2026年8月21日金曜日

<レジュメ版と文章版>信条・信仰告白の講解説教 ――1890年「信仰ノ告白」を中心に

<本レジュメの末尾以降に、文章版を掲載しています>

信条・信仰告白の講解説教
――1890年「信仰ノ告白」を中心に
 
1.信条・信仰告白を説教するということ
信条(creed)[1]・信仰告白(confession)[2]は、単なる教理(doctrine)[3]・教義(dogma)[4]の要約ではない。その多く―特に信仰告白―は、教理論争、異端との対立、教派間の競合、社会や国家との緊張など、具体的な歴史的状況の中で形成されてきた。したがって、信条・信仰告白を講解するに先立ち、“なぜ、その時代の教会は、それをあえて告白しなければならなかったのか”を問う必要がある。
しかし、講解説教は、単なる教会史・教理史の解説ではない。重要なのは、“その論争を通して教会が守ろうとした福音の核心を明らかにし、それを現代の信徒が直面する問題へと結びつけること”である。
信条の言葉→成立した歴史的背景・論争→そこで守ろうとされた福音
→現代においてそれを脅かすもの→今日「われらは信ず」と告白する意味
この流れが、信条・信仰告白の講解説教の基本形となる。
通常の説教  聖書箇所朗読→説教:聖書・福音内容→聴衆への適用
信条の説教  聖書箇所朗読→説教:信仰告白→聖書・福音内容→聴衆への適用
 
2.1890年「信仰ノ告白」成立の日本教会史的背景
(1)日本基督公会
1859年、開港以後の横浜、各プロテスタント教派宣教師が来日。
米国長老派J・C・ヘボン、米国オランダ改革派、S・R・ブラウン、同じく改革派J・H・バラ、バプテスト系ジョナサン・ゴーブル
 1872年 バラの英語学校→祈祷会を背景に日本人青年が受洗。
(2)日本基督一致教会の成立
1877年、日本基督公会を中心とする教会と、長老派・改革派系の宣教師によって形成された諸教会が合同。→日本基督一致教会が成立。改革派・長老派の伝統。教理的基準が以下。
  • ウェストミンスター信仰告白
  • ウェストミンスター小教理問答
  • ハイデルベルク信仰問答
  • ドルト信仰規準
 日本人基督者の問い:「欧米の教会が歴史的論争の中で形成した信仰告白を、そのまま日本の教会の告白としてよいのか」―日本教会の主体性、日本という文脈
(3)公会主義と「日本の教会」の形成
明治初期の日本プロテスタント教会の気概:欧米の教派的区分の移植ではなく、キリストにある一つの教会を日本に形成する。=公会主義的志向
(4)日本組合基督教会との合同問題
1880年代後半、日本基督一致教会と日本組合基督教会との合同について検討。
→合同教会の信仰的基準をどうするかという課題
合同そのものは実現しなかったが、この過程で生まれた「簡易な信仰告白による一致」という理念が残存。1890年の信仰告白制定へ繋がる。→簡易信条
 
3.1890年という社会的文脈
近代国家として急速に自己形成を進める日本――天皇中心主義
1889年 大日本帝国憲法発布
1890年10月30日 教育ニ関スル勅語(教育勅語)発布
孝・悌・夫婦の和・朋友の信・公益への奉仕などの徳目の明示。総合的に、天皇中心国家秩序の位置づけ。
1890年12月 日本基督一致教会「信仰ノ告白」制定・日本基督教会へ改称
1891年1月 内村鑑三不敬事件
*教派神道十三派の政策にも見られるように、明治政府は管理・統制を強める時代。
 
国家が「日本人はいかに生きるべきか」を言語化する一方、教会もまた、「誰を主なる神として崇め、キリスト者はいかに生きるべきか」の信仰告白の時代。
*ただし、1890年「信仰ノ告白」と教育勅語の因果関係の論証は困難。
*内村鑑三不敬事件が重要。キリスト者の信仰的忠誠 VS近代日本国家の忠誠 表面化。
 
