2025年12月31日水曜日

小論文「マルコ福音書に対するルカ福音書による主な修正・改変」

「マルコ福音書に対するルカ福音書による主な修正・改変」


 マタイ福音書と同様に、ルカ福音書もまたマルコ福音書を主要資料として用いながら、その文体や記事内容に対して多くの削除・修正・再構成を行っている。結論を先取りすれば、ルカの編集には、読者の理解を妨げないよう配慮する姿勢がとりわけ顕著である。その主な特徴は、以下の点に整理される。


1. 記事内容の簡潔化および文体・表現の修正(改善、省略、簡略化など)

2. 読者の理解に障害となる内容の削除・変更

3. イエス像の修正

4. 弟子像およびイエスの家族像の修正

5. ルカの独自要素を追加


1. 記事内容の簡潔化および文体・表現の修正の実例(一部)

・マルコ1:32–34 // ルカ4:40–41

 ルカは、内容構成は保持しつつも、病人、悪霊、群衆殺到などの詳細描写、繰り返しをカットし、要点を整理して簡潔に叙述している。


・アラム語・口語表現の削除

マルコ5:41 // ルカ8:54

 「タリタ・クム」というアラム語のセリフの逐語表現が、ルカではカットされて「起きなさい」のみに整理されている。ギリシャ語を使う読者向けにアラム語の再音表現は必要なし、とルカは判断したと思われる。他、後述の7:34「エッファタ」、15:34「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」なども削除されている。ただし、15:34は、イエス像の変更とも関係していて、複合的理由によるものである。


・2個の供食の記事を1個に集約

マルコ6:30-44(五千人)、8:1-10(四千人) // ルカ9:10-17

 マルコは、五千人の供食(6:30–44)と四千人の供食(8:1–10)という二つの供食記事を伝えている。さらにマルコ8:19–20において、イエスが弟子たちを叱責する文脈の中で、この二度の供食を明示的に読み手に想起させており、供食記事の重複は偶発的ではなく、意図的に構成されたものであると判断される。これら二つの供食は、弟子たちの理解の鈍さを浮き彫りにするというマルコ固有の弟子批判のモティーフと密接に結びついた、不可欠な構成要素である。

 これに対してルカは、五千人の供食記事(9:10–17)のみを採用し、四千人の供食記事を省略することによって、マルコにおける二重の供食伝承を一つの記事に集約している。それと同時に、マルコ8章に見られるような弟子批判の叙述も大幅に削減されており、ルカの編集方針が、叙述の簡潔化と弟子批判の相対的緩和に向けられていることが明らかとなる。


2. 読者の理解に障害となる内容の削除・変更

・マルコ7:33-34

ἔβαλεν τοὺς δακτύλους αὐτοῦ εἰς τὰ ὦτα αὐτοῦ, καὶ πτύσας ἥψατο τῆς γλώσσης αὐτοῦ·

「彼は彼の指を彼の耳に入れ、唾して彼の舌に触れた」

→マルコの奇跡物語における呪術的動作の記述を、ルカは削除。


・マルコ7:3-4

 そもそもルカは、ユダヤの慣習的色彩の濃いマルコ7:1以下を採用していないが、この箇所の手洗いの規定に関する説明的編集句(マルコ7:33-34)に言及していない。ルカの読者には不要との判断だろう。


3. イエス像の修正

・マルコ1:41 // ルカ5:12-16

καὶ σπλαγχνισθεὶς ἐκτείνας τὴν χεῖρα αὐτοῦ ἥψατο

「彼は深く憐んで彼の手を伸ばして触れた」

→καὶ ἐκτείνας τὴν χεῖρα ἥψατο「彼は手を伸ばして触れた」

 マルコにおける感情表現(深く憐む)が削除されている。


・マルコ3:5 // ルカ6:10

καὶ περιβλεψάμενος αὐτοὺς μετ’ ὀργῆς, συλλυπούμενος

「そこで彼は彼らを怒りをもって見回して」

→καὶ περιβλεψάμενος πάντας αὐτοὺς εἶπεν…

 「そこで彼は彼ら皆を見回して言った」

 マルコにおける感情表現(怒る)の削除。


・マルコ14:33 // ルカ22:39-46

καὶ ἤρξατο ἐκθαμβεῖσθαι καὶ ἀδημονεῖν.

