2026年10月26日月曜日

ボンヘッファーとヒトラー暗殺計画─学術的考察


 


レジュメ


1. 問題の所在

  • ボンヘッファーは、しばしば「ヒトラー暗殺計画に加わった牧師」として紹介される。
  • そこから生まれる定番の問いが、「平和主義の牧師が、なぜ暗殺に加担したのか」である。
  • しかし「暗殺への同意」には段階がある。本レジュメでは、次の4つを区別して検討する。
段階問い
① 知っていた暗殺を含む計画を知る立場にいたか
② 協力した抵抗運動に手を貸したか
③ 承認した暗殺を道徳的に是認したか
④ 実行した実行計画に直接加わったか

2. 略年表

年月出来事
1906年ブレスラウに生まれる
1935–37年フィンケンヴァルデで告白教会の牧師候補生を指導
1937年『キリストに従う』刊行
1940年国防軍防諜部(アプヴェーア)の協力者となる
1942年5–6月シグトゥーナ(スウェーデン)でベル主教と会談
1942年末「十年後に」を執筆
1943年4月5日逮捕、テーゲル刑務所に収監
1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂事件(ボンヘッファーは既に獄中)
1944年9月ツォッセン文書の発見により陰謀への関与が露見
1945年4月9日フロッセンビュルク強制収容所で処刑

3. 抵抗運動への関与

(1) 防諜部への参加(1940年〜)

  • 義兄ハンス・フォン・ドナーニの仲介で、防諜部の民間協力者となる。
  • 防諜部は、カナーリス、オスターらを中心とする抵抗派の拠点の一つであった。
  • 名目上の「諜報員」として兵役を免れ、国外に出ることも可能になった。
  • 留意点:防諜部への参加が、そのまま暗殺計画への参加を意味するわけではない。

(2) シグトゥーナ会談(1942年)

  • 英国国教会のジョージ・ベル主教に、国内の反ヒトラー勢力の存在を伝えた。
  • 政権転覆後の和平の可能性について、英国政府への打診を依頼した。英国政府は応じなかった。
  • 留意点:交渉の目的は、暗殺そのものよりも、政権転覆後の政治的・外交的な見通しにあった。

4. 逮捕の理由(1943年)

  • 「作戦7」:ユダヤ人をスイスへ逃がした際の資金をめぐる、外貨法違反の嫌疑。
  • 防諜部を通じた兵役免除が「国防力破壊」にあたるという嫌疑。
  • 逮捕の理由は、暗殺計画ではなかった。 陰謀への関与は、1944年9月のツォッセン文書の発見で露見した。

5. 暗殺をめぐる証言と史料

(1) ヘフテンの問い

  • 1942年ごろ、のちにシュタウフェンベルクの副官となる将校ヘフテンが、「撃つべきか」と相談した。
  • ボンヘッファーは、撃つだけでは何も変わらず、政権の転換が伴わなければならない、と指摘したとされる。また、決断は本人が負うべきものだと応じたと伝えられる。
  • 史料上の注意:主な出典は、教え子ツィンマーマンの戦後の回想である。会話の時期にも異説がある。

(2) 「狂った運転手」の比喩

  • 暗殺を正当化した言葉として広く引用される。しかし、この形での典拠ははっきりしない。
  • 近い表現として、1933年の論文「ユダヤ人問題を前にした教会」にある「車輪」の比喩が知られる。ただし、これは国家に対する教会の責任を論じたもので、暗殺を論じたものではない。
  • 本人の言葉として断定的に引用することは避けるべきである。

(3) 本人の同時代テキスト

  • 「十年後に」(1942年末):抵抗の仲間に宛てて「責任ある行為」を論じた文章。回想ではなく、同時代の一次資料である。
  • 『倫理』(1940–43年執筆、未完):「罪の引き受け」を論じる。暗殺への参与を支える神学的枠組みとして読まれてきたが、暗殺を直接論じてはいない。両者を結びつけるのは解釈である。

6. 研究史:通説と異論

通説(研究の大勢)異論(少数説)
主張計画を知り、支持していた証拠の多くは戦後の回想に依存している
代表ベートゲの伝記(1967)、マーシュら後続の伝記作家Nation ほか Bonhoeffer the Assassin?(2013)
強調点「責任ある行為」としての抵抗平和主義の連続性
  • 異論は、史料の性格を問い直した点で重要な問題提起である。ただし、通説を覆したとまでは言えない。

7. 大衆的イメージ:2024年の映画をめぐって

  • 米国映画 Bonhoeffer: Pastor. Spy. Assassin.(2024)は、彼を「暗殺者」として描いた。これに対し、親族や研究者から批判が出た。
  • 次の二つの問題を区別する必要がある。
    • 史実の問題:彼は暗殺計画にどこまで関与したか。
    • 表現の問題:銃を手にした暗殺者として描くことは妥当か。
  • 表現への批判は、関与がなかったことの証明にはならない。

8. 結論

段階評価根拠
① 知っていたほぼ確実防諜部の中枢と近い関係にあった
② 協力した確実国外との連絡役、ベル主教との会談
③ 承認した有力だが異論あり根拠の多くは周辺者の回想
④ 実行した証拠なし実行計画への直接の関与は確認されない

抵抗運動への参加は事実として語ってよい。暗殺の承認は、解釈の問題として示すべきである。

9. 考察のための問い

  1. 「平和主義者がなぜ暗殺に加担したのか」という問いは、そもそも適切な問いか。
  2. 戦後の回想と同時代の史料を、どのように区別して扱うべきか。
  3. ボンヘッファーの言う「責任ある行為」とは何だったのか。

文献

邦文文献

  • エーバーハルト・ベートゲ『ボンヘッファー伝』全4巻、村上伸・雨宮栄一・森野善右衛門訳、新教出版社、1973–1974年(Eberhard Bethge, Dietrich Bonhoeffer: Theologe – Christ – Zeitgenosse, München: Chr. Kaiser, 1967)。
  • ディートリヒ・ボンヘッファー『ボンヘッファー獄中書簡集――抵抗と信従』村上伸訳、新教出版社、1988年(Dietrich Bonhoeffer, Widerstand und Ergebung)。「十年後に」所収。

欧文文献

  • Bonhoeffer, Dietrich. Konspiration und Haft 1940–1945. Hg. von Jørgen Glenthøj, Ulrich Kabitz und Wolf Krötke. Dietrich Bonhoeffer Werke 16. Gütersloh: Chr. Kaiser/Gütersloher Verlagshaus, 1996.
  • Marsh, Charles. Strange Glory: A Life of Dietrich Bonhoeffer. New York: Alfred A. Knopf, 2014.
  • Nation, Mark Thiessen, Anthony G. Siegrist, and Daniel P. Umbel. Bonhoeffer the Assassin? Challenging the Myth, Recovering His Call to Peacemaking. Grand Rapids, MI: Baker Academic, 2013.