4.1890年「信仰ノ告白」の理念
(1)外国の信条から「われわれの告白」へ
単なる“簡易信条”ではなく、
「何を告白すれば、教会は教会として立つことができるのか」
という喫緊の問題。
詳細な教派的相違を網羅しつつ、キリスト教信仰の核心の告白が模索された。
(2)中心に置かれるキリスト
同信仰告白冒頭:「我等が神と崇むる主耶蘇基督」→我々は誰を主とするのか
(3)教派的一致から公同的信仰へ
1890年信仰告白は、特定教派の詳細な教理体系を提示以上に、歴史的キリスト教会が共有してきた信仰との連続性を重視。
「独自の前文+使徒信条」という構造化。
信仰さえあれば、でもない。日本的文脈は関係ない、でもない。以下の一言に集約。
日本の教会自身の言葉で、公同の教会が受け継いできた信仰を告白する
 
5.1890年「信仰ノ告白」の全体構造
1890年信仰告白の前文は、おおむね次のような神学的展開を持つ。
構成 内容 神学的主題
我等が神と崇むる主耶蘇基督 キリスト告白
神の子が人となる 受肉
罪のために完全な犠牲を献げる 贖罪
信仰によってキリストと一体となる キリストとの結合
赦され、義とされる 罪の赦し・義認
信仰が愛によって働き、心を清める 聖化・信仰生活
父・子と共に聖霊を礼拝する 三位一体
聖霊がキリストを現す 聖霊論
聖霊の恵みによって神の国に入る 救済論
預言者・使徒・聖徒に働く聖霊 啓示・教会
新旧約聖書に語る聖霊 聖書論
聖徒に伝えられた信仰 信仰の継承
使徒信条 公同教会との一致
全体の簡略化
キリスト(神、受肉、贖罪主)復活、再臨などは、“ここでは”言及されず。
 ↓
救い(キリストとの結合、贖罪、義認)
 ↓
聖霊(三位一体論、信徒とされて以降の救済論)
 ↓
聖書(聖霊による歴史介入と霊感、聖書の正典性)
 ↓
歴史的教会(信仰の継承)
 ↓
現在の教会の告白(教会の伝統との連続性)
 
6.1890年「信仰ノ告白」講解説教における現代への適用
教会は、それぞれの当時の戦いを通して何を守ろうとしたのか。
 
キリスト論
古代時代の問答:「キリストは真の神」
明治時代の問答:「人なる天皇ではなく、神であるキリストを崇める」
現代の問答:「イエスは単なる道徳的模範者ではなく、私の罪、重荷を担う方」
 
義認
古代時代の問答:「人はいかにして神の前に義とされるか」
明治時代の問答:同上+「天皇が人なら、誰が私を誰の前で義とするのか」
現代の問答:「自分の過ち、負い目、存在価値、これらはどこから来るのか」
 
聖書論
古代時代の問答:「教会における聖書の権威とは何か」「正典とは。その中身とは」
明治時代の問答:「天皇と富国強兵ニッポンが、私に真理を語りえるのか」
現代の問い:「無数の情報と価値観が自己実現を推す洪水社会で、何を最終的な判断基準として生きるのか」
 
7.1890年信仰告白から現代へ――「誰を主とするのか」
・1890年という時代=富国強兵、国家、教育、社会の近代化。新たな帰属、自己意識、忠誠が求められる時代
・現代という時代:国家、政治的立場、会社、、学歴、社会的評価、SNS、世論、自己実現が、「自分の生きる目的、存在価値を定義せよ」と人に迫る時代。
 
結語
「我等が神と崇むる主耶蘇基督」と告白することは、単なる古い教理の復唱ではない。
それは、「私は誰に属するのか」「何を究極的な価値とするのか」「誰の言葉によって、どのように生きるべきのか」という問いに対する、現在の教会の回答。
したがって信仰告白の講解説教とは、「昔の教会が何を信じていたか」を説明することではなく、受け継いだ信仰を「今日、私たちは何を信じて生きるのか」という告白へと変えていく営みである。
1890年の日本の教会が、受け継いだキリスト教信仰を自らの時代と場所において「我等」の信仰告白としたように、現代の教会もまた、それを「(今を生きる)私たちの告白」として語り直すことを求められている。その意味で、我々は同信仰告白は、これを重んじつつも、常に語り直されていくという形で改革され続けることを我らに求む信仰告白であるし、それを実現する場が、礼拝における同信仰告白講解説教である。


