2025年5月24日土曜日

【キリスト教史解説】古代教会時代の修道院運動

 

<関連動画>

【キリスト教史解説】モンタヌス(モンタノス)とモンタニズムー霊的な熱狂的終末論者

https://youtu.be/SoC66n3YVLk


ーーーレジュメーーー

【キリスト教史解説】古代教会時代の修道院運動


・古代、中世、近世の三つの時代区分にわけられる


 【要約】

当時、終末観の希薄化、改宗者増大などにより、教会は世俗化。その反動で禁欲主義が興る。 個住修道制を実践したアントニオスと、共住修道制を実践したパコミウスが起源。共住修道制は大バシレイオスにより発展。ヌルシアのベネディクトゥスはヨーロッパ修道制の祖。


 1  古代末期から初期中世にかけての修道院運動

・時代的要因

 a 終末到来の遅延

    世の終わりは当分来ないという弛緩

    世俗化

   

 b 禁欲生活、熱狂的終末論者のモンタヌス主義の禁止

     モンタヌス(-170年)

    →禁欲の禁止が、世俗化に影響


 c キリスト教への改宗者が増えた

    世俗度が高い人が増える

    →紀元200年以降、世俗化が進む


  →その反動で、清い生活、禁欲生活のニーズが高まる

  →自発的清貧と独身を柱とした禁欲主義


 2 古代時代の修道制の二つの起源

 個住修道制のアントニオスと、共住修道制のパコミウス


・3世紀末、アントニオスが個住修道制を実践

 特にエジプトの砂漠や荒れ野で、単身の禁欲生活


・その後パコミウスが、個住から共同生活への転換を図る

 315年から320年、南エジプトに最初の修道院を設立


・二つの形態の修道院制度は、それぞれ並行して展開

 エジプト、アフリカ、小アジアにおいて


 3 共住修道制を発展させた大バシレイオス

・4世紀中頃から後半にかけて

・大バシレイオス、修道院制度の整備に尽力

・修道生活を説いた『大会則』と『小会則』を執筆

・彼の共住修道制は、現在もギリシアとスラヴの修道院形態に継承


 4 西方の修道制の改革者ヌルシアのベネディクトゥス

・ヨーロッパ修道制の開祖

・ヌルシア、紀元500年に個住修道生活を開始

・弟子たちのために付近に12の修道院を建てて、指導に当たる

・529年、モンテ・カッシノ修道院に移る。

・晩年、唯一の著作である『ベネディクトゥス会則』執筆

・東方的修道制の伝統と、西方独自の潮流のハイブリッド

・過度に厳格な修道生活を避け、中庸の精神を保持

・修道士の労働を重視 物心両面での自律性の確立


「主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像」第3回 嵐の中での弟子たち

『信徒の友』所収「主と共に歩んだ人たち─四福音書が映し出す群像」第3回

嵐の中での弟子たち

 今回注目していく「人々の群像」は、船の上の「弟子たち」です。聖書箇所として、イエスが風と波をしずめる「嵐しずめの奇跡物語」と、イエスがガリラヤ湖上を歩く「湖上歩行の奇跡物語」の二つを見ていきます。この両者は互いによく似ていて、湖上、風、弟子たちが恐れた点、弟子たちがイエスの存在と力に思いが及ばない点などを共有しています。後の信仰者は、船に自分たちの教会や自分自身を重ね、航海に人生を、そして、怖じ惑う弟子たちの姿に戦々恐々とする自分たちを重ね合わせて、これらの物語を読んだことでしょう。

 さて、前者の「嵐しずめ」の方は、マタイ8・23-27、マルコ4・35-41、ルカ8・22-25に記されていて、ヨハネにはありません。一方、後者の「湖上歩行」の方はマタイ14・22-33、マルコ6・45-52、ヨハネ6・16-21に見出され、ルカにはありません。どうしてこのようなことが起きるのか不思議に思われるでしょうが、これは学術的研究で議論されるような非常に複雑なことですので割愛します。