宗教学講義⑤ 宗教における超越存在 ― 神・法・ロゴス・マナ

 



この講義のねらい

宗教は必ずしも「神」を中心とするわけではありません。本講義では、諸宗教が究極的なものをどのような存在・原理・力として理解しているかを、二つの軸から比較します。

キーワード:実在観/超越存在/人格神と非人格的原理/一神教・二元論・多神教/有相と無相/三位一体/マナ/ロゴス/ブラフマン/ダルマ

序 実在観と超越存在

(1) 用語

  • 実在観(テキストの用語):宗教において何が真に存在すると考えられ、それがどう理解されているか。
  • 超越存在(本講義の用語):実在観のうち、人間や日常経験を超える存在・原理・力に注目した表現です。両者は完全な同義語ではありません。

(2) 創造神を中心としない宗教:初期仏教

  • 初期仏教の中心は、創造神ではなくダルマ(法)、すなわちブッダが悟った真理(苦の原因と、苦が滅する道)です。
  • 初期経典にも梵天(ぼんてん)などの神々(デーヴァ)は登場します。「神がいない」のではなく、創造神を中心としない宗教です。
  • のちに、仏の存在や救済の働きについて多様な理解が展開しました。
    • 大乗仏教の仏身論(法身・報身・応身)
    • 阿弥陀仏信仰

(3) 超越存在を理解する二つの軸

軸区分例
性格人格的(意志をもって人間に関わる)ユダヤ教・キリスト教・イスラムの神、ギリシア神話の神々
性格非人格的(理法・究極的実在・力)マナ、ロゴス、ブラフマン
数一元的唯一神、唯一の根本原理
数二元的ゾロアスター教の善と悪
数多元的多神教の神々、諸霊

注意:二つの軸は互いに独立しています。また、これは分析上の分類であり、実際の宗教では人格的理解と非人格的理解が併存することも多くあります(例:ヒンドゥー教)。

人格的な超越存在と人間の関係

(1) 神と人間の距離

  • 神々が人間に似た人格・感情をもつ型:ギリシア・ローマ神話(擬人神観)
    • 恋愛・嫉妬・争いなど人間くさい。ただし不死であり、人間を超える力をもちます。
  • 神と被造物の区別を重視する型:ユダヤ教・キリスト教・イスラム
    • 唯一の創造主と、人間・自然世界とを区別します。
    • キリスト教には受肉の教義があり、神と人間の関係が独自に理解されます。

(2) 神に対抗する勢力はあるか

宗教悪の存在神との関係
キリスト教悪魔(サタン)神に敵対するが、神と対等ではない
イスラムシャイターン神と対等な悪の原理ではない
ユダヤ教サタン像は時代・文献により異なる。第二神殿期後期に敵対者像が発展
ゾロアスター教アンラ・マンユ(アーリマン)善神アフラ・マズダーと対立する二元論。後代の教義では終末に悪が克服される

1.人格的な「神」観念

1.1 神観念の特色(岸本英夫『宗教学』を参考に整理)

  1. 超自然的な存在として、意志をもって活動する(機械やロボットではない)。
  2. 人間とは異なる存在でありながら、人格をもって人間に関わる。
  3. 人間を超える力をもち、人間の生に影響を及ぼす。

*これだけでは神と悪魔を区別できません。区別せずに超自然的な霊的存在を広く指すとき、本講義では「神霊」と呼びます。

1.2 神の分類

  • 由来による分類
    • 自然神:天体、山河、動物など
    • 人間神:祖先神、氏神、英雄神、守護神など(例:菅原道真=天神)
  • 機能による分類
    • 創造神:天地・人間を創造する神
    • 由来による分類とは基準が異なります。創造神は唯一神に限らず、多神教にもいます。

1.3 神の表象形態:有相と無相

  • 有相(うそう):植物・動物・人間の姿で表されます。
  • 無相(むそう):形をもたず、人間のイメージ力を超えます。
  • 偶像の禁止(出エジプト記20章):像を造り、それにひれ伏し仕えることを禁じます。背景には、神を人間の制作物と同一視することへの警戒があります。
    • キリスト教内部でも理解は分かれます(正教会のイコンは、受肉したキリストを描くことと結びつく)。
    • イスラムも偶像崇拝を禁じます。

1.4 姿・数・力の関係

表象神の数神の力
有相多神教相対的
無相一神教絶対的

この対応は傾向であり、必然ではありません。

  • ヒンドゥー教:有相の神々と、無相のブラフマンが併存します。
  • キリスト教:唯一神教ですが、聖画・聖像の伝統があります。

多神教の例:神々が願いや生活領域ごとに信仰されます。

  • 学問:湯島天神(菅原道真)
  • 商売繁盛など:神田明神
  • 開運:妙見菩薩(みょうけんぼさつ。北極星・北斗七星への信仰に由来。日蓮宗など神仏習合の伝統で広く信仰された)

1.5 一神教の中の「複数性」

  • 聖母マリア・聖人崇敬(カトリック)
    • 教義上、マリアも聖人も神ではありません。神への**礼拝(ラトリア)と聖人への崇敬(ドゥリア)**は区別されます。
    • 宗教学的には、多神教の神々と似た機能を果たす場合があります。ただし、機能の類似と教義の同一性は別問題です。
  • 三位一体
    • 唯一の神への信仰を保ちつつ、キリストと聖霊の神性をどう理解するかが課題となりました。
    • 325年 ニカイア公会議:御子は父と同一本質
    • 381年 コンスタンティノポリス公会議:聖霊についての教義を明確化
    • 神は唯一でありつつ、父・子・聖霊の**三つのペルソナ(位格)**において存在します。三人の神ではありません。
  • イスラムの立場:タウヒード(神の唯一性)を重んじ、神に他の存在を並べること(シルク)を批判します。三位一体もその対象となります。

2.非人格的な超越存在

*以下は「マナから発展した」という歴史ではなく、比較のための事例です。

2.1 宗教的な力:マナ

  • マナ(メラネシア):特別な力・効力を表す概念です。
    • コドリントン『メラネシア人』(1891年)が報告しました。
    • マレット「プレアニミズムの宗教」(1900年)は、霊魂の観念では説明できない力の観念を重視し、アニマティズムと呼びました。
    • これは当時の宗教進化論の文脈にある学説です。現在では、宗教が一律に同じ段階を経て発展するとは考えられていません。
  • ワカン・タンカ(北米・ラコタ族):「偉大なる神秘」「聖なるもの」と訳されます。人格的な理解も含み、マナと同一視はできません。

2.2 宇宙の秩序・究極的実在をめぐる観念

伝統概念内容
古代ギリシアロゴス宇宙の秩序・理法(ヘラクレイトス)。ストア派では宇宙に内在する合理的原理
ヴェーダリタ(天則)宇宙の秩序。のちのダルマ観念につながる
ウパニシャッドブラフマン(梵)究極的実在・宇宙の根本原理。個人の本体アートマン(我)との関係を探究
仏教ダルマ(法)ブッダが悟った真理(縁起・無常・無我)とその教え。宇宙を支配する力ではない
  • 不二一元論(ふにいちげんろん)ヴェーダーンタでは、梵と我の同一性(梵我一如〔ぼんがいちにょ〕)を悟ることが解脱とされます。ただしインド思想のすべてがこの立場ではありません。
  • 仏教は無我を説くため、ダルマはブラフマンと同一の概念ではありません。
  • 梵天(ブラフマー)は、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)を神格化した存在です。両者を混同しないよう注意します。

2.3 認識と救済

  • これらには、真理を理解することと、苦や迷いからの解放を結びつける伝統があります。
  • ただし、何を真理とし、どの道で救済されるかは宗教・宗派によって異なります。
    • 仏教内部:自力の修行を重んじる伝統と、阿弥陀仏の本願による救済を説く浄土教
    • キリスト教:恵み・信仰・キリストとの関係が救済論の中心

結び ヨハネ福音書のロゴス

  • 「初めに言(ロゴス)があった」(1:1)、「言は肉となった」(1:14)。
  • 背景には、ギリシア哲学のロゴスに加え、ユダヤ教の知恵文学(箴言8章など)や、創造における神の言葉(創世記1章)があります。
  • ヨハネの特徴は、ロゴスを抽象的な理法としてではなく、イエス・キリストにおいて人となった神の言葉として語る点にあります。
  • → 宇宙原理としてのロゴスと、人格的な神の自己啓示とを比較する視点を与えます。

