説教や聖書研究をする人のための聖書注解
マタイ24:15-28「大きな苦難を予告する」
導入
マタイ24章は、イエスがオリーブ山で語った終末論的説話の中心部分であり、神殿崩壊と終末のしるしが重層的に語られる箇所である。ここでは、歴史的出来事と終末的展望が交差し、読者は「今起こっている苦難をどのように神の視点から読み解くべきか」という問いに向き合うことになる。
特に15–28節は、「大きな苦難(θλῖψις μεγάλη)」 の到来と、その中で信仰者がどのように振る舞うべきかを示す緊迫した警告の言葉である。イエスは、ダニエル書に由来する「荒廃をもたらす忌まわしいもの」を引用し、歴史の中で繰り返される神殿冒涜の出来事を、紀元70年のエルサレム陥落と重ね合わせて語る。マタイの読者にとって、それはすでに経験済みの出来事であり、イエスの預言が成就したことを示す証拠でもあった。
同時に、イエスは歴史的危機を超えて、終末的危機へと視野を広げる。偽メシアの出現、逃亡の必要、妊婦や乳飲み子を抱える者への深い配慮、そして神の介入による「日々の短縮」。これらはすべて、信仰者が苦難のただ中で「何を見、何を信じ、何を避けるべきか」を教えるための言葉である。
この箇所は、単なる未来予告ではなく、苦難の時代を生きる信仰者への霊的指針として読むべきものである。歴史の悲劇は避けられない。しかし、神の民はその中で見捨てられることはない。イエスは、偽りの救いに惑わされず、真の「人の子の来臨」を待ち望むようにと呼びかけている。
15節
- 原文:Ὅταν οὖν ἴδητε τὸ βδέλυγμα τῆς ἐρημώσεως τὸ ῥηθὲν διὰ Δανιὴλ τοῦ προφήτου ἑστὸς ἐν τόπῳ ἁγίῳ, ὁ ἀναγινώσκων νοείτω·
- 私訳:預言者ダニエルを通して語られた荒廃の忌むべき者を聖なる場所であなたがたが見る時、
- 新共同訳:預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら、読者は悟れ。
注解
・属格 τῆς ἐρημώσεως は「荒廃をもたらす」という結果・性質の属格
・ἑστὸς:ἵστημι(立つ)の完了分詞(中動態)
・「荒廃をもたらす忌まわしいもの」:ダニエル書9:27、11:31、12:11に由来する。前167年のアンティオコス4世による神殿冒涜を指した表現である。マタイはこれを、イエス以後・マタイ以前に起こった紀元70年におけるローマによる神殿破壊の出来事としてとして再解釈し、イエスの口から語らせている。マタイ福音書の読者は、ダニエル書とこの言葉を照らし合わせた上で、自信が置かれた歴史的状況を神の視点のもとに捉え直せ、という意味。
アンティオコス4世(Ἀντίοχος Δʹ Ἐπιφανής
- 在位:前175年–前164年
- 王朝:セレウコス朝シリア
- 称号:Ἐπιφανής(エピファネース)=「顕現した神」
- 民衆の揶揄:Ἐπιμανής(狂人)
ユダヤ教の律法遵守、割礼、安息日の禁止、律法の書を焚書にし、ギリシャ的宗教を強要した。前167年には、エルサレム神殿に立ち入るという冒涜行為に及んだ。ダニエル9:27、11:31、12:1にある「荒廃をもたらす忌まわしいもの」という記述は、エルサレム神殿にゼウス像(またはゼウス礼拝)を建て、祭壇で豚を犠牲として献げた冒涜行為を指示した、アンティオコス4世を指す。この出来事を契機として、マタティア、ユダ・マカバイによる反乱(前167–160年)が勃発。前164年、神殿奪還・再奉献に成功。ハヌカー(宮清めの祭)の起源となる。ダニエル書は、物語上はバビロン捕囚期の物語とされているが、実際にはアンティオコス4世時代の迫害下で書かれた黙示文書である。
16節
- 原文:τότε οἱ ἐν τῇ Ἰουδαίᾳ φευγέτωσαν εἰς τὰ ὄρη·
- 私訳:その時、ユダヤにいる者たちは山々へ逃げなさい。
- 新共同訳:そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
注解
- φευγέτωσαν:φεύγω(逃げる) の命令法・3人称複数
- εἰς τὰ ὄρη:山々へ(複数形)。特定の山ではなく、山一般が指定されている。
- 「その時」とは、15節の事態を指す。即時の行動が命令されている。当時、エルサレムはローマ軍に包囲され、兵糧攻めにされ、夥しい餓死者を出した。閉じ込められる前に、事前の避難が必要であった。マタイ福音書はこの出来事の紀元70年以降の80年代に執筆されたとするのが定説なので、「読者」にとっては既に過去の出来事であった。イエスの預言が成就されたということが、暗示されている。
17-18節
- 原文:17 ὁ ἐπὶ τοῦ δώματος μὴ καταβάτω ἆραι τὰ ἐκ τῆς οἰκίας αὐτοῦ, 18 καὶ ὁ ἐν τῷ ἀγρῷ μὴ ἐπιστρεψάτω ὀπίσω ἆραι τὸ ἱμάτιον αὐτοῦ.
