2025年4月10日木曜日

【マルコ福音書 講解説教】01「無名のマルコがもたらしたもの」2025年4月6日

 

光の教会【礼拝説教】2025年4月6日(執務室での別撮りになります)


聖書テキスト マルコによる福音書 1章1節

「神の子イエス・キリストの福音の初め。」


ーーー説教原稿ーーー

まず、マルコ福音書の著者についてから始めたいと思います。結論から述べると、マルコという人物がどういった人なのか、特定まではできていません。マルコ福音書の内部でも触れられていませんし、そもそも本書のタイトル、原文ではギリシア語で素朴に「マルコよって」という文言は、写本の段階で後から加えられたものです。他の新約聖書文書を調べても、聖書以外の教会文書を開いても、この人かもしれないという推測はあっても、十分な根拠がないのです。ただ、そのマルコ当人が執筆した福音書は目の前にありますから、ここからマルコがどういった人なのかを探るほかないというわけです。

 一つ述べておくと、古代時代に見られる傾向として、著者名をその業界の偉人や有名人にするという慣習がありました。ですから、例えばマタイ福音書であれば、マタイは十二人の使徒の一人ですから、後代の教会の人が執筆者を「マタイ」としたという可能性も、あくまで可能性ながら無くはないわけです。他方、マルコ福音書には、当時の教会内で偉人でもなく、それほど有名人とも思えない「マルコ」という名前が付されています。事実でもないのにわざわざそんなことをする必要は皆無ですから、従って、著者が「マルコ」という名であることは、まず間違いありません。

 マタイ、ヨハネといった、十二人の使徒でもない。ルカのように、一時期パウロの側近を務め、ギリシア語も堪能、優秀な人物であったというわけでもない。マルコ福音書のギリシア語は、洗練されてはいません。これが母国語でない人が、得意でないけれども頑張って書き留めた文章です。では、なぜ母国語でない言語でマルコは本書を書いたのか。それは、ギリシア語なら読める人たちが読めるように、という理由しかありえません。ここからすると、きっとマルコのいた教会は、ギリシア語を話す人が多かったのでしょう。

要は、マルコという人は、マタイやルカのように、バイリンガル(もうこの語も耳にしないですし、死語かもしれませんが)、華麗に複数言語を読み書きする才覚があったわけでもない。そんな特別優秀な人でない、普通の人。有名でもない人。そういう人物がしたためた書こそ、マルコ福音書に他なりません。

しかも、今日の一般的な学説では、四福音書の中で最初に書かれた福音書が、マルコ福音書と見なされています。つまり、無名の普通の人がもたらした画期的な文書スタイルである福音書。これまで世界中で、古代時代から今の今まで、一体何十億もの人が読み親しんで、感化を受けてきたことかという福音書。その原型を世にもたらすことになったのが、マルコという次第です。


 皆さんはよく、「神は無名の人、力の乏しい、欠けた人を用いられる」、といったセリフを耳にされているでしょう。けれども心の中ではどこかで、「いやいや、そうはいうけどね」なんて思っていたりするというのが、人情というもの。しかし、それは現実として起こるものです。

マルコがそうでした。世に貢献する、教会に寄与する、そうした志を持つたった一人の、たった一つの働きが、まず、教会の文書スタイルに革命を起こしました。従来、パウロ書簡のような手紙スタイルが主流で、基本、キリスト教の教義を説明していくという流れであったところに、イエスの出来事を物語として追体験できるもの。研究によれば、それ以前から既に、部分的な逸話は物語として文書化されていたようですが、一つのイエス物語全体を完成させたのは、マルコが初となります。私たちが新約聖書の中で、物語としてキリストの出来事を通して味わえて、ありありとその光景を思い浮かべることができるのは、このマルコの功績です。

大事なことは、神にあって志を抱いて、死ぬまでその働きを続けていくことです。北海道大学の前身、札幌農学校の教頭を務めたかのクラーク博士も述べたように、キリストにあって志を高く持つ。そこには、その人がどうということもありませんし、年齢も関係ありません。年をとっても、例え馬力はなくても前進はあるはずですから。