本講義の問い:宗教は何を究極的な実在と考え、それをどう認識し、人間の生と結びつけるのか。

考えてみよう

  1. 身近な寺社や行事を一つ選び、そこで祀られているものを、二つの軸(人格的/非人格的、一元/二元/多元)で位置づけてみよう。
  2. 聖人崇敬と多神教の神々は、何が似ていて、何が異なるのか。「機能」と「教義」に分けて考えてみよう。
  3. 「悟りによる救済」と「恵みによる救済」は、超越存在の理解とどう関係しているだろうか。

読み方メモ

語読み
梵天ぼんてん
梵我一如ぼんがいちにょ
不二一元論ふにいちげんろん
妙見菩薩みょうけんぼさつ
有相/無相うそう/むそう
法身・報身・応身ほっしん・ほうじん・おうじん
擬人神観ぎじんしんかん

参考:人物と文献

事項人物・文献
人格的な神の特色岸本英夫『宗教学』(大明堂、1961年)
マナの報告R. H. コドリントン『メラネシア人』(The Melanesians, 1891年)
アニマティズムR. R. マレット「プレアニミズムの宗教」("Pre-Animistic Religion," Folk-Lore 11, 1900年)
ロゴスヘラクレイトス、ストア派
梵我一如ウパニシャッド、不二一元論ヴェーダーンタ
三位一体論ニカイア公会議(325年)、コンスタンティノポリス公会議(381年)
ヨハネ福音書のロゴスヨハネ1:1、1:14/箴言8章、創世記1章

2026年10月25日日曜日

京都ノートルダム女子大学 創立の物語……からの閉学まで

 



はじめに

  • 京都市左京区下鴨のカトリック女子大学
  • 2025年4月、2026年度以降の学生募集の停止を発表
  • 2025年度入学生の卒業をもって閉学の予定(2026年10月現在、在学生の教育は継続中)
  • 本講では、修道女会の来日から大学の創立・発展・募集停止までをたどる

Ⅰ 創立 ― 4人のシスターの来日

1. 母体:ノートルダム教育修道女会(School Sisters of Notre Dame, SSND)

  • 1833年、ドイツ・バイエルンで創立
  • 創立者:テレジア・ゲルハルディンガー
  • 使命:女子教育
  • モットー:Virtus et Scientia(ヴィルトゥス・エト・シエンツィア)=「徳と知」

2. 戦争で10年遅れた来日

年できごと
1937日本へ招かれる
戦時中戦争により計画延期
1947宣教師が日本の窮状をセントルイス管区に伝える
1948来日が実現

3. 4人のシスター、京都へ(1948年11月28日)

  • 米国セントルイス管区から4人が来日
  • 京都のカトリック教会の要請に応えたもの
  • 占領下の日本 ― パスポートに加え軍の許可も必要
  • 目的:戦争で途絶えたキリスト教教育の再建

4. 学校づくりの歩み

年設立所在地
1952中学校鹿ケ谷(ししがたに)
1953高等学校鹿ケ谷
1954小学校―
1961女子大学下鴨

5. ノートルダム女子大学の開学(1961年)

  • 文学部英語英文学科の1学部1学科で出発
  • キャンパスは下鴨(下鴨神社・府立植物園の近く)
  • 建学の精神「徳と知」、カトリック精神による女性教育

Ⅱ 発展 ― 60余年の歩み

6. 人物:シスター・メアリー・ジョセフ・ツヅキ(1916〜2024)

  • 京都生まれ、聖公会の家庭に育つ
  • 13歳で同志社の教会で受洗 → のちカトリックに改宗
  • 1949年、来日間もない修道会に入会
  • 1961年の開学から1988年まで大学で音楽を担当
  • 2024年10月、108歳で帰天

7. 改組の歩み

年できごと
1961文学部英語英文学科で開学
1963生活文化学科を設置
1999京都ノートルダム女子大学へ改称、人間文化学部を設置
2005心理学部を開設
2007生活福祉文化学部を開設(3学部体制)
2017国際言語文化学部・現代人間学部の2学部体制へ

Ⅲ 閉学 ― 募集停止とその後

8. 入学者数の推移(入学定員330人)

年度入学者数定員比
2020429人約130%
2021〜定員割れが続く―
2024186人約56%

9. 最後まで続いた改革

  • 2023年:社会情報課程を新設(2025年に社会情報学環へ改称)
  • 2025年:女子キャリアデザイン学環を新設
  • 2026年:国際言語文化学部を人文学部へ再編する計画(募集停止により実現せず)
  • → 入学者の回復には至らず

10. 学生募集停止の発表

  • 2025年4月22日:理事会で決定
  • 2025年4月25日:記者会見で発表
  • 理由:18歳人口の減少、続く定員割れ
  • 新学部の準備が進む中での「急展開」との報道も

11. 背景:女子大学の縮小

  • 私立女子大学の7割超が定員割れ(2024年度、週刊文春の報道)
  • 女子大学数:1998年の98校から2023年までに25校減
  • 同様の例:恵泉女学園大学、神戸海星女子学院大学(募集停止)、学習院女子大学(学習院大学に統合)、青山学院女子短期大学(2019年度から募集停止、2022年廃止)
  • 背景:少子化、共学志向の高まり、法人の経営判断(傘下の中高のブランドを守るための判断との指摘も)

12. 中学・高校・小学校の移管

  • 2026年1月21日:学校法人ヴィアトール学園(洛星中学・高校の設置者)と事業譲渡契約に調印
  • 2026年4月1日:小学校・中学・高校がヴィアトール学園の設置校に
  • 中高の新校名:洛星ノートルダム女学院中学高等学校(報道による)

13. 学生がつくった短編映画

  • 作品:『わたしらしく、誇らしく』
  • 制作:学生の大学広報研究会「MAGIE ESPOIR(マジ・エスポワール)」
  • 2026年5月、大学公式YouTubeで公開
  • 母校の記録と記憶を未来へ残す試み

Ⅳ 考察 ― 何が終わり、何が続くのか

  1. 戦後の宣教期に修道会が担った女子教育の使命は、ある意味で果たされたと見ることもできる
  2. 女子大学という形そのものの意味が問い直されている
  3. 修道会が担ってきた学校を他法人に委ねる流れ(日本のカトリック学校全体に見られる動き)
  4. 「徳と知」は中学・高校の教育理念として受け継がれる

まとめ

  • 1948年、戦後の京都に4人のシスターが来日
  • 1961年、英語英文学科1学科から開学
  • 少子化の中、改革を重ねるも定員割れが続く
  • 2025年に募集停止を発表、現在は在学生の教育を最後まで担う
  • 「徳と知」― 60余年の女子教育の記憶

主な参考資料

  • 大学基準協会「京都ノートルダム女子大学に対する大学評価(認証評価)結果」
  • School Sisters of Notre Dame 公式サイト(来日史、シスター・ツヅキ追悼文)
  • Sturdy Roots(SSND歴史サイト)"Asia"
  • リセマム(洛星ノートルダム誕生、短編映画の記事)
  • koubo.jp(短編映画公開の記事、2026年5月)
  • 週刊文春、coki(女子大学の動向)
  • 大学改革支援・学位授与機構 高等教育機関データベース(青山学院女子短期大学)

【キリスト教史解説】ハロウィン(Halloween)民間信仰・キリスト教・世俗文化が重なり合う祭

 



1. 全体像:続けて祝われる三つの日

日付名称英語名内容
10月31日万聖節前夜(ハロウィン)All Hallows’ Eve万聖節の前夜
11月1日万聖節(ばんせいせつ)/諸聖人の日All Saints’ Dayすべての聖人を記念
11月2日死者の日All Souls’ Day亡くなった人々のために祈る
  • 10月31日は、ルター派などでは「宗教改革記念日」でもある(1517年)