 「嵐しずめ」の奇跡物語

 「向こう岸に渡ろう」というイエスの言葉を収録しているのは、マルコとルカで、マタイはこれを省いています。ただ、いずれの福音書も、イエスが自ら先陣を切って行動されたことを伝えています。皆様の中で決断を先送りにしている方がいらっしゃるとして、心の中に「向こう岸に渡ろう」との声が聞こえてきませんか?その後、たとえ嵐に巻き込まれることは避けられないとしても、私たちはただこのときの弟子たちのように、主の後に従えば良いのです。

 出向した矢先、「嵐」(マタイ)、または「突風」(マルコ、ルカ)が生じました。ルカはガリラヤ湖特有の気象を考慮して「突風が湖に吹き降ろしてきて」と詳述しています。船の中に波が打ち込んでくる危険な状況とは実に対照的に、イエスが悠々と眠っていたことについては、三つの福音書すべてが一致して記しています。その筆遣いに、そこはかとないユーモアを感じます。私たちの周章狼狽など、イエスにとっては安眠の妨げにもならないといったところでしょうか。

 もちろん、弟子たちはイエスを起こしにかかります。マルコとルカは「先生」と呼びかけますが、マタイは恐らく読み手にとっての「主」を考慮して「主よ、助けて下さい」と祈るように懇願しています。彼らの必死さはマルコにおいて最もよく書き留められています。「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」(4・38)。原語に近く訳せば、「わたしたちが死に滅びても、あなたは構わないのですか?」となります。これはもはや懇願ではなく、“抗議”です。なんというリアリティでしょう!皆様も似たような経験があるのではないでしょうか。しかし口惜しいかな、マタイとルカはあまりに強烈な表現と感じたのか、書き換えてしまっています。

 その後、ようやく起き上がったイエスは、風と波を叱りつけ、あっという間におしずめになりました。直後にイエスが弟子たちに語った言葉が、三者三様です。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」(マタイ8・26)、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」(マルコ4・40)、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」(ルカ8・25)。マタイの「信仰の薄い」とある箇所は、原語では「信仰の小さい」と記されていて、マタイは好んでこの表現を使います。17・20では「信仰が小さい」と「からし種一粒(小さな物の代表!)ほどの信仰があれば」という言葉がセットになって出て来ています。すなわち、「もっと信仰を“大きく”持って」と鼓舞されているのです。一方、マルコの「まだ信じないのか?」においては、信仰の大小の問題ではなく、信仰があるかないかの二者択一で考えられています。加えて、“まだ”というマルコが非常によく使う言葉が付け加えられていることにより、イエスは辛抱して弟子たちに根気強く教えているのに彼らは一向に理解へと至らないという、弟子たちへの批判的なニュアンスが滲み出ています。マルコにおいての「弟子たち」は、とにかく物わかりが悪いのが特徴です。私たちと似たり寄ったりです。ルカの「あなたがたの信仰はどこに?」という表現は、さすが学識あるルカの文才がキラリと光る言葉遣いと言えましょう。「私の信仰、“どこ”に置き忘れてしまったのかしら」、そんな乙なつぶやきを時々されたらいかがでしょう。


 「湖上歩行」の奇跡物語

 この物語の基本的なポイントは、船に乗った弟子たちの中に、イエスがいないという点に尽きます。「嵐しずめ」では、イエスが共にいるのにいないかのように思う信仰が問題とされていました。対してこちらは、イエスが“不在”なのです。これも「嵐しずめ」のときと同様、イエスは天に昇られて自分たちは地上に残された状態であるという、読者たちの現況が重ね合わせられています。

 湖上を歩くイエスの姿を見て、弟子たちは恐れました。その理由についてマタイとマルコは、弟子たちがイエスを幽霊と見間違えたからとして物語を書き綴っています(マルコ6・49、マタイ14・26)。よりによってイエスを幽霊と見誤る前提には、「主がここまで来られるはずはない」「湖の上を歩けるはずはない」といった、イエスとその力に対する我々の信仰の問題が潜在しています。ですから「湖上歩行」もまた、読み手の側の信仰を問うためのエピソードに他なりません。

