりにあるわけです。そこで私たちキリスト教徒が思い浮かべるべきは、キリストの十字架の場面でして、そこではイエスが父なる神から引き離されて、その十字架の上で、「我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という叫びを上げて絶命される。ここには解釈上の問題があるわけですけれども、人間の罪を原因として、同時に罪の赦しのために、子なる神が父なる神から引き離されて苦しみを味わわれたのだ、という事実を思い浮かべる必要があるでしょう。

 次に、「神の子」という章句がそのまま使われている箇所を見ていきましょう。まずは、3章11節。


11汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。

 こちら、イエスが悪霊払いをするところでして、「汚れた霊」とある者たちが、キリストを「神の子」と呼んでいます。続けて次も見てみましょう。5章7節。


7大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」

 こちらもほぼ同様でして、悪霊に取りつかれた男がキリスト見て、「いと高き神の子イエス」と叫んでいます。悪霊が取りついていますから、実質、悪霊がそう呼んでいるようなものです。なんだ、霊たちがそう呼んでいるのかと。弟子たちはキリストを「神の子」とは呼んでいないのかと、不思議に感じるのではないでしょうか。だって、1章1節でバーンと、「神の子」と謳っているくらい、重要な読み方なのですから。ところが、弟子たちは一度たりとも、そう呼んではおりません。

一方、悪霊たち、霊たちというのは、霊的世界の存在ですから、目に見えない、けれども本質の世界、真理の世界を見える、知っている、という位置づけになっています。ですので、この霊たちというのは実は、イエスの正体を知っている、悟っている、ということになっているのです。実際、先ほどのところで、父なる神もキリストをそう呼んでいると。

 いくらなんでも、人間では誰もそう呼んではいないのかと。一人だけ、います。それなら、どんな場面でその人はそう呼んでいるのかと。これが、非常に意外というか、やはりというか、いずれにしても深い意味を持つところでして、それは、キリストの十字架上での絶命の場面なのです。


39百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

 百人隊長というのは、ローマ軍の兵士です。当然、ユダヤ人ではない異邦人。しかも、ユダヤを植民地支配する憎きローマの兵隊。その彼は、職務上、キリストの十字架の横で、警備をしているわけです。で、絶命までの一部始終を、誰よりも間近に見ている、そういう場面です。しかも彼のセリフ、今まで以上に最高潮に強調されていて、「本当に」という言葉が加わっていると。

 これが意味深でして、奇跡を行う姿を見てなら、「神の子」と呼ぶのなら理解できる。ところが、指導者層に嵌められ、群衆に十字架へと追いやられて、そこで人々から罵声を浴びる、愚弄される、散々な目に遭いながら、一方のイエスは一言も抗弁されることなく、ただ黙ってその辱めを忍び、最後はあの叫びを上げて、無残にも、無力にも死んでいった。そんな姿のどこに、「神の子」の力強き姿などあろうかと。この状況で、先の「本当に」という語が加わっている。

 まず間違いなく、マルコはこれを意識して書いていまして、これこそ、マルコが最も言いたいメッセージなのです。すなわち、本当の神の子、本当のメシア、キリスト、本当の福音は、このイエスの受難、キリストの十字架の死にあるのだと。これが、最終的な、そして最大のマルコのメッセージ。ということは、マルコは1章1節の冒頭から、「神の子」と入れて、十字架に向かっていると。


2025年5月29日木曜日

【キリスト教史解説】ポリュカルポスの手紙




<関連動画>

【キリスト教史解説】ポリュカルポス(使徒教父)について

https://youtu.be/rsatoZ4oIPE


【キリスト教史解説】使徒教父 使徒の教えを継承する者

https://youtu.be/hxFnBkkGwbk


ーーーレジュメーーー


【キリスト教史解説】ポリュカルポスの手紙 Epistle of Polycarp


🟢1 概要

時代:初期キリスト教時代の書。

🔴言語:ギリシア語

🔴分類:「使徒教父文書」(文書群)に含まれる。

    使徒教父文書=十二弟子の影響を受けた教父による書

🔴執筆者:小アジアのスミュルナの司教ポリュカルポス

🔴成立年代:110年から140年頃

・現存書簡は『ピリピ人への手紙』のみ。

・補足:パウロの「フィリピの信徒への手紙」は別。

    だが、関連性は高く、ポリュカルポスは教えを継承


🟢2 執筆の背景と目的

 1 イグナティオスの殉教死を受け、フィリピの教会に本書簡を

   送付。

 2 フィリピ教会の信仰の堅持

   迫害と殉教が背景に。殉教者イグナティオスが模範に。

 3 キリストを模範に、信仰の実践、愛と謙遜と忍耐。

 4 異端的教えに対する警戒

   特にグノーシス主義的キリスト教の教えに対して

   正統的教義の保持を勧告。

 