2. 起源をめぐって

(1) サムハイン:よく語られる説明

  • 古代ケルト社会の季節祭(Samhain)
  • 夏の終わり・冬の始まりを画する節目
  • 19世紀以降、「ケルト暦の新年」とする説が広まる
  • 生者と死者の世界の境界が曖昧になる時と解釈された

(2) 研究上の注意点

  • 古代の実態を直接伝える史料は乏しい
  • 中世の文献や近代の民俗学的解釈に依拠する部分が大きい
  • 季節の節目であることと、「新年」と認識されていたことは別
  • サムハインとの直接の連続性には議論がある

(3) 仮装の源流:ガイジング(guising)

  • アイルランド・スコットランドに、死者の霊や妖精的存在が現れるという民間信仰
  • 16世紀以降のスコットランドに、仮装や演技を伴うガイジングの記録
  • 当初はクリスマス期などにも行われ、後にハロウィンの風習として定着

(4) アメリカへの伝播

  • 主に19世紀以降、アイルランド系・スコットランド系移民を通じて徐々に広まる
  • ランタン:故郷ではカブ → アメリカではカボチャ(ジャック・オー・ランタン)
  • 「Trick or treat!」の習慣は20世紀前半の北米で定着

3. キリスト教との関係

(1) 万聖節(11月1日)の成立

  • 8世紀前半:教皇グレゴリウス3世が、サン・ピエトロ大聖堂にすべての聖人に献げた礼拝堂を設け、11月1日に記念したと伝えられる
  • 同じ8世紀:イングランドなどでも11月1日の記念が見られる
  • 9世紀前半:グレゴリウス4世の時代に、西方教会で広く祝われるようになる

(2) 「異教の祭の置き換え」説について

  • 11月1日の記念は8世紀に既に見られる
  • 「サムハインを置き換えるために定められた」とは単純に言い切れない
  • 典礼史上の確実な事実と、異教祭礼との関連をめぐる仮説とを区別する

(3) 死者の日(11月2日)

  • 998年頃、クリュニー修道院長オディロのもとで、修道院共同体の死者を記念する慣行として始まる
  • その後、西方教会全体に広まる

4. 宗教改革以降

伝統万聖節の扱い
改革派・ピューリタン聖人への祈願・崇敬を批判し、典礼的意義は後退
ルター派・聖公会など「全聖徒の日」として記念を保持
  • 聖人への祈願の否定 ≠ 信仰の模範としての聖徒の記念
  • 10月31日:1517年、ルターが「95か条の提題」を公表した日とされる → 「宗教改革記念日」

日本の教会では

  • 日本基督教団の教会暦:11月第一日曜日が「聖徒の日(永眠者記念日)」(例:2026年は11月1日)
  • 召天者を覚えて記念礼拝を行う
  • すべてのプロテスタント教会に共通する規定ではない
  • カトリックの「死者の日」とは、歴史的背景も典礼上の意味も異なる

5. 語源

  • hallow:古英語 hālig(ハーリイ、「聖なる」)に由来。名詞では「聖人・聖徒(saint)」
  • 現代英語の holy と同じ系統の語

All Hallows’ Even(すべての聖徒の日の前夜) → Hallowe’en(短縮形) → Halloween(現在の語形)


6. 整理:ハロウィンの三層構造

層内容
世俗文化近代以降の移民文化による拡散、世俗化・商業化
キリスト教典礼暦における「万聖節前夜」
民間信仰サムハインなどケルト系の季節祭と、それに結びついた信仰
  • 単なる「異教の祭」ではなく、複数の要素が重なり合った複合的伝統
  • ただし、各層の連続性には、なお議論の余地がある

7. 文化史的影響:映画『ハロウィン』

  • 1978年公開、監督:ジョン・カーペンター
  • 劇中で「ブギーマン」と呼ばれる殺人鬼マイケル・マイヤーズを描く
  • 祝祭日を舞台とする設定と緊張感のある演出で、スラッシャー映画の普及に大きく貢献
  • 影響を受けた作品:『13日の金曜日』(1980年)、『エルム街の悪夢』(1984年)
  • シリーズ展開:8作目『ハロウィン レザレクション』(2002年)、ロブ・ゾンビ監督のリメイク版(2007年・2009年)、第1作の直接の続編3部作(2018〜2022年)
  • ジャンルの「唯一の起源」ではなく、その発展と普及を促した重要作品

まとめ

  1. 起源:サムハイン起源説は「通説」であり、断定は禁物
  2. 名称:万聖節の前夜(All Hallows’ Even)に由来
  3. 宗教改革以降:教派によって記念のあり方が異なる。10月31日は宗教改革記念日でもある
  4. 近代以降:移民文化・世俗化・映画などを通じて世界的な祝祭へ

2026年10月23日金曜日

日本で最初の信仰告白─1890年 日本基督教会「信仰の告白」への道

 

概要

日本で最初に作られたプロテスタントの信仰告白は、1872年に横浜で設立された日本基督公会の信仰箇条とされる。これは万国福音同盟の9箇条にならった簡潔なものであった。その後、日本基督一致教会(1877年)は欧米の改革派の詳しい信条を規準として採用したが、1890年、日本基督教会は短い前文と使徒信条からなる「信仰の告白」を採択した。簡潔な告白から詳しい信条へ、そして再び簡潔な告白へという流れを、万国福音同盟の性格とあわせてたどる。


一 万国福音同盟(1846年)

(1)成立

  • 1846年8月、ロンドンで結成された。
  • 欧米の50余りの教派から約800人が参加した、教派を超えたプロテスタントの連合である。
  • 背景には、英国国教会内でカトリック的伝統を強調したオックスフォード運動への反発があった。

(2)9箇条

  1. 聖書の霊感・権威・十全性
  2. 聖書解釈における私的判断の権利と義務
  3. 神の唯一性と三位一体
  4. 人間性の全的堕落
  5. 受肉と贖罪
  6. 信仰のみによる義認
  7. 聖霊による聖化
  8. 霊魂の不滅・身体の復活・最後の審判
  9. 教職の神的制定

(3)性格

  • この要約は正式な信条や信仰告白ではなく、同盟に加わる人の範囲を示す目安であると明記されていた。
  • 教派を超えて集まるための最小限の合意であった。

(4)祈祷週間

  • 毎年1月の第1週を祈祷週間とすることを提唱した。

二 日本基督公会(1872年)

(1)成立

  • 1872年の年初、横浜の宣教師たちが同盟の祈祷週間にならって初週祈祷会を開いた。
  • そこから信仰を告白する青年が現れ、同年3月、日本人による最初のプロテスタント教会として日本基督公会が設立された。
  • 創立時の会員は11人で、多くはバラ宣教師のもとで英語を学んでいた青年であった。

(2)信仰箇条

  • 万国福音同盟の9箇条にならった、ごく簡潔なものであった。
  • これが日本で最初に作られた信仰告白とされる。

(3)公会主義

  • 特定教派の信条を掲げず、教派を超えた一つの教会を目指す立場である。

三 日本基督一致教会(1877年)

  • 公会系の教会が長老派・改革派のミッションと合同して成立した。
  • ウェストミンスター小教理問答やハイデルベルク信仰問答など、改革派の詳しい信条を規準として採用した。
  • 教派教会としての体制が整う一方、公会時代の簡潔な信仰箇条からは後退した。

四 組合教会との合同運動(1880年代後半)

  • 会衆派の流れをくむ組合教会との合同が交渉された。
  • 教会政治と信条の扱いをめぐって意見がまとまらず、合同は実現しなかった。
  • この経験を通して、日本の教会が自分たちのことばで信仰を言い表す必要が意識されるようになった。

五 日本基督教会「信仰の告白」(1890年)

