説教と聖書研究をする人のための聖書注解
マルコ5:1-20「悪霊に取り憑かれたゲラサの人をいやす」
1節
原文:Καὶ ἦλθον εἰς τὸ πέραν τῆς θαλάσσης εἰς τὴν χώραν τῶν Γερασηνῶν.
私訳:そして彼らは、湖の向こう岸、ゲラサ人の地方に来た。
新共同訳:一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
注解
・「湖の向こう岸」:直前の記事で、ガリラヤ湖の向こう岸へと渡って、途中で嵐に遭うエピソードがあったことを踏まえている。
・「ゲラサ人の地方に」(εἰς τὴν χώραν τῶν Γερασηνῶν):写本に「ゲラサ人」「ガダラ人」などの異同がある。ここでの意図は、ユダヤ人ではなく、ユダヤ人以外の民族、言い換えれば異邦人の地域に来たということ。基本的に、ユダヤ教はユダヤ人の民族宗教。後々、ユダヤ教から派生して誕生することになるキリスト教が、民族宗教を越えて世界宗教となっていく先駆けの出来事として読める。
黙想
「向こう岸」は、象徴的に「秩序の外」「(ユダヤ人から見て)汚れの地」を暗示。そのような地を目指し、嵐の中を通って来たことは、新たな地を目指し困難を越えての営みを象徴する。
2節
原文:καὶ ἐξελθόντος αὐτοῦ ἐκ τοῦ πλοίου εὐθὺς ὑπήντησεν αὐτῷ ἐκ τῶν μνημείων ἄνθρωπος ἐν πνεύματι ἀκαθάρτῳ,
私訳:彼が舟から出るとすぐに、汚れた霊につかれた一人の人が墓場から来て、彼に出会った。
新共同訳:イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。
注解
- ἐξελθόντος:分詞・属格絶対構文。「彼が出ると」
- εὐθύς:マルコが多用する強調副詞「すぐに」
- 「すぐに」:“到着したばかりなのだから”といった甘いことなく、“待ったなし”で事は起きていく。
- 「汚れた霊」:言い換えれば、不浄な霊。禍々しく、触れた者に悪影響を起こす存在に成り下がった霊。日本風土における「穢れ」の概念を思い起こすと理解しやすいが、ユダヤ人の思考においては、汚れとは、神の秩序にそぐわないものとされる。
- 「墓場から」(ἐκ τῶν μνημείων):民数記19章にあるように、ユダヤ人の律法において、墓場は最大級の穢れの場所とされている。
黙想
3節
原文:ὃς τὴν κατοίκησιν εἶχεν ἐν τοῖς μνήμασιν, καὶ οὐδὲ ἁλύσει οὐκέτι οὐδεὶς ἐδύνατο αὐτὸν δῆσαι,
私訳:彼は墓場を住まいとしており、鎖をもっても、誰も彼を縛ることができなかった。
新共同訳:この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。
注解
・ὃς:関係代名詞。前節の男を受けている。
・ἐδύνατο:δύναμαιの未完了過去。
・「墓場を住まいとして」:彼が、人間社会に居場所がなく、最大級に穢された場所とされているところしか居場所がないという、彼の悲惨な状況を表している。
・「鎖を用いてさえ繋ぎ止めておくことはできない」:鎖は、人間の力、知恵、営みなどを暗示する。超自然的な力の前では、文明力を持つ人でさえも、結局は無力である。つまり、人間の無力さを示す。
4節
原文:διὰ τὸ αὐτὸν πολλάκις πέδαις καὶ ἁλύσεσιν δεδέσθαι, καὶ διεσπάσθαι ὑπ’ αὐτοῦ τὰς ἁλύσεις καὶ τὰς πέδας συντετρῖφθαι, καὶ οὐδεὶς ἴσχυεν αὐτὸν δαμάσαι·
私訳:彼はたびたび足枷や鎖で縛られていたが、鎖を引きちぎり、足枷を砕いてしまい、誰も彼を制御できなかった。
新共同訳:これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。
注解
πέδαις καὶ ἁλύσεσιν:手段を意味する与格。「足枷や鎖によって」
・δεδέσθαι(δέω(縛る)) / διεσπάσθαι / συντετρῖφθαι:完了不定詞。状態の持続を意味する。
・「足枷」前節の「鎖」における人間の無力さが、改めて述べられている。悪霊に取り憑かれた人間の強力さ、凶暴さ以上に、これをどうやっても制御できない人間の側の無力さが強調されている。取り憑かれている本人も、自分ではどうしようもない。すなわち、悪霊によって人みな支配され、その状態が継続している。
黙想
人間の文明、科学力は特筆すべきものはあるにせよ、霊的存在の前に、あるいは自然などの前に、人間は無力な存在であるという謙虚さを持つべきである。
5節
原文:καὶ διὰ παντὸς νυκτὸς καὶ ἡμέρας ἐν τοῖς μνήμασιν καὶ ἐν τοῖς ὄρεσιν ἦν κράζων καὶ κατακόπτων ἑαυτὸν λίθοις.