[1] 信条(Creed)――キリスト教会が共有する基本的な信仰内容を簡潔に定式化し、「われらは信ず」と公に告白するもの。礼拝・洗礼・信仰教育などで唱和されることが多い。一般に簡潔であるが、アタナシオス信条のように比較的長いものもある。
[2] 信仰告白(Confession)――特定の歴史的状況で教会・教派の信仰的立場を具体的に表明するもの。一般に信条より詳細で比較的長いが、1890年「信仰ノ告白」やバルメン神学宣言など、簡潔なものもある。
[3] 聖書と教会の伝統に基づいて整理・体系化された信仰上の教え。
[4] 教会が公的・規範的なものとして確定・告白した信仰内容。


信条・信仰告白の講解説教

――1890年「信仰ノ告白」を中心に

1.信条・信仰告白を説教するということ

信条や信仰告白は、キリスト教の教理・教義を簡潔にまとめただけのものではありません。それらの多くは、教理をめぐる論争、異端とされた思想との対立、教派間の競合、あるいは社会や国家との緊張など、具体的な歴史的状況のなかで形成されてきました。

したがって、信条や信仰告白を講解する場合には、まず次のように問う必要があります。

なぜ、その時代の教会は、その内容をあえて告白しなければならなかったのでしょうか。

ここでいう「信条」とは、キリスト教会が共有する基本的な信仰内容を簡潔に定式化し、「われらは信ず」と公に告白するものです。使徒信条のように、礼拝、洗礼、信仰教育などにおいて唱えられることが多く、教会の公同的な信仰を表明します。ただし、アタナシオス信条のように、比較的長いものもあります。

これに対して「信仰告白」とは、教会や教派が、特定の歴史的状況のもとで、自らの信仰的立場を具体的に表明するものです。一般に信条よりも詳細で長い傾向がありますが、1890年の「信仰ノ告白」やバルメン神学宣言のように、比較的簡潔なものもあります。

また、「教理」とは、聖書と教会の伝統に基づいて整理・体系化された信仰上の教えを指します。「教義」とは、そのなかでも教会が公的かつ規範的なものとして確定し、告白してきた信仰内容です。

もっとも、信条や信仰告白の講解説教は、教会史や教理史を説明することだけを目的とするものではありません。大切なのは、過去の教会が具体的な論争や葛藤を通して守ろうとした福音の核心を明らかにし、それを現代の信徒が直面している問題へと結びつけることです。

そのため、講解説教では、まず信条・信仰告白の言葉に注目し、次に、それが成立した歴史的背景や論争を確認します。そのうえで、そこで守ろうとされた福音の内容を見極め、現代においてその福音を脅かすものが何かを問い直します。そして最後に、今日の私たちが「われらは信ず」と告白することの意味を明らかにします。

通常の説教では、聖書箇所が朗読され、その聖書の言葉から福音の内容が説き明かされ、聴衆の生活へと適用されます。信条・信仰告白を扱う説教では、そこに信仰告白という媒介が加わります。すなわち、聖書箇所を読み、その光のもとで信仰告白の内容を解き明かし、さらにその告白が証しする聖書的・福音的内容を、現代の聴衆の生活へと結びつけます。


2.1890年「信仰ノ告白」成立の日本教会史的背景

(1)日本基督公会の成立

1890年の「信仰ノ告白」を理解するためには、まず明治初期の日本プロテスタント教会の形成過程を確認する必要があります。

1859年の開港以後、横浜をはじめとする開港地には、さまざまなプロテスタント教派の宣教師が来日しました。米国長老派のジェームズ・カーティス・ヘボン、米国オランダ改革派のサミュエル・ロビンス・ブラウン、同じく改革派のジェームズ・ハミルトン・バラ、バプテスト系のジョナサン・ゴーブルなどが、その代表的な人物です。

彼らは、直接的な伝道だけでなく、語学教育、医療、聖書翻訳などを通して、日本社会との接点を築いていきました。とりわけ、宣教師の英語学校に集まった日本人青年たちは、学びと祈りの交わりを通してキリスト教信仰に触れるようになりました。

1872年には、バラの英語学校に関わる祈祷会などを背景として、日本人青年たちが洗礼を受け、日本基督公会が形成されました。この教会の成立は、日本におけるプロテスタント教会の歩みにとって重要な出発点となりました。

