「マタイによる福音書」の緒論
初回となる今回は、「マタイによる福音書」が、そもそもどのような人によって書かれ、いつ書かれ、どこで書かれたのかについて、お話ししたいと思います。こういった、著者、執筆年代、執筆場所などについての考察を、慣例では「緒論」(「ちょろん」または「しょろん」)」と呼びます。マタイ福音書の内容に踏み込んだ考察や、神学上の特徴といった議論へと広がっていくのに先立つ、その端“緒”となる議論というニュアンスでしょう。横文字では「イントロダクション」、すなわち「導入」のお話となります。
「マタイによる福音書」の本文
聖書の中で福音書と呼ばれる書は、四書あります。新約聖書に配置されている順序では、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書、以上です。この中でもマタイ福音書は、二世紀の段階では最も広く読まれた福音書と考えられています。言われてみれば確かに、分量も長く、筆遣いも威風堂々としています。緻密な全体構成に加え、「ほほう」と感心する整然とした全体構想が備わっていて、終始一貫して安定した叙述が際立っています。
「マタイによる福音書」の執筆者
今、「マタイ福音書の著者はマタイに決まっているではないか」と思われている方、きっと少なくないでしょう。教会の正典として定められた聖書でそう記述されているのですから、教会で読む分には、それで差し支えはありません。ただ、学問あるいは科学というものは、よく調べて論理的に考えた場合はどうなのかを問う営みですし、こちらの「特集」記事は、少々学問的な体裁も含むものですので、せっかくなので少しだけ踏み込んでみましょう。
マタイ福音書には今でこそ「マタイによる福音書」という名称が付けられていますが、元々は書名などなく、本文にも著者が誰かという記述は見当たりません。書名は後から付けられたものです。
ここからはちょっと散らかった話になりますが、頭を働かせて読んでみてください。新約聖書二七書が正典として定められる前の古代時代、それでもある程度それぞれの文書はまとめて保持されていたようで、その際、四つの福音書の並び順は、今日のマタイ福音書にあたる福音書が一番先であったことから、「第一福音書」と呼ばれていました。他方、ヒエラポリスの司教であったパピアスという人の言葉に、「マタイはヘブライ語で言葉集を編纂した」とあります。それ以降、恐らくはその記述を参考にして、何人もの司教、神学者が、マタイという人によってヘブライ語の書がしたためられたと書くようになりました。
三世紀前半に活動した教父オリゲネスはこれらの情報を統合し、「第一福音書はかつて徴税人であり、後にイエス・キリストの使徒となったマタイによって書かれ……ヘブライ語で著された」と述べています。なるほど、マタイ九・九以下には、マルコ福音書では「レビ」という名の人物が「マタイ」に書き換えられた形で、収税人であった者がイエスによって招かれて弟子とされた記事が掲載されています。つまりオリゲネスは、【マタイ九・九の収税人マタイ=使徒マタイ=第一福音書の著者】と同定したということでしょう。それ以降、この理解が伝統として根付き、最終的に第一福音書は「マタイによる(福音書)」と名付けられるようになりました。結論として、マタイ福音書の著者は使徒マタイとするのがトラディショナルな見解です。
これで一件落着かと思いきや、この見解には問題点があります。まず、先ほど「ヘブライ語」の書とありましたが、マタイ福音書はコイネー・ギリシャ語で書かれていて、食い違いがあります。また、今日の学術上の一般的な説としては、マタイ福音書の著者はマルコ福音書の現物を読んで、これを大幅に下地にして書いたとされています。そうだとすると、十字架以前のイエスを直接知っているはずの使徒マタイが、直接は知らないで書かれたマルコ福音書を、わざわざ参考にする必要があるのだろうかという疑問が残ります。他にも、細かい点でいくつか問題があります。
以上の通り、【マタイ福音書の著者=使徒マタイ】かどうかは、今となっては検証のしようもありません。ただ、十二使徒のリストでもマタイ福音書はマタイのところに「徴税人」と書き加えてもいますので(一〇・三)、先の九・九以下と併せ、マタイ福音書が「徴税人マタイ」を他の福音書以上に強調していることは、まぎれもない事実です。マタイ福音書の熱い心が、徴税人でありながら弟子とされたマタイに注がれていることを意識しながら読むと、マタイ福音書の説教がより楽しくなるでしょう。