私訳:そして夜も昼も絶えず、墓場や山で叫び声を上げ、石で自分を傷つけていた。
新共同訳:彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。
注解
・ἦν κράζων:未完了過去+現在分詞。行為の 継続・反復・習慣化を意味する。κράζω:叫ぶ。ἦν:εἰμί 未完了過去。
・κατακόπτω:打ち切る・切り刻む
・未完了過去+現在分詞が使われているので、反復行為を表す。叫ぶ、自分を傷つける行為(自傷行為)、反復的、継続的に行うという、自分にも誰にも止められない物悲しさが滲み出る。だからこそ、そこに救済が必要とされる。
黙想
自傷行為とは、自己破壊行為。自己破壊とは、自分の一部または全部を、自分から疎外・排除しようとすること。自分を受け入れることができない分裂状態、現実を受け止めることのできない矛盾状態が、その原因であることが多いようにも思う。現実の自分を受け入れる重要さを思う。
6節
原文:καὶ ἰδὼν τὸν Ἰησοῦν ἀπὸ μακρόθεν ἔδραμεν καὶ προσεκύνησεν αὐτῷ,
私訳:そして、彼は遠くからイエスを見ると、走り寄って、彼のもとにひれ伏した。
新共同訳:イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、
注解
・「ひれ伏した」:礼拝行為を象徴する代表的所作。悪霊もしくは悪霊に取り憑かれた男が、イエスの神的な権威を察し、他方、弟子たちも含め、普通の人々がそれを認識できないという、皮肉の構図。
7節
原文:καὶ κράξας φωνῇ μεγάλῃ λέγει· Τί ἐμοὶ καὶ σοί, Ἰησοῦ, υἱὲ τοῦ θεοῦ τοῦ ὑψίστου; ὁρκίζω σε τὸν θεόν, μή με βασανίσῃς.
私訳:そして彼は大声で叫んで言った。「私とあなたに何の関わりが、イエスよ、いと高き神の子よ?神かけてあなたに願う、私を苦しめないでくれ」
新共同訳:大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」
注解
・Τί ἐμοὶ καὶ σοί:セム的表現。「何の関係が?」という意味。
・μή+接続法:禁止や懇願を意味する。
・この会話は、男とのものではなく、彼に取り憑いている悪霊とのやり取り。あ
・マルコ福音書の最も根幹にあるメッセージは、受難と十字架にかけられたイエスを神の子と告白すること。これを、この福音書の中で弟子たちよりも誰よりも先んじて行っているという皮肉の図式がある。我々も含めて、人は得てしてイエスがどのような方であるのかを悟っていないという、文学的な暗示が埋め込まれている。
・「私を苦しめないでくれ」:神的な審判によって、浄化あるいは滅せられるのを恐れている。
8節
原文:ἔλεγεν γὰρ αὐτῷ· Ἔξελθε, τὸ πνεῦμα τὸ ἀκάθαρτον, ἐκ τοῦ ἀνθρώπου.
