説教や聖書注解をする人のための聖書注解
マタイ24:29-31「人の子が来る」
29節
- 原文:Εὐθέως δὲ μετὰ τὴν θλῖψιν τῶν ἡμερῶν ἐκείνων ὁ ἥλιος σκοτισθήσεται, καὶ ἡ σελήνη οὐ δώσει τὸ φέγγος αὐτῆς, καὶ οἱ ἀστέρες πεσοῦνται ἀπὸ τοῦ οὐρανοῦ, καὶ αἱ δυνάμεις τῶν οὐρανῶν σαλευθήσονται.
- 私訳:しかしその日々の患難の後すぐに、太陽は暗くされ、月はその光を与えず、星々は天から落ち、そして天の諸力は揺り動かされることになる。
- 新共同訳:「その苦難の日々の後、たちまち/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、/星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。
注解
- 「その日々の患難」(θλῖψιν τῶν ἡμερῶν ἐκείνων):手前に記載(24:21–28)されている患難を指す。
- 「すぐに」εὐθέως(直ちに):患難と再臨との間の時間感覚は短い。
- 太陽・月・星は、人間さえも関与することのできない大きな創造の秩序。古代の世界観は、地下、地上、天の三層構造。星々は、天蓋に張りついて動いていると考えられていた。占星術では、その動きが人間界に影響を与えると信じられていた。
- 星々や星座に異変が起こる事象は、神の審判としばしば結びつけられている。参照、イザヤ13:10、ヨエル2:10、3:4、エゼキエル32:7。
- 歴史や自然は自律的に進行するものであるが、時に神が介入することによって別の動きをする。
- 終末時に関するこれまでの時間的流れを整理すると、
患難 →天的事象の変化 →キリストの再臨
30節
- 原文:καὶ τότε φανήσεται τὸ σημεῖον τοῦ υἱοῦ τοῦ ἀνθρώπου ἐν οὐρανῷ, καὶ τότε κόψονται πᾶσαι αἱ φυλαὶ τῆς γῆς, καὶ ὄψονται τὸν υἱὸν τοῦ ἀνθρώπου ἐρχόμενον ἐπὶ τῶν νεφελῶν τοῦ οὐρανοῦ μετὰ δυνάμεως καὶ δόξης πολλῆς.
- 私訳:そしてその時、天において人の子のしるしが現れ、その時、地のすべての部族は嘆き、そして彼らは、大いなる力と栄光をもって天の雲の上に来る人の子を見ることになる。
- 新共同訳:そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。
注解
- καὶ τότε … καὶ τότε …:τότεの反復。終末的出来事の連鎖的展開が印象深く示されている。
- ὄψονται:ὁράω(見る)の未来・中動態・直説法・3人称複数。
- 「人の子のしるし」(τὸ σημεῖον τοῦ υἱοῦ τοῦ ἀνθρώπου):これが何かは種々の意見があるが、「人の子」と呼ばれているキリスト自身を指すというのが一般的。
- 「地のすべての部族は嘆き((κόπτονται))」:ゼカリヤ12:10の成就。「わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。」
- ダニエル書7:13-14がこの箇所の背景にある。「夜の幻をなお見ていると、見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り、「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない。」
- 総合すると、受難を経たキリストが天から来臨し、神の審判が成し遂げられるという預言となっている。
- マルコ13:26よりも、来臨のキリストの「栄光」が強調されている。
31節
- 原文:καὶ ἀποστελεῖ τοὺς ἀγγέλους αὐτοῦ μετὰ σάλπιγγος μεγάλης, καὶ ἐπισυνάξουσιν τοὺς ἐκλεκτοὺς αὐτοῦ ἐκ τῶν τεσσάρων ἀνέμων, ἀπ᾽ ἄκρων οὐρανῶν ἕως τῶν ἄκρων αὐτῶν.
- 私訳:そして彼は、大きなラッパと共にその御使いたちを遣わし、四方の風から、天の果てからその果てまで、彼の選ばれた者たちを集めることになる。
- 新共同訳:人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。
注解
- 「ラッパ」(σάλπιγξ):イザヤ27:13では、角笛と共に捕囚の民が招き集められる光景が預言されている。
- 「選ばれた者」:マタイでは、キリスト教会の信徒を指す。ユダヤ人だけでなく、異邦人と共に構成。
- 「四方の風」:新共同訳では「四方」とあるのみ。
- 「天の果てからその果てまで」:新共同訳では「天の果てから果てまで」四方の風と併せ、地理的にすべてを網羅し、民族的限定を越えることが暗示されている。
- 総じて、全世界に散っている選ばれた人たち(信徒たち)がキリストの前に集められ、集結し、審判と救済が実行されるという場面。
説教の結びの言葉として
主イエスが語られた終末の出来事は、私たちに恐れを植えつけるためではなく、むしろ確かな希望へと導くための言葉です。太陽も月も星も揺れ動くような、私たちの力ではどうにもならない世界の変動のただ中で、主は「その時、人の子が来る」と約束されました。
患難の後に起こる天的な変化は、神が歴史に介入されるしるしであり、やがて栄光に満ちたキリストご自身が現れる前触れです。すべての民がそのお姿を仰ぎ見る時、悲しみも嘆きも、最終的には神の救いの御業へと包み込まれていきます。
そして主は、天使たちを遣わし、四方から、天の果てから果てまで、選ばれた者たちを集めると語られました。これは、どこに散らされていようとも、どれほど弱さの中にあろうとも、主が一人ひとりを決して見失われないという約束です。
私たちの歩む日々にも、揺れ動く現実があります。しかし、歴史の終わりにおいても、また今日という一日のただ中においても、主は必ず来てくださる方です。栄光の主が私たちを集め、救いを完成してくださるという約束に、私たちは希望を置いて歩むことができます。
主が来られる――その希望を胸に、今日も主に従って歩んでまいりましょう。
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