 さて、イエスが弟子たちに語りかけた「わたしだ。恐れることはない」という文言は、細かな違いはありますが基本的には、マタイとマルコとヨハネの三者で共通しています。ただし、ヨハネの「わたしだ」という言葉は、その意味合いが違ってきます。ヨハネの文脈を通して、イエスがご自身を神としてあらわすという、“顕現”や“啓示”の意味合いが込められているからです(同様の例としてヨハネ18・8を参照)。元々ヨハネはイエスを「神」と証言している福音書ですから(1:1「言は神であった」、20・28「わたしの神よ」)、そうした滋味を踏まえて味わうのがこの箇所の楽しみ方です。

 マタイがマルコやヨハネと最も異なる点は、ペトロがイエスに申し出て自分も湖上を歩こうとすることです。怖じけづいて沈み始めたペトロの手を捕らえて語ったイエスの言葉がこちらです。「信仰の薄い者よ(小さな信仰)、なぜ疑ったのか」。マタイはペトロが十二使徒の中でも特別であることを強調する傾向がありますから、このペトロのエピソードもそれと合致すると言えばそのとおりですが、やはり、読み手が自分の信仰を見つめ直すように意図されたエピソードであることは間違いありません。

 湖上の「弟子たち」の群像を見てきましたが、それは単なる彼らの事実報告ではなく、読者である私たちに向けられたメッセージと感じられたのではないでしょうか。「人の振り見て我が振り直せ」ならぬ、「弟子の信仰を見て、自分の信仰を直せ」という言葉を、今回の締めといたしましょう。



 絵画紹介

 「嵐しずめ」や「湖上歩行」を題材とした絵画は多くはなく、捜し出すのに少し骨を折りました。今回ご紹介する絵は、レンブラントにするか、それともドラクロワにするか、かなり悩みました。最終的には後述のとおり、色々な意味でドラマチックなレンブラントを選んでいます

 18世紀フランスのロマン派の画家ドラクロワが『ガリラヤ湖上のキリスト』を二枚描いていて(1841年、1854年)、湖上歩行の奇跡の絵(1870年代後半)も残しています。彼の師匠は、『メデューズ号の筏』で阿鼻叫喚の地獄絵図を描いたことで一躍有名になったジェリコーです。ドラクロワは彼の影響を受けて、小さな船に所狭しとひしめく弟子たちが押し合いへし合いを繰り広げる絵を描いたと考えられています。実際、絵の中の主役は、ほおづえをついて眠るキリストというよりも、むしろ大慌ての弟子たちの方です。

 17世紀オランダの最大の巨匠レンブラントの『ガリラヤ湖の嵐』は「さすが」の一言です。打ち込む波に耐える弟子たちと、イエスの周囲の弟子たちとの間のコントラストもさることながら、限界まで傾いたマストからは不安感、そして白ぎ立つ波の躍動感からは自然の激情を感じます。残念なことにこの絵は、フェルメールの『合奏』などと共に1990年に盗難にあい、行方不明となっています。湖底に沈んだこの絵が、再び太陽の光を浴びることを祈ってやみません。



2025年5月22日木曜日

新約聖書の正典化と、新約文書の並び順の形成プロセス

 


ーーーレジュメーーー

【キリスト教史】新約聖書の正典化と、新約文書の並ひ゛順の形成フ゜ロセス


・時系列順に、段階を追って見ていく。


 1  初期教会時代

・各々の文書が各地で形成以降、個別に各地に伝播・拡散

・徐々に、重要性の高い文書が固定し、広範囲で共有されるように

 =文書の中で「重要な書」という認識とその共有が生じ始める


 2  異端の発生、教義の形成、教義の源泉の確定

・異端の発生 →正統的教義の確定の必要 

 →教義の源泉である諸文書を確定する必要

 後にこの位置付けの文書の27書が正典化されて「新約聖書」文書に。


 1 グノーシス主義的キリスト教の台頭

   際限なき文書形成、独自教義の形成という脅威を受けて

 2 マルキオン(生没年不詳。後150年前後活動)の出現

   旧約聖書およびその影響を受けた新約聖書文書の排除

   (ルカ福音書と一部書簡のみを採用した)