(1)採択

  • 一致教会は日本基督教会と改称し、欧米の諸信条に代えて新しい告白を採択した。

(2)構成

  • 短い前文に使徒信条を付した、きわめて簡潔な形をとる。

(3)成立に関わった人物

  • 植村正久が簡易信条の方向を主導したとされる。
  • 起草には明治学院のインブリー(W. Imbrie)が関わったと伝えられる。
  • 両者の役割分担については、一次資料による確認の余地がある。

(4)何が変わったか

年規準とした信条
1877年欧米の改革派の詳しい信条
1890年前文+使徒信条(古代以来、教派を超えて共有されてきた信条)
  • 特定教派の神学を細かく定めるのではなく、教会全体に共通する信仰に立つ姿勢の表明であった。
  • 公会主義の精神を、教派教会の中で取り戻したと見ることができる。

六 意義

  • 日本の教派が自ら正式に採択した最初の信仰告白である。
  • 外来の信条をそのまま用いるのではなく、自前の告白を持とうとした。
  • 簡潔な信条を重んじる「簡易信条」の伝統をつくった。
  • この伝統は日本基督教団信仰告白(1954年)にも受け継がれていく。

七 時代背景

  • 1889年:大日本帝国憲法の発布
  • 1890年:教育勅語の発布
  • 以後、国家主義の高まりの中で、キリスト教は厳しい批判と圧力にさらされていく。
  • 日本の教会が自分たちのことばで信仰を言い表そうとしたのは、こうした時代の入り口でもあった。

年表

年出来事
1846年万国福音同盟、ロンドンで結成
1872年横浜で初週祈祷会、日本基督公会設立
1877年日本基督一致教会成立
1880年代後半組合教会との合同交渉、不成立
1889年大日本帝国憲法発布
1890年日本基督教会「信仰の告白」採択、教育勅語発布
1954年日本基督教団信仰告白制定

まとめ

  • 1872年:同盟にならう簡潔な信仰箇条
  • 1877年:改革派の詳しい信条へ
  • 1890年:前文+使徒信条の簡潔な告白

簡潔さを重んじる流れの中に、教派を超えて一つの教会を目指すという、日本のプロテスタントの出発点にあった理想が息づいている。


参考

2026年10月21日水曜日

【キリスト教入門】④人間の創造と人間の罪 ― 創世記1〜2章を読む

 



0. 本日の要点

  1. 二つの創造物語と安息日(創世記1:1〜2:4前半)
  2. 神のかたちに造られた人間(創世記1:26〜31)
  3. 土から造られた人間(創世記2:4後半〜17)
  4. 人間は独りではない(創世記2:18〜25)
  5. まとめ:四つの関係から見た人間理解

1. 二つの創造物語

項目第一の創造物語第二の創造物語
範囲創世記1:1〜2:4前半創世記2:4後半〜25
神の呼び名「神」(エロヒーム)「主なる神」(ヤハウェ・エロヒーム)
創造の描き方神の言葉によって、秩序立てて六日間で創造土・水・園など具体的な素材と場面の中で創造
人間の位置創造の最後に「男と女」として創造まず土から人が造られ、最後に女が造られる
伝承的背景(通説)祭司資料(P)ヤハウェ資料(J)
  • 同じ出来事の繰り返しではなく、異なる伝承に由来する物語が並べられている
  • 異なる角度から、人間と世界の関係を描いている

2. 造られたものは「極めて良い」(1:31)

神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。(創世記1:31)

  • 人間だけでなく、動物・植物・大地・海も神の創造の一部として肯定される
  • 2章では、人間は土から造られ、園を耕し守る存在として描かれる
  • → 人間は自然に支えられて生き、同時に自然に対して責任を負う存在

3. 安息日の由来(2:1〜3)

  • 神は第七の日に業を完成し、休まれた。その日を祝福し、聖別した
    • ※ 七十人訳などの古代訳は「第六の日に完成」と読み替えている
  • ユダヤ教の安息日:金曜日の日没〜土曜日の日没
  • キリスト教:イエスの復活を記念する日曜日の礼拝が定着
  • → 人間の価値を、生産性や労働能力だけで測らないという倫理的視点

4. 「神のかたち」とは何か(1:26〜27)

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(創世記1:27)

  • 「かたち」=ヘブライ語 ツェレム(צֶלֶם)。本来は「像」「彫像」を指す語
    • 創世記5:3では、アダムが「自分に似た、自分にかたどって」セトをもうける
  • ただし聖書は神の身体的な姿を明確に定義していない
  • → 「神のかたち」を、身体の形の類似だけに限定することはできない

三つの解釈

解釈内容代表的な論者
実体的解釈理性・判断力・言葉を使う能力に注目アウグスティヌス、トマス・アクィナス
関係的解釈神と応答し、他者と関係を結ぶことに注目K.バルト
機能的(王的)解釈神の代理として、地上で神の統治を映し出す役割に注目G.フォン・ラート、J.R.ミドルトン
  • 三つは互いに排他的ではない
  • 1:26〜28では「神のかたち」と「生き物を治めること」が並んで語られる
  • → 神のかたちは、人間の特別な地位と、それに伴う責任を示す

5. 「男と女に創造された」(1:27)

  1. 男と女の双方が神のかたちに造られている
  2. 神のかたちを担う地位は、男性だけのものではない
  3. 人間は、他者との関係の中に生きる存在として描かれている
  • ※ この記述を、現代の性別・ジェンダーをめぐる多様な問題に一律に当てはめることには慎重さが必要
  • 本文が語ることと、そこから現代の倫理的課題を考えることとを区別する

6. 「支配せよ」をどう読むか(1:28)

産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。(創世記1:28)

  • 人間が自然を利用する権利を与えられた、と読まれてきた歴史がある
  • リン・ホワイト「現在の生態学的危機の歴史的根源」(1967年)
    • キリスト教的自然観が環境危機の一因になったと批判
  • 現代のキリスト教環境倫理:自然の**管理責任(スチュワードシップ)**として読む解釈が有力

日本の自然観との比較

  • 「キリスト教=自然を支配、日本文化=自然と共生」という二分法は単純すぎる
    • キリスト教思想の内部にも自然との調和を重視する考え方がある
    • 日本の自然観も一様ではない
  • 創世記に即した整理
    • 1章:生き物を治める特別な役割
    • 2章:土から造られ、園を耕し、守る責任
    • 現代:人間の力を無制限な支配権とみなさず、責任として問い直す

7. 食物として与えられたもの(1:29/9:3)

  • 創造当初の食物は、種のある草と、種のある実をつける木
  • 洪水の後(9:3)、動物を食物とすることも認められる
  • → 聖書全体が菜食主義を絶対の規範としているとは言えない
  • それでも、生命の維持を神からの恵みとして描く点は、食物倫理・環境倫理にとって重要

8. 土の塵から造られた人(2:4後半〜7)

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(創世記2:7)

  • 第二の物語は「主なる神が地と天を造られたとき」(2:4後半)から始まる
  • 言葉の響き合い:アダム(אָדָם、人)とアダマ(אֲדָמָה、土)
  • 命の息:ニシュマト・ハッイーム(נִשְׁמַת חַיִּים)
  • ポイント
    • 人間の体は土に由来し、自然の外側にいる存在ではない
    • 命は、人間が自力で獲得したものではなく、神から与えられたもの
    • → 人間の有限性、生命をどう尊重するかという生命倫理の問いへ

9. エデンの園と二本の木(2:8〜9)

木意味ポイント
命の木生命と不死3:22〜24で人は園から追放される。人は自力で永遠の命を確保できる存在ではない
善悪の知識の木唯一禁じられた木知識そのものが悪いのではない。神に属する判断を自分のものにする問題

