第1ニカイア公会議と「原ニカイア信条」(325年)レジュメ
0. 本講の要点
- 第1ニカイア公会議は、325年に皇帝コンスタンティヌス1世が招集した最初の全地公会議です。
- アレイオスは「御子は無から造られ、始まりがある」と主張しました。
- 原ニカイア信条は、御子を「造られずして生まれ」「御父と同質(ホモウーシオス)」と宣言し、アレイオスの主張をアナテマで退けました。
- 今日の礼拝で唱えられる「ニカイア信条」は381年の信条であり、325年の信条とは本文が異なります。
1. 会議の基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 開催年 | 325年 |
| 場所 | 小アジア北西部ビテュニア地方のニカイア(現トルコ・イズニク) |
| 招集者 | ローマ皇帝コンスタンティヌス1世 |
| 位置づけ | 最初の全地公会議(カトリック・正教会とも第1回と数える) |
参加司教の数
| 史料 | 人数 |
|---|---|
| カイサリアのエウセビオス(出席者) | 250名以上 |
| アタナシオス | およそ300名 |
| 後代の伝承 | 318名 |
- 318という数は、創世記14章でアブラハムが率いた318人との象徴的対応が指摘されています。
反アレイオス側の中心人物
- アレクサンドリア司教アレクサンドロス
- コルドバのホシウス
- アンティオキアのエウスタティオス
- アンキュラのマルケロス
- アタナシオスは当時まだ助祭で、アレクサンドロスの随員として出席したにすぎず、役割は小さなものでした。
2. アレイオスの主張
「アレイオス派」という呼称への注意
- 主にアタナシオスが論争のなかで用いた呼称です。
- ひとまとめにされる人々には、アレイオス本人と異なる立場の人も含まれます。
- 4世紀後半にはホモイウーシオス派、ホモイオス派、アノモイオス派などに分かれていきます。
- したがって、一つのまとまった思想集団として扱うことには注意が必要です。
主張の内容
- 核心は「御子の御父に対する従属的な理解」です。
- 御子は御父によって無から造られた「被造物」であり、「存在しないものから」生じたとします。
- ただし他の被造物と同列ではなく、神の完全な唯一の被造物であり、万物は御子を通して造られたとします。
- 御子には始まりがあり、御父と同じ意味で永遠ではないとします。
「御子がいなかったときがあった」
- アレイオスは「時間」という語自体は避け、御子は時間に先立って生み出されたとも述べています。
- それでも、御子が存在しなかった段階があるという点は譲りませんでした。
- この一句は、原ニカイア信条のアナテマで名指しで退けられます。
3. 原ニカイア信条の宣言
ニカイア側の二つの応答
- 御父と御子は「ホモウーシオス」(同質)である。御子は御父と同じ本質をもつ。
- 御子は「造られずして生まれた」。御父から生まれた方であって被造物ではない。
「ホモウーシオス」の出所
- カイサリアのエウセビオスの書簡によれば、皇帝コンスタンティヌス自身が提示したとされます。
- ホシウスら西方の司教が重要な役割を果たしたとする見方もあります。
- 文言が練り上げられた過程を完全に復元することはできません。
信条の構成
| 部分 | 内容 |
|---|---|
| 本文 | 「御父の本質より生まれ」「神よりの神」「造られずして生まれ」「御父と同質」と、御子の神性と非被造性を積極的に宣言 |
| アナテマ(呪詛文) | 「御子がいなかったときがあった」「生まれる前には存在しなかった」等の主張を排斥 |
- 御子の永遠性は、本文に積極的に書かれるのではなく、アナテマによる排斥という形で示されています。
- 「すべての世々に先立って御父より生まれ」の句は381年の信条で加わるもので、325年の本文にはありません。
信条の土台
- 既存の洗礼信条を土台にしたと考えられています。
- カイサリアのエウセビオスが自教会の信条を提出したことは、彼自身の書簡から確認できます。
- かつては「カイサリア信条の改訂」と説明されましたが、現在は慎重な見方が一般的です。
- シリア・パレスティナ系の何らかの洗礼信条が土台であるが、特定はできない、というのが現在の理解です。
