デキウス Gaius Messius Quintus Trajanus Decius, c. 201‐251 CE
要約
在位:249-251年。250年、ローマの神々への祭儀の義務化を公布し、キリスト教徒が反対したため、デキウス帝はこれを迫害。社会的な迫害ではなく、国家政策の一環として大規模に行われた。改宗を強要するための長期間の拷問も為された。
本文
ローマ皇帝。在位:249-251年。パンノニア出身。
出生については定かではなく、恐らく元老院議員出身と考えられている。
245年より、ドナウ方面の軍隊指揮していたところ、軍に推戴され、当時のローマ皇帝フィリップス・アラブスをウェロナ付近で倒し、帝位に就いた。
彼はローマの古い伝統に忠実であり、元老院との関係も良好であったという。後述のキリスト教徒迫害というエピソードが余りに大きいため、ネロ帝のような暴君がイメージされることも多いかも知れない。
250年、ローマの神々への祭儀を義務化することを公布。キリスト教徒がこれに反対したため、デキウス帝はキリスト教会に迫害を加えた。社会的な迫害ではなく、国家政策の一環として大規模に行われたこの迫害により、多くのキリスト教徒が殉教し、同時に背教者も出した。殺害ではなく、改宗を主目的としていたため、これを強要するために長期間の拷問も為されたと言われている。
250年、カルピ族がダキアに侵入し、ゴート族もモエシアに侵攻してきたため、デキウス帝はこれを迎撃するも、ゴート族の追撃中、ドブルジアでの会戦で息子と共に戦死した。
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