善悪の知識の木をめぐる主な解釈

  • 善悪を判断する知識そのものを象徴する
  • 神だけに属する判断の領域を、人間が自分のものにしようとすることを象徴する
  • 神の命令を受け入れるか、自分の判断を優先するかという問題を示す
  • ※「悪を知らない時が最も無垢だった」という説明は、本文に直接書かれたことではなく解釈の一つ

10. エデンから流れ出る四つの川(2:10〜14)

川の名前聖書本文の説明同定
ピションハビラ地方全域を巡る不明。ヨセフスはガンジス川とした
ギホンクシュ地方全域を巡る不明。ヨセフスはクシュをエチオピアと解し、ナイル川とした。エルサレムの泉の名でもある
チグリスアシュルの東の方を流れるメソポタミアの実在の大河
ユーフラテス(説明なし)メソポタミアの実在の大河
  • エデンを豊かな水源とし、そこから世界へ水が流れていくイメージ
  • 関連作品:ベルニーニ「四大河の噴水」(1651年、ローマ、ナヴォーナ広場)
    • ナイル・ガンジス・ドナウ・ラプラタを表す。創世記の四つの川そのものではない

11. 園を「耕し、守る」(2:15)

主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。(創世記2:15)

  • 「耕す」アバド(עָבַד):「仕える」とも訳される
  • 「守る」シャマル(שָׁמַר):「見守る」「保つ」とも訳される
  • → 人間は恵みを受け取るだけでなく、環境を保つ責任も担う
  • 1章の「支配せよ」は、2章の「耕し、守る」と合わせて読む

12. 自由と限界(2:16〜17)

  • 園のすべての木から食べてよい
  • ただし、善悪の知識の木からは食べてはならない
  • → 「自由」と「限界」という主題。3章「人間の罪」への伏線

考えてみよう

  • 技術的に可能であることは、倫理的にも許されることなのか
  • 自然を利用できることは、自然を無制限に利用してよいことを意味するのか
  • 人間の自由には、どのような責任や限界が伴うのか

13. 「人が独りでいるのは良くない」(2:18〜20)

主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(創世記2:18)

  • 1章の「良し」に対し、聖書で初めて「良くない」と言われるのが人間の孤独
  • 動物たちの中に「合う助け手」は見つからない
  • 「彼に合う助ける者」=エーゼル・ケネグドー(עֵזֶר כְּנֶגְדּוֹ)
    • 「向かい合う、ふさわしい助け手」の意
    • エーゼルは神の助けにも用いられる語(出エジプト記18:4、詩編121:1〜2など)
    • → それ自体が従属を意味するわけではない
  • ※ 本文は男の側から見た助け手を語る。「互いに助け合う関係」は現代的・倫理的に展開した解釈

14. 女の創造(2:21〜23)

  • 神が人を深い眠りに落とし、あばら骨の一部から女を造る
    • 人が自力で伴侶を造り出したのではなく、神の働きによって相手が与えられた
    • ※ 神学的解釈であり、すべての人に結婚相手が与えられるという意味ではない
  • 「あばら骨」ツェラ(צֵלָע)は「側面」も意味する語
    • 物語の細部を解剖学的説明として読む必要はない
  • 歴史的に女性の従属の正当化に用いられたが、本文は男が女より優れているとは述べていない

ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。(創世記2:23)

  • 相手が自分と深く結びついた存在であることへの喜び
  • イシュ(男)とイシャー(女):音の似た語を結びつける言葉遊び
    • 語源的には別の語根とされる
    • → 男女の社会的な上下関係の根拠にはならない

15. 「二人は一体となる」(2:24)

こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。(創世記2:24)

  • 結婚によって新しい関係が形成され、一つの生活単位をつくることを説明する言葉
  • 親との関係を断ち切れという命令ではない
  • イエスも引用(マタイ19:4〜6、マルコ10:6〜9。エフェソ5:31も参照)
  • ※ 結婚をすべての人の義務としたり、独身の生き方を否定したりする根拠にはならない

16. 裸でも恥ずかしがらなかった(2:25)

人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。(創世記2:25)

  • 互いに恐れたり隠れたりする必要のない、率直で無防備な関係
  • 3章で、二人が裸を意識して身を隠す場面と対照をなす
  • 言葉遊び:「裸の」アルーミーム(2:25)と、蛇を形容する「賢い」アルーム(3:1)
    • → 言葉の響きでも次の場面へ橋渡しされている

17. まとめ:創世記1〜2章の人間理解

観点創世記の記述問い
神との関係神のかたちに造られる人間の尊厳は何に由来するのか
自然との関係治め、耕し、守る人間は自然に対してどのような責任を負うのか
生命との関係土から造られ、命の息を受ける生命を自分の所有物と考えてよいのか
他者との関係向き合う他者を必要とする他者との関係において何が求められるのか
  • 人間に特別な地位を与えると同時に、人間の有限性と責任を示している
  • 次回(創世記3章)への視点
    • 神が造った世界そのものが悪かったのではない
    • 問われるのは、人間が与えられた自由と限界にどう向き合うか

主な聖書箇所

事項聖書箇所
第一の創造物語創世記1:1〜2:4前半
「極めて良かった」創世記1:31
安息日の由来創世記2:1〜3
神のかたち・男と女創世記1:26〜27
地を従わせ、支配せよ創世記1:28
食物の提供創世記1:29、9:3
アダムに似たセト創世記5:3
土の塵から造られた人創世記2:7
エデンの園と二本の木創世記2:8〜9、3:22〜24
四つの川創世記2:10〜14
耕し、守る創世記2:15
禁止の命令創世記2:16〜17
彼に合う助ける者創世記2:18〜20
神の助け(エーゼル)出エジプト記18:4、詩編121:1〜2
女の創造創世記2:21〜23
二人は一体となる創世記2:24、マタイ19:4〜6、マルコ10:6〜9、エフェソ5:31
裸と蛇の賢さ創世記2:25、3:1

主な参照

  • 『聖書 新共同訳』日本聖書協会
  • Lynn White Jr., "The Historical Roots of Our Ecologic Crisis," Science 155 (1967)
  • フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』第1巻
  • Gerhard von Rad, Das erste Buch Mose: Genesis(ATD)
  • J. Richard Middleton, The Liberating Image: The Imago Dei in Genesis 1

説教や聖書研究をする信徒のための聖書注解 マタイによる福音書 27:57-61「イエスの埋葬」


概要

イエスの死(27:45–56)の直後、場面は十字架から墓へ移ります。アリマタヤ出身の富裕なヨセフがピラトにイエスのからだを求め、それを清い亜麻布で包み、自分のために岩に掘っておいた新しい墓に納めて、入口に大きな石を転がして立ち去ります。マグダラのマリアともう一人のマリアは、墓の向かいに座ってそれを見届けています。
この短い段落は、次の三つの役割を担っています。
  1. 死の確証 イエスは本当に死に、本当に葬られました(Ⅰコリ15:3–4「葬られたこと」)。「からだ」(σῶμα)という語が三度繰り返されます。
  2. 墓の同定 「新しい」「彼自身の」墓、「大きな石」、そしてそれを見ていた女性たち。どの墓に納められたかが明確にされ、番兵の配置(27:62–66)と空の墓(28:1–10)への伏線となります。
  3. 弟子のあり方 十二弟子が逃げ去った(26:56)あとで、それまで表に出ていなかった「弟子」(ἐμαθητεύθη)と女性たちが、主(のからだ)のために仕えます。
 共観福音書の中でマタイに特有の要素は、ヨセフが「金持ち」であること、「弟子となっていた」こと、亜麻布が「清い」こと、墓が「彼自身の」ものであり「岩に掘った」ものであることです。他方、マルコにある「議員」という肩書き、ヨセフの「勇気」、ピラトがイエスの早い死を不審に思って百人隊長に確認する場面(マコ15:43–45)は省かれています。