「マタイによる福音書」の執筆年代
まず、マタイ福音書の本文には、本書が執筆された時期について一切明記されていません。ということは、執筆者問題同様、状況証拠から埋めていくしかありません。先ほど、マタイ福音書はマルコ福音書を読んだ上で書かれていると述べました。これが正しければ、マタイ福音書はマルコ福音書の後に書かれたということになります。ところが、マルコ福音書の執筆年代も大いに議論されてきて、紀元六〇〜七〇年としておくのが一般的です。となれば、マタイ福音書はそれ以降であるとひとまずなります。
ところで、例えば坂本龍馬を映画化したものがあったとして、劇中の龍馬の描き方やセリフは、必ずしも当時に忠実ではなく、映画化に際してその時代に発していきたいメッセージが上乗せされる、あるいは反映されるということがよくあります。マタイ福音書もそれと同様で、「執筆時の教会や時代の状況が滲み出ているなあ」と思わせる筆致が読み取れるのです。これらをつぶさに考察していくと、マタイ福音書はどうも、エルサレム神殿の崩壊(紀元七〇年)の後とか(二二・七)、八〇年代中頃にあったユダヤ人によるキリスト教徒追放処分が意識されているとか、言葉のはしばしに感じるところが多々あります。例えば、四・二三で「諸会堂」と訳されている箇所は、原文では「彼らの諸会堂」とあります。「あれ?同じユダヤ人なのに、『彼らの』なんて、まるで他人事みたいな距離感のある言葉遣いだな」と感じます。それで、「そうか、もうユダヤ教とは距離がある状況か」と気付くわけです。これらを丁寧に総合していくと、紀元八〇年代に書かれたと見るのが妥当です。
ちなみに、推定成立年代が百年頃と目されている「ディダケー」などの書が、マタイ福音書の記述を知っているようなので、ということは、マタイ福音書の成立はそれ以前でなければならないとなります。以上、この辺りのものの考え方は、ミステリー小説における犯行推定時刻を推理する探偵のやっていることと、そうは変わりません。
元々はユダヤ人イエスや使徒たちから始まった、ユダヤ教の中でのイエス運動が、迫害を受け、ついに追放処分を受け、そうして分離し、独立したキリスト教が成立するに至った……。その時、マタイ福音書を書いた人、読んだ人たちは、一体どんな闘いをしていたのだろうと、行間からその血と汗を読み取ろうとする営みは、説教を作る際の閃きに繋がっていきます。「『義のために迫害される人々』(五・一〇)って、こういうことか!」といった具合に、聖書の言葉の理解が立体的になります。仕上げに、「そうした迫害との闘いは、現代の私たちにとって、どんな意味があるのだろう」と思い巡らすのです。そうすると、例えば他の箇所での「恐れるな」という主イエスのみ言葉に、「そうか、結局、神以外のものを恐れるなということか」といった閃きが生まれ、み言葉に血と肉が付いていくのです。教会学校向けの説教はともかくとしても、大人向けの立派な説教が、「彼らの」というわずか一言から、自ずと湧き出してくるではありませんか。
そう、私が今ここで述べていることは、神の言葉の立体化、血肉化へと目指すものです。「そんなことはどうでもいいから、手っ取り早く来週の説教のコツを教えて」というのも人情でしょうが、こういった余計とも思える情報の一つ一つの蓄積、そして反芻が、深いメッセージを地中から掘り出す結果へと導いていきます。手っ取り早さから、奥深い説教は生まれません。
「マタイによる福音書」の成立場所
マタイ福音書は、一体どこで書かれたのか。これもまた例により、本文中の記載は一切なく、状況証拠のみからの推理となります。まず、本書は「コイネー・ギリシャ語」で書かれていると先ほど述べました。よって成立場所は、その言語が使われているエリアでなければなりません。次に、マタイ福音書は他のどの福音書にもまさって、律法を重んじています(一例として五・一七「わたしが来たのは、律法や預言者を廃止するためではなく……完成するためである」)。同時に、ユダヤ人の慣習に詳しく、その知識を前提としています。ということは、この福音書の読者にはユダヤ人が多く含まれていると。それでいて、イエスが活動されたガリラヤを含むパレスティナの地理の書き方に、知識の乏しさを感じます。その他、本書におけるペトロの重要性の強調や、本書を最初に引用した古代文書の成立場所、初期キリスト教会の教会分布図などを加味すると、「シリア」という説が最も一般的でしょう。
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