- 私訳:17 屋根の上にいる人は、家の中の物を取るために降りてはならない。18 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。
- 新共同訳:屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。18畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。
注解
- καταβάτω:動詞καταβαίνω(折りる)の三人称単数・命令法・現在。
- ἆραι:動詞αἴρω(持ち上げる、取る)の不定法・アオリスト。ἐπιστρεψάτω:動詞ἐπιστρέφω(振り返る、戻る)の三人称単数・命令法・アオリスト。
- パレスチナのユダヤ人の家屋は、平屋建てで、屋上部分に登れる仕様になっていた。物惜しさに「これくらい」と思う油断が、命取りになることが警告されている。とにかく逃げて、生き延びることが最優先という、鬼気迫る勧告となっている。
19–20節
- 原文:οὐαὶ δὲ ταῖς ἐν γαστρὶ ἐχούσαις καὶ ταῖς θηλαζούσαις ἐν ἐκείναις ταῖς ἡμέραις. 20 προσεύχεσθε δὲ ἵνα μὴ γένηται ἡ φυγὴ ὑμῶν χειμῶνος μηδὲ σαββάτῳ.
- 私訳:それで、妊婦と、乳を与えている女たちは不幸だ、それらの日には。20 あなたがたは祈りなさい、あなたがたの避難が、冬にも安息日にも起こらないように。
- 新共同訳:19それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。20 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。
注解
- προσεύχεσθε:動詞προσεύχομαι(祈る)の二人称複数・現在・中動・命令法。
- καὶ ταῖς θηλαζούσαις:分詞・女・複・与格。「乳を与えている女たち」
- γένηται:動詞γίνομαι(起こる)の三人称単数・アオリスト・中動・接続法。
- χειμῶνος:名詞・男・単・属格。「冬に」
- 妊婦という身体的物理的な制約がある人たちや、場合によっては逃げることも安息日には仕事と見なして避けるべきと考える人もいる「安息日」という宗教的制約が考慮されている。マカバイ時代には、安息日に敵の攻撃を受けても逃亡や反撃をしなかった人が、信仰の模範者として讃えられたこともあった。マタイの教会共同体には、そのような律法遵守意識を持つユダヤ人もいたことが窺い知れる。
21–22節
- 原文:21 ἔσται γὰρ τότε θλῖψις μεγάλη οἵα οὐ γέγονεν ἀπ’ ἀρχῆς κόσμου ἕως τοῦ νῦν οὐδ’ οὐ μὴ γένηται. 22 καὶ εἰ μὴ ἐκολοβώθησαν αἱ ἡμέραι ἐκεῖναι, οὐκ ἂν ἐσώθη πᾶσα σάρξ· διὰ δὲ τοὺς ἐκλεκτοὺς κολοβωθήσονται αἱ ἡμέραι ἐκεῖναι.
- 私訳:21 というのも、その時には、世の初めから今に至るまで起こらなかったような、そしてまた、起こることもないような大きな苦難が生じることになる。22 もしその日々が短くされなければ、すべての肉は救われないだろう。しかし、選ばれた者たちのために、その日々は、短くされることになる
- 新共同訳:21 そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。22 神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。
注解
- ἔσται:動詞εἰμί(ある)の未来・中動・3単。
- γέγονεν:動詞 γίγνομαι(起こる)の完了・能動。
- ἐκολοβώθησαν:動詞κολοβόω(短くする)・アオリスト・受動・3複。
- ἐσώθη:動詞σῴζω(救う)のアオリスト・受動・3単。
- 「短くされる」「縮めてくださる」:神によって短くされるという、神の介入の受動態。
- 戦争、包囲による飢餓は、悲惨な出来事であり、時にそれらに我々が直面することは避けられないものとされているが、同時に、神の配慮が選ばれた者たち(信仰者)には用意されているということ。悲劇に遭わないと思ってはならない。しかし、絶望に浸ってもならない。選びの者たちへの神の介入があるから、ということ。
23-24節
- 原文:23 Τότε ἐάν τις ὑμῖν εἴπῃ· Ἰδοὺ ὧδε ὁ Χριστός, ἢ Ὧδε, μὴ πιστεύσητε· 24 ἐγερθήσονται γὰρ ψευδόχριστοι καὶ ψευδοπροφῆται καὶ δώσουσιν σημεῖα μεγάλα καὶ τέρατα, ὥστε πλανῆσαι, εἰ δυνατὸν, καὶ τοὺς ἐκλεκτούς.
