2025年2月3日月曜日

【茨木春日丘教会(光の教会)】聖日礼拝説教 2025年2月2日「神のものは神に」



<原稿テキスト>

2025年2月2日 マタイ22:15-22

「神のものは神に」


 今日のエピソードの場所は、ユダヤの首都エルサレムになります。そしてこのタイミングというのは、キリストが十字架にかけられる、わずか数日前ということになります。15節を読みます。

15それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。

 ここに登場しているファリサイ派というのは、当時のイスラエル民族における民族宗教、ユダヤ教指導者たちの一派です。最も権威と伝統のあるグループでした。福音を読んでいると、なんだか虚栄心が強くて頭の固い、そしてイエスに意地悪を仕掛ける、碌でもない連中に思えるのではありますが、神への信仰的な筋は通し、基本は敬虔な人たちでもありましたので、実はそれほど悪くもなく、彼らを尊敬する民衆が大勢を占めていました。

しかしながら、古今東西、世の中のどんなグループでも、色々な人格の人というのがいます。また、自分の人気を掻っ攫われると、大概の人はいい気持ちがしません。不愉快になります。具体的には、彼らというのは、当初は自分たちが民衆からの敬意を独占していたにもかかわらず、まずはそれを洗礼者ヨハネが最初にかっさらって、次にはイエス・キリストがさらえていったわけです。ですから、なんぼ宗教家でも、嫉妬心から来る憎しみを抱く人もいたということです。そういうわけで、なんとかイエスという男のメッキを剥がして、人気を失墜させてやろう、そういう魂胆であったということです。


16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。

 ファリサイ派の指導者層が、弟子、すなわち論客をイエスのところに遣わした、そうあります。「ヘロデ派の人々と一緒に」とありまして、これはその名の通り、この物語当時には既に亡くなって久しいヘロデ大王と、その一族を支持する一派です。ヘロデ大王は、ローマにおもねって支配を手にした男ですから、その一派も、ローマ体制よりの貴族層です。その意味で右翼。一方のファリサイ派は、信仰の純粋さはさすがに持っていますから、異教の民が神の民イスラエルを属国支配するなど、死んでも許すまじ、という政治的立場で、その意味で左翼。よって両者、政治的に相容れない右翼と左翼、互いに犬猿の仲同士。これが、イエスを追い落とすという目的のもと、一致協力しているわけです。

 私たちにおいても、共通の憎たらしい敵がいますと、仲が悪い者たち同士でも手が組める、なんてことがよくあります。政治信念も信仰も含め、人間の信念というものが、いかに、憎たらしいという感情や欲望に脆く、流されるものであるかを、ものの見事に表している事例でしょう。


 そこでファリサイ派の人々はイエスに口を開きました。

「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。

 心にもない言葉です。冒頭の「先生」からして、この先生と訳されている語、元々は今日でもユダヤ人の中で使われている「ラビ」という言葉。ユダヤ教の教師を指す語であると。このケースであれば、ファリサイ派のラビたちは、まずこう思っているはずです。「ラビと呼ばれるべきは自分たちだけで、イエスとかいうどこぞの馬の骨には相応しくない呼び方だ」と。それでもここで、嫌味たっぷりに慇懃無礼にも程があるアプローチをする、そんな裏の心情を汲み取って改めてここを読み直すと、結構笑える箇所です。

 また、これって、この後イエスを罠に嵌めていくための、準備作業にもなっています。すなわち、「こんなにも評判のあなたが、こんな失望するような答えをするなんて」といった具合。


17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」

 皇帝というのはローマ皇帝のことで、それはローマの支配を象徴するものです。また、そもそもローマは、いうまでもなくユダヤの神を信じる国家ではありませんから、ユダヤ人から見れば異教の国家になるわけです。またこの時代、ローマが神殿を荒らすとか、神殿にローマの国旗を立てるとか、皇帝の像を立てるとか、なにかとユダヤ人を闇雲に刺激するような失策が続いた時期でもありました。つまり、「にっくきローマめ」という不満が溜まっている状態です。「税金を納める」というのは、その流れでいけば、こういうローマの支配を容認するということになります。したがって、「律法に適っているか?」と問われれば、「適っているわけない」と答えるしかありませんと。

