2026年4月13日月曜日

説教や聖書研究をする人のための聖書注解 マルコ6:6b-13

説教や聖書研究をする人のための聖書注解

マルコ6:6b-13


マルコ6:6b

  • 原文:Καὶ περιῆγεν τὰς κώμας κύκλῳ διδάσκων.
  • 私訳:そして彼は周囲の村々を巡りながら教えていた。
  • 新共同訳:それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。

文法解析

  • περιῆγεν:(未完了能動3単)περιάγω「巡る」
  • κύκλῳ:(副詞的与格)「周囲を」

注解

  • ナザレでの拒絶の一件後(6:1–6a)、イエスの宣教は継続する。未完了形は継続的活動を強調し、挫折にもかかわらず宣教が止まらないことを示す。また、かえってその範囲は拡大することになる。神にあって、失敗は新たな始まりという可能性を持つ。

マルコ6:7

  • 原文:Καὶ προσκαλεῖται τοὺς δώδεκα καὶ ἤρξατο αὐτοὺς ἀποστέλλειν δύο δύο, καὶ ἐδίδου αὐτοῖς ἐξουσίαν τῶν πνευμάτων τῶν ἀκαθάρτων,
  • 私訳:そして彼は十二人を呼び寄せ、彼らを二人ずつ遣わし始め、そして彼らに汚れた霊たちに対する権威を与えていた。
  • 新共同訳:そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、

文法解析

  • ἤρξατο:(アオリスト中動)←ἄρχομαι「〜し始める」
  • ἐδίδου:(未完了)←δίδωμι「与える」

注解

  • 「二人ずつ」は、証言の信頼性(申命記19:15)を伴う。当然、一人とは異なる相互協力が実現する。弟子たちはイエスの代理として働き、権威の委譲が強調される。
  • 汚れた霊に対する権能とは、実質的には、悪霊払いの力を授けられることを意味する。

マルコ6:8

  •  原文καὶ παρήγγειλεν αὐτοῖς ἵνα μηδὲν αἴρωσιν εἰς ὁδὸν εἰ μὴ ῥάβδον μόνον, μὴ ἄρτον, μὴ πήραν, μὴ εἰς τὴν ζώνην χαλκόν,

  • 私訳:そして彼は彼らに命じた、道のために何も持って行かないように、ただ杖だけは別として、パンも、袋も、帯の中に銅貨も持たないように。\
  • 新共同訳:Mar006008旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、

文法解析

  • παρήγγειλεν:(アオリスト)παραγγέλλω「命じる」
  • αἴρωσιν:(現在接続法)αἴρω「持ち上げる/持つ」
  • εἰ μὴ「〜を除いて」
  • χαλκόν「銅貨」

注解

  • 挙げられている項目は、旅に必須の持ち物の数々。その否定ということは、徹底した無所有の命令。これが象徴的なメッセージなのか、それとも現実に実行された命令なのか、判断し難い。
  • 象徴か、現実的命令か、いずれにせよ、宣教者は神から与えられるものをもって、そしてそのことを信じて活動するということ。また、明日の心配をせずに生きるという、「主の祈り」の「日毎に糧をあたえたまえ」の精神が背後にあるのかもしれない。
  • マタイ・ルカとの並行箇所と差異がある。例えば、杖の許可など。これは伝承の多様性を示す。

マルコ6:9

  • 原文:ἀλλὰ ὑποδεδεμένους σανδάλια καὶ μὴ ἐνδύσησθε δύο χιτῶνας.

  • 私訳:ただしサンダルを履き、二つの衣を着てはならない。
  • 新共同訳:Mar006009ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。

文法解析

  • ὑποδεδεμένους:(完了分詞)ὑποδέω「履く」
  • ἐνδύσησθε:(アオリスト中動命令)ἐνδύω「着る」
  • δύο χιτῶνας:「二つの衣」

注解

  • サンダル:一般的な履き物。長旅には必須。
  • 下着は2枚着てはならない:携行してはならないという意味ならば、余分のものや明日必要になるものなどの不携行という前節における精神性と合致する。つまり、必要最低限の装備のみ許可される。
  • 現代のミニマリストを批判も肯定もする意図ではないが、我々は、無駄なものに囲まれすぎてかえって生きる本質が見えなくなっているかもしれない。


マルコ6:10

  • 原文:καὶ ἔλεγεν αὐτοῖς· Ὅπου ἐὰν εἰσέλθητε εἰς οἰκίαν, ἐκεῖ μένετε ἕως ἂν ἐξέλθητε ἐκεῖθεν.
  • 私訳:そして彼は彼らに言っていた、「どこであれ家に入るなら、そこに留まりなさい、そこから出るまで。」

文法解析

  • Ὅπου ἐὰν:「どこでも〜するところは」
  • εἰσέλθητε:(アオリスト接続法)εἰσέρχομαι「入る」
  • μένετε:(現在命令)μένω「留まる」