🟢3 内容

 1 イグナティオスを喜んで迎えたフィリピ教会への感謝

 2  信仰の堅持の勧告



🟢4 手紙の統一性の問題、文献学上の諸点==

・二通の書簡を結合させたという結合説がある。

・新約聖書文書における牧会書簡と、多くの共通点。

 具体的には……職制、用語、思想など

・ペトロの手紙一からの引用も多く認められる。

マタイによる福音書 4章1-11節「荒れ野の誘惑」(2012年4月29日)

 教会学校教案 2012年4月29日分

マタイによる福音書 4章1-11節「荒れ野の誘惑」


 概要

 今週の箇所では、主イエスが宣教の旅の開始に先立って、荒れ野にて誘惑を受けられた出来事が述べられています。この「荒れ野の誘惑」の記事には、マタイとよく似たルカ四・一ー一三と、とても短いバージョンのマルコ一・一二ー一三があります。そして、マタイとルカでは「悪魔」「サタン」「試みる者」と呼ばれる存在が現れます。彼らは、「サタン」というヘブライ語の元々の意味が示す通り「神に反する者」で、伝統的には天使が堕落した者として信じられています。要は、人間を超える者であり、神に敵対し、人を神から引き離そうとする者です。これをキッチリ子どもたちに伝え、関心が悪魔論にばかり惹かれないよう注意しましょう。

 「荒れ野」とは、かつて出エジプトを果たしたイスラエルが困難の内に試みを受け、敗北した場所です(参照、申命記八・二)。しかし、今や人間となられた主イエスが、同じ荒れ野にて「神の子」として試みを受け、これに勝利されることで、救いの約束を実現しようとされます。ですから、荒れ野の誘惑とは、単なる悪魔との闘いではなくて、同時に神のご計画でもあります。

 加えて、主イエスは私たちが悪魔と闘う際の手本を示されています。すなわち、御言葉を正しく解釈し、御言葉をもって万事に臨む姿勢です。以上を念頭に置いて、聖書を見てみましょう。

 解説

 「イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。」(一節):荒れ野の誘惑は、御霊によって導かれた神のご計画であると同時に、悪魔から受ける誘惑という二面を持ちます。「荒れ野」は、出エジプト後のイスラエルが受けた試みである荒れ野の四〇年と関連します。また、悪魔の試みの目的は、主イエスがメシアとなられることを阻止することに他なりません。「四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。」(二節):「四十」は荒れ野の四十年とも関連しますが、完全数といって完全性を象徴します。十分なまでの時間を主は耐えられたということです。この行為は、かつてモーセが行った断食をも暗示するでしょう(出エジプト記三四・二八)。また、「空腹」は原語では「飢える」です。人となられた主イエスは、人の弱さもお受けになっていますから、私たちと同じように飢え、渇き、疲れ、痛みを覚えるのです。そこへ「試みる者」すなわちサタンがやって来ました。「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。(三節):「神の子なら・・・」という文言は、六節で再度サタンによって繰り返され、さらに十字架の場面では、人々があざけりの言葉として主イエスに投げかけます(二七・三九)。「神の子なら自分を救え」と。しかし主は、肉の欲を満たすためだけに神の力を行使されません。なぜなら、それは神に従うことではなく、自分の欲の奴隷になることだからです。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(四節):「パン」は生きるためになくてはならない物の象徴。聖書さえ読んでいれば食べ物は必要ない、という意味ではありません。パンが人を支えるのではなく、神が人を生かして下さっています。そのことへの信頼が求められているのです。「それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて・・・」(五節):「聖なる都」はエルサレムのこと。神殿の最も高いところでしょう。「下へ飛びおりてごらんなさい。『・・・あなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」(六節):悪魔も巧みです。詩編九一・一一ー一二御言葉を用いているのですから!「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」(七節):主は申命記六・一六を引用してお答えになりました。御言葉は聖書全体から理解せねばなりません。次に悪魔は言いました。「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら・・・」(九節)。「ひれ伏してわたしを拝む」とは、悪魔ないし自分を<礼拝>することです。これに対し主は宣言されます。「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」(一〇節):ここでも主は申命記六・一三の御言葉を引用されます。