- 私訳:23 その時、もし誰かがあなたがたに「見よ、ここにキリストが」あるいは「ここに」と言う者がいても、あなたがたは信じてはならない。24 というのも、偽キリスト(偽メシア)や偽預言者が現れ、そして、もし可能であるならば、選ばれた者たちを惑わすために、大きなしるしや不思議をもたらすことになっているからである。
- 新共同訳:23そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。24偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。
注解
- μὴ πιστεύσητε:動詞「信じる」のアオリスト接続法。ἐάν + 接続法の構文が使用されている。これは状況を仮定しての警告文。
- 24:4で、自分をメシアと偽る「偽メシア(偽キリスト)」の出現が予告されていた。基本、それが繰り返されている。ここでは、偽キリストを指し示す人々が現れることについて語られている。
- 「大きなしるし」「不思議」:「しるし」とは、それを行う者が神自身もしくは神の権威を帯びていることを示すもの。要するに、神にしかできないような奇跡的な業を指す。患難の時代には、偽メシアや偽メシアを指し示して、奇跡のようなことを行う人々が現れるため、これらを識別する眼力が求められるということ。
27–28節
- 原文:27 ὥσπερ γὰρ ἡ ἀστραπὴ ἐξέρχεται ἀπὸ ἀνατολῶν καὶ φαίνεται ἕως δυσμῶν, οὕτως ἔσται ἡ παρουσία τοῦ υἱοῦ τοῦ ἀνθρώπου. 28 ὅπου ἐὰν ᾖ τὸ πτῶμα, ἐκεῖ συναχθήσονται οἱ ἀετοί.
- 私訳:27 稲妻が東から出て西までひらめくように、人の子の来臨もそのようである。28 死体のある所ならば、そこには禿鷹が集まることになる。
- 新共同訳:27 稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。28 死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ。
注解
- ὅπου ἐὰν + 接続法:普遍条件文。
- 前節での偽メシアの出現に対して、本節では真のメシアの「来臨」が対比されている。
- 雷、雷鳴は、神顕現に伴ってしばしば現れる事象(出エジプト19:16)。雲も同様。雷の明瞭性が意識され、来臨の際は明らかな「しるし」を伴うことが暗示されていると見ることができる。
- 「死体」「禿鷹」:旧約聖書では、これらの組み合わせは、契約違反に対する神の審判(申命記28:26、1列王記14:11など)や、敵に対する挑発や敗北の言葉に現れる(1サムエル 17:44)。葬りさえされないという、死を伴う悲惨な状況を意味する。なお、チベット仏教やゾロアスター教では、鳥葬(スカイバラル)が行われていたように、聖なる儀式を表す場合もある。
- 「死体のある所ならば……」:この箇所を結ぶ格言的調子の言葉。これまで述べられた過酷な出来事が、不可避であることが強調されている可能性がある。
まとめ:苦難の中で何を見るべきか
説教の結びの言葉として
私たちは、歴史の中で繰り返される苦難を避けることはできません。しかし、イエスはそのただ中で、私たちが何を見つめ、何を信じるべきかを教えてくださいました。偽りの救いに心を奪われるのではなく、稲妻のように明らかに現れる「人の子の来臨」を待ち望む者として歩むようにと招いておられます。
苦難は現実です。しかし、絶望が現実となるとは限りません。絶望とは、自分で自分の未来を悲観することです。私たちは、主イエスが仰る言葉をもって、未来を待ち望むべきです。神は選ばれた者たちのために日々を短くされる方であり、歴史の混乱の中にも、確かな御手を働かせておられる方です。
祈り
私たちが、どのような時代を生きるとしても、主の言葉にとどまり、惑わされず、希望を失わず、来られる主を待ち望む民として歩むことができますように。主が、苦難の中を歩む私たち一人ひとりを守り、導いてくださいますように。アーメン。
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