注解

  • 宿を変えない命令は、利益追求の回避と(一定期間の)一貫性を示す。宣教は、その地に対する任務への誠実さと、選り好みをせず事足れりとする精神を伴うべきもの。

マルコ6:11

  • 原文:καὶ ὃς ἂν τόπος μὴ δέξηται ὑμᾶς μηδὲ ἀκούσωσιν ὑμῶν, ἐκπορευόμενοι ἐκεῖθεν ἐκτινάξατε τὸν χοῦν τὸν ὑποκάτω τῶν ποδῶν ὑμῶν εἰς μαρτύριον αὐτοῖς.
  • 私訳:そして、もしどこかの場所があなたがたを受け入れず、またあなたがたの言うことを聞かないなら、そこから出て行くとき、あなたがたの足の下の塵を払い落としなさい、彼らに対する証しとして。

文法解析

  • ὃς ἂν τόπος:「どの場所でも」
  • δέξηται:(アオリスト中動接続法)δέχομαι「受け入れる」
  • ἀκούσωσιν:(アオリスト接続法)ἀκούω「聞く」
  • ἐκτινάξατε:(アオリスト命令)ἐκτινάσσω「振り払う」
  • τὸν χοῦν:埃

注解

  • 「受け入れず」:故郷におけるイエスの拒絶のエコー、もしくは伏線回収となっている。
  • 塵払いの行為は、対象の今後に関する責任は、自分にはないことを表す。宣教者の責任は伝えることにあって、結果の責任を負うものとも異なる。
  • 対象に永久に関わり続けるものでもなく、復讐をするのでもなく、定められた「時」が来たなら、対象との関係を打ち切っても良い。何事にも「時」があるのだから。対象側も、相手が永遠に自分に構ってくれると甘えてはならない。神の愛にも甘えてはならない。


マルコ6:12

  • 原文:καὶ ἐξελθόντες ἐκήρυξαν ἵνα μετανοῶσιν,
  • 私訳:そして彼らは出て行って、人々が悔い改めるように宣べ伝えた。

文法解析

  • μετανοῶσιν:現在接続法 μετανοέω「悔い改める」

注解

  • 宣教内容の根幹が「悔い改め」であることが示されている。
  • 悔い改めとは、神不在の人生、生き方から、神と共に歩む人生、生き方への転換である。イエスの宣教(1:15)との連続性が示されている。

マルコ6:13

  • 原文:καὶ δαιμόνια πολλὰ ἐξέβαλλον καὶ ἤλειφον ἐλαίῳ πολλοὺς ἀρρώστους καὶ ἐθεράπευον.
  • 私訳:そして多くの悪霊を追い出し、多くの病人に油を塗って癒していた。

文法解析

  • ἐξέβαλλον(未完了)←ἐκβάλλω「追い出す」
  • ἤλειφον(未完了)←ἀλείφω「塗る」
  • ἐθεράπευον(未完了)←θεραπεύω「癒す」

注解

  • 未完了形により活動の継続性が示される。
  • 油の使用は象徴的(儀礼的)・実践的両面を持ち、後代の教会における実践(ヤコブ5:14)との関連が指摘される。


以上の注解を踏まえた説教の結びとして

 イエスは故郷で拒絶されても歩みを止めませんでした。むしろ、その出来事を契機として、より広い村々へと宣教の歩みを進めていきました。
 そして今度は、十二人の弟子たちを二人ずつ遣わし、ご自身の権威と使命を分かち与えられました。弟子たちに与えられた命令は、必要最低限のものだけを携え、与えられるものに満足し、受け入れられた家に留まり、拒絶された場所では塵を払い落として次へ進む、というものでした。
 そこには、「神の働きは、人間の備えや成功に依存しない」という深い真理があります。私たちはしばしば、もっと準備が整ってから、
もっと状況が良くなってから、もっと自分が強くなってから、そう思って歩みを止めてしまうことがあります。
 しかしイエスは、「今あるものを携えて行きなさい」と弟子たちを送り出しました。また、拒絶に出会ったとき、私たちは心に傷を負い、立ち止まり、時には復讐心や執着に囚われることもあります。けれどイエスは、「塵を払い落として、そこから次の場所へと進みなさい」と教えます。それは、相手を見捨てるためではなく、自分の心を自由にし、神の次の導きへと向かうためです。
 弟子たちはその言葉に従い、悔い改めを宣べ伝え、悪霊を追い出し、
病人を癒し、イエスの働きを実際に担っていきました。私たちもまた、
神の働きに招かれています。完璧でなくても、十分な備えがなくても、
拒絶や失敗を経験しても、それでもなお、神は私たちを遣わし、私たちを通して働かれます。
 今日、私たちが問われているのは、「何を持っているか」ではなく、「誰に従うか」です。イエスが共に歩まれるなら、私たちの小さな一歩は、神の大きな働きの一部となります。どうか、与えられた場所で、与えられた使命に忠実に、そして必要のない重荷を降ろしながら、主と共に歩む者でありたいと思います。

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