2026年11月5日木曜日

津田塾 創立の歴史 ― 10人の私塾から大学へ

 

レジュメ

今回の問い

1900年にわずか10人で始まった私塾は、どのように大学になったのか。

年表

年出来事
1864津田梅子、江戸に生まれる
1871岩倉使節団に同行し渡米(満6歳、女子留学生5人の最年少)
1882帰国(満17歳)
1885華族女学校で英語を教える
1889〜1892再留学(ブリンマー大学、オスウィーゴ師範学校)
1899高等女学校令・私立学校令
19007月に職を辞す。9月14日、麹町区一番町に女子英学塾を開校(学生10人)
1902麹町区五番町へ移転
19043月 専門学校の認可、9月 社団法人化
1905英語科教員無試験検定の許可
1923関東大震災で校舎全焼
19298月16日、梅子逝去(64歳)
1931小平村の新校舎へ移転
1933津田英学塾と改称
1943理科を新設、津田塾専門学校と改称
1948津田塾大学として開学

1. 創立前史

明治日本の女子教育

  • 近代化は進むが、女性の役割には強い制約
  • 女性が専門的な学問を究める場はごくわずか
  • 女子の高等教育機関は女子高等師範学校のみ

創立者・津田梅子の形成

  • 1871年、満6歳で渡米。ジョージタウンのランマン夫妻のもとで育ち、初等・中等教育を受ける
  • 1882年に帰国し、女性の地位の低さに衝撃を受ける
  • 「男性の真の協力者にして対等の地位に立つ」自立した女性を育てる学校を志す
  • 再留学で得たもの
    • 学問:ブリンマー大学で生物学
    • 教授法:オスウィーゴ師範学校
    • 支援の輪:日本女性のための奨学金を設立

2. 1900年の創立

決断

  • 1899年の法整備により、女学校の教員を養成する場が求められる
  • 1900年7月、梅子は華族女学校と女子高等師範学校の職を辞す

開校

  • 1900年9月14日、麹町区一番町の住宅で開校
  • 日本最初の私立女子高等教育機関
  • 最初の学生は10人

開校式の式辞(教育精神)

  1. 真の教育は設備より、教師の資格と熱心、学生の研究心
  2. 個性に応じた少人数教育
  3. 人として女性として「オールラウンド」であること

支えた人々と資金

  • 日本:大山捨松、瓜生繁子(ともに留学生仲間)
  • アメリカ:アリス・ベーコン、アナ・ハーツホン(1902年来日)
  • 資金:「フィラデルフィア委員会」を通じた、主にアメリカの友人・有志の寄付
  • 資金不足は慢性的で、梅子は募金活動に奔走

3. 発展の道のり

  • 学生の増加:10人 → 3年後に50人超
  • 公的な認可:1904年に専門学校、1905年に英語科教員無試験検定(卒業生は試験なしで英語教員の資格を取得)
  • 試練:梅子の病(辻マツが塾長代理)、1923年の関東大震災で校舎全焼、仮校舎で再建(星野あいが後を継ぐ)
  • 新たな拠点:1931年に小平へ移転(新校舎建設にハーツホンが尽力)
  • 校名の変遷:女子英学塾(1900)→ 津田英学塾(1933)→ 津田塾専門学校(1943)→ 津田塾大学(1948)

まとめ:創立の歴史、三つのポイント

  1. 創立者の経験:二度の留学と教師としての経験が土台
  2. 時代の要請:女性教員の養成という社会の必要
  3. 支える人々:日米の仲間と後継者が志をつないだ

「本当の教育は、立派な校舎がなくてもできる」(開校式辞より)


参考資料

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津田塾 創立の歴史 ― 10人の私塾から大学へ

  レジュメ 今回の問い 1900年にわずか10人で始まった私塾は、どのように大学になったのか。 年表 年 出来事 1864 津田梅子、江戸に生まれる 1871 岩倉使節団に同行し渡米(満6歳、女子留学生5人の最年少) 1882 帰国(満17歳) 1885 華族女学校で英語を教え...