マタイ27:57

  • 原文: Ὀψίας δὲ γενομένης ἦλθεν ἄνθρωπος πλούσιος ἀπὸ Ἁριμαθαίας, τοὔνομα Ἰωσήφ, ὃς καὶ αὐτὸς ἐμαθητεύθη τῷ Ἰησοῦ·
  • 私訳: さて夕方になったとき、アリマタヤから一人の金持ちの人が来た。名はヨセフといい、彼自身もイエスの弟子とされていた者であった。

文法解析

  • Ὀψίας:ὄψιος「遅い」形容詞 女性単数属格(名詞化:「夕方」。ὥρα の省略)
  • γενομένης:γίνομαι「なる」アオリスト中動態分詞 女性単数属格(独立属格)
  • πλούσιος:πλούσιος「富んだ、金持ちの」形容詞 男性単数主格(限定用法)
  • ἐμαθητεύθη:μαθητεύω「弟子となる、弟子とする」直説法アオリスト受動態 3人称単数

本文批評

  • ἐμαθητεύθη(受動態)に対し、多くの写本(ビザンチン系を含む)は ἐμαθήτευσεν(能動態・自動詞「弟子であった」)と読みます。意味の差はわずかですが、受動態はマタイ28:19 の μαθητεύσατε(他動詞「弟子とせよ」)との語彙的つながりをより明確にします。NA28 は ἐμαθητεύθη を採用しています。

注解

  • 「夕方になったとき」 :申命記21:22–23 は、木にかけられた者の死体を夜通し残してはならず、その日のうちに葬るよう命じています。さらに翌日は安息日であり(27:62「準備の日の翌日」)、日没までに埋葬を終える必要がありました。ヨセフの行動には時間的な切迫がありました。ヨセフスも、ユダヤ人は十字架刑に処された者でさえ日没前に下ろして葬ると記しています(『ユダヤ戦記』4.317)。
  • 「金持ちの人」 マルコは「身分の高い議員」(マコ15:43)、ルカは「善良で正しい議員」(ルカ23:50)と記しますが、マタイは「金持ち」とだけ記します。ここにはイザヤ53:9「彼の墓は……富む者とともに設けられた」の成就が意識されていると考えられます。マタイは引用定式を用いていませんが、苦難の僕の歌が受難物語全体の背景にあることを考えると、この語の選択は偶然ではないでしょう。また、マタイ19:23–26 との対照も見逃せません。イエスは「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と語られました。そして「それは人にはできないが、神には何でもできる」と結ばれました。ここで、その「金持ち」が弟子となり、主の遺体を引き受けます。神にはそれがおできになるということが、受難の極みで示されています。
  • 「アリマタヤから」 アリマタヤは、サムエルの故郷ラマタイム・ツォフィム(サム上1:1)と同一視されることが多く、エルサレムの北西に位置したとされます。ヨセフはエルサレムに墓を所有していたことから(60節)、エルサレムに移り住んでいたと考えられます。
  • 「イエスの弟子とされていた」:「弟子とする」(μαθητεύω) は福音書ではマタイだけが用いる動詞です(13:52; 27:57; 28:19。他に使徒14:21)。13:52 では「天の国のことを学んだ(弟子とされた)学者」、28:19 では「すべての民を弟子とせよ」と用いられます。受動態は、ヨセフが自分で弟子になったというよりも、神によって弟子とされた者であることを示唆します。そして、この語が復活の主の大宣教命令の中心動詞となることを考えると、ヨセフは、十二弟子が不在となった場面で現れる「弟子とされた者」の先取り的な姿と言えます。
  • 「彼自身もまた」(καὶ αὐτός)は、直前に描かれた女性たち(27:55–56「ガリラヤからイエスに従って来て仕えていた」)と並べて、ヨセフもまたイエスに属する者であったことを示します。

マタイ27:58

  • 原文: οὗτος προσελθὼν τῷ Πιλάτῳ ᾐτήσατο τὸ σῶμα τοῦ Ἰησοῦ. τότε ὁ Πιλᾶτος ἐκέλευσεν ἀποδοθῆναι.
  • 私訳: この人がピラトのもとに来て、イエスのからだを求めた。そのときピラトは、引き渡されるよう命じた。

文法解析

  • προσελθὼν:προσέρχομαι「近づく、来る」アオリスト能動態分詞 男性単数主格
  • ᾐτήσατο:αἰτέω「求める、願う」直説法アオリスト中動態 3人称単数
  • ἐκέλευσεν:κελεύω「命じる」直説法アオリスト能動態 3人称単数
  • ἀποδοθῆναι:ἀποδίδωμι「引き渡す、返す」アオリスト受動態不定詞

本文批評

  • 多くの写本(ビザンチン系)は ἀποδοθῆναι の後に τὸ σῶμα を補い、「からだが引き渡されるよう」とします。意味を明確にするための補足と考えられ、NA28 は短い読みを採用しています。

注解

  • ピラトへの願い出 ローマの十字架刑では、見せしめのために遺体を十字架に放置したり、共同の穴に投げ込んだりすることが珍しくありませんでした。処刑された者の遺体の引き渡しは総督の裁量によるもので、祝祭日に親族へ引き渡された例もあったことがフィロンによって伝えられています(『フラックス反駁』83)。反逆罪(「ユダヤ人の王」27:37)で処刑された者のからだを求めることは、自らをその者と結びつける危険な行為でした。マルコはヨセフが「勇気を出して」(τολμήσας)願い出たと記しますが、マタイはこの語を省き、行動だけを簡潔に描きます。
  • 「からだ」の反復:「からだ」σῶμα は58節に一度、59節に一度現れ、59節では代名詞 αὐτό でも受けられます。強調されているのは、イエスが本当に死に、そのからだが実在したということです。仮死説のような解釈をあらかじめ退けると同時に、28章で起こる復活が「からだ」の復活であることを準備しています。また、最後の晩餐でイエスが「これはわたしのからだである」(26:26 τοῦτό ἐστιν τὸ σῶμά μου)と言われた、その「からだ」が、いま裂かれた者として人の手に委ねられています。
  • マタイは、ピラトがイエスの早い死を不審に思って百人隊長に確認させる場面(マコ15:44–45)を省いています。

マタイ27:59

  • 原文: καὶ λαβὼν τὸ σῶμα ὁ Ἰωσὴφ ἐνετύλιξεν αὐτὸ [ἐν] σινδόνι καθαρᾷ
  • 私訳: そしてヨセフはそのからだを受け取り、それを清い亜麻布で包み、

文法解析

  • λαβὼν:λαμβάνω「取る、受け取る」アオリスト能動態分詞 男性単数主格
  • ἐνετύλιξεν:ἐντυλίσσω「包む、巻く」直説法アオリスト能動態 3人称単数
  • σινδόνι:σινδών「亜麻布」名詞 女性単数与格
  • καθαρᾷ:καθαρός「清い、きれいな」形容詞 女性単数与格(限定用法)