(2)日本基督一致教会の成立

1877年には、日本基督公会を中心とする教会と、長老派・改革派系の宣教師たちによって形成された諸教会が合同し、日本基督一致教会が成立しました。

この教会は、長老派・改革派の伝統を受け継ぎ、次の文書を重要な教理的基準としていました。

  • ウェストミンスター信仰告白
  • ウェストミンスター小教理問答
  • ハイデルベルク信仰問答
  • ドルト信仰規準

しかし、日本人のキリスト者たちは、やがて次のような問いに直面することになります。

欧米の教会が、それぞれの歴史的論争のなかで形成した信仰告白を、そのまま日本の教会自身の告白として受け入れてよいのでしょうか。

ここで問われていたのは、欧米の信仰告白を否定することではありません。むしろ、それらの信仰的遺産を受け継ぎながら、日本の教会が日本という具体的な状況のなかで、自らの主体的な言葉によって信仰を告白できるかどうかでした。

(3)公会主義と「日本の教会」の形成

明治初期の日本プロテスタント教会には、欧米に存在する教派的区分をそのまま日本に移植するのではなく、キリストにある一つの教会を日本に形成しようとする志向が見られました。

この公会主義的志向は、個々の教派の特色をすべて解消することを意味したわけではありません。それぞれの教派的伝統を踏まえながらも、それ以上に、キリストを信じる者たちの一致と、公同の教会との連続性を重視する姿勢でした。

日本の教会は、単に欧米教会の出先機関であることにとどまらず、日本の地に根ざした教会として、自らの責任において信仰を告白することを求められていました。

(4)日本組合基督教会との合同問題

1880年代後半には、日本基督一致教会と日本組合基督教会との合同が検討されました。その際、重要な課題となったのは、合同後の教会が、どのような信仰的基準のもとに一致するのかという問題でした。

教派ごとに受け継いできた詳細な信仰告白を、そのまま合同教会全体の基準とすることは容易ではありません。そこで、キリスト教信仰の核心を簡潔に表明する信仰告白によって一致するという方向が模索されました。

最終的に両教会の合同は実現しませんでしたが、「簡潔な信仰告白による一致」という理念は、その後も残りました。この理念が、1890年の「信仰ノ告白」の制定へとつながっていきます。

したがって、1890年の信仰告白が簡潔であることは、単に教理的内容を減らしたという意味ではありません。それは、教会の一致にとって不可欠な福音の中心を見極めようとした結果でした。


3.1890年という社会的文脈

1890年は、日本が近代国家として急速に自己形成を進めていた時期でした。その過程では、国家の秩序、教育のあり方、国民の道徳、天皇への忠誠などが、強く意識されるようになりました。

1889年には大日本帝国憲法が発布されました。翌1890年10月30日には、「教育ニ関スル勅語」、いわゆる教育勅語が発布されました。教育勅語は、親への孝行、兄弟姉妹の友愛、夫婦の調和、友人への信義、公益への奉仕などを徳目として掲げ、それらを天皇を中心とする国家秩序のなかに位置づけました。

その年の12月、日本基督一致教会は「信仰ノ告白」を制定し、教会の名称を日本基督教会へと改めました。そして翌1891年1月には、内村鑑三不敬事件が起こりました。

これらの出来事は、国家が「日本人はいかに生きるべきか」を示そうとしていた時代に、教会もまた「誰を主なる神として礼拝し、キリスト者はいかに生きるべきか」を告白していたことを示しています。

ただし、教育勅語の発布が直接の原因となって、1890年の「信仰ノ告白」が制定されたと断定することはできません。両者のあいだに直接的な因果関係を認めるには、慎重な史料的検討が必要です。

それでも、近代国家への忠誠が重視される社会において、キリスト者の信仰的忠誠がどこに向けられるのかという問題が、次第に表面化していたことは見逃せません。内村鑑三不敬事件は、その緊張を象徴的に示す出来事でした。

また、明治政府が宗教を管理し、制度的に位置づけようとしたことも、当時の教会を取り巻く重要な背景でした。教派神道の制度化に見られるように、国家は宗教に対する管理・統制を進めていました。そのような時代に、教会が自らの信仰を公に言葉にすることは、単なる教理上の確認にとどまらない意味をもっていたと考えられます。


4.1890年「信仰ノ告白」の理念

(1)外国の信条から「われわれの告白」へ

1890年の「信仰ノ告白」は、しばしば簡潔な信仰告白として理解されます。しかし、その重要性は、内容が短いという点だけにあるのではありません。

その背後には、次のような根本的な問いがあります。

何を告白すれば、教会は教会として立つことができるのでしょうか。

欧米の教会が長い歴史のなかで形成した信仰告白は、日本の教会にとっても重要な遺産でした。しかし、それらの教派的相違や歴史的論争を詳細に繰り返すことが、そのまま日本の教会の主体的な告白になるわけではありません。

