0. 背景
- 1520年6月15日 教皇レオ10世が勅書『エクスルゲ・ドミネ』(Exsurge Domine)を発布
- ルターに教説の撤回を要求し、従わなければ破門すると警告
- 三大文書は、この緊迫した状況のなかで相次いで刊行された
| 著作 | 刊行 | 言語 | 主な読者 | |
|---|---|---|---|---|
| ① | 『ドイツのキリスト者貴族に与える書』 | 1520年8月 | ドイツ語 | 世俗の諸侯・貴族 |
| ② | 『教会のバビロン捕囚について』 | 1520年10月 | ラテン語 | 神学者 |
| ③ | 『キリスト者の自由』 | 1520年11月 | ドイツ語・ラテン語 | 一般のキリスト者 |
1. 『ドイツのキリスト者貴族に与える書』(1520年8月)
原題:An den christlichen Adel deutscher Nation von des christlichen Standes Besserung
改革を阻む「三つの城壁」
- 霊的権力が世俗権力に優越するという主張
- 聖職者は本質的に世俗の権力者より上位にあるとする
- 聖書解釈権の独占
- 聖書を正しく解釈できるのは教皇だけだとする
- 公会議招集権の独占
- 公会議を招集できるのは教皇だけだとする
- そのため、教皇自身を正すための公会議が開かれない
城壁を崩す根拠:万人祭司
- 洗礼を受けたキリスト者は皆、霊的な身分において等しく祭司である
- したがって、世俗の諸侯や貴族も教会改革の担い手となるべきである
→ 教会制度と政治権力の関係を問い直した、宗教改革の「改革綱領」
2. 『教会のバビロン捕囚について』(1520年10月)
原題:De captivitate Babylonica ecclesiae praeludium
題名の意味
- 旧約のバビロン捕囚になぞらえた比喩
- 教会の秘跡(とくに聖餐)が、教皇権・ローマ教皇庁のもとで本来の姿から引き離され、囚われているという意味
- ※1520年の時点では、まだ「カトリック対プロテスタント」という構図はない
- ※中世の「教皇のバビロン捕囚」(アヴィニョン教皇庁、1309〜1377年)の言い方を逆転させている
秘跡の再検討
- 中世の七秘跡:洗礼・堅信・聖餐・悔悛・終油・叙階・婚姻
- 著作の冒頭:洗礼・悔悛・聖餐の三つを挙げる
- 議論の過程:悔悛を独立した秘跡とすることに疑問を示す
- 最終的な立場:洗礼と聖餐が中心
聖餐の「三重の捕囚」
- 一種陪餐:信徒にはパンだけを与え、杯を与えない慣行
- 化体説:パンとぶどう酒の実体がキリストの体と血の実体に変わるとする、アリストテレス哲学に基づく説明
- ※ルターはキリストの現臨そのものは否定していない
- 現臨を認めたうえで、パンとぶどう酒もそのまま残ると考えた
- ミサの犠牲的・功績的理解:ミサを人間が神に差し出す善行・犠牲とみなす理解
- ルターにとってミサは、神の約束を信仰によって受け取るもの
→ 秘跡制度とミサ理解を根底から問い直した、三文書のなかで最も急進的な文書
3. 『キリスト者の自由』(1520年11月)
原題:Von der Freiheit eines Christenmenschen(ラテン語版:Tractatus de libertate christiana)
- ラテン語版:教皇レオ10世への公開書簡を添えて教皇に献呈
- ドイツ語版:ツヴィッカウの市長ヘルマン・ミュールプフォルトに献呈
冒頭の二つの命題
キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、誰にも服さない。
キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、誰にでも服する。
信仰と愛による説明
神 ──(信仰:恵みを受け取る)──▶ キリスト者 ──(愛:仕える)──▶ 隣人- 信仰において自由:救いは行いではなく信仰によって受け取るので、救いを得るために功績や外的な制度に縛られない
- 愛において僕:信仰によって自由にされた者は、自分のためだけでなく、隣人に仕えて生きる
→ 信仰義認・キリスト者の自由・隣人への奉仕を一つに結びつけた、ルター神学の代表的文書
4. 三大文書の比較と意義
| 著作 | 主題 |
|---|---|
| ① 貴族に与える書 | 教会権威の構造を批判し、社会的・政治的改革を呼びかける |
| ② バビロン捕囚 | 秘跡制度とミサ理解を神学的に問い直す |
| ③ キリスト者の自由 | 信仰による自由と、愛による隣人への奉仕を示す |
展開: 制度の批判 → 秘跡の再検討 → 信仰生活の積極的な提示
5. その後の展開
| 年月日 | 出来事 |
|---|---|
| 1520年12月10日 | 『エクスルゲ・ドミネ』を教会法の書物などとともに焼き捨てる |
| 1521年1月3日 | 勅書『デチェト・ロマヌム・ポンティフィケム』(Decet Romanum Pontificem)により正式に破門 |
| 1521年4月 | ヴォルムス帝国議会に召喚され、著作の撤回を拒否 |
まとめ
- 1520年、ルターの改革思想が明確な形をとった
- 教会制度・秘跡・信仰生活の三方向から、改革の理念が示された
- 同時に、ローマ教会との決定的な決裂へ向かう転換点となった
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