 まとめ

 主イエスは、空腹も痛みも感じない超人のように、この試みを受けられたのではありません。弱い私たちと同じように苦しまれたからこそ、苦しむ私たちの助けです(参照、ヘブライ人への手紙四・一五、二・一八)。

 「自分が納得しなければ信じない。」人は時にそんなわがままを言います。神を試みることは、神への不信です。しかし神が私たちを試みるのは、私たちが神を新しく知るためです。皆さんも、試練があって初めて、神がどのような方か知ったのではないでしょうか。いつも問題は、神の側にあるのではありません。神は約束を必ず果たされます。私たちが、主に委ねるか否かが問われています。主の確かさが、主が受けられた誘惑、さらには主の十字架によって示されているのです。神の確かさ、そして信頼の大切さを、子どもたちに語りましょう!(茨木春日丘教会 大石健一)


マタイによる福音書 26章69-75節「ペトロの三度の否認」(2013年3月17日分)

教会学校教案 2013年3月17日分

マタイ26:69-75「ペトロの三度のイエス否認」


 今回は、ペトロが主イエスのことを三度知らないと否定した、あの有名な出来事が主題です。主イエスが大祭司の邸宅で裁判を受けている間、ペトロは屋内に突入するわけでもなく、かといってその場から遠く逃げ去ることもなく、微妙な距離を保ちながら、半ば呆然と立ち尽くしていました。主の弟子にもなれず、主の敵にもなり切れない、なんとも中途半端な信仰者の姿をさらしています。ここに、使徒でさえも抱えていた人間の弱さ、罪に支配された人の脆弱さがよく示されています。けれども、ペトロの否定を主イエスが予告されていたという事実は、主はそうした人間の弱さをすべてご存知であり、なおかつそうした罪深き者を赦し、愛されていることを示しています。自分の弱さ、罪深さに押し潰されそうになる私たちですが、そんな私たちでさえも、自分のすべてを知っているわけではないことに気づくべきです。神がご存知でない、私たちの弱さや罪はありません。そんな私たちの深き闇に赦しが与えられることを思い巡らしながら、今日の聖書の言葉を読んでいきましょう。


 解説

「ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、『あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた』と言った。」(六九節):主イエスを見捨てて逃げた負い目、そして恐れに襲われているペトロを、「あなたもイエスの仲間だ」という指摘が追い込みます。「ペトロは皆の前でそれを打ち消して、『何のことを言っているのか、わたしには分からない』と言った。」(七〇節):かつて教会の土台となるとさえ主イエスに言われたペトロが、自己保身のために虚偽を語っています。ここには、ペトロ個人の罪ばかりか、私たち人間のそれが現れ出ています。「義人はいない」とある通りです。「ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、『この人はナザレのイエスと一緒にいました』と言った。」(七一節):ひとたび嘘をつけば、それ以降、嘘で塗り固め続けなければならなくなります。真実から逃げるようにして居場所を変えたペトロを、事実の一端を知る女性がさらに追い込みます。「そこで、ペトロは再び、『そんな人は知らない』と誓って打ち消した。」(七二節):虚偽に走ったペトロは、ここに至ってついにイエスとの関係を全否定します。「打ち消す」「知らない」「誓う」という一連の表現が、全力で主を否定するペトロの必死ぶりを強調しています。一六・一六におけるペトロの信仰告白の力強さと比べ、なんという落差でしょうか。これもまた彼個人だけの問題ではありません。これが、私もあなたもそうであるところの「人間」のありのままの姿ではないでしょうか。「しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。『確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。』」(七三節):主イエスを知らないと言い放ったペトロは、自責の念を抱き、なお主のことを案じていたのでしょう。だからこそ、危険が及ぶ状況下、かろうじてその場に踏みとどまっていました。こうした「どっちつかず」の姿勢は、私たちの信仰にも見られるものです。「そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。」(七四節):この時の彼は、自己を取り繕う余裕すら完全に失い、誓いを立ててまで主を「知らない」と言い放ってしまいました。「ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」(七五節):ペトロが三度目の否定をするや否や、鶏が鳴きました。その鳴き声は、主イエスがかつてペトロに語られた言葉を思い出させました。彼の号泣は、一つには、自分の力で主を信頼しようとして完全に挫折し、自己の真実の姿を悟ったことに由来し、もう一つとして、それを主イエスが一番良くご存知であったことに気づいたことによるものでしょう。


