レジュメ
0. 今日の問い
- 聖書はイエスの誕生日を語っているか
- 12月25日はいつから祝われたか
- なぜ12月25日なのか
1. 「クリスマス」という言葉
- Christmas = Christ + Mass(キリストのミサ)。古英語 Cristes mæsse に由来します。
- Xmas の X は、ギリシア語 Χριστός(クリストス)の頭文字 Χ(カイ)です。キリストを省略・排除する表記ではありません。
- 各国語:仏 Noël(ノエル)/伊 Natale(ナターレ)/独 Weihnachten(ヴァイナハテン)
降誕節(Christmastide)
- 典礼上の1日は日没から始まるため、降誕祭の典礼は12月24日の夕方から始まります。
- 降誕節は公現祭(1月6日)まで、伝統によっては主の洗礼の祝日や主の奉献(聖燭祭、2月2日)まで続きます。どこまでとするかは教派・伝統によって異なります。
2. 起源 ― 聖書と最古の史料
(1) 聖書は日付を語らない
- 降誕物語:《マタイ》1:18〜25、《ルカ》1:26〜38、2:1〜20
- 「何月何日」の記述はありません。そのため、初期の教会には諸説がありました。
- アレクサンドリアのクレメンス《ストロマテイス》1巻21章(2世紀末〜3世紀初頭)
- 誕生日の諸説を記録しています(パコン月25日=5月20日説など)。
- バシレイデス派は、イエスの洗礼をテュビ月15日または11日(1月10日または6日)に記念していました。
- 東方では、1月6日を公現祭(Epiphany)として祝う伝統が発展しました。
(2) 年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 274年 | アウレリアヌス帝、ローマに太陽神の神殿を奉献 |
| 321年 | コンスタンティヌス帝、日曜日を休息日とする勅令 |
| 325年 | ニカイア公会議 |
| 336年 | ローマで12月25日の降誕祭(確実な最古の証拠) |
| 354年 | 《354年の年代記》成立 |
| 379/380年頃 | コンスタンティノープルで降誕祭の説教(ナジアンゾスのグレゴリオス) |
| 386年頃 | アンティオキアで降誕祭の説教(クリュソストモス) |
| 6世紀 | エルサレムも12月25日を採用 |
(3) 《354年の年代記》(Chronography of 354)
- ローマ教会の殉教者記念日表(Depositio Martyrum)の冒頭に、次の記載があります。
- VIII kal. Ian. natus Christus in Betleem Iudeae
- 「12月25日、キリスト、ユダヤのベツレヘムにて生まる」
- 336年のローマ教会の慣行を反映しているとされます。したがって、4世紀前半にはローマで12月25日に降誕を祝っていたことがわかります。
(4) よくある俗説と史料の実際
| よくある説明 | 実際 |
|---|---|
| 教皇ユリウス1世(在位337〜352年)が制定した | 同時代史料はありません。336年の記録は即位前です |
| オリゲネスがクリスマスを批判した | 批判の対象は、ファラオやヘロデの誕生日祝い(異教の慣習)です(《レビ記講話》8.3) |
| ミトラス教の祭日を転用した | 古代の史料に根拠はありません |
| 公現祭はアリウス派の祭りだった | 直接の関係はありません |
3. なぜ12月25日か ― 二つの学説
| 宗教史学説 | 計算説 | |
|---|---|---|
| 視点 | キリスト教の「外」から | キリスト教の「内」から |
| 根拠 | 冬至・太陽神の祭り | 受難日=受胎日という計算 |
| 要点 | 同じ時期に降誕祭を重ねた | 3月25日+9か月=12月25日 |
※ 二つは必ずしも対立しません。複数の要因が重なった可能性もあります。
(1) 宗教史学説
- 《354年の年代記》の暦では、12月25日が「不敗の太陽の誕生日(Natalis Invicti)」とされています。
- 太陽神ソル・インウィクトゥス(Sol Invictus)は、後期ローマ帝国で重要な信仰対象でした。
- 冬至は「太陽がよみがえる」時期です。この時期に「真の光」であるキリストの降誕を重ねた、という解釈です。
- 注意点
- 12月25日の太陽神祭を明記する最古の史料も《354年の年代記》です。
- アウレリアヌス帝が274年にこの日の祭りを制定したとする直接の証拠はありません。
- 太陽神祭と降誕祭のどちらが先かについても議論があります(S・ハイマンスら)。
(2) 冬の祭りとの関係