本文批評

  • 前置詞 ἐν は写本によって有無が分かれるため、NA28 では角括弧に入れられています。

注解

  • 「受け取り」 λαβών(受け取って)は、最後の晩餐でイエスがパンを「取り」(26:26 λαβών)、杯を「取った」(26:27 λαβών)ことと同じ動詞です。かつてイエスが取って与えたそのからだを、いま弟子が受け取っているという対応は、説教などにおいて味わう価値があるでしょう。
  • 「清い亜麻布」 マルコは、ヨセフが亜麻布を「買って」きたと記します(マルコ15:46)。マタイはそれを省き、代わりに「清い」(καθαρᾷ)という形容詞を加えています。これは新品で汚れのない上質の布を指し、ヨセフの富と、イエスへの深い敬意を表しています。王にふさわしい丁重さで葬られていることを暗示しています。
  • ユダヤの埋葬の慣習では、遺体を洗い(ミシュナー『安息日』23:5 参照)、香料とともに布で包むのが通例でした。マタイは香料にも洗い清めにも触れていません。安息日を前にした急ぎの埋葬であったことが背景にあると考えられます(ヨハネ19:39–40 ではニコデモが没薬と沈香を持参します。マルコ16:1 では女性たちが安息日明けに香料を携えて墓へ向かいます)。

マタイ27:60

  • 原文: καὶ ἔθηκεν αὐτὸ ἐν τῷ καινῷ αὐτοῦ μνημείῳ ὃ ἐλατόμησεν ἐν τῇ πέτρᾳ καὶ προσκυλίσας λίθον μέγαν τῇ θύρᾳ τοῦ μνημείου ἀπῆλθεν.
  • 私訳: そして、彼が岩の中に掘っておいた自分の新しい墓の中にそれを置き、墓の入口に大きな石を転がしてあてがって、立ち去った。

文法解析

  • ἔθηκεν:τίθημι「置く」直説法アオリスト能動態 3人称単数
  • ἐλατόμησεν:λατομέω「(岩を)切り出す、掘る」直説法アオリスト能動態 3人称単数
  • προσκυλίσας:προσκυλίω「転がしてあてる」アオリスト能動態分詞 男性単数主格
  • ἀπῆλθεν:ἀπέρχομαι「立ち去る」直説法アオリスト能動態 3人称単数

注解

  • 「自分の新しい墓」:この墓がヨセフ自身のものであったと明記するのはマタイだけです。ルカは「まだだれも葬られたことのない」墓(ルカ23:53)、ヨハネは「新しい墓」(ヨハネ19:41)と記します。「新しい」ことには二つの意味があります。第一に、他の遺体と混同されることがなく、後に空になった墓がまさにイエスの墓であったことが確実になります。第二に、王の入城の際の「まだだれも乗ったことのない子ろば」(マコ11:2)のように、まだ用いられていないものが主のために聖別されるという含みを持ちます。そして、イザヤ53:9「富める者とともに」の成就がここで完成します。
  • 「岩の中に掘っておいた」:当時のエルサレム周辺の富裕層の墓は、石灰岩の岩盤を掘り抜いた横穴式で、内部に遺体を置く棚や壁龕(コーヒーム)を備えていました。遺体が朽ちた後に骨を集めて骨箱(オッスアリウム)に納める二次葬が一般的でした。
  • 「大きな石を転がして」 円盤状の転がし石を備えた墓は、第二神殿時代の考古学的発見の中では少数であり、富裕層の墓に限られていたとされます。多くの墓は四角い石で入口を塞ぐものでした。いずれにせよ、「大きな石」という描写は、この墓が容易には開けられないことを強調します。この石は、祭司長たちによる封印と番兵(27:66「石に封印をし、番兵をおいて」)の対象となり、そして復活の朝、主の天使によって「転がされ」(28:2)ます。60節の προσκυλίσας と28:2 の ἀπεκύλισεν は同じ語根 κυλίω を持ち、人が転がして閉じた石を、神が転がして開くという対照をなしています。

マタイ27:61

  • 原文: Ἦν δὲ ἐκεῖ Μαριὰμ ἡ Μαγδαληνὴ καὶ ἡ ἄλλη Μαρία καθήμεναι ἀπέναντι τοῦ τάφου.
  • 私訳: そこには、マグダラのマリアともう一人のマリアがいて、墓の向かいに座っていた。

文法解析

  • Ἦν:εἰμί「いる、ある」直説法未完了過去 3人称単数
  • καθήμεναι:κάθημαι「座っている」現在中動態分詞 女性複数主格
  • ἀπέναντι:ἀπέναντι「向かいに」副詞(前置詞的用法、属格支配)
  • τάφου:τάφος「墓」名詞 男性単数属格

本文批評

  • Μαριάμ(ヘブライ語・アラム語形)については、写本によって Μαρία(ギリシア語化形)と読むものがあります。マタイは同じ人物について両形を用いており(27:56 Μαρία ἡ Μαγδαληνή; 28:1 Μαριὰμ ἡ Μαγδαληνή)、本文伝承でも揺れが見られます。

注解

  • 二人のマリア:「もう一人のマリア」とは、27:56 の「ヤコブとヨセフの母マリア」を指します。この二人は、十字架を遠くから見守り(27:55–56)、埋葬を見届け(27:61)、週の初めの日に墓を見に行きます(28:1「マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った」)。マタイは、同じ二人の女性を十字架・埋葬・空の墓の三場面すべてに置くことで、証言の連続性を保証しています。彼女たちは、イエスが死んだこと、どの墓に納められたか、そしてその墓が空になったことの、途切れのない目撃者です。当時のユダヤ社会では、女性の法廷証言は重んじられませんでした(ヨセフス『ユダヤ古代誌』4.219 参照)。それにもかかわらず、福音書がそろって女性を埋葬と復活の第一証人としているのは、これがフィクションではなく事実である可能性を示唆すると多くの研究者は見ています。
  • 「座っていた」 καθήμεναι は現在分詞で、継続している状態を描きます。ヨセフが「立ち去った」(60節)のに対し、女性たちはなお「座り」続けます。それは喪に服す姿であり、もはや何もできない中でなお主のそばにとどまろうとする姿勢です。十二弟子は「皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(26:56)のに対し、女性たちは最後までとどまりました。
  • τάφος と μνημεῖον 60節では「墓」に μνημεῖον が二度用いられますが、61節では τάφος に変わります。両者はほぼ同義で、マタイは27:64, 66; 28:1 でも τάφος を用います。μνημεῖον は「記念するもの」(μιμνῄσκομαι「思い起こす」)に由来する語で、死者を記念する場所としての墓を、τάφος は「葬る」(θάπτω)に由来する語です。

<以上の注解をもとにしての説教の結びの言葉として>
 イエスの埋葬は、沈黙の場面です。奇跡も、劇的な対話もありません。ただ、主のからだを前にして、ヨセフが「受け取り」、女性たちが「座り続ける」。そこには、弟子とは何かという問いに対する、きわめて具体的で、きわめて静かな答えがあります。
 十二弟子が姿を消したその場所に、あまり知られていない女性たちと、これまで表に出てこなかった一人の男が立っています。彼らは語りません。ただ、主のためにできることをし、主のそばにとどまり続けます。神の国に入ることが「人にはできない」その金持ちが、神によって弟子とされ、主のからだを受け取ります。何もできないと思われた女性たちが、主の死と埋葬と復活の連続した証人とされます。ここに、神が弟子を起こされるという事実が、静かに、しかし確かに示されています。
 そして、ヨセフが人の手で「転がして閉じた」大きな石を、神は復活の朝に「転がして開かれ」ます。人ができることと、人にはできないこと。その境界線の向こう側で、神は救いの業を完成されます。私たちが主のそばにとどまり、主のためにできる小さなことを忠実に行うとき、神はその小さな従順を、復活のいのちへとつながる道の一部として用いてくださいます。
 埋葬の場面は、終わりではありません。ここは、復活の光が差し込む直前の、深い静けさの場所です。ヨセフと二人のマリアが示したように、私たちもまた、この静けさの中で主にとどまり、主に仕える者でありたい。神が弟子を起こし、神が石を動かし、神がいのちを与えてくださる。その確かさの中で、私たちの歩みもまた、復活へと続いていきます。

1-2-1 キリスト教史解説(教会史)

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