次に、マルコ福音書がいつ書かれたのか、という問題について述べたいところですが、これもヴェールに包まれているものでして、研究仮説によってばらつきがあります。早いもので紀元50年代、遅いもので紀元70年の前か、後。大体、この三つのパターン。他の三つの福音書ですと、もう少し推定年代の範囲を狭められるのですが、マルコだとそうはいきません。

詳しい話はさておき、いずれにしても激動の時代であったことは確かで、それはマルコの記述の端々から見えてきます。例えば、「十字架を背負って私の後に従え」「福音のために命を失うものは、それを救う」といった、緊迫感。おそらくは迫害が背景にあるのでしょう。また、マルコが文章を書いていく時の傾向として、「すぐ」ないしは「急ぐ」という意味の語を多用しています。時の猶予がない、切迫感があるということです。

これはイエス自身が、個々人の決意や、腹を括らないままに中途半端な状態にすること、いつまでもウダウダしていることを嫌う傾向があるのに起因するものですが、マルコは執筆する時に、一層これらの要素を強調して書いていることが伺えます。まとめると、緊迫感、切迫感がある中で、日和見主義はかえって命を落とすことになる。けれども、腹を括ったら活路が開かれる、というメッセージ性です。


 こうしたマルコが書いたマルコ福音書、一体どのような内容であるのかということについてとなります。それはおいおい本文を読み進めていき、それと共に語っていくことになりますし、次回、マルコ1章1節の解説で触れていきますが、一言でいうと、“受難のキリスト”です。マルコ福音書のあらゆる要素は、受難のイエスに向かっている。無力にも、人々によって死へと追いやられ、無惨にも十字架に架けられ、絶命したキリスト。そのキリストの姿にこそ、本質がある!というメッセージ性。

 元々のマルコ福音書には、復活したキリストが現れる予告はある一方で、その出来事の物語、これを一般に復活顕現物語といいますが、マタイ、ルカ、ヨハネにはあるそれが、マルコにはありません。この謎も、研究上では膨大な議論がなされ、いまだ解明されていない謎の一つですけれども、私個人の説としてはごく単純に、受難のイエスに一転集中したかったのだと考えています。例えば、讃美歌の「血潮滴る」を歌った後に、すぐに復活の讃美歌を歌おうとはならないでしょう。「ちょっと待ってくれ。しばらく、キリストの受難に思いを浸らせてくれ」となるのではないでしょうか。それと似たようなもので、マルコは復活顕現まで書いて、キリストの十字架のショックを和らげたくなかったのだと思います。そして、今日のマルコ1章1節に羅列されている、「神の子」「キリスト」「福音」、それって何なのかという問いの布石を置き続けることで、その答えは、非業の死を遂げたイエスの最後にこそある、というやり方。

 おそらく、マルコ自身の、キリストの十字架を深く実感する、実体験があったのだと思います。そして、それが彼の根幹になっているのだと思います。


 私たちはややもすれば、力ある人を期待し、力ある者にすがり、そうして、結局、力を求め、それによる幸福を願います。しかし、そこに生きる本質はない。イエスのように志を抱き、それがゆえに苦しむことは必然であり、時には死をも覚悟しなければならない。しかし、そこにこそ、生きる本質があると。困難と悩みの外に答えがあるわけではなく、その中にこそ、わけてもイエスの苦しみの中にこそ答えがあると。その本質というものをキリストの受難に見て、それが胸に突き刺さったのだと思います。そして、そのキリストが今も自分を導いてくださっている。神によって守られ、生きているのだ。それが、マルコにとってのキリストの復活。復活のキリストの物語とは、今の自分がキリストと出会っている物語だから、いわゆる使徒たちの過去の復活権限物語は皆が知っている通りで、俺がそれを語る必要もないと。だから、マルコでは十字架死の後、復活の予告だけで終わっているのかなあと。そう推測すると、マルコって随分味なことをする人物じゃないかと思う次第です。


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