そこで求められたのは、キリスト教信仰の核心を明確に保ちながら、日本の教会が自らの言葉によって「われわれは何を信じるのか」を表明することでした。

この意味で、1890年の「信仰ノ告白」は、外国の教会から受け継いだ信仰を、日本の教会自身の告白として引き受け直す試みであったといえます。

(2)中心に置かれるキリスト

1890年の信仰告白は、次の言葉から始まります。

「我等が神と崇むる主耶蘇基督」

この冒頭の言葉には、信仰告白全体の中心が凝縮されています。すなわち、私たちが神として礼拝する方は誰なのか、私たちが主として従う方は誰なのかという問いです。

「主耶蘇基督」という告白は、イエスを優れた宗教家や道徳的模範として尊敬するだけでは十分ではないことを示しています。ここで告白されているのは、神の子が人となり、私たちの罪のためにご自身を献げ、私たちを救いへと導く方です。

したがって、この告白は、単に教理的に正しいキリスト論を確認するためのものではありません。それは、私たちが人生の根本において誰に信頼し、誰に属し、誰の言葉に従って生きるのかを表明する告白です。

(3)教派的一致から公同的信仰へ

1890年の「信仰ノ告白」は、特定の教派の詳細な教理体系を提示すること以上に、歴史的なキリスト教会が共有してきた信仰との連続性を重視しています。そのことは、「独自の前文」と「使徒信条」を組み合わせる構造に表れています。

前文では、日本の教会が、自らの時代と状況のなかで、キリスト、救い、聖霊、聖書、教会について告白します。そして使徒信条を続けることによって、その告白が、古代以来の公同の教会の信仰と切り離されたものではないことを示します。

つまり、日本的な状況だけを重視して、歴史的教会の伝統から離れるのでもありません。反対に、教会の伝統だけを繰り返して、日本という具体的な文脈を無視するのでもありません。

日本の教会自身の言葉で、公同の教会が受け継いできた信仰を告白します。

1890年の「信仰ノ告白」の理念は、この点に集約されます。


5.1890年「信仰ノ告白」の全体構造

1890年の「信仰ノ告白」の前文は、キリストの告白から始まり、救い、聖霊、聖書、教会、そして使徒信条へと展開していきます。

構成告白される内容神学的主題
我等が神と崇むる主耶蘇基督キリスト告白
神の子が人となる受肉
罪のために完全な犠牲を献げる贖罪
信仰によってキリストと一体となるキリストとの結合
赦され、義とされる罪の赦し・義認
信仰が愛によって働き、心を清める聖化・信仰生活
父・子とともに聖霊を礼拝する三位一体
聖霊がキリストを現す聖霊論
聖霊の恵みによって神の国に入る救済論
預言者・使徒・聖徒に働く聖霊啓示・教会
新旧約聖書に語る聖霊聖書論
聖徒に伝えられた信仰信仰の継承
使徒信条公同教会との一致

第一に、「我等が神と崇むる主耶蘇基督」と告白されます。ここでは、イエス・キリストが神として礼拝される方であることが示されます。信仰告白の出発点は、抽象的な宗教理念ではなく、具体的なキリストの告白です。

第二に、神の子が人となられたことが告白されます。これは受肉を表しています。神は人間の苦しみや歴史から遠く離れた存在ではなく、イエス・キリストにおいて人間の現実のなかへと来られました。

第三に、キリストが私たちの罪のために完全な犠牲を献げられたことが告白されます。ここでは、キリストの十字架が、私たちの罪と神との断絶に関わる救いの出来事として理解されています。

第四に、私たちが信仰によってキリストと一体となることが示されます。救いは、キリストについての知識を得ることだけではありません。キリストと結ばれ、その命にあずかることです。

第五に、その結びつきのなかで、私たちが罪を赦され、神の前に義とされることが告白されます。人間は、自分自身の功績や道徳的努力によって神の前に正しい者とされるのではありません。キリストの恵みによって赦され、受け入れられます。

第六に、その信仰が愛によって働き、人の心を清めていくことが示されます。ここでは、信仰と生活が切り離されていません。神に受け入れられた者は、愛に生きる者として変えられていきます。これが聖化と信仰生活の主題です。