4. 会議の結果とその他の決定
追放とその後
- 署名を拒んだアレイオス、プトレマイスのセクンドゥス、マルマリカのテオナスが皇帝により追放されました。
- ニコメディアのエウセビオスとニカイアのテオグニスは、信条には署名したものの、アレイオスの断罪に同意しなかったと伝えられ、数か月後に追放されました。
- 論争は決着せず、アレイオスにはのちに復権の手続きが進められます。
- ホモウーシオスをめぐる対立は、その後半世紀以上にわたって教会を二分しました。
復活祭の日付
- 東方の一部にあった、ユダヤ人の過越に合わせて祝う慣行を改め、全教会で同じ日に祝うことが合意されました。
- 「春分後の最初の満月の後の日曜日」という算定法は、後代にニカイアの決定とされるようになったもので、会議自体が明文化したわけではありません。
20条の教会規定(カノン)
| 条 | 内容 |
|---|---|
| 第6条 | エジプト・リビア・ペンタポリスに対するアレクサンドリア司教の管轄権を「古来の慣習」として確認。アンティオキアなど他地域の既存の権利も保持 |
| 第7条 | エルサレム司教に名誉上の地位を承認 |
- 第6条におけるローマは、アレクサンドリアの権限を裏付ける例として挙げられています。
- 現存するギリシア語本文は、ローマ司教に帝国全体の管轄権を新たに与える規定ではありません。
- 「五大総主教座」の秩序は、381年・451年の公会議などを経て徐々に形成されました。
5. 325年の信条と381年の信条
| 325年(原ニカイア信条) | 381年(ニカイア・コンスタンティノポリス信条) | |
|---|---|---|
| 「すべての世々に先立って」 | なし | あり |
| 聖霊についての告白 | 「われらは信ず。聖霊を」のみ | 大きく展開 |
| アナテマ | あり | なし |
| 今日の礼拝での使用 | ― | 「ニカイア信条」として唱えられる |
- 381年の公会議は、325年の「318人の教父たち」の信仰を保持すると明言しており、両者は連続したものと考えられています。
- ただし本文は別物であるため、325年のものを「原ニカイア信条」と呼んで区別します。
6. 原ニカイア信条(和訳)
われらは信ず。唯一の神、全能の父、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。
われらは信ず。唯一の主、イエス・キリストを。主は神の御子、御父よりただ独り生まれ、すなわち御父の本質より生まれ、神よりの神、光よりの光、真の神よりの真の神、造られずして生まれ、御父と同質なる御方を。その主によって万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成れり。
主はわれら人類のため、またわれらの救いのために降り、肉をとり、人となり、苦しみを受け、三日目に甦り、天に昇り、生ける者と死ねる者とを審くために来り給う。
われらは信ず。聖霊を。
アナテマ
御子がいなかったときがあったとか、御子は生まれる前には存在しなかったとか、存在しないものから造られたとか、他の実体または本質から成るものであるとか、もしくは造られた者であるとか、神の御子は変わりうる、変質しうる者であると主張するものを、公同かつ使徒的な教会は呪うものである。
主な参照
- 原ニカイア信条(ギリシア語本文、アナテマを含む)
- ニカイア公会議カノン 第6条・第7条
- カイサリアのエウセビオス『カイサリア教会への書簡』、『コンスタンティヌスの生涯』3.14, 3.18
- アタナシオス『ニカイア会議の決定について』、『アフリカの司教たちへの書簡』2
- アレイオス『アレクサンドロス宛書簡』、『ニコメディアのエウセビオス宛書簡』
- ソクラテス『教会史』1.8;ソゾメノス『教会史』1.21;フィロストルギオス『教会史』1.9
- コンスタンティノポリス公会議(381年)カノン第1条
- J. N. D. Kelly, Early Christian Creeds, 3rd ed.
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