- サトゥルナリア:農耕神サトゥルヌスの祭りです。本来は12月17日でしたが、のちに12月23日までの7日間に延びました。宴会、贈り物、賭け事の容認、主従の逆転などが行われました。
- ユール:ゲルマンの冬の祭りです。史料が乏しく、クリスマスツリーとの直接の連続性は断定できません。
- ミトラス教:太陽神崇拝とは別の宗教です。12月25日をミトラスの誕生日とする古代史料はありません。
- →「教会が異教の祭りを意図的に置き換えた」という見方は、一つの解釈にとどまります。
(3) 計算説
- 受難日を3月25日とする伝承:テルトゥリアヌス《ユダヤ人反駁》8章(3世紀初頭)
- 「偉大な人物は受胎した日に死ぬ」という考え方から、受難日=受胎日とされました。
- 受胎とも結びつける明確な記述は、のちのアウグスティヌス《三位一体論》4.5.9などにあります。
- 3月25日(受胎)+9か月 → 12月25日(降誕)
- 東方版:4月6日(受胎=受難)+9か月 → 1月6日(降誕・公現)
- → 西方の12月25日と東方の1月6日を、同じ論理で説明できます。
(4) 背景:キリスト=光、太陽
- 《ヨハネ》8:12「世の光」/《ヨハネ》1章「すべての人を照らす光」
- 《ルカ》1:78〜79「高い所からの曙の光」
- 《マラキ》3:20(新共同訳。口語訳では4:2)「義の太陽」:教父たちが好んで引用した箇所です。
- アンブロシウスらも、キリストを太陽になぞらえています。
(5) 321年の勅令
- 321年3月7日、コンスタンティヌス帝が「太陽の日(dies Solis)」=日曜日を公的な休息日としました(《ユスティニアヌス法典》3.12.2)。
- 対象は都市の行政官・住民・職人で、農作業は除外されました。
- 日曜日は、すでに復活を記念する「主日」でした。新設でもなく、ミトラス教との習合とも断定できません。
4. 東方教会への普及
- 東方の伝統では、1月6日の公現祭に降誕・博士の来訪・洗礼などを記念していました。特に洗礼による神の子の顕現が重視されました。
- 4世紀後半には、12月25日の降誕祭が東方へ広がりました。
- コンスタンティノープル:ナジアンゾスのグレゴリオス(379/380年頃)
- アンティオキア:ヨハネス・クリュソストモス(386年頃)。導入から日が浅いと述べています。
- その結果、12月25日の降誕祭と1月6日の公現祭が、別々の祭日として並び立つようになりました。
- 例外:エルサレムは6世紀まで1月6日でした。アルメニア使徒教会は現在も1月6日に降誕を祝います。
- 注:ロシア正教会などの「1月7日のクリスマス」は、ユリウス暦の12月25日にあたります。公現祭とは別の問題です。
5. イエスの誕生の時期
季節
- 12月末のパレスティナは雨季で、寒い時期です。
- 《ルカ》2:8 には、夜に野外で羊の番をする羊飼いの記述があります。そのため冬の誕生を疑う研究者もいます。
- ただし放牧の事情は地域によって異なるため、この記述だけでは季節を決められません。
年代
- ヘロデ大王の時代:《マタイ》2章、《ルカ》1:5
- ヘロデの死は通説で紀元前4年です(前1年説もあります)。
- キリニウスの人口調査:《ルカ》2:1〜3
- ヨセフス《ユダヤ古代誌》18巻などから、西暦6年頃とされます。
- → 約10年のずれがあります。マタイとルカの間だけでなく、《ルカ》の内部にもある問題です。
6. まとめ
- クリスマスは「異教の祭りの単純な焼き直し」ではありません。
- 12月25日は「イエスの実際の誕生日」でもありません。
- 次の要因が重なって、12月25日が定着したと考えられます。
- 神学的な年代計算
- ローマ帝国の宗教文化(太陽神崇拝など)
- 教会の典礼の発展
- クリスマスの中心は日付ではなく、受肉(Incarnation)の記念です。神の子が人となってこの世に来たという信仰を祝う日です。
詳細な学びのための参考文献
- Thomas J. Talley, The Origins of the Liturgical Year, Pueblo, 1986.
- Paul F. Bradshaw and Maxwell E. Johnson, The Origins of Feasts, Fasts and Seasons in Early Christianity, SPCK / Liturgical Press, 2011.
- Steven Hijmans, "Sol Invictus, the Winter Solstice, and the Origins of Christmas," Mouseion 47 (2003).
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