第七に、父と子とともに聖霊を礼拝することが告白されます。これは、父・子・聖霊なる神を礼拝する三位一体信仰の表明です。

第八に、聖霊がキリストを私たちに示し、キリストの救いを現実のものとされることが語られます。キリストについての告白は、過去の出来事を思い出すだけではありません。聖霊の働きによって、キリストが現在の私たちにとって生きた主として示されます。

第九に、聖霊の恵みによって、私たちが神の国に入れられることが示されます。救いは人間自身の能力によるものではなく、神の恵みの働きによるものです。

第十に、聖霊が預言者、使徒、聖徒たちのなかに働いてこられたことが語られます。信仰は、一人ひとりの個人的な経験だけに基づくものではありません。それは、神が歴史のなかで人々に働きかけ、教会を導いてこられたことに根ざしています。

第十一に、新旧約聖書を通して聖霊が語られることが告白されます。聖書は、単なる古代の宗教文書の集まりではなく、聖霊によって教会に語りかける神の言葉を証しする書として受け止められます。

第十二に、その信仰が聖徒たちに伝えられ、歴史を通して受け継がれてきたことが示されます。現在の教会の信仰は、自分たちだけで新しく作り出したものではありません。先立つ教会から受け継いだ信仰に連なっています。

第十三に、使徒信条が置かれます。これによって、日本の教会の告白が、公同の教会の歴史的信仰と一致していることが示されます。

以上の流れは、次のようにまとめられます。

キリストの告白(神・受肉・贖罪)

救い(キリストとの結合・罪の赦し・義認)

聖霊(三位一体・聖化・救いの完成)

聖書(歴史に働く聖霊・聖書の証言)

歴史的教会(信仰の継承)

現在の教会の告白(公同教会との連続性)

なお、キリストの復活や再臨などが前文で個別に詳述されていないとしても、それらが軽視されているという意味ではありません。前文の後に続く使徒信条において、それらの信仰内容が告白されるため、全体として理解する必要があります。


6.1890年「信仰ノ告白」講解説教における現代への適用

信仰告白を現代の説教において語るためには、それぞれの時代の教会が、どのような問いに直面し、何を守ろうとしたのかを考える必要があります。

(1)キリスト論

古代教会にとって重要な問いの一つは、「キリストは真の神であるのか」という問題でした。この問いは、イエス・キリストが単に優れた人間や神に近い存在であるのか、それとも神ご自身として礼拝される方であるのかをめぐるものでした。

明治期の日本の教会にとって、このキリスト告白は、「私たちは誰を究極的な主として礼拝するのか」という問いと結びつきました。国家と天皇への忠誠が強く求められる社会において、キリストを神として礼拝することは、信仰の根本的な帰属先を明らかにすることでした。

現代においても、この問いは失われていません。イエスを立派な道徳教師、愛の模範、あるいは人生の参考になる人物として理解することはできます。しかし、キリスト教信仰は、それだけにとどまりません。

イエス・キリストは、私にとって単なる道徳的模範なのでしょうか。それとも、私の罪、重荷、苦しみを担い、私を救う生ける主なのでしょうか。

キリスト論を語る説教は、「キリストは真の神です」という教理的命題を説明するだけでは十分ではありません。その方が、現実の不安、孤独、罪責、挫折を抱える私たちにとって、どのような救い主であるのかを語る必要があります。

(2)義認

義認をめぐる問いは、「人は、どのようにして神の前に義とされるのか」という問題です。

これは、キリスト教の歴史を通して繰り返し問われ、宗教改革においても特に重要な主題となりました。人間は、自らの善行、功績、宗教的努力によって神に認められるのでしょうか。それとも、神の恵みによって赦され、受け入れられるのでしょうか。

明治期の日本においては、この問いに、「誰が私の価値を最終的に判断するのか」という問題も重なりました。国家や社会から評価されることが、人間の価値を決定するのでしょうか。それとも、神がキリストにおいて私たちを受け入れてくださることが、私たちの存在の基礎となるのでしょうか。

現代社会でも、多くの人が、自分の過ちや負い目に苦しんでいます。また、学歴、職業、収入、社会的成功、周囲からの評価などによって、自分の価値を測ろうとします。

そのなかで義認の福音は、次のように告げます。

あなたの価値は、あなたの成果や評価だけによって決まるのではありません。

自分自身を正当化し続けなければならない社会のなかで、神がキリストを通して私たちを受け入れてくださることが、義認の中心です。

したがって、義認についての講解説教は、「人が神の前に義とされる」という神学的表現を説明するだけではなく、「自分の失敗や負い目を抱えながら、それでも受け入れられて生きるとはどういうことか」という現代的な問いに応える必要があります。