→ムラトリ正典目録(ムラトリ断片とも、18世紀発見、推定成立2世紀後半) 

→オリゲネス(後185?253年)ーー重要文書の一覧の作成


 3  ローマにおけるキリスト教寛容令から公認以降

・なおも続く教理論争ーーアレイオス論争

 アレイオス vs アレクサンドリアのアタナシオス(296年?373年)

 ニカイア公会議(後325年)でアレイオス派に勝利したアタナシオス

 アタナシオス「復活祭書簡39」:新約聖書となる文書の一覧

・ ラオディキア会議(後363年)

 正統派による締め付けの強化 会衆の讃美歌詠唱禁止とか

 ほぼ後の新約文書27巻の一覧を挙げ、正典をこれに限定すると声明

・ カルタゴ会議(後397年)

 新約聖書正典27文書の確定。

・上記のプロセスにおいて、並び順が徐々に整理、固定していく


 4  新約文書の配列順序の確立

? 福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)は早くからまとまりとして認識

 順序も徐々に固定化。マタイ=第一福音書

? 書簡は基本、パウロ書簡(文字量順)→その他の書簡という順序に

? ヨハネ黙示録  時系列的に終末を扱う点と、様式的にも特殊

 末尾へ。


【キリスト教史解説】ヒエラポリスのパピアス

 

<関連動画>

【キリスト教史解説】モンタヌス(モンタノス)とモンタニズムー霊的な熱狂的終末論者

https://youtu.be/SoC66n3YVLk


【キリスト教史解説】ポリュカルポス(使徒教父)について

https://youtu.be/rsatoZ4oIPE


ーーーレジュメーーー

【キリスト教史解説】ヒエラポリスのパピアス


==1  プロフィール==

・活動時期:2世紀頃

・ギリシア教父(活動領域:東ローマ帝国、言語:ギリシア語)

・教会史家エウセビオス(260/65-339)によれば、

 ・ヒエラポリス司教  ヒエラポリス(小アジアにあった都市)

 ・リヨンのエイレナイオス(130頃-200頃)、ポリュカルポス

  (69頃-155/56)と活動時期が重なる。

・リヨンのエイレナイオスによれば、

 ・パピアスは使徒ヨハネの弟子

 ・ポリュカルポスとも親交を持っていた。

・フリギア出身  (古代アナトリア、現在のトルコ周辺)

・著作については、オリジナルは現存せず

 エウセビオスによって断片的に伝えられるのみ


==2  モンタヌス主義的傾向==

エウセビオスによって引用された断片的記述、彼の評価から再構成されるパピアスの思想

・歴史性の強調→反グノーシス主義

・モンタヌス主義的な千年王国説への傾倒


==3 著書==

『主の言葉の注釈(報告)』全5巻

 ・使徒たちが長老に語り伝えたイエスの言葉と業の伝承。

 ・福音書には含まれないイエスの言葉を含む。

 ・原本は失われ、エウセビオスによってその断片が二次的に報告

 ・成立年代:130年から160年を想定する説が多い。


→原本が失われた理由は?

 先のモンタヌス主義。異端的と見なされた?