 それならば、「律法に適っていない」と答えれば、その言動をローマ側に密告されれば、国家反逆罪のかどで身柄を拘束され、下手すれば処刑案件になります。ならば、「税金もやむなし」と答えるか。それこそ大問題になります。

とかく人の世界、社会、なかんずく、理想を掲げる宗教なんて人の集まりとなりますと、必ずあの問題が首をもたげます。それは、「本音と建前」に他なりません。大概の人が、建前でもって人や社会と接して、本音はうちに隠して生きているわけです。そこを、例えば芸能人で言えばマツコデラックスさんのように、歯に衣着せぬトークと見せかけて、実のところ、非常に計算された発言をする人が出てきますと、「なんか、自分たちの本音の思いを言葉にしてくれているようで嬉しい」といった感じで、非常に喜ばれると。それでいて、「それを言っちゃあ、おしまいよ」という本音は出さずに、あくまで、聴く人の心のモヤモヤを、「そうそう、そうなのよ」って気持ちに変えてくれる言動で、心の浄化、気持ちが楽になるわけです。その点で、キリストの言動のヤンチャぶりと、マツコデラックスさんのそれは、共通している部分が多いと考えています。

それはともかくとしても、そういう点が売り物であったイエスが、もしここで、「いやあ、ローマへの税金は払わざるを得ないよね」などと言おうものなら、失望されること必至ですよね?期待していたところにわかりきった回答ですから。

ですので、冒頭の節で「罠にかけようと」とありましたけれども、その罠というのは、こういう仕組みです。こういうのはいわゆる、二者択一でどっち答えてもアウト、という罠ですね。


18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。

 イエスの方は、全くもって余裕の一言、というより、ため息まじりに呆れられているといったところでしょうか。


19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、Mat022020イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。Mat022021彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

 先週の説教で、神殿にお金を捧げる時は、ユダヤの通貨に両替する、両替商が神殿の境内にいたというくだりがありました。対して、ローマへの税金の場合は、広く出回っているローマの通貨でOKと。それを持って来いと語るイエス。そのデナリオン通貨には、皇帝アウグストゥスの肖像が刻印されています。それで、「皇帝だ」と答える彼ら。「じゃあ、それなら、皇帝の顔が書いてあるくらいだ、本人のもんだ」で、皇帝の皇帝に、ただし、神のものは神に返したらいい。以上。という主旨で答えるイエス。これ聴いたら、あれっと思っても、「そりゃそうだ」となりますよね。

 ここでイエスは、いわゆる論点ずらしをしています。異教の大国憎きローマに、隷属して税金を捧げるべきなのか、べきでないのか。律法違反なのか、そうでないのか、という本来の質問内容。これを、貨幣に皇帝の肖像が描かれているのを利用して、皇帝は皇帝、神のものは神に、という、普遍的理論にすり替えているわけです。じゃあ、「論点すり替えだ」と切り返せばいいかというと、既に、

「このコインの肖像画は誰?」とかなんとか、誘導尋問された後ですから。後の祭り。どうしようもない。一巻の終わり、で、22節の結末ですね。

22彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。


 「神のものは神に」、というくだりがありました。これが実は本質的な深い一言でして、キリスト教の教義では、そもそも全てが神のものであります。それを人はいただいている立場ですから、献金の祈りの時にも、よく「あなたからいただきましたものの一部をお返しします」というセリフがあるというわけです。ただ、なんかそう聞くと、人々から体良く金を徴収するための、都合のいい文句のようにも感じます。私もそう感じたりすることはあります。しかし、こうしてこの職業を長らく続けて、人生経験も積むと、「それがいいよ」と清々しく思うようになってきました。なぜなら、人々の苦しみの根源は、一つ、何週間か前にも語った、妬み、嫉妬です。そしてもう一つ、それは、執着です。これは俺のもの。これは俺の権利。それで執着して、人生豊かになればいいですけれど、それがなった試しがないときたもんです。大抵の人は、そんなことわかっているはずなのに、執着して手放さない。で、自分で自分を不幸にしている。それくらいなら、俺のもの、みんな神のものだ。そう思って暮らすと、失った時も早めに諦めがつくというもの。結論、「神のものは神のもの」。これ、人生における正義です。


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