(3)聖書論

聖書論をめぐって、古代教会は、「教会における聖書の権威とは何か」「どの文書を正典として受け入れるのか」という問いに取り組みました。

さまざまな教えや文書が存在するなかで、教会は、使徒たちの証言と福音に根ざした文書を受け継ぎ、それらを信仰と生活の基準としてきました。

明治期の日本では、「国家の理念や社会の価値観が、人間にとっての最終的な真理を語ることができるのか」という問いが生じました。近代化、富国強兵、国家への忠誠が強調される社会において、教会は、神の言葉を聞くべき場所がどこにあるのかを問わなければなりませんでした。

現代社会では、情報があふれ、無数の価値観が同時に流通しています。インターネット、報道、広告、SNSなどは、「こう生きるべきだ」「こうすれば成功できる」「もっと自分を実現すべきだ」と、絶えず人に呼びかけます。

そのなかで問われるのは、次のことです。

私たちは、何を最終的な判断基準として生きるのでしょうか。

聖書を信仰の基準として受け止めることは、社会の情報をすべて拒否することではありません。むしろ、多様な情報や価値観に接しながらも、それらによって自分の存在や生き方を一方的に決定されないために、神の言葉に立ち返ることです。

聖書論の講解説教は、「聖書には権威があります」と述べるだけで終わるべきではありません。絶えず比較され、評価され、自己実現を求められる現代社会において、神の言葉がどのように私たちを自由にし、支えるのかを示す必要があります。


7.1890年信仰告白から現代へ――「誰を主とするのか」

1890年という時代は、富国強兵、近代国家の形成、教育制度の整備、社会の再編が進むなかで、人々に新たな帰属意識や忠誠が求められた時代でした。

その状況のなかで、日本の教会は、次のように告白しました。

「我等が神と崇むる主耶蘇基督」

それは、国家や社会のなかで生活しながらも、人間の究極的な帰属先がどこにあるのかを問い直す言葉でした。

現代社会においても、私たちはさまざまなものから、自分の価値や生きる意味を定義するよう求められています。国家や政治的立場、会社や職業、学歴、収入、社会的評価、SNSでの反応、世論、自己実現などが、私たちに対して問い続けます。

「あなたは何者なのですか」
「何を成し遂げたのですか」
「どれほど認められているのですか」

これらのものは、それ自体が必ずしも悪いわけではありません。しかし、それらが人間の価値を最終的に決定するものとなるとき、私たちは容易に不安や比較、競争や自己否定のなかに閉じ込められます。

そのような状況で、「我等が神と崇むる主耶蘇基督」と告白することは、私たちの存在の中心を改めて確かめることです。

私たちは、社会的評価によってのみ生きる者ではありません。成功や失敗によって最終的に価値づけられる者でもありません。キリストに知られ、キリストに愛され、キリストに属する者として生きるよう招かれています。

この信仰告白は、次の問いに対する教会の答えです。

「私は誰に属するのか」
「何を究極的な価値とするのか」
「誰の言葉によって、どのように生きるのか」


結び

「我等が神と崇むる主耶蘇基督」

このように告白することは、単に古い教理を繰り返すことではありません。それは、現代を生きる私たちが、誰を主とし、何を信じ、どこに自らの存在の根拠を置くのかを表明することです。

したがって、信仰告白の講解説教とは、「昔の教会が何を信じていたのか」を説明するだけの営みではありません。教会が受け継いできた信仰を、**「今日、私たちは何を信じて生きるのか」**という現在の告白へと結びつける営みです。

1890年の日本の教会は、歴史的教会から受け継いだキリスト教信仰を、自らの時代と場所において、「我等」の信仰告白として語り直しました。

同じように、現代の教会もまた、その信仰を、いまを生きる「私たちの告白」として語り直すことを求められています。

信仰告白は、過去から受け継いだ言葉を大切に守るものであると同時に、その言葉がそれぞれの時代に何を意味するのかを問い続けるものでもあります。

その意味で、1890年の「信仰ノ告白」は、教会が伝統を尊重しながら、福音に照らして絶えず自らを問い直し、改革され続けることを促す告白です。

そして、その告白を現在の教会の生きた言葉として響かせる場こそが、礼拝における信仰告白の講解説教なのです。

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