「彼はひどく恐れて苦悩し始めて」

→削除。代わりに、別伝承の「血の汗」と「天使」を付加。


・マルコ8:24-25 // 並行箇所なし

 マルコにおける段階的な治癒を、ルカは記事ごと採用していない。イエスが一度では病を癒せなかったことが、読者の理解の妨げとなることを考慮した可能性がある。


 総じて、マルコにおける感情的で、驚き、怒り、恐れ、苦悩する人間的イエス像を、冷静沈着で威厳を持ち、動揺せずに感情を制御し、模範的な人間像を提供するイエス像へと変更している。


4 弟子像やイエスの家族像の修正

・マルコ6:52 // ルカ9:45

οὐ γὰρ συνῆκαν ἐπὶ τοῖς ἄρτοις, ἀλλ’ ἦν αὐτῶν ἡ καρδία πεπωρωμένη

「彼らはパンについて理解せず、心が頑なになっていたから」

→οἱ δὲ ἠγνόουν τὸ ῥῆμα τοῦτο, καὶ ἦν παρακεκαλυμμένον ἀπ’ αὐτῶν ἵνα μὴ αἴσθωνται αὐτό…

「彼らはこの言葉が分からず、彼らから隠されていた、彼らが悟らないように」

 ルカはマルコの無理解の状況は保持しつつも、批判的な描写は避け、彼らの無理解を啓示の問題に変換している。


・マルコ8:17–21 // ルカ9:12–17

Τί διαλογίζεσθε, ὅτι ἄρτους οὐκ ἔχετε; οὔπω νοεῖτε οὐδὲ συνίετε; πεπωρωμένην ἔχετε τὴν καρδίαν ὑμῶν;

「なぜパンを持っていないことで議論するのか?まだ分からないのか、悟らないのか?なたがたの心が頑なになっているのか?」

→マルコにおける修辞疑問文の連続による叱責を、削除。

 ルカは教会形成期の読者のために、弟子の威信を損なう描写を弱めたと考えられる。


・マルコ3:21 // ルカ11:14-23

「気が変になった」→ルカでは不採用

 初代教会に存在していたイエスの家族の評価を下げ、読者を戸惑わせる可能性のあるこの記述を、ルカは削除している。


 総じて、ルカは教会創生時期の弟子たちやイエスの家族を貶めるような批判を削除するか緩和し、彼らの威厳を保つことで、読者の無用な混乱を避けようとしているように思われる。


結論

 ルカ福音書は、マルコ福音書を資料としつつ、読者配慮と神学的意図に基づき、以下のような編集を加えている。

1. 文体と内容の簡潔化

 冗長な描写や繰り返しを削除し、要点を整理(例:病人の癒し、供食記事の集約)。

2. 読者理解を妨げる要素の削除  

 呪術的動作やユダヤ的慣習の描写を省略(例:唾を使った癒し、手洗い規定)。

3. イエス像の再構成

 感情的な描写(怒り、苦悩など)を削除し、冷静で威厳ある人物像へ変更。

4. 弟子・家族像の修正

 弟子の無理解や家族の否定的描写を緩和し、教会形成期の読者への配慮を示す。

5. 独自伝承の追加  

 「血の汗」や「天使の登場」など、別伝承由来と思われる要素を挿入。


 このように、ルカの編集は、物語の明快化と神学的再構成を通じて、読者にとって受容しやすい福音像を提示している。

 以上より、ルカ福音書のマルコ改変は「競合的」でも「否定的批判」でもなく、解釈的・教会論的配慮に基づく編集的修正と位置づけるのが妥当である。

 ルカはマルコを、修正が必要な書とおそらくは見ているが(ルカ1:1-4)、基本的には信頼ある権威ある資料として前提し、その基本的枠組みを維持している。マルコを否定する独立的叙述を意図してはいない。また、マルコの神学や物語構成を大きな誤りとして、是正するような修正も、明示的な批判も行っていない。むしろ、マルコに固有の緊張感や弟子批判、人間的イエス像が、後代の読者共同体に混乱や躓きを与える可能性を考慮し、それらに限定して緩和・再配置する形で再提示している。

 したがって、ルカの編集は、マルコ伝承を否定する「批判的修正」ではなく、また上書き消去を目指す「競合」でもない。むしろそれは、同一伝承を異なる読者層と神学的関心に即して再解釈する、協同的かつ解釈的継承として理解されるべきである。


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