2025年5月21日水曜日

「私が思う、五つの新宗教・新興宗教のメリット・デメリット」ーPL教団、天理教、サイエントロジー、創価学会、真如苑

 

<関連動画>

【新宗教・新興宗教】「PL教団」(パーフェクトリバティー教団)・PL学園

https://youtu.be/uZRwr8M2Lwk


【新宗教・新興宗教】サイエントロジー(教会) ーその歴史と教義 トム・クルーズは熱心な信徒

https://youtu.be/1DIWbOQ8So8


【新宗教・新興宗教解説】「天理教」ーその歴史と教祖中山みき氏の足跡

https://youtu.be/_movmH6J3RA


【新宗教・新興宗教解説】【天理教】天理市探訪ー教団名を冠した宗教都市

https://youtu.be/PCVctlgMK0s


【新宗教】創価学会

https://youtu.be/MjN2G0pVvuQ


【新宗教・新興宗教解説】「真如苑」ー伊藤真乗、友司夫妻の足跡と教団の歴史

https://youtu.be/JAGIOEX7Aac


ーーーレジュメーーー

「私が思う、五つの新宗教・新興宗教のメリット・デメリット」ーPL教団、天理教、サイエントロジー、創価学会、真如苑


 ==🟢1 PL教団==

・個人的には、もっとも母性本能をくすぐられる教団

・今年、紙媒体の教団関係の読み物はデジタル化したが、

 内容があったかい。信徒を締めつける圧がなくて優しい


メリット1:一時の勢いは失われて、かえって落ち着いている

メリット2:世間からのアンチが、ほぼない

      ただし、忘れられつつあるが

メリット3:ほぼ勧誘はない。脱退などでのトラブルも耳にしない

メリット4:今なお、PL学園の知名度はある

        PL教団については若年層には知られていない感じ

デメリット:教団の趨勢は右肩下がり。高齢化

       後継者争いが解決されていない



 ==🟢2 天理教==

メリット1:教団名が市の名前になっているという歴史化と安定

メリット2:天理市全体が、天理教テーマパーク

      おぢばがえり が楽しそう

メリット3:小中高大揃っている。高校は偏差値高め

メリット4:昔は別にして、今は勧誘がないような印象

デメリット:特になし

      ネットなどでカルト呼ばわりされても、

      そういう人は、宗教=カルトの認識

      気にする必要はなし



 ==🟢3 サイエントロジー==

・最近、解説動画をあげました。


メリット1:トム・クルーズと同じ宗教になれる

メリット2:ホームページ、建物や内装が、おしゃれな感じ

メリット3:教義が、心理学的、宗教哲学的で、理知的で現代的。

      第8のダイナミクスという形で、絶対神もあり

デメリット1:海外では、カルト扱いしているところも

デメリット2:日本では支部が少ないので、

       ご近所に教会ありとはなりにくい。

       東京・大阪・愛知といった大都市に住んでないと



 ==🟢4 創価学会==

 メリット1:信徒数も多く、各界に信徒が存在する

       強いコネクションを得られる

   芸能界なら、石原さとみさん、氷川きよしさん、

   遠藤憲一さん、久本雅美さん、柴田理恵さん

 デメリット:アンチ創価学会の方が多い

       勧誘、脱退時のトラブルの噂が多い

* アンチの数は、その教団の持つ権力と勢いに比例する


 ==🟢5 真如苑==

 メリット1:密教真言宗を在家で信仰できる数少ない教団

 メリット2:真言宗醍醐寺と強い結びつき。伝統との繋がり

       対照的:日蓮正宗と物別れとなった創価学会

 デメリット:アンチの方が多め。

       勧誘などで、トラブルの噂も多め

 中立:趨勢拡大中。伝統的宗教含め、軒並み、右肩下がりの中


* ただし、「アンチの数は、その教団の持つ権力と勢いに比例する」

【新宗教・新興宗教】サイエントロジー(教会) ーその歴史と教義 トム・クルーズは熱心な信徒

 

ーーーレジュメーーー

 **1 基本データ**

~名称~:The Church of Scientology「サイエントロジー教会」

   単にサイエントロジーと呼ばれることが多い

~本部~:アメリカ・カリフォルニア

   支部のサイエントロジー東京の所在地は、品川?新宿?

