第5章 ローマ世界への浸透と迫害から、キリスト教公認、国教化
- ユダヤ教は、第1次ユダヤ戦争で壊滅状態になり、戦後に再編成。
- 100年頃 ユダヤ教のヤムニア会議。キリスト教の排除が決定。正典決定。
- 教会の「排除」から異物としての無視へ。よってユダヤ人による迫害は下火に。
- 132〜135年 第2次ユダヤ戦争(バル・コクバの乱)。再度、エルサレム陥落。他方、キリスト教はローマ他、各地で徐々に勢力を拡大。
- ローマ帝国において、キリスト教はまだ変人集団扱い。「人肉を食らう」聖餐の誤解
- 国家規模の迫害は、先の皇帝ネロを除いては、まだまだ。
- 250年 ローマ皇帝デキウスによる国家的規模の迫害
- 253-262年 ローマ皇帝ワレリアヌスによる国家的規模の迫害
- 303年 ローマ皇帝ディオクレティアヌスによる国家的規模の迫害。殉教の時代。ローマ帝国によるキリスト教迫害は皇帝の考え次第で、迫害なしの時代も。
- 313年 ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によるミラノ寛容令。キリスト教公認(保障)。理由は諸説あるが、帝国の安定のため。個人的体験。
- 325年 ニカイア公会議。アレイオス論争ひとまず決着。アタナシオス派は正統、アレイオス派は異端とされる。
- 380年 テッサロニキ勅令。キリスト教の国教化。ニカイア信条に基づくキリスト教(アタナシオス派)をローマ帝国の唯一の正統信仰とする
- 392年 テオドシウス帝、ニカイア信条に立つ正統派アタナシオス派キリスト教以外の宗教を禁令。異教の禁止。アレイオス派は異端として弾圧対象に。
- 395年 ローマ帝国は東西に分割(テオドシウス1世の死後)
- 476年 西ローマ帝国滅亡。ゲルマン人将軍オドアケルが最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスを退位させた。ローマ・カトリックは存続。
- 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は1453年にオスマン帝国により滅亡。 滅亡後も、ギリシア正教(東方正教会)は存続。
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