私訳:というのも、イエスが彼に「出ていけ、汚れた霊よ、この人から」と言っていたからである。
新共同訳:イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言ったからである。
注解
ἔλεγεν:未完了過去。過去における反復・継続を意味する。
9節
原文:καὶ ἐπηρώτα αὐτόν· Τί ὄνομά σοι; καὶ λέγει αὐτῷ· Λεγιὼν ὄνομά μοι, ὅτι πολλοί ἐσμεν.
私訳:イエスが彼に尋ねた。「あなたの名は何か」。すると彼は言った。「私の名はレギオン、私たちは多数だから」
新共同訳:そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。
注解
- 「レギオン(Λεγιών)」:ローマの6000千人規模の大隊兵団に割り当てらてられる名称。原語は、「集まる」という意のギリシャ語。軍隊は占領、支配を象徴するから、制圧された状態を暗示するのかもしれない。
- 「大勢だから」:古今東西の世界各地の心霊的な民間伝承などでは、霊体が複数より集まって一つの集合体を作り、一つの人格体を形成している例がたびたび見られる。現に、次の10節で「自分たち」と複数形で翻訳されているところは、原文では単数形の「彼」であり、複数の集合体と個体とが切り替わる。
10節
原文:καὶ παρεκάλει αὐτὸν πολλὰ ἵνα μὴ αὐτὰ ἀποστείλῃ ἔξω τῆς χώρας.
私訳:そして、彼は彼にしきりに懇願した、自分たちをこの地方から外に追い出さないようにと。
新共同訳:そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。
注解
黙想
・人間社会から完全に阻害され、自分ではないものに自分を支配されてしまった者の末路と、なおそうした人を救おうというイエスの姿勢が、この箇所には顕著である。霊に取り憑かれる取り憑かれないは別として、自分が自分として生き、神と自分以外のものに自分が支配されることなく、できることなら神が我が主となって、しっかりと自分を保って生きる人生姿勢が求められる。
説教の結びの言葉として
ゲラサの地で出会った一人の男は、もはや自分では自分をどうすることもできず、社会からも切り離され、墓場という「死」の象徴の中で孤独に叫び続けていました。彼を縛る鎖は切れましたが、彼自身を縛る「見えない鎖」は誰にも断ち切れませんでした。しかし、その鎖を断ち切ることのできる方が、ただ一人、彼のもとに来られました。イエス・キリストです。
イエスは、ユダヤ人から見れば「汚れた地」である向こう岸へと、嵐を越えてまで渡って来られました。そこにいたのは、誰からも見放され、自分自身さえ見失っていた一人の人でした。イエスは、その一人のために向こう岸へ行かれたのです。
私たちもまた、時に自分を見失い、心の中で叫び、誰にも届かない痛みを抱えることがあります。自分ではどうにもできない力に押しつぶされそうになることがあります。そんな私たちの「向こう岸」に、主は今日も来てくださいます。私たちが踏み込むことをためらう場所、誰にも知られたくない心の墓場のような場所にさえ、主は足を運び、私たちを名指しで呼び、解き放ち、立ち上がらせてくださいます。
だからこそ、私たちは恐れずに、主の前に自分を差し出してよいのです。どれほど深い闇であっても、どれほど長く続いた叫びであっても、主はそのただ中に光を差し込み、「あなたはもう一人ではない」と告げてくださいます。
ゲラサの男がそうであったように、私たちもまた、主によって「正気に返り」、本来の自分を取り戻し、再び人々の中へと送り出されていきます。主が私たちの主であるとき、どんな力も私たちを支配することはできません。
どうか、私たち一人ひとりが、主に出会い、主に癒やされ、主によって新しい歩みへと招かれていることを、今日もう一度心に刻むことができますように。主は、あなたの向こう岸にも来てくださいます。あなたを救うために。
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