~創立年~:1955年

~創始者~:ラファイエット・ロナルド・ハバード

    (アメリカのSF小説家、1911-1986年)

~信徒数~:100ヵ国以上に800万。

    信徒として、トム・クルーズ、ジョン・トラボルタ等

~その他~:クリスチャンサイエンスと名称や理論が似ている

    しかし全くの別物。特に繋がりもない。


 **2 歴史の概要**

* アメリカのSF小説家ラファイエット・ ロン・ハバード

  1950年、「ダイアネティックス理論」を著書で発表

  

  ~「ダイアネティックス理論」とは~(詳細は後述)

  過去のトラウマや記憶が身体に悪影響

   悪い心象映像を特定し、消去することで健全さを取り戻す

  →精神と身体に関する一種の哲学的健康理論


* 1952年、スピリチュアル要素を取り入れての運動を開始


* 1955年、ワシントンに自己啓発的新宗教団体を設立

  この年が創立年となる。米国全土、世界各地で展開


* 1980年代半ば、日本での布教活動開始

   公式HPでは、現在は5個の支部か 場所:東京・愛知・大阪


 **3 設立目的・自己理解**

* 「人がその真の精神的本質を、また自分自身、家族、グループ、人類、すべての生命体、物質宇宙、精神宇宙、そして至高の存在または無限との関係を、完全かつ確実に理解している状態へと至る、正確な道筋を提供する宗教です。」サイエントロジー公式ホームページより。

→物質宇宙と精神宇宙の二元論的世界観、それと繋がる霊的自我

 霊的自我の正しい認識により、個人と世界の開発を目指す


 **4 ダイアネティックス理論**

* 人間の本質=内部に無限で善的な霊的自我「セイタン」

  =「不滅の精神的存在」

* しかし、エングラムと呼ばれる有害物の影響により、本来の力を発揮できない状態にある。(仕組みは後述)

* これを除去して最大限の力を得ることを目指す。

* 「ダイアネティックス」は、Dia(ギリシャ語)「~を通して」と、nous(ラテン語)「心または魂」の組み合わせ


 **エングラムの蓄積とセイタンへの悪影響と、その除去方法**

* 環境からの意識レベルでの影響を分析→セイタンに有用

* 他方、無意識レベルで「反応心」に蓄積されてエングラムに

  →セイタンに悪影響を与える。

* 無意識レベルの「反応心」を特定しての消去が理想状態


 **人間観**

* 「人間の能力は、たとえ現時点では実現されていないとしても、無限」

* 「人間は基本的に善良であり、その精神的救済は、その人自身とその同胞に懸かっているとともに、宇宙との調和の達成に懸かっている」=個人の救済と宇宙の調和との相関関係


 **サイエントロジーにおける神の概念**

* 神の概念は第8のダイナミック(無限として存在しようとする衝動)と表現されている

* 第8ダイナミックは、至高の存在、全宇宙の生存の頂点

* L. ロン ハバード『生存の科学』より

「すっかり腐敗し、死に絶えつつある文化を除けば、世界史上の文化で、至高の存在があることを否定したものはひとつもありません。至高の存在に対して永続する強い信仰を持たない人間は、比較的能力が劣り、エシックスの水準も低く、自分たちにとっても社会にとってもあまり価値がありません。これは経験上の観察です。(中略)ただ観察してみただけでも、変わらぬ信念を持っていない人間というのは、人間というよりも物に近い存在だということがわかります。」


 **教義**

* ユダヤ・キリスト教とは違って、決められた教義はない。

* 何かを信仰だけで受け入れるように求めることはない

  →盲信だけでは意味がない

* 「サイエントロジーのオーディティングやトレーニングへの参加を通して、個人の精神的な意識レベルは向上する」

  →理論を理解することが必須

* トレーニングの指導者=オーディター


【雑談】人を雇って見学業務できない理由/高齢化が著しくて平均年齢70代/ここの信徒たちの苦労/「光の教会は我々に課せられた十字架だ」という声