 まとめ

 かつて主イエスを「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ一六・一六)と告白したペトロは、この時、しかも誓ってまで主イエスを知らないと告白しました。自分の力、自分の決意、理想の自分、あるべき自分……そんな自分がもろくも崩れ去り、彼はありのままの自分をさらけ出しました。別の言葉で言えば、彼は自分に徹底的に挫折したのです。しかし、そんな自分は崩れて良いのです。なぜなら、信仰とは自分で築き上げるものではなく、どこまでも神から与えられるものだからです。砂の一粒も神の前に誇るものを持たない私たちを、それでも、否、だからこそ主は愛し、その罪を赦し、神の子として、弟子として立てて下さいます。そのことをペトロが知るのは、主イエスの十字架と復活の後でした。主が私たちを選び、主が私たちを立てて下さる。この一点に立ち続けましょう!

茨木春日丘教会 大石健一

2025年5月24日土曜日

使徒教父 ー使徒の教えを継承する者、クレメンス、イグナティオス、ポリュカルポス、パピアスなど

 

ーーーレジュメーーー

【キリスト教史】使徒教父 Apostolic Fathers, ca. 90-ca. 140 CE

 

1 概要

・年代は90年頃から140年。

・狭義 使徒たちの指導を受けた教父。

 広義 使徒から指導は受けていないが、意志を継承した教父。

・使徒教父によって執筆された一連の文書=「使徒教父文書」


2 定義、年代など

・伝統的には、使徒たちの教えを受けた教父たちだが……

・今日では、使徒たちと直接的な関係はないが、彼らの意志を継承した教父を表す。

・時代としては、1世紀後半から2世紀中葉の教父の活動期

・「使徒教父」という呼称:

 フランス人コトリエ J. B. Cotelier の17世紀の著書の表題に由来。

・使徒教父によって執筆されたとされる文書=「使徒教父文書」

 成立年代:第一クレメンスの90年代

       ?ヘルマスの牧者の150年代


・新約聖書文書の後期の書、推定成立年代順では、

 使徒言行録、第一ペトロ、ヨハネ福音書、ヨハネの手紙、

 ヨハネの黙示録、ヤコブの手紙、第一テモテ、第二テモテ、

 テトスへの手紙、第二ペトロ(150年頃)などの成立期と重なる

 →上記の文書の成立事情を分析する上で、使徒教父文書は重要


 3 代表的な使徒教父

・ローマのクレメンス

・アンティオキアのイグナティオス

・スミルナのポリュカルポス

・ヒエラポリスのパピアス

・『ヘルマスの牧者』の著者

・『バルナバの手紙』の著者

・『十二使徒の教訓』の著者


 4 使徒教父文書 

『バルナバの手紙』1世紀前半

『クレメンスの第1の手紙』96年頃

『クレメンスの第2の手紙』2世紀中葉

『ヘルマスの牧者』2世紀前半

『イグナティオスの手紙』2世紀初頭

『ポリュカルポスの手紙』イグナティオスの死の直後。110年前後

『ポリュカルポスの殉教』(19世紀以降に加えられた書)

『パピアスの断片』100-130年頃

『コドゥラトゥスの断片』117-124年頃

『ディオグネートスへの手紙』2世紀後半

『十二使徒の教訓』(『ディダケー』19世紀末に発見。1世紀末から2世紀初頭。ただし、教会的慣習に触れるパートについてはさらに昔に遡る可能性)


5 使徒教父文書について備考的事項

・『ディダケー』『バルナバの手紙』『第一クレメンス』『第二クレメンス』など = 新約聖書文書と同等の権威を持っていたが、

 ・『ディダケー』以外は執筆者が使徒性を主張していない

 ・内容的に正典文書の補足的なものである

 結果:新約聖書正典には組み入れられなかった。


・本来は護教文学に属する 『ディオグネートスへの手紙』

 11:1で「使徒たちの弟子」と自称している

 →使徒教父文書に組み入れられた。


6 思想、時代背景

・使徒教父たちの時代背景と直面していた課題

 =ローマ帝国による迫害

  異端との闘いである。


7 特徴ー殉教への崇敬

・ 『第一クレメンス』、『イグナティオスの手紙』、

  『ポリュカルポスの殉教』、『ヘルマスの牧者』

  =帝国による迫害、背教者の出現について言及。

・殉教の死がキリスト者の最高の栄誉であると主張。

・ただし、ローマ皇帝や帝国への批判や否定等は見られない。


8 特徴ー異端に対して

・イグナティオス、ポリュカルポス

 主な論敵はドケティズム信奉者

エヴァンゲリオンのキリスト教用語をキリスト教学講師が解説<後編:新約聖書・キリスト教伝承編>

 


ーーーレジュメーーー

【キリスト教】エヴァンゲリオンのキリスト教用語をキリスト教学講師が解説<後編:新約聖書・キリスト教伝承編>


1 「エヴァンゲリオン」 

・英:エヴァンジェリスト=福音伝道者、エヴァンジェリカル=福音主義の一派 

 ギリシャ語:ユーアンゲリオン(良き知らせ)→福音、ゴスペル

 *エヴァンゲリオン=エヴァンジェリカル+ユーアンゲリオン

  の組み合わせ?

・そもそも「福音」とは

 ユダヤ教の旧約聖書時代は、戦の勝利を伝えた兵士への褒賞

 イエス時代(新約聖書時代)は、ローマ皇帝即位などの「吉報」

 →キリスト教会がこの語を、キリストの再臨、贖罪、救済内容全体

  を指して使用 

 →今日ではほぼキリスト教用語に


2 「使徒」

・使徒 =Apostle(英)、アポストロス(ギリシャ語)ー「派遣された者」の意

 キリスト教会では、初期キリスト教会における弟子集団の中の中核的存在を指す

 

 <キリスト教会における2種の使徒>

 1 元々は、イエスの存命時の「十二人」の使徒

 2 イエスの復活後、十二使徒以外の使徒 ーパウロ、主の兄弟ヤコブ?

   (当時のキリスト教会のどの範囲まで認められていたのか不明)


3  ロンギヌスの槍

・作品中では、安置されているリリスに突き刺さっていた槍。


・「ロンギヌス」=イエスの十字架の際、脇腹を槍で刺した人物。

・ヤコブス・デ・ウォラギネ(ジェノバの司教)著『黄金伝説』(13世紀)

 刺突時に奇跡を見て回心し、イエスの血により眼力が回復。後に宣教師に。

 斬首により殉教。

・コンスタンティヌス1世の母后ヘレナによって聖十字架、聖釘と共に発見。

 ロンギヌスとその槍「聖槍」にまつわる、数々の伝説がもたらされていく。


4  十字架(Cross)

・作品中では、「使徒」が撃破された時や自死した時に生じる爆発光が十字。

・リリスが磔にされているところが十字架?


・キリストが磔刑に処せられた時の処刑具。

・元々は一本の杭に死刑囚を両手挙げの状態で縛り付けていたが、

 肺を圧迫してすぐに窒息死するため、生かして見せしめにする時間を長くすべく

 手を横に伸ばして磔にする十字型が主流となった。

・イエスの十字架が、杭型か十字型かどうかは、議論がある。

 イエスの処刑時期は、十字型が主流となるよりちょっと早目。

 イエスが割と早目に息を引き取った報告からすると、杭型の可能性あり。


5  ゴルゴダオブジェクト

・作品中では、超越的な存在や技術を指す。


・ゴルゴタ:イエスが十字架にかけられた場所の地名、名称。

 アラム語で頭蓋骨の意。ラテン語で頭蓋を意味する calva から、カルワリオともいう([英]Calvary)。キリストが磔刑に処せられたエルサレムにある丘の名称で、その丘の形状が頭蓋骨(されこうべ)に似ていたことが名称の由来であると推定される(マタイ27:33、マルコ15:22、ヨハネ19:17)。


・今日、その正確な位置を特定することは困難

・後4世紀前半にローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって建立され、現在は

エルサレム旧市街に位置する聖墳墓教会が同地に建てられたとされてはいるが、その場所がゴルゴタの丘のあった場所と正確に一致する確証はない。他方、旧市街北面にあるダマスカス門外の小丘「園の墓」を同地と同定する説もある。


6 Magi(マギ)システム

 1 第七世代有機コンピュータ。初の人格移植OS。 

 2 メルキオール、バルタザール、カスパーと名付けられた3機の半独立思考部分で構成。

 3 開発者の「女性」「母」「研究者」の側面をそれぞれが反映(私の記憶では)。

 

 ・マギ =新約聖書のマタイ福音書におけるイエス誕生物語に登場する

東方の占星術師たち(博士たち)。原文では単に複数形で書かれているのみで、人数は不明。伝承過程で3人とされて、カスパール、バルタザール、メルヒオールと名付けられた。いわゆる、「東方の三博士」。